FREIND SHIP

 

「京梧、京梧!起きなさいってば!」

いきなり、被っていた布団を剥ぎ取られて、彼は飛び起きた。

「麻葉!てめぇ、男の寝込み襲うたあ、いい度胸だ!」

「何言ってんの!一体、現在何刻だと思ってんの!!

こんな時間まで、よく寝てられるわね!

もう、とっくに、昼過ぎてんのよ!」

目の前の小袖を着た少女が、京梧を睨みつけながらそう怒鳴った。

「誰のせいだと思ってんだ。お前が夕べ…」

京梧は、そこまで言って、慌てて口を掌で塞ぐ。

「夕べ…何?」

少女―麻葉―の怒りが増大するのを、京梧は感じ取った。

「人のせいにするなぁ!この馬鹿がぁ!」

麻葉は、手近にあった物を京梧に向かって投げつけた。

「ってぇな。ったく…夜はあんなに、可愛いのによ」

「あ…あれは、京梧が無理やり…」

麻葉は、顔を赤くしてそう呟いた。

「無理やり?それにしちゃ、ずいぶん燃えてたよなぁ?何度も、ねだってたしな。

俺にしがみついてさ」

「だって、京梧はあたしの…」

少しうつむいて、麻葉は小声で呟いた。

そんな彼女を引っ張って、京梧は布団の上に押し倒した。

「な…何するの!」

麻葉の抗議の声を唇で塞ぐと、着物の中に手を差し入れて胸をまさぐった。

「お前が、あんまり可愛いから我慢できなくなった。もう一回やらせろ」

「馬…馬鹿っ!何、昼間から、発情して…んっ」

京梧を押し戻そうとした麻葉は、胸の先端を吸われて嬌声をあげた。

「ふあっ…京梧、やめ…」

自分の弱い所を責められて、麻葉の手が畳の上に落ちる。

「あ…やっ」

結んでいる帯を取り去ると、彼女の着物の前をはだけさせて陽の光の元に曝す。

染み一つない白い肌には、昨夜の名残である緋色の跡がくっきりとついていた。

その跡を唇で再び丹念になぞりながら、掌で愛撫を与える。

「あっ…ん」

麻葉の手が畳の上をさまよい、与えられる刺激に堪えるように爪をたてる。

「あ…やっだ…京…梧」

「『いい』の間違いだろう?もう、こんなに、中は濡れて熱くなってるぜ?」

麻葉の中に、指を少し挿し入れて、京梧は意地の悪そうな笑みを浮かべた。

「あ…やめ…て、京…梧…」

陽の光の下で自分の裸体を曝け出している事に、羞恥を覚えて、麻葉は哀願する。

「へぇ、この状態で止めてもいいのか?」

「お願…い、止めて…」

その言葉を聞いた京梧は、麻葉を愛撫する手を止めて、彼女から離れる。

突然、温もりがなくなった事に気づいた麻葉は、息と着物を整えながら、

身体を起こして京梧の姿を探す。

「京梧…?」

視線の先の少し離れた所で、京梧が麻葉の事を見つめていた。

自分を見つめるその真剣な眼差しだけで、

感じてしまう自分がいる事に彼女は初めて気づいた。

未だ、熱を帯びている身体を抱きしめるようにして、麻葉は蹲った。

「ごめん、京梧…」

「いいさ、無理強いはしたくねぇし…」

「違う、京梧は悪くない…。ただ、あたし、怖かったから…。

昼間から京梧を求めてしまうようになるのが、怖くて…」

「麻葉」

「夜なら…、どんなに求めても京梧以外、誰もいない。

どんなに乱れても、京梧が見てるだけだから…。

それに京梧の温もりに包まれるのが、何より好きだったから。

でも、昼間は…陽に照らされている昼間に、

京梧の温もりを知ってしまったら、

二度と離れられなくなるから…。それが、怖くて、あたし…」

「…」

泣きながら、言葉を紡ぐ麻葉の頬に、京梧は黙って手を触れた。

「でも、身体が、心が…京梧を求めてるの!

京梧の温もりが欲しいって、あたしの中で、何かが悲鳴をあげてるの!」

麻葉は、目の前にいる愛しい若者の身体にしがみついた。

「京梧、お願い…離さないで。あたしの事、抱きしめて!」

「麻葉」

京梧は、麻葉の身体を優しく抱きしめると、宥めるように、背中を何度もさすった。

「もういいから、泣くな。お前に泣かれるのが、一番辛いんだから」

「京梧」

「俺が好きなのは、笑ってるお前を見る事なんだから」

「…京梧が好きだよ。あたし」

涙のあふれそうな瞳で見つめられて、

京梧は彼女を抱きしめる腕に力を込めた。

「現在は、俺しかお前を見てないから。

それに恥ずかしがるような事じゃねぇんだから」

落ち着かせるように、そう言うと彼女の紅い唇に、深い口付けをする。

「んっ…」

目を閉じて、その行為を受け入れた麻葉は、

やがて挿し入れられた舌に自分の舌を絡ませる。

京梧は、そんな麻耶を畳の上に横たえると、帯のとかれたままの彼女の

着物をはだけて、掌を麻葉の白い肌の上に滑らせる。

「あっ…」

陽の光の中で、行われる行為に、麻葉は普段以上に感じてしまっていた。

恥ずかしさのあまり、京梧から視線を外そうとした麻葉の唇に、

自分の唇を重ね合わせる。

「京…」

塞いだ唇から漏れた微かな声が、自分の名前を呼ぶのを見ながら、

京梧は行為を進めていった。

やがて、全てが終わり、自分の腕の中で疲れきったように、

瞳を閉じている麻葉の黒髪を梳きながら、京梧が囁くように言った。

「なぁ、祝言あげねぇか?」

「え…」

「一緒に暮らすようになって、もう長ぇし、

お互い身内がいるわけじゃねぇから、大袈裟なもんでなくてもいいからよ。

麻葉にも花嫁衣裳ってやつを着せてやりたいからな。

柳生や藍に頼みゃ、すぐに仕度ぐらいは整えてくれるだろう」

「ほんとに…?」

幼馴染の名を出してそう言う京梧の事を、麻葉は覗き込んだ。

「こんな事、冗談で言えるわけねぇだろう」

京梧は少し照れくさそうに横を向いてそう言った。

「いいかげん、こんな中途半端な暮らし続けていても、しょうがねぇしな」

彼は起きあがって、麻葉を見つめた.

「幸せにできるかなんて、約束はできねぇけど、努力はするからよ。だから…」

少し照れくさそうに、言葉を発する京梧を麻葉は見つめていた。

「ありがとう。とっても嬉しいよ」

やがて、麻葉は少しうつむきながら、答えた。

「京梧がそう言ってくれただけで、あたし、幸せだよ」

麻葉は、幸せそうに微笑むと、目の前の青年の胸にもたれかかった。

「京梧が、幸せだと思えるように、あたしも努力するから」

光に透けると茶色に見える髪に触れながら、麻葉はそう言った。

そんな麻葉の事を、京梧は再び腕の中に抱きしめた。

「き…京梧?」

「なにもしやしねえから…このままでいさせてくれよ」

京梧は、麻葉を抱きしめたまま、目を閉じた。

やがて、静かな寝息が聞こえ、麻葉もそれにつられるように眠りに落ちていった。

それは、まだ何も変わらない日常を送っていた頃の話。

ずっと、このままの生活が続くと信じていた二人の生活の一幕。

彼らは、この先、自分達が巻き込まれる嵐の事を知らずにいた。

「すっかり、遅くなっちまったな」

幼馴染たちと酒宴をしていた京梧は、店を出て、そう呟いた。

「大丈夫か?」

彼の背中に、寄りかかるようにして立っている麻葉を気遣って、声をかける。

「ん…平気…」

祝いを兼ねての酒宴だったので、勧められるままに酒を飲んで、酔ったらしい。

「…ったく、いくら勧められたからって、あんなに飲むからだぜ。

ろくに飲んだ事もねェ癖に」

顔を紅く染めて、自分に寄りかかってくる麻葉の身体を支えながら、

京梧は溜息をついた。

「だって、いつも京梧は飲んでるじゃない。それに、楽しそうだったし」

「だからって、あんなに飲む奴があるか」

「京梧ばかり、飲むのずるい…」

「完全な絡み酒だな。こりゃ…」

京梧は、麻葉をおぶって歩き出した。

「ねぇ、京梧?今日、楽しかったね。また、みんなで飲もうね?」

「ああ。そうだな。ただし、お前は茶だぞ?」

「どうしてよ!」

「当たり前だ。毎回、こんなになられてたまるか」

「ずるい!京梧ばっかりぃ」

「判ったから、暴れるんじゃない!」

背中で暴れる麻葉を落とさないように気をつけながら、

京梧はゆっくりと歩いていた。

「京梧ぉ」

「なんだ?」

「ずっと、一緒にいてね…」

麻葉の言葉に、京梧は笑った。

「何をいまさら、言ってんだ。俺は、麻葉を離したりしねぇよ」

「約束…だよ」

麻葉の腕が京梧の首に回される。

「当たり前の事を言ってんじゃねぇ」

京梧のはっきりした声に、麻葉は嬉しそうに笑って、彼にもたれかかった。

「ねぇ、京梧。あたし、幸せだよ」

「何、言ってんだ。これから、幸せになるんじゃねぇのか?」

「うん、そうだね」

麻葉は、京梧の言葉に再び笑った。

長屋の近くまで来た時、京梧が不審そうに空を見上げた。

「なんか、雲行きが怪しくなってきたな。急いだ方がいいかもしれねぇな」

月が雲に隠れてきたのを見て、京梧は足を速めようとした。

「!?」

目の前を突然横切った影に、彼の足が止まる。

「どうしたの?京梧」

まどろんでいた麻葉が、京梧の動きが止まったのに気づいて、声をかける。

「…降りろ」

「え?」

「いいから、早く降りて、隠れてろ!」

京梧は、背中から麻葉を降ろすと、持っていた紗の袋から刀を取り出す。

「何が…」

訳が判らず、麻葉は、京梧を見つめる。

その時、空を切って何かが麻葉に襲いかかってきた。

「!」

「麻葉!」

京梧の叫びが、響く。

寸での所で、攻撃をかわした麻葉の目の前に、『妖』の者が姿を現す。

「何…」

再び、顔を出した月に照らされたそれは、鬼の姿をしていた。

「最近、噂になってるのはこいつかよ」

京梧の表情に、不敵なものが浮かぶ。

刀を構える気配に、鬼は京梧の方に向き直る。

「気をつけて」

麻葉の声に、京梧は軽く合図をする。

彼の背後に回った麻葉は、身構えた。

京梧の気が高められ、鬼に向かって攻撃が加えられる。

だが、その攻撃を受けた鬼は微動だにしなかった。

「さすがに、そう簡単に倒れねぇか」

京梧は、鬼をまっすぐ見据えたままそう言った。

「だけど、ここで逃がすと、また悪さすんだろうから、

逃がすわけにもいかねぇしな」

「京梧!」

鬼の攻撃に気づいた麻葉が、京梧の前に立ちふさがった。

「!」

京梧の代わりに、攻撃を受けた麻葉が吹き飛ばされる。

「麻葉!」

京梧が慌てて麻葉を受け止める。

意識を失っている麻葉を見て、京梧の怒りが爆発した。

「てめぇ!よくも、麻葉を!」

京梧の身体から蒼い光が立ち上る。

彼は、自分でも知らなかった《力》をふるった。

鬼は、後ろに吹き飛ばされて、咆哮を上げる。

「う…」

麻葉が薄く目を開け、それに気づいた京梧は、彼女のところに駆け寄った。

「気がついたか?」

「京梧?」

麻葉は、まだぼんやりとしていた。

「立てるか?」

心配そうな京梧の声に、今の状況を思い出す。

「鬼は!」

「向こうに吹き飛んでる」

京梧の答えに、麻葉はその方向を見た。

「死んだの?」

「判らねぇ」

京梧は、刀を構えたまま答えた。

麻葉は立ちあがりかけて、よろめいて京梧に支えられる。

「まったく、無茶すんじゃねぇよ」

「ごめん…京梧が危ないと思ったら、つい…」

「寿命縮むかと思ったぜ。素手の喧嘩で適う相手じゃねぇだろうが」

溜息とも安堵の息とも判らない物を、京梧は吐く。

「それにしてもさっきの《力》は」

京梧は、先程の《力》の事を思い出していた。

「いったい、あれは…」

「京梧!」

鬼の身体が動いたのを見て、麻葉が叫んだ。

「まだ、動けるのかよ」

京梧は、麻葉を庇いながら、刀を再び構える。

「気をつけろよ」

「うん」

京梧の背後で、麻葉が気を整えて、履物を脱いで素足になる。

麻葉が拳法の構えを取ったのを確認した京梧は、一歩踏み出す。

鬼は、咆哮を上げながら、二人に襲いかかってきた。

「京梧!」

腕の一閃で、刀が根元から折られる。

「!」

京梧は、自分の刀を呆然として見つめる。

「危ない!」

麻葉の悲鳴に近い叫びが聞こえて、京梧は我に返る。

目の前に、鬼の太い腕が迫ってきていた。

「!」

「駄目っ!」

麻葉の身体から、光の奔流が発せられる。

「な…?」

鬼の身体が、光に包まれて崩れていった。

「この《力》…何?」

麻葉は、自分の両掌を呆然と見つめた。

「麻葉?」

京梧の声に、麻葉は視線をさ迷わせる。

「京梧…あたし…」

立ちあがりかけた彼女は、崩れ落ちる。

「おい!」

意識を失った麻葉を慌てて抱きとめると、京梧は周りを見回してから、

急ぎ足で長屋へと戻っていった。

彼らが立ち去った後、闇の中からそれまで気配を消していた若者が、姿を現す。

「まだ二人。鬼と対抗できる《力》の持ち主がいたのか。しかもあの《力》は」

若者は、二人が姿を消した方を見つめる。

「すぐに、知らせなければな」

それだけを呟くと、再び闇の中に姿を消した。

それから、何刻が過ぎたのか、家に戻った京梧は、

眠りつづける麻葉の枕元で、微動だせずに座っていた。

そんな彼が、突然、瞳を開いて、傍に立てかけていた刀に手を伸ばす。

「誰だ!?」

引き戸の向こうに何人かの気配を感じて、京梧は柄に手をかける。

「隠れてねェで、出て来い!」

その声に、応える様に引き戸が開いて、二人の人物が入ってくる。

白髪の老人と先程二人を見ていた若者だった

「先程の闘いを見せてもらった。聞きたい事があって、訪ねたんだが」

奥で、麻葉が眠っているのを確認した若者は、傍らの老人に尋ねる。

「どうします?あの《力》の持ち主は、眠っているようですが」

「この者では、ないのだな?」

「ええ、奥の眠っている娘の方です」

二人は、京梧の背中越しに奥を覗きこんだ。

「何だ、貴様ら」

理解できない行動に、麻葉を隠すように襖を閉めて、京梧は移動する。

「いきなり、人の家に押しかけてきやがって、一体何の用だ?」

「鬼を倒した《力》の事を知りたくはないか?」

若者が、京梧を見ずにそう聞いた。

「《力》?」

「主たちが、先程使った《力》の事だ。あの特別な《力》の持ち主は、そう多く

はいない。判っているだけで、主らを含めて、10人に満たない」

「それが、どうしたってんだよ。俺達に、何の関係があるって、言うんだ」

「この江戸を護る為に、協力してくれぬか?

鬼とそれを操るものを倒すのに、協力して欲しい」

「命がけの闘いになるだろうが、やってもらわねば、この江戸は、地獄と化すだろう」

「冗談じゃねェ!俺達は、来月には祝言上げるんだぜ。

なんで、そんな命がけの闘いに巻き込まれなきゃいけねぇんだ」

「京梧?」

襖の閉じられた奥からの声に、彼らは振り向いた。

「どうかしたの?」

「なんでもねぇよ。横になってろ」

麻葉にそう言うと、京梧は二人に向き直った。

「帰ってくれねぇか。俺達は、関わるつもりはない」

「京梧」

先程よりはっきりした声が聞こえる。

麻葉が、起き上がって彼らの元にやってきた。

「お初に御目にかかります。緋埜 麻葉と申します」

着衣を整えた後、麻葉は一礼した。

その言動を見て、老人が尋ねる。

「主は、武家の出か?」

「はい、詳しい事は存じませぬが、父は武士だったと聞き及んでおります。

私が生まれる前に亡くなりましたが」

「ふむ」

「先程のお話、お受け致します。私でお役に立つのであれば、協力させていただきます」

「麻葉!」

「京梧。京梧だって、この江戸を護りたい筈よ」

「だけどな」

麻葉にまっすぐ見つめられて、京梧は言葉を失った。

「事情をお聞かせ願えませんか?一体、この江戸に何が起こりつつあるのか」

麻葉の問いに、老人は話し始めた。この地と鬼の長い因縁の物語を。

夜も明け始めた頃、老人の話が終わった。

「私にそのような力があるとお思いですか?」

「《力》の話を聞く限りでは、間違いはあるまい。主は、《黄龍の器》じゃろうな。じゃが…」

老人は、一度言葉を切り、麻桜を見る。

危険だ。敵は《器》を手に入れるためにどんな手段を使ってくるか、判らぬ。

正体を隠すためにも、身を護る為にも男としてこれから振舞ってくれるか?」

「馬鹿な事を言うな!どうして、麻葉がそんな事をしなきゃなんねぇんだ!」

「女子のままでいれば、どのような危険があるかもしれん。

それを防ぐ為にも、必要な事なのだ。それに主は最後の切り札となろう。

この事は、ここにいる者以外にも知られてはならん。

事が片付くまで秘密にしておかねばならん」

「ふざけんなっ!麻葉に、そんな辛い役目押しつけておいて、

この上、まだ正体を隠す為に、そんな犠牲を払わすつもりか?」

京梧は、激昂して立ちあがった。

「彼女のためだ。この闘いに身を投じれば、一番危険なのは、誰でもない彼女だ。

少しでも、危険を減らしたいなら、そうするべきだ」

「冗談じゃねェ。さっきも言ったろう。俺達は、来月祝言をあげるんだ。

なんで、いまさらそんな真似」

来訪者にくってかかる京梧を見つめた後、麻葉は立ちあがって、奥の部屋に入っていった。

「麻葉?」

襖を閉じて、彼女が閉じこもってしまったのを見て、京梧は唇をかみ締める。

「なんで、今ごろこんな事を言いに来るんだよ!知らないままなら、関わらずにすんだんだ。

俺達は、普通に暮らせていたはずだったんだ!それを…」

その時、麻葉が襖を開けて出てきた。

だが、その姿は、先程の姿と打って変わったものだった。

「麻…」

「座を外して、失礼致しました。私の決意をお伝えするには、

この方が早いと思ったものですから」

麻葉の長かった黒髪は、背中の所で切り揃えられており、

着ているものも男物で統一されていた。

「麻葉…」

「ごめん、京梧。でも、決めたから」

麻葉は、そう言って、二人の方を見た。

「よろしく、ご指導お願い致します」

「うむ、主のこれからの呼び名を考えねばならんが…『緋埜 龍斗』と言うのは、どうじゃ?」

「有難く使わせて頂きます」

麻葉は、そう言って一礼をした。

「そうか。主の決意の程は判った。明日の朝に迎えに来るので、

それまでにそなたも答えをまとめておいて欲しい」

それだけ言い置くと、二人は帰っていった。

「京梧…」

「なんでだよ。何でこんな事、すぐに決められるんだよ。

俺達、やっと幸せになろうとしてたんじゃないか!なのに、どうして」

「二人だけ、幸せになっても仕方ないよ。あたし、この江戸の町、好きだよ。

だから、護りたいと思うよ」

「俺だって、江戸は好きだよ。でもな、なんでお前が犠牲にならなきゃいけねぇんだ」

「犠牲になるなんて思ってない。この事が終われば、きっと幸せになれるよ」

麻葉は、京梧の首に腕を回した。

「だから、京梧は、自分で決めて。何も言う事出来ないから」

「俺に、何を選べって言うんだ。お前を護るって決めてるのに、それ以外、何を!」

「京梧を無理やり、引きずり込めるわけないよ。何があるか判らないんだよ」

「そんな所に、麻葉を一人でやれるわけ無いじゃねぇか」

「駄目だよ。『龍斗』って、呼んでくれなきゃ…」

「俺にとっては、お前は麻葉だ。それ以外の何者でもねぇ!」

「傍にいてくれるつもりなら、『龍斗』って呼んでよ」

「本気かよ…」

「こんな事、冗談で言わないよ」

麻葉は、笑った。

「京梧が一緒に来てくれて、心強いよ。ありがとう」

表情を隠すように、京梧の肩に顔を埋めて、話す麻葉の声は、微かに涙混じりだった。

「俺は、お前が危ないと思ったら、江戸の町がどうなろうと連れて逃げるからな。

だから、傍にいるんだからな。それだけは覚えとけよ」

「…」

「藍達に、謝らないとね。あんなに、喜んでくれたのに。

それに、しばらく会えない事も言わないと」

「そんな心配するな。すぐに、こんな事終わるさ。何時までも続くわけじゃない」

「うん」

麻葉は、微かに頷いた。

「しばらく、京梧の温もりに触れられなくなるね。ちょっと、寂しいかな」

笑いながら、そう言う麻葉の身体を京梧は思い切り抱き締めた。

「お前がどんな姿をしていようと、俺にとってはたった一人の女だからな。

いつだって、抱き締めてやるから、寂しいなんて言うなよ」

「こんな姿してるのに、そんな事をしたら京梧が変な目で見られるよ?」

「そんな事構やしねぇ。他の奴らの目なんて、今更、俺が気にするとでも思うのか?

お前の方が、俺と一緒にいて、色々言われたんじゃないのか?

嫌な思いしただろう」

京梧が自分の髪や瞳の色が普通と違うのを気にしているのを、麻葉は知っていた。

その事で、一緒にいる彼女まで辛い思いをするのではないかと気にしている事も。

「そんな事なかったよ。京梧は京梧だもの。あたし、一番、良く知ってるから」

そう返事をする麻葉の髪を梳きながら、京梧は囁く様に言った。

「二人きりで、寂しいかも知れねェけど、祝言挙げようぜ」

「え?」

「麻葉が、他の男に眼を奪われたりしねぇようにな。そんな事有り得ねぇだろうけど」

少しふざけた様に言う京悟の言葉に、麻葉は笑いながら、彼に凭れかかった。

「ずいぶん、自信があるんだね?」

「当り前だ。麻葉が俺以外の奴に、興味を持つ訳ないだろう」

そう言いながら、京梧は酒の入った瓶を目の前に置いた。

「それでもな…」

「うん、判った」

京梧の考えている事を理解して、麻葉は頷いた。

それは、二人だけの誓い。何があろうと離れる事がないように、交す約束。

「ずっと、一緒だからな」

同じ杯で酒を酌み交わした後、京梧は麻葉を再び抱きしめた。

「あたし、京梧から離れるつもりないよ」

「俺も離すつもりはねぇよ」

京梧は、麻葉の身体を布団の上に横たえた。

まだ薄暗い夜の闇が覆い隠していった。

その翌日から、二人は鬼をはじめとする異形の者達との闘いに身を投じていった。

闘いは激化を極めて、無傷でいる事のほうが少なくなっていた。

移ってきた屋敷の中の自分に割り当てられた部屋で、

京梧の怪我の手当てをしながら、麻葉は叫んだ。

「こ…こんな怪我ばっかりして、死んだりしたらどうするんだよ…」

「お前を残して死ぬ訳ないだろう」

自分の腕に、白い布を巻きながら、泣きじゃくる麻葉を宥める様に言う。

「お前に傷が残る方が、俺にとっては問題だぞ。

お前の身体が傷だらけになるなんて考えたくもねぇ」

「傷なんて、いくら負ったっていいよ。京梧がいなくなる方が嫌だ」

「大丈夫だって。俺は、結構丈夫にできてるんだから。

そんな心配する必要ねぇよ。なんなら、証拠見せてやろうか?」

そう言って、彼女の身体を抱きしめた。

「馬…!傷に触ったら、どうする!」

抗おうとした麻葉は、腕の中に抱きしめられて、抗いきれなかった。

「?」

庭を見まわっていた醍醐は、微かな声が聞こえたような気がして、足を止めた。

不審に思って耳をすますと、この間、新たに加わった者の一人蓬莱寺 京悟の

部屋から聞こえてくるような気がして、何気なく足を進める。

その京悟の部屋の障子に手をかけて開けようとした時、醍醐の動きが止まった。

室内から聞こえてきたのは、喘ぎを含んだ嬌声と衣擦れの音だった。

(?)

中から、感じる気配は二つ。京悟のものともう一つは、彼と同時にやって来た

緋埜 龍斗という青年のものだった。

闘いに加わるでもなく、いつも屋敷の奥に篭っていることが多い線の細い青年

の事を醍醐は不思議に思っていた。

(こう言う事だったのか…)

その場にいることが耐えきれず醍醐は離れていった。

麻葉を抱いた後、部屋を出た京梧に醍醐が近づいて来た。

「何をしていた」

その硬い声色に京梧は軽く笑った。

「見てたのかよ」

「人の嗜好をどうこういうつもりはないが、噂と随分違うな。

女好きと聞いていたが」

「噂は噂だろう。俺はあいつ以外に興味はないぜ」

「だからと言って、龍斗は男だぞ。衆道に落ちるつもりか?」

その言葉に、京梧はなんとも言えない表情を浮かべる。

「衆道なんかじゃねぇよ」

「男が男を抱いておいて、そんな言訳が通用するとでも思うのか?

それに《力》もない者をこの屋敷に引き摺りこんで

何かあったらどうするつもり…!」

京梧は、醍醐の言葉に怒気を膨らませて、襟首を掴み上げる。

「いいか、俺達の事に口出しすんじゃねぇぞ。そんな真似しやがったら、

お前を殺すからな。あいつを傷つけるような真似をする奴を許すほど、

俺はお人好しじゃねぇんだ」

京梧の本気が見て取れて、醍醐は黙り込んだ。

「お前は、黙ってりゃいいんだ。他の奴らに喋らなきゃ、

長生きできるんだからな。簡単な事だろ」

それだけ言い置いて、京梧は夜の闇の中に姿をくらました。

(どうすればいい?京梧に犠牲を強いる為に、ここに来たんじゃないのに。

あんな傷を負わせてまで、護って欲しくないのに)

行為の後の気だるさを訴える身体を無理に起こして、

乱れた着物を直しながら麻葉は、忍び泣いた。

自分のしている事が、京悟を傷つける事になっている事が堪らなく辛かった。

「離れる事ができればいいのに。そうすれば、こんな事にならないのに」

どうしようもできない想いに、麻葉は泣きつづけていた。

次の日、京悟は、庭に出てばんやりとしていた。

「蓬莱寺?」

突然、呼びかけられて、彼は振り向いて眼を見開く。

「柳生、藍も?どうしてここに!?」

「白髪のご老人が来て、協力して欲しいと」

幼馴染の言葉に、京悟は複雑な表情を浮かべた。

「そういや、昨日の朝、そんな事を言っていたな。お前達の事だったのか」

「麻葉もここにいるの?」

藍の言葉に、彼の表情が曇る。

「ああ。来てくれ、今はまだ休んでる」

京悟は短く答えると、その後は黙ったままで二人を離れに案内した。

「起きてるか?入るぜ」

離れの障子に手をかけて声をかけると、室内で人の動く気配がした。

「入ってくれ」

京悟は辺りを見まわしてから、二人を室内に招き入れた。

「京悟?どうした」

中は薄暗く、室内の様子ははっきりと判らなかった。

「懐かしい奴らが来たぜ」

「え?」

室内から聞こえた声に、藍達は中を見つめた。

「麻葉?」

「その声…藍?柳生殿も…?京悟、どうして知らせた!」

「俺じゃねぇよ。昨日、聞いた話がこいつらの事だったらしい」

障子を閉めながら、京悟がそう言った。

「そんな…」

小さな呟きが聞こえる。

その方角に藍は歩を進めて、立ち止まる。

「麻葉…あなた…」

夜具の上に起きあがっている者の姿を見て、彼女は息を飲む。

「その姿…」

あまりにも違うその姿に、二人の動きが凍りついていた。

「どう言う事だ…!蓬莱寺!」

柳生が、京悟に詰め寄った。

「京悟を責めるな!これは、自分で決めた事だ!」

麻葉の叱咤が飛ぶ。

「自分で決めた。誰に強制されたわけでもない」

「説明してくれるんだろうな」

「ああ」

「京悟、自分で言うよ」

その言葉に、京悟は黙って部屋の外に出た。

障子が絞められたのを見てから、二人の方を向き直った麻葉の口から

語られた話に、彼らは言葉を失った。

「よく蓬莱寺が許したな」

「京悟は…反対したよ。最後まで。でも、判ってくれて…一緒にいてくれてる」

藍は堪えきれなくなったのか、部屋を出ていってしまった。

「本当に、それでいいのか?」

「今だけの事だから…。柳生殿、ここにいる間だけは、『龍斗』と呼んでくれ。

それがここでの名前だから」

「…判った。主の好きなようにするといい」

柳生は、静かに立ち上がった。

「済まない」

その声を聞きながら、彼は部屋を出ていった。

「如何してこんな事に…私、貴方達は何処かで幸せに暮らしてると

思ってたのよ。それなのに、なんで」

藍が京梧に話しかけているのを見て、柳生もそこへと歩いていった。

「あいつが、望んだ。俺に反対なんて出来やしない」

「それで本当にいいのか?」

「いいも悪いもねぇよ。俺はあいつの思う通りにさせてやりたいだけだ」

「…」

「麻葉も納得してるのね?」

「ああ」

「それなら、俺達が反対する理由はないな」

柳生は、辛そうな表情を浮かべながらそう言った。

「俺達もできる事はしよう」

「助かる」

京悟は少し辛そうに笑った。

「こんな闘い…早く終わらせたいしな」

その言葉は、全員の気持ちを表していた。

 

それから、数日後の夜。京悟達は敵が潜んでいそうな所を突きとめて、

その場所に、襲撃をかけるべく集っていた。

その時、その古びた寺の前にいたのは、京悟、柳生、醍醐、

そして弓使いの桜井小鈴の四名だった。

「ここか」

「ああ。如月の情報だから、間違いはないだろう」

「あのくノ一か」

「誰の情報であろうと構わねぇ。この闘いが早く終わるなら、それでいいんだ」

京悟は、そう言うと刀を抜く。

「行くぜ」

その言葉が合図になり、彼らは寺の中に駆け込んでいった。

「なんだ?この化け物の群れは」

「恐らくここで、呼び寄せていたのだろう。何処かにこいつらを呼ぶ何かがある筈だ」

「そいつを探して壊せば、こいつらは出てこなくなるんだな?」

柳生の言葉に、京悟は群れをなして、咆吼を続ける魍魎の類を見つめた。

「こいつらをなんとかしねぇと先には進めないなら倒すしかねぇな」

京梧の木刀を握る手に力が篭る。

数に勝る魍魎を彼らは撃破していった。

「これじゃキリがないよ」

倒してもまた何処かから現れてくる魍魎に全員の顔に疲れが浮かぶ。

「弱音を吐いてるんじゃねぇ!」

京吾の声にも焦りが混じる。

「雑魚に構うな!」

その時、別の方向から、声が響いた。

「!?」

全員の視線がその方向に向く。

白く輝く満月を背にして一人の人物の影が浮かびあがる。

「こっちが手薄だ!早く!」

細身なその姿を認めた途端、京吾の顔に驚愕の表情が浮かぶ。

「まさか…なんで、お前がここに…!?」

「早くしろ!時間がない!」

彼の言葉を遮るように、その人物が言葉を紡いで全員を誘導する。

寺の裏側にたどり着いた彼らは、そこから気脈が噴出しているのを見る。

「こいつは…」

「これが奴らを集めていたものだ、塞げば奴らはいなくなる」

彼らを誘導してきた龍斗がその気脈へと近づいていく。

「奴らを食い止めていてくれ、気脈を元に戻す」

「なぜここに来た!龍斗!!」

自分の背中に向かって投げかけられた京梧の叫びに似た

問いかけに、龍斗は足を止めて振り向く。

「なぜ…?お前は俺を何だと思っているんだ?」

逆にたずねられて、京梧は言葉に詰まる。

「俺が何もできない人間だと思ってるのか?

ただ屋敷の奥に隠れている人間だと!?」

「蓬莱寺、今は龍斗に任せよう、我らでは気脈を塞ぐ事はできない」

 

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