邂逅1

「まったく、買物ぐらい自分で行けよ。あの馬鹿師匠は」

身体につりあわない荷物を持って、一人の少年が山道を歩いていた。

「自分でほとんど飲む奴じゃないか。こんなに買いに行かせやがって」

文句を言いながら、荷物を持ってるとは思えないスピードで山道を歩きつづける。

赤にも見える茶色の髪の少年は、近道をしようと獣道に分け入っていった。

川のほとりを歩きながら、ふと岩の間に栗色の何かを見た気がして、彼は近づいていった。

風に乗って、微かな泣き声が聞こえる。

岩陰を覗きこむと、彼より年下に見える小さな女の子が蹲っていた。

「どうしたんだ?親とはぐれたのか?」

顔を覗きこむと、それを嫌がるように横を向く。

そして泣き続ける少女を見て、少年は岩の上に座りこんだ。

「あのなぁ、泣いてちゃ、判んねぇだろう」

彼はそう言って、赤毛の髪をかき回した。

「名前は?」

「まり…」

「まりだな?俺は、蓬莱寺 京一」

自分の名前を告げると、京一は岩から降りて少女の側に近づいた。

「で?なんで、泣いてるんだ?」

「ま…まりの眼がみんなと違うからって…」

「苛められたのかよ」

まりの言葉を最後まで聞かなくても、京一は何があったのか理解した。

「苛める奴なんて、放っとけよ。相手にするだけ馬鹿だぜ」

「でも…まり、お友達欲しいもん」

「…眼が違うって、どんな風に違うんだ?」

京一は、まりの顔を覗きこんだ。

まりは下を向いて、硬く目を閉じてしまった。

「見せてみろって」

京一はまりの顔を覗きこんだ。

「や!みんな、まりの眼を見たら、苛めるんだもん」

そう言って、少女は再び泣き出した。

「しかたねぇな、お前、帰らなくていいのか?親が心配してるんじゃねぇか?」

「今日は、パパもママも遅くなるって…」

京一の問いに、まりはしゃくりあげながら、そう言った。

「じゃ、俺のところ、来るか?帰ってくるまで、そこで待ってりゃいい」

京一はまりを立たせると、手を引いて歩き出した。

「なんだ?そのガキは?」

帰ってきた京一の背後のまりを見て、彼はそう聞いた。

「川で拾った」

「拾ったぁ!?このくそ弟子!犬や猫の子じゃねぇんだぞ!拾ってきてどうするんだ!

帰して来い!」

「だってよ、泣いてたのに、放っとけないじゃねぇか!」

「泣いてた?」

京一の師である神夷 京士浪はその言葉に、眉をひそめた。

「お前が、泣かしたのか?」

「この馬鹿師匠!そんな筈ある訳ないだろうが!」

京一は、思いきり京士浪の脛を蹴飛ばした。

「何しやがる!」

京士浪は、京一の頭を殴って報復を果たしてから、まりの方を見た。

「名前は?」

「まり…」

京一の背中に張りついていたまりは、びくつきながら答えた。

「そうか」

まりをしばらく眺めた後、京士浪は立ち上がった。

「ちょっと、出かけてくる。帰ってくるまで、2人で留守番してろ」

それだけを言い残して、彼は出かけていった。

「…」

2人で取り残された京一と麻莉菜は、床に座った。

「やっぱり…あの人もまりの事が嫌いなんだ。まりを見て、すぐに出てちゃった…」

俯いたまりの瞳から、大粒の涙が零れるのを見て、京一は慌てた。

「そんな事ねぇって、どうせあの馬鹿、飲みに行っただけに違いないんだから」

「人の事、馬鹿って言ったら駄目なんだよ。ママとパパがそう言ってた」

泣きながら、まりが京一に抗議する。

その時、初めて京一はまりの眼を正面から見た。

「すげぇ綺麗な眼の色だな。俺、そんな眼の色、初めて見た」

まりの眼を近くで見ようと、京一は身を乗り出した。

「こんな綺麗な眼を見て、苛める奴って、すげぇ損してるよな」

京一はまりの眼を見て、嬉しそうに言った。

「え?」

「空色でさ。本当に綺麗だ」

「そんな事…言われたの、まり、ママとパパ以外で初めて…」

まりは驚いたように、顔をあげた。

「こんな綺麗な眼なんだから、胸張ってみんなに見せてやれよ。それで、馬鹿な事を言う

奴らは放っとけばいいんだ。結局、そいつらはまりの良さが判らねぇ奴らなんだから」

「まり、嬉しい…」

まりは少し嬉しそうに、京一の袖を掴んだ。

「また、お兄ちゃんに会いに来ていい?」

「ああ、いいぜ」

京一は、まりの頭をぽんぽんと叩いた。

その後、二人で食事を作って食べていた。

神夷が帰って来た時、二人は床に転がって眠っていた。

(まったく、風邪引いちまうだろうが)

苦笑を浮かべながら、側にあった毛布を上からかける。

「しっかし、今頃会うとは思わなかったぜ。それも、くそ弟子が見つけて来るとはな」

(何時の間にか、大きくなってよ。俺も年、取る筈だよな)

笑いながら、眠っているまりを見ながら、一人物思いに耽る。

(すぐに、判ったぜ。空色の瞳なんて、珍しいからな)

数年前の苦い思い出が蘇り、辛そうな表情が一瞬浮かんだ。

「何も知らないまま、過ごさせてやりてぇよな」

「ん…」

気配に気づいたのか、まりがもぞもぞと動いて、起き上がった。

「あ、お帰りなさい…」

眼を擦りながら、神夷を見たまりは、立ち上がって台所の方へ歩いていった。

「おい?」

神夷がその後姿を見ていると、まりはガス台にかかっていた鍋を暖め始めた。

「何してるんだ?腹でもへったのか?」

「ちがう…。ご飯食べてないから」

「俺か?」

その問いに、まりはこっくりと頷いた。

「餓鬼が、そんな気を使うんじゃない」

「ママとパパがいつも言ってるの。おせわになったら、かならずおかえししなさいって」

まりは馴れた手つきで、皿に料理を盛っていく。

「はい」

差し出された皿を受け取って、神夷はそれを覗きこんだ。

「よく、家の手伝いとかするのか?」

「うん」

まりは、床に座りこんでそう答えた。

「馬鹿弟子に見習わせてぇな」

「お兄ちゃん…まりに色々おしえてくれたよ」

「お兄ちゃんってな…」

(こいつら、確か同い年の筈だが…)

神夷は首を捻った。

視線の先には、気配に気づかずに眠っている京一がいた。

(確かに、こいつの方が年上に見えるがな)

まりは、神夷が手を動かさないのを見て、だんだんと哀しそうな表情を浮かべる。

それに気づいた彼は、まりの頭を軽く叩く。

(素直に育ったんだな。親父とは随分違うじゃねぇか)

構われて嬉しかったのか、まりの表情が変わる。

「早く寝ろ。明日の朝にお袋さんが迎えに来るぞ」

眠る様に促すと、まりは再び京一の横に横たわった。

やがて、寝息が聞こえてくる。

そんな様子を見ながら、神夷は酒を飲んでいた。

翌日、まりの母親が彼女を迎えに来るまで、まりと京一は一緒にいた。

「また、遊びに来るね」

まりは、京一にそう言って母親の方へ走っていった。

「まりが迷惑かけたわね」

まりの母親は神夷に向かって、そう言った。

「ここまで素直に育ってるのを確認できて、嬉しかったですよ」

「厭味のつもり?」

彼女は、腕組みをしながら、神夷を見上げた。

「尊敬してるんですけどね。ここまで素直に育てるなんて、並大抵の努力じゃない」

「当り前でしょう、この子を妹や彼の二の舞にする訳にはいかないのよ。その為の苦労は

何でもないわ」

「まぁ、大丈夫でしょう。もう既に、『出会い』が一つあったようだし」

「君の弟子を信用しろって?それに、この子が関わってくるとでも?」

「多分。それに、彼女は、懐いてるみたいですよ」

母親が構ってくれないせいか、まりは再び京一の側に近づいていっていた。

「君の弟子に伝えときなさい。まりを泣かせたら、承知しないってね」

「承知」

神夷は片手をあげて、宣誓するように返事をした。

「まり、帰りますよ」

「うん、お兄ちゃん。またね」

まりは母親に連れられて帰っていきながら、何度も振り返り手を振り続けていた。

「さてと、そろそろ修行の時間だぞ」

まりの後姿を見送っていた京一に、声をかけると神夷は立てかけてあった木刀を投げた。

「あの娘といたいなら、強くなる事だな。それが絶対条件だぞ」

「なんだよ、それ」

木刀を受け取りながら、京一はそう聞いた。

「あの娘を護れるかどうかは、お前次第だからな」

「護るって何の事だって聞いてんだろうが!」

「そのうちに判るさ。あの娘の側にいれば、そのうちにな」

神夷は、何とも言えない表情を浮かべて、京一を見た。

「それに、あの娘を泣かせるような真似をしたら、彼女の母親が黙ってないだろうしな」

「なんだよ。それは」

それから、何日かがたってからまりは母親に連れられて、京一の所にやってきた。

「お兄ちゃん」

まりは、京一のところに駆け寄ってきて、嬉しそうに笑った。

「一緒に遊ぼ」

まりに引っ張られる様にして、京一は川の方に向かった。

「まったく、まりが将来苦労したら、どう責任取るつもり?」

「また、そんな事を」

「あんたの弟子なんて、まともな人間に育つとは思えないわ」

「手厳しいですね、相変わらず」

「あんたが、妹に出したちょっかいを忘れたりはしないわよ」

「昔の事を…」

「あんたにも言っとくけど、まりにまでちょっかいかけたりしたら承知しないわよ」

まりの母親の言葉に、神夷はこけかけた。

「オレにロリコンの気はないんですけど」

「何を言ってるの。たかが、20歳の差じゃない。そんなカップルごろごろしてるわ」

「勘弁してくださいよ」

神夷は、苦笑した。

「安心していいですよ。来週には、俺達は東京に帰りますからね。しばらく会う事もないでしょう」

「二度と、会いたくはないわね」

同じ頃、まりも京一から同じ話を聞いていた。

「しんじゅく?それどこ?」

「東京だよ。俺の家、そこにあるんだ」

「とおいの?」

まりが泣きそうになっていた。

「電車で3時間位だな」

「もう、お兄ちゃんと遊べないの?」

「しばらくは、無理だな」

「まりも一緒に行く!お兄ちゃんと一緒に行く…」

まりは、泣き出していた。

「無理だよ、まりだって、学校あるんだろ?俺だって、学校があるから帰るんだし」

「まり、お兄ちゃんと一緒にいたい!」

泣き止まないまりを見て、京一は困り果てた。

少し視線を空に向けて、考えこんでいた京一は、何かを思いついたようにまりを見た。

「あのな、もう少し大きくなって一人で行動できる様になったら、新宿に来い

よ。俺、新宿にいるから。蓬莱寺なんて珍しい名前だから、すぐ探せるぜ」

「お兄ちゃんに会いにいっていいの?」

「ああ、約束だ。待ってるから、必ず来いよ」

「うん!約束!」

まりは、涙でぐしゃぐしゃになった顔に、笑みを浮かべた。

「まり、それまでがんばる」

「俺も頑張るからよ。必ず会おうぜ」

京一はまりの頭を撫ぜながら、そう言って笑った。

その後、2人は一緒に遊んでいた。

夕方近くになって、まりの母親は彼女を連れて帰っていった。

「少し、惜しい事をしたとか、思ってんじゃねぇか?」

「なんで、そんな事を思うんだよ。お前と一緒にするなよな」

2人の後姿を見ながら、神夷が言った言葉に京一は反発する。

「随分、可愛い娘だったからな。泣いてるんじゃないかと思ってな」

「なんで、そんな真似しなきゃいけないんだよ。また、会えるんだぜ。それを楽しみに

してりゃいいだけだろ」

京一は、少しムッとした表情を浮かべて、そう言った。

「ま、強くなる事だ。側にいたいなら、そうするしかねぇぞ」

彼は、自分の師匠の言葉の意味をその時は理解できなかった。

再び、巡り合う事になる10年後に、彼はその言葉の意味を理解する事になる。

 

麻莉菜の部屋へ