IF バイト編

 

「なぁ、弦月」

うららかな昼下がり。いつもの様に事務所で椅子に座って転寝していた彼は、身元引受人で

あり、事務所のオーナーでもある万葉の一言で、それに巻き込まれた。

「なんや?姐さん」

眠そうに眼を擦りながら、返事をする彼の頭を軽く叩きながら、彼女は言葉を紡いでいく。

「あんたの昔の仲間で、教職資格取っとる奴おらへんか?」

「現役の教師やっとる人やったらおるけど」

「あ〜あかん、彼女には無理や。第一、あんなおとなしそうなお嬢さんには、この仕事は

無理やわ。確かに真神やから、うってつけなんやけどな」

「なんや、そないに難しい仕事なんか?」

「仕事は、難しい事あらへん。ボディガードやからな」

「そやったら、姐さんがやればええんちゃうんか?それが一番早いやろ」

「そないな事ができるんやったら、あんたなんかに頼むかいな。相手が高校生やから、

昼間に対応できる人間が必要なんや」

「そないな事言われてもなぁ」

彼が、考え込んでいると、もう1人の従業員が入ってきた。

「遅くなって申し訳ございませんでした」

「ああ、かまへん。別に急ぎの仕事はあらへんから」

「御茶でもいれますわね」

少女の域をやっと脱したような黒髪の女性が微笑みながら、台所に立った。

(可愛ええな…雛乃はん…)

「弦月、鼻の下、伸びとるで」

呆れたように、万葉に言われて、劉は赤面した。

「まったく、ええかげんにせんか。毎日、毎日、同じ事ばかり繰り返してからに。

ええかげん見飽きたし、言い飽きたわ」

「そやったら、言わんかったら、ええやないか」

劉は反論しようとした。

「どうなさいました?」

盆に飲物を入れて持ってきた雛乃が、テーブルに湯呑を置きながらそう聞いた。

「な…なんでも、あらへん」

「依頼内容について話とったんや」

「何か、問題でもあるのですか?」

「依頼自体に、問題あらへん。一月もあれば、片付くやろ」

「それの何処が、問題なのですか?」

不思議そうなその言葉に、万葉が溜息をつきながら答える。

「夜間のボディーガードはあたしらが交代でやるとしても、昼間のボディーガードを

やれる人間がおらんのや。相手が高校生やから、学校に張り付く事ができる人間が必要

なんや。教師資格持っとる人間がおってくれたら…」

「あら、いらしゃるじゃありませんか」

「え?」

雛乃の言った言葉に、2人の視線が集まる。

「おるゆうたかて、あのお嬢さんやったら、仕方ないねんで?多少の荒事にも適応できる

人間でないと」

「そやで、雛乃はん。そないな都合ええ人間…」

「え…でも、麻桜様…大学、今年卒業なさって、教職資格を御取りになったと伺いましたが」

「小姐?」

「ええ。この間、お会いした時にそう仰っていましたが」

「それ、どこにおるんや。案内しぃ!」

万葉は勢い良く立ち上がって、劉の肩をつかんで揺さぶった。

「わ…判ったから、手ぇ離してくれへんか」

「さっさと案内しぃ」

劉を引き摺る様にして、事務所を飛び出していく。

「いってらしゃいませ」

雛乃は、微笑みながら後姿を見送った。

「ここかいな」

「ああ。そやけど、無理強いだけはせんといてや。さっきも言うた通り、御子まで

おるねんから」

「そないな事、言われんでもわかっとるわ」

万葉は紅い高級外車から下りながら、劉の頭を殴る。

そして目の前のマンションの中に入っていく。

「ちょ…待ちいな」

劉も慌ててその後を追っていった。

玄関のインターホンを何度も鳴らすが、中からの応答はなく、彼女は踵を返す。

「何処行くんや?」

「決まっとるやろ。帰ってくるまで、張るで」

自動車に戻って、道を見つめる。

その横で欠伸をして、眠り始めた劉の頭を思いきり殴って叩き起こす。

「何寝とんのや。ちゃんと見張っとかんかい!」

「少し位、かまへんやんか」

文句を呟きつづける彼に構わず、彼女は道行く人を見つめつづけた。

「あ…」

一時間近くして経った頃、劉が小さな声を漏らす。

彼の視線の先に、幼い子供達と手をつないだ男女が歩いてきていた。

「やっと帰って来たんかいな。行くで」

それに気づいた万葉は自動車を降りて、彼らに近づいていった。

「なんだ?この自動車?」

道幅を半分以上占領している自動車を見て、京一は眉をひそめた。

「なんで、こんなとこに停めてやがんだ?」

「何か用事でもあるんじゃないの?」

麻桜は、愛娘のとに注意を払いながらそう言った。

「だけど、こんな所に停めるなんて、非常識だぜ。事故でもあったら、どうするんだ」

京一がそう言った時、その自動車から誰かが降りてきた。

「?」

顔を見合わせながらも、彼らはその横を通り過ぎようとした。

「こらぁ!無視するんちゃうわ!!」

「なんだよ、俺達に何か用かよ」

京一が不審そうに言った。

「用があるから、待っとったに決まっとるやろが!」

「麻桜、こいつ知ってるか?」

京一の問いに、麻桜は首を横に振る。

「なんだ、人違いか。行こうぜ」

彼らは再び歩いていこうとした。

「ち…ちょい待ちぃ」

慌てて、彼女は手近にいた麻桜の腕を掴む。

「姐さん。いきなり、そないな事言うたかて、無理や」

「あら、弦月」

「こいつ、お前の知り合いか?」

「わいの事務所のオーナーなんや」

「そいつが、俺達に何の用だよ」

「とりあえず、中に入れてくれへん?頼みたい事があるんや」

2人は顔を見合わせてから、彼らを中に招き入れた。

「で、用事ってなんだよ」

居間に座りながら、京一がそう聞いた。

「バイトして欲しいんや。一月だけの短期やけどな。ボディーガードやって欲しいんや」

「は?」

膝の上に夏恋をのせた京一と飲物を運んで来た麻桜が、彼女を見た。

「うちに依頼された件でな。引き受けてくれな、詳しい事は教えられへんねんけど、

高校生のボディーガードせなあかんのや。夜間は、うちらでできるから、問題はないねんけ

ど、問題は昼間や。一月も高校生を学校へ行かせへん訳にはいかへん」

「だから、なんで俺達にそんな事を話に来るんだよ」

「教師資格持っとるんやろ?学校にいる間、その子をガードしてくれへん?」

「それは、確かに持ってますけど」

麻桜が困惑した様に答えた。

「でも、ボディーガードなら、本職に任せた方がいいんじゃないですか?」

「実は、その子、霊感体質でな。人に狙われるより、その手のもんに狙われる事の方が

多いんや。それに何を考えたんか、真神なんて特殊な学校に通っとるから、余計狙われる事

になっとるんや」

「真神に通ってるのかよ。そいつ」

「よりにもよって、あそこに通ってるなんて」

かつて、真神に在籍していた事のある2人は、溜息をついた。

「仕方ねぇなぁ。麻桜、どうする?」

「聞いた以上、放っとく訳いかないわよね」

「手伝ってくれるんか?」

その話を聞いて、万葉が嬉しそうに言った。

「具体的に何をすればいいんですか?」

「教師として、真神に行って欲しいんや。できるかぎり護ってやってや」

「でも、真神に教師としていくと言っても、そんな簡単には…」

「それは、問題あらへん。こっちで、根回ししとくから。準備でき次第、連絡するから、

すぐに動けるようにしといてか」

「あの、こちらの条件も呑んで頂いていいですか?」

「なんや?」

「必要だと思ったら、他の人に全てを話して協力してもらっていいですか?高校生を

教師の立場で、ずっと護るなんて不可能ですから」

「まぁ、仕方ないわな。確かに、1人の生徒に張りつくなんて、不可能やからな」

万葉は、仕方なく頷いた。

「それなら、やってもいいですけど…」

「ありがと、ほんま助かるわ」

麻桜の両手を握ると、思いきり揺さぶった。

「うち、準備があるから、これで帰るわ。資料は、後で弦月に届けさせるから」

万葉はそれだけ言い残して、去っていってしまった。

「なんだったの?」

「悪いな。小姐。あのお人は、いつもああやさかい。勘弁したってな」

「話に聞いてたけど、凄い人だね」

麻桜がぽつりと言った。

「まぁ、バイトならそんなに危険はないんだろうけど、もし、何かあったら、判ってるん

だろうな?劉」

「判っとるって、そないに凄まんといてな」

京一の言葉に、劉は首をすくめた。

「わい、一度事務所に戻って、資料とって来るわ。すぐ戻ってくるさかいな」

「あら、だったら雛乃ちゃん、連れてきなさいよ。一緒に夕食でも食べましょうよ」

「ええんか?」

「まぁ、たまにはね」

麻桜の言葉に、顔を綻ばせて、劉は帰って行った。

「お前、あいつに甘すぎだぞ」

「いいじゃない。臨時収入入るんだし」

「まぁ、今月は確かに予想外の出費が多かったけどよ」

「文句、言わない。人助けになるんだから」

麻桜は、そう言いながら立ちあがった。

「食事のしたくする間、子供達を見ててね」

台所に、入ってしまった麻桜の声に、眠ってしまっている光夏に近くにあった

タオルケットをかけて、夏恋を抱えなおす。

「それにしても、あれから6年近く経っちまったんだよなぁ」

昔の事を思い出すようなその口調に、麻桜の唇に笑みが浮かぶ。

「何、言ってんのよ。まだ、6年しか経ってないのよ。昔を懐かしがるような年でもない

でしょう」

食事の材料を冷蔵庫から取り出しながら、彼女はそう言った。

「ちょっと、季節遅れだけど、鍋物でもいいわよね」

野菜類を確かめながら、麻桜が尋ねる。

「いいんじゃねぇか。光夏達も好きだし、手間もそんなにかからねぇしな」

「じゃ、野菜準備したら、足りない物買ってくるわね」

「俺、行ってきてやるよ」

「ほんと?じゃ、しゃぶしゃぶ用の肉と胡麻だれ買ってきてよ。切らしてたんだ」

「肉、どのくらい買ってこればいい?」

「7人分くらいあればいいと思うけど、少し多めに買ってきて」

財布を渡しながら、麻桜が少し考えながら言った。

「判った」

京一は、を履いて出かけていった。

麻桜は野菜を切りながら、居間で遊ぶ子供に、時々目をやる。

そのうちに、京一が戻ってきて、少し遅れて、劉と雛乃もやってきた。

「小姐、来たで」

「御招きに預かりまして」

雛乃は、持ってきた白い箱を差し出した。

「これ、お子様たちに」

「何か、かえって気を使わせたみたいで悪かったわね」

材料を並べながら、麻桜が苦笑した。

「あ、御手伝いを致しますわ」

「いいのよ。簡単に鍋物にしたから、殆どする事もないし」

「申し訳ございません」

雛乃は、軽く頭を下げた。

「いいから、座ってよ」

雛乃に座布団を勧めて、麻桜は冷蔵庫から飲物を持ってきた。

「弦月は中国酒よね。京一はビールでいい?」

「ああ、日本酒飲みたくなったら、勝手にやるからいい」

コップを受け取りながら、京一はそう言った。

「雛乃ちゃんは、ジュース?」

「はい」

ジュースを受け取り、雛乃はまず子供達のコップにそれを注ぐ。

「それにしても、大きゅうなったな。え〜と、どっちが、どっちや?」

「京一が抱いてるのが夏恋、寝てるのが光夏」

そう言いながら、麻桜は光夏を起こそうと、軽く揺さぶる。

「光夏、ご飯よ。起きて」

「ん〜?」

光夏は、眼を擦りながら、辺りを見まわす。

「しっかし、よう見分けがつくもんやな。わいには、さっぱりや」

「そりゃ、親だからね」

光夏を抱き上げながら、麻桜が劉の言葉に笑う。

「それより食べて。煮詰まっちゃうから」

ささやかな宴が始まり、楽しげな声が溢れていた。

「あ、そや。小姐、これ資料な。来週初めから、頼む言うてたわ」

「来週ね。判ったわ」

帰りがけに、差し出された茶封筒を受け取りながら、麻桜は承諾した。

「ほな、またな」

「お邪魔致しました」

「また、遊びにおいでね」

帰っていく二人の後姿を見送ってから、麻桜は室内に入った。

「帰ったか?」

「うん、チビ達は?」

「はしゃぎ疲れたんだろ。もうぐっすり眠ってる」

京一は子供達の寝顔を見ながら、そう言った。

「まぁ、あれだけ騒げば無理もないわね」

麻桜も子供達を覗き込みながら、笑った。

「部屋に寝かせてくるか。お前も後片付けは明日にしてさっさと寝ろよ」

「大丈夫だって、これくらい。雛乃ちゃんも手伝ってくれたから、後は食器を片付ける

だけだし」

台所で、食器を片付けながら麻桜はそう言った。

「それより、また京一に甘える事になっちゃうね。一月は、家の事できるかどうかも

判らないし」

「いいって。どうせ、俺の仕事は、昼が暇なんだから。道場に、チビ達連れてっても

かえって、あいつらが喜ぶしな」

春から、始めた師範代という仕事は、京一にあっていたらしく、生徒達にも慕われて

いるらしかった。

「それに、こいつらも興味ありそうに見てるしな」

「蛙の子は蛙って事なのかしらね」

「まぁ、こいつらがやりたい事をやらせるさ。俺達が、自分達で選び取ってきたように、

こいつらだって、自分の人生を選べる筈だからな」

「そうだね」

台所から、戻ってきた麻桜が子供達を見ながらそう言った。

「まぁ、とりあえずは頼まれた事を頑張らないとね」

「そうだな。何か、手伝えるような事があったら、遠慮なく言ってくれ」

「うん、判ってる。その時はお願いね」

「任しとけって」

そして、その夜は更けていった。

週が開けて、授業開始前のざわめいている教室に、欠伸をしながら入ってくる男子生徒が

いた。

「朝から、何してるのよ。どうせ夜更かししてたんでしょう。あら、龍弥クンは?」

「なんか、美里先生に呼びとめられてたぜ」

「美里先生に?」

「ああ。一体何やったんだか、知らないけどな」

「龍弥クンを龍紀と一緒にするんじゃないわよ」

呼びとめた少女―桧神 神楽―に軽く頭を叩かれて、少年―風祭 龍紀―は、怒ったよう

だった。

「龍弥クンが、怒られるようなことするわけないでしょう」

「んなの、わかりゃしないだろう」

その時、教室にやって来た少年が、言い争い寸前の二人を止めた。

「何、朝からやってるの?もうすぐ、予鈴が鳴るよ?」

呆れた顔で、そう言ったのは、龍紀の双子の弟―龍弥―だった。

「ねぇ、龍弥クン、美里先生の話って、なんだったの?」

「新しい先生が来るから、よろしくって事だったけど」

「新しい先生?あ、この前、怪我して入院した福田先生の代りの先生ね」

「歴史の福田?あいつ、入院したんだっけ?」

「そうよ。やだ、龍紀、知らなかったの?」

「怪我したって話は聞いてるけどよ」

「何か一ヶ月は入院が必要らしいんだ。その間の代りの先生がやっと見つかったらしいよ」

「なんで、それを龍弥だけに言うんだよ」

「龍弥クンが、クラス委員だからに決まってるでしょう。龍紀って、ほんとに馬鹿ね」

「なんだと!?」

「何よ!」

再び、睨み合う二人を、慌てて龍弥が止めようとした時、予鈴が鳴り響いた。

クラスの生徒たちが、自分達の席についてから少したった時、教壇側の扉が開いて、

クラス担任の美里 葵が1人の女性を伴って入ってくる。

「今日から、福田先生の代りにこのクラスの副担任と歴史を担当してくれる先生を紹介

します」

「蓬莱寺麻桜です。一ヶ月の短い間ですが、よろしく」

濃い青のパンツスーツを着こなしたその女性は、生徒たちを見まわしながら、そう言った。

清純で儚げな雰囲気を醸し出している葵とは、好対照な気の強そうな瞳を持った彼女に、

生徒達からの質問が飛ぶ。

「先生、恋人は?」

「家族構成は?」

「年齢は?」

いつも変わらないその質問に、教師二人は顔を見合わせて微かに笑う。

「恋人はいない。年齢は、美里先生と同じ。この学校の卒業生で、君達の先輩に当たり

ます。ただし、大学を卒業したのは今年。家族構成は…」

そこで、彼女は一度言葉を切って、葵を見た。

「?」

葵は困った様に笑いながら、小さく頷いた。

「主人が一人と五才になる双子の娘がいます」

「!」

生徒達の間に、ざわめきが広がった。

「他に質問は?」

「はーい。だんなさんって、年上ですか!?」

「結婚したのは、いつですか?」

「どうやって、知り合ったんですか?」

次々に、浴びせられる質問に、麻桜は苦笑する。

「主人はこの学校の同級生、つまりは同い年という事。入籍は真神を卒業した直後」

「それって、できちゃった結婚って事ですか?」

「ご想像に任せます」

質問に答えながら、麻桜は生徒達の顔を素早く確認していった。

(あの生徒ね)

視線が、ひとりの生徒を捉える。

騒がしい生徒達の中で、一人だけ俯いている女子生徒がいた。

彼女の背後には、異様な気配が漂っていた。

「プライベートな質問は、また別の機会にして下さい。昼休みなどに聞きに来るのは、

結構。暇な時なら、いつでも答えます」

そこまで言って、麻桜は葵と一緒に教室を出て行った。

「カッコイイ。ねぇ、そう思わない?」

「そうか?何処か、得体が知れないぜ」

隣の席の神楽が嬉しそうに聞いてくるのを、頬杖をついたまま龍紀は答える。

「え〜!?はっきりしてて、楽しそうな先生じゃない」

「のんきな奴だな。相変わらず。龍弥、お前、どう思った?」

「何か、隙のない身のこなしだったね。それに…、門脇さんを気にしてたみたいだけど」

そう言って、龍弥は、離れた席の門脇 美也を見た。

「門脇さんを?」

「俺達を見た時に、門脇にだけ視線が固定した。一瞬だけだったけどな」

「気のせいじゃないの?」

「本当に、お前は気楽だよな。絶対、何か企んでるぜ。眼を離さない方がいいぜ」

「そうだね」

龍紀の言葉に、龍弥は同意した。

「何となく、底が知れないものね」

そんな会話が、交されていた頃、職員室で与えられた席に座って、麻桜は一息ついていた。

「ご苦労様、蓬莱寺先生」

横から、差し出されたカップに、麻桜は驚いた様に振り向いた。

「どうしたの?」

「駄目だぁ。葵の声で、蓬莱寺先生なんて呼ばれるのは、どうしても馴れそうにない」

「あら。だって、麻桜の現在の苗字は『蓬莱寺』でしょ?」

「そりゃ、そうなんだけどね。真神に来て、その名前で呼ばれるのって、何か…」

照れたように頭を抱える麻桜を、葵は微笑みながら見ていた。

「京一君達は、元気?」

「元気よ。今度、また遊びに来てよ。光夏達も喜ぶし」

「ところで、麻桜?何をしに真神に来たの?」

「何って?」

「大学院に進んだ筈じゃなかったの?」

「さすが、葵の眼は誤魔化せないか…。夜、暇?」

「ええ」

「じゃ、飲みに行こう。久し振りだし、積る話もあるし」

「判ったわ。じゃ、放課後ね」

葵は、それだけ言って自分の席に戻っていった。

「緋埜…今は蓬莱寺だったな。お前、HRで何を言った?」

よれよれの白衣を着こんだ生物教師が近づいてきて、麻桜にそう尋ねた。

「犬神先生、御久し振りです。相変わらず御変わりない様ですね」

「俺の事は、どうでもいい。3‐Cが騒がしくて妙に落ち着きがない。一体何を言った?」

「家族構成を聞かれたから、正直に答えただけですよ」

「お前の家族構成は、普通の高校生には刺激が強いと思わないか?」

「そうですか?ありふれた家族構成だと思いますけど?」

「お前に必要なのは、自覚だな。自分が良くも悪くも特別な人間だという事を自覚しろ」

「判ってます」

麻桜は笑いながらそう答えた。

「まぁ、いい。お前が何をしにここへ来ようと、俺には関係ないからな。ただし、あまり騒ぎを

起こすなよ」

「心得てます」

授業開始のチャイムが鳴り響いて、麻桜は教材を持って立ち上がった。

職員室を出て、3‐Cの教室に向かう。

教室の中は、相変わらずざわめいていた。

「授業を始めます。静かに」

席の間を歩きながら、相変わらず俯いたままの門脇 美也に近づいていく。

「門脇…さんだったわね。気分でも悪いの?」

彼女の肩に手を置きながら、顔を覗きこむ。

「いいえ…」

微かな声で答える彼女は、突然弾かれたように顔をあげる。

「どうかした?」

「あ、いえ…何でも」

「そう?もし、気分が悪くなったら、遠慮しないで言いなさい」

「兄さん、今の…」

その様子を見ていた龍弥が、前の席の龍紀の背中をシャーペンでつついた。

「お前も見たか」

「うん。門脇さんから、何か離れたよね」

「今、あいつ、何をしたんだ?」

「判らないけど、門脇さんの気が変化したのは確かだよ」

「やっぱ、胡散臭い奴だぜ。何者なんだ、一体」

「そこ!風祭君、二人とも静かにしなさい」

麻桜の注意が飛んで、二人は首をすくめる。

「馬鹿ねぇ、初授業で怒られるなんて」

授業が終わった後、神楽が呆れたように言うのを無視して、二人は、麻桜を追っていった。

「ちょっとぉ、二人とも何処行くの!?」

神楽の叫びを背中に聞きながら、彼らは階段を駆け下りていった。

(さってと、これどうしようかな。やっぱり、こんな悪さをする子は、あそこに放りこむ

のが、一番の御仕置きかしら)

さきほど、美也から引き剥がした『モノ』を片手で押さえこみながら、職員室に戻る。

葵も犬神もそこにはおらず、麻桜は自分の机に教材を置くと、職員室を出ていった。

「チッ、何処行きやがった」

「兄さん、あそこ!」

彼女の姿を見失って苛立つ龍紀に、窓の外を見た龍弥が叫んだ。

旧校舎の方に歩いて行く麻桜の後姿を見て、すぐに外へ飛び出す。

彼女は、旧校舎の中心に建立されている石碑に近づいて、手をかざす。

すると、そこから光が溢れて、その光が収まった時には、彼女の姿はかき消えていた。

「ど…どこに?」

うろたえる龍弥から離れて、龍紀は石碑に近づいていこうとした。

「そこには、近づくなと何度も言った筈だぞ。風祭」

背後から聞こえた声に、二人の動きが止まる。

「犬神先生、今、蓬莱寺先生がここで消えて…」

「熱でもあるのか?お前ら、人が消える筈がないだろう」

龍弥の訴えを犬神は一笑に付した。

「見間違いなんかじゃねぇよ!俺達、確かに」

「じゃあ、二人揃って夢でも見たんだろう。器用な奴らだな、立ったまま寝るとは…」

「夢なんかじゃ!」

「早く、教室に戻れ。授業が始まるぞ」

犬神は、二人の襟を掴んで、校舎の方へ引き摺っていった。

「何するんだ。離せよ!」

「犬神先生、風祭君たちが何か?」

騒ぎを知って出てきた葵が、彼らを見てそう聞いた。

「夢でも見たらしい。旧校舎の所で、蓬莱寺が消えたとか訳の判らない事を言っている」

「麻桜…蓬莱寺先生がですか?」

「ああ」

「本当なんです!美里先生。僕達、確かに」

「そんな筈ないわ。だって、蓬莱寺先生は…」

「あたしがどうかした?」

葵の背後から聞こえた声に、彼らは驚いたようにその方を見た。

「蓬莱寺先生…?」

「なあに?」

自分を見つめる二人に、麻桜は尋ねた。

「い…今、石碑の所で…」

「石碑?」

麻桜は、龍弥が指差す石碑の方を見た。

「あんな石碑あったんですね。初めて見ました」

「旧校舎が潰れた後に建立されたからな」

麻桜の問いに、犬神は答えた。

「へぇ、全然知らなかった」

麻桜は、近づいていって触ったが、何も起こらなかった。

「まったく、寝ぼけるのもいい加減にしろ。判ったら、さっさと教室に戻るんだな」

犬神に言われて、二人は渋々校舎に戻っていった。

「有難うございます。助かりました」

その背後を見ながら、麻桜は犬神に礼を述べる。

「まったく、面倒を起こすなと言ったろう。大体、旧校舎に何の用だ」

「ああ、これを放りこんでこようと思って」

麻桜は、片手に下げていた『モノ』を見せる。

「門脇についてた奴か」

「やっぱりご存知だったんですね」

興味なさそうに言う犬神に、麻桜は笑って見せる。

「食えない奴だな、相変わらず。誰が旧校舎を壊したか、覚えてるんだろうな。緋埜?」

「そりゃ、もちろん。まだ、卒業してから、6年しかたってませんから。でも、あれって、

あたしだけのせいじゃないですよ」

わざと旧姓で呼ぶ犬神に、麻桜は応酬する。

「判っているなら、軽率な行動は慎む事だな」

「はい。犬神先生」

去っていく犬神の後姿を見ながら、麻桜は苦笑した。

「さてと、今度こそ潜ってくるね」

「一人で、平気?」

「大丈夫よ。久し振りだけど、これを放りこんだら、すぐ戻って来るから」

「気をつけてね」

「うん、有難う」

麻桜の姿は、石碑の向こう側に消えた。

葵は、溜息を一つつくと、その場を後にした。

「絶対、おかしい!」

「うん、僕もそう思うよ。だけど、何の証拠もないんだよ」

「俺達が見た事が証拠だろうが!」

「でも、実際、蓬莱寺先生は、美里先生の後ろから現れたんだし…」

「絶対、何かからくりがあるんだ。そうに決まってる!」

龍紀は、荒れ狂った様に叫んだ。

「騒がしいねぇ、何の騒ぎだい?」

隣のクラスの狐森 かごめがやって来た。

「孤森さん」

「おおかた、今日来た先生の事だろう?違うかい」

珍しく、普通の現れ方をした彼女は、苛立ちの原因を言い当てる。

「あいつ、一体何者だ」

「何って、先生だろう。それ以外の何があるって言うんだい」

「納得いかねぇ。絶対、ただの先公じゃねぇ」

「まっ、深入りしないにこした事はないけど、悪いものじゃない事は確かだよ。

そんな心配するような事はないさ。近づきすぎると、飲みこまれるかもしれないけどね」

「飲みこまれる?」

「一体、何に飲みこまれるって言うんだよ!」

「強いて言うなら、光だね。踏み込んだら、戻って来れなくなるから、気をつけるんだね」

孤森は、相変わらず意味不明の言葉を残して去って行った。

「光?一体何の事だろう」

龍弥がその後姿を見ながら、そう言った。

「判らねぇよ、あいつの言う事なんて、全然判りゃしないぜ」

龍紀は、苦々しくそう言った。

その頃、旧校舎の地下に下りた麻桜は、周囲を見回した。

「相変わらずね。ここは」

漂ってる気を感じて、彼女は笑う。

「ま、お仕置きの場には、ちょうどいいだろうけど」

麻桜は、手に下げていた『物』を放り投げた。

「久し振りに、トレーニングを兼ねて、お相手をしてあげましょうか」

にっこりと微笑むと、麻桜は『気』を高めた。

(遅いわね、麻桜)

職員室で、隣の空席を見ながら、葵は溜息をついた。

(また、楽しんでるんだわ。きっと…)

以前、自分達が旧校舎に潜った時の事を思い出して、彼女は困り果てる。

(もう、夕方なのに…)

窓の外は、夕闇に包まれていた。

「お待たせ、葵」

その時、職員室の扉が開いて、麻桜が入ってきた。

「大丈夫?一人で潜って、怪我してない?」

「平気よ。久し振りだから、トレーニングを兼ねて、相手しちゃったら、時間がたって。

素直に相手してくれる子が多くて、嬉しかったわ」

「無理をしないでね。麻桜に何かあったら、悲しむ人がいるんだから」

「判ってるわ。とりあえず、飲みに行こう。説明するから」

麻桜は、机の上に置かれていたバッグを持ってそう言った。

葵もそれに習って、バッグを持って立ちあがった。

学校から移動した二人は、一軒のバーに入っていった。

「それで、何があるの?」

テーブルについて、それぞれ注文をした後、葵がそう尋ねた。

「弦月の方から、頼まれたのよ。門脇さんのボディーガードをしてくれって」

「ボディガード?」

「そ、一月間だけどね」

「門脇さんに、どうして?」

「なんか、狙われてるんだって。原因の方は、弦月達の方で取り除くから、それまでの間、

護って欲しいって」

「大丈夫なの?」

「大丈夫だと思うよ。あたし達の時ほどの大物が出て来る訳でもなさそうだし、あたしに

除けるほどの物しか、操れないなら、相手もそんなに大物って言うわけじゃないし」

「でも…」

「大丈夫だって。もし、手におえないものなら、御門君やミサちゃんを頼るから」

あの頃の仲間の名前を出して、麻桜は笑って見せる。

「無茶はしないでね」

「判ってます」

注文したカクテルを飲みながら、麻桜は笑った。

「でも、懐かしいわ。真神も相変わらずみたいだし、犬神先生も変わってないし」

「そうね、きっと、いつまでも真神は変わらないわね」

女性たち二人は、微笑みあってその時間を過ごしていた。

「遅い!」

時計を見上げて、京一は呟いた。

もう夜もかなり更けて、時計の針も12時近くをさそうとしているのに、麻桜が帰って

来る気配はなかった。

(美里と飲んでやがるな。ったく、あの2人が揃うと底無しに飲むからな)

「まぁ、迎えに行く必要もないだろうけどな」

麻桜の力は知っているので、日常で考えられる心配は無用の事だとは判っていた。

それでも何か胸騒ぎがして、何度か時計を睨む様に見上げた時、玄関の扉が開く音がした。

「ただいま」

少し顔を紅くした麻桜が帰ってきた。

「何してたんだよ」

「ごめん、葵と飲んでて…。子供達は?」

「もう、寝てる」

京一は、少し怒ったような素振りを見せた。

「本当にごめん。それで、もしできれば、軽くご飯を作ってくれたら、嬉しいんだけど」

「お前なぁ」

「飲んでばっかりで、まともに食事してないんだ」

麻桜は少し頼み込む様に、京一の顔を覗き込んだ。

「京一の食事、楽しみなの」

麻桜にそう言われて、京一は渋々立ちあがった。

「仕方ねぇな」

結局麻桜の『お願い』に京一が逆らえる筈は無かった。

「そう言えば、真神に京一と良く似た子がいたよ」

食事が終わって、寝室に入って京一に凭れかかりながら、麻桜が思い出した様に言った。

「俺に?」

「喧嘩早くて、怖いもの知らずな所がそっくり。あ、でも一つだけ違う所があった」

「なんだよ」

「あたしの事、初対面で女と認めたところ」

京一は古傷をえぐられて、何とも言えない顔をした。

「お前、まだ根に持ってるのかよ」

「別に、その後もなかなか、女と認めなかったこととか、全然気にしてないわよ」

「やっぱり気にしてるんじゃねぇかよ…」

京一は頭を抱えながら、そう言った。

そんな京一を見ながら、麻桜は笑った。

「気になる?」

自分を覗きこんでいる麻桜を、京一はベッドに押しつけた。

「今は、女と認めてるだろう?」

「そりゃね、京一に男を抱く趣味があるとは、思えないし」

その言葉を聞いたとたん、その光景を想像しかけて京一の動きが凍りついた。

「…気色悪い事を言ってんじゃねぇよ…」

脱力して、自分の横に寝転がった京一を見て、麻桜は笑った。

「何?京一、想像したの?」

「お前なぁ…」

くすくす笑う麻桜を京一は抱きこんだ。

「そんな事、するわけないだろうが」

二人は、そのまま抱き合って眠った。

「あ!忘れてた」

それよりかなり前、王華でいつもの通りラーメンを食べていた神楽が、突然大きな声を

あげた。

「なんだよ、いきなり」

「どうしたの?桧神さん」

横でラーメンを食べていた龍紀達が驚いたように、神楽を見た。

「あ、ごめんね。忘れてた事、思い出して」

「忘れてた事?」

「六年前の部長の事よ。美里先生に聞こうと思ってて忘れてたの」

「お前、結構しつこいな」

龍紀があきれたように言った。

「いいでしょう。知りたいんだから」

「知ってどうするんだよ」

「どうするって…別に…」

何も考えてなかったらしい神楽は、少し考えこんだ。

「気になるなら聞いてみたら?それが一番いいと思うよ」

「そうね。そうする」

龍弥の言葉に神楽は納得した様に頷いていた。

「美里先生!」

次の日の昼休み、神楽が職員室から出てきた葵を見つけて走ってきた。

「どうしたの?」

「教えてもらいたい事があって」

明るく笑いながら、神楽が尋ねてくる。

「何?」

「美里先生、卒業したの6年前でしょう?その時の剣道部の部長って知ってます?」

「剣道部の?どうして?」

「興味があって、すごく強かったって聞いてるし」

「知ってるけど…私より詳しい人がいるから、その人に聞いた方がいいんじゃないかしら」

「誰ですか?その人」

「どうしたの?こんな所で」

麻桜が職員室から出てきた。

「桧神さんが6年前の剣道部の部長の事知りたいんですって」

6年前のって…」

「そう、『彼』よ」

その言葉を聞いた麻桜が困ったような顔をする。

「桧神さん、『彼』の事は私より蓬莱寺先生の方が詳しいから、聞いてみるといいわ」

「??どういうことですか?」

神楽は不思議そうな表情で二人を見た。

「教えてあげてね」

葵はにっこりと笑った。

「う…」

麻桜が困り果てた表情を浮かべてる間に、葵は職員室に入っていった。

「あの…?」

神楽が訳の判らないと言うような表情で麻桜を見た。

「何か問題でもあるんですか?」

「別にないけど、でも…」

(純粋な高校生の夢壊したら、どうするつもりよ)

彼女は、痛む頭を押さえながら神楽を見た。

「あの…蓬莱寺先生?」

「ああ、気にしないで。何でもないから」

麻桜は気を取り直したように笑った。

「会いたいなら、会わせてあげるけど…そうね、桧神さんの都合のいい時でいいわよ」

「本当ですか!?」

「ええ」

「あ…でも、どうしてそんなに詳しいんですか?それにそんな事、勝手に決めて…」

「いいのよ。用事もたいしてないだろうし」

麻桜の言葉に、神楽はますます首を横に捻った。

「あの、蓬莱寺先生とその主将はどういう関係なんですか?」

「…旦那よ」

小さな声で呟かれた声は、神楽に聞き取れなかった。

「え?」

「あたしの主人なの!」

「ええっ!?」

「おい…なんだよ、あれは」

「何って…桧神さんだよ」

「神楽だって事は、判ってんだよ。なんで、あんなに挙動不審なんだ?」

「さあ…」

二人の視線の先に、百面相をしている神楽がいた。

「おい、龍弥。お前、聞いて来いよ」

「ぼ…僕が?」

龍弥は、思わず焦りの色を浮かべた。

「聞いて来い」

龍紀の有無を言わさない言葉に、龍弥は渋々神楽に近づいていった。

「あの…桧神さん?」

「あ、龍紀くん」

「どうかしたの?」

「たいした事じゃないの。ちょっと…ね」

「僕達にも言えない事?」

「そんな事ないのよ!ただ、少し驚いた事があって」

哀しそうな表情を浮かべる龍弥を見て、神楽は慌ててそう言った。

「あ、あのね。今度の土曜日…暇かな?」

「え?」

「一緒に行ってもらいたい場所があるんだけど…いいかなぁ?」

「う…うん、僕は構わないけど…でも、どこに?」

「蓬莱寺先生の家」

「え?」

龍弥は背後で会話を聞いていた龍紀と顔を見合わせた。

 

「ったく、なんだってあんな胡散臭い先公の所に行きたがるかね」

「でも、その話の原因を作ったのは、僕達だよ?」

「そりゃ、そうだけどよ…!」

校舎裏にさしかかった時、龍紀は突然立ち止まった。

「兄さん?」

「シッ!」

「?」

龍弥の口を塞いだ龍紀は前方に視線を向けた。

「あれは…」

視線の先には、同じ学年の男子生徒達と彼らに取り囲まれるようにして麻桜がいた。

「…何してんだ。あいつら」

龍紀が呟く様に言った時、彼らの会話が聞こえてきた。

「…それで教えてもらいたい事って、何かしら?」

それより少し前、廊下で呼び止められた麻桜は、言われるままについて来た。

「先生なら判ることだよ。俺達に手取り足取り教えて欲しいのさ。色々と」

「なるほど…何時になってもこういう馬鹿はいる訳ね…」

麻桜は少し苦笑した。

「なぁ、いいだろう?先生、俺達、夜も眠れないくらいなんだぜ?可愛い生徒を助けて

くれよ」

麻桜の肩に馴れ馴れしく、生徒の手が置かれる。

「そうね…そんなに夜も眠れない程なら、協力してあげてもいいわよ」

「話がわかるねぇ、先生。じゃ、さっそく…」

下品な笑いを浮かべながら、自分に近づいてくる生徒の腕を麻桜は素早くねじり上げた。

「たっぷり眠ってらっしゃい。病院のベッドの上で」

麻桜は間髪いれずに、一人の生徒を叩きのめした。

あっという間に生徒達は、地面に倒れていった。

「これで良く眠れるでしょう?感謝しなさいね」

そう言った後、麻桜はゆっくりと視線を龍紀達のいる方に向けた。

「あいつら、いくら何でも」

聞こえてきた会話に、龍紀は止めようとした。

「何を考えてるんだよ。相手は先生だよ…」

彼に続こうとした龍弥は目の前の光景に立ち止まった。

「兄さん…」

どう見ても、か弱そうな女性が屈強な不良を叩きのめしていく。

「う…嘘だろ…」

呆然としていた龍紀は、こちらを見つめる麻桜と視線があった。

「あら、風祭君達。どうしたの?」

笑いながらのその問いに、二人は戸惑った。

「あの…」

「?」

「先生…武道か…何か…」

「昔、少しだけね」

少し微笑みながら、龍弥の質問に麻桜は答えた。

「それにしても…」

倒れている不良達は、見事に急所に一撃くらっていた。

「少しやったって言うレベルじゃねぇだろう」

龍紀は、不良の状態を見てそう言った。

「兄さん…まさか…」

次のセリフが予想できて、龍弥が顔をしかめる。

「なぁ、今度俺と…」

「なぁに?試合をやるの?あたしは構わないけど」

「先生!?」

龍弥が驚いたように、声を上げた。

「場所は何処?ここで?それとも、レスリング部のリングでも借りる?」

「話が良く判る先生で嬉しいぜ」

龍紀は嬉しそうに笑った。

「兄さん、止めなよ」

「あら、構わないわよ。昔、同じような事もあったし」

「同じような事って…」

「まだ、真神にいた頃にね」

麻桜は懐かしそうに笑った。

「懐かしいわ。やっぱりこの場所だったのよ」

昔を懐かしむ様に話す彼女の長い髪の毛を、風が揺らした。

 

「ただいまぁ」

帰ってきた麻桜の機嫌が良さそうなのを見て、京一が不思議そうな表情を浮かべた。

「どうしたんだよ、随分機嫌良いじゃないか」

「ひっさしぶりに、手合わせができるの。嬉しくって。最近誰も付き合ってくれなかったから、

少し欲求不満気味だったのよね」

「あ〜、そりゃ、そうだろうな…」

あの頃の仲間は、それぞれの仕事に忙しくて、集まる事も少なくなっている。

たまに会えても、長くて一、ニ時間ほどで、手合わせなどやれる時間は取れない。

麻桜がトレーニング不足に陥っているのには、気づいてはいたが、こればかりは

京一にどうしてやることも出来ない。まして一般の人間に麻桜の相手ができる訳が

ないのだから。

「とりあえずは良かったな。で…相手は?」

「クラスの生徒。なかなか筋が良さそうだし、とっても楽しみ」

麻桜は着ていたスーツを脱いで、ハンガーにかけながら本当に嬉しそうだった。

「あ!そうだ。京一、今度の土曜日空けておいてね。京一に会いたいって言う

生徒が来るから」

薄手のトレーナーを着こみながら、麻桜が言った言葉に京一はその方向を見た。

「俺に?」

「今の剣道部の部長をやってる娘よ。会いたいんですって。6年前の部長に」

「あ〜…、面倒くせぇな」

「久し振りに、後輩の面倒でも見たら?」

「俺に会いに来たって、しょうがねぇだろうによ」

「ま、せいぜい夢を壊さない様にね」

彼女は、それだけ言って台所に立った。

「何か食べたいもの、ある?」

「おむらいす」

「光夏、はんばーぐ」

京一に向かって発せられた問いに、足元から答えが二つ返ってきた。

「それで、いい?」

麻桜の再度の問いに、京一は苦笑しながら答えた。

「家の姫様の望みじゃしょうがないだろ。別に構わないぜ」

台所に入ってきた彼は、子供達を抱き上げた。

「俺は、別の物を食べさせてもらうからさ」

子供を抱いたまま、口づけをしようとする京一を、麻桜は容赦なく殴った。

「子供達の前で、何を考えてるの!」

「痛ってぇな。危ないだろうが、落っことしたらどうすんだ」

「有り得ないわね」

冷たく言い放つと、麻桜は調理を始めた。

(信頼されてるんだかどうなんだか…)

京一は片手で髪をかきむしっていた。

 

「門脇さん」

突然廊下で呼び止められて、門脇 美也は振り向いた。

そこには、この間やってきた新任の教師が立っていた。

「蓬莱寺先生、何ですか?」

「今、時間ある?手伝ってもらいたい事があるんだけど」

にこにこ笑いながら、そう問い掛けてくる麻桜に、美也は小さく頷いた。

「そう、良かった。じゃ、一緒に来て」

それだけ言うと、麻桜は先に立って歩き出した。

彼女は、校舎を出て、体育系の部室が並んでいる建物へと入っていった。

「待たせたかしら?」

そこには、同じクラスの風祭兄弟と、隣のクラスの九桐 出雲がいた。

「そんな事はないけどよ…」

リングに座っていた龍紀が、床に飛び降りて、出雲を睨みながら言った。

「なんで、九桐がいやがんだよ」

「あたしが呼んだの。武道をやってるって聞いたから。レフリーが必要でしょう?」

その問いに麻桜はさらっと答えた。

「じゃ、門脇を連れてきたのは、どうしてだよ!?」

「あたしのセコンドをやってもらおうと思って。まさか、自分にだけ、セコンドつけるつもりじゃ

ないでしょう?」

「あの…私に手伝ってほしい事って…」

美也は状況が判らずに、側にいる麻桜を見上げて問いかけた。

「これから、風祭君と試合をするから、あたしが危ないと思ったら、タオルを投げ込んで

欲しいの。それまでは見てるだけでいいから。簡単でしょ?」

「私、でも、ルールなんて…」

「あ、いいの。どうせ、ルールなんてあって無いような物なんだから。そうよね?」

麻桜の後半の言葉は、確認のためのものだった。

「まったく…教師と試合をしようなんて、無茶もいい所だ」

出雲は小さく呟きながら、リングにあがった。

「一本勝負と言うことでいいんですね?」

「OKよ。少し待ってて。着替えてくるから」

麻桜はそれだけ言い残して、奥の更衣室に姿を消した。

「風祭もそれでいいな?」

「ああ、いいぜ」

龍紀も上着を脱ぐと、リングに上がっていった。

「門脇さん、これ」

龍弥が美也に白いタオルを手渡す。

「先生が危ないと思ったら、すぐにこのタオルを投げるんだよ。そしたら、試合が終るから」

「本気で、そう思ってるなら、無知もいい所だな」

出雲の呟きは、誰の耳にも届く事はなかった。

「お待たせ。じゃ、始めましょうか?」

戻ってきた麻桜は、笑顔を浮かべてリングにあがった。

「手加減はしないぜ?」

「もちろんよ。そんな事当り前でしょう」

麻桜の笑顔の意味にその時点で気づくものはなかった。

彼女の動きは、まるで羽のように軽く、龍紀はなかなか、攻める事が出来なかった。

(なんだよ、このセンコーの技、俺達と殆ど同じじゃねぇか)

龍紀に一瞬の焦りが生まれる。

「兄さん!」

リングの下からそれを感じ取った龍弥が叫ぶ。

「油断大敵よ」

その声に気をとられた彼の懐に、麻桜は飛び込んでいた。

「!」

突き出された両手から放たれた《気》に龍紀は吹き飛ばされた。

リングの端に飛ばされた龍紀は、ロープに掴まって立ちあがる。

「な…なんで、発剄使えんだよ!?」

「なんでって…。昔からなんだけど」

龍紀の疑問に、麻桜は少し困ったような表情を浮かべて答えた。

「勝負あったな。風祭、お前の負けだ」

出雲の冷静な声が割って入り、試合の終りを告げる。

「う〜ん、もう少しやりたかったなぁ。今度、また機会があったらやろうね」

麻桜は、笑って龍紀に手を差し出した。

「今度は、負けないからな」

「楽しみにしてるわ」

「蓬莱寺先生!良かったぁ、見つかって…」

神楽が、慌てた様に駆けこんできた。

「桧神さん?どうかした?」

「あの、先生を尋ねてきた人が校門の所に…」

「あたしに?」

「は…はい!」

「誰だろう?あ、少し待ってて、5人とも。付き合ってくれたお礼に、お茶でも奢るわ」

麻桜は、それだけを言い残して、部室を出ていった。

「あ〜くそ、なんで女に負けんだよ。」

「当り前だ。お前が勝つと思う方が間違ってるぞ。風祭」

悔しがる龍紀を冷ややかに見つめながら、出雲が言った。

「あの人は、俺が武道をやっていく上での理想で目標だぞ」

「!?」

「そんなに強いのかよ…」

「ああ。あの人の試合を見たのは、一度だけだがな。家の道場で異種戦をやっているのを

見て、子供心に憧れたものだ」

「九桐くんが憧れるなんて、よっぽど凄い使い手なんだね」

「ああ…」

「そう言えば、ここで何をしてたの?」

神楽が不思議そうに聞いてきた。

「ちょっと、試合をしてたんだよ」

「試合!?まさか、蓬莱寺先生と!?」

「悪ぃかよ」

「呆れた。何を考えてんのよ。一体」

「いいだろう、別に」

神楽の呆れたような声に、龍紀は少しむっとした声を出した。

「それより、蓬莱寺先生に一体誰が面会しに?」

「そうよ!もう大変な騒ぎになってるの」

「え?」

神楽は、慌てたように彼らを引き摺っていった。

 

「麻桜!」

校門の所にいた人物の一人が、麻桜に抱きついてきた。

「あ…亜里沙!?」

「お久しぶりです。麻桜先輩」

「麻桜サンが教師になってるなんて、驚きだな」

「霧島君に雨紋君まで?どうしたの?一体」

「アタシたちだけじゃないよ。もう一人いるんだよ」

亜里沙の視線が側に停められていた自動車に注がれた。

それが合図になったかのように、ドアが開いて一人の少女が降りて来た。

「お久し振りです。麻桜さん」

「さやかちゃんまで!?」

「麻桜さんが真神にいらっしゃるとお聞きして…どうしてもお会いしたくて」

「いいけど、こんなにスターさんが集まって大丈夫なの?」

「平気平気。さっき収録終ったから」

亜里沙は、明るく笑った。

「それにしてもあんたがまた真神にいる姿を見れるなんて、夢みたいだよ」

「今日、一緒に飲みに行きませんか。あの頃の話をつまみにでもして」

「う〜ん、でも…京一と子供達が待ってるし…」

雨紋の言葉に、麻桜は少し困った表情を浮かべた。

「いきなりそんな事言っても麻桜が困るだけでしょう。また、今度ゆっくり予定をたてて

飲みに行けばいいじゃない」

「そうっすね。今度予定をたてて、皆で飲みましょう」

「その時は、僕達も是非ご一緒させて下さいね」

霧島の言葉に、麻桜は笑った。

「勿論よ。一緒に飲もう」

「はい!楽しみにしてます!!」

「そうそう、言い忘れたけど、婚約おめでとうね。霧島君に、さやかちゃん」

「…!なんで、ご存知なんですか。まだマスコミにも言ってないのに…」

「情報なんて、いくらでも入ってくるわよ。あの頃の事、忘れたの?」

焦った様子の霧島に、麻桜はあっさりと言った。

「あ…」

「大丈夫、彼女もおめでたい事だから、二人が発表するのを待つって言ってるわ」

 

「何なんだ…あのメンバーは…」

「ね、凄いでしょう」

「蓬莱寺先生の知り合いなのかな」

隠れて彼らの事を見ていた龍紀達は、こそこそ話していた。

「藤咲亜里沙に、雨紋雷人に舞園さやかとか?」

「いいなぁ、サイン貰えないかな…」

「桧…桧神さん…」

少し、前に歩き出しそうになった神楽を慌てて龍弥が押さえる。

「あの人達って、そんなに有名なの?」

全く場違いの発言に、3人はその発言者を振りかえる。

「か…門脇。お前、それ本気で言ってるのか!?あんな有名人をつかまえて」

「ご…ごめんなさい…私、TVとかあまり見ないから…」

龍紀の言葉に身体を小さくして美也が謝る。

「謝る事でもないだろう。個人個人の生活の仕方があるのだから」

その横を通り過ぎながら、出雲がそう言った。

「お…おい!九桐!?」

龍紀の驚いた声を無視して、彼は麻桜達の方に近づいていった。

「お久し振りです。雨紋さん」

「出雲じゃねぇか、元気だったか?」

「はい。雨紋さんもお変わりないようで」

「雨紋君、九桐君と知り合いなの?」

「龍蔵院の一人息子だよ。小さい頃、良く道場で稽古を見てたぜ」

「ああ、そういう関係なんだ」

麻桜は納得した様に頷いた。

「どうりで、何処かで見た事があると思ったわ。一度、雨紋君と試合した時に見てたわよね」

「覚えていただけてたんですか?」

「勿論よ。初めてやった槍術との試合だったんだから」

出雲の言葉に、麻桜は少し複雑な表情を浮かべながら、そう言った。

「なんか、急に老け込んだみたいだわ。まだ、若いつもりだったんだけどな」

「何、言ってるのよ。まだ、20代前半でしょうが、老け込むには早いわよ」

「あ…あの…先生。お話中すみませんが…」

話が弾んでるのをみながら、龍弥が声をかける。

「この人達とどういう関係なんですか?」

「高校の時の仲間よ」

「麻桜の生徒?」

「そう、一月だけだけどね」

背後にいた彼らに気づいた様に、亜里沙が艶然と微笑んだ。

「可愛いわね。あら…?」

龍紀を見て彼女が何かを思い出した様だった。

「前に一度…弘司の墓参りの時に会ってたわね?」

「ああ…そういえば、命日だったんだ…」

懐かしい物をみるように麻桜は目を細めた。

「麻桜サン、どうせならこいつらも一緒に何処か行きませんか?」

「そうね…お茶を飲みに行くくらいなら良いかもしれないわね」

麻桜はその提案に頷いた。

「お茶だけって、言うのが少し物足りないけどね」

「亜里沙、この子達、高校生なんだからね。忘れないでよ」

「何、言ってるの。仲間一のうわばみが」

麻桜の注意を聞いて、亜里沙が笑って見せた。

「じゃ、何処へ行く?この近くの店っていったら…」

「ラーメン屋だけは止めてよね」

麻桜の言葉を遮る様に亜里沙が言った。

「あの頃、あんたに連れていかれる店はラーメン屋ばかりだったんだからね」

「いいじゃない…美味しかったんだから。亜里沙だって…!」

何かを感じたのか、麻桜は振り向いた。

「!」

亜里沙達にも緊張が走る。

「何?」

突然の変化に神楽が戸惑う。

「神楽、門脇を連れて退がれ!」

「え?」

龍紀の言葉に、美也も困惑する。

「怖い物知らずだね。私達が揃ってるときに喧嘩を売りに来るなんて」

「そうっスよね」

亜里沙はそう言いながら、軽く笑った。

それを聞いた雨紋を笑った。

「さやかちゃん、この子達をお願いね」

「はい!任せてください」

麻桜の言葉にさやかは頷くと、龍紀達の前に立った。

「じゃ、食前の軽い運動と行きますか」

「思いきり暴れられたら、ラーメン屋つきあってあげてもいいわよ」

「その言葉忘れないでよ、亜里沙」

「来ます!」

彼らの目の前にどこから現れたのか、《妖かし》が現れる。

「何なの!?」

龍紀達は何が起こったかわからずに周囲を見回した。

「一体何が起こったんだ?」

「危ないから、下がってて」

さやかが、彼らの前に立って、何かを口ずさみ始める。

「?」

その時、彼らに物凄いプレッシャーがのしかかった。

「麻桜!」

何かを感じたのか、葵が走ってくる。

「葵、援護お願い!」

「…!判ったわ!」

麻桜の言葉に、葵はすぐに理解をした。

その間にも、彼女達は《妖かし》を撃破していく。

「先生、いったい、あれは…」

「大丈夫、彼女達に、任しておけば心配いらないわ」

龍紀の言葉に、葵は微笑んで見せる。

やがて、《妖かし》は一つ残らず、姿を消した。

「なんだったんだよ!あれは!?説明してくれるんだろうな!?」

言い寄ってくる龍紀に麻桜達は困ったような表情を浮かべた。

「何にも言わずにいるつもりかよ!?」

「いいわ、…話してあげる」

「麻桜!?」

「その代わり、こっちの話を聞いたが最後、手伝ってもらうわよ?それでも、いい?」

「…判った。神楽、門脇、お前らは帰れ」

「何でよ!あたしだって!」

「駄目だ、帰れ」

食って掛かる神楽の言葉を龍紀は一言で封じこめる。

「桧神さんが、聞いて悪いことはないと思うわ、桧神さんにしかないと出来ない事もあると思うし」

麻桜は、その言葉をあっさりと覆した。

「知る権利は誰にでもあると思うわ。…あなたはどうする?門脇さん」

「私は…帰ります」

「そう、だったら…悪いけど、九桐君。彼女を家まで送り届けてくれないかしら?」

「…判りました」

麻桜の指示に、出雲は頷くと美也を連れて帰途についた。

「さて、それじゃ、移動しましょう。ここじゃ目立ちすぎるから」

「何を食べる?好きなもの注文してね」

以前、良く行っていたラーメン屋にやってきた麻桜は、先にテーブルについてそう言った

「食べ物なんかどうでもいい!説明しろ!」

龍紀が声を荒げた。

「手伝ってもらうけど、いい?」

麻桜は笑いながら、そう尋ねた。

「それより、説明しろよ!」

「話を聞いてからでは駄目なんですか?」

「事情が事情だからね」

「男なんだから、覚悟決めたら?そんな荒事になるわけでもないだろうし」

亜里沙が麻桜の横に座りながら、そう言った。

「荒事って…」

一緒に来ていた神楽がちょっと複雑な表情を浮かべた。

「大丈夫よ。貴方達に頼むとしても、そんなに難しい事じゃないわ」

「…」

「それって、門脇さんに関する事ですよね?彼女に何か問題があるって事ですか?」

龍弥が麻桜にそう尋ねた。

「そう言えば、門脇に何かしたよな。初日に。あれって何だったんだ?」

龍紀が思い出したように言った。

「見れたんだ?」

頬杖をつきながら、麻桜が面白そうに笑った。

「そう言えば、真神で去年騒ぎが起こった時、中心にいたんだったわね」

「なんで、知って…!」

「何?騒ぎって?」

「色々と情報は入ってくるのよね。葵とかから。…まぁ、それを乗りきれたんなら、

大丈夫でしょう」

ちょうど、その時注文した品が運ばれてきて、一旦会話が打ち切られた。

 

「たかが素人の小娘一人に、何時まで手間取ってるんだ」

「もう少しで、『事故死』させられるはずだったんだ。邪魔が入った」

「さっさとしろ、何のために高い金を払ってると思ってる!」

薄暗い部屋で短い会話が交わされた後、一人の男が荒々しくそこを出て行く。

「勝手なことを…自分のミスくらい、自分でなんとかすれば…ん?」

部屋の隅で聞こえる物音に気づいて、残った男達はそこに近づいた。

「う、うわっ!」

そこにいた『もの』は男達に向かって、飛び掛ってきて、すぐに火に包まれて床に落ちた。

「呪…呪詛返し…」

「ま…まさか、ただの小娘がそんなことできるわけがない!」

「誰か術者がついたということか?」

 

「おや」

同じ頃、緑に囲まれた屋敷の中で、机に向かっていた青年が顔をあげた。

「いかがなされました?晴明様」

「身の程知らずが、騒ぎを起こしかけたようですね。芙蓉、ご苦労ですが、村雨と一緒に

麻桜さんのところに行ってきて下さい」

「御意」

そばに控えていた美女が、音もなく立ち上がって、部屋を出て行く。

「まったく…己の力をわきまえない馬鹿というのは何時になってもいるものですね」

手にした扇子を音を立てて閉じながら、その青年は苦笑を零した。

「麻桜さんたちを敵に回すとは、よほど命がいらないと見えます」

 

「おやぁ〜?」

雑居ビルから出てきた村雨は、そこにいる芙蓉の姿に、不思議な表情を浮かべた。

「どうした?芙蓉ちゃんがこんなところに来るなんて、珍しいな」

「晴明様のお言いつけです。ご主人様のところへ同道してもらいますよ」

「先生のところだぁ?」

「早くなさい」

芙蓉の冷たい一瞥に、村雨は軽く肩をすくめた。

 

「で?」

帰ってきた麻桜を見た途端、家に上がりこんでいた村雨がそう尋ねた。

「でって?」

まるで、我が家にでもいるように、くつろいでいる彼に、いつもの事と驚きもせずに、

彼女は質問を切り返した。

「控えなさい、村雨!ここはご主人様のご自宅です。少しは自分の立場というものを

わきまえる事を覚えなさい」

そういう芙蓉も、麻桜の姿を見たとたんに、台所へと立っていって、茶を煎れ始めている。

「芙蓉ちゃん…言ってる事とやってる事がちがう…」

「何か、お気に触る事でもいたしましたか?」

少し困ったように笑っている麻桜を見て、茶を運んできた芙蓉が『?』マークを浮べる。

「いや、いいんだけど…、京一は?」

「ああ、少し道場に行って来るって、チビたち置いてさっき出かけたぜ」

「それは悪かったわね。留守番させてしまって」

「お気になさらずに。ご主人様のお子様方のお世話をさせていただけるなど

初めての事でございますので、至らぬところも…」

「ところで、先生。その後ろにいるのは、先生の連れか?」

長くなりそうな芙蓉の言葉を遮るように、麻桜の背後に立っていた龍紀達を見て村雨が尋ねる。

「そうよ、真神の生徒達なの」

(先生?ご主人様…?なんでこんな呼びかたしてるんだ?こいつって、実はとてつもない金持ちで

雇い人がいるような家の出なのか?それに、先生って…どう見ても、あの男の方が年上に見えるぞ…)

龍紀が思ってることを、龍弥も神楽も思ってるらしく、不思議そうな表情を浮べていた。

「あのぉ、先生…。まさかと思いますけど、この人が先生のご主人じゃないですよね?」

神楽が村雨を見ながら、恐る恐る尋ねる。

その言葉を聞いた途端、顔を見合わせた麻桜と村雨は同時に吹き出して笑い始めた。

「あはは…違う、違う」

麻桜は手を振りながらその言葉を否定し、村雨も

「面白い事をいう嬢ちゃんだな。まぁ、俺くらいの…いてて…」

「控えなさい、村雨。お前が、ご主人様の背の君など絶対にありえない事です」

芙蓉に耳を引っ張られた村雨が、少し複雑な表情を浮べる。

「そうかねぇ」

「当然です」

表情を崩しもせず、そう言う芙蓉を見ながら、今度は龍紀が尋ねる。

「あの、こっちの人は…一体?」

「ああ、紹介するわね。二人とも、あたしの仲間で、村雨君と芙蓉さん。頼りになる人達だから、

何かあったら相談するといいわよ」

「はぁ…」

「ところで、先生。また、何か厄介ごとでも起こってるのかい?」

表情を元に戻した村雨が、麻桜にそう尋ねた。

「まぁ、厄介ごとって言うか、お仕事なんだけど。情報源は、御門君かしら?」

「はい、晴明様が、ご主人様のところへと…」

「相変わらず、地獄耳だわね。まぁ、当たり前って言えば当たり前のことなんだけど。とりあえず、

皆座ってよ。説明するから」

立っている全員に、座るように促した後、麻桜は今の状況を話し始めた。

 

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