「なぁ、麻桜。これはどこに置くんだ?」
「それは奥の子供部屋のほうにお願い」
日本に戻ってきて、以前住んでいたマンションに落ち着いた後、荷解きを
していた時、京一の問いに、麻桜が彼の方に振り向いた。
「それから、光夏と夏恋に注意しててよ」
七ヶ月になる娘達の様子に注意を促すと、再び整理を始める。
「今は寝てるから大丈夫だろ」
京一はベッドに寝ている双子の様子を覗き込む。
「向こうじゃ、もう這っていたものね。動きやすいように家具を置かないとね。
つかまり立ちもすぐだろうし。眼が離せなくなるわよね」
「すぐ歩き出すんだろうな」
「成長するのって早いわよ。修行の旅なんて出かけると、あっという間に大きくなるから」
彼女はそう言って笑った。
「しばらく離れて、帰ってきたら、顔を忘れられて大泣きされたりしてね」
「嫌な事を言うなよ」
「それが嫌なら、顔を覚えることができるようになるまで、側にいれば?」
小さくなった子供の服を片付けながら、麻桜はそう言った。
「連れて行くかなぁ…。こいつらも」
京一の漏らした言葉を麻桜は聞き逃さなかった。
「京一?何を馬鹿なことを言ってるの?まだ、一人で歩くこともできない子供を
山に連れて行くつもり?そんな事しようとしたら、すぐに離婚だからね」
「わ…判ってるよ」
「だったら、いいけど」
麻桜がそう言った時、玄関のチャイムが鳴った。
「?」
「誰だ?」
二人が顔を見合わせた時、鍵が開く音がして、誰かが入ってきた。
「みっちゃんとなっちゃん、起きてるかしら?」
一瞬、緊張した二人は、聞こえてきた声に別の意味で驚いた表情を浮かべた。
「おふくろ?」
「お義母さん!?」
大きな荷物を抱えて入ってきた京一の母親は、真っ先に双子達のところに行った。
「あら〜、寝てるのね。みっちゃんもなっちゃんも。残念だわぁ」
「何しにきたんだよ。一体…」
「みっちゃんとなっちゃんと遊ぶ為に来たのよ。いまさら、あんたの顔見に来るわけないじゃないの」
「あのなぁ…、第一何だよ。その『みっちゃん』と『なっちゃん』ってのは。光夏と夏恋のことか?」
「そうよ、可愛い呼び方でしょう?」
「まだ散らかっていてすみません。すぐにお茶煎れますね」
麻桜は立ち上がって、台所の方に歩いていこうとした。
「あ、いいのよ。勝手にやるから。そんな事するより、二人とも久しぶりの日本なんだから、出かけてらっしゃいな。みっちゃんとなっちゃんは、私が見ていてあげるから」
「え?」
「いきなり来て、何、言い出すんだよ」
「一年ぶりなんだもの。変わった街を見てきなさいな。特に麻桜ちゃんは、もうすぐ大学に通うんだし、慣れておかないとね」
ニコニコ笑いながら、京一の母はそう言った。
「さあさあ、準備して出かけてらっしゃい。二人の事は任せて」
追い出されるようにしてマンションを出た二人は、溜息をついた。
「まったく…あの性格どうにかして欲しいぜ」
「相変わらず、楽しいわね。お義母さんって」
「一年経ってもちっとも変わってやしねぇ」
京一は、髪の毛をかきむしると、隣にいる麻桜を見た。
「ま、せっかくだし出かけてみるか」
「2時間くらいなら、大丈夫かもね。まだ寝てたし」
「で…どうする?どこをぶらつく?」
「…新しく出来たデパートにでも行ってみる?」
麻桜の提案で、二人はデパートにやってきた。
「…なんか、飾りが凄くてくらくらするわね」
店内に入った麻桜の第一声がそれだった。
「化粧品の匂いが凄いな」
久しぶりに嗅ぐその匂いに京一も顔をしかめた。
「子供服でも見に行く?。後は屋上でのんびりしてもいいわよね」
「そうだな」
子供服の売り場に来た二人は、再びうんざりした表情を浮かべる。
「何でこんなに実用的でないものばかり売ってるんだ?」
「しかも値段も高いし…。良くこんなの平気で着せれるわよね。思い切り遊べない
じゃないの」
「フリルとかで飾らないと可愛く思えないのか?自分の子供だろうが。光夏や夏恋は
何を着せたって可愛いぞ」
「それも親ばかだと思うけど…」
ワゴンに積まれていた洋服を見ていた麻桜が、京一の言葉を聞いて苦笑した。
「可愛いものを可愛いといって何が悪い。」
彼は真剣な表情でそう言った。
「そんな事はどうでもいいから、あの子達にお土産買って帰るわよ。何がいいかしらね」
麻桜は、子供服のワゴンから離れてエレベーターの横の店内案内図を見に行った。
「あ…」
「どうした?」
「屋上にペットショップがある。可愛いのいるかもしれないから、見に行こうか。
あの子達が気にいるのがいるかもしれない」
「まぁ、小さな犬とか猫なら、飼って大丈夫みたいだしな」
マンションの他の住人が、小動物を飼っているのを二人は知っていた。
「あの子達のいい遊び相手になるかもね。向こうじゃ、いろんな動物見て喜んでたし」
「そうだな、見に行くか」
二人は屋上に上がっていった。
「わぁ、可愛い」
ゲージに入っている子犬を見て、麻桜は歓声をあげた。
「どの子がいいかな。可愛いのもいいし、一緒に走り回れるのもいいしね」
麻桜は少し迷いながら、見て回っていた。
「それにしても、子犬の癖になんでこんなに高いんだ?」
「相場なんじゃないの?」
「大丈夫かよ。こんな高いの、買えるのか?」
「大丈夫。まだ、去年の旅費残ってるし、結婚祝いと出産祝いにもらったお金も
あるしね」
「生活費は?」
「それはまた別に貯めてるから、平気」
麻桜はにっこりと笑った。
「それよりどの子がいいか、京一も選んでよね」
「あんまり大きくなるのは駄目だよな?」
「そうね、部屋の中で飼うことを考えたら、小型犬の方がいいわね」
そういいながら、麻桜は再び子犬たちを見ていく。
「おい、こいつは?」
京一がはじの方のゲージに入っていた子犬に目を留めた。
「え、どんな子?」
麻桜もその子犬に目をやる。
隅の方にうずくまっていた子犬は、気配に気づいたのか立ち上がってやってきた。
「ふかふかしてて可愛いわね」
「だろ?遊び相手にちょうどいいよな」
淡い茶色の子犬は、麻桜達をじっと眺めていた。
「この子にしようか。人懐っこそうだし。」
彼女は、店員を探して手続きを済ませる。
「それでは、一時間後にいらして下さい。書類を作成しておきますので。」
「じゃあ、よろしくお願いしますね」
店の手続きが終わるまでの時間つぶしに、二人は最上階の喫茶店に入る。
「ねぇ、ここのケーキって、持ち帰り出来るのかしら。二人とお義母さんにも
買っていこうか」
「ケーキ食べれるのかよ?」
「プリンとかババロアなら、大丈夫よ」
注文した飲み物を運んできた店員に、麻桜は持ち帰りが出来るかどうか尋ね、ケーキの
メニューを確認して、持ち帰りの品を注文する。
「それにしても、こんなにのんびりするのは久しぶりよね」
目の前の紅茶を飲みながら、彼女は笑った。
「ね、あたし達もケーキ食べよっか?」
「珍しいな。何時も甘いものは嫌がるくせに」
「たまにはいいじゃない?子供達と一緒に食べる事だって、あるだろうし」
「予行演習ってわけかよ」
京一も目の前のコーヒーを飲む。
「さぁてと、何がいいかな」
メニューを見ながら、麻桜は嬉しそうに言った。
「たまには思い切り甘いもの食べるのもいいわよね」
「甘いものが苦手なくせに何を言ってんだか」
「うるさい。」
麻桜は一番甘そうなケーキを、京一はコーヒーゼリーを注文する。
「美味しそう。たまには甘いものもいいわよね」
目の前に運ばれてきたケーキを見て、彼女は嬉しそうに口へ運ぶ。
「甘いけど、美味しい。こんど、葵達も誘って来てみようっと」
「来るたびにケーキ買ってくるんじゃないだろうな」
「いいじゃない。それくらいの楽しみがあっても」
京一のしかめ面を見ながら、麻桜は笑った。
「子供達も喜ぶしね」
「何かっていや、子供の事出しやがって…。せっかく二人で来てるってのに」
「自分の子供に嫉妬してどうするの」
その言葉に呆れながら、麻桜は京一を、見つめていた。
「あんたと子供達は違うでしょ」
そういった後、麻桜はケーキを食べ続けた。
その目の前で、京一がコーヒーゼリーを少しずつかき混ぜながら食べていた。
その後、手続きの終わった子犬を引き取って、二人は家の方へ歩きながら帰ってきた。
「ただいま」
「お帰りなさい」
這ってきた子供達を抱き上げながら、麻桜は買ってきたものを差し出した。
「はい、お土産」
「あらあら、良かったわね。二人とも」
「留守番していただいて、すみません。お茶すぐ入れますね」
麻桜は、京一に子供達を預けるとすぐに台所に入っていった。
「あら、ババロアじゃない。これなら、みっちゃん達も食べられるわね」
箱の中身を出していた義母の声を聞きながら、彼女は飲み物を用意する。
「こっちの箱は何?きゃあ!」
もう一つの箱を開けた義母の声が、驚きに変わる。
「お義母さん?」
驚いてその方向を見た麻桜は義母の膝の上に乗っている子犬を見て、思わず笑って
しまった。
「もう、しょうがねぇな。ほら、こっち来い」
金網ネットを組み立てていた京一が子犬を抱き上げて、子犬をその中に入れる。
「今日から、そこがお前の寝床だぞ」
「どうしたの、その犬…」
「子供達の遊び相手だよ。ちょうどいいだろう」
「マンションで飼っていいの?」
「ここは、大丈夫なんだと。それにもう夏恋が離さねぇよ」
京一の言うとおり、双子の一人が這いながら子犬のほうに近づいていく。
「わんわん…」
尻尾に手を延ばしながら、その子は嬉しそうに笑った。
「夏恋。遊ぶのはおやつを食べてからね」
麻桜は、夏恋を抱き上げるとその小さな手をタオルで拭く。
「ほら、光夏。おやつだぞ」
もう一人も京一が手を拭いて椅子に座らせる。
「良かったわね。二人とも、美味しいおやつ買って来てくれて」
嬉しそうに笑っている孫達に話しかけながら、母親は紅茶を飲み始めた。
その後、夕食を済ませて、母親を送っていった京一が戻ってきた時、麻桜は
子供達を寝かしつけていた。
「寝たか?」
「やっとね、ちょっと興奮してたけど」
子供達に布団をかけながら、麻桜は答えた。
「こいつもおとなしく寝てるな。」
自分に割り当てられた場所で、子犬は寝そべっていた。
「光夏と夏恋と遊んで疲れたんでしょう、環境も変わったし」
麻桜は、煎れたコーヒーを運んできながら、そう言った。
「ババロアまだ残ってるけど、食べる?」
「あ〜、もう甘いもんはいいわ」
「本当に苦手なのね。子供達に一緒に食べようって言われたらどうするの?」
「その時は、その時に考えるさ」
コーヒーを受け取って、京一はそう答えた。
「俺にとって、甘いものは一つで充分だからな」
「何よ。ケーキ以外で甘いものってあるの?」
彼の隣に座って、同じようにコーヒーを飲んでいた麻桜が聞いてくるのを、
京一は肩をすくめて答えた。
「そんなのお前に決まってんだろうが」
「はぁ?何、鳥肌立つような事言ってんのよ。いまさら、あたしを口説いてどうするの」
「口説くなんて、そんなまだるっこしい事するかよ。そんな言葉を聞きたいなら、
いくらでも言ってやるけどな」
「う…そんな寒いことしなくていい」
麻桜は本当に嫌そうな表情を浮かべて、立ち上がった。
「コーヒー飲んだら、カップ持って来てね」
それだけ言うと、麻桜は台所に歩いていってカップを洗うために水を出した。
「なぁ、麻桜。久しぶりに一緒に二人きりで寝ないか?」
「馬鹿、何を言ってるの。子供達だけで寝かしとくつもり?」
「一晩くらい大丈夫だろう?」
「駄目」
自分の背後にやってきた京一から、カップを受け取りながら彼女はそう言った。
「仕方ねぇな。子供達だけでおとなしくできるようになるまで、待つか。
まぁ、半年もすれば子供部屋で寝るようになるだろうし…」
京一は、仕方なさそうに肩をすくめて苦笑しかけた。
「今日はこれで我慢しとくのね」
麻桜は京一の唇に、自分の唇を重ねた。
「ま…麻桜」
「ほら、邪魔だから向こう行ってなさい」
それだけ言うと、麻桜は再び洗物を始めた。
「子供たちの様子を見てきて」
「あ…ああ」
うろたえながら、麻桜の言葉に従って京一は子供達の様子を見に行った。
その後姿を見ながら、彼女は微笑みながら食器類を片付けていった。
「さぁて、明日からまた頑張らなきゃね」
そうして、慌しい休日はゆっくりと終わりを告げようとしていた。