バースディー
「じゃあ、夕方には戻るからな。おとなしくしてろよ」
「うん、いってらしゃい」
森に出かけていく京一を玄関で見送りながら、麻桜は手を振った。
「いいか。無理すんじゃねぇぞ。何かあったら、長老に言えよ。頼んであるから」
「大丈夫だって」
「お前、信用できないからな。すぐ、無茶するし」
「こんな状態で、無理できるわけないでしょう」
京一をそう言って送り出すと、麻桜は食器を片付けるために台所に入っていった。
「あれ」
食卓の上に見なれた包み。
「京一ったら、御弁当忘れていった」
(後で届ければいいか)
「森くらいなら、出かけても大丈夫だろうし」
麻桜は、心配そうな表情を浮かべていた京一の顔を脳裏に思い浮かべて微笑んだ。
日本を出て、5ヶ月近く。ここでの暮らしにも馴染んできた。
村人とも親しくなり、助け合いながら暮らしてきた。
臨月近い麻桜を気遣って、村人達は手助けしてくれる事も多かった。
突然、日本からやってきた二人の若い旅人を、彼らは村をあげて迎え入れてくれていた。
(いい村に来れたよね)
「麻桜?何してる」
突然、声をかけられて、彼女は振り向いた。
「長老」
玄関の所に、1人の年老いた女性が立っていた。
「食事の後片付けをしようと思って」
麻桜は、洗物の手を止めて、長老の傍に近寄っていった。
「あまり、無理をするでないぞ。もうすぐ、子が生まれるのだろう」
「大丈夫です。日常の事くらいできますから」
「しかし、最近顔色が悪いと、京一が心配しておったぞ」
「少し、貧血気味だったんです。ご心配かけてしまって、すいません」
麻桜は、笑顔で答えた。
「用心する事じゃ」
「ええ、有難うございます」
「ん?なんじゃ、あれは?」
長老は、テーブルの上に置かれていた包みに目をやった。
「京一に届けようと思って。お昼、忘れていってしまったので」
「今日は、森の方へ行ってるのだったな」
「ええ。そんなに奥まで行ってないと思うので、届けに行こうと思って」
「1人で、大丈夫か?」
「森に行くくらい、1人でも平気です」
「無理だけはするでないぞ。お前に何かあれば、悲しむ人間がおるのだから」
「わかってます」
麻桜に注意を促して、長老は帰っていった。
(何か、昨夜からお腹痛いんだけど…、大丈夫よね)
彼女は、不安を振り払って、森へと向かって行った。
京一は、森の奥で高い樹の側に座っていた。
「京一!」
遠くから、自分を呼ぶ声がしたような気がして、彼は閉じていた瞳を開けた。
「?」
不思議に思って回りを見まわすと、樹の影から麻桜が姿を現した。
「良かった。やっと、見つかった」
「麻桜?お前、こんな所に何しに来たんだよ」
「お弁当、忘れたでしょう。だから、届けに来たの」
麻桜は、京一の前に包みを差し出した。
「わざわざ、持ってきてくれたのか?」
「うん」
麻桜は、京一の横に座った。
「ありがたいけどよ。お前、身体大丈夫か?」
「うん、平気」
彼女は、包みを解いて並べていった。
「一緒に食べようと思って、あたしの分も持ってきたの」
「嬉しいけどよ」
「だったら、いいじゃない」
麻桜は京一の顔を見上げた。
「無理だと思ったら、やったりしないわ」
そう言って、麻桜は持ってきた食事に手を伸ばした。
「しょうがねぇなぁ」
京一は苦笑しながら、同じように食事に手を伸ばす。
「なんか、たまには外で食べるのもいいわね。気持ち良くて」
食事が終わりかけた時、麻桜が京一に笑いかけた。
「今度は、親子で来ようね」
横にいた京一にそう話しかけるが、返事が返ってこなかった。
「?」
横を見ると、何時の間にか寝転がっていた京一は、眠りに落ちていた。
「もう!」
麻桜は、少しふくれながら後片付けを始めるが、やがて彼女も陽気に誘われたのか、
眠りにつく。
しばらくたった時、京一は微かなうめき声で、眼を覚ました。
「麻桜?」
起き上がって、横に眠っている麻桜を覗きこむと、彼女の顔が苦痛に歪んでいた。
「おい!どうした?」
「お腹…痛い…」
自分の問いに切れ切れに答える麻桜の言葉に、慌てて彼女を抱き上げる。
「すぐ、村に戻るからな。少し、辛抱しろよ!」
「あんたが、あの馬鹿の担任だったなんてな」
「こっちこそ、アナタが蓬莱寺君に剣を教えたなんて、信じられないわね」
森の中を歩く妙な組み合わせのカップルがあった。
「あいつは、どんな生徒だったんだ?」
その問いには、返事がなかった。
「何か、聞こえなかった?」
「え?」
「奥の方から、聞こえたわ」
彼女は、茂みをかき分けて進んでいった。
「!」
「なんで、お前がここにいる?その娘は?」
「緋埜さん!?」
「なんで、あんたらが一緒にいるんだよ!」
いきなりの再会に、お互いの状況を忘れて、男2人が呆然としている間に、女性―マリア・
アルカード―が、麻桜の様子を見て、指示を出す。
「この近くに村は!?」
「俺達が、世話になってる所が…」
「急ぎなさい!破水しかけてるわ。このままじゃ、危険よ!」
その声に、彼らは村への道を急いだ。
「どういうこった?あれは、弦麻の娘だろう。なんで、お前と一緒にいるんだ?」
「あんたこそ、なんでマリア先生と一緒にいるんだよ」
かつての師匠の言葉に、京一は問いで返す。
「俺が聞いてるんだぞ、この馬鹿弟子」
神夷 京士浪の言葉に、京一は横を向いた。
「まさか、お前が父親じゃないだろうな」
「悪いかよ。俺が父親じゃ」
ムスッとしたまま、京一が答えた。
「悪いかじゃねぇ!何考えてやがる!臨月の娘をあんな森の奥に連れてくなんざ、てめぇに
は、常識がねぇのか!何かあったら、どうするつもりだ!!」
「何を騒いでるの」
2人の言い争いをとめたのは、奥の部屋から出てきたマリアだった。
「先生、麻桜は!?」
「大丈夫、今は落ちついてるから。後は、生まれてくるのを待つだけよ。たぶん、時間が
かかるから、詳しい話を聞かせてちょうだい」
「そうだな。ゆっくり聞かせてもらおうじゃないか」
「ここじゃ駄目かよ。麻桜の傍についててやりたいんだ」
「判ったわ」
京一は、これまでの事を話して聞かせた。
「そう、アナタ達、結婚したの。おめでとうって言うべきなのよね」
「まったく、ガキの癖に色気づきやがって」
「先生こそ、なんでこいつと一緒にいるんだよ」
「目的地が、同じ方向だっただけよ。別に理由なんてないわ。それより、緋埜さんには、
ワタシがここにいた事は黙っていてちょうだいね」
「なんでだよ。マリア先生がいたって判れば、あいつ、喜ぶぜ」
「そうかもしれないけど、まだ彼女の前に姿を現す気にはなれないのよ」
「そりゃ、そうしろってんなら言わねぇけどよ。でも、本当にそれでいいのかよ」
京一の言葉に、あの頃の様にマリアは微笑んだ。
「いいのよ。じゃ、そろそろ行くわね。何処にいても、あなた達の幸せを祈ってるわ」
マリアはそう言って、歩いていこうとした。
「あ…あのよ。いてくれて、助かった。俺1人じゃ、どうなっていたか判らなかった」
少し照れ臭そうに綴られたその言葉に、こめられた思いを感じ取って、マリアは本当に
嬉しそうに笑った。
「あなた達の子供にいつか会える時を楽しみにしてるわ」
彼女は、そう言って立ち去っていった。
「さて、俺もいくか。まだ、あちこち見て回りたいからな」
京士浪も荷物を抱えて、歩き出そうとした。
「いいか。必ずあの娘を幸せにしてやれよ。お前には、その義務があるんだからな」
「それ位言われなくても、判ってるんだよ」
その言葉に、京士浪は何とも言えない表情を浮かべた。
「まったく、いっちょ前の口聞くようになりやがって」
「俺だって、いつまでもガキのまんまじゃねぇよ」
「せいぜい、護っていけるよう頑張りな」
その言葉を残して、京士浪も去っていった。
それから、しばらく時間が流れて、静まり返った家の中に、泣き声が響いた。
「!」
扉が開いて、長老が布で包んだ赤ん坊を抱いて出てきた。
「もう、大丈夫だ。麻桜も子供たちも元気じゃ」
「子供達?」
「双子じゃ」
抱いた子供を京一に見せて、長老は笑った。
「元気な可愛い女の子じゃ。麻桜を労ってやれ。こんな大仕事をやり遂げたんじゃ。
誉めてやっても、罰は当たらん」
長老に背中を押されて、京一は部屋の中に入った。
「京一」
何処か疲れきった表情を浮かべていた麻桜が、京一を見て微笑んだ。
「大丈夫か」
「うん、ごめん。心配かけて」
「馬鹿、お前、凄い仕事したんだぜ。ご苦労さん」
麻桜の髪をかきあげながら、京一は微笑んだ。
「あのね、ずっとマリア先生が励ましてくれてた気がしたの」
彼女は、少し哀しそうな表情を浮かべながら、微笑んだ。
「マリア先生が?」
「うん…ずっと手を握って、声をかけててくれたみたいな気がするの。可笑しいよね。
怨まれてても、仕方ない事したのに」
「先生だって、納得しての事だろう。お前の事、怨んだりしてねぇよ。先生の声が聞こえた
ってんなら、きっと何処かで見守ってくれてるんだよ」
「そうだと…いいな…」
疲れからか、麻桜の瞳が閉じられる。
「京一…」
「なんだ?」
「名前…考えてね」
「ああ、任しとけ。俺がしてやれる最初の事だからな。誇りを持てるような名前を考えて
やるよ」
「ん…」
自分の髪を梳く京一の指を感じながら、麻桜は静かな寝息を立て始めた。
「眠ったのか?」
京一は、彼女の頬に軽くキスすると、静かにその部屋を出た。
長老に抱かれていた赤ん坊たちは、スヤスヤと眠っていた。
「いい名前つけてやらなきゃな」
長老から、子供達を受け取って抱きかかえると、幸せそうに笑った。
新たにこの世に生まれ出でた命の重みを腕の中に抱えながら。