訪問編

 

「入れよ」

京一は、自分の暮らすマンションの扉を開けながら、麻桜の方に振り向いた。

声をかけられた麻桜は、少し離れた所に彼女にしては珍しくおどおどした表情を浮かべて

立っていた。

「どうしたんだよ」

「本当に、こんな格好で会いに来てよかったの?。初めて、お会いするのに…制服のままでよかったの?」

「かまやしねぇって、そんな事気にしたりしねぇから」

京一は、麻桜の腕を掴んで、室内に入っていった。

「帰ったぜ」

玄関で靴を脱ぎながら、京一は奥に向かって声をかけた。

その声に答える様に、奥から母親が出てきた。

「ずいぶん早く帰ってきたのね」

「話があんだよ。親父は?」

「居間で、TV観てるわよ。あら、このお嬢さんは?」

京一の後ろに立っていた麻桜を見て、母親は尋ねてきた。

「初めまして…あの、あたし…」

「俺の嫁さんだよ。俺、こいつと結婚して、中国行くから」

慌てて挨拶しようとする麻桜の言葉を遮って、京一はあっさり言った。

驚いて、京一を見る麻桜の前で、違う意味で驚いたらしい母親が奥に引っ込んでしまった。

「京一、あんな言い方…」

抗議しようとする麻桜の耳に、母親の嬉しそうな声が飛び込んでくる。

「あなた、うちのどら息子が卒業しただけじゃなくて、お嫁さんまで連れてきましたよ。

しかも、とっても綺麗なお嬢さん」

その言葉に、父親も玄関に出てきて、麻桜を見つめる。

「でかした!京一。よくこんな美人をものにしたな。褒めてやるぞ」

その言葉を聞いて、麻桜はこっそり溜息をついて、一人納得した。

(さすが、京一の両親だわ。常識を蹴倒してる…)

京一に聞いていた修行時代の話の中で、唯一疑問だった事が理解できたような気がした。

そして、さらに思った。

(龍山先生、有難うございます。あたしを常識の通用する養父母に預けて下さって…)

自分が少なくとも世間と折り合いをつけて生活をしてきた両親に育てられた事を、

麻桜は感謝した。

(だけど…。死んだ父さん達が生きてたら、きっと気が合ったんだろうな)

自分を身篭ったまま戦場に行った母親やそれを黙認した上に、彼の地での最終決戦まで、

自分を傍に置いて離そうとしなかった父親の事をふと思う。

「立ち話もなんだから、中に入りなさい」

「そうだわ、食事の用意、一人分追加しなきゃ。いっそ、外に食べに行きましょうか?

京一の卒業だけなら普通の食事でいいけど、お嫁さんがいるなら、御馳走したいわ」

「そうだな。母さん、すぐ出かける仕度しなさい。そうだ、知り合いの店に電話をして

予約を入れておこう」

その声で、麻桜は驚いて顔を上げた。

「いえ、あのそんなご迷惑は…」

麻桜が固辞しようとするのを遮って、京一の母は彼女の腕を引っ張った。

「いいから、入って。今日はお祝いなんだから」

嬉しそうな言葉と共に、麻桜は室内に上げられる。

「京一、あんたは飲物でも用意してあげなさい。ボケっとしてるんじゃないわよ」

バタバタと用意をしようと、自分達の部屋に入ろうとした両親に、京一が声をかける。

「あのよ、もう一つ言わなきゃいけねぇ事あんだ。それ聞いてからにしてくれねぇか?」

「なんだ?」

「俺の子いんだよ。夏過ぎに生まれる」

「京一、お前…」

さすがに、両親の顔色が変わる。

麻桜は、次の言葉が予想できて、京一の後ろに隠れた。

「母さん。嫁どころか、孫までいっぺんに出来たぞ」

「お祝いが二倍ですね。このお嬢さんの子供なら、きっと、可愛い孫が生まれるわ」

「あ…あのぉ?」

信じられない言葉を聞いて、麻桜が京一の背後から顔を出す。

「一つだけ確認しとくけど、京一?無理やり、このお嬢さんに手を出した訳じゃ

ないわね?振り向いて貰えなかったからって、襲ったりしたら、最低だからね」

「合意の上だよ!第一、こいつ相手にそんな真似したら、命が幾つあっても足りやしねぇ」

彼女の実力もさる事ながら、何よりおっかない親衛隊が彼女の周りにはいるのだ。

無理やり事に及んだら、その翌日には身元不明の死体が一つ転がっていただろう。

そう考えて、京一は背筋が寒くなった。思わず、彼らがいないかを確認したほどだった。

「なら、問題はないだろ。母さん、さっさと仕度しなさい。遅くなる前に、出かけるぞ」

父親は、それだけ言うと、嬉しそうな様子で部屋に入っていった。

「悪いな。なんか、勝手に話が進んで」

居間のソファに座っていた麻桜にジュースを渡しながら、京一は謝った。

「なんか、覚悟してたのと別の方向で疲れた気がする…」

麻桜は、心底疲れきった表情で、そう呟いた。

「普通、あんな反応しないと思うけど…」

「俺の両親、常識通用しねぇからな」

京一も疲れきったように、ソファに座り込んだ。

「京一から昔の話、聞いた時、疑問だった事があったんだけど、何となく判った気がする」

「なんだよ」

京一が、不思議そうな表情を浮かべて、麻桜を見た。

「まだ、小学生の京一が学校を休んでまで、修行できた訳…」

その言葉を聞いて、京一は『ああ』と短く答える。

「普通、小学生のしかも一人息子を何ヶ月も修行の旅に出したりしないよね」

「俺の両親は常識通用しねぇんだって…。だから、あんまり会わせたくなかったんだよな」

「京一、よくぐれずに育ったよね。あたしだったら、ぐれてたかも…」

気を落ちつけようと、麻桜は目の前に置かれていたジュースに手を伸ばして飲み干した。

「京一、出かけるわよ!早くいらっしゃい」

玄関の方から、母親の声が聞こえた。

「しゃあねぇ。行くか」

京一は、勢いをつけてソファから立ちあがった。

「まっ、一応、祝福してくれてるみたいだしな」

彼は、麻桜に手を差し出して、立たせる。

「うん」

 その後、連れていかれたレストランでの食事は和やかに進み、まっすぐ帰るという両親

と別れ、京一は麻桜をアパートまで送っていった。

「麻桜の両親に、挨拶しにいかないとな」

「連絡しとく。明日、兄さんが来るって言ってたし」

「じゃ、とりあえず兄貴に話すか」

段取りを決めようとした京一は、ふと、麻桜を見た。

「確認しとくけどよ、お前の所の両親、常識あるよな?」

「そんなに心配しなくても大丈夫よ。たぶん、世間と折り合いをつけようと努力はしてる

みたいだから」

「たぶんってのは、なんだ。たぶんってのは…」

「京一…」

「なんだ?」

頭を抱えて、立ち止まる京一の横で、麻桜は溜息混じりに一つの提案をする。

「あたし達は、普通の家庭作る様に努力しようね」

「ああ」

麻桜を玄関先まで送った後、京一は背を向けて帰ろうとする。

「珍しいわね。寄っていかないの?」

「今日は、止めとく。明日の朝、来るから」

「うん、判った。待ってるから」

自分を見送る麻桜の唇を軽く自分の唇と重ねると、京一は帰っていった。

その姿が見えなくなっても、麻桜はしばらく見つめていた。

やがて、扉を閉じて、部屋の中に入ると居間のフローリングの床に直接座り込む。

しばらく、そのままでいると、突然電話のベルが鳴り響いた。

「はい?」

『麻桜?俺』

さっき見送った京一の声が受話器から流れてくる。

「どうしたの?」

『言い忘れたけどよ、床に直接座り込むなよ。冷やしたりしたら…その…やばいんだろ?』

自分の身体を気遣う京一の言葉に、麻桜の口に笑みが浮かぶ。

「珍しいじゃない。そんな事まで、気がつくなんて」

言いながら、少し離れたところにあったクッションを手元に引っ張り、その上に座り直す。

『当たり前だろ。そんな事…』

少し照れたような京一の表情が、見える様だった。

「ありがとう…」

『馬鹿、何、礼を言ってんだ。それより、気をつけろよ』

「うん、判ってる。明日、待ってるから」

『なるべく、早く行くようにするからよ』

「うん」

『じゃあな』

短い会話の後、受話器の向こうから機械音が響き始める。

その事を少し寂しく思いながら、麻桜は受話器を元に戻した。

(ずっと、傍にいて欲しいけど…わがままだよね)

立ちあがって寝室から毛布を持ってきた麻桜は床に座り直して、毛布に包まる。

やがて、静かな寝息が聞こえてきて、部屋は夜の帳に包まれていった。

「お…麻桜!」

突然、聞こえた声に、麻桜はもぞもぞと起き出す。

目の前に、心配そうな表情を浮かべた京一が立っていた。

「あれ?京一、なんでいるの?」

「なんで、じゃねぇよ。どうしてこんなとこで寝てんだよ」

京一に言われて、麻桜は周りを見回した。

「あれ、もう朝?」

「やっぱり、帰るんじゃなかったぜ。なんで、こんな無茶するんだよ」

「すぐ、起きるつもりだったから…」

麻桜は、照れ臭そうに毛布を片付けながらそう言った。

「まったく、何の為に電話したと思ってるんだよ」

京一は、少し怒ったように言った。

「早めに来たら、鍵は開いてるわ、お前は、居間で転がってるわ。ったく…驚いたぜ」

「ごめん…心配かけて」

自分の言葉にうなだれる麻桜の表情に苦笑する。

「いいから、兄貴来る前に、着替えてこいよ。食事の仕度しといてやるから」

「うん」

寝室に入っていく麻桜を見た後、京一は台所に立った。

「京一…」

テーブルの上に並べられた料理を見た後、麻桜は信じられないものを見るように、

京一を見上げた。

「なんだ?」

「料理できたんだ…」

「当たり前だ。これくらい出来ないと今頃飢え死にしてるぞ。俺は」

椅子に座りながら、京一は答えた。

「京一はラーメンしか知らないのかと思ってた」

「毎食ラーメンばかり食ってるわけじゃないぞ」

目の前に並べられた料理に手を伸ばして、一口、口に運ぶ。

「おいしい…」

驚きに麻桜の眼が見開かれ、笑みを含んだものに変わる。

「なんだよ」

「京一、日本に帰ってきたら料理店開かない?儲かるよ」

「馬鹿、お前以外に食わすつもりねぇよ。第一、そんな面倒くさい事は嫌だね」

「こんなにおいしいのに、もったいないなぁ」

麻桜は本当に残念そうに言った。

「そんな事はいいから、さっさと食え。残したりしたら、承知しねぇぞ」

京一の言葉に、麻桜は食事を全部平らげる。

「ごちそう様」

麻桜は、箸を置くと使った食器を片付け様とした。

「俺がやるから、置いとけよ」

「京一…あのね、いい加減にしてよ。気遣ってくれるのは嬉しいけど、あまり大事に

されると、かえって良くないのよ。どうしても手伝って欲しい時は言うから、

甘やかさないで」

何もかもやろうとする京一を少し睨みつけると、麻桜は台所に立っていった。

「だってよ」

「あのね、京一。少しは動かないとこの子のためにも良くないんだからね」

麻桜は、それだけを言い置いて洗物を始めた。

京一は、不安そうに麻桜の背後を見つめながら、ソファに座って見つめていた。

何もする事がないのか、京一は足元に落ちていた雑誌を拾い上げて、目を通すが、

内容はほとんど頭に入っていなかった。

それでも、パラパラとページをめくり続ける京一の耳に、チャイムの音が届いた。

「兄さん、随分早かったのね」

麻桜が、玄関の扉を開けて、兄を室内に招き入れる。

「なんで、こんな早くからこいつがここにいる?」

居間にいた京一の姿を見て、悟はそう聞いた。

「まさか、泊めたんじゃないだろうな」

疑いの眼を京一に向けながら、悟は開いてる場所に座った。

「違うよ。心配して来てくれたの」

麻桜は、京一の隣にごく自然に座った。

その様子を見て、悟の眼が厳しくなる。

「…で、話ってのはなんだ?」

「明日、家に一度帰るんだけど…」

「親父とお袋が喜ぶだろうな」

「その前に、兄さんに話しておきたい事があって…」

「なんだ?」

悟は、胸ポケットから煙草を取り出して、火をつけた。

それを見て、京一が少し顔をしかめるが、悟は無視して煙草を吸いつづけた。

「彼と結婚したいの、だから…」

「おまえ、まだ18だろうが!」

「来月の初めには、19になるけど」

「年の問題じゃないだろう。第一、大学どうするんだ」

「休学する。一年間、京一と一緒に中国行くから、兄さんに、休学届預けたよね?」

「それは、一人で中国に行って、お前が墓参りをしたいと言ったからだ。こんないい加減

そうな奴と中国に行くのを認めた覚えはないぞ!」

「俺はいい加減かもしれねぇけど、こいつ…麻桜の手を離すつもりはないんだ。だから、

認めてくれねぇか?」

京一は、深く頭を下げてそう言った。

「こいつの事、幸せにするように努力する。だから、許して欲しい」

「兄さん、あたしは兄さんが反対しても、京一と一緒に行くって、決めたから。

それに、京一のご両親は、許してくれたの。子供も生んでいいって、言ってくれたわ」

麻桜は、京一に寄りかかりながらそう言った。

「子供…!?お前、この馬鹿に、何をされた!」

悟は、京一の襟首を掴んで締め上げた。

「何もされてないわよ!あたしが、望んだの!だから、その手を離してよ!!」

麻桜は立ちあがって、悟を怒鳴りつけた。

「京一は、あの闘いでずっとあたしを支えてくれたの!皆も支えてくれたけど、

それ以上に、あたしの事護ってくれたの!そんな京一の傍にいたいって言うのが、

そんなに駄目な事なの?」

「麻桜、これが普通の反応なんだから」

京一は、麻桜を落ちつかせようとする。

「…」

悟は、京一の事を渋々離した。

「お前、泣くような事になったら、どうするんだ!」

「その時は、京一の事、ぶちのめして捨てて帰ってくるに決まってるじゃない」

麻桜は、即答した。

「それ位の覚悟は、京一だって出来てるわよね」

「そうか。そこまで覚悟があるなら、好きにすればいい。ただし、俺は反対もしなければ

賛成もしない。俺の助けを当てにするような真似はするなよ」

「じゃ、京一と一緒に行って良いのね!?」

「どうせ、俺が反対した所で、お前は聞きゃしないんだろ」

「ありがとう!兄さん」

「認めたわけでも、許したわけでもないからな。麻桜が少しでも泣くような事があったら、

麻桜がお前を捨てる前に、俺がお前を殺すからな。その覚悟だけはしておけよ」

麻桜を抱きしめながら、悟は京一にそう宣言した。

「俺は、麻桜を手放すような真似は、絶対しない。こいつも、生まれて来る子供も、俺が

護ってみせる。それが、俺にできるたった一つの事だから」

京一の真っ直ぐな瞳を覗きこんだ悟は、帰ろうとして玄関に歩きかけて、突然振り向くと、

京一の腹部に拳を叩きこんだ。

「京一!?兄さん、いきなり何するの!?」

壁にぶつかった京一を見て、麻桜が抗議する。

「大事な妹に手を出されたんだ。これくらいは、当り前だ」

それだけ言い残して、悟は帰っていった。

「京一、大丈夫!?」

「…っつてぇ。さすがに、麻桜に手ほどきしただけあるな。狙いは正確だな」

「ごめん、兄さんが…」

麻桜は、京一を支えてソファに座らせた。

「気にすんなって。麻桜の事、それだけ大事に思ってるって事なんだから。殴られる位は、

覚悟してたさ」

「でも、こんなの」

「大丈夫だって。ちょっと、不意をつかれて油断しただけなんだから」

京一は、笑って麻桜の髪をなぜた。

「心配はいらねぇよ」

彼は立ちあがって、クッションの上に座り直した。

そして、麻桜の身体を抱き寄せた。

「少し、安心した」

「何が?」

おとなしく、京一の腕の中に収まりながら、麻桜が尋ねる。

「お前の家族、常識通じるって判ったから」

ゆるく麻桜の身体を抱きながら、京一はそう言った。

「まだ、心配してたんだ?」

「あったりまえだろ。俺ん所みたいな両親がもう一組いるなんて、俺、嫌だからな」

「…」

麻桜は彼の胸に凭れて、可笑しそうに笑った。

「なんだよ」

「京一にも怖いものあったんだ」

「当り前だ。俺だって怖いものくらいあるぞ」

「へぇ、何?」

「教えねぇ」

「良いじゃない。教えてよ」

「絶対、教えねぇ」

(言えるわけないだろう、本人を目の前にして…。一番怖いのは、麻桜が離れていく事

だなんて)

京一は、話を逸らす様に、さっき床に置いた雑誌を拾い上げて、読み始めた。

「けちぃ」

麻桜は不貞腐れて、京一から離れた。

「いいわよ、別に教えてもらわなくたって…」

麻桜は、そのまま台所の方に行ってしまった。

「本当に判らないのかよ」

その後姿を見ながら、京一は小さく呟いた。

二人の間に、気まずい雰囲気が流れ始めた時、電話が鳴り響いた。

「はい?…え?」

麻桜は受話器を取り上げ、相手の声を聞いた途端、慌てる。

「と…父さん!?」

麻桜の声を聞いて、京一は彼女の傍に近づいた。

「兄さんから、連絡いったんだ。うん、明日帰ろうと思って…え?今、東京駅!?」

その言葉に、二人は顔を見合わせた。

「駅って、母さんも一緒なの?う…ん、判った。新宿についたら連絡ちょうだい。

迎えに行くから」

それだけ言うと、麻桜は受話器を戻した。

「兄さんが連絡したみたい。父さん達、今、東京駅についたって…」

「ずいぶん、早いな」

「たぶん、連絡受けてすぐ出てきたんだわ」

京一の傍に来た、麻桜も困惑の表情を浮かべていた。

「どうするの?」

「どうするって、会うしかないだろう。明日には行くつもりだったんだから」

「本当にいいの?」

「当り前だろう。何の為に、俺の両親やお前の兄貴に、会ったと思ってんだ」

「後悔…しない?」

麻桜の消え入りそうな小さな声に、京一は彼女の身体を抱きしめた。

「俺がそんな真似するわけないだろう」

不安そうな表情を浮かべる麻桜を宥める様に、耳元で低く呟いた。

「そんな不安そうな顔するなって」

そう言って、京一は麻桜の唇と自分の唇を重ねた。

唇を離した京一に麻桜は軽く抗議をした。

「ずるい、すぐにこうやってごまかして…」

「そんなはずないだろう。俺が麻桜をごまかす事なんてできるわけないんだから」

麻桜の髪の毛を軽く掻き回すと、京一は立ちあがった。

「何処か行くの?」

「お前の両親に会うのに、このままじゃまずいだろう。一度、家に帰って着替えてくる」

「そんな事、気にしなくていいよ」

麻桜は京一を引き止めた。

「それに、もう来るし」

麻桜が時計を見た時、再び電話が鳴った。

「ほらね」

麻桜は、受話器を取り上げると話し始めた。

「うん、じゃあ、迎えに行く。待ってて」

受話器を戻すと、麻桜は上着を着こんだ。

「迎えに行ってくるから、留守番してて」

「一緒に行く」

京一も椅子にかけてあった上着を着ながら、そう言った。

「俺が一人で留守番してるわけにいかないだろう」

二人は外に出て、駅への道を歩き出した。

そこで、待ち構えていた麻桜の両親と落ち合い、部屋に戻って来た。

向かい合わせに座っている4人の間に、気まずい雰囲気が漂っていて、誰も口を開こうと

はしなかった。

「あの…はじめ…」

雰囲気に堪えかねた京一が、口を開きかけた時、麻桜の父親が彼女を見て聞いた。

「一体、どう言う事だ?お前は、ここに何をしにきたんだ?」

「判ってるけど…でも、一人じゃ闘えなかったの。京一も、皆も、あたしの事助けて

くれて、だから」

「仲間を作るなというつもりはない。だが、子供を作れとは言わなかったぞ」

麻桜の父親は、京一を見ようとはしなかった。

「でも、あたし、京一の事、好きなの」

「軽々しくそんな言葉を口にするな。お前は、まだ高校を卒業したばかりだろう」

「…人を好きになるのに、年齢は関係ないと思う。俺は、彼女を大切にしたいと思ってる。

それだけじゃ、駄目なのか?」

京一は、麻桜の手を握り締めながら、はっきりとそう言った。

「じゃあ、聞くが、君はどうやって娘と娘の子を護っていくつもりだ?世の中は、そんな

に甘くはないぞ」

「それは…」

「麻桜は、これから大学にも行く。その進学費用や生活費をどうするつもりだ?

君は、それを稼ぐ事ができるのか?」

現実を突きつけられて、京一は少し黙り込んで、すぐに考えながら口を開いた。

「俺にどれだけできるかなんて、今ここではっきり言えねぇけど、できるだけの事はする。

麻桜をこれ以上泣かしたりしたくないから」

京一は、そこまで言って、一度麻桜を見つめる。

「だから、認めて欲しい。俺には、こいつ…麻桜が必要だから」

そう言うと、京一は頭を深く下げた。

「父さん、お願い。あたし、彼と離れたくないの」

麻桜は、同じように頭を下げる。

「このままだと、京一は一人で中国行っちゃうの。あたしも彼と一緒に行きたいの」

「中国なんて、麻桜…」

それまで黙っていた母親が、心配そうに口を挟んだ。

「子供を産むとしても、そんな知らない場所で…」

「京一がいてくれるなら、あたし、怖くないもの」

「だからって…」

両親が顔を見合わせた時、玄関のチャイムが鳴った。

麻桜は立ちあがって、玄関の方に行ってしまった。

京一は、まっすぐ麻桜の両親を見ていた。

少し慌てたような様子で、戻ってきた麻桜が何かを京一の耳元で囁いた。

「マジかよ?」

それを聞いた京一が慌てて立ちあがった。

「お邪魔するわね」

大きな紙袋を持って、京一の母親が入ってきた。

「な…何しにきたんだよ」

「決まってるでしょ。料理の材料とか色々持ってきたのよ。買い物とか大変でしょう。

それと赤ちゃんのものも少し買ってきたの」

彼女は、その時初めて座ってる麻桜の両親に気づいた。

「あら、こちらの方達は?」

「麻桜の両親だよ」

「まぁ、初めまして。この度は、うちのどら息子がそちらのお嬢さんと御縁があった様で。

何か一緒に中国へ行くとか」

「あの、そちらではお許しになられてるんですか?」

「反対する理由なんてありませんもの。うちの息子も覚悟は出来てるようですし。もし、

お嬢さんを泣かすような事を仕出かしたら、遠慮なく殺すなりなんなり、そちら様の気の

済むようになさって下さい。よそ様のお嬢さんを連れて行くんです。それ位は当然だと

思いますから」

「あのなぁ、いきなりやって来て何を言い出すんだよ」

京一が母親の言葉に頭を抱えている横で、麻桜が頭を下げて微かに震えていた。

「麻桜?」

その様子に京一が不審に思った時、腕組みをしていた麻桜の父親がゆっくりと口を開いた。

「判った。そこまで覚悟があるなら、許そう。ただし、何かあった時の覚悟はしておくん

だな」

「奥様とは、お話が合いそうですわね」

麻桜の母も破顔してそう言う。

「よろしければ、うちにいらっしゃいません?主人もおりますし」

京一の母の誘いに、麻桜の両親は立ちあがった。

「せっかく、東京に出てきたんですもの。どうせなら、色々見て回りません事?」

「それはいい考えですわ。私達も久し振りに帰国しましたから、あちこち見てみたかった

んですの」

「是非、ご一緒させて下さいな」

「後は、二人に任しておけば大丈夫でしょう。私達は書類にサインすればいいだけです

からね」

3人は、和やかな雰囲気でアパートを出ていってしまった。

「…何だったんだ?いったい…」

その後姿を見ながら、京一は呆然とその後姿を見ながら呟いた。

「賛成してくれたんだと思うよ。それにしても、京一のお母さん、いいタイミングで来て

くれたわ。絶対、引きずられると思ったのよね」

「お前の両親、常識あるんじゃなかったのか?」

「世間に対して、猫被ってるだけよ。言ったでしょう、折り合いをつけようとしてるって」

麻桜は困った様に笑みを浮かべて、そう言った。

「じゃあ、あの態度はポーズかよ」

「京一が、普通の家の人間だと思ってたから、体裁整えようとしただけだと思う。

一応、ふつうの反応をしとかないと、格好つかないとでも思ったんじゃない?」

「常識あんのは、お前の兄貴だけかよ」

「いいんじゃない?賛成してくれたんだし、それにしても…」

麻桜は、京一の顔を見上げて笑った。

「大変だね、京一。あたしを泣かせたら、殺されるんだね。死刑判決受けたようなもの

じゃない?」

「そんな真似すると思うか?」

京一は、麻桜を真っ直ぐに見つめて、そう尋ねた。

「ううん」

麻桜は京一の胸に顔を埋めた。

「京一の事、信じてるからね」

「当り前だ」

京一は、麻桜の背中に腕を回しながら、そう答える。

「絶対、幸せにするように努力する。後悔なんてさせねぇから」

「うん」

麻桜は、瞳を閉じて、その言葉を聞いていた。

「あたしも、京一が幸せでいられるように努力するから」

その答えを聞いた京一は、麻桜の唇にそっと自分の唇を重ねる。

二人の身体が重なる影がカーテンに映る。

風がカーテンを舞い上げて、恋人達の姿を覆い隠す様に踊りつづけていた。

 

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