IF 外伝

 

人の一生なんて、あっという間に過ぎる。ましてや、俺のような者の前では、それこそ

瞬きしている間に過ぎるようなものだ。

あの時の約束を果たす為に、俺はこの土地にずっと留まって来た。

そして、あの女性と同じ強さを瞳に湛えたその少女が、ここにやってきたのは昨春

だった。

俺は、少女―緋埜 麻桜―を見た時、昔の事を思い出した。

だが、その少女は無事に真神を卒業して行く。

彼女の周りで、巻き起こった事態は片付いたらしく、誰も倒れる事なく終わったらしい。

『あの時とは、違うと言う事か…』

俺は、いつもと同じように煙草をふかし始めた。

「犬神先生」

満開の桜の下で、ぼんやりとしていた俺の背後から、呼びかける声がして振り向いた。

まったく気配を感じなかった事から、俺はその声の主を知る事が出来た。

「緋埜か、どうした?」

短いその問いに、彼女は笑いながら答える。

「一年間、お世話になりました。お礼が言いたくて、お探ししてたんです」

卒業証書を入れた筒を持った手とは、反対側の手を差し出しながら彼女は

そう言った。

「よく、卒業できたな」

俺の皮肉を込めた言葉は、彼女にと言うより、彼女の背後にいる人間に向けられた

ものだった。

「悪かったな…」

後ろにいた若者―蓬莱寺 京一―が憮然として呟いた。

俺は、シニカルな笑いを浮かべた。

もし、彼女達が、あの時の『彼ら』の生まれ変わりだとしても、そんな事は何の関係も

ないらしい。

現在の彼らの時を生きているのだろう。

もっとも、彼女らは『あの時』の記憶を覚えてないらしいが…。

「どうかしましたか?」

「ああ…なんでもない。それで、緋埜は、大学に進学として、蓬莱寺、お前はどうするん

だ?」

何気ない問いのつもりだったが、二人は顔を見合わせて少し困ったような表情を

浮かべる。

「どうした?」

「あの…、犬神先生。あたし、一年間、休学して、京一と中国へ行こうと思ってるんです」

思いもかけない言葉に、俺の手から煙草が落ちる。

「人生を捨てるつもりか?緋埜」

蓬莱寺と一緒に中国へ行く?それが、どれだけ無謀な事か果たして理解してるんだろうか?

「せっかく、生き残って、無事卒業もできたんだぞ。なんで、そんな真似をする必要が

ある」

俺は、柄にもなく教師らしい事を口にした。

「うるせぇんだよ」

蓬莱寺が呟いたのが聞こえたのか、緋埜が背後を振り向いた。

「京一!そんな口の聞き方、ないでしょう」

「…だってよぉ…」

「いいかげんにしなさい!いつまでもそんな事言ってると、あたし、一緒に行くの止めるよ!それが、どういう事かわかってる!?」

緋埜の一喝で、蓬莱寺は黙り込んだ。

「大丈夫です、犬神先生。京一だって、そんなに無茶な事しません。これ以上の無茶

なんて、しようがないですから」

緋埜は、そう言って笑った。

「それに、京一には責任取ってもらわないといけないから」

その言葉に、蓬莱寺が少し慌てた。

「麻桜!お前、いきなり、何言い出すんだ!」

「あら、本当の事でしょ?それとも、京一?責任ないなんて言うつもりじゃないわよね」

「そんな事言うつもりねぇけどよ。何も犬神にまで言う事ねぇじゃねえか…」

「いいじゃない。どうせ、そのうち知られるのよ?今、言ったって同じよ」

「お前達、一体何の話をしてるんだ?」

話の内容が見えて来ず、俺は口をはさんだ。

「犬神先生、卒業式終わったから、もう、校則は関係ありませんよね?」

「ああ…一応な」

何を言い出すつもりか判らずに、俺は緋埜と蓬莱寺の顔を見比べた。

「あたし、京一の子供いるんです」

その時、俺はどんな顔をしていたのだろうか?さぞかし、間抜けな表情を浮かべて

いたか、反対に無表情かのどちらかに違いない。

「緋埜、お前…それで本当にいいのか?」

「あたし、京一を愛してますから」

俺の問いに、緋埜は即答した。

彼女の答えを聞いて、蓬莱寺が照れくさそうな表情を浮かべた。

「お前が、それでいいなら構わんが…。それで、これからどこかに行くのか?」

何か、会話するのが馬鹿馬鹿しくなってきて、俺は話題を変えようと試みた。

「京一のご家族に会いに行こうと思ってるんです」

緋埜は振り向いて、蓬莱寺の方を見た。

「久しぶりに、家にいるって言うからよ。だったら、紹介すんのに、ちょうどいいと思って

な」

蓬莱寺は腕組みをしながら、呟いた。

「何にも言わずに連れてくような卑怯な真似したくねぇからな。それに、こいつと子供を

護らないといけねぇし」

その言葉を聞いて、緋埜が嬉しそうに笑っていた。

現在が、幸せならいいだろう。『あの時』とは、違うと言う事だ。もう二度と

『あの時』のような嘆きを見るのも…ましてや、味わうのはごめんだ。

「もう、いいだろう。行こうぜ」

蓬莱寺の声に、緋埜が軽く頷いた。

「それじゃ、犬神先生。失礼します」

軽く、俺に向かって頭を下げると、二人は去っていこうとした。

その後姿を見ながら、俺は新しい煙草に火をつけた。

「そうだ。犬神先生」

緋埜が走って戻ってきて、俺に声をかける。

「どうした?」

「言い忘れた事が、あって…」

彼女は、俺の事をまっすぐに見つめた。

「なんだ?」

「約束…守って下さってありがとうございます。この地を見守って下さった事、

感謝します」

「何…?」

言っている意味が、それこそ判らなかった。まさか…緋埜は思い出しているのか?

「もし、先生がご迷惑でなければ、また、約束して頂けますか?これから未来、もし何か

あったら導いてくださると」

「緋埜…お前…いつから…」 

その問いには、緋埜は笑って答えなかった。

「今のあたしは、『緋埜 麻桜』ですから。葵達と話し合って決めたんです。昔を気に

するのは、止めようって。だけど、犬神先生には、一言お礼を言っておきたくて」

それだけを短く言うと、彼女は離れた場所に立っている蓬莱寺の方へ走っていった。

ふざけあいながら、去っていく彼らを見ながら、知らず知らずのうちに、俺の口元に

微笑が浮かぶ。

彼女なら、決して過去に縛られる事なく、現在を生きていくのだろう。

自分の信じた道を今まで通り鮮やかに、信じた仲間たちと一緒に。

きっと、どんな困難が降りかかっても負ける事はないだろう。

俺は、その事を信じて、満開の桜を見上げた。

俺は、後何回この桜を見る事になるのだろう。新たな約束を果たす為に…。

 

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