クリスマス編(京一バージョン)

 

柳生に斬られた麻桜が入院して、5日。彼女の回復力は、周囲の人間が驚くほどで、

今日退院すると、高見沢から、昨日帰りに教えられた。

いつもより、早く眼を覚ました俺は、壁にかけてあったカレンダーを見上げた。

明日の所に、『クリスマス』と印刷されている。

(今日は、イブか…)

当然の事を考えながら、俺はベッドを出ると、のろのろと制服に着替え始めた。

(麻桜…誘いてぇけど…無理だろうな。今日、退院するのに無茶できないだろうし)

「でも、もしかしたら…イブだって事に触れねぇで、迷惑かけた詫びって言えば、少し位ならつきあってくれるかもしれねぇな…」

そこまで呟いて、俺は自分がどんなに情けない事を考えているかに気づいて、制服のまま

再びベッドに転がった。

(何、馬鹿な事考えてんだ。麻桜は、俺の大事な相棒で…第一、俺達はそんな関係

じゃねぇのに)

俺は、俺の事を相棒だと認めてくれている唯一の女の顔を思い浮かべた。

彼女が入院している間に、俺はある事で落ち込んで、周囲の事を考える事が出来なかった。

仲間がこれからの事を不安に思いながらも、それを隠して闘いに臨もうとしていた時に、

俺だけが自分の事しか考えていなかった。

自分でも、気づいてなかった事に気づいて、その事にどう対応していいかすら、

判らなかった。

麻桜の事を一人の女として想っていると自覚したのは、二人きりで話した夜の事だった。

眼の前で眠っているあいつを見て、何を考えたのか、俺は麻桜にkissしようとした。

その時は、麻桜の苦しそうな息遣いで、我に返って…思いとどまる事ができた。

もし、それがなければ、俺はそれだけで止まる事が出来なかったかもしれない。

そうなれば、俺達の関係は修復する事すら出来なくなっていただろう。

麻桜との関係を壊したくなくて、俺はこの想いを隠し通そうと思った。

今まで背中を預けて闘ってきた相棒としての関係まで、なくしたくなかった。

麻桜は、俺にとって、何処にでもいる女ではなくて、特別な女だったから…。

それでも…。

(せめて、今日くらい…普通の高校生みたいにイブを楽しんだって、悪い事じゃねぇよな)

俺は意を決して、起き上がると机に立てかけてあった木刀入りの袋と床に転がしてあった

殆ど中身の入っていない鞄を持って家を出た。

そのまま、まっすぐに桜ヶ丘中央病院に向かう。

診療開始時間前と言う事もあって、ガランとした病院内は、何時もと違う雰囲気を見せて

いた。

入院施設の一番奥まった所に、麻桜の病室はある。

一度、深呼吸をして気持ちを落ち着かせた後、ドアの取っ手に手をかけて横に引く。

「京一?どうしたの?こんな時間に」

室内では、ベッドの横に立ってスポーツバッグに荷物を詰めていた麻桜が、驚いた様に

俺を見る。

「学校は?」

「これから行く」

麻桜から少し視線を逸らして、俺はぶっきらぼうに答えた。

「そんな事より、今日…退院だって?」

「うん、傷も塞がったし、もう大丈夫だろうって岩山先生も言ってくれて。

自分でも驚いてるんだけど」

麻桜は、そう言って笑った。

「あのよ…。色々、迷惑かけちまったし…詫びって、言ったらなんだけどよ。

ラーメンでも食べに行かねぇか?奢るからよ」

言ってから、俺は自分の台詞の間抜けさに後悔する。

今日はイブだぜ?なのに、ラーメンなんて、ムードも何もあったもんじゃねぇか。

俺は、食いもんはラーメンしか思いつかないのかと情けなくなった。

案の定、麻桜は困った表情を浮かべて、俺を見ている。

「いいよ、そんな…あたしの方が心配かけたんだから、気を使わないでよ」

「退院祝いに、俺が奢りてぇんだ!授業が終わったら迎えに来るから待ってろよな!」

「う…うん」

こうなったら、押し通すしかないと思って、無理やり麻桜に約束させる。

彼女は訳が判らないまま頷いてくれて、それを見た俺は慌てた振りをして、病室を出る。

情けねぇ、イブのデートのつもりで誘いに来たのに、ラーメン屋なんて…これじゃ、いつもと

変わらねぇじゃねぇか。

溜息をつきながら、学校への道を歩いていた俺の肩を思いきり叩いた。

「痛ってぇな!何す…ゲっ、アン子!?」

そこには隣のクラスで新聞部部長のアン子が立っていた。

俺の反応に、アン子はムっとしたようだった。

「なんで、お前がこんな所にいるんだよ?

「当たり前じゃない。ここは,あたしの通学路よ。あんたこそ、こんな所で何してんのよ?

麻桜のお見舞い?」

「悪いかよ」

「麻桜、今日退院できるんでしょう?良かったじゃない」

だから、どうして俺が昨日知った事を、お前が知ってんだよ。

「それにしちゃ、浮かない顔ね?ははーん、大方デートを申し込んで、断られたんでしょう。

やっぱり、日頃の行いがものを言うのよね」

「うっせぇな。断られてなんかねぇよ」

「じゃ、なんでそんな浮かない顔してんのよ。やだ、あんたまさか、いつもの調子で

ラーメン食べにいこうなんて言ったんじゃないでしょうね」

だから、なんでそんな所だけ、お前はカンがいいんだよ。

アン子は、呆れた様に口元を手で押さえながら、俺を見ていた。

「いやだ。信じられない。せっかくのクリスマスよ?イブよ?もう少し、ムードのある所を

選びなさいよ。まったく、デリカシーに欠けるんだから」

「しょうがねぇだろ、それしか思いつかなかったんだから」

「…ったく、しょうがないわね。あんた、遊び歩いてる様に見せてるけど、本当は凄く

奥手だものね。よろしい。このアン子様が、ムードのあるスポットを2、3か所教えて

あげるから、必ず行くのよ」

アン子は、鞄の中からノートを取り出して破くと、何かを書きとめて俺におしつけた。

「いい?ラーメン屋で帰るような真似をしちゃ駄目よ?そんなの健全な高校生のクリスマス

デートって言えないんだから」

アン子は、楽しそうに俺を煽った後、そのまま歩いていってしまった。

俺は、その後姿を見ながら、彼女に押しつけられたノートの切れ端を持ったまま、

その場に立っていた。

それから、俺はそこに書かれた場所を見て、顔をしかめる。

そこには、いかにも普通の女が喜びそうな場所が記されていた。

(麻桜が、こんな所を喜ぶとでも思ってんのか…。あいつは…)

情報屋の癖に、どうして麻桜の性格を把握できないんだろう。

俺は、そんな事をぼんやりと考えながら、学校へ向かった。

 つまらない授業が終わり、教室を出ようとした俺の耳にクラスの女どもの会話が

入ってくる。

「光のツリーでしょう。ムードあるよねぇ」

「絶対、彼氏と見に行くんだ。告白されたりして」

「それ、狙ってるくせにィ」

アン子に渡されたメモの一番下に、確かその場所が記されていた気がして、俺はメモを

見直す。

(ツリー見に行くくらいなら、良いかもしれねぇな)

麻桜もそれなら喜んでくれるかも知れないし、そんなに長居しなけりゃいいだろう。

桜ヶ丘に向かいながら、俺はそこに行く事を決めた。

 麻桜が入院で使った荷物を、彼女の暮らすアパートに置いた後、俺達は新宿通りを

歩いていた。

何時にもまして、人であふれかえっていて、その事をぼやく俺を見て、麻桜は苦笑した。

俺が、今日は何の日なのか忘れていると思ったらしい。

その誤解をとくつもりは、俺にはなかった。

そんな特別な日でなくとも、俺は麻桜が退院するなら誘っていただろうから。

麻桜に、そんな事を知られたくなくて、俺は今その事に気づいた振りをした。

そんな俺を見て、麻桜がおかしそうに笑った。

いいさ。麻桜が笑っていてくれるのが、俺にとって一番嬉しいんだから。

例え、それが俺の傍でなかったとしても…。そんな偽善的な事を考えていた俺は、

ふと思いついてデパートの前で足を止めた。

麻桜に、プレゼントの一つでも選ぼうと思ったからだった。

彼女をその場に残して、俺は店内に入っていった。

店内もクリスマス用にディスプレイされていて、物凄くきらびやかになっていた。

そんな中を歩きながら、俺は一体何を選べば、麻桜が喜ぶか判らず、悩んでいた。

小物を扱っているコーナーで、俺はふとあしを止めた。

色とりどりのリボンが売られており、俺はその中の一本のリボンを手に取った。

麻桜が、何時も同じ紐で髪を結んでいるのを思い出して、これなら喜んでもらえるのでは

ないかと思った。

光沢のある真珠色のリボンは少し高かったが、麻桜に一番似合いそうな気がして、それを

買ってプレゼント用に包んでもらう。

ついでに、この間知り合った坊主にやろうとトレーナーを買った。

急いでデパートを出た俺は、麻桜がいないのに気づいて、慌ててその姿を探す。

(まさか、帰っちまったんじゃないだろうな)

そう思った俺は焦ったが、路地裏に麻桜の『気』を感じて、その場所に向かう。

そこには、麻桜と藤咲、そして、地面に倒れているチンピラがいた。

「麻桜!」

焦った俺の声が聞こえたのか、麻桜が振り向いた。

「いないから、驚いたぜ。…って、藤咲、なんでお前がここにいるんだよ」

「ご挨拶だね。あたしがここにいちゃいけないのかい?」

少しムッとしたらしい藤咲は、しかし麻桜に気づかれないように俺に耳打ちをする。

「麻桜に馬鹿な真似したり、泣かせたりしたら、承知しないよ。よっく、覚えとくんだね」

こいつも、所詮、麻桜の事を大事に思ってる一人だからな。

ひょっとしたら、麻桜を狙っているヤローどもより、同性なだけが悪いかも知れねぇ。

「…」

俺が返す言葉を探しているうちに、麻桜と短い会話を交わした藤咲は、雑踏の中に姿を

消した。

「…行こうぜ」

何時も行くラーメン屋は、さすがに今日ばかりは閑古鳥が鳴いていて、俺達は待たずに

食事にありつく事が出来た。

俺の横で、ラーメンを食べている麻桜は、久しぶりの普通の食事に嬉しそうな表情を

見せていた。

「餃子も食うか?」

「うん!」

麻桜は、俺の顔を見て頷いた。

「岩山先生には悪いけど、病人食ばかり続いてたから、少しウンザリしてたんだ。ここの

ラーメンがすっごく食べたかったの」

麻桜は本当に嬉しそうで、それを見ている俺も何か幸せな気持ちに包まれた。

食事をしながら、色々な話をした。闘いの事以外の…学校の事や仲間達の噂話をしながら、

普通の高校生の様に過ごしていた。

食事が終わって、店を出た時、雪が降り始めていた。

「綺麗…」

雪を受け止めるように掌を差し出す麻桜を見て、俺は彼女の方が綺麗だと思っていた。

しばらく、麻桜を見つめていた俺は、ポケットの中の包みに触ってから、彼女に声を

かける。

「麻桜、ツリー見に行かねぇか?」

「こんな所にあるの?」

「ああ、イベント用の物だろうけどな。この近くにあるって、アン子達が騒いでた」

そう言って、俺は麻桜の腕を掴んで歩き出した。

「ここらへんだって、聞いたんだけど…ああ、あれか」

高いビルとビルの間に、巨大なクリスマスツリーが飾られていた。

「凄い…こんな大きなツリー初めて見た…」

麻桜は驚いた様に、ツリーを見つめていた。

「そうだ。麻桜」

俺は思い出したような振りをして、ポケットの中から包みを取り出して、麻桜に渡した。

「何?」

「クリスマスに、プレゼントもなしってのは、あんまりだろう?…かと言って、

何が欲しいかなんて判らねぇから、たいしたモンじゃねぇけどよ」

俺は、麻桜から視線を少し逸らすようにして、そう言った。

麻桜が、俺の横で袋の中身を確かめている気配がした。

「これ…」

リボンを見た麻桜の戸惑った気配が、伝わってくる。

「お前、いつも同じ紐で髪を括ってるしよ。たまには、違うので結んでもいいんじゃねぇかと

思ってよ」

「ありがと、嬉しいよ」

麻桜は、いつもと違う笑みを見せた。

彼女のそんなはにかんだような笑みを見たのは、初めてだった。

ほのぼのしたものを感じて、俺も笑った。

冷たい風が吹いて、麻桜の首筋が寒そうに見えて、俺は心配になった。

「寒くねぇか?」

「うん、平気」

そう答える麻桜の首に、俺は自分がしていたマフラーを巻いた。

「え…」

「首筋…寒そうだからな」

「え…京一は?」

「いいんだよ、俺は。いいから、してろよ」

「うん」

麻桜は、また嬉しそうに笑った。

俺達は、その後ゆっくりと歩いて、麻桜の住んでるアパートの前にやって来た。

雪は、何時の間にか止んでいた。

「コーヒーでも、飲んでく?寒かったでしょう」

俺は、麻桜に誘われるまま、彼女の部屋に入った。

しばらく主の帰ってこなかったその部屋は、しかし彼女の『気』が隅々まで染み渡って

いて、暖かな雰囲気を感じる事ができた。

一人暮しにしては、広すぎるその部屋の居間の床に直接座り込んで、俺は室内を見回した。

前に来た時は、ほとんどの仲間がこの部屋に来て、宴会をやったんだったな。

その事を思い出して、俺は苦笑した。

そんな事を考えていた俺に、麻桜がコーヒーカップを渡してくれた。

「なぁ、今日つきあってくれたけどよ。本当に良かったのかよ。俺と一緒で…」

そう問いかける俺に対する麻桜の答えは、思いもよらないものだった。

俺の手から、カップが滑り落ち、砕け散ったが、そんな事に俺はかまいはしなかった。

俺は、激情をそのまま、麻桜にぶつけた。

だが、麻桜は俺の言った言葉を全て否定した。

彼女は、全てを受け止めてそれに立ち向かおうとしていたのだった。

何を言ったところで、麻桜の意思を変えることなど出来ないのを理解した俺は、

麻桜を抱き締めた。

ただ、俺の大事なものを失いたくないという気持ちしかなかった。

麻桜は、そんな俺の気持ちを受け止めてくれたが、最初は受け入れてくれようとは

しなかった。

自分が、俺を逃げ場所にしているようで、嫌だったらしい。

そんな事がありえるわけもなく、俺は最後まで麻桜を抱いた。

黄龍に麻桜を奪われたくなくて、無理に抱いたにもかかわらず、彼女は俺を求めてくれた。

そんな信じられないような時間を、俺は過ごす事ができた。

何度も迎えてきたクリスマスの中で一番嬉しくて…でも、一番哀しい気持ちも感じて

しまった日でもあった。

そんな想いを胸に抱いた俺は、麻桜を自分の腕の中に抱きしめながら、眠りにつく。

彼女を必ず護る事を心の奥で誓いながら。

 

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