次の日の午後、葵と一緒に如月の店を訪れた麻莉菜は、奥に通された。

「でね、これがお土産なの」

「気を使わなくてもよかったのに」

手渡された紙包みを見て、如月は苦笑した。

「だって、色々教えてもらったし…これは朱日さんの分なの。渡しておいてくれる?」

「ああ、預かろう。確かに彼女に渡すよ」

麻莉菜から手渡された包みを、彼はタンスの上に置いた。

「そう言えば、皆は?」

「ああ、もうすぐ来るだろう」

如月がそう言って、表の様子を伺った時、引き戸が開いた。

「ヒスイ、遊びに来たヨ」

陽気な声がして、アランが入ってきた。

「もう少し、静かに入って来れないのか」

その声に答える様に、如月は立ち上がった。

「OH!マリナとアオイもいるネ。ボク、トテモ嬉しい」

二人の姿を見たアランは、嬉しそうに彼女達に近づいた。

「こら、いい加減にしろ」

如月が3人の間に割って入る。

「この店で、揉め事を起こすな。飲物を持ってくるから、おとなしくしてるんだぞ」

それだけを言い含めて、彼はその場を離れた。

「あ、そうだ。アラン君、これ修学旅行のお土産なの」

麻莉菜が横においてあった紙袋から、包みを取り出してアランに差し出した。

「OH!ボクにクレルですか?」

「皆にも買ってきたから…」

テンションの高いアランに後ずさりながら、麻莉菜がそう言った。

「ソレデモ嬉しいネ。コレ、ボクからのオ礼ネ」

そう言ったアランは、麻莉菜に近づいて、その唇にキスした。

「!?」

「アラン君!」

葵の声が響く中、驚いたように真っ赤になって眼を見開いた麻莉菜は、次の瞬間、真っ青

になった。

「麻莉菜…?」

葵が、麻莉菜を覗きこんだ途端、その両目から涙が零れ落ちた。

「ふぇ…」

「マリナ?」

「ふぇ〜ん!」

彼女は泣きながら、その場から走り去ってしまった。

「どうしたんだ?一体…」

声に驚いた如月が出て来た時、残された二人は呆然としていた。

「卯月サン、いるか?」

新しい来訪者の声に、如月は店の方に出ていく。

槍を収めた袋を抱えた雨紋と雪乃、それと雛乃が如月と一緒に座敷に入ってきた。

「今、麻莉菜サンが泣きながら走ってったけど、何かあったのか?」

「呼びとめようとしたけど、こっちに気づかなかったみたいだぜ。アラン、てめぇ、

麻莉菜に何かしたのか?」

雨紋の言葉に続けて、部屋の中のメンバーを見回した雪乃が、アランを睨みながら

そう言った。

「NO!ボク、ただオレイをしただけネ」

「どんなお礼だ?」

如月の声が氷のように響く。

「普通にオレイしただけネ」

「普通…?あれが?」

その言葉を聞いた葵が眉をひそめた。

「なるほど…普通でない事をやったんだな?」

その如月の言葉で、雪乃と雨紋は黙ったまま、持っていた袋から槍を取り出して、

アランに突きつけた。

「店を壊さない程度に頼むよ」

「心配すんな」

「少しは手加減してやるよ」

NO!」

店から逃げようとしたアランの目の前で、雛乃がピシャリと音を立てて引き戸を閉じる。

「お覚悟なさいませ。麻莉菜様を泣かせるなど、言語道断!」

逃げ場を失ったアランの顔色が一瞬にして蒼褪める。

「で?」

ぼろぼろになったアランに構わず、如月が葵に尋ねる。

「キスしたのよ。麻莉菜に」

「…」

その一言で、一旦治まりかけた怒気が膨れ上がる。

「随分、大胆な事をするじゃないか」

「馬鹿な奴…」

「蓬莱寺様がいらっしゃったら、このようなものではすみませんよ」

三者三様の言葉に、アランが反論する。

「ボクの国では、ただの挨拶ネ。何処がイケナイ?」

「ここは日本なんだよ!その事、よっく覚えとけ!」

雪乃の怒鳴り声が響く中、雛乃が麻莉菜の走り去った方向を見た。

「麻莉菜様、大丈夫でしょうか。御自宅にまっすぐお帰りになられればよろしいのですが」

「後で、連絡してみるわ」

「そうだな、その方がいい。美里さん、頼むよ」

葵の言葉に、如月は頷いてから、アランを睨んだ。

「アラン、しばらく闇討ちには気をつけるんだな。何が起こったとしても、自業自得だ。

助けを期待するなよ」

「闇討ち程度で、済みゃいいけどな」

如月と雨紋の言葉に、アランはうなだれていた。

その騒ぎから、数日たったある日の昼休み。

京一が荒々しく机を蹴り飛ばした。

「一体、何だってんだ!」

「落ち着け、京一」

醍醐が諌めようとしたが、逆に睨みつけられる。

「麻莉菜に嫌われるような事をしたんじゃないの?」

小蒔は、そんな京一に向かってそう言った.

「そんな事するか!」

「どうだか。そうでないなら、どうして麻莉菜が京一を避けるのさ」

ここ2,3日、京一の顔を見た途端、麻莉菜が逃げ出していってしまう。

最初は、気にしないようにしていた京一も、だんだん煮詰まってきていた。

「考えられる事は、二つだよね。遂に京一に愛想がつきたか、そうでなきゃ…他に好きな

人ができた。ま、その方が麻莉菜の為にはいいだろうけど」

「小蒔、てめぇ…俺達の幸せを祈ってるって言ったのは、ありゃ嘘か!」

「ボク、君の幸せより、麻莉菜の幸せを祈りたいな」

「てめぇ!」

「二人ともいい加減にしろ…」

醍醐が、二人を引き離そうとしたその横で、葵は何事かを考えこんでいた。

「まさか…あの事が原因なんじゃ…」

葵の呟きを小蒔が耳にした。

「何?葵、何か知ってるの?」

「え、ううん」

葵は、頭を振った。

「あ〜くそ!おもしろくねぇ!…俺、ふけるからな!」

京一は荒々しく教室を出て行ってしまった。

「しょうがないね、京一も」

そんな彼の姿を見て、小蒔は溜息をついた。

「まぁ、仕方ないだろう。緋月があの状態だからな」

その時、教師が入って来て授業が始まった。

(なんでだよ)

教室を抜け出して、屋上に来た彼は壁に凭れかかった。

「俺の事を嫌いになったんなら、そう言ってくれたらいいのによ」

声をかけようとした途端、逃げる様にして教室を出て行った麻莉菜の姿を思い出す。

「俺、何かしたのかよ」

理由が判らず、京一はかなり落ちこんでいた。

(訳判らねぇよ)

彼は、明るい色の髪をかき回した。

(本当に、俺の事…どう思ってるんだよ)

「お兄ちゃんのままなのかよ…麻莉菜…」

どうしようもない思いが心の中に溢れてどうしようもなかった。

そのまま座りこんで、空を睨みつけるように見上げる。

(俺、馬鹿なんだから…はっきり言ってくれた方がいいのによ)

夕暮れが辺りを染め始めた頃、生徒が帰った教室に京一は戻ってきた。

(麻莉菜も…帰っちまったよな…)

「はっきりさせないままなんて…俺らしくないよな」

置いてあった荷物を持って、教室を出ようとした彼は、突然開いた扉に立ち止まる。

「!」

「あ…」

目の前に大きく目を見開いた麻莉菜が立っていた。

「麻莉菜…って…こら、逃げるな!」

名前を呟いた途端、身を翻して逃げようとした麻莉菜の腕を掴んで、教室の中に引き摺る

ようにして戻る。

「や…やだ!京一君、放してよ!」

「放して欲しきゃ、理由を言えよ!なんで、俺を避けるんだよ!!」

「だって…京一君と顔あわせる事出来ないもの…」

「だから!なんで!」

自分から逃げようとしてじたばたと暴れる麻莉菜を、無理やり自分の方に向かせる。

「俺の事、嫌いになったのかよ!」

「ち…違うもん…。あたしが京一君にいけない事したから…」

「俺に?何をしたってんだ」

麻莉菜の言葉の意味が判らず、京一は聞き返す。

「京一君を好きなのに…他の人とキスするなんて…京一君に許してもらえる訳ないじゃ

ない!」

その言葉を聞いた京一の指に、力がこもる。

「…!」

「キスされたって…誰に!?いつそんな事された!」

「アラン君に…この前、お土産持ってた時…」

(あの野郎…!今度会ったら殺してやる)

相変わらず、自分を見ようとしない麻莉菜を見下ろす様に抱きしめた。

「麻莉菜が自分からキスしたのか?」

「そんな事しない!京一君以外の人とそんな事したりしない!」

麻莉菜は間髪いれずに叫んだ。

「だったら、いいから。麻莉菜が気にする事はねぇから」

涙を溢す麻莉菜を落ち着かせるように、頭を撫ぜた。

「それよりいいか。今度、誰かに同じ真似されたら、遠慮はいらねぇから殴り飛ばせ。

そうされて、文句言える奴なんていないんだからな」

(その前に、俺がぶち殺しに行くけどな)

京一はこっそり心の中で呟いた。

「京一君、怒ってないの?」

「麻莉菜は怒って欲しいのか?」

「…」

涙の溜まった瞳で麻莉菜は、京一を見上げた。

「判った」

京一は少し上を向いてから、回りを見まわして、麻莉菜の唇に自分の唇を重ねた。

「!」

麻莉菜の瞳が大きく見開かれて、顔が紅く染まる。

今までの軽いキスと違う、舌を絡め取られる濃厚なそれに身体の力が抜ける。

「ん…」

自分に寄りかかってくる麻莉菜を見ながら、彼は微笑んだ。

彼女の身体を支えながら、京一は唇を離す。

「なんか俺の方が得したみてぇだけどな。…それより麻莉菜」

「な…に?」

「お前、俺の事…どう思ってんだ?」

「どうって…」

「まだ…『お兄ちゃん』のままか?」

その言葉に、麻莉菜は驚いて顔を上げた。

そして少し考えながら答える。

「違う…京一君は『お兄ちゃん』じゃなくて…あたしの大事な人だから…」

少し恥ずかしそうに紡がれたその答えに、京一は再び微笑んだ。

「だったら、何かあったら逃げないで、俺の所に言いにこい。一緒に考えてやるから」

「うん」

京一に寄りかかったままの麻莉菜は、小さく頷いた。

「じゃ、帰ろうぜ。遅くなっちまったしな」

京一は麻莉菜の手を握って、教室を出ていった。

「京一君、あたしの側にいてくれる?」

「ああ、ずっといてやるよ。離したりしねぇから、覚悟しとけ」

帰り道の麻莉菜の言葉に、京一は笑って答えた。

「う…ん」

麻莉菜は少し眠たそうに小さく欠伸をした。

「眠くなったのか?」

「少し…」

「部屋に戻ったら、さっさと寝ちまえ」

「ん…」

彼女は眼を軽く擦ってから、京一に向かって微笑んだ。

「あのね…」

「なんだ?」

「前にも言ったけど…京一君の『気』って凄く安心できるの…。暖かくて、大好き」

「そうか?」

京一は少し照れた様に笑った。

「うん。京一君が部屋に来て帰るでしょう。そしたらね、『気』が部屋に残ってて

それだけで、安心できるの」

「それだけ、俺は麻莉菜に惚れてんだよ」

麻莉菜の髪の毛をかき回しながら、京一はそう言った。

「だからね…あたしも京一君にとって、そんな存在になれたらいいなって思ってるの…」

「麻莉菜はそのままでいいんだよ」

(俺にとって、もうなくてはならない存在なんだから)

「あれ?…おい、ちょっと、待てよ」

京一は、ある事に気づいて、麻莉菜を見下ろした。

「麻莉菜、お前…ここ2,3日寝てないんじゃねぇのか?」

「…うん…」

誤魔化しきれないと悟った麻莉菜は小さくうなずいた。

「ったく、何してんだよ。鍵よこせ。それから…ほら、おぶされ」

「え?」

自分に背を向けてしゃがみこんだ京一を、見つめた。

「部屋まで連れてってやるから、その間寝てろ」

「だって…そんなの恥ずかしいよ…」

「いいから!ごちゃごちゃ言ってねぇで早くしろ。恥ずかしいなら、これでも被ってろ」

京一は上着を脱ぐと、麻莉菜の頭からそれをかぶせた。

「で…でも…」

恥ずかしさからためらっている彼女に向かって、京一は苛立った様に言った。

「おとなしくおぶさるか、それとも横抱きに抱かれるか、どっちか選べ」

「…おぶさる…」

究極に近い選択を迫られた麻莉菜は、俯いたまま小さな声で答えた。

「よし」

京一は満足そうに頷くと、再びしゃがみこんだ。

彼の首に腕を回しながら、麻莉菜はまだ恥ずかしそうに顔を紅くしていた。

「出来るだけ急ぐからよ。落ちないようにしっかり掴まってろよ」

「うん…」

麻莉菜は歩き出した京一の背中にしがみついていた。

やがて、京一の背中から寝息が聞こえる。

「ったく…」

京一は苦笑を浮かべながら、ゆっくりと夕暮れに染まる道を歩いていった。

マンションに辿りついた彼は、部屋の鍵を開けて、中に入り込む。

寝室のベッドに彼女を寝かせると、体を包む様にタオルケットをかける。

「お寝み、眠り姫」

彼女の額に軽くキスをして、物音を立てないように寝室を出る。

居間においてあるゲージを覗きこむと、静かに微笑む。

「麻莉菜が寝てるんだから、静かにしてろよ」

それだけ呟くと、京一は部屋をあとにした。

寝室で一人眠る麻莉菜は、安心したような笑みを浮かべていた。