らいおんハート(1)

「まったく、こんな時間に用事言いつけやがって…あのバカ姉貴は」

春休みも後一日で終わると言う日。家にいた俺に、姉貴が電話を

かけてきて忘れ物があるので持って来いなんて言いやがった。

「ったく…。自分で取りにこればいいだろうに」

ラッシュ時に重なって、電車の中は満員だった。

駅に着くたびに、人間の移動が多くて、身動きもままならない。

扉の側によりかかって俺は立っていたが、その状況にうんざりし始めていた。

舌打ちを一つして、周囲を見回した俺の眼に、大きな荷物を抱えた小さい娘が写った。

(こんなラッシュ時に、あんなガキが何してんだ)

危なっかしい様子で、立っているその娘の周りには親らしい人間は見えなかった。

そうしているうちに、少し開いた場所を見つけたのか、俺の近くに移動しようとし始める。

だが、下りようとする人波に押されて転がりかけた彼女の腕をとっさにつかんだ。

驚いた様に振り向いた少女の持っていた荷物を取り上げて、網棚に載せる。

その後、二言、三言、言葉を交して、人から庇う様にして立っていた。

新宿について、電車から下りた俺に、その少女は、何度も頭を下げる。

そんな彼女に気をつけるように言い残して、俺は階段を降りていった。

(随分、可愛い娘だったな)

そんな事を思いながら、俺はそんな事を考えていた。

(ま、もう会うこともないだろうけどな)

俺はその時は、本当にそう思っていた。

翌日、学校に行った俺は、担任のマリア先生の横に立っている転校生を見て、驚いた。

ふわふわの茶色の髪の毛のその転校生は、昨日出会った少女だった。

休み時間になって、俺はその転校生―緋月 麻莉菜―に近づいていった。

クラスメートの美里や小蒔と何かを話していた彼女は、何処か緊張しているように見えた。

声をかけると、彼女はひどく驚いた様に俺を見て、その後嬉しそうに笑った。

そんな彼女を佐久間達が見ているのに気づいて、俺は忠告しておいたが、佐久間がそんな事で

諦める筈もない。

奴の本命は、美里の筈だが、それが適わなかった時の為に、緋月に眼をつけたらしい。

緋月みたいにおとなしそうな女は、佐久間の好みにピッタリだものな。

昼休みになって、緋月を校内を案内するという名目で、教室から連れ出した。

俺の好みとはちょっと違うが、こんな可愛い娘を放っておく事もできなかったし、一度面倒

見たんだから、最後まで面倒みるのが筋だろう。

それに、どこかで見た事があるような気がして、それも確かめたかった。

屋上で並んで一緒にメシを食ったが、その様子があまりにも一生懸命で俺は思わず笑って

しまった。

放課後になって何時もの如く、部活をサボって気に入りの場所で昼寝を決め込んでいた時、

足元から聞こえてくる声に下を覗きこんだ。

そこには、緋月を取り囲む様に佐久間達が立っていた。

(あの馬鹿が…!)

まったく人が眼を離した隙に、何をしてんだ。

俺は急いで樹から下りると、緋月を庇う様に佐久間と向き合った。

佐久間は、俺に対しても絡んできたが、そんな事は俺の知ったことじゃない。

遠慮なく佐久間の手下を叩きのめしていくと、うろたえた佐久間がとんでもない事を

言い出しやがった。

何時の間にか、俺から離れていた緋月を狙って、不良達が殺到する。

助けようとした俺の前に、残っていた奴が立ち塞がって、進路を塞いだ。

少し焦った俺がそいつを叩きのめしたその時に、信じられない光景が広がった。

緋月が不良の一人を殴り飛ばしたのだった。

その場にいた全員の動きが一瞬止まった。

小さなその身体に似合わず、その威力はかなりのものだった。

我に返ったのは、俺の方が早く、目の前の不良を叩きのめした。

最後に残っていた佐久間に、俺が木刀を突きつける。

佐久間はまだ闘争心を見せていたが、駆けつけて来た醍醐に止められる。

一緒にやってきた美里の姿を見て、佐久間はおとなしくなった。

さすがに本命の美里に暴れている所など見られたくはなかったんだろう。

それを知って俺は、佐久間をからかうような言葉をかける。

佐久間は、激昂して掴みかかって来ようとしたが、醍醐の制止に動きを止めて、姿を消した。

その後、醍醐の説教を受ける羽目になったが、それよりも醍醐は緋月の技に興味を持った

ようだった。

その緋月の方と言えば、真神のもう一つの名前に興味を持っていたようだったが…。

とりあえず、その日はこうやって終わった。

次の日、俺はいつも通り、姉貴が起き出す前に家を出て、近くの公園に向かった。

部活には、大会前に出りゃ充分だったが、朝の素振りだけは習い性になっているらしく、

これを行わないと、どうも落ちつかない。

朝メシは、いつも近くのバーガー屋かコンビニで、調達する事している。

その日も、そのつもりで切り上げて、公園内を歩いていると、何故かベンチに座っている

緋月に出会った。

彼女は俺が持っていた木刀を見て、何をしていたかを察したらしい。

誰にも知られていない事を知られて、俺は少し面映い気持ちになった。

照れ隠しに、緋月が何をしているのか聞くと、桜を見に下りてきたと言う。

そんな話をしていると、俺の腹が空腹を主張するかのように鳴った。

それを聞いた緋月が、笑いを堪える様に俯いた。

そして、とてもありがたい申し出をしてくれた。

もし良ければ、朝メシを食べにこないかと言ってくれて、俺はその申し出を喜んで受けた。

案内されたマンションは新宿の一等地に建っていて、彼女はその最上階の部屋に暮らして

いた。

その部屋に通された俺は、あまりの広さに驚いた。

彼女の話によると、親父サンが購入したもので、ここで一人で暮らしているらしい。

そんな話をしながら、彼女は手早く朝食を仕度してくれた。

朝食を食べて、その上手さを褒めると、緋月は本当に嬉しそうに笑った。

それからしばらくして、俺が殆ど食べ終わった頃、突然彼女は箸を置いて小声でいきなり

謝ってきた。

どうやら昨日の事を気にしていたらしく、さっきから元気がなかったのもそのせいだった

らしい。

別に気にしちゃいなかったし、緋月が気にする必要もない事だ。

俺としちゃ、あの佐久間達が女に叩きのめされる所を見れて面白かったし、緋月の強さが

判って、かえって良かったと思っているくらいだしな。

その事を伝えてもまだ気にしている様子なので、話題を変えようと試みた時、目の前に

あった栗色のふわふわした髪の毛が眼に入った。

何となく触ったら気持ち良さそうに思えて、無意識のうちに手を伸ばしてかき回していた。

突然の俺の行動に、驚いたような表情を浮かべてるのを見て、慌てて手を引っ込める。

その事を謝った後、時計を見上げた俺は慌てた様に立ち上がり、学校へ行こうと促した。

登校しながら、緋月はまた朝食を食べに来てもいいと言ってくれた。

あの広い部屋で、一人で食事をするのはさすがに寂しいのだろう。

俺にとっても、朝メシの事を考えなくていいと言うのはとても助かるので、彼女の言葉に

甘える事にした。

その代わりと言うのもおかしいが、俺がよく行くラーメン屋を教える事にした。

(本当…放っとけないよな)

くるくると表情が変わる彼女を見ながら、俺は自分の気持ちを不思議に思った。

学校に着いて、教室に入った俺達を見て小蒔が余計な事を言いやがった。

少しもめかけているのを見ている緋月は、少し哀しそうな表情を浮かべていたようだったが、すぐに表情が変わってしまったので、よく判らなかった。

そのうちにやってきた美里と醍醐に制止されて、俺達はそれぞれの席についた。

醍醐が何か緋月の方を見ているのに気づいたが、面白くなりそうなので放っておく事にした。

奴がそんなに手荒な真似をするとは思えないし、相手の承諾もなしに何かするとも思えない。

心配する事もないだろうと俺は軽く考えていた。

その考えはある意味正しかったのだが…。

放課後、緋月を誘ってラーメン屋に行こうとしたら、アン子がやってきて緋月を取材しようと言い出した。

緋月は少し困っていた様だったが、はっきりと断っていた。

それでも諦めきれないらしく、アン子はしばらく粘っていた。

本当にしつこい奴だ。それだけ緋月が興味深い存在なのだろうけどな。

どうしても取材に応じようとしない緋月に、アン子もついに諦めたらしく、去っていこうとした。

そんな奴に、からかいの言葉を投げかけたら、腹いせに黒板消しを投げつけてきやがった。

まったく乱暴な女だ。ふいをくらって倒れた俺を緋月が心配して起こしてくれようとした。

さすがに身長差があるので、無理だと合図して自分で起きあがったが。

そんな時、一部始終を見ていたらしい醍醐が笑いながら現れた。

俺の愚痴を軽く聞き流して、醍醐は緋月をレスリング部の部室に連れていった。

連れてこられた緋月は、訳が判らなかったらしく、きょとんとしていた。

まったく、説明くらいは最初にしたらいいだろうが。

結局、こいつは格闘馬鹿で、今は緋月と戦う事しか頭になかったんだろう。

緋月は渋々承諾して、リングに上がっていった。

まるで体格の違う二人がどう戦うのか、興味があったが、まさか醍醐を本気にさせる奴が

いるとは思わなかった。

緋月の会得している技は、一般レベルのそれとは明らかに違った。

完全に実戦レベルのものだ。

素早い動きで、醍醐の攻撃をかわすと、息を整えて一気に攻撃に転じる。

一度目は堪えた醍醐だったが、二度目の攻撃は堪えきれずに倒れた。

その途端、我に返った緋月は、驚いた様に醍醐と俺を交互に見て、何故か謝りながらその場

から走り去ってしまった。

俺は引きとめようとしたが、その姿はすぐに見えなくなってしまった。

仕方なく、倒れたままの醍醐に近寄り、様子を確かめる。

意識ははっきりしていた様だったが、起き上がる事が出来ないらしい。

醍醐を保健室に運ぶ途中で、出会ったマリア先生に、緋月の電話番号を尋ねる。

用事があるといったら、すぐに調べておいてくれた。

受け取った電話番号のメモを見ながら、俺は緋月に連絡をとった。

電話の向こうの緋月の驚いた様子が伝わってくる。

俺は、明日の朝の事を頼もうと思っただけなのだが、えらく緊張しているらしい。

何故、そんなに緊張しているのか、俺には判らなかった。

とりあえず、用件だけを伝えると、俺は電話を切る。

(なんで、あんなに緊張してるんだ?ラーメン食べに行くのをすっぽかしたのを気にしてる

わけじゃないよな)

理由が判らないまま、朝を迎えた俺は、緋月の家に向かった。

迎えてくれた緋月はやっぱり緊張していた。

「友達、怪我させちゃったから…」

緋月は、小声でそう答えた。

それを聞いて、初めて彼女の不可思議な行動の意味が判った。

醍醐と戦って、負かしてしまった事を気にしてたのか。

緋月を無理に戦わせたのは俺達だし、それに対して俺が怒る必要なんてありはしない。

そう言っても、緋月にはよく判らなかったらしい。

俺はおどけて、俺が怒るとしたら、ラーメンを食べに行けなかったことだと伝えると、

やっと、少し緊張が解けたらしい。

その日、初めての笑顔を見せてくれた。

やっぱり、笑ってる方が可愛いんだよな。それにしても…昨日の事か。醍醐に一言、

言っとくべきだろうな。

俺は、そんな事を考えながら、用意された食事を食べていた。

登校してから、俺は彼女と別れて、醍醐のいそうな場所を当たっていた。

しばらく探して、醍醐をレスリング部の部室で見つけた。

奴は、体調も戻ってるらしくて、自主トレに励んでいた。

声をかけると汗を拭きながら、リングから下りてきた。

俺は緋月が気にしてた事を醍醐に伝えた。

緋月は、俺達とは違って女だもんな。俺達が判らない事で、傷つく事もあるんだろう。

話を聞いた醍醐は、難しい顔をして考えこんでいた。

まったく世話のかかる奴だ。

仕方なく、放課後に緋月とラーメンを食べに行くから、一緒に行くかと誘った。

俺の誘いに頷いた醍醐は、その日一日考えこんでいた。

放課後になって、教室にいた緋月に声をかける。

ラーメンを食べに行こうと言って、彼女の鞄を持って教室を後にする。

慌てて、後をついてくる緋月に、醍醐も誘っている事を話す。

校門の所から姿を現した醍醐は、何処か言いにくそうに緋月に謝る。

緋月は少し戸惑っていた様だったが、一緒に行く事を承諾した。

何故か小蒔も一緒に行くことになってしまった。

まったく、人を脅迫しやがって…とんでもない奴だ。

俺達は、ラーメン屋に向かった。

ラーメンを注文した後、話題は旧校舎の事になった。

馬鹿馬鹿しい。この現代に、神隠しなんてある訳ねぇじゃねぇか。大体、そんな眉唾な話を

喜ぶのは、裏蜜くらいのもんだ。

小蒔の話だと、アン子が調査に行ってるらしいが、どうせ何も判りゃしないだろう。

俺がそう思った時、案の定、アン子が飛びこんできた。

全力疾走でもしてきたのか、息を切らしている。

目の前にあった俺の水を飲み干すと、いきなり美里を探せと来た。

話によると旧校舎ではぐれたらしい。

放っておくわけにも行かず、俺達はアン子に案内させて旧校舎に入った。

奥の方まで来た時、最初にその異変に気づいたのは、緋月だった。

使われなくなって久しい教室から、蒼い光が漏れていた。

俺達は、扉を開けてその教室に入る。

そこには、美里が倒れていた。

そして、蒼い光の正体は美里自身から発せられていたものだった。

彼女が意識を取り戻すと、その光は消えてしまった。

何処も怪我をしていない様子だったので、とりあえずそこから出ようとしたが、俺達に

向かってくる気配があった。

醍醐の指示で、アン子に美里を任せてその場所から逃がし、気配の正体を探る。

醍醐は、緋月や小蒔も逃がすつもりだったらしいが、2人はそれを承諾しなかった。

仕方なく俺達が前に出て、彼女達を庇う形をとったが、緋月はかなり敵に近づいていた。

結果、敵の攻撃に晒される事になった。

まさか、そこまで無茶をするとは思わなかった。

倒れこむ緋月の身体を慌てて支える。鋭い爪で腕に傷を負ったらしい。

利き腕でなかったのが幸いだったが。

俺達はすぐに戦闘に復帰した。

敵を倒していくうちに、俺は自分の中に俺自身も知らなかった《力》がある事に気づいた。

知らず知らずのうちに、その《力》を使って、敵を倒していた。

それは、醍醐や小蒔も同様だったらしい。少し戸惑っているものの《力》を使っている。

そして、俺達を心配して戻ってきた美里も同じで、その《力》を使って、緋月の怪我を

治してしまった。

敵を全て倒した後、俺達はゆっくりとそれを眺める。

蝙蝠とよく似ていたが、何処かが違っていた。

その時、俺の頭の中に響く声があった。

その声を聞いている間に、何時の間にか俺の意識は遠くなっていった。

気づいた時は、旧校舎の外で、緋月が俺を心配そうに覗きこんでいた。

一体、何が起きているのかすら、俺達には判らなかった。

ただ、判っているのは、俺達は何かとんでもねぇ《力》を手に入れてしまったという事だけ

だった。

その日から数日がたち、別に変わった事も起こらず、俺達もその事について特に話し合うと

いう事もしなかった。

そんな時、美里が緋月の歓迎会を兼ねて、花見に行かないかと提案してきた。

おかしな事を忘れるには、思い切り騒ぐのもいいかもしれないし、確かに花見というのは、

みんなで盛り上がるのにもいいだろう。

俺達に反対する理由もなく、その日の放課後、花見を行う事になった。

後で中央公園に集まる約束をして、俺は街をぶらついて時間を潰していた。

何をするでなく、そうやって街を歩いていても、俺には気になっている事があった。

あの時、緋月だけが何の躊躇いもなく《力》を使っているように、俺には見えた。

もしかしたら、緋月は何かを知っているのかもしれない。

(だったら、どうだって言うんだ)

別に緋月が何かを仕組んでいるわけじゃないだろうし、状況から見ても、緋月も

巻きこまれた側の人間だ。

きっと、緋月自身、何も判っていない筈だ。この数日間、付き合ってみて、緋月の性格は

ある程度理解しているつもりだ。

何か判っているなら、誰かに相談くらいはしているだろう。

あいつは人見知りする性質だが、反面物凄く人懐こいし、人に甘えたがる。

小蒔と仲がいいのも、小蒔の姉貴としての性格が大きく関係しているんだろう。

俺はそんな事を考えながら、ビルの側面に配置されてる大きな時計を見上げた。

そろそろ待ち合わせ時間になると思って、中央公園に足を向けた。

そこには、コンビニの袋を持った小蒔と何か大きい荷物を持った緋月がいた。

何かを楽しそうに話している二人の背後に、近づいていった。

小蒔は、相変わらず緋月にバカな事を吹き込んでいる様で、俺が来た事にも

気づいていなかった。

小蒔の頭を軽く叩いてから、緋月の方に向き直って、荷物の中身を尋ねる。

皆で食べようと思って、料理を作ってきたらしい。

小蒔も言っていたが、緋月の歓迎会に緋月が物を持ってきてどうするんだ。

まったく、変に気を使わなくてもいいのにな。俺はそう思いながら、緋月が持っている荷物

を持った。

せっかく持ってきたんだったら、食べなきゃもったいないだろうしな。

そうしているうちに醍醐や美里、何故かアン子もやってきた。

一番最後に、マリア先生がやってきて、宴会が始まった。

それなりに盛り上がっていた時、ふとマリア先生が緋月に武道をやっていたか聞いていた。

俺も興味があったので聞いていると、ただ護身用に習っていただけだと言う。

護身用なんてレベルじゃないのは、俺も彼女と戦った醍醐にも判っていたが、あえてその事

に触れはしなかった。

何をして護身用というかは、人それぞれだろうし、緋月はそう思っているのかもしれない。

それを聞いたマリア先生が、強さというものについて話し出した。

俺はその話の矛先が俺に向く前に、その話を打ち切ろうとした。

せっかく宴会をしているのに、説教じみた事はごめんだった。

花見もそろそろ終わりに近づいてきていて、そろそろ片付けをはじめようかという頃、突然

騒がしくなった。

俺達が、そちらに注意を向けた途端、悲鳴が響き渡った。

その悲鳴が聞こえた方向に向かうと、刀を持った男が立っていた。

刀からは血がべっとりと付着していて、何に使われたかは一目瞭然だった。

男からは異常な気配が感じられ、俺達は動く事が出来なかった。

その隙をつかれ、マリア先生が人質に取られてしまった。

俺達が手出しをできないでいると、背後にいた緋月がアン子に何事かを囁いていた。

そしてアン子はそれを了解したらしく、何かをバッグの中から取り出す気配を感じた。

その間に、緋月は、俺達より前に出て男の注意を引き付ける。

そして男に充分近づいた時、アン子に向かって叫んだ。

その途端、カメラのフラッシュが焚かれ、直接男はその光を浴びる事になった。

その隙を見逃さず、緋月はマリア先生を助け出した。

的確な判断に、俺達はすぐに行動を起こした。

背後でアン子が刀の出所を推測して俺達に伝える。

博物館から盗まれた『妖刀 村正』。それが本当だとしても、放っとく訳にはいかなかった。

俺達が男を倒し終わり、その手から刀が地面に落ちる。

それが本当に、『村正』だとしたら、うかつに触る事は出来ない。

何が起こるか判りはしないからだ。

全員がただその刀を見つめていると、緋月が刀を拾い上げようとした。

アン子が制止しようとしたが、緋月はそれを握っていた。

緋月の身体が蒼く光り、刀から立ち上っていた妖気が消えた。

その様子を見ていたアン子やマリア先生が驚いているのが伝わってくる。

それでも俺達の願いを受け入れて、黙っていてくれると約束してくれた。

もっとも、アン子は交換条件つきだったが…。

その後、そこから逃げ出した俺達はそれぞれ家路についた。

俺と一緒に帰っていた緋月が、突然立ち止まった

何かあったのかと振り向いた俺の耳に、小声が聞こえる。

緋月は俺のほうを見ながら、はっきりと『お兄ちゃん』と言ったのだ。

同い年の緋月に、なんでそんな呼び方をされなきゃいけないのか、俺は判らず聞き返した。

緋月は、俺の事を下から覗きこむようにして、再度問い掛けた。

その時、言われた名前に俺はガキの頃の出来事を思い出した。

確かあのくそ師匠に無理やり引っ張っていかれた山の中で、出会ったチビの名前と同じだ。

まさか、あのチビが目の前にいる緋月なのか?

同い年だったのかよ。俺は信じられなくて、頭を抱えかけて、何で言わなかったのかを

聞いた。

小蒔やアン子と仲が良さそうに見えて言えなかったという。

何を気にしてるんだ。俺は別に小蒔やアン子ととりたてて仲がいい訳じゃないぞ。

それに、俺は同時にあの時の約束も思い出していた。

何時か会おうと約束したから、彼女は来たんだろう。

道理で、何処かであった気がしたわけだよな。

俺は、不安そうに俺を見ている緋月に笑いかけた。

その途端、何故か緋月の大きな瞳から涙が零れるのを見て、俺は慌てて拭う物を探した。

何も見つからないので、仕方なく着ていたシャツに彼女の顔を押しつける。

驚いたのか、緋月は俺から離れようとしたが、俺は彼女を抱きしめていた腕の力を

緩めなかった。

泣いてる女を放っておくつもりは、俺にはない。

それに俺のせいで泣いてるのに、なんで放っておけるんだ。

俺は彼女が泣き止んで落ちつくまで、そのままの姿勢でいた。

緋月が泣き止んだ後、俺達はまた歩き出した。

マンションの部屋の前まで送って、俺は緋月にすぐ思い出せなかった事を謝ってから、

彼女の事を名前で呼んでいいか尋ねる。

緋月はとても嬉しそうに笑って頷いてくれた。

(か…可愛いじゃねぇか)

そう思った途端、心臓の鼓動が早まるのを感じて、俺は慌てた。

小学生のガキじゃあるまいし、一体何だってんだ。

急いで、その場を離れてエレベーターに乗りこむ。

離れてからも動悸は治まらなかった。

ったく、真神一のいい男と自負してる俺がなんてざまだよ。もっとスタイルのいい

お姉ちゃんが好みなのに、まるでタイプが違う緋月を見てときめいちまうなんて…。

俺は何とか動悸を静めようと、深呼吸を繰り返すと、やっと落ちついてきた。

外に出てから、緋月の部屋の方を見上げると、彼女らしい人影が手を振ってるのが見えた。

その人影に向かって手を振り返すと、俺は家に向かって歩き出した。

緋月に会ってからずっと気になっていたのは事実だし、惚れたかはどうかは別にしても、

俺の中で大きな存在になっているのは間違いないな。悪い気分じゃねぇし、

構わないだろう。

そんな事を考えながら、俺は家に帰っていった。

 

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