らいおんハート(2)

「…つくねとがんも」 

どうやってたどり着いたかも覚えていない屋台で、俺は注文すると台の上におかれたコップ酒をあおった。

(俺は負けた…)                                        

どうしようもない敗北感を、初めて俺は味わっていた。今日の夕方、藤咲がやってきて、俺達に彼女の飼い犬のエルがいなくなったので

一緒に探して欲しいと頼んできた。                             

俺たちは二つ返事でそれを引き受けると、手分けして、藤咲の心当たりのある場所を探していた。

時間もかなり遅くなり、いったん引き上げようとした時、そいつは突然現れた。  

言葉にしようにない殺気と得体の知れない恐怖。                    

俺は、そんなものを感じるのは初めてだった。                       

藤咲を背中にかばいながら、そいつと対峙するが知らない間に手に冷たい汗がにじんでいた。

「藤咲…、逃げろ」                                    

「え?」                                                

恐怖を感じながらも、藤咲は殺気の方は感じ取れていないようだった。          

「いいから、逃げろっていうんだよ!」                            

一瞬、藤咲に向いた意識を見逃さず、その男は俺に向けて、刀を振るってきた。

「!」                                               

「京一!」                                             

藤咲の声を聞きながら、俺の意識は遠のいていった。                       

意識を取り戻したとき、周囲には誰もおらず、俺はどうしようもない気持ちを抱えたまま、屋台へとたどり着いていた。

惨めだった。今まで、誰にも負けたこともない俺は今度の敗北を認めることすらできず、仲間の元へも戻る気にもならなかった。

何をするでもなく、ただ、その屋台の椅子に座り込んでいた俺の耳に背後から何人かの声が聞こえてきた。

「ありゃ、この辺を根城にしてるチンピラだな。かわいそうだが、係わり合いにならないほうが身の為だぜ」

屋台の親父の声を聞きながら、振り返った俺は、一人の女の子がチンピラに絡まれてるのを見つめていた。

「た…助けてください!」                                   

俺の視線に気づいたのか、女の子は俺に助けを求めてきた。              

チンピラたちは、俺の方を見て笑いながら、近づいてきた。               

「兄ちゃん、怪我したくなかったら、引っ込んでな」                     

こいつらは少し前の俺だ。自分が一番強いと思っていて、それが間違ってるなんて思いもしない。

俺が笑ったのを見て、チンピラ達は、俺の方に殴りかかってきた。            

そのまま、抵抗もせずに殴られるままになっていた。すべてを放り出した俺には、抵抗などすることもできないのは自分自身が一番よくわかっていた。

いつの間にか、意識を失っていたのか、次に目を開けた時、俺はどこかの一室の布団の中だった。

「ここは…?」                                          

何か、懐かしいような、憎らしいような夢を見た気がするが、多分、気のせいだと思うことにした。いまさら、あいつの事なんて、思い出したくもない。

「あれ、そういや、ここはどこだ?」                             

俺は、今いる場所がどこなのかわからないことに気づいて、回りを見回そうと体を起こした俺に向かって、障子の方から少年の声が聞こえてきた。

「気がついたのかよ」                                       

負けん気の強そうな少年が、俺の方を覗き込んでいた。                

「昨日、姉ちゃんがお前を連れてきたんだ。大変だったんだぞ」             

どうやら、俺は、昨日の女の子の家に連れてこられたらしい。             

「面倒かけたな」                                        

「治ったんなら、さっさと出てけよな」                             

少年は、生意気な口を聞いた。                               

「今、うちはお前の面倒なんて見てる余裕はないんだからな」             

「こら、明。駄目じゃないの。そんなことを言っちゃ」                    

そのとき、昨日の女の子が入ってきて、少年に注意した。               

「ごめんなさいね、生意気な弟で」                              

女の子は、洗面器とタオルを持っていた。                          

「いや、俺の方こそ、迷惑かけて悪かったな」                        

「ううん。こっちこそ巻き込んじゃってごめんなさい」                  

「まったく、情けない奴だよな。姉ちゃん一人守れないなんて」            

「明!いい加減にしなさい」                                  

きつい言葉を吐いてくる明という少年の事を、女の子は再び注意する。        

言葉はきついけど、言ってることは正論だよな。俺は何もかもおいて、逃げ出して来ちまったんだから。

「気にしてないからいいさ。本当の事だしな」                      

「え…?」                                             

俺の言葉に少し戸惑ったのか、女の子は首を少し傾げた。              

「それより、自己紹介がまだだったな。俺は蓬莱寺京一って言うんだ」         

それをごまかすように、俺は自分の名前を名乗った。                    

「あたしは那雲摩紀、こっちは弟の明。怪我が治るまで、ゆっくりしていて行ってね」

それだけ言い置くと、女の子―摩紀ちゃん―は部屋を出て行った。          

一人になった部屋の中で、俺は今更、考えても仕方ないことを考えてしまった。  

俺が放り出してきてしまったもの…。何より大事にしなきゃいけなかったもの…。

(あいつら、どうしてるかな…)                                

俺は、どうしようもない気持ちを抱えたまま、再び横になって目を閉じた。   

それから、数日が経って、傷の方も治ってきたし、することもなかった俺は、摩紀ちゃんの切り盛りする店の手伝いをやっていた。                   その間に、なぜ、摩紀ちゃんがこの間のような厄介ごとに巻き込まれたのか、その理由が少しだけわかってきた。                              どうやら、親父さんがあいつらに借金をしたまま、姿を消してしまったらしい。   

それで、残された摩紀ちゃんと明が店を守ってるらしい。                

摩紀ちゃんも、そして明も俺なんかよりずっとしっかりしてる。            

何より大事なものをしっかり守っていこうとしてるんだから。             

二人を見ていると、自分が強がっていただけのガキだった事を思い知らされる。

時々、憎らしい口を聞く明でさえ、自分の大事な者を守ろうと頑張っているっていうのにな。

俺は立ち止まったまま、一歩も進んでない。情けない真似をしてることもわかっているが、動くことができなかった。                             俺が一番大事にしたかった少女は、今どうしてるだろう。               

また泣いてるのではないかと思うと、少し心が痛くなった。                 

「帰れないよな…」                                       

それでも俺の最後に残ったプライドが、彼女の元に戻ることを拒否していた。    

こんな無様な自分が、彼女の前に戻ることなどできはしない。             

彼女の隠された強さを何より俺は知っていた。                    

「おい!」                                              

いつの間にか、手が止まっていたらしい。                            

俺に呼びかける声に、我にかえると、明が、俺をにらみつけるように見つめていた。

「居候のくせにさぼっているんじゃない!、さっさとそれ運べよな」               

「ああ…すまなかったな」                                   

摩紀ちゃんの店の手伝いをしているうちに、いつの間にか、自分の考えに浸ってしまったらしい。

「まったく役に立たない奴だな。いきなりぼんやりするし、あんなものを持ってる割には期待はずれだし」

あんなものとは、俺が手放さなかった木刀のことだろう。                

あんなことになりながらも、どうしても俺が手放すことができなかった唯一の ものだった。

俺は、何も言い返すことができず、その場にあった荷物を店の方に運ぼうとした。

その時、店の奥から大きな音が聞こえてきた。                    

「!」                                               

「姉ちゃん…!」                                          

俺たちは店の中に駆け込んだ。                               

店の中は荒らされていて、そこに摩紀ちゃんの姿はなかった。            

「あいつら…また!」                                      

明が悔しそうに呟く。                                    

そして、店を飛び出して行こうとするのを、俺は、襟を掴んで引き止めた。    

「離せよ!」                                          

「一人で行ってどうするつもりだ!」                             

「姉ちゃん、助けるに決まってんだろ!」                         

「落ち着けって!一人で敵うわけないだろうが」                     

「うるせぇ!姉ちゃんは、俺が助けるって決めてるんだ!」              

明は俺の脛を蹴り飛ばしながら、暴れた。                       

「姉ちゃんは、いつも俺を守ってくれてた!だから今度は、俺が守ってみせる!」

「…」                                                   

その言葉を聞いて、俺は明の襟を掴んでいた手を離した。                            

こいつは昔の俺の姿だ。何も怖いものがなかったガキの頃の俺そのものだ。      

俺は、何かが吹っ切れたような気がした。                         

今、できる事、守る事ができるはずの物から、目を背けても何も変わらない。  

少しずつでも、前へ進む努力をしないと、誰にも顔向けさえできなくなる。     

そんなことすら、わからなくなっていたとはな。                     

「お前みたいなガキに教えられることになるとはな」                    

苦笑交じりにそういった俺を不思議そうに明は見上げる。                               

「わかった。その代わり、俺の傍を離れるなよ?いいな?」                    

「なんで、お前にそんなこと言われないといけないんだよ!」              

「摩紀ちゃん、助けたいなら、言うことを聞け」                   

「…」                                               

「いいな?」                                          

「わかった…」                                           

明は不満そうではあったが、頷いた。                           

「よし、それじゃ行くぞ」                                     

俺は、奥の部屋に置いてあった木刀を取りにいった。                  

「奴らの行きそうな処に心当たりはあるか?」                     

「たしか、近くの廃工場によく集まってるって聞いたことがある」            

「そうか」                                             

俺達は、明の知ってるその工場へ向かった。                        

完全に廃棄されているその工場の奥から、何人かの話し声が聞こえてくる。    

「あんたも、そんなにしぶとくしないで、さっさとあの店を手放したらどうだ?意地を張っててもいいことはないだろう?」

「第一、子供を残していなくなっちまった父親にいつまでも義理立てしててもしょうがないだろうに」

「父は必ず帰ってくると言ってます!」                           

「そんなこと信じてるのかい?可愛いねぇ」                          

下卑た笑い声が聞こえてくる。                               

「明、摩紀ちゃん助け出したら、すぐに逃げろ」                       

「あんたは、どうするんだよ」                                 

「俺は後始末をしてから、戻る」

「俺も!」                                           

「お前は、摩紀ちゃん守ることに専念しろ。それが一番大事なことだろ?」    

「一人で敵うわけないじゃないか!あんなにいるんだぜ」                

「心配するなって」                                        

俺は木刀を握り締めながら、自信たっぷりに笑った。                   

そして、そのままたむろしている男たちの前に歩いていった。            

「ん?なんだ?お前は?」                                  

「また袋にされに来たのか?」                                

男たちは気に入らない笑いを浮かべながら、俺に近づいてきた。           

「摩紀ちゃんから、離れろ」                                

「ああ?」                                           

「離れろって言ってんだよ!」                                    

俺は、近くにいた男を容赦なく叩きのめした。                      

「てめぇ!」                                           

「摩紀ちゃん、逃げろ!」                                    

少し離れたところで、おびえたように座り込んでいた摩紀ちゃんは、その言葉を聞いてのろのろと立ち上がった。

「姉ちゃん!こっち!」                                    

明の声に弾かれたように、摩紀ちゃんはその方向へ向かう。              

「逃がすな!」                                          

追いかけようとした男たちの進路を遮る。                          

「邪魔するな!」                                        

「お前らの相手は、俺だ」                                    

そう言いながら、俺はくそ師匠の言葉をふと思い出した。               

『強さっていうのは、ただ喧嘩が強いとか、そんなことじゃない。何にも負けない心を持つことだ。わかるか?』                       

そのときは、何のことか判らなかった。でも、今なら何となく判る。          

たとえ、どんなことが起こってもくじけない強さ。それが何より大事なものなんだろう。

そして、守りたいものがいる人間は決して負けたりしない。倒されても何度でも立ち上がることができる。

俺は、短く息を吐くと、男たちに向かっていった。                     

気づかないうちに、俺は技を繰り出していたらしい。                     

男たちは床にひれ伏していた。                                  

「いいか?これ以上、摩紀ちゃんたちに手を出したりしたら、承知しないぞ」    

そう言いおくと、俺はその場を後にした。                         

次の日、俺は二人に何も言わず、店を後にしようとした。                 

「おい!」                                             

突然、背後から声をかけられて、俺は振り向いた。                     

そこには、明が立っていた。                                    

「行くのかよ」                                          

明は、複雑な表情を浮かべて、俺に詰め寄ってきた。                   

「行くんじゃねぇよ。帰るんだ」                               

「何でだよ!ずっとここにいればいいじゃないか!」                    

「俺がいる場所は、ここじゃないからな。たぶん、待っててくれてる奴らもいるし」

「何でだよ。なぁ、ずっとここにいてくれよ!」                        

「ずっといたい気はするけどな。でも、俺が俺でいるためには、ここにいるわけにはいかないんだ。」

「俺たちが頼んでも駄目なのかよ!俺を強くしてくれよ!」              

「あのな、明。俺は俺のいるべき場所で、強くなる。明は明のいる場所で強くならないと駄目だ。それはこの場所だろう?」

「…」                                                 

「判るよな?」                                          

明は、少しうつむいてから、頷いた。                            

「まぁ、たまにはしごきに来てやるから、楽しみにしとけよ」              

俺は、ここに来た時に持っていた木刀を握り締めると、歩き出そうとした。    

「約束だからな!絶対来いよ!」                              

「ああ、判った。摩紀ちゃんにもよろしくな」                        

俺はそれだけを言うと、その場から歩き出した。

だが、真神に近づくにしたがって、俺の足取りは少しだけ重くなった。           

(麻莉菜は笑って迎えてくれるだろうけど…、他の奴らには殴られる覚悟くらいはしとかねぇと駄目だろうな…)

そんな想像をしてしまった俺の背後から、突然声がかかった。              

「あら…?京一君じゃない、体調が悪いんじゃなかったの?」                  

「絵理ちゃん?体調って俺の…?」                              

「さっき、お腹を壊したって聞いたんだけど、もう、大丈夫なの?」          

(そんなでたらめを言う奴は一人しかいないな。後で覚えてろよ)           

多分それを言っただろう奴の顔を思い浮かべながら、俺は絵理ちゃんに答えた。

「なんとか、治ったんで、出てきたんだ。ところで絵理ちゃんは、どうしてここに?」  

「頼まれていたことを教えに来たんだけど、皆、どこに居るのか判らなくて、探してたのよ」

「頼まれてたこと?」                                       

「ええ、拳武館のことよ」                                       

拳武館…確かスポーツの優秀な学校だったよな。なんで、そんな学校の事を?    

「麻莉菜達が、絵理ちゃんに頼んだ?どうして?」                        

「拳武館に狙われてるかもしれないからって」                         

もしかして、俺を襲ったのが、拳武館って事か?                       

考え込んだ俺にかまわず、絵理ちゃんは情報を提供してくれた。            

何か、拳武館の動きがあわただしくなってるらしい。                   

「葛飾の…学校の近くにある地下鉄ホームに集まりはじめてるみたいなのよ。何があるのかわからないけれど、一応知らせておこうと思って」

「判った、それは俺が伝えておくよ。ありがとうな」                    

「そう?それじゃ、お願いね。あたしはまた情報を集めてみるから」          

「ああ。でも無理はしないでくれな」                              

「判っているわ。心配しないで」                                  

絵理ちゃんはそう言って、その場を足早に去っていった。                  

後姿を見送った後、麻莉菜達に連絡をとろうかと思ったが、俺の携帯は、襲われたときになくしてしまったらしく、手元にはなかった。

公衆電話も近くには見当たらない。                             

(しょうがない、直接その場所に行ってみるか。何か、動いてるなら、麻莉菜たちも そこに居る可能性は高いしな)

俺は、直接その場所へと向かった。                               

その勘はあたっていたらしく、俺が行った時には麻莉菜たちと学生達が一触即発の雰囲気になっていた。

学生の中には、俺を襲ってきた男も混ざっていた。                     

(あいつ!)                                              

俺が、飛び出そうとしたとき、一人の学生が麻莉菜たちの前に立ちはだかった。  

「?」                                                  

俺を襲った男は、容赦なしにその学生に刀を振るった。                  

(なんだ?仲間割れか?)                                    

同じ制服を着た奴らが、何で争ってるんだ?                         

俺はわけがわからず、ただ、それを眺めていた。                        

麻莉菜が何か叫んだのを見て、俺は我に返った。                       

こんなことをしてる場合じゃなかった。                             

俺は、目の前にあったガラスを叩き割った。                          

その場にいたメンバーが信じられないものを見るように、俺を見つめた。         

まさか、こいつら俺が死んだとか思ってたわけじゃないだろうな。             

麻莉菜も目を見開いたまま、俺を見つめている。                        

麻莉菜まで、そう思ってたのか?嘘だろう?                         

不安に思いながら、俺は麻莉菜を抱きしめて、学生達に木刀を突きつけた。     

その後はお決まりの乱戦になった。                               

今度は、負けるはずもなく、俺達は奴らに打ち勝った。                  

あの男と、もう一人の太った男はその場から逃げて行ったが、麻莉菜達をかばった

学生―壬生―の言葉によると、拳武館に関わったものは裏切りを許されないらしい。多分、追っ手がかかるんだろう。

俺たちが拳武館から狙われることはもうなくなった。                    

俺たちに謝罪をして、壬生は去っていった。何かあれば、助けに来ることを約束して。

どこか、気に食わない奴だが、麻莉菜が認めたのなら、まぁいいだろう。          

俺達は、その後、住み慣れた新宿の街に戻ってきた。                     

ラーメンをいつの間にか俺がおごることになっていたが、心配させてしまったし、それくらいはしょうがないだろう。

麻莉菜は疲れたと言って、先に帰ってしまったが…。                      

久しぶりに麻莉菜と話したかったが、疲れているなら、無理強いはできない。      

俺は、うかつにもそんな風に考えてしまった。                         

朝、麻莉菜の様子を見るまでは…。                               

俺の前で眠りについてる彼女を見ながら、俺はもう二度と、手を離さないことを心に誓った。

俺の自己満足かもしれないが、彼女をこれ以上苦しませたりはしない。         

それが、現在の俺にできる唯一の彼女に対する償いのはずだ

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