「まったく、どうしてここにくるのをあんなに嫌がるんだろうな」

新緑あふれる渓谷へと続く道を歩きながら、風月は独り言を呟いてみる。

「こんなに気分がいい場所なのにな」

今朝、マンションを出てくるときも軽く一悶着あったのだ。

風月にしてみれば、昔馴染みの所に行くわけだし、自然の息吹を感じられるここは、

人ごみの中よりずっと楽な場所だった。

それに何より、ここの主はとてもからかい甲斐のある人物なのだ。

数年ぶりに逢うその主の表情が容易に想像できて、風月は軽く笑みを漏らす。

「さーて、どんな顔するか楽しみだ」

険しくなってきた道を、今までと同じような足取りで彼女は目的地に向かって歩き続けた。

 

 

それから、少し時間が過ぎた頃。

ある館の広間で、学生服を身にまとった青年と色々な制服の少女たちが、

宴会を行っていた。

「九角様、失礼いたします」

そのとき障子の外から、女性の声が青年の名を呼ぶのが聞こえて、呼ばれた青年は

少し不機嫌そうな表情になり、持っていた杯を口へと運んだ後、返事をする。

「水角、宴の最中は誰も近寄るなと言っておいたはずだぜ?」

不機嫌そうな主の声に、ひるむ様子もなく水角と呼ばれたその女性は言葉を続ける。

「承知しております、…が、今、銀の姫御前がお見えになりましたので、急ぎ、

お知らせをしたほうがよろしいかと思いましたもので」

その言葉を聞いたとたん、青年は慌てたように腰を浮かす。

「風月が来た?早く知らせに来ないか!。物見はいったい、何をやってたんだ!!」

「どうやら、《気》を抑えられていたようで、物見も見落としたようです。

今、控えの間で、お待ちいただいておりますが、こちらにお通ししてよろしいでしょうか?」

「あ…ああ。そう…いや、俺がそっちに行く。おい、お前たち、さっさと帰れ!」

自分を見つめていた女子学生達を、慌てて帰そうとしたとき、障子の外から制止の声が

聞こえてくる。

「姫御前、しばしお待ちください。今、九角様は取り込み中で…」

「いいじゃん、どうせ何やってるかなんて、わかりきってるんだから。

気にしない、気にしない」

その声とともに障子の開く音がして、出現した気配に青年−九角天童−の顔色が

音を立てて青くなる。

「ん〜、相変わらず綺麗どころはべらせてるねぇ。あの馬鹿が、来るの嫌がる筈だ」

「い…いや、風月。これはつまりだな」

慌てて、説明を考え始める天童を横目で見ながら、風月はあっさりと言葉を紡ぐ。

「宴会してたんだろ?俺も混ぜろよな」

「い…いや、これは…」

言葉に詰まってしまった天童の横を通って、上座に座ると、風月は置かれていた杯に

酒を注いで、飲み始める。

「いい酒、置いてるなぁ。水角、残ってたら一本譲ってよ。持って帰るから」

「はい、準備しておきます」

座敷の外に控えていた水角はそう返事をすると、その気配を消した。

「い…いったい、何の用で来たんだ!お前は!」

「ん〜、別にそんな大した用事じゃないんだけどさ」

風月は、飲み干してしまった杯を横に置くと、天童の方を見つめる。

「始まるからさ、一応知らせておこうと思って」

その言葉を聞いた天童の気が一瞬にして変わり、風月の横の空いている空間に

どかっと座り込む。

「手駒はそろってるのか?」

「まぁ、何とかね。婆様のおかげで、昔のつなぎはできてるし。

ただ、風祭家だけは除外だけどな」

「なぜだ?あそこもまだ家は継続してるはずだろう?」

「してることは、してるんだけどな…」

風月はそこで軽く溜息をつくと、再び杯に酒を注いで、一気にそれを飲み干した。

「まだ、小学生なんだ。いくらなんでも引きずり込むわけにもいかないだろう」

その言葉を聞いて、天童は少し上を向いて、顔をしかめる。

「確かにな、だが、戦力が減って大丈夫なのか?敵はあの男なんだろう?」

「まぁ、その点は大丈夫だろう、師匠たちが後継者を見つけてくれたし」

「そうか。それで?俺は何をすればいい?」

風月の言葉に安心したのか、彼は残った酒を杯に注ぎながら、そう尋ねる。

「手伝って欲しいって言うのが、本音だけどな。でも立場上難しいだろう?

とりあえず、こっちの邪魔をしないでくれたらいい」

「それだけでいいのか?」

「俺としちゃ手伝ってもらえれば、本当に助かるんだけど、あの馬鹿が嫌がるからなぁ」

「お前も気苦労が多いな」

そこで、天童はにやりと笑ってみせる。

「どうだ?いっそ、あいつから俺に乗り換えないか?不自由な生活はさせないぞ?」

「俺は、別にどっちでもいいんだけどな」

風月はクスっと、何かを思いついたように笑って

「天童が婆様に勝てるならな」

そう言葉を続けた。

「…それは、謹んで遠慮しておこう。あの婆様には勝てる気がしねぇ」

「情けない、何で俺の周りの男たちはこうなんだろうな」

「仕方ないだろう、相手が巨大すぎる。婆様に勝てる人間を、俺はいまだかつて

一人しか見たことがないぞ」

「あれは、勝ったとはいわないよ、既成事実を差し出したら、気に入られただけだ」

「それでもお前をかっさらっていっただろうが。それだけで、ある意味勝ちだぞ」

「俺は、何かの景品かよ」

「ま、ある種そうかもしれないな」

「なんだよ、それは…。俺の人権無視かよ」

風月は、かなりいやそうな表情を浮かべた。

「まぁ、そう言うな。人権とやらは認めたうえでの景品だ」

天童の言葉にも、風月は納得できないようだった。

「まぁ、いい。ところで今日はゆっくりできるのか?」

「そうしたいところだけど、あの馬鹿が切れそうだからな。今日は帰るよ。

また来るから、今度もいい酒仕入れておいてくれよ」

風月は、そう言うと立ち上がって、傍に控えていた水角から土産を受け取ると、

軽く手を振って、帰っていった。

「水角」

「はっ」

その後姿を見送った後、天童が部下に命じる。

「お前たちで風月を見守れ。ただし、本当に危険になるまでは、手助けするな。

あれも余計な手出しは嫌がるだろうからな」

「御意」

返事をした後、水角はすぐに姿を消した。

「当分、退屈しそうにないな。面白くなりそうだぜ」

天童は、縁側に立ち、庭を見つめながら笑いを漏らしながら、そう呟いていた。

 

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