夏祭り
「京一君、ただいま」
「おう、お帰り。何か荷物が届いてるぜ」
食料品を買いに行っていた麻莉菜が帰って来た時、留守番していた京一がリビングから
出てきて、玄関に置いてある荷物を指し示した。
「なんだろ…あ、お母さんからだ」
送り主の名前を見て、麻莉菜は不思議そうな表情を浮かべた。
「昨日の電話じゃ何も言ってなかったのに…」
買ってきた食料品を冷蔵庫に入れた後、麻莉菜は届いていたダンボールの蓋を開けた。
「何、送ってきたんだ?」
「…浴衣一式…」
白い紙に包まれていた浴衣を見て、彼女は同封されていた手紙を開いた。
「夏祭りとかもあるだろうから、送ってくれたんだ…」
「来月、花火大会があるから、ちょうどいいじゃないか」
「花火大会?あ、そう言えば聞いた事ある…」
「なぁ、麻莉菜。これ、一人で着れるか?」
「?うん、家にいた時、お店の手伝いの時は、着てたから」
「じゃあさ、今度、花火大会に二人で行かねぇか?他の奴らには内緒でさ」
「え?」
「たまには、いいだろう?二人きりってのも」
京一は、麻莉菜にそう言って笑った。
「…皆を誘わなくてもいいのかな…」
「かまやしないって。たまには二人きりでデートしようぜ。ここ最近、ばたばたしてたし、
ゆっくりするのもいいだろう?」
「うん」
京一の言葉に麻莉菜はこっくりと頷いた。
「じゃ、調べとくからな。楽しみにしとけよ」
彼はそれだけ言って、帰っていった。
二週間後、京一が麻莉菜との帰り道に一枚の葉書を見せた。
「京一君…これ、何?」
「当たったぜ。花火大会」
「え?」
麻莉菜は少し驚いた表情を浮かべた。
「約束したろ?一緒に見に行こうって」
「あ、うん」
「締め切りギリギリだったから、焦ったけどな。何とか入場券手に入れられたぜ」
「入場券、いるんだ…」
「なくても見れるんだけどよ。せっかくなら、いい場所で見た方がいいだろう」
「うん」
麻莉菜は本当に嬉しそうな表情を浮かべた。
「楽しみ…。東京の花火って、TVでしか見たことないけど、とっても綺麗だったの覚えてる…」
彼女の明るい表情を見て、京一は少し安心する。
「ああ、楽しみにしとけよ。とっても綺麗だからな」
「うん!」
「新宿に負けないくらい、人が多いな…も」
花火大会の当日、麻莉菜の手を握って銀座の街を歩きながら、京一はぼやいた。
「手ぇ、離すなよ。こんな所ではぐれたら大変だぞ」
人込みをかき分けながら、背後の彼女に声をかける。
「あ、待って…」
大きめの荷物を持った彼女は、自然と小走りになってしまい、それに気づいた京一は、
少し歩くスピードをゆるめる。
「また、何を持って来たんだ?」
「あの…屋台とかあるかとも思ったんだけど…食べる物を少し作ってきたの…」
麻莉菜は京一の問いにそう答えた。
「貸せよ。持ってやるから。そんな荷物を抱えてたら歩きにくいだろ?」
麻莉菜の持っていた風呂敷包みを取り上げると、彼は再び歩き始めた。
「花火を見ながら、麻莉菜の作った飯を食えるなんて、最高だな」
「あたし、これくらいしか得意な事ないから…」
「充分だって」
麻莉菜の髪の毛をかき混ぜようとして、結い上げているそれを見た京一は途中で手を止める。
「麻莉菜の料理が上手いのを、俺は知ってるからな」
笑いながら、彼はそう言った。
「それにしてもこの人込みじゃ歩きづらいな、地下鉄使うか…」
京一は麻莉菜の手を引きながら地下へと降りていった。
「地下苦手なのは知ってけど、少しの間だけ我慢してくれな」
空気が流れないせいか、麻莉菜があまり地下を得意としないのを知っている京一は、
そう言ってから切符を購入する。
「短い間なら、平気だから…」
麻莉菜はそう言って笑って見せた。
地下鉄に5分ほど乗った後、地上に上がった2人は、バス待ちの行列を見て、顔を見合わせた。
「凄い人だね…」
「これじゃ、いつ乗れるか判らねぇな。時間はかかるが、歩くか?」
「うん」
会場に向かって歩く人の列について、歩き始める。
「やっぱり、浴衣着てる人も多いね…」
「ああ、でも麻莉菜が一番可愛いぜ」
回りを見回した京一の言葉に、彼女は照れたように顔を紅くした。
「どうして京一君…そう言う事を平気で言えるの?」
「あ?そりゃ、本気でそう思ってるからな。麻莉菜が一番可愛いって」
「…」
その言葉に麻莉菜の顔がますます紅くなる。
彼女の顔が着ている撫子色の浴衣より紅くなるのを見ながら、京一は笑った。
「さ、少し急ごうぜ」
二人は、会場への道を手を繋いだまま、歩き続けていた。
「やっぱり人が多いな」
入場待ちの列に並んで、京一はそう言った。
「でも、けっこう前の方にこれたからいいよね」
「ああ。そうだな」
どんどん後ろに並んでいく人達を見ながら、麻莉菜がそう言った。
「やっぱり東京のお祭りって凄いのね」
彼女は感心したように言った。
「こんなに沢山の人が集まってくるんだもの」
「麻莉菜の家の方でも祭りは有っただろう?」
「うん、でもお店の方が忙しくて、ほとんど見にいけなかったの」
「そっか。麻莉菜の家は和菓子屋だったな」
「あたしもお店のお手伝いしてたから…」
「よしっ!今日は何もかも忘れて楽しもうぜ」
京一は、麻莉菜の背中を思いきり叩いた。
入場時間になり、順番に並べられたビニールシートに陣取っていく。
「この辺なら、良く見えるな」
京一は持っていたバッグの中から、小さなビニールシートを敷いた。
「浴衣、汚れるとまずいだろう?」
麻莉菜の手を取って座らせると、彼はその横の主催者が用意したビニールシートの上に座った。
「京一君の服が汚れるよ…」
少し、詰めようとした麻莉菜を京一は止めた。
「俺のは普段着だから、いいって。気にするなよ」
いつもどおり持っていた木刀の袋を置くと、麻莉菜の持ってきた食べ物を広げた。
「花火が始まる前に少し食べておこうぜ。始まったら、それどころじゃないだろうしな」
「うん」
彼女は京一に割り箸と手拭を手渡した。
「ありがとうな」
割り箸を割ると、京一は食べ物に手を伸ばした。
「麻莉菜、また料理の腕があがったな」
「本当?」
「ああ、凄く上手くなってるぜ」
彼は食べながら、麻莉菜に笑いかけた。
「お、そろそろ始まるみたいだな」
殆ど食べ終わった頃、人々が空を見上げ始める。
夜空に、大輪の華が次々に咲き始める。
「…綺麗…」
空を見上げたまま瞳を輝かせた麻莉菜が横で呟くのを聞いて、京一は彼女の方を見る。
空を彩る光に照らされて、彼女の姿が闇に浮かび上がった。
「東京の夏の風物詩だからな」
「人って凄いよね、こんなに綺麗な物を作るんだから」
「ああ、そうだな」
二人は並んで、光の華を見つめていた。
背後で歓声があがる度に、光の華は咲き続けていた。
花火が終り、人々が帰り始めてからも、麻莉菜は座って夜空を見上げていた。
「麻莉菜?」
「凄く…綺麗だったぁ…何かこのまま帰るのもったいないみたい…」
感動の余韻に浸ったまま、彼女は呟いた。
「少し、ここでゆっくりしてくか。どうせ、道も混んでるだろうしな」
「う…ん」
ぼんやりと頷く麻莉菜の眼の前に、京一はある物を出す。
「どうせ、ゆっくりするなら、ここで花火していこうぜ」
何時の間にか、京一は小さな花火のセットを用意していた。
「さっきの花火にはかなり劣るけどな」
「ううん、そんな事ないよ」
麻莉菜は嬉しそうに笑って、立ち上がった。
飲み干したペットボトルに水を入れて、バケツ代わりにすると、花火に火をつける。
微かな音を弾かせて、花火が小さな彩りを描く。
「さっきのも綺麗だったけど、これも綺麗…」
火の彩りを見つめながら、麻莉菜が呟いた。
「何かホッとする暖かさだよね…、身近に感じれて…」
「いつでも、できるからな。さっきの大掛かりな奴と違って」
「でも、これも花火なんだよね…」
線香花火に火をつけながら、麻莉菜は呟いた。
「あたし、できれば、こっちの花火みたいになりたいな…」
「え?」
「全ての人を喜ばせられなくても…例え一人でもホッとさせられたらそっちの方があたしは
嬉しいな。その人が大事な人なら、もっと嬉しい…」
「麻莉菜なら、できるさ」
麻莉菜の言葉を理解して、京一は頷いた。
「本当?」
「ああ、絶対できるさ。俺が保証する」
「そうできれば凄く嬉しい…」
麻莉菜は本当に嬉しそうに笑った。
(気づいてないんだろうな。俺が麻莉菜の側にいるだけでホッとしてるって)
そんな彼女を見ながら、京一は心の中で思った。
ほのかに明るい花火に照らされて、二人はその光を見つめていた。
「そろそろ、帰るか?人の波も収まったみたいだしな」
京一がそう言ったのは、花火の袋が空になった頃だった。
「そうだね」
二人で、回りを片付けて、駅へ歩きかけた時には、もう人波もなくなっていた。
「今日は凄く楽しかった…。ありがとう、京一君」
手を繋いで歩きながら、麻莉菜がそう言った。
「俺も結構楽しかったな。花火なんて久し振りだったし」
京一は彼女の方を見ながら、笑って見せる。
「また機会があったら見に来ようぜ」
「うん!」
麻莉菜は嬉しそうに笑って頷いた。
そして、銀座の街の夏祭りは終り、いつもの日常が待つ新宿の街へと二人は戻っていった。
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