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労働者文学会 
労働と生活にねざした文化



 デジタル労働者文学 3号

2026年1月1日 発行
 
目次

     
 小説  郵便切手の庭の蟇  首藤 滋
 講演 『エッセンシャルワーカー』と労働者文学  楜沢 健
     
 

郵便切手の庭の蟇

首藤 滋

 五燭灯の暗い寝室で、枕元の目覚まし時計の音をとめて、布団から出て南側の障子に向かう。障子をあけ、黒のアルミ枠だが少し重いガラス戸を開け、アルミの雨戸をガラガラと戸袋にしまった。六畳間が明るくなる。朝の八時、亀井康介はいつものようにしばし庭の木々を眺める。
 
目の前のジャスミンの雑然と交差を繰り返す幹、向かいの塀に近く左に三メートルに伸びた槿の緑、二メートル半の山茶花のつやのある葉、根元から細く三本の枝がひょろりと伸びた百日紅、そして右翼に二メートル余のヤツデ。新緑がでると、こうして雑然と植えられた木を、康介の眼がしばらくぼんやりと追う。
 
東京の東のはずれの雑然とした街を三回引っ越したが、建売のこの物件が出たのをみて、二〇〇一年に買い替えてもう二十年になる。最寄りの京成電鉄の駅まで徒歩十二分が七分になった。妻の啓子も康介も十代はじめに父を失い、母子家庭で育った。家族で住む家がない、という事態が二人の強い強迫観念を形成していた。啓子は、会社勤めの職業訓練をもとに、英文パソコン入力の技術を手にして、自宅で特殊な文書作成の請負仕事をしていた。夕方仕事が出ると受け取りに行き、深夜までに完成して翌朝届けた。還暦で引退した。康介は六五歳で会社を定年退職し、今年で十年になる。庭の木々と草花はほぼすべて、啓子がかつて一株ずつ植えていったものだ。

庭の幅は六メート弱、奥行きは三メートル半程度。塀として腹の高さの大谷石の塀上にこげ茶色のアルミフェンスが乗っている。塀の向こうは真南に東西に長く立つ三階建てマンションの敷地だ。木枝と葉の緑が目隠しになっているように思える。英国人の同僚に「猫の額のような庭」、とそのまま表現したら、かれは英国では「郵便切手のような」という言い方をするのだ、と教えてくれた。
 その朝はしかし康介の目の前になにか色濃い変わった塊りがあるのに気がついた。む、と言ったかどうか。康介はその塊りが蛙であることに気づいた。その背のこげ茶色の色合いと恰好から(ひき)蛙らしいとわかる。拳よりひとまわり大きいようだ。その蟇はまっすぐ康介を見ている。そう見えた。三分ほどは見ていたに違いない。腹を動かすこともなく、蟇はまったく動かない。雨戸の前は奥行き一メートル弱の茶色の石板の三和土になっていて、その外側の土面からの高さは十センチほどだ。蟇がいるのは、土から這い上がってすぐ座ったような位置だ。
 どこから出てきたのだろうか。そもそもこの狭い庭のどこに彼は住んでいたのか。この家に入って二〇年になるのに、それまで見たことがない。考えるのをやめて、康介はともかく洗面所で顔を洗い、髭を剃り歯を磨き、部屋に戻る。その蟇の姿はなかった。
 
どこへ移動したのか。康介は地面をあちこち眺めた。映画『赤目四十八瀧心中未遂』で、空き地に大きな土管が立てられて中に蟇蛙がいる。出口のない場所に置かれたような登場人物たちの象徴として描かれたのだが、ついにはこの蟇は白い腹をみせてそこで命果てるのだ。蟇を土管に投げ入れた者の酷薄、その残酷な違和感がいつまでも康介の瞼に焼きついていた。庭でそれらしく見えるものは、木の根だったり、土の色が少し変わったものであったり。康介は自分の臆病さに半ばあきれつつ蟇の背か腹かを探したのだ。蟇はそれっきり消えてしまったのである。
 それから二、三週間たったある日、庭に出て木々の伸びた枝葉をはらっていた。すると、山茶花に葉といい、枝といい、体長二センチ余りの帯状の虫がびっしりついていた。チャドクガの幼虫のようだ。針毛に刺されたら痛いらしい。山茶花の固く光る緑の葉が康介は好きだった。花よりも印象に残る。康介は高圧ガスボンベの園芸用殺虫剤をもってきて、シュッシューと噴いた。茶色の虫は噴かれて四、五秒で白い腹を見せてのたうち回り、地面に落ちていく。小気味よいくらいだ。ふと下におちた虫を眺めて、康介はびっくりした。あの蟇が出たのだ。自分のほんのつま先近くにいて、落ちた虫を次から次へとぱくぱく食べている。殺虫剤がたっぷりかかった虫を食べて、腹をこわしやしないか。心配したが、少なくともいま見るところ、その気配はない。そうか君は生きていたのか。康介はほっとして嬉しくなり、山茶花にとりついて、この枝あの葉と丹念に追って、虫を落とした。蟇はそれらを追って次々と平らげる。そのうち、蟇がその一匹だけではなく、もう二匹が近くにいて寄ってきていることがわかった。彼が一番大きく、もう一匹は少し痩せて背は緑がかっている。三番目のは、さらに小柄でまるで両親と子供のように見えた。
 すっかりチャドクガを平らげた三匹は、塀の下に寄ったり、あちこちをのっそりと歩き回ったりしている。見るのにあきた康介は、三和土から縁に上がった。そうか、三匹もいたのか。しかしいつもはこの狭い庭のどこをねぐらとしているのか。あの後から現れた二匹は、どうも南側の塀にそってきたようだ。
 東南の隅に薄く光がさしている。長らく気づかなかったが、東隣と南の境界になるところにコンクリートの境界杭が打ってある。朱色のT字の溝がしるしだ。そこから高さ十センチほどの空間がある。そうか、彼らはお隣からここを抜けて来たのか。
 東隣りの家の南側、康介の家の庭にあたる部分は、大部分が木製のデッキになっている。高さ三〇センチほどだが、その下は土だ。隣家の夫婦は共働きで、その子供たちを含め、デッキに出ている姿を見たことがない。雨風に打たれるままになっている。それでも傷んだ様子がないのは合成樹脂製か防腐加工が良いせいか。蛙が必要とする水をどう手に入れるのか。まあ、いつも湿ったようになっているデッキ下であれば問題ないであろう。康介はだいぶん安心した。
 図鑑で見た。初めに見た蟇はあきらかにメスだった。痩せて小柄なのがオスなのだ。
 二〇〇三年の夏、それまで八三歳の文子は同居する娘、康介の次姉・美子の介護をうけつつ、江戸川区小岩の家に住んでいた。康介・啓子夫婦と二人の子供たちが、そこから葛飾区の建売住宅に移ったのはその二十年ほど前のことだった。遠方を避けた結果だ。自転車で二〇分ほどのところだ。何かの用事があれば自転車で行くが、康介の脚は二十年の間に次第に遠のいて、文子の面倒はもっぱら美子に委ねられていた。美子は駅近くに小さな洋装の小売店を経営しているので、日中は文子一人となる。趣味で通っていたパチンコ店への足も、杖をつくようになってから遠のいたらしい。
 
康介の父が癌で死んでからの文子は呉服の行商をしたが、呉服はすでに斜陽産業であり、商売は縮小の一途をたどった。再婚の話もあったが、そのとき美子と康介は反対したのである。長姉は他家に嫁いでいた。康介はこの時代のことを想うたび、暗い想いが勝る。しかし、そういう時代でもあったのだ、と言い聞かせる自分もいた。「オリ」の内職があった。家にドサッと大判の新聞広告が届けられる。数枚をまとめて折ってから樹脂製の櫛の背などでぎゅっとしごく。折り目がついたら、それを一枚ずつ捌いてまた折る。要するに新聞に折り込める大きさにして、晩遅くまたは翌朝引き取りに来る業者を待つのである。後日、労働組合でビラや新聞や資料を折るとき、康介は決まってオリの内職を想い出し、少しの不快感と少しの懐かしさを感じた。次姉が洋装店を経営し始め、康介が就職するまで、限られた父の遺産と呉服の商売で食いつなぐのは、苦労が多かったろうと思うが、文子が美子や陽介にその苦労話をすることはなかった。
 その夏、近所の医院が夏休みで休院するというので、勧められて文子は区内の病院に入院することになった。見舞いに行った康介は、苦しそうに食べ物を吐き、時に意識が朦朧とする母を見た。いろんな検査があったが、極めつけは、癌を疑った食道から採った試片が「壊死している」、という報告だった。一時的入院のはずが、そのまま長期入院となった。
 美子が康介にこう言った。「あそこにちょっと荷物がおいてあるでしょ。ポリ袋に入れたものがあったの。母さんがね、ジィーッとその袋を見ているの。あたし、急いで袋を戸棚にしまったの」 康介はポリエチレンのレジ袋をかぶる文子を想像して、少し身震いした。
 入院してひと月ほど経ったころ、病院が「胃瘻(いろう)」を勧めた。嚥下が困難な患者の腹部に管を接合できる接合部をつけ、管を通して胃に直接栄養物を入れる、というのだ。胃以下の消化器系統は生きつづける。美子と康介はしばらく顔を見合わせた。結論は胃瘻をしないということだった。そのことによって死期が早まったであろうことは明らかだろう。
 のちに康介は人に紹介されて『「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか』(石飛幸三著 講談社二〇一一年)を読んだ。最期をどのように迎えるか、あの胃瘻拒否の判断は長く康介の心によどんだわだかまりを残したが、この本によって少し救われたような気がした。
 息を引き取るまでの一一か月間、いろんなことがあった。ある程度症状が安定したその間、埼玉県に嫁いでいる長姉、小岩に住む次姉、そして康介が週二日ずつ、妻・啓子が一日、母を見舞うという七日間のローテイションを組んだ。康介は会社が休みの土・日とした。母は日に数回点滴につながれる。おむつの下の世話は看護師さんがやってくれる。
 入院まで毎日飲んでいた日本酒もヘビースモーカーのたばこも、ないことが苦になるようにみえないのが少し意外だった。康介が会社勤めを始めた一九六八年、東海道新幹線に禁煙車両は一台しかなかった、と記憶する。チェインスモーカーの文子は、相当な量の副流煙を家族に撒いていたはずだ。「口で喫うだけで、肺に吸い込まないから大丈夫」が母の口癖だった。康介も姉たちも喫煙の習慣を持たなかった。
 ある日、文子は大きないびきをかきながら眠っていた。二時間すぎてもいびきで眠りっぱなしの文子に声をかけて妨げるのもどうかと、康介は帰宅の途に就いた。翌日行くと目覚めていて「なんで声をかけてくれなかった」とうらみがましく言った。
 またある日、康介が「よくなって家に帰れるといいね」と言うと、文子はしばらく黙ったあと「帰ってもひとりで、だれもいねぇからなあ」と、生まれ育った故郷のなまりで言った。今は毎日四人が代わる代わる面会に来てくれる。顔を合わせることができる。話もできる。孫の消息も聞ける。しかし、小岩の家では、相手になるのはテレビだけで、長姉と康介の二人はごくたまに来るだけ、同居の美子も日中は店に出たり、都心に仕入れに出たりで、母は孤独をかこっていたのだ。
 ある日病室に入った康介は、文子が拘束衣に縛られて仰向けになっているのをみて、愕然とした。無意識に点滴を外してしまうから、というのだった。両腕以下ががっちり拘束されて横たわる母ほど痛ましく感じたことはなかった。母は一言も不平を言わなかった。眠りについた母をみて、康介は涙した。どのようにしてか、数週間ののち、拘束衣ははずされた。
 足がしびれる、さすってくれないか、と言われてさすってあげることもあった。小柄な文子の脚は骨にかろうじて筋肉があったが細く柔らかく、歩行は不可能だったろう。初めて母の手足の爪を切ることもあった。しかし十か月がすぎたころ、母の反応は確実に弱った。ある午後、ベッドの文子の眼が窓の外をじっと見ていた。三階の病室の窓のさきに、わずかに一本の松のてっぺんがベッドから見え、風に揺らいでいた。「あの樹がみえるんだね」と聞くと「うん」と低い声で答えた。母は風を追っていたのだ。それから数日後の深夜、母はひとりで息を引き取り、康介たちが呼ばれた。
 ここひと月の間、康介がそれとなく感じていたことが、一つの画になろうとしているのを感じた。これを聞いたひとは、荒唐無稽と笑うだろう。あの蟇は康介の母・文子の化身ではなかったか、ということだ。
 三和土にすわる蟇を見たのは、あとで振り返るに五月二〇日、それは文子の誕生日だった。この年は文子の十七回忌にあたっていたが、法要は新型コロナ禍のなかで見合わせていた。三すくみで懐かしい映画『忍術児雷也』で児雷也が乗る蟇は煙か息か白いものを吐いていた。文子はいつも紫煙をくゆらせていた。そうか、あれは母の化身だったのだ。いや紫煙をくゆらせていたのは綱手姫のほうだったか。それに、じっと康介を見ているようだったのは、ガラッとあけた雨戸にびっくりして身を固め、自分を守ろうとしたのだろう。もともとは、縁に潜む蚊を狙って三和土にあがってきていたのかもしれない。それになんでも化身が蟇では可哀そうだろう、上野の博物館でラグーザの「日本の婦人像」に文子の面影をみた康介としては。
 
三匹の蟇はそれから姿を見せたことはない。殺虫剤にやられたのかもしれない。隣家とのあの隙間も土がたまって、蛙の往還には狭くなっている。いや、今度庭に出たときは、スコップであの隙間を拡げてみよう。康介は啓子に蟇の話はしたが、化身の話はしなかった。呆れられるだけだから。

 目次
 
『エッセンシャルワーカー』と労働者文学
楜沢健
 

労働者文学賞2025記念講演会

「『エッセンシャルワーカー』と労働者文学」

楜沢健(文芸評論家)

2025年831日 15
文京区・涵徳亭 別間

【「エッセンシャルワーカー」というカタカナ語について】
 今回の受賞作と佳作は、いずれも、いわゆる「エッセンシャルワーカー」と 呼ばれる労働者と労働現場が共通して取り上げられていました。芹田さんの「看護助手」は、病院の看護師を補助(ケア)するヘルパー二級取得の看護助手、中沢さんの「にぎやかな水」は水道料金徴収を市役所から委託されたアウトソーシングの民間会社に雇われた「凖社員」、隆延さんの「おめさん、出世するよ」が同じくヘルパー二級の資格を取得してデイサービスで働く非常勤職員、というように、それぞれ引きこもりや失業や廃業な ど様々な理由で食い詰め、露頭に迷い、「エッセンシャルワーカー」へと流れ着いた六〇歳前後の中年から老年の人たちが描かれています。
「エッセンシャルワーカー」というカタカナ語については、昨年も受賞作に関連して少しばかり触れましたが、コロナ禍をきっかけに突如出現した、それ以前には使われていなかった新しい言葉でした。「ケア階級」「キーワーカー」という名称も、同時に使われ、頻繁に目にするようになりました。
 最初にこの言葉をみたとき、シャンプーか化粧品の名前、商品名かと思いました。エッセンシャルオイル、エッセンシャルシャンプー……。商品の宣伝か広告コピーのような名前の付け方と共通のものを感じます。イギリス発の用語ですが、コロナ禍でにわかに使われるようになった新語のようです。それ以前には使われていなかった、誰の口にも上らなかった言葉が、突如として連呼されるようになった。
 たとえば、共同通信の「〈用語解説〉2020年」に、「エッセンシャルワーカー」の解説が載っていて、こう書かれています。

 〈日常生活を送るために必要不可欠な仕事に従事する人を指す。「エッセンシャル(本質的な、不可欠な)」と「ワーカー(労働者)」を組み合わせた言葉で、感謝や尊敬の念を込め、欧米から広まった。医療や介護、電気・ガス・水道などのインフラ、公共交通、清掃、農業、生活必需品の小売り・販売など多岐にわたる。新型コロナウイルスの感染拡大により外出が禁止、自粛される中で、社会機能維持のため仕事を続ける人々に各国で注目が集まった。〉*棒線引用者

「社会機能維持」のために、感染のリスクや危険があろうと、誰かにやってもらわなくてはならない、本質的で重大な労働、という定義になるでしょうか。「医療や介護、電気・ガス・水道などのインフラ、公共交通、清掃、農業、生活必需品の小売り・販売」とありますが、要するに新自由主義政策で多くが民営化され、切り捨てられてきた、主として「公共」にかかわる低賃金で使い捨てにされる労働・労働者を包摂する用語といえるかと思います。
 今回の労働文学賞の三作品にも描かれていましたが、どれも労働条件が悪く、不安定な非正規雇用で、給料は低く、それゆえ若い人は定着せず、生活に困窮する高齢者が採用される、そんな労働であり労働者にかかわる言葉です。傍線部の「感謝と尊敬を込め」という箇所が、何より欺瞞に満ちていて、うさんくさいですね。これまで切り捨てられ、軽視されてきた労働と労働者を、コロナ禍でにわかに「感謝と尊敬を込め」て「エッセンシャルワーカー」などと持ち上げてみせた、ということですから。つまり、自分では絶対にやらない危険な労働に従事する人たちを、「社会機能維持のため仕事を続ける人々」と持ち上げ、ある意味、都合のいい生贄となって仕事に従事することを半ば強制するニュアンスが込められている。そのための都合のいい本音が、「エッセンシャルワーカー」という、にわか用語には透けて見えますね。
「感謝と尊敬」は、当時、実際に医療従事者にみなで拍手を送ったりと、目に見える形でイベント化されていました。たとえば「現代用語の基礎知識2021」に「激励と祈り」と題して次のようなコロナ禍の世相が掲載されています。

〈巷間では「コロナに負けるな」などのフレーズが流行。社会を鼓舞・応援する動きも盛んになった。応援の対象となったのが、医療従事者やエッセンシャルワーカー(社会機能を維持する仕事の従事者)の人たち。金曜正午に彼らへの感謝を込めた拍手を一斉に行うフライデーオベーションは世界的流行となった。また2020年5月29日には航空自衛隊のアクロバット飛行チームブルーインパルスが東京上空を飛行。やはり彼らへの感謝の意思を示した。 〉

 まるで戦時中の出征や特攻隊を見送るバンザイ三唱の光景と瓜二つですね。社会にとって都合のいい存在であらせよう、強制的に働かせよう、そこから逃げ出せないようにしよう、という悪意のようなものが、このカタカナ用語からは透けて見えてしまう。
 実際、逃げ出せないよう、イギリスでは二〇二三年に、スナク政権が公共機関、つまり「エッセンシャルワーカー」をターゲットに「最低サービス水準法」という反ストライキ法を議会に提出しています。コロナ禍の危機を経て、新自由主義政策を見直し、民営化の傷跡を改善するどころか、このままの現状に彼らを鎖でつないでしまえというわけです。
「感謝と尊敬」など、どこ吹く風でしょう。呆れてしまいます。「エッセンシャルワーカー」という広告コピー的なくくりのボロがどんどん明らかになっているのが現状ではないでしょうか。今回の受賞作を読めば、それは明らかです。

【葛藤・懺悔・贖罪】

「軍隊」を聖なるものとして持ち上げるのが危険なことであるのと同様、社会機能を維持するうえで不可欠だからといって、たとえば近代的な管理と支配と生権力のシステムである「病院」を都合よく聖なるものとして持ち上げるのは、とても危険なことです。「エッセンシャルワーカー」は、そうした管理と支配と生権力のシステムに深く関係している労働と労働者ですから、当然のことながら権力を与えられ、いわば人の生殺与奪の権を握る管理の問題に直面させられる人たちでもあります。三作品で描かれているのも、社会機能を維持するうえで不可欠の労働者であるにもかかわらず、低賃金で不安定な立場に置かれているというだけでなく、そうであるにもかかわらず、人を管理し、服従させ、権力を行使し、なおかつその責任を負わなければならない、そういう理不尽な状況に置かれた人たちの不安であり、葛藤です。
「看護助手」には、そうしたケア労働の在り方をめぐる葛藤と不安、患者に対する贖罪感というものが、とても強く出ていると思います。作者の芹田さんは「受賞のことば」で「懺悔の気持ち」をこうつづっています。

〈今、何故これを書いたのかと、もし問われたら、歌謡曲の文句ではないのですが、心の底のどこかに懺悔の気持ちがあったから、と答えるかもしれません。(中略)多くの人たちが病気や老いや死に直面して苦しむ姿を見ているうちに、次第に心が麻痺してくるのを感じていました。病院の都合で不都合を押し付けられる患者さんの立場に立つことなく、犬に追われる羊のように業務をこなすことだけを考えている人間になってしまいました。 〉

 こうした葛藤と贖罪感に苛まれながら、ただひたすら「病院の都合」に従い、心を麻痺させてやり過ごすしかないような労働に直面させられている人たちにとって、「エッセンシャルワーカー」などというあざとい持ち上げやヨイショなど、ご都合主義な「上から目線」の鼻白むものでしかないだろうという気がします。
「看護助手」では、患者の身体拘束の是非をめぐる問題が描かれています。寝たきりの老人、点滴や胃ろうチューブを引き抜かないように拘束された患者たちの「不幸であり、苦痛でもあるはずのものをやすやすと受け入れている」姿を目の当たりにして、主人公の看護助手はいたたまれない気持ちに襲われます。同時に、患者の生殺与奪の権を握っている不安と葛藤、贖罪感に直面せざるをえない。
 夜勤の看護師たちもまた同じく葛藤と贖罪感を抱えていますね。職員の狭い休憩室の壁に残された、無数の蹴ったり、こすったりした傷跡が、そのことを伝えています。「年端のいかない子供たちが書き残した、ただただ滅茶苦茶としか言いようのない落書きのような」傷跡と書かれていますが、職員たちの心の奥底にある不安や葛藤が壁そのものに染み出ているような描写で、とても印象に残ります。

【河林満「渇水」から35年後の世界】

 他方、「にぎやかな水」では、主人公はすでに料金滞納者の水道を停める権限を行使して、水道が使えないまま生きている老人の生活を目の当たりにします。「看護助手」は文字通り「看護師」ではなく、さらにそれを補佐(ケア)する「助手」というポジションでしたが、「にぎやかな水」も「準社員」ですね。「三下のくせに」という蔑視を、滞納者から投げつけられる場面がありますが、こうした末端にいる人たちが現場で、見下され、差別される一方で人を管理し、その生殺与奪の権を握る前面に立たされるわけです。ここに登場する正規採用の公務員や社員は、「準社員」にそうした管理の権限、生殺与奪の権の行使を委ねることで、みずからは贖罪感や葛藤をまるごと抱えることなく、逃げるとまではいえないが、軽くすることができるわけです。準社員とはそのために存在する「三下」身分だというのが、ここで描かれていることではないでしょうか。
「にぎやかな水」を読んですぐに思い出すのは、河林満「渇水」(一九九〇年)です。 三五年前のバブルのころに書かれた、同じく水道料金滞納者の家庭を巡回する徴収員の視点から、浮かれた世相の死角をみごとに突く作品として、当時たいへん話題になりました。「にぎやかな水」における民間会社の「準社員」などまだ(ぎりぎり)存在しない時代ですから、主人公は公務員です。しかも徴収の業務は一人ではなく、二人体制。分散されるというか、共同で責任を負います。だから、同じ業務でも、倫理的な葛藤の抱え方が両作品ではまるでちがう。そこが三五年という時間を感じさせるところでしょうか。アウトソーシングの「準社員」が、「渇水」の公務員と同じような葛藤と責任を一人で背負わされているわけで、そんなのあまりにも不条理でバカバカしくてやっていられない、というなげやりな感じが、「渇水」とは違う状況のもとで、「にぎやかな水」にはよく出ていると思います。

【「生活習慣病」と「労働環境病」】

 カタカナではありませんが、「エッセンシャルワーカー」と同じような言い換え、すり換えに「生活習慣病」という言葉があります。この言葉がはじめて使われるようになったのは一九九五年だそうです。細川勝紀『労働環境病の提唱―「生活習慣病」批判』(二〇一九年)を読んではじめて知りました。それ以前によく使われていたのが「成人病」で、これも問題含みの名称なんですが、厚生省(当時)から説明を受けてはじめて聞いた「生活 習慣病」には、それ以上の違和感をおぼえたと、細川さんは書いています。
 それまでほとんどの病気疾患は、公衆衛生と環境の影響で発生するという概念が、医者はおろか社会でも広く共有されていた。結核などの労災や、水俣病やぜん息など公害の問題を考えれば、当然です。しかし「生活習慣病」は、そういう社会環境要因を無視して、病気はすべてあなた個人の責任であるという新自由主義の考え方が強く反映された病名に言い換えられたということです。細川さんは、この病名のおかげで一番得をして、楽になったのは医者だと批判しています。病気と労働環境の関連を調べ、企業や国を告発し、人々の健康を守ることが医者と公衆衛生の責務であったはずなのに、その必要がなくなり、病気になったらあなたの生活習慣に原因があると言えばすむようになってしまった。医者が労働者のために企業や国と戦わなくてもよくなった。要するに、この言葉のおかげで、それまで医者が抱えていたはずの葛藤や悩みから解放されたというわけです。
 細川さんは、それに代わって「労働環境病」という名称の必要性を提起しているのですが、そもそも「生活習慣病」などと誰が考え、提案したものか、言葉のくくりの政治は、怖ろしいものだと、あらためて思い知らされます。「エッセンシャルワーカー」という言葉で、得をし、楽になり、葛藤から解放されたのは誰なのか。看護師や介護士、水道などのインフラ、清掃、小売りなどにかかわる労働者では、けっしてないですよね。そういうことを考える必要がありますね。

【コロナ禍とカタカナ語の氾濫】

「エッセンシャルワーカー」同様、数々の怪しげなカタカナ用語がコロナ禍でつくり出され、氾濫したことは、まだまだ記憶に新しいと思います。「ステイホーム」「オーバーシュ―ト」「ソーシャルディスタンス」「スーパースプレッダー」などなど、どれも怪しげで実体の伴わない、翻訳不能、そもそもなぜカタカナである必要があるのか腑に落ちないものばかりでした。「ステイホーム」を直訳すれば「家に居ろ」「家に居よう」「外に出るな」になるでしょうか。暗黙の要請や命令のニュアンスをともなうスローガンですから、カタカナにすれば、そのニュアンスを隠したり、あいまいにしたり、やわらげたりすることができる。要するに、ごまかすことができる。すくなくともそういう効果はある。
 コロナとは何であったのか、いまだに判然としないままですが、怪しげなカタカナの氾濫に、その嘘くささが暗示されていたように思います。カタカナでごまかし、煙に巻くのでなければ透けてしまうような怪しい陰謀や利権がきっと背後に隠れているのでしょう。
 おそらく電通をはじめ広告会社が裏で絡んでいるでしょうが、こういう状況や本質を煙に巻くカタカナ用語の操作とすり込みの巧みさには、ほとほと感心してしまいます。
「エッセンシャルワーカー」をネットで検索すると、トップには人材派遣会社や、採用のためのアドバイスをするコンサルタント会社のサイトが出てくるんですが、人が集まらない職種にいかに人を集めるか、そのためのノウハウをいろいろ伝授している。「エッセンシャルワーカー」という言葉の解説と啓蒙、さらに普及という目的も、そのひとつです。業界と労働のイメージアップを画策しているのだと思います。ネオリベ的な広告宣伝、それは体制と市場の要請でしょうし、「SDGs(エス・ディー・ジーズ)」などのカタカナ用語を使うことで株価もアップする。「生活習慣病」と同様、「エッセンシャルワーカー」というカタカナの言い換えによって得をして、楽ができて、儲けて、笑いがとまらない人間や業界や資本家がいるということです。「リスキリング」しかり、「ダイバーシティ」しかり、「デロゲーション」しかりです。

【九段理江「東京都同情塔」からの問いかけ】

 こうした広告的カタカナ語の気持ち悪さに目を向けたのが、昨年芥川賞を受賞した九段理江「東京都同情塔」(二〇二四年)という作品でした。PC的な反差別が過剰に行きわたった、二〇二一年東京五輪後の架空の東京が舞台です。そこでは「刑務所」は差別表現だというので、新しく建設する刑務所を有識者会議は「シンパシータワートーキョー」と名づけます。ところが設計を担当した建築家の牧名は、「リゾートホテルみたいな語感」の、そのカタカナ語が受け入れられない。素直に口から出てこない。そのカタカナ語が体の中に入ってくることが許せない、「レイプされている気分」だと感じます。だから同時通訳的に「東京都同情塔」と言い換えます、それがタイトルの由来であり、物語のはじまりになっています。同じく、「犯罪者」は「ホモ・ミゼラビリス」、すなわち「同情されるべき人々」と再定義されます。こんな興味深い一節が出てきます。

〈けれど、頭に浮かんでくるのは依然言葉だけだった。仕方なく、脳内のゴミを掃き出すように文字を書き出していく。浮浪者=ホームレス。育児放棄=ネグレクト。菜食主義者=ヴィーガン。少数者=マイノリティ。性的少数者=セクシャル・マイノリティ。自分の手から書かれたとは信じたくないような文字に、辟易する。(中略)私はカタカナをデザインした人間とは酒が飲めない。美しさもプライドも感じられない味気のない直線である以上に中身はスカスカで、そのくせどんな国の言葉も包摂しますという厚顔でありながら、どこか一本抜いたらたちまちただの棒切れと化す構造物に愛着など持てるわけがない。生理的嫌悪感がどうやっても私のカタカナを歪ませる。(略)  母子家庭の母親=シングルマザー。配偶者=パートナー。第三の性=ノンバイナリー。外国人労働者=フォーリンワーカ―ズ。障碍者=ディファレントリー・エイブルド。複数性愛=ポリアモリー。犯罪者=ホモ・ミゼラビリス。……ずさんなプレハブ小屋みたいなその文字たちを、冷やしたミネラルウォーターに浮かべて口の中で転がしてみる。
 外来語由来の言葉への言い換えは、単純に発音のしやすさ省略が理由の場合もあれば、不平等感や差別的表現を回避する目的の場合もあり、それから、語感がマイルドで婉曲になり、角がたちづらいからという、感覚レベルの話もあるだろう。迷ったときはひとまず外国語を借りてくる。すると、不思議なほど丸くおさまるケースは多い。〉

 複雑な歴史や背景のある言葉を、言い換え、すり換え、曖昧にし、角がとれた不思議なカタカナ語で組み立て、構築する世界に、われわれは生きています。すぐにボロが出て、メッキがはげ落ちるほどに、中身はスカスカ。でも、そのカタカナ語の論理でしか、世界を見ることができなくなりつつある。日々、死角や盲点がどんどん拡がりつづけている。それは検証や議論を寄せ付けず、論理抜きで感情に訴えようとしてくるたぐいのものといえます。
 現実は、重大なことは、その言葉の外で起きている。それを見せないための、見ないようにするための、考えることを放棄させるための、ボロに塗りたくったメッキでしょうか。広告コピーやスローガンやポエムと本質的に何も変わらない。外来語由来の言葉への言い換えを次々と生み出して、何を混乱させ、何を覆い隠そうとしているのか、というのがこの作品の重要な問いかけになっています。
 さすがに「エッセンシャルワーカー小説」というくくりは巷では見かけませんが、「お仕事小説」というくくりはかなり広がっているようです。「お」が付くところからして、「エッセンシャルワーカー」と同じあざとい持ち上げのにおいがします。なめられている感じがします。派遣業界と電通と厚生労働省がバックで暗躍していそうで、渡部直己の「電通文学」という批判的くくりを思い出してしまいます。
「労働者文学」というくくりを、「エッセンシャルワーカー」というくくりを異化する反「電通文学」、反「お仕事小説」の文脈で鍛え、練り上げていくことが大切ではないでしょうか。

 【広告と川柳の関係、並びに「反語」について】

  そのためには、いつだってプロレタリア文学の遺産に立ち返る必要がある。同じカタカナ語ですが、「エッセンシャルワーカー」には「プロレタリアート」で、カタカナにはカタカナで対抗したいものです。
 文学がいまある現実と体制を保守するための広告コピーやスローガンやポエムでしかない、という問題を考えるとき、忘れてはならないのが、当時、同じ問題に向き合っていたプロレタリア川柳の試みと実践です。
 今日、結社をはじめ「新聞川柳」「シルバー川柳」「サラリーマン川柳」(現在は「マン」を外して「サラっと一句!わたしの川柳コンクール」)など、川柳人気のすそ野は広いのですが、やはり中心は企業や行政主体の広告コピー的な川柳、いわゆる「冠川柳」ですね。第一生命主催の「サラリーマン川柳」が「お仕事小説」の川柳版のようなもので、同じく派遣業界協賛の「バイト川柳」「転職川柳」のようなものから、「牛丼川柳」「毛髪川柳」「育児川柳」「トイレ川柳」「クリーニング川柳」「ペット川柳」など、業界のイメージアップを狙ったとおぼしき広告コピーと瓜二つのようなものまで、川柳とはそもそもコピーのことだったのか、と首を傾げざるをえなくなるものばかりというのが現状です。
「エッセンシャルワーカー」でいえば、「介護職川柳」というのがあります。「ケアきょう」という介護職のためのサイトが主催(エステー化学協賛)で、たとえば次のようなものが掲載されています。(https://carekyo.com/event/list/18343/

 「マスク越し 面会家族 間違える」
「コロナ明け 面会自由 いい笑顔」
「イイネより 夜勤に欲しい いい眠り」

 現場の介護職員、被介護者をいたわる内容ですが、反語的要素はほぼ皆無、あるある的な小さな共感と笑いがある、と誉めようにも、いたわりと気配りが前面に出すぎて、かえって気の毒に感じ、笑うに笑えなくなる作品が多いという印象をもちます。反語や皮肉より共感が先に立ち、それを求める表現なので、広告や宣伝と馬が合う、というか、コピーそのものにしかならない。要するに、まあまあ、できの悪くないコピーといったところでしょうか。
「サラリーマン川柳」だと、こうなります。

「チェックする今日の株価とオオタニさん」
「面くらうコメの高値に麺くらう」
「コメ不足やっと見つけてひとめぼれ」

 
 ここでも、コピーにすぎないものが川柳の顔をして、当たり障りのない現状追認、体制順応を呼びかける宣伝や広告になりはてている印象です。電通川柳ですね。『東京都同情塔』にあった、カタカナ語への言い換えに対する違和感の説明に倣うなら、「いかにも世の中人々の平均的な望みを集約させた、かつ批判を最小限に留める模範的回答。平和。平等。尊厳。共感。共生。」といったところでしょうか。これでは高値のコメを食わされる現状を、仕方のない、自然なこととして受け入れるだけの、恭順な奴隷的ポエムに過ぎません。
 川柳の特徴である「反語」や「皮肉」、現実や出来事の本質を的確にとらえる「穿ち」の要素は、病院や介護施設など「病」や「老い」の現実を前にすると、失礼だ、無礼だ、不謹慎だ、と猛烈な批判を浴びることになるので、萎縮しがちです。「エッセンシャルワーカー」「お仕事」という言葉のように、批判を最小限に留める、あざとい持ち上げの言い方が流通しがちになるのも、わからないでもない。
 一九九七年に月刊「オール川柳」の掲載された次の川柳が話題になったことがありす(井之川巨「老人は死んで下さい国のため」)。

「老人は死んで下さい国のため」

  これは川柳ですから反語です。文字通りに老人に死んでくれ、と宣言しているわけではなく、国の医療、介護、福祉の政策と現状は、まるで老人に税金の無駄ですからさっさと死んでくれ、と公言しているに等しい、そのような権力と体制に対する批判を、反語的に訴えているわけです。ところが、川柳とは反語が命であるにもかかわらず、その反語を理解できずに、「病人や弱者を差別するのはけしからん」「老人差別だ」「どうせ若者が書いたのだろう」というような抗議の投書が、編集部にたくさん寄せられたそうです。よく考えてみてください。これを老人や介護士や看護師をいたわるあまり「老人はいつまでも若く国のため」などと詠んでしまったら、老人はおろか看護師、介護士を「エッセンシャルワーカー」ともちあげる、あざとい広告川柳、電通川柳と同じになってしまいます。
 この川柳の作者である宮内可静さんは、元特攻隊員だったそうです。かつて青年のとき「国ために死ね」、と宣告され、かろうじて生き延びて老年を迎えたら、再び「国のために死ね」と宣告されるような現実に直面している。何とも、重く、深い川柳だと、感心してしまいます。この、ひたすら権力と体制にむかう批判の重さ、深さは「反語」なしに描くことは難しいのではないでしょうか。

 【「エッセンシャルワーカー」には「プロレタリアート」を】

  プロレタリア川柳もまた、川柳の本質として、こうした「反語」に焦点をあて、それを尖鋭化させることに賭けた川柳革新運動だったといえます。プロレタリア川柳は一九二〇年代の新興川柳から生まれたんですが、大正期のモダニズム、大衆消費社会の勃興とともに台頭していたのが、今日と同じ、広告コピーやコピーライターの存在でした。大正期を代表する川柳人のひとりである「番傘」を主宰した岸本水府は、創成期の高名なコピーライターで、大阪を拠点に、福助、寿屋、グリコで活躍していました。反語よりも物語性を重視する「抒情川柳」を掲げ「電柱は都へつづくなつかしさ」「カステラの紙も教えて子を育て」「新家庭下女を省いて瓦斯にする」などの句で知られています。広告と川柳のつながり、密接な影響関係は、このあたりからはじまるといえるでしょう。そういう状況の中から新たな川柳革新運動として新興川柳運動が生まれ、そこからさらにプロレタリア川柳が枝分かれしていったわけです。

 餓死に近代医学無為無能
(井上剣花坊)
 水道の栓の中から社会主義
(森田一二)
 目かくしとマスクを皆んな強いられる          
(森田一二)
 屍のいないニュース映画で勇ましい
(鶴彬)
 修身にない孝行で淫売婦  
(鶴彬)
 手と足をもいだ丸太にしてかへし
(鶴彬)

「老人は死んでください国のため」と同様、尖鋭な「反語」の効いた、広告やスローガンのメッキで固めたエセの現実を見事にひっくり返し、異化する重く、深い川柳だなあと、感心します。一〇〇年前の川柳とは思えないものばかりで、批判すべき、異化すべき嘆かわしい現実は、今も変わっていないということでしょうか。こうした尖鋭な「反語」を許さない権力と体制、ならびに、そうした尖鋭な「反語」の享受と理解を許さない広告的現実とに包囲されて、プロレタリア川柳は未曾有の弾圧にさらされることになるのです。
「プロレタリア」同様、「労働者」という言葉は、いまなお批判用語として有効であり、死んでいない。「エッセンシャルワーカー」「お仕事」といった広告的な現状聖化によるあざとい持ち上げ搾取に対抗して、あらためて「労働者文学」をいま現在のただなかで再定義し、位置づけ直すことが必要かと思います。

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