黄(ファン) 英(ヨン) 治(チ) | |
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【HPコラム 2025・4】 朝鮮戦争を終わらせることについて |
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本稿の執筆現在、イスラエルとハマスのガザ戦争の停戦合意は破綻し、イスラエル軍のガザ地区および西岸地区、レバノン南部への攻撃が再開された。また、ウクライナとロシアの停戦をめぐっては、実現に予断を許さない状況にある。そうであるがゆえに、なおさら、戦闘を停止し、当該地域に暮らす人びとや戦闘員たちを覆う死の影を払い、民意と国際法に沿った公正な「平和」への第一歩となる両地域の「停戦」を願う気持ちはさらに強まる。 この思いに共感してくれる方は、決して少数ではないだろう。そこで私は、遠くのパレスチナ、ウクライナとともに、私たちの身近な戦争=朝鮮戦争の「停戦状態」が72年間そのままであることを忘れないで欲しい、とつけ加えたい。 「停戦」とは、「交戦中の両軍が何らかの目的のため、合意の上で一時的に戦闘行為を中止すること」(デジタル大辞泉)とされる。つまり、「停戦状態」とは「戦争状態の継続」ということになる。であるのに、日本の世論だけでなく、平和運動においても、「朝鮮戦争の(少なくとも)終戦」についての関心は低い。いや、ほとんどない、と言ってもいいだろう。 しかし、朝鮮戦争はいやでも、「日本の戦争」である。実際、横田基地には「朝鮮国連軍後方司令部」が置かれ、「国連軍地位協定」によって7か所(うち3か所は沖縄)の在日米軍施設が「朝鮮国連軍」の使用可能施設だ。「国連軍」の主力は米軍で、駐韓米軍・韓米連合軍司令官が「朝鮮国連軍」司令官を自動的に兼任する。つまり朝鮮半島で、朝鮮人民軍と米軍・韓国軍の間に、(ここ数年頻度を増している韓米+日の合同軍事演習を引き金に)なんらかの軍事衝突が起きれば、それはただちに朝鮮戦争「停戦」体制の崩壊となり、日本は自動的に「朝鮮国連軍」の後方基地としての機能を再開する(と見なされ)、当該の米軍施設は、朝鮮人民軍の攻撃目標となる(この部分は、高林敏之・立教大学非常勤講師のフェイスブック投稿を引用した)。 逆に、Imagine! 朝鮮戦争の「停戦」を「終戦」―平和協定の締結に導けば、朝米・朝日の国交正常化と、朝鮮と韓国の平和共存=漸進的な統一プロセスの軌道への進入によって、東アジアの冷戦はようやく終わることになる。そうなれば、実質的な軍縮=米軍の韓国と日本(=沖縄)からの削減―撤退、朝鮮人民軍・韓国軍・自衛隊の縮小の条件が整う。 ちょっと待て、中国の軍事大国化―海洋進出、台湾問題―有事の問題はどうする? との声が聞こえてくる。そうであったとして、どうして朝鮮戦争を終わらせてはならないのか! パレスチナ、ウクライナ、そして世界各地の戦争―停戦状態が、一刻も早く公正な「平和」体制へと移行することを願う。その願いは、ただちに、朝鮮戦争を終わらせなければならないという、私(たち)の課題、それに寄与する仕事に参加する責任を生じさせる。 (3月24日記) |
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1957年岐阜生まれ 「あばた」で第41回部落解放文学賞受賞 2015年 「壁を打つ旅」で第20回労働者文学賞(佳作) 2008年 「記憶の火葬」で第16回労働者文学賞 (入選) 2004年 季刊『千年紀文学』 連作「虹のしみ」連載中 |
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「黄英治「頭蓋の虚点」(「1労働者文学』92号)は、蔵書の断捨離に伴う見当識障害を引き金に、それでも忘却してはならない「朝鮮人」が「不逞鮮人」として虐殺の憂き目にあった負の記憶をこれでもかと幻視させるが、過去の著書の作品よりも、複数のイメージを連鎖させる技巧がいっそう丁寧で切実さもたたえ、忘れ難い衝迫力がある。 「〈世界内戦〉下の文芸時評 第105回 抽象化とニヒリズムのスパイラルを脱コード化する文学的多層性」 岡和田晃 『図書新聞』2023年12月9日号 |
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「庶民の尊厳と希望ー高琢基『緩やかな禍』を読む」 2022年 web労動者文学会作品集 (外部リンク) |
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「新・狂人日記」 2019年 web労動者文学会作品集 (外部リンク) |
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短編小説集『こわい、こわい』 (三一書房 2019年4月5日) 韓国語版 『あの壁まで』 (鄭美英訳 2019年) 韓国語版 『前夜』 (韓程善訳 宝庫社 2017年) 『在日二世の記憶』 (共著 集英社新書 2016年) 『前夜』 (コールサックス社 2015年) 『あの壁まで』 (影書房 2013年) 『記憶の火葬ー在日を生きるーいまは、かつての〈戦前の地で〉』 (影書房 2007年) |
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【HPコラム 2024・2】 ますます悪くなる、けれども |
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群馬県が1月29日、県立公園「群馬の森」(高崎市)にあるアジア・太平洋戦争で戦時強制動員(徴用、強制連行)された朝鮮人犠牲者の追悼碑を行政代執行で撤去した。その理由を山本一太知事は、25日の定例会見で、「設置の際に定めたルールに反したことがすべてだ」と語った。そのルールとは、「政治的行事を行わない」というものだが、「政治的行事」とされた2014年の追悼「式で『強制連行』という文言を含む政治的発言があり、碑は中立的性格を失った」とする東京高裁の判断を22年6月、最高裁が認めたことが根拠だ。ところで、こうした動きを後押ししたのが、歴史修正主義者・レイシスト団体らの組織的な県議会への「請願」や、執拗な街宣活動であったことは見逃せない。 |
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【HPコラム 2023・1】 前期高齢者の断捨離 |
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【HPコラム 2021・6】 三日で二度のPCR検査 |
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腹部に違和を覚えたのは五月十七日の夕食後だった。右上腹部、押さえると肋骨にあたる。変だなぁ、とは思ったが、軽く考えていた。入眠後の夜半過ぎに激しい痛みが襲う。差し込みは背中の同位置にも。やがて全身の関節が強張り、寝返りを打つのも、息をするにも冷汗が滲み、胃が張る。だが吐き気はない。夕食の帆立刺身で食あたりか、と推定した。 十八日中は起きられず、呻吟しつつ胃 薬と整腸剤を服用した。口にしたのはごく少量の飯と汁だけ。痛みがやや緩和するが39度の発熱。根が神経質。ネット検索する。私と同症状の「急性胆のう炎は、放置すると重症化し、死に至ることもある」を見つけて震えあがった。自然治癒はない。十九日、意を決して、かかりつけの総合病院へ。熱がある。コロナチェックにかかるか? 正門の体温計測36度1分⁈ 問診票を詳細に書く。看護師が体温計を差し出す。万事休す! 38度9分。 こちらへ、と隔離。ここでお待ちを。内科医が来ます。ビニールで仕切られたスペースの壁に「対症療法しかできません」とある。半時間ほどで小太りの内科医が来て、PCR検査してもらい、薬を出します。それ以上のことはできません、と私の背中をさすり、十秒で消えた。看護師が鼻の奥へと検体採取のスワブを回転させながら挿入した。うぐぐぅ、と唸る。思った以上に苦しい。結果は先生から携帯に電話します。処方された薬は総合感冒薬と頓服。この処方で症状が改善するか、と薬剤師に医師への確認を依頼して帰宅。半時間後、頓服処方されているから、と薬剤師。二時間後、内科医から、陰性でした。服薬して様子を見てくれ、と。 翌日、頓服の効果か平熱になり痛みは治まったが、不安のなか悶々と過ごした。二十一日に再び外来へ。平熱、PCR陰性は錦の御旗。やっと消化器内科の医師の診察が受けられた。血液検査、CT撮影。そして医師の診断。ご心配の胆のう炎でなく、大腸憩室炎です。即入院して、絶食・点滴、抗生剤治療します。虚を突かれた。即入院、ですか? ええ、炎症数値が高いですし、早い方がいいです。PCR検査後、本院へ行ってください。あの、二日前にPCR検査陰性判定出ていますが……。決まりですから――。症状と苦痛に見合った治療を、発症後五日目にようやく受けられた。五泊六日の入院生活を経て二十六日、「無事」に退院した。 |
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