【HPコラム 2026・4】
「二国家解決案を疑う」を訂正する
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ちょうど1年前の今頃(2025年3月)、この欄に「二国家解決案を疑う」というコラムを執筆させて頂いた。今読み返すと、不十分な理解に基づく混乱や誤りが見出されるので、この場を借りて訂正し、現時点での考えを示したい。
前記コラムで私は、「その失敗の原因を考察することなく、お題目のように「二国家解決」を唱えているだけでは無意味であろう。失敗の根本原因はイスラエルに二国家解決を実行する意志が全くないことである。そもそもオスロ合意でイスラエルはパレスチナの国家建設を認めていない」と書いているが、文脈上、「その失敗」とはオスロ合意の失敗とも、二国家解決案の失敗とも読めるようになっており、まずそこに私の理解の致命的欠陥が露呈している。仮に「その失敗」が二国家解決案の失敗だとしたら、その「根本原因はイスラエルに二国家解決を実行する意志が全くないことである」というのは、「トランプに国際法を遵守する意志が全くないことが国際法の失敗の原因である」というのと同じく馬鹿げている。(後半の「……国家のユダヤ性に固執している現状を直視するなら、二国家解決案の破綻はもはや明らかである」という記述にも、同様の論理的誤謬が表れている。)また、「その失敗」がオスロ合意の失敗を指すとしたら、「イスラエルに二国家解決を実行する意志が全くないこと」はオスロ合意の失敗の原因というより、オスロ合意の目的そのものであったがゆえに、原因と目的を混同している。
上記コラムを書いた私の意図は、「オスロ合意は二国家解決案であり、その進展を妨げているのは、オスロ合意を否定しているハマスや、合意の誠実な遵守を履行しないイスラエルにある」といった最大公約数的なオスロ合意理解を批判することにあった。オスロ合意が二国家解決案ではないというのは間違っていないが、上記コラムではどちらを批判したいのかが明確になっていないのみならず、結果的には二国家解決案を批判するような結論になっている。ここで現在の私の立場を明確にしたい。明らかに間違っていたのはオスロ合意であって、二国家解決案ではない。オスロ合意とは、パレスチナ人の自決権を否定し、イスラエルの支配と占領体制を永続化するための仕組みであった(ラシード・ハーリディー『パレスチナ戦争』参照)。一方、二国家解決案は、パレスチナ国家が建設されたとしても、人種差別とパレスチナ人難民の帰還を阻む現在のイスラエル国家の問題性は何ら解決されない以上、確かに理想的な解決案とは言えないものではあるが、今よりもましな状況に近づけるための(いかに非現実的に見えようとも)相対的には現実性のある解決策であると言える。そのことを早い段階で見抜いていた人や組織も少数ながら存在したが、その一つがハマスであった。そのことを私は川上泰徳氏の『ハマスの実像』によって教えられた。
ハマスはオスロ合意(1993年9月13日)の1週間後には「合意に反対し、占領への抵抗運動を続ける」との声明を発表していたが、2017年5月には「ハマス憲章」(1988年)の弱点を克服したハマスの新たな方針を明示した新政策文書を発表している。マスコミではほとんど報じられないこの文書のその第20項は次のように規定している。
「ハマスは、パレスチナを(ヨルダン)川から(地中)海まですべてを完全に解放する以外のいかなる解決策も拒絶する。ハマスは、シオニスト国家を拒絶することで妥協することなく、またパレスチナ人の権利を放棄することもなく、さらに難民と避難民が追放された故郷に戻ってくることを条件として、1967年6月4日の境界線に沿って、エルサレムを首都とする、完全に主権を持つ独立したパレスチナ国家が樹立されることを民族の総意の解決策とみなす。」
ここには、この文書を起草した当時のハマス政治指導部の驚くべき思慮深さが表れていると私は思う。まず、「パレスチナを(ヨルダン)川から(地中)海まですべてを完全に解放する以外のいかなる解決策も拒絶する」と述べて、理想は(すべての民族が平等な権利を有する)民主的な一国家解決策であることを明示したうえで、当面の現実的な解決策としては、第3次中東戦争以前の境界線(グリーンライン)に基づくパレスチナ国家の建設(二国家解決)を提示しつつ、シオニズム体制(入植者植民地主義的アパルトヘイト体制)を認めないこと、パレスチナ人の権利を放棄しないこと、難民・避難民の帰還を保障することを条件として挙げているのである。
私はこの項目に反対の余地を見出さないのみならず、川上氏の紹介している新政策文書のすべての項目に賛成せざるを得ない。現在、「トランプ和平計画」という、オスロ合意の何万倍も愚劣な計画がすでに行き詰っているが、こういうものが決して成功しないことはもちろん、ハマスの新政策文書が示しているような原理的に正当な理念は、いかなる弾圧にあおうとも決して消滅することはなく、何度でも再浮上してくるであろう。
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【HPコラム 2025・3】
二国家解決案を疑う
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| パレスチナ問題について語る時、早く戦争を止めて、人道支援をパレスチナの人々に届けたい、というように人道問題として語られるケースが圧倒的に多く、紛争が終われば報道も減り、次第に人々は忘れていく、ということをこれまで何十年も繰り返してきた。しかし、戦争が一時的に停止しても、イスラエルによる占領と封鎖、入植活動が終わらない限り、パレスチナ問題は永遠に終わらない。出口はどこにあるのか。
「それは二国家解決に決まっているだろう」という声が聞こえてきそうである。実際、オスロ合意以後、二国家解決策は完全に国際的な合意を得た唯一の解決策であるかのように語られてきた。しかし、そうであるなら、なぜ30年以上経っても全く実現の見通しが立たないのか。その失敗の原因を考察することなく、お題目のように「二国家解決」を唱えているだけでは無意味であろう。失敗の根本原因はイスラエルに二国家解決を実行する意志が全くないことである。そもそもオスロ合意でイスラエルはパレスチナの国家建設を認めていない。PLOがイスラエルを国家として承認したのに対し、イスラエルはPLOをパレスチナ自治政府として認めたにすぎない。「でも5年間の暫定自治終了後にはパレスチナ国家の建設を認めたんでしょう」と誤解している人も多いが、そんな合意はしていない。あくまで今後の交渉に委ねたにすぎない。そして暫定自治期間と想定された5年間が終了してからもう四半世紀以上が過ぎて、状況は悪化の一途をたどっている。この間、イスラエルは(映画「ノー・アザー・ランド」で描かれている通り)占領地である西岸でパレスチナ人の家屋破壊と強制追放を伴う入植地の拡大を続け、占領地内部に分離壁を築き、検問所や入植者専用道路を作って、パレスチナ人の土地をずたずたに切り裂き、二国家解決など完全に不可能にしてしまっている。「ナクバ」は1948年以来、緩急はあれ、一度として止まったことがないのである。イスラエル国家の人口の2割を占めるパレスチナ人の言語であるアラビア語は公用語の地位を奪われ、パレスチナ系の学校で「ナクバ」について教えることも禁じられている。
イスラエルが世界中のユダヤ人を受け入れる一方、パレスチナ難民の帰還を拒否し続け、入植地の拡大(=民族浄化)を続け、国家のユダヤ性に固執している現状を直視するなら、二国家解決案の破綻はもはや明らかである。もちろん、だからといって民主的な一国家解決案が直ちに受け入れ可能となるわけではない。しかし、イスラエルによる占領・民族浄化・ユダヤ人国家への固執という政策の根幹にあるシオニズムと入植者植民地主義という問題の根源に取り組むことなしには、解決の糸口すら見えてこないだろう。
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幣原喜重郎発案説の虚妄
ー「憲法九条論争」批判ー
稲田恭明
ブックウエイ
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1045円 |
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「九条幣原発案説再考」 稲田恭明
『社会理論研究』第25号
社会理論学会編
千書房 2024年12月 |
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「『憲法九条論争』批判 一種の歴史修正主義批判として」 稲田恭明 『社会理論研究』第24号
社会理論学会編
千書房 2024年1月31日 |
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【HPコラム 2024・1】
忘却と無関心の罪 |
昨年10月、ハマスへの報復(もしくは「自衛権」)を名目としたイスラエルのガザ攻撃が始まって以来、なぜこんなことができるのか、考え続けている。もちろんイスラエルのガザ攻撃はこれが初めてではなく、2007年にガザを完全封鎖して以来、数年おきに大規模な攻撃を繰り返しており、繰り返されるたびに、最悪を更新している。今回はイスラエルの攻撃開始から3カ月の時点で、死者・行方不明者は合わせて3万人を超え、建物の約半分、病院の3分の2が破壊され、人口の9割近い190万人以上が避難民となっており、薬も水も食料も燃料も圧倒的に不足しているので、感染症が蔓延しているという。ラザリニ国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)事務局長は「住民が集団懲罰の対象になっており、飢饉に向かっている」と述べ、別の国連高官は「ガザは死と絶望の地になった」と語っている。 たとえ停戦になったとしても、生き残った人々が生活を再建できるまでには気が遠くなるほどの年月が必要なのではないか。しかし、これまで同様、停戦になった途端にメディアの報道はパッタリなくなり、私たちはまたパレスチナを忘却してしまうのだろう。そして、この繰り返される忘却と無関心が、繰り返される虐殺を準備しているのだ、と、アラブ文学研究者の岡真理さんは強調している。
岡さんはまた、パレスチナ問題について講演するたび、「ホロコーストを経験したユダヤ人がなぜ、同じようなことをパレスチナ人に?」という質問を受けるという。これに対する岡さんの回答は、簡単に言うと、理不尽な暴力の犠牲者であろうとなかろうと、ある集団が他の集団を非人間化するとき、人間は簡単に残虐行為の加害者になりうる、というものである(『ガザに地下鉄が走る日』)。イスラエルのガラント国防相は、ガザ攻撃開始にあたり、「我々が戦っているのは人間の顔をした動物であり、我々はそれにふさわしい行動をとる」と語ったそうだが、このように「敵」を非人間化するのは、あらゆる残虐行為の開始の合図のようなものである。
我々は、残念ながら、歴史の教訓を容易に学べない生き物であることを歴史は教えてくれる。しかしまた、E・H・カーが強調しているように、人間は何ひとつ歴史から学ばないというのも間違った誇張である。どんなに迂遠に見えようと、歴史に学び、事実を知り、記憶し、考え続けること――そこから始めるしかないのだろう。 |