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労働者文学会 
労働と生活にねざした文化
                      
                      



 北山 悠 きたやま ゆう
 
 第17回(2005年)労働者文学賞(小説)
佳作受賞
「鶴亀堂の冬」

北山悠のブログ(作品集)

 
 【HPコラム 2025・10】

連れ合いの誕生日によせて

 我が連れ合いの誕生日は9月17日だ。この日前後においしいものを食べるのが我が家の年中行事のひとつだ。この日はまた、小泉純一郎・金正日による日朝会談が行われた日であり、平壌宣言が出された日だ。それは2002年のことだから、今年は23周年になる。日朝首脳によって国交正常化を目指すことが約束されたが、こんなにも長い年月が経っても見通しは暗い。日本は懸案事項が解決されなければ、国交正常化交渉はしないと決めた。安倍政権以降の日本政府は、この安倍路線を踏襲してきた。懸案事項とは、拉致問題と核・ミサイル開発だとされた。一方朝鮮側は、拉致問題は基本的に解決済みであり、核・ミサイル開発は自衛権に属するとしている。ちなみに、ここでは北朝鮮という用語は使わない。それは地理的概念であり、北朝鮮と呼ぶのであれば、韓国は南朝鮮と呼ばなくてはならないからだ。朝鮮を国家を認めていない証しだ。東北アジアでは、正式な国名から漢字二字で呼ぶのが普通だ。「日本」、「中国」、「韓国」と呼ぶならば、「朝鮮」がもっとも相応しい。国として認めていないのは、他の言い方にも波及している。9月3日に北京で「中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利80周年記念式」があった。マスコミが「軍事パレード」と言っているものの正式名称だ。その壇上に中ロ朝の首脳が並んだが、習近平国家主席、プーチン大統領、そして金正恩総書記だ。金正恩だけはなぜか朝鮮労働党の役職名になっている。朝鮮を国と認めるならば、金正恩国務委員長と呼ばなくてはならない。新聞によっては、朝鮮の国家元首を「正恩氏」と表記しているものさえある。近平氏だの在明氏がありえないように、フルネームで呼ぶのが北東アジアの礼儀ではないか。
 岸田政権は政権末期に「前提条件なしの日朝首脳会談」を提案した。「前提条件なし」というのは、懸案事件の前進がなくてもいいという意味だ。しかし、実現しなかった。それは、「懸案事項が解決されなければ、国交正常化交渉はしない」という安倍路線の縛りが利いていたからだろう。2014年12月にアメリカ・オバマ政権はキューバとの国交正常化を決めた。懸案事項の解決よりも「国交正常化」を優先させた結果だった。日本政府はこのオバマ外交に学ばなくてはならない。日本政府のやっているのはブルーリボン・バッチを着けることと「拉致問題は内閣の最重要課題」と繰り返すことだけだ。連れ合いの誕生日が来るたびに、日朝国交正常化交渉の再開を願うばかりだ。ちなみに、今年の旨いものは確か寿司屋だった。

 
 HPコラム 2024・7】
都知事選挙「七夕決戦」に思う

6月20日に都知事選挙が始まり、七夕の7月7日に結果が出る。ちょうどこのコラムが掲載のころが選挙の真っ最中だ。この選挙の主役の一人である小池百合子は、筆者と同い年で7月15日に72歳になる。当方はもう相当に老いを感じているが、76歳まで政治活動をしようというのだから、敬服するばかり。ちなみにロシアのプーチン大統領も72歳だが、あの肉体派には脱帽だ。
 さて、小池といえば、学歴詐称問題。火付け役は、石井妙子著『女帝小池百合子』で、カイロ時代の同居人・北原百代氏(83)が、小池は有力なコネでカイロ大2年に編入したものの、進級できずに中退したと証言している。当時の日記や手紙の物証から信憑性は高い。さらに、最近、朝堂院大覚氏(83)なる人物も、「小池百合子は中退」と明かした。朝堂院氏は、父親の小池勇次郎氏が破産したときに経済的に支援し、カイロ時代の小池氏百合子の面倒も見ていたという。この記者会見があったのは、小池が立候補表明した前日の6月11日。立候補表明のぶら下がり記者会見で、ある記者が朝堂院氏の記者会見について意見を求めるや、脱兎のごとく逃げ出す姿がYoutubeにも流れている。
 さらに、前回選挙の直前にこの問題が再燃したとき、小池は「カイロ大声明」なるものをでっち上げてエジプト大使館のフェースブックにアップし、沈静化に成功した。しかし、『文藝春秋』5月号掲載の小島敏郎氏による「小池百合子知事の元側近の爆弾発言『私は学歴詐称工作に加担してしまった』」では、詐称工作は小島氏が提案し、ジャーナリストA氏が文案を考えたという。「カイロ大声明」とほぼ同じ文案なので、間違いないだろう。小池が政治力を利用してアップさせたと思われ、カイロ大が自主的に出したものではなさそうだ。卒業生・小池百合子の存在価値は、カイロ大にも利益をもたらす。カイロ大では有名卒業生として小池を挙げているという。カイロ大学は国立大学だから、エジプトが日本の主権を侵害して都知事選に介入していることになる。この小島氏は6月18日に公選法違反で刑事告発した。東京地検の動きに注目だ。
 小池は朝鮮学校を差別して援助から排除し、関東大震災時の朝鮮人虐殺も認めず、追悼文も拒否している。あの石原元知事さえ出していた追悼文をだ。駅頭では小池落選運動を見かけるが、落選に成功することを祈りたい。この選挙の結果は都民の民度が問われているのだ。
 (7月8日)選挙結果を受け加筆。公選法違反の時効は三年であり、朝堂院氏は「仮に通っても、必ず辞めさせる」と語っていた。したがって、大手マスコミと検察庁にボールは投げられた。日本の民主主義の在り様が問われているのだ。
 
 【HPコラム 2023・5】
鋸山登山の話

コロナ禍も一段落した4月初め、1泊2日の小旅行をした。千葉県の鋸山登山に連れ合いと二人で出かけた。鋸山は海抜330メートルの低山だが、起伏に富んでいて、侮れない。その近くに足立区の施設があって、1泊2食付きで一人3650円で利用できるのだ。ただし、浴衣や洗面具は持参しなくてはならない。JR内房線に乗って浜金谷で降り、ロープウェーで山頂駅に一直線。ロープウェーの車窓からは東京湾が見渡せて、はるかかなたに対岸もぼんやり見える。山頂駅の食堂で昼飯を詰め込むと、いよいよ散策開始。山頂一帯には乾坤山日本寺の施設があって、入山料を払ってそれらを巡る。鋸山一帯は昔から石切り場として使われていて、石仏の類や絶壁が見どころになっている。百尺観音、地獄覗き、羅漢像、大仏像などを見て回るのだが、それらを繋いでいるのが石段。石段を上り下りしていると、顎が上がり、膝が笑い出した。この日は快晴でなかったから幸いしたが、そうだったらへばっていたに違いない。岩山に掘られた大仏は31メートルもあって、奈良や鎌倉のそれを見下ろす日本一の大仏なのだという。連れ合いの話では付き合い始めたころに一度来たことがあるというから、かれこれ40年ぶりの鋸山だった。確かに一度来た記憶はあったが、それが連れ合いと一緒だったとは…。下山は宿舎のある隣り駅の保田方面に徒歩で降りたが、ふくらはぎの痛みに往生した。その日は風呂に入り、夕食後はバタンキュー。
 翌日は朝食開始時間と同時に食堂に行って朝めしを詰め込むと、宿舎を後にした。金谷駅までJRで戻り、金谷港から久里浜港へ行く東京湾フェリーで40分の船旅。バスで京浜急行久里浜駅へ、それから三崎口まで電車旅。観光案内所ではハイキング・コースを勧められたものの、ふくらはぎの痛みが取れないので、三崎港見学を選択してバス移動。三崎港といえば、とにかくマグロ料理。ケチケチ旅行の割には値の張るマグロ料理を楽しんだ。いつも食べ慣れているマグロとは違う新鮮な味に満足。
 コロナ禍も去りつつあるなか、旅は久しぶり。どこにも外国人観光客が戻っていたのが印象的だった。足の痛みはその後、三日ほど続いて、階段の上り下りに悲鳴を上げた。人生の二度目の鋸山だったが、たぶん三度目はないだろうから、人生最後の鋸山登山だった。旅というものは、大変だった分記憶に残るものだから、いつまでも思い出すことだろう。格安の宿舎はお風呂も広々、食事も旅館並み、お酒の持ちこみもできる。同様の施設は日光にもある。一人でも足立区民がいれば、泊まれるとのことなので、お声掛け下さい。
 
 【HPコラム 2022・3 後半】
やり過ぎじゃないかプーチン、それにしても……

 とかく同年生まれは気になるもので、私の場合は男性には、草刈正雄、水谷豊、三浦友和、女性には小池百合子、松坂慶子、小柳ルミ子などがいて、故人では河島英五がいる。彼の「酒と泪と男と女 は好きな歌のひとつだが、同い年生まれの贔屓でもある。外国人にはお隣の朴槿恵元大統領がいて、そしてロシアのプーチン大統領がいる。同年生まれの我らは今年、古希を迎える。
 同じ時代を生きてきただけで親近感がわくのは不思議なものだが、それだけに苦言も呈したくもなる。話題のプーチンには困ったものだとつくづく思う。どんな理由や事情があっても他国の国境を越えた軍事行動は「侵攻」であり、「侵略」行為にほかならない。プーチンはソ連の諜報機関KGBの工作員だった。もっとも祖国に貢献できるのがKGBだと考えたという。祖国ソ連のために体を張って闘ってきたに違いない。ソ連が崩壊したのは1991年のことだから、彼はそのとき39際の働き盛りだった。プーチン個人にとっては栄光のソ連が忘れられないものだったのだろう。昨年初めにロシアとウクライナの一体性を論じた論文を発表したところを見ると、キエフ大公国の昔から両地域は分かち難く結ばれたロシアの原点なのだと思っていたらしい。そのウクライナまでNATO軍が迫ってくるのは許せなかったのだろう。そこで、米国が首脳会談という外交的解決を拒否したタイミングで軍事進攻に踏み切った。しかし、ウクライナ軍の抵抗、欧米諸国による迅速な経済制裁、そしてロシア国内に巻き起こった反戦運動の広がりのなかで境地に陥っているのが現状だ。ヨーロッパ戦争という、さらなる拡大にならず、1日も早い平和が訪れることを願ってやまない。

しかし、よくよく考えてみれば、米国とその同盟国によるアフガニスタン侵攻やイラク侵攻はどうだったのだろう。911テロへの自衛権を主張してアフガニスタンに攻め込み、大量破壊兵器開発疑惑を理由にイラクに侵攻し、それぞれに親米政権を作り上げた。その開発疑惑は真っ赤な嘘だった。オサマ・ビン・ラディンとフセインは斬首作戦の結果、命を落とした。プーチン同様に世界から指弾されて当然だったのに、今ほどではない。日本もさまざまな協力を惜しまず、侵略の片棒を担いだ。日本社会における圧倒的なウクライナ情報に基づくプーチン攻撃には公正さを欠いている。プーチンも腹だたしいが、日本社会のあり様も困ったものだと思う。