窪田 聡 くぼた さとし | ||
1935年東京生まれ 戦争中信州新町に疎開 開成高校卒 中央合唱団 うたごえグループ・トロイカ 日本音楽協議会 1988年10月 岡山県牛窓に移住 |
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【2025・2 HPコラム】 長いつきあい |
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![]() 「窪田聡の唄参拾」 1988年10月1日 発行所 鈍工房 「安堵感/おしまいの記」 2013年 発行所 鈍工房 「コラム 捏ねる 凝るこらっ!」 1996年 発行所 鈍工房 |
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2024・6 HPコラム 牛窓朗老通信 |
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春のぶら旅 ●今年は東京見物。町田夫妻と。長野在住ふたりの「生涯最後の東京かも」という要望に応えて。“コロナ”もあり、〈労働者文学会〉総会の定期開催の乱れもあり、小生も数年ぶりの東京だった。4月8〜10日。友人や知人には連絡せず・会わずの東京だった。両国のホテルに2泊。今回の東京見物で印象に残ったのはつぎの2点だ。@タワーマンションというのか“のっぽビル”がにょきにょきと増え、「住みたくない街になったなあ」と思ったこと。A浅草寺・仲見世や東京タワーは勿論のこと、築地の場外市場や新宿西口の呑み屋横丁(「想い出の小路」という看板が。以前は「小便横丁」と呼ばれていた)など、かつての“穴場”にもインバウンドというのか外国人観光客がたくさんいたこと。 車座コンサート ●4月の28日の日曜日。午後2時〜3時45分。お客さんは35人前後、それと〈歌工房ふう〉10人。まあまあのコンサートだったのでは。提出された名簿カードの「ひとこと」欄に「窪田さん、いつまでもお元気で!」「窪田さん若いですね。私の母親と同い年とは思えない、これからもお元気で」「いつまでも元気で長く続けてください」……いままであまりなかった小生の年齢を気遣っての書き込みが増えてきたようだ。 コトバあれこれ ●@NHKニュース番組で、「西表(いりおもて)島」を「にしおもて島」と読んでいた。かつて「栗林(りつりん)公園」(高松市)を「くりばやし公園」というのがあった。松本清張の小説に、ひらがなで「せんだい」とかかれていた手掛りで捜査員が宮城県の「仙台」に出張ったが空振り、やがて鹿児島県の「川内」と判明して事件が解決、というのがあった。地名・固有名詞は事前のチェックが必要だ。 Aかねてから「出すぎた杭は打たれない」と思い口にしていた。ところがこんな文章を目にした。〈最近「出すぎた杭は打たれない」という表現を見かけることがある。たとえば堀場製作所の創業者・堀場雅夫氏の著書『仕事ができる人できない人』には、「『掘場はうるさい』『わがままだ』という人物評になってくれるのであれば、私としてもやりやすくなるからだ。『出すぎた杭』はもはや打たれないのである」とある。「出すぎた杭」が括弧付きになっているのは、この言い方が新しいものであることを念頭においてのことであろう。だが、残念ながらだれが言い始めたものかは今のところわかっていない〉[神永暁『やっぱり悩ましい国語辞典』]。 |
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【一口コラム・2022・1 下】 ぶれないで…… |
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戯れ句ふたつ。 ガス抜きで自民支持率上がるとは 市民いて大衆がいて人民は 近ごろ、『Botaのかぞえ唄』が頭に……。 一つ 日暮れて 二つ ふたりで 三つ 見つめる 暗い海 四つ 酔いどれ 五つ いつでも 六つ 向こうに 海を見る 七つ 泣いても 八つ やるだけ 九つ こうして 生きてきた 十は とうでも 遠い ゆくすえ 波を 漕ぎわけ たどりゆく これは1977年の作品。 目ん玉の黒いうちに世の中(政治体制)変わるとは思えないが、志は持ちつづけたいもの、などとつぶやく今日この頃だ。 * ――小生の個人通信『牛窓朗老通信』2021・10・10号から引用した。 やはりというか、この直後の衆院選では自民党が過半数を獲得した。 * 一時期、労働者文学会の機関誌名が『ROHBUN』だったことがある。『労働者文学』に戻すことを提起した。ROHBUNは今も薄く表示されている。 鎌田慧氏の提言を再掲しておきたい。 <労働者という存在の自己規定が、職場を見直す視点をつくり、観察力を強め、書くことによって運動に参加しようという、思考の成熟度をふやす> |
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