| 窪田 聡 くぼた さとし |
1935年東京生まれ
戦争中信州新町に疎開 開成高校卒 中央合唱団 うたごえグループ・トロイカ
日本音楽協議会
1988年10月 岡山県牛窓に移住
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【2026・2 HPコラム】
牛窓朗老通信
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●同い年
美輪明宏が逝去した。小生と同じ1935年生まれ。『ヨイトマケの唄』の記憶が鮮烈だ。手元に『同い年辞典』[新潮新書]がある。1935年生まれの10名ほどの名前を挙げてみよう。
朝丘雪路(女優)・大江健三郎(作家)・小澤征爾(指揮者)・岡田真澄(俳優)・寺山修司(劇作家)・富岡多恵子(作家)・野村克也(野球)・蜷川幸雄(演出家)・吉行和子(女優)。蜷川幸雄とは開成で中学・高校の6年間いっしょだった。高校1年の時、彼は留年して学年は異なったが。その後も付き合いは続いた。彼が現代人劇場を結成し新宿アートシアターとの提携公演で初演出した『真情あふるる軽薄さ』[作・清水邦夫]は衝撃的だった。終ってもすぐ席を立てないくらいに。
●暮らしぶり
相変わらずの日々だ。月2回は<歌工房ふう>の練習。週一でスーパーで食品購入、<寿司勝>で小宴。最低月1回は<さざなみハウス>でモーニング、<備前食堂>で昼食。暑いので庭仕事はやめている。茨城のり子の詩『時代おくれ』にこんな一節がある。<車がない/ワープロがない/ビデオデッキがない/ファックスがない/パソコン インターネット 見たこともない/けれど格別支障もない/……/はたから見れば嘲笑の時代おくれ/けれど進んで選びとった時代おくれ/もっともっと後れたい>。これほどではないが。テレビは2011年6月に、原付二輪D�@oは2018年8月に×。ワープロとファックスはあるが、ビデオデッキ、スマホと携帯はない(同じかな?)。アルコールは毎晩ほぼ抜いたことがない。日本酒・焼酎・ウイスキー。今のところの目標は体重を増やすこと。3カ月ごとの内科通院で6月のおり、看護師に「ちゃんと食べてますか?」と問いかけられた。先日直った体重計に乗ったら44�sだった。高校の頃は60�s前後だった。ちととこかだいぶ軽すぎる。おしのには「いっぱい食べろ」と言われるだが……。
『牛窓朗老通信』��97(8月10日)から転載
●ばたばたの9月が終った
恒例<歌工房ふう>の練習が2回のほか、<全国アコニストのつどい>(9月11日〜13日/伊東)、<シャンソン、かあさんの歌、そして懐かしい歌>(9月23日/倉敷)があった。アコニストのつどいに向けては講座の内容をチェックし配布資料を作成したりした。倉敷のコンサートに向けては助っ人の<歌工房ふう>の女性ふたりと練習したりSing Outする楽譜を作成したりした。ちなみに、倉敷でのレパートリーは『かあさんの歌』『アメ売りおじさん』『青い空は誰のもの?』『あたりまえの地球』。倉敷に関しては主催のシャンソン歌手・原洋子が後日「窪田聡さんは本物のシャンソニエ(フランス語で歌を創る人)」と評した。
●体重
相変わらず44�s。ちっとも増えていない。この写真(*省略)、以前の通信の「信州ぶら旅」の項に載せたものだが、問題は皿数だ。小生の前には数少ない。ここしばらく食べる量を増やす努力をしているのだが体重に変化はない。目標をこれ以上痩せないことに切り替えることにした。
『牛窓朗老通信』��98(10月5日)から転載
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【2026・2 HPコラム】
ハンセン病療養所と『故郷』

ハンセン病療養所の納骨堂
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| 「兎追いしかの山/小鮒釣りしかの川」。おなじみの歌『故郷』。
作詞=高野辰之/作曲=岡野貞一。“文部省唱歌?とくくられていたいくつもの作品が、戦後の作者名を掘り起こす運動によってあきらかになった。
ちなみに、高野辰之には、ほかに『春の小川』『春が来た』『朧月夜』『紅葉』などの作詞がある。
ぼくは、この『故郷』があまり好きではなかった。
三節の「こころざしをはたして/いつの日にか帰らん」は“立身出世?を指向している。
――実際に、彼は大学教授になり、馬車に乗って帰郷している(実家は長野県豊田村)。
ところがさ、だ。
2001年5月、ハンセン病元患者たちが起こした国賠訴訟(国家賠償請求訴訟)が熊本地裁で勝訴、国が控訴を断念して判決が確定した。
当時、この患者たちの闘いに若干かかわったことがある。
岡山県瀬戸内市には、長島という離島(1988年に橋が架かった)にふたつのハンセン病療養所がある。そこに幾度も足を運び、元患者のみなさんと言葉を交わし、支援集会にも参加し、隔離政策のありさまを知った。
元患者たちが参加する集まりでは、おしまいに必ず『故郷』がうたわれた。
はじめは違和感があった。
しかし、療養所の園内には、集会場やら教会やら、立派な建物がいくつかある。そのひとつが納骨堂だ! 死んでも故郷に帰れない、という隔離政策の象徴だ。
「こころざしをはたして/いつの日にか帰らん」……望郷の想いに裏づけられた元患者たちの歌声は、今でもぼくの心を打つ。
牛窓での小さなコンサートで取り上げるときには、必ず納骨堂の写真を掲げ、元患者たちの想いを代弁するようにしている。
(かつて『音楽運動』紙に寄稿したものに若干加筆―窪田)
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【2025・2 HPコラム】
長いつきあい
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小生の喫煙歴は長い。高校時代から吸っていた。
……記憶している銘柄のはじめは「新生」。「ゴールデンバット」の次ぎに安かった。「ゴールデンバット」はいかにも老人ぽかった。つぎは「ハイライト」。替わるきっかけはパチンコだった。
一時期パチンコに凝った。ほとんど毎日『蛍の光』に背中を押されて店を出る、というほどの熱中だった。ところが、パチンコの景品に「新生」がなかった。「いこい」もなかった。安い銘柄だったからか。で、すぐ上の値段の「ハイライト」に替えざるを得なかった。「ハイラト」はフィルターつきで、そのフィルターの感触がきらいだったが、いつの間にか馴れた。
次の銘柄「キャスター」に替わるきっかけは、碁だった。パチンコ熱が醒めて碁に熱中した。仕事上の連絡電話が碁会所にかかってくるほどだった。碁は手数ごとに結構考えることが多い。考えながらついたばこに手が伸びる。吸い過ぎる。で、「ハイライト」よりは軽目の銘柄を探し「キャスター」に至ったのだった。
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牛窓に移ってからの十年目の1998年、胸腺炎で半月ほど入院した。医師に、たばこか酒をやめるようにいわれ、たばこをやめた。
禁煙は三年はつづいたろうか。そのうち旅先で吸い、自宅でも隠れて吸い、いつの間にやら常習喫煙者として復活した。ただし、なるべく軽いたばこを、と銘柄は「KENT」に。だがひょんなことで、今は「CABIN」を吸っている。
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たばこの製造・販売が専売公社から日本たばこ産業株式会社に替わり、労働組合の名称も替わった。それにともなって労働組合の歌も『全専売労働組合歌』から『全たばこ労働組合歌』に替わった。その作曲は小生。
「たばこ産業に働く労働者の歌をつくったぽくがたばこをやめる訳にはゆくまい」と回りの連中を煙にまいていた小生だったが、ひょんなことで銘柄を替えざるを得なくなった。
吸っていたのは��洋モク�≠フ「KENT」。論理に矛盾あり、だ。誰かに指摘される前に、��和モク�≠フ「CABIN」に替えた。
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今でも、喫煙は続いている。自宅の庭先、古木の切り株に灰皿を置いての��喫煙席�≠ナ。銘柄はまだ「CABIN」。
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「窪田聡の唄参拾」 1988年10月1日
発行所 鈍工房
「安堵感/おしまいの記」
2013年
発行所 鈍工房
「コラム 捏ねる 凝るこらっ!」
1996年
発行所 鈍工房 |
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2024・6 HPコラム
牛窓朗老通信 |
春のぶら旅
●今年は東京見物。町田夫妻と。長野在住ふたりの「生涯最後の東京かも」という要望に応えて。“コロナ”もあり、〈労働者文学会〉総会の定期開催の乱れもあり、小生も数年ぶりの東京だった。4月8〜10日。友人や知人には連絡せず・会わずの東京だった。両国のホテルに2泊。今回の東京見物で印象に残ったのはつぎの2点だ。�@タワーマンションというのか“のっぽビル”がにょきにょきと増え、「住みたくない街になったなあ」と思ったこと。�A浅草寺・仲見世や東京タワーは勿論のこと、築地の場外市場や新宿西口の呑み屋横丁(「想い出の小路」という看板が。以前は「小便横丁」と呼ばれていた)など、かつての“穴場”にもインバウンドというのか外国人観光客がたくさんいたこと。
車座コンサート ●4月の28日の日曜日。午後2時〜3時45分。お客さんは35人前後、それと〈歌工房ふう〉10人。まあまあのコンサートだったのでは。提出された名簿カードの「ひとこと」欄に「窪田さん、いつまでもお元気で!」「窪田さん若いですね。私の母親と同い年とは思えない、これからもお元気で」「いつまでも元気で長く続けてください」……いままであまりなかった小生の年齢を気遣っての書き込みが増えてきたようだ。
コトバあれこれ ●�@NHKニュース番組で、「西表(いりおもて)島」を「にしおもて島」と読んでいた。かつて「栗林(りつりん)公園」(高松市)を「くりばやし公園」というのがあった。松本清張の小説に、ひらがなで「せんだい」とかかれていた手掛りで捜査員が宮城県の「仙台」に出張ったが空振り、やがて鹿児島県の「川内」と判明して事件が解決、というのがあった。地名・固有名詞は事前のチェックが必要だ。 �Aかねてから「出すぎた杭は打たれない」と思い口にしていた。ところがこんな文章を目にした。〈最近「出すぎた杭は打たれない」という表現を見かけることがある。たとえば堀場製作所の創業者・堀場雅夫氏の著書『仕事ができる人できない人』には、「『掘場はうるさい』『わがままだ』という人物評になってくれるのであれば、私としてもやりやすくなるからだ。『出すぎた杭』はもはや打たれないのである」とある。「出すぎた杭」が括弧付きになっているのは、この言い方が新しいものであることを念頭においてのことであろう。だが、残念ながらだれが言い始めたものかは今のところわかっていない〉[神永暁『やっぱり悩ましい国語辞典』]。 |
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【一口コラム・2022・1 下】
ぶれないで…… |
戯れ句ふたつ。 ガス抜きで自民支持率上がるとは 市民いて大衆がいて人民は 近ごろ、『Botaのかぞえ唄』が頭に……。 一つ 日暮れて 二つ ふたりで 三つ 見つめる 暗い海 四つ 酔いどれ 五つ いつでも 六つ 向こうに 海を見る 七つ 泣いても 八つ やるだけ 九つ こうして 生きてきた 十は とうでも 遠い ゆくすえ 波を 漕ぎわけ たどりゆく
これは1977年の作品。
目ん玉の黒いうちに世の中(政治体制)変わるとは思えないが、志は持ちつづけたいもの、などとつぶやく今日この頃だ。 *
――小生の個人通信『牛窓朗老通信』2021・10・10号から引用した。 やはりというか、この直後の衆院選では自民党が過半数を獲得した。 *
一時期、労働者文学会の機関誌名が『ROHBUN』だったことがある。『労働者文学』に戻すことを提起した。ROHBUNは今も薄く表示されている。 鎌田慧氏の提言を再掲しておきたい。
<労働者という存在の自己規定が、職場を見直す視点をつくり、観察力を強め、書くことによって運動に参加しようという、思考の成熟度をふやす>
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