稲田恭明 いなだ やすあき



【HPコラム 2024・1】

忘却と無関心の罪

 昨年10月、ハマスへの報復(もしくは「自衛権」)を名目としたイスラエルのガザ攻撃が始まって以来、なぜこんなことができるのか、考え続けている。もちろんイスラエルのガザ攻撃はこれが初めてではなく、2007年にガザを完全封鎖して以来、数年おきに大規模な攻撃を繰り返しており、繰り返されるたびに、最悪を更新している。今回はイスラエルの攻撃開始から3カ月の時点で、死者・行方不明者は合わせて3万人を超え、建物の約半分、病院の3分の2が破壊され、人口の9割近い190万人以上が避難民となっており、薬も水も食料も燃料も圧倒的に不足しているので、感染症が蔓延しているという。ラザリニ国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)事務局長は「住民が集団懲罰の対象になっており、飢饉に向かっている」と述べ、別の国連高官は「ガザは死と絶望の地になった」と語っている。
 たとえ停戦になったとしても、生き残った人々が生活を再建できるまでには気が遠くなるほどの年月が必要なのではないか。しかし、これまで同様、停戦になった途端にメディアの報道はパッタリなくなり、私たちはまたパレスチナを忘却してしまうのだろう。そして、この繰り返される忘却と無関心が、繰り返される虐殺を準備しているのだ、と、アラブ文学研究者の岡真理さんは強調している。
 
岡さんはまた、パレスチナ問題について講演するたび、「ホロコーストを経験したユダヤ人がなぜ、同じようなことをパレスチナ人に?」という質問を受けるという。これに対する岡さんの回答は、簡単に言うと、理不尽な暴力の犠牲者であろうとなかろうと、ある集団が他の集団を非人間化するとき、人間は簡単に残虐行為の加害者になりうる、というものである(『ガザに地下鉄が走る日』)。イスラエルのガラント国防相は、ガザ攻撃開始にあたり、「我々が戦っているのは人間の顔をした動物であり、我々はそれにふさわしい行動をとる」と語ったそうだが、このように「敵」を非人間化するのは、あらゆる残虐行為の開始の合図のようなものである。
 
我々は、残念ながら、歴史の教訓を容易に学べない生き物であることを歴史は教えてくれる。しかしまた、E・H・カーが強調しているように、人間は何ひとつ歴史から学ばないというのも間違った誇張である。どんなに迂遠に見えようと、歴史に学び、事実を知り、記憶し、考え続けること――そこから始めるしかないのだろう。