高橋省二 たかはし せいじ

社会人講談師 高橋織丸

憲法寄席


【HPコラム 2025・3】


被爆80年、原爆文学と向き合う

 今年はヒロシマ・ナガサキ被爆80年、日本被団協のノーベル平和賞受賞もあり、年明け早々から反核平和のイヴェントが全国各地で開催されている。さらにはこれまで公の場で語ることがなかった被爆者が、被爆者団体や反核平和都市宣言の自治体等の呼びかけに応えて、次世代に語り継ぐための証言を始めている。
 
私の父は広島原爆投下時、爆心地から3キロ離れた宇品の暁部隊の朝礼時に被爆。その後暁部隊の一員として、被爆者の救援・救護、遺体処理や廃墟となった広島の再建にむかって被爆中心地に赴き、この世の地獄ともいえる悲惨な実態を目の前にしながら救援活動に従事。父はその際に市中感染・内部被曝したと思われる。父から実家に無事生存の連絡が来たのは、被爆後1カ月してからだった。その後、父が広島県北の山村の郷里に戻り、農業の傍ら町の役職を勤めながら84歳の生涯を終えるまで、私の知る限り子どもたちの前では一度も被爆時の体験は語らなかった。
 
私は6人の姉兄弟の中の5番目で、父が被爆して1年半後(1947年2月)に生まれた。当時はGHQ占領下でプレスコードがあった時期ゆえ、原爆に関する報道、表現活動は厳しく制限され、ましてや山村の実家にとって、確な知識や情報に疎かった。帰郷後の父は、頭の毛が抜けたり体調の不安を時々訴えていたらしく、元気な子どもが生まれるか否か心配だったと一番上の姉から聴いたことがある。
 
私自身、東京で生活するようになってから、親しい友人にも自分の方から被爆2世と名乗ることはなかった。しかし年齢を重ねる中で、特に講談で「はだしのゲン」「チェルノブイリの祈り」等を長年語って来られた神田香織師匠の講談教室に通い始め、またビキニ被爆第五福竜丸の元乗組員の大石又七さん(2021年3月逝去)との出会い等を通じて、核をテーマにした講談を語ってみたいという気持ちが強くなって行った。
 
これまで東電福島原発事故を取り上げた講談「フクイチ一人語り」や第五福竜丸被爆事件を扱った講談「マグロ塚の由来―魚屋からマグロが消えた日」などを発表してきた。しかし一番語らなくてはならないのは、父の体験したヒロシマである。昨年春に広島に行き暁部隊について調べたが、手掛かりになる資料はほんのわずかであった。暁部隊は、大陸侵略の物資輸送、人的輸送基地であった。廣島は明治のころから軍都であり大本営があった場所ゆえ、米国とって当初から原爆投下の最重点都市であった。日本軍は、敗戦直前に暁部隊の貴重な資料は全て焼却したとされている。
 
しかし多少時間が掛かっても講談「暁の宇品―暁部隊の顛末」は完成しなくては、と思っている。と同時に、日本には優れた原爆文学が数多くある。被爆80年の節目に「被爆体験の継承」という観点からも再評価すべきと考えて、昨年春「原爆文学を読む会」(現在5名の仲間が参加)を発足した。原爆文学(記録、小説、詩・短歌・俳句、漫画、戯曲など)を出来るだけ幅広く読んでみようと考えている。毎回報告者を立て、作品の感想を皆で述べ合う。さらには年に1度は、朗読会を開催できたらと、声を出して朗読することもやり始めている。(追記:「原爆文学」書籍を寄贈頂ける方がおられましたら、ご一報を頂ければ大変有難いです。連絡先:高橋省二090(4385)7973、orimaru-takahashi2019@jcom.zaq.ne.jp


【HPコラム 2024・5】

「講談のすすめ」 北とぴあ 5月19日(日)12時15分

ご案内
 ご多忙の毎日をお過ごしのことと存じます。
 私が長年学んできた講談教室(神田香織主宰講談サロン「香織倶楽部」)も、のべ早17年目を迎えます.
 今回の発表会には、この教室から飛び立ち、目下プロの講談師として活躍中の2人が特別出演してくれることとなりました。(「前座」の神田おりびあんさん、「二ツ目」の神田伊織さんです。)

 扨て、今回の私の出しものは、古典講談の中でも、趣味・道楽が功じて出世するという武家社会の中では、稀有なお話です。演者が、いや登場人物が冷汗をかきながら懸命にやればやるほど、お可笑な方向に話が発展し、講談では珍しい笑話です。と同時に、お目出たい出世の物語です。
 「中入り」後からご来場の方は、少し早目に席を確保頂ければと。会場は客席の数は多いので、大丈夫だとは思いますが。

 なお同封のチケットには、必ずご自分の名前を記入して、受付(当日清算の方は)にて、木戸銭を支払ってご入場頂ければと。
*ご家族・ご友人同伴で、チケット追加の方は、出来うるだけ、事前に、私の方にご連絡頂ければ、受付に用意させて頂きます。

             2024年4月吉日
                   高橋織丸(高橋省二)



「日曜に想う」有田哲文
訴え届ける選挙演説 必要なのは

古くからある講談をもとに、経済格差への怒りを織り込んだのが社会主義者の堺利彦(1871〜1933)だった。「社会講談」と銘打って雑誌に載せた物語には、貧しい人を相手にしない医者や機織りの女性たちを搾取する豪商などが出てくる。堺の作品をいまも高座にかける社会人講談師高橋織丸さんによると、その筆致に芝居心を強く感じるという。「芝居や歌舞伎、講談を相当みていたに違いない。どうすれば庶民に訴えが届くのかを常に考えていたのではないか」

『朝日新聞』2023年4月16日(日)朝刊



『講談で核を語る』 DVD 送料込み1000円

@ 2020年9月11日霞が関経産省前
「テントひろば」での辻講談のライブの模様

A 2020年9月13日神田香織講談教室
自主発表会の模様




核問題を語る社会人講談師  


張り扇で釈台を「パパン!」とたたき、話術によって物語をリアルに紡ぐ講談。プロではない社会人講談師として、核問題にまつわる創作講談を発表してきた。東京都内の区役所を定年退職した後、興味のあった講談で一芸を身につけようと、講談師・神田香織さんの教室に入った。翌年にデビュー。各地に出向き、高橋織丸の名で高座にあがる。

終戦の2年後に広島県で生まれた。被爆者の父は多くを語らなかったが、髪が抜けたり、体がだるくなったりするたびに、病に侵される恐怖を口にしていた。2011年に福島で原発事故が起き、ボランティアとして現地に通うようになった。「放射能が体に入っているから子供を産めるか心配」「結婚は敬遠されるかも」。不安を抱え、差別におびえる人たちの姿が父と重なった。終わらない核被害を前に、考えた。「庶民の怒りを代弁するのが講談の役目。大衆性があるから若い人にも聞いてもらえるかも」

新作は、米国が1954年に太平洋のビキニ環礁で行った水爆実験をテーマにした。日本の漁船も被爆し、多くのマグロが捨てられた。話は、原水爆反対の署名運動が全国に広がり、「平和利用」という名のもとに原子力発電が推進された歴史へと続いていく。「原爆と原発は無関心じゃない」。そんな思いを込めている。

 (朝日新聞 朝刊「ひと」 2020年3月2日) 文・写真 西村奈緒美




【HPコラム 2021・9】

今なぜ小熊秀雄か―小熊秀雄生誕120年「第39回長長忌」によせて

高橋省二

 詩人小熊秀雄(1901〜1940)の活動と作品に込められた詩精神を継承するために、1978年に創樹社から「小熊秀雄全集」(全五巻)が刊行されたことを契機に、当時創樹社代表の玉井伍一氏と詩人の木島始氏らが中心となって小熊秀雄協会が設立され、以後毎年、「小熊秀雄文学賞」の発表を兼ねた「長長忌」が行われてきた。

 今年は生誕120年という節目の年でもあり、より多くの人に小熊の作品や活動を知って欲しいということから、私たち「憲法寄席」が協力して朗読、講談、歌などによる構成舞台「今こそ時代と向き合い しゃべりまくれ〜小熊秀雄を語り、歌い、唸る〜」(仮題)の上演による「長長忌」を開催します。(11月28日(日)13時半〜、東京・文京区民センターにて)

 私と小熊秀雄作品との出会いは、発刊時での全集購入後は、グループ演劇工房公演「土の中の馬賊の歌―小熊秀雄と今野大力―」(2005年)や「憲法寄席」創作集団公演「長長秋夜―小熊秀雄と朝鮮―」(2019年)に続いて、今回の「長長忌」で3回目となる。しかし毎回、「いまなぜ小熊秀雄か」を突きつけられ、改めて作品を読み返している。

 小熊は、戦前のプロレタリア文学運動の中でもアヴァンギャルド精神に溢れた型破りな詩人だといえる。治安維持法によってプロレタリア文化運動が弾圧され、多くの詩人や文学者たちが沈黙を強いられている時代に、詩「しゃべり捲れ」を発表。さらに植民地主義に根差した「日本的なるもの」への鋭い批判やアイヌや朝鮮、中国の民衆への連帯の視座をもった優れた作品を書きのこしている。

 小熊は、池袋モンパルナスという文化村に住み、若き芸術家たちと安酒で激論を交わし、自ら詩を朗読したり、童話・小説・評論、さらには絵や漫画の台本まで手掛けるなどジャンルを超えて活躍した。特に画家や漫画家、詩人たちとともに「サンチョ・クラブ」を結成し、笑いと風刺を武器にした総合文化運動誌「太鼓」の発行など、常に時代に抗い文壇や左右の硬直した思想や表現を辛らつに批判し続けた詩人でもあった。

  昨今、植民地時代の反省もないどころ正当化し、再び中国、朝鮮を敵視排除する政治家が、長期にわたりこの国の政権を担い。その結果、メディアや文化はすっかり懐柔・自粛させられ保守・反動化しているのが現状である。それだけに今日、改めて小熊秀雄から学ぶことが多いのではなかろうか。