福田玲三 ふくだ れいぞう |
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1923年 岡山生まれ 大阪外語学校(現大阪大学外国語学部) 卒 1943年 学徒出陣 1949年 国鉄労働組合(書記) 2013年 「完全護憲の会」の設立 |
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さる1月18日は、今から56年前の1967年に、竹内景助さんが東京・西巣鴨の東京拘置所で逝去された日だ。当時、私は国労の書記として当拘置所に2晩か泊まり込んでご臨終に立ち会った。 |
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![]() 「走る高齢者たち/オールドランナーヒストリー」 『梨の木舎』 2020年7月1日発行 |
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1949年7月15日に国鉄中央線三鷹駅で発生した電車暴走事件の犯人とされ、再審請求中の1967年1月18日に、死刑囚のまま無念の獄死をされた竹内景助さんとの付き合いは長い。1963年9月12日に2度目の最高裁で、松川事件の被告全員の無罪が確定して後、東京駅八重洲南口近くにあった国労会館の「松川・三鷹友の会」は「三鷹友の会」に改称し、毎月1回、獄中面会を重ねた。 私はその機会に獄中訪問をして、金網越しに初めて見る竹内さんは1949年に投獄される以前の凛々しい国鉄労働者の面影を、そのまま残していました。その後、竹内さんの長男健一郎氏が父の意志をついだ再審開始請求を実現し、事件の真相を解明し、冤罪を晴らす展望を、今、何として切り開かなければなりません。 竹内さん獄死から54年経たさる4月23日、都内・連合会館で開催された平和フォーラム総会に出席し、三鷹事件再審請求への支援を要請しました。この総会出席は元国労委員長・武藤久と総評OB会事務局長・北岡孝義の両氏のご紹介によります。総会における支援の決定をうけて、6月4日開催の第1回運営委員会では、国労の佐藤裕樹書記長から支援の具体策が提案され、その提案に基づき、平和フォーラム竹内広人事務局長から「『三鷹事件』の再審決定を求める団体署名のとりくみにについて」が6月7日付で発出されました。 自治労80万、日教組25万、私鉄10万人を筆頭とする平和フォーラムの署名運動とあわせて、保革を問わず、左右を問わず、老若男女を問わず、貧富を問わず、都市と農漁村を問わず、臆病と大胆な人を問わず、今なお苦難の道をたどる遺族を救出するため全国津々浦々に理解と協力を呼びかけています。 |