福田玲三
 ふくだ れいぞう


1923年  岡山生まれ
       大阪外語学校(現大阪大学外国語学部) 卒
 
1943年 学徒出陣
1949年 国鉄労働組合(書記) 
2013年 「完全護憲の会」の設立



100歳の「護憲」歩みは続く 戦争を体験 福田玲三さんの訴え:東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp)


                 2024年2月8日『東京新聞』朝刊


講演記録 2023.12・17 本郷文化フォーラム・ホール
「松川事件、三鷹事件、『新しい戦前』について」
   web労動者文学会作品集





三鷹事件・巨大な謀略の闇
ー冤罪晴らす再審再開をー

完全護憲の会

2020年9月



【HPコラム 2024・4】

「多少の犠牲」を見過ごしできない 

 朝日新聞(3月6日付)の「私の視点」欄に弁護士・市川清文による「憲法の『平等』原則尊重を――沖縄の基地負担軽減」と題する論文が載った。その趣旨は、
<沖縄県民は本土住民に比べ、平和的生存権や幸福追求権が著しく脅かされ、憲法が定める「法の下の平等」の原則に反する。本当に沖縄の基地負担を軽減しようとするなら、政府は「基地負担平準化促進法」のような仕組みを作るべきではないか。それは例えば、基地を全国に移転する計画を、政府が都道府県と協力してつくる義務を負う。年限を定め、計画の進み具合を国会に報告させ、監督する機関も国会に設置する、といった内容だ。
 日米安保条約の是非や在日米軍基地のあり方については、国内で様々な議論がある。しかし沖縄の基地移設をめぐる問題では、地方自治の尊重とともに、憲法の「平等」の視点に立つべきだ。沖縄の負担軽減に向けた政府や国民の本気度が問われている。>と。

 折しも、軍事拠点化が急激に進む沖縄県の先島諸島を追った三上智恵監督のドキュメンタリー映画「戦雲(いくさふむ)」の公開が始まった。そこには軍事基地建設に反対する住民の叫びがある。
「『多少の犠牲は仕方ない』の『多少』に私たちは入っている」と。
 そうだ! いつも現地の住民の一人一人が、そして沖縄の県民が犠牲にされている。そして本土に住む私たちは、むなしく、現地の悲劇を見守り続けてきた。
 憲法第14条「すべて国民は、法のもとに平等であって、……政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」に、これは、明白に違反している。
「国会は『基地負担平準化促進法』を全会一致で採択せよ!」と、声を上げよう。



【HPコラム 2023・2】

三鷹事件:竹内景助氏没後56周年 

 さる1月18日は、今から56年前の1967年に、竹内景助さんが東京・西巣鴨の東京拘置所で逝去された日だ。当時、私は国労の書記として当拘置所に2晩か泊まり込んでご臨終に立ち会った。
 竹内景助さんの無実は、第一審判決の際に明らかになっていたはずだ。相被告と共同犯行の自白を強要され、その相被告全員の共同犯行が「空中楼閣」として否認されたとき、竹内さんの自供も当然、事実無根として退けられるべきだった。
 だが、当時GHQの占領下で、この権力犯罪を隠すために、その人身御供が必要だった。そして、竹内さんが単独犯行の自供もさせられていることを奇貨とされた。
 竹内さんは再審開始を目前に、無念の獄死をとげ、以後44年を置いた2011年の再審請求は2019年に棄却され、直ちに行われた特別抗告審が今最高裁第2小法廷に係属している。
 いつの日か必ず竹内さんの無実は法廷で明らかにされるに違いないが、その前になすべきことがあると思う様になった。
 それは、長男の健一郎氏は再審請求人として活動しておられるが、5人兄妹の後の4人は死刑確定囚の遺族として日陰の暮らしを強制されていることだ。このご家族を冤罪犠牲者として、暖かく迎い入れる集団を作ることはできないだろうか。その実現こそが、現在を生きる人間の使命ではないだろうか。






「走る高齢者たち/オールドランナーヒストリー」 
 『梨の木舎』  2020年7月1日発行



三鷹事件の再審請求 福田玲三 


【コラム 2021・7


 1949年7月15日に国鉄中央線三鷹駅で発生した電車暴走事件の犯人とされ、再審請求中の1967年1月18日に、死刑囚のまま無念の獄死をされた竹内景助さんとの付き合いは長い。1963年9月12日に2度目の最高裁で、松川事件の被告全員の無罪が確定して後、東京駅八重洲南口近くにあった国労会館の「松川・三鷹友の会」は「三鷹友の会」に改称し、毎月1回、獄中面会を重ねた。

 私はその機会に獄中訪問をして、金網越しに初めて見る竹内さんは1949年に投獄される以前の凛々しい国鉄労働者の面影を、そのまま残していました。その後、竹内さんの長男健一郎氏が父の意志をついだ再審開始請求を実現し、事件の真相を解明し、冤罪を晴らす展望を、今、何として切り開かなければなりません。

 竹内さん獄死から54年経たさる4月23日、都内・連合会館で開催された平和フォーラム総会に出席し、三鷹事件再審請求への支援を要請しました。この総会出席は元国労委員長・武藤久と総評OB会事務局長・北岡孝義の両氏のご紹介によります。総会における支援の決定をうけて、6月4日開催の第1回運営委員会では、国労の佐藤裕樹書記長から支援の具体策が提案され、その提案に基づき、平和フォーラム竹内広人事務局長から「『三鷹事件』の再審決定を求める団体署名のとりくみにについて」が6月7日付で発出されました。

 自治労80万、日教組25万、私鉄10万人を筆頭とする平和フォーラムの署名運動とあわせて、保革を問わず、左右を問わず、老若男女を問わず、貧富を問わず、都市と農漁村を問わず、臆病と大胆な人を問わず、今なお苦難の道をたどる遺族を救出するため全国津々浦々に理解と協力を呼びかけています。