北山 悠 きたやま ゆう




第17回(2005年)労働者文学賞(小説)
佳作受賞
「鶴亀堂の冬」



北山悠のブログ(作品集)


「コスモス」 
web労動者文学会作品集 (外部リンク)


【HPコラム 2023・5】

鋸山登山の話

北山悠
 コロナ禍も一段落した4月初め、1泊2日の小旅行をした。千葉県の鋸山登山に連れ合いと二人で出かけた。鋸山は海抜330メートルの低山だが、起伏に富んでいて、侮れない。その近くに足立区の施設があって、1泊2食付きで一人3650円で利用できるのだ。ただし、浴衣や洗面具は持参しなくてはならない。JR内房線に乗って浜金谷で降り、ロープウェーで山頂駅に一直線。ロープウェーの車窓からは東京湾が見渡せて、はるかかなたに対岸もぼんやり見える。山頂駅の食堂で昼飯を詰め込むと、いよいよ散策開始。山頂一帯には乾坤山日本寺の施設があって、入山料を払ってそれらを巡る。鋸山一帯は昔から石切り場として使われていて、石仏の類や絶壁が見どころになっている。百尺観音、地獄覗き、羅漢像、大仏像などを見て回るのだが、それらを繋いでいるのが石段。石段を上り下りしていると、顎が上がり、膝が笑い出した。この日は快晴でなかったから幸いしたが、そうだったらへばっていたに違いない。岩山に掘られた大仏は31メートルもあって、奈良や鎌倉のそれを見下ろす日本一の大仏なのだという。連れ合いの話では付き合い始めたころに一度来たことがあるというから、かれこれ40年ぶりの鋸山だった。確かに一度来た記憶はあったが、それが連れ合いと一緒だったとは…。下山は宿舎のある隣り駅の保田方面に徒歩で降りたが、ふくらはぎの痛みに往生した。その日は風呂に入り、夕食後はバタンキュー。
 
翌日は朝食開始時間と同時に食堂に行って朝めしを詰め込むと、宿舎を後にした。金谷駅までJRで戻り、金谷港から久里浜港へ行く東京湾フェリーで40分の船旅。バスで京浜急行久里浜駅へ、それから三崎口まで電車旅。観光案内所ではハイキング・コースを勧められたものの、ふくらはぎの痛みが取れないので、三崎港見学を選択してバス移動。三崎港といえば、とにかくマグロ料理。ケチケチ旅行の割には値の張るマグロ料理を楽しんだ。いつも食べ慣れているマグロとは違う新鮮な味に満足。
 
コロナ禍も去りつつあるなか、旅は久しぶり。どこにも外国人観光客が戻っていたのが印象的だった。足の痛みはその後、三日ほど続いて、階段の上り下りに悲鳴を上げた。人生の二度目の鋸山だったが、たぶん三度目はないだろうから、人生最後の鋸山登山だった。旅というものは、大変だった分記憶に残るものだから、いつまでも思い出すことだろう。格安の宿舎はお風呂も広々、食事も旅館並み、お酒の持ちこみもできる。同様の施設は日光にもある。一人でも足立区民がいれば、泊まれるとのことなので、お声掛け下さい。


【HPコラム 2022・3 後半】

やり過ぎじゃないかプーチン、それにしても……

北山悠

とかく同年生まれは気になるもので、私の場合は男性には、草刈正雄、水谷豊、三浦友和、女性には小池百合子、松坂慶子、小柳ルミ子などがいて、故人では河島英五がいる。彼の「酒と泪と男と女 は好きな歌のひとつだが、同い年生まれの贔屓でもある。外国人にはお隣の朴槿恵元大統領がいて、そしてロシアのプーチン大統領がいる。同年生まれの我らは今年、古希を迎える。
 同じ時代を生きてきただけで親近感がわくのは不思議なものだが、それだけに苦言も呈したくもなる。話題のプーチンには困ったものだとつくづく思う。どんな理由や事情があっても他国の国境を越えた軍事行動は「侵攻」であり、「侵略」行為にほかならない。プーチンはソ連の諜報機関KGBの工作員だった。もっとも祖国に貢献できるのがKGBだと考えたという。祖国ソ連のために体を張って闘ってきたに違いない。ソ連が崩壊したのは1991年のことだから、彼はそのとき39際の働き盛りだった。プーチン個人にとっては栄光のソ連が忘れられないものだったのだろう。昨年初めにロシアとウクライナの一体性を論じた論文を発表したところを見ると、キエフ大公国の昔から両地域は分かち難く結ばれたロシアの原点なのだと思っていたらしい。そのウクライナまでNATO軍が迫ってくるのは許せなかったのだろう。そこで、米国が首脳会談という外交的解決を拒否したタイミングで軍事進攻に踏み切った。しかし、ウクライナ軍の抵抗、欧米諸国による迅速な経済制裁、そしてロシア国内に巻き起こった反戦運動の広がりのなかで境地に陥っているのが現状だ。ヨーロッパ戦争という、さらなる拡大にならず、1日も早い平和が訪れることを願ってやまない。

しかし、よくよく考えてみれば、米国とその同盟国によるアフガニスタン侵攻やイラク侵攻はどうだったのだろう。911テロへの自衛権を主張してアフガニスタンに攻め込み、大量破壊兵器開発疑惑を理由にイラクに侵攻し、それぞれに親米政権を作り上げた。その開発疑惑は真っ赤な嘘だった。オサマ・ビン・ラディンとフセインは斬首作戦の結果、命を落とした。プーチン同様に世界から指弾されて当然だったのに、今ほどではない。日本もさまざまな協力を惜しまず、侵略の片棒を担いだ。日本社会における圧倒的なウクライナ情報に基づくプーチン攻撃には公正さを欠いている。プーチンも腹だたしいが、日本社会のあり様も困ったものだと思う。