登 芳久  のぼり よしひさ


「「
空とぶ鯨」アンソロジー ドットウイザード 2021年
「煙霞の癖」 さきたま出版会 2019年
「夢の播種」
 さきたま出版会 2018年
「月橘の香り
」 さきたま出版会 2013

「定本 鵙」 さきたま出版会 2011年
「攝陽妖翳記」 さきたま出版会 2009年
懶夢譚」 さきたま出版会 2007年



【HPコラム 2023・7】

中野重治「文章の書き方について」を読む

登 芳久

 戦前のプロレタリア文学に関して本誌に雑文を書くようになってから、その根底には遠縁の中野重治氏の強い影響力があることを感じるようになった。例えば「戦旗」昭和4年11月号に〈戦旗偏輯局〉の名称で発表された「文章の書き方」がそのことを明らかにしている。それは「全国三万の『戦旗』読者諸君!」で始まっている。

 最近の「戦旗」は、立てつづけにくる発禁の嵐をくぐって、工場へ、農村へ、仲間から仲間へすばやく配布するのは、やはりわが労働者農民の太い手だ。労働者農民の手で書かれ、編集され、配布され、その強い力で防衛されているのがわれわれの雑誌ー『戦旗』であるのだ。
 諸君!われわれの『戦旗』を最も熱心に読むものは誰だろうか。言うまでもなくそれはわが労働者農民大衆だ。では、わが労働者農民は、『戦旗』を読むために十分の時間をもっているだろうか。われわれの読者の誰もが、どんなむずかしい言葉をも即座に理解できる十分の教養を得ているだろうか。また彼らの財布には『戦旗』を買う金がいつでもあるだろうか。
 

 そこでこの問題点が呈示される以前に、『戦旗』に掲載された小説、報告、評論等の各文章について、その問題点が実に丁寧に具体的に指摘されている。(詳しくは『中野重治全集』第22巻を参照されたい)そして、これに続いて「『戦旗』三万の全読者・全寄稿者諸君!」への呼びかけがある。

 ここまで立派な『戦旗』を育ててきたわれわれは、その『戦旗』を一段とよくするため、さらにいっそう親しみ深いものとするために、この新しい難関を足なみそろえて突破しようではないか。暇のない、知識を奪われた、あの無数の兄弟を思い起こしそれを目あてに書こうではないか。
 一、必要なことと不必要なことを区別して、
 二、遠方にいる同志にもわかるよう具体的に、
 三、むずかしい漢字や理解しにくい言葉を使わずに、
 四、伏字なしに、しかも正確に、
 五、小学校も卒業していない仲間のことをいつも念頭に置いて、書こうではないか。

 こうしたサゼッションによって同時代の小林多喜二の「蟹工船」など文学の薫り高い小説作品が登場し、戦後社会の高学歴化とマスコミの異常な発展の追い風はあったものの、その後に社会の表面に浮上した事件や事故から資本主義社会の暗部を告発する松本清張らの社会派推理小説やノンフィクションの成立を可能にした要因ともなっているように思えてならないのである。


【HPコラム 2022・4 後半】

森島由臣さんと同人誌「創樹」

登 芳久

 
 本月二十四日に本会会員で元「全逓文学」所属の森島由臣さんの「傘寿の茶話会」が市川市の市川グランドホテルで開催されることになった。そこで森島さんのもう一つの文学活動の場であった文芸同人誌「創樹」について紹介しておくことにしたい。

 わたしたちの同人誌「創樹」は、日本文学学校で始めて教壇に立たれた田所泉講師のクラス(昭和五九年度卒業)OBによって創設された文芸同人誌「蒲公英」が原点になっている。田所さんは文芸評論『昭和天皇の和歌』で知られる作家で、メーデー事件を描いた実録小説「出廷拒否」等の作品がある。

 平成十年十二月に先の同人誌「蒲公英」から分離独立して、森島さんを代表とする同人誌「創樹」が創設された経緯があった。森島さんの本領である人間や事物のもつ複雑な感触や、それらが孕む微妙な気配を表現する後期の佳品は、田所講師の推挽で本誌に多数掲載されている。

 平成十七年三月に新日本文学会が解散して、その翌年四月に田所講師が逝去された後も本会はわたしたちの心の支えとなって現在に至っている。必要があってこれらのバックナンバーを通読すると、その何れもが文学青年の手すさびの域を既に超えて、文体には少なからぬ混乱はみられるようだが、そのそれぞれには生涯の目標を定めた確かな意識が感じられるのである。本誌の同人で他の文芸同人誌を主宰しているものには、関西では「てくる」(平野千景)、関東では「土曜文学」(登芳久)がある。今後とも森島さんの健やかな長生を願うに切なるものがある。