高見正吾 たかみしょうご |
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【HPコラム 2022・7・後半】 雑文・労働者文学のPRと私 |
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何でもネットで知る。本を買うのもネットの時代。労働者文学もネットで知り、関連する本をネットで買う。さて、労働者文学を、今後、研究するキッカケになるキーワードは何か? 私は、いい悪いは別にして「藤森司郎」で、グーグル検索して――とさけびたい。 検索すると、一九二五年・長野県生まれ。国鉄に入社し、機関士をつとめると紹介されている。そして、二冊の本。@『鉄道員・藤森司郎小説集』土曜美術社、新日文双書。A『労働・生きることと書くこと』武蔵書房。 私は、労働・生きることと書くことが、労働者文学であると思う。この本は、七割が「労働者文学ひろば」についての文章だという。久保田正文氏は「序文」で――「労働者文学ひろば」を読みつづけて私が感銘したことは、小説・評論はもちろんのこととして、詩・短歌・俳句・川柳などの各ジャンルにわたって広く目を配っていることであったと書いている。労働者文学は、組合の総合的な文芸サークル誌であると聞いているのだか、働き・読み書きする人が、労働者文学に投稿すると、小説・評論・詩・短歌・俳句・川柳、全て、藤森司郎のような、熱心な読者がいて、作品を読んでくれる。現在の「労働者文学」は「ルポ的なリアルさ」に注目しているのだが、今でも、熱心な読者がいて作品を読んでいる。 もう一冊の『藤森司郎小説集――鉄道員・特別二等寝台車ほか』は、労働者文学というより、何でも知りたい鉄道ファンにとっても、おもしろい鉄道の歴史的な知識になる。当時、機関車文学というのがあったらしいよ。 本来「労働者文学」を研究するためのキーワードになるのは『労働者文学作品集』ではないかと思う。先にあげた、久保田正文の他に、野間宏の名前がある――私は、藤森司郎や、『労働者文学作品集』を追い、今、終活として「私の労働者文学」を書こうとしている。 藤森司郎氏は、『労働者文学』二六号、「特集/どう生きる高齢時代」の中に「二つのこと」という作品を掲載し、中野重治・平野謙・佐多稲子の名前を出す――そして「何故粗大ゴミ等々になり果てるのか(くたばること?)は、そこに非人間的な企業収奪の過重労働があり――」と書く。私は、六五才。手術歴二回。粗大ゴミととして――雑文・ボケを書いている。 |
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