西  向光



【HPコラム 2022・10】

維新は不祥事のデパート

西 向光

 

 私は大阪市内の在住者だが「大阪万博」「カジノ建設」に反対する一市民でもある。維新の会の不祥事には、本当に呆れるばかりだ。
 つい最近、鈴木宗男参議院議員が、単独でロシアを訪問し「戦争に勝利するのはロシアだ」と発言、維新の党からの除名処分を受ける前に自ら離党したと報道された。また同じ時期、伏見隆・大阪枚方市長が、選挙当選後仲間と「祝勝会」を開催したことが判明し、問責決議で問われている。
 
他にも、大阪市議会議員の女性議員にセクハラ行為を行った府議会議員が刑事告発されてる。議員の立場で冠婚葬祭に名を連ねるという不祥事も後を絶たない。社会的にも大きな問題を引き起こしたのが梅村みずほ参議院議員である。5月の参議院本会議で入管法改正法案審議や法務委員会で、入管先の施設で命をなくしたスリランカ人ウィシュマさんに対する「差別と偏見に満ちた発言」を繰り返した。
 最初に大阪で維新政治を進めたのは橋下徹氏である。彼は大阪府知事の時代に『身を切る改革』として大阪の数ある文化施設を削減した。大阪には大小たくさんの演劇集団があり、安く利用し公演できる劇場が無くなり落胆し、閉鎖に追い込まれたところもあった。
 
また、平和資料を展示していた「ピースおおさか」の加害の歴史展示にも橋下氏はクレームをつけ、加害の歴史展示物を削除させた。
 
そしてカジノ誘致である。知事時代に橋下氏の「こんな猥雑ないやらしい街はない。ここにカジノをもってきてどんどん博打打ちを集めたらいい。風俗街やホテル街、全部引き受ける」といった発言が始まりなのだ。そして夢洲に建設することを決定した。夢洲は、そもそもゴミと建設残土、産業廃棄物などで埋め立てられ、今一部がコンテナターミナルとなっている。
 
「大阪万博」が終わればカジノ等のリゾート施設建設を予定しているのだ。しかし今は、当初予算をはるかに超える土地改良工事費が増大し大きな負担となっている。彼らは「国が万博やカジノ建設の費用を負担=国策」として財源を国に押し付けようとしているのだ。
 
亡き安倍晋三前首相と大阪維新の蜜月が、前菅総理に引き継がれてはいるが、現岸田首相には、繋がりが薄いようだ。
 
以前、私の住む塚本の森友学園が政治問題で取り上げられた時期あったが、安倍晋三夫妻と維新が関係した歴史が完全に葬られてしまっている。獄中には、この街出身の籠池さんご夫妻が収監され「臭いものには蓋」をされている。
 大阪での維新の絶対得票率はたった3割でしかない。
 
維新政治を止めるには、市民の良識と必ず投票に出て行く実践あるのみだ。


【HPコラム 2022・9 後半】


暑い夏、私たちの課題


 関西で反原発運動を行っているストップザもんじゅの会合にこの7月、久しぶりに参加した。関西電力が若狭湾を中心に、高浜原発、美浜原発、大飯原発があり、東日本大震災以来、再稼働には慎重にされた経緯があった。しかし、国は電力の供給が逼迫していると一部再稼働を認め、動き出している状況にある。それは、
 電力会社と一部結託している政権の繋がりが強いのか、原発推進派は福島の教訓を無にしているのか。
 そのような中、今回の会合で恐ろしい報告を聞く。7月2日、青森の六ヶ所再処理工場で高レベル放射性廃液が8時間も冷却がストップする事故が起きた。高レベル放射性廃液が冷却不能になると、六ヶ所で24時間後に沸騰する。それから蒸発乾固。硝酸塩が爆発し大気中に大放出するというのだ。この時は8時間で発見され、24度から32度まで冷却水の温度が上昇し、一旦収まったという。マスコミからは地方紙のみ報道があった。
 日本には、1万9千トンの原発使用済み核燃料がある。そのうち3千トンを、六ヶ所村再処理工場に送っている。残りは何と、各原発のプールで冷却されている。プールのままでは、自然災害や航空機の墜落、テロなどに弱い。また、冷却不能となれば燃料プールの火災が起こる可能性が高い。
 このような危険な原発の状況をひた隠しにして、今の岸田政権は新たな原発推進を進めようとしている。地震国でもある日本。活断層の上に作られている幾つかの原発。特に青森も大きな地震が起こる可能性のある地域なのだ。知れば知るほど、私は原発計画の危険性を危惧する。反対運動の現実も運動員が高齢化している中、何が今大切なのか。命を守る事を第一に、若者たちにも将来の電気エネルギーについて真剣に考えるような反原発運動を、私たち人生の長い経験者が目線を低くくして訴えなければならないと参加者みんなで考えた会合であった。
 参加しているメンバーも、どうやって広く現実を訴えていくのか、賛同者をどう増やせるのか、危険な現実を伝える難しさを感じている意見が多くあった。
 いつもの事務局の会合ではなく、少人数でのディスカッションを初めて実施し、色々な意見を交わす事が出来た。そう、自ら何か変化をしていく事が大切なのだ。ようやく反対運動にも少し光が見えた気がした。一つひとつの活動を積み重ねていく中で、これからの反原発運動を愚直に進めていこうと考えている。
 関西から全国へ発信できるように頑張りたい。