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高山は周囲二〇〇メートルの亀池公園の便所に小走りに向かっていた。平静を装っているが腰のひねり具合からするとかなり尿意が彼を苦しめているのがわかる。郵便局を出るときにしっかりと絞り出してきたはずなのに十一月上旬の今頃から一時間もすると落ち着かなくなる。とくに今日はクレーム処理のため早めに出て来たのが響いている。いつの間にか高山の手が股間を抑えている。 便所に着いてからがまた大変だ。寒がりの高山はユニクロの極暖タイツに(もちろんパンツも履いている)制服の作業ズボンをはき、さらにホカホカの防寒ズボンをはいているので、使い古しのナニにたどり着くのに一苦労だ。さらにナニは寒さにカメの如く首をひっこめてなかなか出てくれない。それほどでもないと思った尿意は便器の前に立つとなぜか漏れ出す寸前までになる。あわてて足踏をして気を逸らせる。以前、間に合わずチョロリと出てしまったことがあった。ある時にはチョロリどころでなく……これ以上は高山の名誉ために内緒にしておこう。 ー…… 至福とはこういうことなのかといつも思う。ついさっきクレームで冷や汗をかいたことも忘れてしまう。 悠然とバイクを停めた場所まで公園を歩いていると、怪訝な目で見る散歩中の通行人に会う。こういう時のマスクは便利だ。身も心も軽くなった高山は軽く会釈をしてバイクにむかう。 バイクを始動しようとしたとき腰にぶら下げている携帯端末機の操作を忘れていることに気付く。作業内容が「出発準備」のままだ。高山は1時間も「出発準備」をしていたことになる。これでは明日の朝のミーティングでみんなの前で指摘されることになる。下手すると部長席に呼びだされて説教されることになる。修正するにはどうするんだった? 高山はバイクの横で携帯端末機を睨みつける。睨みつけても時間は進むだけだ。今度は通行人が通っても挨拶する余裕もない。 そのころ、高山の職場である郵便局の集配部第三班では小さな提案がなされ、それがゆっくりと波紋を広げていた。 ―今年の年末、高山さんと交代で配達に出るというのはできない。 郵便を片手に持ったまま出口は班長のところに近づいてきて言う。班長は最初、何を言っているかわからなかった。マスクのせいでよく聞こえなかったせいもある。 ―俺が配達に出たときは高山さんが局に残ってアルバイトの指導と年賀の組み立てをし、翌日は高山さんが配達で、俺が指導と組み立て。一日交替ということなんだが。高山さんも去年、一日中なかの仕事で辛らかった、と言っていたし、いいんじゃない。 班長はもう一度、出口の顔をみる。今朝から出口がなにか思いつめているような風情だったのはこれかと思う。高山はクレームの対応のため、早めに配達に出かけていた。いない時に言うところをみると、高山と相談したうえでの話じゃない。そもそも班長は日ごろから出口のこの馴れ馴れしい話しぶりにこころよく思っていなかった。この思いもよらぬ提案に班長は改めて出口の顔をみた。 十二月はじめから引き受けを始める年賀状は、自局で収集したものは郵便部で区分けをして全国に発送する。自局のぶんは他局から来たものと合わせて十二月半ばに集配部に交付する。かつては郵便部で大量のアルバイトを使って集配の配達区ごとに分けていたが、いまでは組み立て区分機がものすごいスピードでそれをやってしまう。区分機は郵便部でその大きさと性能から威容を誇るが、その機械の入口に年賀状を流し込むまでは人間で、取り出すのも人間。年賀が機械に詰ってしまったら人間がよじ登ってどけてやり、機械では読み取れない年賀はやっぱりアルバイトが区分する。 その配達順路に組み立てられた年賀状を集配部の配達員とアルバイトが誤組み立て(まだこの区分機の組み立ては正確性に欠ける)や転居や、同じ家でも事情により分けたりするのにやっぱり人間が必要になる。このアルバイトの指導は班長などのベテランがやることになる。ほかの配達員がいつものように配達に行くが、この担当になると、もう年賀の組み立てが終わる三十一日まで配達に出ることはない。去年は班長が他局から来たばかりだったので定年間近かの高山がその任にあたった。今年、出口はそれを高山と交代してやりたいというのである。 出口の言い分はこうである。 ―二十一区は俺がいつも担当するが俺が休みの時は高山さんがやる。こう言っちゃなんだが、そのとき誤配するんだよな。転居届が出ているのに配達したり、隣の家の郵便を配達したり。それに遅いでしょう。老眼のせいか組み立てに時間がかかるからみんなが定時で終わるところ残業になる。年賀体制になると高山さんはバイトの指導と年賀の組み立てだけど、高山さんの組み立てたものは怪しいんだよな。そうでしょう。 出口はさらに話を進めようかどうか班長の顔色を伺う。出口は班長があまり口を聞いてくれないのでどういう性格なのか、まだ図りかねていた。班長はあいまいにうなずいている。 ―高山さんも去年、なかにいるばかりじゃ、目はしょぼつくし、腰は痛くなるといつも愚痴ばかり言っていた。だから俺が配達した翌日は高山さんが配達に出る。その翌日は室内勤務。どうです。大丈夫ですよ、ほとんどの年賀は機械が組み立ててくるんだから俺でもやれますよ。 ―高山さんはなんと言ったの。 班長はこれから年末をむかえ忙しくなるというのにやれやれ困ったことを言うなと思いながら念のために聞いてみた。 ―それはまずいですよ。 出口が配達に出たのを見て若い加藤がめずらしく気色ばんで班長に言う。出口の思いもよらぬ提案を加藤は隣で聞いていたのだ。 ―非常勤の出口さんと本務者の高山さんが、年末とはいえ交代で配達に出るなんて聞いたことないですよ。 入局当時、ひょろひょろした加藤に最初はどうなることかと周りも様子見だったが一年もたち体力が付くと班員からも管理職からも評価されてきた。パソコンでの転出の処理、原簿の入力、配達順路の設定などを班で処理するようになると、年配の配達員が手こずるのを尻目に、重要な戦力になり始める。本務者だけでなく非常勤の先輩たちにもそつなく対応していた。 その加藤が出口の提案にめずらしく怒気を含んだ声を出した。確かにそんなことをしている班は聞いたことがない。例えばある班に優秀な非常勤がいたからといって彼が職場を差配するようなポジションに置くというのはありえない。優秀な非常勤には次々と作業量を増やし続けるだけで一線だけは超えさせないようにする。 ―高山さんのためといいながら自分が楽したいだけなんですよ。誤配なんかも出口さんもそれなりにやってますよ。 加藤はめずらしく悪意の込ったことを言う。加藤は本務者の立場を強調するが、本務者と非常勤がやる仕事は同じだ。本務者がミスが少なく、非常勤が多いということもない。ミスした非常勤を非常勤だから大目に見てくれと本務者がかばうこともない。そもそも非常勤を入れたのはそれによって本務者が営業に力を入れ、パソコン業務の精通により配達作業の効率化を進めるということだったが、高山をみるまでもなくそれは建前でしかない。加藤が言うのはメンツの問題だけだ。言いたいことを言うと加藤も郵便をファイバーに積み込み配達に出て行った。 ―そう思わないか。 出口が地下のバイク置き場で同じ班の岩垂と一緒になると岩垂に自分の提案に同意を求めるように言う。おなじ非常勤なかまだから同意してくれることを期待して言ったのだが「はあ」と岩垂は答えるがそれほど関心がない。それより午前中配達の手間取ると午後、陽が落ちて配達がにっちもさっちもいかなくなることのほうが心配なのだ。 岩垂は新聞配達の仕事を辞めてこの郵便局に来た。働いた時間だけ給料が支払われる時間制契約社員である。高山も時間制契約社員、つまり非常勤である。もう一人いた先輩の非常勤が見切りをつけてやめた代わりに出口がほかの班から移動してきた。前の先輩と違い出口は年下の岩垂を子分のように扱いたがる。 前の班に一〇年近くいた出口は、重宝がられていたのだが、はいはいと指示に従うタイプではない。本務者が上からの指示には不満があっても諦めて黙って従うのに出口は「それってさ……」と口をはさむ。もちろん言ったところで上意下達のなかでは焼け石に水なのだがその労をいとわない。たぶん思ったことを口に出してしまうのだ。どうごねようと大勢に影響はないのだが、その言動はうるさがられ、体よくこの班に移動させられた。 出口の〝画期的〟な提案に岩垂は興味なさそうに言い渋ると「そう思うだろう」と出口は念を押してくる。「ちょっとトイレに行ってきます」と岩垂が難を逃れる。「なんだこいつは」と出口が後姿にむかって苦々しく呟く。 ―あなたたちはクルクル回るモルモットか。 高山よりも年上らしき男性は挨拶なしにこう切り出した。この家では初めて見る顔だ。会社を退職して家にいるようになったのかもしれない。定年直後の男性は面倒だというのが高山の経験だ。 今朝、大区分を終え、個別組立てに移ろうとしたときにクレームの電話だと計画係が呼びに来た。 ―うちの配達がいつも五時過ぎになるのはなんでだ。前は午前中に来ていたし、家の前の○○さんは今でも午前中に配達している、おかしいじゃないか。 高山は相手の声がだんだん大きくなってくるので、受話器を耳から離すが、それでもよく聞こえる。 ―それはですね、配達順路が最近変わりましてね……。 ―そんなのは私たちには関係ない。 ―……。 ―電話じゃ埒が明かない。いますぐ説明に来い! 計画係や副部長がそばにいて仕事をしながら聞き耳を立てているが、もちろん助け船を出してくれるはずもない。仕事の段取りがあるから十時までには伺うということで電話を切った。たまたま担当の区だったためにとんだ災難だと憂鬱になる。おまけに午後からは雨が降ると言うので空模様もあやしい。班長は短気な高山が配達先で喧嘩しないか心配だった。喧嘩でもして長引けば自分が出て行くことになる。案の定、高山は不機嫌な顔をして出て行った。 ―うちの配達がいつも五時過ぎになるのはなんでだ。前は午前中に来ていた……。 神妙な振りをしていた高山に腕組みをしたまま男は同じことを繰り返す。 道順組み立て機が入ってから集配員はその機械が並べた順路の通り配達することになった。配達順路は一筆書き、交通ルールを厳守し、単純にした。長年積み上げてきた集配員の経験は白紙になった。 番地ごとの街区を右回り、あるいは左回りにし、目の前に向いのポストがあっても通り過ぎる。右側の家を配達し、目の前にポストがあるから、そこに配達するという〝ジグザグ〟などはもってのほかだ。この配達方式で〝誰でも配達できる〟状態になる。これで配達員が新しく覚える見習期間が短縮でき、かつて組合がしたような闘争を企てても会社は心配ない。 すると配達員は回転する円形のリングを走り回るモルモットみたいなことになる。当然のように配達走行距離は長くなる。最初はこっそりいろいろ工夫して〝ジグザク〟に組立て直すが、それでは組み立てに余計な時間がかかるので、やがて諦め機械の指示通りに回る。そうすると考える手間が省けグルグル回るモルモット状態になり、そうした方が〝楽〟に思えてくる。もはやモルモットではなくロボットに近付いてきた。 高山は、〝あんたさ、俺らにそんなこと言ってもどうにもならないだろう。下々に文句垂れて、単なる気晴らしか〟とは思うがそんなことは言わない コンピュター付きの組み立て機が導入されて我々はそれに従うしかない、会社が決めたこと(暗に政府の意向であることを匂わす)は現場ではいかに無力であるかを説明する。ついでに、われわれ労働者もクルクル回されている被害者であることを強調する。だが男性は ―家の前の○○さんは午前中に配達している、おかしいじゃないか。五時過ぎたら老人には真夜中みたいなもんだ。わざわざ郵便を取りに行かない。 と繰り返す。〝大げさなこと言いやがって、五時が真夜中なら、夕飯はいつ食うんだ〟これは根競べだと思ったとき男性は意外なことを言う。 ―すこし前にここを配達員していた人に言ったらそれからは必ず午前中に配達されるようになった。ということはやればできるじゃないか。 ―……。 ―その人が来なくなってからいつも夜中に来るようになった。 〝すこし前に配達していた人〟とは出口が来る前にいた非常勤のことだ。いつもこの区の担当だったが、郵便局のアルバイト生活に見切りをつけてやめて行った。その非常勤が辞めてからは高山がここを配達することが多い。男が〝暇に任せて毎日観察している”以上下手な言い訳は通用しない、じっと耐えるしかない。 ―コンピュターがどうのこうの言うがあんたらが使いこなせばいいんだよ。郵便局はそういうところが百年遅れているんだ、そうだろう。 〝百年だと、前島密じゃあるまいし〟と思うが、確かにそうだ、その通りだと高山も思う。 ―……。 ―あなた、この方に言っても困らせるだけよ。 と女性が出て来て助け舟を出してくれる。出してくれるが哀れむようなまなざしだ。 クレームを恐れる郵便局はクレームを消すためなら現場がどのような対応しても黙認する。違法でなければ、金がかからなければ現場が〝うまく〟やってくれればいいのだ。出口なら「それってさ、他にクレーム来たら全部やるってこと」と文句をいうだろうが配達員は渋々クレームを消していくことに腐心する。 ―申し訳ありませんでした、局に戻ってそのような方向で対処します。 高山は女性が出て来たタイミングを見逃さず紋切り型のセリフを置いて逃げ帰ってきた。よどんだ冷や汗がどっと流れる。 クレームから解放され高山が気をとりなして亀池公園から配達し始めてすぐ、「高山さん!」バイクに乗った加藤が大きな声をあげて近づいてきた。 ―ロール紙余分に持っていませんか? 高山がうんと言う前に加藤は勝手にカバンをのぞき込んでいる。 ―クレームはどうなりました。 ―怒られた上に地雷まで踏んでしまった。よりによってクレームが来る日に担当とはな。何個いるんだ。 集配員は腰に携帯端末機をぶら下げてある。作業開始から作業内容、休憩時間までをこの携帯端末機に記録しなければならない。データーは毎日、職場にある送信装置から郵便局を統括してる郵政局に報告されその膨大なデーターは蓄積され集配員を管理する。まるで管理者を腰にぶら下げているようなものだ。 記録するだけではなく配達作業の重要なアイテムである。書留を配達するときに出す配達証、不在の場合の時の証書……ロール紙のない端末機は銃弾のない鉄砲でしかない。ロール紙は一日数本使うから、配達員は予備を配達カバンの底に置いておくが、加藤はうっかり忘れて来たのだ。 ―一コ百円にまけてやる。 と、高山は防寒ジャンバーから二個取り出す。 ―加藤も〝ジグザク〟やっているのか。 ―……。 高山は先ほどのクレームの内容を説明する。 ―機械の通り配達しないで、適当に配達順路変えて配達しているのか。 ―してますよ。 ―でも、組み立ての時に〝ジグザク〟に変えなきゃいけないだろう。 ―いや、組み立ては機械の通りにして、配達の時に二束持つんですよ、左手に。 加藤は器用に郵便の束を二つ左手の指を使い器用につかんで見せてくれる。 ―みんなやってるんじゃないですか。機械の通りやっていたら日が暮れますよ。 ―……。 ―出口さんだってやってますよ。あれ高山さんやってないんですか。 ―……。 ―それより高山さん、今年の年末は出口さんと交代で配達に出るんですか。 ―なんの話しだ。 高山は加藤の話にびっくりした。 ―俺が出口と交代で配達に出るって言うのか。 高山の目が宙を浮いてしまった。 「なんで俺が出口と交替で配達に出なければならないんだ」「高山さんが去年なかばっかりだと疲れると言っていたと……」「そんなこと言ったか」「まあ出口さんはああいう人ですから」 加藤は高山の想像以上の反応に驚いてしまった。高山も年甲斐もなく興奮したことに自分でも驚いてしまった。 ―おっと、こんな時間じゃないか。百円がないなら千円でも構わないぞ。 「はいはい」と加藤は高山に礼を言いながら坂を勢いよく上って行った。その若々しい加藤の後姿を見ながら高山は考えた。 高山は昨年、年賀のアルバイトの差配を任されたときは実は喜んでいた。班長、副班長になる気も要請もなかったが班の中でそれなりに必要とされているという自負があった。副班長が年末、速達担当に回ることにより高山が押しだされた格好であるが順当にその番が回って来た時はほっとした。今年もそうなる予定だった。 確かに機械で組み立てられた年賀状の処理は出口でも俺でもかまわない。だが、それでは四十年近く務めてきた俺と出口が同じだということだ。出口がそこまで考えていたかはわからないが出口の提案はそういうことになる、それだけは認めたくなかった。 「あれでも本務者か」仕事を終えたロッカー室でひそひそと語られる言葉を思い起こす。誰が言ったのか、誰のことを言ったのか、なんのことを言ったのかはわからない。本務者同士になると「バイトだからな」と冷ややかな言葉を吐いている。それは絡み合わない綱のように職場に垂れ下がっている。 ポツリと雨滴が落ちてきたように感じ、高山も先を急ぐ。 ―いいんじゃないですか。 思わぬところから出口の提案に対する援護射撃があらわれた。副班長である。 午前中の配達から帰って来た班長は、夜勤担当の副班長に〝年末交代配達〟について話をすると意外にも賛成した。 ―部長が何というかしれませんが、それでいいんじゃないですか。年末はみんな十日近く休みもなく働くんだから、交代で出るというのはいいことかもしれません。 彼にとっては非常勤の出口が配達しようが高山が出ようがどちらでもいいのだ。班の業務が他の班から後れを取らなければどんなことでも賛成する。副班長でありながら年末に速達担当者になったのは、俺がやればさっさと速達を片付け年賀の作業を手伝えるからだ。高山にまかせて一日中、配達に出ていられたんじゃ仕事が回らないと思っている。 ―でも、それは無用な心配だと思いますよ。 ―? ―どうやら今年から、アルバイトは雇わないことになるみたいですよ。 副班長が噂だと言いながらも断言する。班長も例年ならアルバイトの配置が班長会議で言われるのに今年は遅いなと思っていた。 理由は、春から流行し始めたウイルス性の疫病が収束する兆しが見えないためだ。だが、それは表向きの理由だ。経費削減のためにアルバイトの採用の中止を目論んでいた会社はこの疫病の蔓延をいい口実に利用したらしい、と言う。 年賀状の発売のピークは二〇〇三年でそれ以降は減少を続け、ついには半分になった。配達をする郵便外務のアルバイトはすでに数年前から止めていた。ここ数年、年末の忙しさは変わらないが、年賀によって目の回るよう騒ぎも、残業が四時間ということはなくなった。嫌だ嫌だといっていた年賀だが、減ってくると集配員たちの唯一の〝お祭り〟が消えるよう寂しさも感じていた。 いつのまにか配達から帰って来た加藤は抜け目なくそれを聞いていた。 ―ということは、今朝の出口さんの提案はなしということですね。 ―みんなで配達し、みんなで年賀を組み立てるということだな。 そう班長は呟き、副班長の顔をみる。どこで管理職とつるんでいるんだ、そういうことは早く教えろよと思うがいずれ自分の上司になるかもしれない男の顔から眼を逸らす。 そこへ何も知らない出口も帰って来た。三人がひそひそ話しているのに内心ニヤリとした。 そのころ高山は午前中の配達を終え局に戻る途中だった。休息時間もかなり食い込んでいるが、いつものことだ。若い頃の高山なら意地でも休息時間には戻っていた。もう腹もへらない。 信号が赤だ。さて、出口にどう言ってやろうかと高山は考えていた。だが高山が俺と交替で室内勤務をすることになぜか腹が立つのか自分自身でもわからないのだ。 ―雨、持ちますかね。 カタカタと力のない50CC特有の音がしたと思ったら岩垂が後ろに来ていた。「こいつも俺のことをそう思っているのか」とちらりと岩垂の方を見る。 ―今日も肉なしカレーライス大盛か。 ―600円ですからね。腹持ちします。高山さんは今日も定食ですか。 ―この時間じゃ、もう売り切れたろうな。そばにでもするか。岩垂みたいにダイエットしないと長生きできないからな。 岩垂の出っ張った腹をみながらいつもの冗談を言う。いつもの冗談に岩垂は適当に相槌をうつ。 だが高山は書留カバンのなかに午前に配達に行かなければならないのがあるのをすっかり忘れている。まもなく高山の携帯電話に局の部長代理からの電話がかかってくるはずだ。 そうとも知らずに高山はいまにも降りそうな空をみてカレーライス大盛でも食べてやるかと思う。青信号になってもたもたしていると岩垂の50㏄のバイクが高山を150㏄のバイクを追い抜いて行った。 |
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DIGITAL『労働者文学』創刊準備号 目次 労働者文学会HOMEへ |
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