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土田宏樹 つちだ ひろき
第26回 労働者文学賞2014
評論・ルポ 入選「深夜労働」
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酔流亭日乗 ブログ更新中
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【HPコラム 2025・5】
蕎麦掻き
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東京でも桜が満開となった4月初めの某夜、郵便局で働いていた頃の仲間たちと神田の蕎麦屋で飲んだ。菊正宗の熱燗。5人連れだったので肴はあれこれ少しずつ注文して分け合う。鰊の棒煮、卵焼き、焼き鳥・・・。蕎麦がきもたのむと、塗り物の湯桶が運ばれてきた。熱い湯が満たされ、蕎麦粉を掻いたのが浮かんでいる。
大江健三郎を誘って神田の蕎麦屋に入り、蕎麦がきを食べた話をむかし安岡章太郎が書いている(雑誌『文藝』1974年2月号)。
「そばがきといふのは、私は子どもの頃から何となく貧乏臭い気がして好きではなかったが、大江氏が食ひたいといふので、付き合って食ってみると、これがじつにウマかった。」
安岡は店名を明記していないが、われわれが行ったのは、おそらく同じ蕎麦屋である。そして蕎麦がきというのはじっさい貧乏くさいようで実にうまい。そば切りにする前の、鉢で捏ねられた蕎麦のかたまりだ。
安岡のその文章はもう半世紀前で、安岡章太郎も大江健三郎も今やこの世の人ではない。私が最近読んだ中で蕎麦屋が登場するのは津村記久子の小説『水車小屋のネネ』(2023年)だ。題名にある水車小屋は山あいの、近くを川が流れる蕎麦屋に併設されていて、水車の動力によって回る臼で蕎麦の実から蕎麦粉が挽かれる。小説の中に蕎麦についての蘊蓄などいっさい出てこないが、きっと美味いに決まっている。蕎麦がきが出される場面もあった。
ネネというのは、水車小屋に棲むヨウムという鳥の名。オウムの一種で賢い。18歳と8歳の姉妹が事情があって家を出、姉は蕎麦屋で働く。彼女たちをめぐって1981年から2021年まで40年間のクロニクル(年代記)のような作品だ。
読後感が爽やかなのは私が蕎麦好きだからだけではないと思う。
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【HPコラム 2024・2】
沖縄戦を忘れるな
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沖縄在住の芥川賞作家、目取真俊氏の短編小説『闘魚』(とーいゆー)に登場する老女カヨは、沖縄戦が終わったとき11歳だった。7歳の弟がいた。勘吉といった。父は病没、母ウシと幼い妹ミヨとの4人家族は、辺野古の大浦湾に面して米軍が作った収容所に入れられた。母と妹がマラリアに罹って高熱を発し寝込む。
貝で出汁をとって熱い煎じ汁を飲ませれば元気が出る。そう思ってカヨと勘吉は海に貝を獲りに行き、勘吉は貝を獲るのに夢中になって潮に流されて死んでしまう。
作者・目取真氏の母親も沖縄戦のとき11歳で、勘一という名の8歳の弟がいた。作者にとって叔父にあたる。その勘一は米軍が残していったガソリンがランプから引火し、全身火だるまになって死ぬ。収容所で配給される食糧だけでは足りないので、米軍のゴミ捨て場から拾った缶詰の残りなどで食をつなぐ日々に起きた事故である。『闘魚』において大浦湾にのまれた勘吉には、大火傷を負って亡くなった作者の叔父・勘一が投影しているのは明らかだろう。
勘吉の遺体は収容所の端に埋められた。3年後の夏に掘り出し、洗骨して荼毘に付した。
1月10日、防衛省は辺野古北側の大浦湾で工事に着工した。埋め立てには、沖縄戦最大の激戦地となった本島南部の土砂も使う。20年の設計変更申請で調達先に追加したのである。そういう設計変更の承認を国が「代執行」したのだ。
勘吉(勘一)の遺骨は掘り出されて埋葬された。しかし、20万人以上そのうち沖縄県民は12万人以上、県民の4人に1人が亡くなった沖縄戦では、地中に遺骨がまだ埋まっている。今も毎年50前後の遺骨が発見され続け、なお数千が地中に眠ると言われる。
そんな遺骨が眠る土を軍事基地のための埋め立てに使っていいのか。いいはずがない。
なお『闘魚』も収録された目取真俊氏の最新の短編集『魂魄の道』(影書房)をテキストにした3回連続の読書会が企画された。1回目はすでに去年12月23日、越川芳明・明治大学名誉教授を報告者として行われ、2回目は2月23日、文学研究者の田代ゆきさん、3回目は3月20日、不肖、私が報告を行なう。どちらも午後1時から。会場は労働者文学会が総会や労文賞表彰式でいつも使っている本郷三丁目のHOWSホールである。問い合わせはHOWS(TEL
080-9816-3450)まで。
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「郵政労使に問うー職場復帰への戦いの軌跡』 池田実 著
2022年8月2
web労動者文学会作品集
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【HPコラム 2022・12】
精神の飽くなき運動
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2022年が暮れていく。労働者文学会にとって今年の快事は、会員の秋沢陽吉さんが第六回丸山健二文学賞を受賞されたことだろう。その受賞作品『流謫の行路』を一読、叙述の迫力に圧倒された。男は重い病におかされ、経済的にも窮迫している。その彼の心象風景がくりかえし綴られ、止むことがない。ふと思ったのは、画布に向かって絵筆をいつまでも振るい続けている画家の姿だ。たとえばバルザックの短編『知られざる傑作』に登場する老フレンホーフェルの如き。もっともフレンホーフェルは裕福な貴族だが。
画の上に飽くことなく絵具が塗られていくから、傍から見ると画の形象は、もうよくわからなくなっている。しかし、形象の奥にあるものに向き合ってやまない画家のエネルギーそのものに圧倒されるのである。彼は絶対“の高みを追求する。しかし完成された絶対などは存在しないから、彼は絵筆を永久に止めることはできないのだ。秋沢さんが目指す真文学もそうしたものであるにちがいない。こうした作品にはもっともらしい筋立てなどはおそらくどうでもいいのである。
老画家を精神に異常をきたした者とすることでバルザックは『知られざる傑作』をこぎれいにまとめている。そうしてあの短編はよく知られた傑作となった。同時にそれは俗化でもある。しかし、『流謫の行路』は、秋沢さんの精神の運動は、そのようにまとめられることを拒否するだろう。その終わることのない営為に私たちも倣いたいと思う。
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【HPコラム 2021・4】
働く仲間を鼓舞する言葉 土田宏樹
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前年度最後の土曜日であった3月27日は成田空港へ行った。ユナイテッド航空による不当解雇と闘う情宣活動に参加するためだ。国際線4階ロビーで、解雇された当該の2人を中心に50人ほどが「職場へ戻せ!」と声を上げた。解雇は2016年。以来ほぼ毎月最終土曜日の午後に取り組まれ、これが49回目である。1月と2月はコロナ禍で中止されたから、今年に入ってからは初めてだった。
都心から成田空港に鉄道がつながって、この3月で30年だという。年配世代には三里塚空港反対闘争の記憶が残っているだろう。農民から土地を奪い、理不尽なことがさんざんやられた上に造られた空港である。そこへ今、労働運動活動家たちはユナイテッド争議支援のために通う。
この日は都内では<さようなら原発集会>が同時刻に日比谷野外音楽堂で開催されていた(週会の後、デモも)。いつもは成田空港情宣に顔を出す郵政ユニオンの友人も、この日はそっちだ。日比谷野音の模様がLINEを通じてスマホにバチバチ送られてくる。全く便利になった。どこにいても活動情報を瞬時に伝達・共有できるのだから。鉄筆をガリガリ走らせ、謄写版で一枚ずつビラを刷っていた頃と比べると隔世の思いである。送られてくる写真の視覚効果もいいが、私たち労働者文学者にとって勝負は文章である。権力者を震え上がらせ、働く仲間を鼓舞する言葉をあちこちに届けよう。
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「座り込めここへ〜名護市長選直前の辺野古を訪ねて〜」」
2018年
web労動者文学会作品集
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