映画紹介と感想  ー「土を喰らう12か月」ー 
  
穂坂晴子


 1978年の水上勉の作品「土を喰う日々―精進料理12か月」をもとに作られた中江裕司監督により映画化された作品である。季節の移ろいともに作られる精進料理と自然と食を通じた勉の生きざまが描かれている。1年半にわたって料理の指導をした土井善晴料理士のちりばめられた言葉は今を生きる私たちに映像を通して大切なメッセージを投げかける。
 長野の人里離れた藁ぶきに住み執筆をつづける勉を沢田研二、訪れる恋人役の編集者に松たか子、藁ぶきに一人住む叔母を奈良岡朋子、山の男の大工役に火野正平たちがそれぞれ 演じている。四季折々の野菜が土から掘り出され、かまどで飯を炊き、土を被ったほうれん草や子芋を丁寧に洗う勉の手が映し出される。春には土から掘り出されたタケノコ料理が作られ、「おいしい」と声が訪れた恋人役の真知子から上がる。四季ごとの精進料理が勉の手で心優しく作られ、食と人間がかもしだす自然の営みを映し出す。土井料理士の「1汁1采」は作品に流れる哲学ともいうべき言葉のようで、すべてを語る気もする。
「毎日同じことを繰り返すことが生きるということ」「変化のないところに無限の発見があるんです」「新しい自分を見つける、それが生きるということです」「本当の暮らしは人間と自然の健全な関係に生まれます」
 それらの言葉は見る私たちを引き付け、ハッとさせられる。上映後、心が洗われたようなすがすがしい思いにひたる。
 美しい自然の風景と勉が子どもの頃連れていかれたお寺で学んだ精進料理から学び、長野の里にこもって暮らしを書き続けた日々、監督が78年に書かれた作品を2018年に描きたいと思ったのは何がそうさせたのだろうかと思い巡らす。叔母の葬儀には自らごま豆腐を作って村人にふるまう。ゴマも丁寧に煎り村人も義母を偲び料理を褒める。当時の語らいも大切な輪が見える。
 恋人の存在は創造されたもののようだ。取りたての野菜で料理を作り、訪れた恋人役の真知子に寒かったろうと声を掛け「好きな人と食べるのが一番幸せ」とチラシにもあり、勉の優しさがにじみ出てくるのだが、男女の描きはしていない。情景やセリフから真知子の役は、どうして惚れたのかなとちょっと場にはそぐわない気もして、じっくり勉を描いた方がとも思ったが、何らかの象徴かもしれない。最後には恋人と別れ、今まで通り一人で暮らす日々を選ぶ。墓に入れられない亡き妻と叔母の仏壇の遺骨に手を合わせる。生きるのも死ぬのも一人、基に戻れということだろうか。昨日死んで、今日は新たに生きることを語るのか。人の死生観をも問うことは今を生きる私たちの生き方を問うことでもあるかも知れない。食、自然と人、命、死、生きること、、。一つひとつが心のうちに語りかけてくる。
 演じている沢田も実に自然に演じている。昔の自分ではなく今の自分を映画にさらすのもいいという。媚びず自分を貫く、しかし無理をしない彼の生き方にも通じる。
 前日に沢田研二のライブを見た。タイトルは「まだまだ一生懸命」。74歳の彼が、走り回り、ジャンプし、今の歌を歌う。映画とは正反対で時に激しく、そして時に静謐に震災地の住人により沿って悲しみを謳い、時代の不条理を訴える。底辺に流れているものは映画の勉と監督の思いとも繋がる気がした。
「こういうものが現代社会で見えなくなっている。この映画の中に幸福の秘密みたいなものがあるんです」
 もう1度じっくり見たいと思った。           

 



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