労働者のいる風景(1) (2)

三上広昭


(1) 〈野郎ども〉の自己肯定と危うさ

① 資料
「ハマータウンの野郎どもー学校への反抗・労働への順応」 ポール・ウィリス 熊沢誠・山田潤訳 1985年3月 筑摩書房
*調査対象・16歳で義務教育を終え就職するイギリスの若者。地名をハマータウンとしているが「イギリス・イングランド中部のバーミンガム近くのソーホー」

② 内容
*1980年代、典型的な労働者たちの住む場所で育った〈野郎ども〉は「反抗的で反権威的」であった。
 規則にとらわれない服装で学校当局とやりあい、喫煙という行為で存在感を示すことは〈野郎ども〉には重要なことである。〈野郎ども〉は、「学校が定める時間割りを撹乱し、仲間うちで巧みに裏の時間割りを工夫して、直接に自分たちのための自由な時間を創り出す」。
学校制度が教える欺瞞的な「勤勉」の胡散臭さをかぎつけているのだ。「勤勉」による将来の他人に対する優越性など興味がない。〈野郎ども〉は学校への順応し将来なにものかになろうとする〈耳穴っ子〉たちに対して優越感すら持っている。〈野郎ども〉には仲間がいて、親たち(労働者階級)の「対抗文化」というお手本がある。〈耳穴っ子〉たちが真面目に勉強してつく仕事は男のする仕事ではないといういびつな男性優位であり、黒人移民やアジア系諸民族にたいする根拠のない差別であり、暴力行為を発想のベースが優越感を引き起こしているとも指摘する。
「彼らは学校によって落ちこぼされ、しぶしぶ下層の仕事へと入っていくと説明される。しかしウィリスによれば、彼らは決して選び残された劣位の職務を『ただ仕方なく落ち穂拾いしている』のではなく、彼らなりの意志を持って進んで『ある特定の職種群を選び取ってゆく』のである。」
 この〈野郎ども〉のいかにも不合理な自発的脱落があってはじめて、〈耳穴っ子〉の順応主義が生きることができ、学校教育が結果的にそれを支える。

*反学校の文化を学びガテン系の仕事を選んだ〈野郎ども〉の報酬と社会的評価は低く、仕事の内容が無意味さを付きまとうが、彼らの独特の自己肯定は続く。
 
なんといっても男性優位主義の彼らは、どのような職業であれ一家の「大黒柱としての男たるにふさわしい役割を演じること」が肯定感のひとつ。
 仕事でも男らしさの気概から俺たちだからできるという自尊心、少々のことではへこたれない剛胆さ、を示すことがふたつめ。
 
さらに労働の過程を、名目はどうであれ実質的に俺たちがコントロールしているという自負がある。
「おれたちのラインには四つばかりやっかいな持ち場がある。そのほかのたいていの仕事は、まあ正直言って5歳くらいの子どもでもできるんじゃないか。それでも俺たちは順番を決めて交替でやるのさ。おれたちで決めるんだよ。」

*だが、(やつら)と(おれたち〉という対立的な考えかたは、逆にみれば、(やつら)→(おれたち)という枠をそのまましたままの権威・服従である。所詮、インフォーマルはフォーマルには勝ち目がないということは歴然としている。さらに(やつら)が(おれたち)の内部において生きながらえているということもみられる。
 
結論的には「労働階級の子どもたちが自己表現の能力を高め、シンボル操作のしっかりした技量を身につけることがなければ、およそ労働階級の成長もありえない」ということになる。
 
だが熊沢誠の以下の指摘はおもしろい。
「イギリスの〈野郎ども〉は、学校から『おちこぼれ』ても、職業世界に根づいている(逞しさも退嬰もあわせもつ)労働者階級の文化に抱擁されて、それなりに屈せずにやってゆく。しかし日本の生徒たちは、ひとたび学校教育から脱落すれば、すなわち『勉強して下積みでない仕事につく』という『順接』に失敗すれば、『無階級』をたてまえとする国柄であるだけに、みずから労働生活を支えるに足る『対抗文化』をどこにも見出せないまま、劣等感にさいなまれることになるのではないか。」
 これは心当たりがある。



(2) 「でも死ぬことあねえだろう」

① 資料 
「ワイルドサイドをほっつき歩けーハマータウンのおっさんたち」
 ブレディみかこ 2020年6月 筑摩書房
*職業・職種 英国(イギリス南部・ブライント)の労働者

 ブレディみかこは1965年福岡市生まれ、1996年から英国に住んでいる。「労働者のいる風景53」でとりあげた『ハマータウンの野郎ども』の「反抗的で反権威」だったガキどもが現在どのようなおっさんになり「人生の黄昏期を歩いている」姿を描いた本だ。
「反抗的で反権威」だったガキどもは立派な労働者階級のおっさんになり、「時代遅れで、排外的で、いまではPC(ポリティカル・コレクトネス)にひっかかりまくりの問題発言を平気でし、EUが大嫌いな右翼っぽい愛国者たちということになっている。」つまりおっさんたちの多くがEU離脱に投票したということだ。
〈野郎ども〉はなんだかんだ言っても「ゆりかごから墓場まで」の福祉社会に育った。
「失業すればつるっと簡単に失業保険が出たし、怪我や病気をしてもNHS(国民保健サービス)で無料で治療してもらえるし(当時はいまと違って処方箋まで無料だった)、学費も無料だったので行こうと思えば大学だって行けた。労働組合の力が強かった頃だから、現在と比べると労働者の態度もずっとデカかったのである。」 「彼らにとっては、労働とは生活資金を手に入れることで、9時から5時まで真面目に働けば(モリッシーはそれさえ拒否したが)、後はパブに行ったり、休日は家族で出かけたりしてプライベートを楽しんでも、生活に不安を感じることはなかった。」
 それを〝ひょい“と現われた〝よそ者〟に横取りされると思い怒りと恐れがでてくる。
「数年働いてお金を貯めて帰るつもりでやってくるEU圏内からの移民は『英国内の労働者の待遇や賃金について考えていない』点でムカつく」。 と言う反面、おっさんのひとりは「組合に入って闘ったむかしの移民は好き」とも言う。
 移民の側の言い分も作者は拾い上げる。移民たちには〝俺(私)たちは労働者階級の仲間にさえ入れてもらえない〟〝自分たちは労働者階級の悪癖(怠け者、犯罪者、暴力的)とは無関係〟と彼らの意識が根深いとも指摘する。
 この原因をサッチャーに代表される新自由主義と緊縮財政(福祉国家の縮小)を上げる。
「福祉国家の縮小、をまさに体現しているのがNHSである。ブレグジット投票で離脱に票を投じた人びとの多くが、『離脱すれば、週3億5千万ポンド(約五百億円)のEUへの拠出金を国内でNHSに投入することができる』という離脱派キャンペーンのデマを信じて離脱を選んだ」。
 緊縮財政(福祉国家の縮小)におっさんは妙な意地で対抗する。作者の連合いが具合が悪くなったとき緊縮財政のために診察の順番がなかなか回ってこなくなり息子は民間の病院の診療を勧める。
「自分の健康とお金と、どっちが大事なの?」「だから、これは健康と金だけの問題じゃない。もっと大きなものだ。俺はサッチァーにもグローバル資本主義にもまけたくねえし、加担したくもねえ」
 この手のおっさんたちの抵抗が所々に出てくる。
 緊縮財政で図書館が閉鎖され、名目だけの図書館=子ども遊戯室に替えられたとき、そこで子供をあやしながら本を読むおっさん。
「中国人たちの家に向かって、石や煉瓦を投げ始めたガキがいる。この辺に住んでいる人間として、黙っているわけにはいかん」と言ってごっついおっさんたちがパトロールを始める。
さらにおっさんたちは開き直る。「『絶望、なんてロマンチックなことは、上の階級のやつらがすることよ』……そんな抽象的なことでは腹はふくれない。労働者はまず下部構造。食っていかねばならんのだ。」
「まあなー、でも死ぬことあねえだろう。俺ら、サッチャーの時代も生きてたし」。
 哀愁漂うおっさんに幸あれ。