『労文』92号掲載文の訂正、ついでにちょっと雑談

 土田宏樹


 去年7月に刊行された雑誌『労働者文学』No.92に「木下昌明の『がん日記』を読む」という文章を載せていただいた。労働者文学会の会員だった映画評論家、木下昌明さんの遺著についての感想である。寄稿したときの全文をまず写す。

書評 木下昌明の『がん日記』を読む

  日記は2014年10月から始まる。肛門と前立腺に癌が発見されたのはその二年前だから、もうずいぶん大きくなっている。そのころ、友人で食道癌を患う「沢木くん」と電話で大きさを比べあい、彼が8ミリと言うのに自分の肛門のそれは8.5センチ、相手を絶句させた。
「沢木くん」とは、労働問題研究者の沢木勇氏のことだろう。私も面識がある。氏の癌の進行は早く、その年(2014年)を越さずに亡くなった。まだ60代だったと思う。木下さんも病勢が進むにつれ、その大きな癌からの出血は失血死するのではないかと慄くほど。それでもガーゼとナプキンを当てがって血を止め、人工肛門を装着した身体で映画を観に出かける。デモにも参加してハンドカメラで取材した。2015年は「戦争法」をめぐって多くの人々が連日国会を取り巻く。
 内服薬として処方された薬を擂り粉木で粉状につぶして患部にじかに塗ってみたりしていることには驚いた。医師は当然いい顔をしないが、「医者を拒否するのではなく、医師と問答しながら、自分で考え、ためして治療していく。これがぼくのがん治療法だ」(2016年11月9日)。内服すれば身体全体で薬を吸収してしまうので、病患には有効な薬が、他の正常な細胞に悪い作用を及ぼすことがある。患部にじかに塗れば、そんな副作用は避けられるというのが木下さんの考えで、理にかなっていると思う。
 
2020年になるとコロナ禍が世を覆う。病院には入院と退院をくりかえすが、入院したら家族との面会もできない。体力が徐々に衰えていく様子が叙述から覗われる。8月の終わりに退院し、団地の自宅で医師と看護師の訪問治療を受けながら、息を引き取ったのはその年の12月6日であった。享年82。日記は11月28日まで綴られた。
 
そのあと、2020年の欄外覚え書きとして好きな映画30本が挙げられている(邦画18本、外国映画12本)。ケン・ローチでは近年評判になった『ダニエル・ブレイク』や「家族を想うとき」より1969年の抒情的な『ケス』を入れている。30本には入れていないが、古い西部劇もお好きだったらしい。日記の中に題名が出てくる『ウィンチェスター銃73』(1950年、アンソニー・マン監督、ジェームズ・スチュアート主演)は私も去年NHKBSで放映されたのを視た。西部劇の中には、たっぷりの通俗性にまぶされた中に、先住民を収奪し、北部資本主義の国内植民地に南部をしながらのアメリカ合州国の成り立ちというものをちらり垣間見せる作品もある。
 
私は今年初め、胃に癌が発見された。まだ初期だったから内視鏡手術によって摘出することができたが、68歳にして自分の人生の残り時間というものを考えさせられた。そんなとき出会ったのが木下さんのがん日記だ。このように生きる力をすべて使い尽くすことができたらいいと思う。

 
以上だ。今これを目にされている方の多くは雑誌のほうの『労働者文学』も購読しているはずなので、紙媒体で一度活字になっているものをここでなぜまた掲載するのか訝られたと思う。その理由は、手違いがあって雑誌には文章の一部が違って載ってしまったからだ。
 
上掲文章の最後の段落の一つ前の段落をまた写す。

 そのあと、2020年の欄外覚え書きとして好きな映画30本が挙げられている(邦画18本、外国映画12本)。ケン・ローチでは近年評判になった『ダニエル・ブレイク』や「家族を想うとき」より1969年の抒情的な『ケス』を入れている。30本には入れていないが、古い西部劇もお好きだったらしい。日記の中に題名が出てくる『ウィンチェスター銃73』(1950年、アンソニー・マン監督、ジェームズ・スチュアート主演)は私も去年NHKBSで放映されたのを視た。
西部劇の中には、たっぷりの通俗性にまぶされた中に、先住民を収奪し、北部資本主義の国内植民地に南部をしながらのアメリカ合州国の成り立ちというものをちらり垣間見せる作品もある。

 太字にした最後のセンテンスが『労働者文学』No.92の誌上では、こう変わってしまった。

「西部劇には珍しく、たっぷりの通俗性にまぶされた中に、先住民を収奪し、北部資本主義の国内植民地に南部を加味しながらの合州国の成り立ちをちらり垣間見せる作品でもある。」

 
改変後の文章では、『ウィンチェスター銃73』という映画が「先住民を収奪し、北部資本主義の国内植民地に南部を加味しながらの合州国の成り立ちをちらり垣間見せる作品」だと私が書いたことになってしまう。しかし、同作はそういう映画ではない。もちろん木下昌明さんが気に入っていたくらいだから先住民ヘイトを煽るような作品でもない。ただ、タイトルとなっているウィンチェスター銃73は、先住民殺戮に威力を発揮した恐ろしい兵器ではあったろう。
「ちらり垣間見せる作品もある」と書いたとき私の頭にあったのは、直近一年間ほどの間にNHKBSの放映で視た『アパッチ砦』(ジョン・フォード)、『襲われた幌馬車』(デルマー・デービス)、『ガンヒルの決斗』(ジョン・スタージェス)といった作品である(カッコ内は監督名)。
 
書き変えられた箇所の私の元の文章は句読点も入れて86字、書き変え後のそれは同じく81字である。推測するに、5字多かったことによって、私の元の文章では一ページに収めるには一行はみだしてしまい、苦肉の策として改作が行なわれたのであろうか。そうであったとしたら、文意を変えるような改作をしなくとも、5字くらい削れるところは他にあった。
 
ともあれ〔デジタル労働者文学〕が創刊されるおかげで、わが文章をようやく本来の姿で人前に出すことができた。深く感謝する次第。

『ウィンチェスター銃73』と『地の塩』

 
では『ウィンチェスター銃73』とは、どういう映画か。ジェームズ・スチュアートが演じる主人公は、父親を殺した仇を追うカウボーイだ。この仇というのは、主人公の実の兄。すると、そいつは自分の実の父親を殺したわけで、なんだかギリシャ神話みたいな凄い話である。追跡旅の途中立ち寄ったダッジシティという町で、主人公はたまたま開催されていた射撃大会に飛び入り出場して見事優勝する。その優勝賞品が映画の題名となったライフル銃ウィンチェスター73である。ウィンチェスター73は当時量産されていたが、何百か何千丁かのうちに一つくらいの割で出来ぶりがすごくいいのがある。射撃大会の賞品となったのが、そういうめぐり合わせの銃。
 
射撃大会で主人公と優勝を争った相手が、因縁の兄なのだ。ダッジシティの保安官は天下のワイアット・アープで、荒くれどもに私闘を許さないから、射撃大会は公正に行われたし、兄と弟は怨恨を抑えて射撃の腕を競い、弟が勝つ。
 ところが、兄はそのあと弟に闇討ちをかけてウィンチェスター73を強奪してしまう。その後いろいろあって、銃は所有者を変えながら話が転がっていき、最後は本来の持ち主である主人公の手に戻る。
 
ところで、ウィキペディアの記述が正確だとすれば、ワイアット・アープ(1848-1929)はダッジシティに居た頃はまだ保安官助手であった。やり方が荒っぽいというのでそこを追放され、流れていった先がアリゾナ州トゥームストーン。保安官に収まり、例の<OK牧場の決闘>事件を引き起こすのである。すると映画『ウィンチェスター銃73』においてアープがダッジシティですでに天下の名士然としているのは史実に鑑みてどうかということになるが、ここは本邦における国定忠治や清水次郎長と同様、講談や映画に登場するにつれ脚色されていったのだろう。『ウィンチェスター銃73』ではワイアット・アープをウィル・ギアが演じていた。
『がん日記』には書かれていないけれど、木下昌明さんはこの俳優を贔屓にされていたのではないだろうか。ウィル・ギアは『地の塩』に出演していたからだ。同作は、木下さんが日記の欄外に書きつけた<好きな映画30本>そのうち外国映画12本の一つである。1954年制作のアメリカ映画で、炭鉱労働者のストライキを描く。ハーバート・J・ビーバーマン監督。
 実際にあったストライキだから、プロの俳優だけでなく、ストを経験した労働者も出演した。それで始まるとき(終わるときだったかな)のクレジットに素人の出演者とプロの俳優とが明示される。主役格のラモンというメキシコ人労働者を演じたのも、プロの俳優ではない。プロフェッショナル・キャストのところで真っ先に名が出ているのがウィル・ギアである。彼の役はやはり保安官であった。もっとも人情味あるアープ保安官とは違い、こちらは炭鉱労働者の争議を弾圧する官憲である。
 
私が今あれこれ書くことができるのは、労働者文学会の集まりをいつもやっている会場である本郷三丁目のHOWSホールで去年8月『地の塩』の上映会があって参加したからだ。
 さて実際のウィル・ギアその人は、この映画での役とは反対に、共産党員であった。当時赤狩りの時代はまだ終わっていない。監督のビーバーマンを初め、『地の塩』に関わった人たちはその後ずっとハリウッドで仕事ができなかった。ウィル・ギアも苦労した。映画界に復帰できたのは1960年代後半だ。名脇役として光り、1978年に76歳で亡くなっている。

『ゴッドファーザー』と『大砂塵』

 日記がわりに書いている私のブログによれば、『地の塩』の上映会に参加したのが8月5日。それから10日ほどして、『ゴッドファーザー』三部作を全てTV放映で視ている。放送したNHKBSとしては、酷暑の旧盆にぶつけた夏休み特別企画ということであろうか。
 
同三部作の感想らしきことは暮れに出た【いてんぜ通信】2023年冬号への寄稿に少し書かせていただいたので、ここでは述べない。第一作目(1972年制作)にスターリング・ヘイドンという俳優が出ていたのに、あれ、あの役者がこんな役で、と思ったことだけ書き留めておく。
 ニューヨーク・マフィアの、マーロン・ブランドが扮するゴッドファーザーを頂くファミリーとは対立するファミリーとつるむ悪徳警官が彼の役であった。マーロン・ブランドが路上でピストルで撃たれて瀕死の重傷を負ったときも、襲撃に悪徳警官は一枚かんでいた。それでゴッドファーザーの三男(アル・パチーノが演じた)に報復されて撃ち殺される。それまで家業を嫌っていた三男は、これを機に二代目への道を歩み出し、二作目(1974年)、三作目(1990年)では堂々たるゴッドファーザーぶりであった。
 
つまり、スターリング・ヘイドンとしては、あまりいい役をもらったとは言えない。『大砂塵』(1954年、ニコラス・レイ監督)ではあんなに颯爽としていたのに。
 映画『大砂塵』の舞台も、やはり1954年に作られた『地の塩』と同じく鉱山の町である。ただし、こちらは19世紀後半に時代を設定した西部劇だ。流れ者のジョニーが馬上ゆたかにギターを背にその町の酒場を目指す場面から始まる。ジョニーを演じたのがスターリング・ヘイドンである。じつに格好いい。小林旭主演の邦画『ギターを持った渡り鳥』(1959年、齋藤武市監督)なんて、この場面を模倣するところから生まれたに違いない。
 
鉱山町に流れてきて酒場を経営するのは、彼の昔の恋人なのである。戦前からの大女優ジョーン・クロフォードが扮している。近く鉄道が敷かれることが見込まれる町だ。人びとの感情は複雑。凄玉の女悪役がいて、町の良識を代表するような顔をしながら、「(鉄道が敷かれたら)汚らしい百姓や浮浪者が押しかけてきて私たちの生活が脅かされる」と排外的感情を煽り立てる。70年前の映画ながら、こんにち世界を覆う移民排斥とかさなりあう。ジャン・リュック・ゴダールが若い頃この映画を絶賛したそうである。
 ジョニーの元恋人である酒場経営者も町にとって「よそ者」だ。悪役女の憎悪は彼女にも向けられ、銀行に強盗に入り捕まった若者を尋問して「あの女もグル」と虚偽の証言をさせてしまう。周囲の町衆たちはそれが強引だと知りながら悪役女にひきずられ、元恋人は私刑で危うく縛り首にされかけるところを間一髪、救うのがジョニーだ。
 
スターリング・ヘイドンは1916年生まれだから『大砂塵』のときは30代後半である。先述したように、じつに颯爽としている。身長196㎝。20代でデビューした頃のキャッチコピーは「映画史上最も美しい男優」であったという。それが『ゴッドファーザー』(1972年)では端役の悪徳警官とは、まだ50代の男盛りに、ハリウッドスターとしては大成し損ねたように、素人目には見える。
 ヘイドンは戦争中、米軍の戦略情報局で働いていて、ユーゴスラビアに在してチトーが指導するパルチザンを支援した。コミュニズムに強いシンパシーを抱いた。そういう経歴を持っていれば、戦後の赤狩りでは追及の手が伸びる。ヘイドンは追及を逃れるため協力的密告者として証言台に立つ。戦争中は共産主義者に騙されていたんです、と。
 
そんな屈折が彼のその後に影を落としたように思える。
『大砂塵』の主題曲『ジョニー・ギター』(Johnny Guitar、映画の原題もこれ)は、あるいは映画以上によく知られている。ペギー・リーが唄った他にも多くの歌手が持ち歌にした。私は子どものころスウェーデンのエレキバンド、ザ・スプートニクスが弾くのをよく耳にした記憶がある。ジョニーのギターだからジョニー・ギターのはずだが、日本ではジャニー・ギターという言い方をされるほうが多いのは、スターリング・ヘイドンのギターを背にした馬上姿があまりに絵になっていて旅情をそそるので、旅(journey)のジャニーにいつのまにかすり替わってしまったのかもしれない。