棄民政策 ーこれは人間の国か、フクシマの明日ー

秋沢陽吉

 1 深く憂える

 処理後放射能汚染水海洋投棄に反対は当然の行動で、政府の施策は間違っている。原発再稼働反対は当然の行動だ。政府が間違った政策に舵を切った。けれども、被災者が翻弄される政府の棄民政策に反対して変えさせることこそが最も大切なのに、政党も運動体も原発反対を唱えて事足れりとする現状を深く憂える。

 2 避難指示は住民の被曝を避けもせず健康被害を防ぎもしなかった

 福島第一原子力発電所は、三つもの原発がメルトダウンし世界史上最悪のレベル7の事故を起こした。ところが、事故などなかったかのようにメディアからはほとんど情報が消えた。政府等原子力村の隠蔽と捏造の洗脳政策によって事故を亡失し、通常の生活を送る人が多いのは恐ろしいことだ。セシウム137の半減期は30年で、まだ事故からさほど経過していないのに。山や川やあらゆる場所に手付かずのままの放射能はうごめき、今なお日々放射性物質が放出される。台風で川が氾濫すると家の中にまでぶちまけられる。
 
津波は押し寄せてきて被害があった地域が被災地になる。だが原発事故の被災地は、そうした実態に基づく客観性はない。放射性物質は目にも見えず五感で感じ取れないから、被災地の範囲を政府が勝手に恣意的に決めた。政府が避難を指示した範囲だけが被災地とされて、わずかばかりの手だてが講じられ賠償がなされる。日本で初めて緊急事態宣言を発出してからどのように避難指示がなされたのか、『官邸の一〇〇時間』(12年8月)によってみてみよう。3月11日午後9時23分に半径3キロに避難指示、半径10キロに屋内退避を命じた。ベント実施を見越した「念のための指示」であった。続いて、ベントができていないことから爆発の危険性があると、予防的措置として3月12日午前5時44分に半径10キロに拡大した。同日1号機が爆発すると約3時間後に、「万が一にもの対応策として」20キロに避難指示を拡大した。さらに3月14日午前11時01分に3号機が爆発し、15日午前6時頃2号機格納容器損傷、4号機の爆発火災が起こった。同日半径20キロから30キロに屋内退避の指示をした。まるで思い付きのごとく官邸が同心円状に避難を拡大した。ただその後理由付けが明らかになってこの通りではないが。
 『国会事故調報告書』(12年9月)には次のとおり書いてある。避難区域の設定について「何らかの具体的計算や合理的根拠に基づく判断ではなかった」。半径20キロを超えて30キロまでを屋内退避にしたのは、斑目委員長らの避難区域を拡大せずに屋内退避にすべきとの助言に基づいたからだ。避難区域にすると一部自治体に連絡したものの、官邸対策本部から疑問が出された結果、屋内退避に変更した。屋内退避は最長2日程度を想定しているにもかかわらず、3月25日に自主避難要請が出されるまで10日間も経過した。このことを『国会事故調報告書』は批判した。「屋内退避の解除か、避難区域の拡大かという判断を先送りし、避難を住民の判断に委ねるという対応をしたものであり」、政府・原災本部は、「国民の生命、身体の安全の確保という責務を放棄したと言わざるを得ない」。さらに30キロ圏外の飯舘村、山木屋地区、浪江町津島地区等では調査によって高線量であることが判明していたにも関わらず、原災本部が迅速な意思決定をせず、避難指示が1か月も遅れた。避難は放射性物質や放射線の異常な放出が発生した場合に、住民の被曝を避け健康被害を防ぐためになされる。だが、放射線防護の基本から全く外れた根拠にも乏しいものと断じた。
 
政府の指示は不適切であったと、山田國廣は『初期被曝の衝撃』(17年11月)で書いた。それは「原発周辺地域の放射能、放射線量汚染そしてベント実施可能性などについては驚くほど希薄な情報しか届いていなかった」ことに原因があると福山哲郎のレポートを肯定した。情報が届かないのは原発周辺の放射能監視システムの持つ構造的欠陥に由来しているとする。けれども、福山哲郎の弁明は信じがたい。大事な事柄を言わずに隠している。そもそも住民の被曝を避け、健康被害を防ぐという避難の基本中の基本を守ることを大事にしなかったのだ。実は事故直後から、避難区域をも含めて政府は組織的に放射能汚染を計測していた。福島県内では13日までに避難区域外7カ所に、避難区域内1カ所にモニタリングポストを設置した。避難区域内を車で移動しながら汚染状況を計測していた。保安院はSPEEDIを11日午後9から作動させていたが、迅速に住民を避難させるためには使わなかった。
 
米国エネルギー省の国家核安全保障局が放射能汚染を実測し、速やかに日本政府に提供した。放射能測定の専門家33名が7.8トンの機材を持ち込み本格的な測定を行い、19日の段階で30キロ圏内の計測を完全に終えていた。空からと地上に足を踏み入れて測定した。この詳細なデータの取り扱いについて、枝野経済産業大臣が12年に国会で質問に答えたものの、住民の避難に活用されなかった具体的な理由は明らかにしなかった。つまり汚染状況を米国から知らされていたのに避難には役立てなかったことになる。
 
菅直人元首相が12年にメルトダウンとは思わなかったなどとうそぶいた。だが、保安院はメルトダウンの可能性が極めて高いことを十分に認識していたし、メルトダウンが起きる予測を11日に菅首相に報告していた。また、米国NRCはメルトダウンであれば80キロ圏外に避難が必要だと11日から考え日本の規制当局に直接連絡して支援を申し出たが断られた。
 
県が主体と見せかけるものの、この間政府は山下俊一らを福島県に派遣して、安全だから避難せずに福島県に住んで復興に尽くせと熱心に説いた。いわき市を手始めに福島市でも講演し、特に飯舘村には保安院の役人までが何度もやってきた。山下俊一は2か月で30回の講演や対話をこなし、一万人以上の県民に放射線の健康リスクを伝えたという。政府が出す声明は正しく、環境汚染について保安院が出すデータは正しいと力説した。民主主義国家として国民が信じなくていけないのは、国の方針であり国の情報だと言い切った。つまり、政府の避難指示の方針を信じて行動せよと説得したのだ。彼らの発言は放射線防護の立場だと称するが、実際には科学的な真実に依拠しているとは到底言い難い。彼らがいう物理化学的な根拠は正しくない。彼は福島市で15日に25マイクロシーベルトを計測はしたが年間に多く見積もっても100ミリシーベルトにならなかいから安全と考えたと13年に言明した。その上100~200ミリシーベルトは安全だなどととんでもない事を言い始めた。
 
政府は30キロよりもはるか遠くの避難区域外が汚染されていることを重々承知しながら、避難指示を行わなかった。50キロ以遠の飯舘村の住民がひどく汚染されているから避難させよと訴えたにも関わらず耳を貸さなかった。計画的避難区域に指定される前日まで安全だと説いて回ったのだ
 
事故から1か月後の4月12日に政府は年間積算量20ミリシーベルトという基準で新たに避難区域の線を引いて被災地を定め、それ以外は被害のない地域と決定した。100ミリシーベルト以下では明らかな健康影響はないと政府が流し続けたため、20ミリシーベルト基準は低いと思った。だがそれはべらぼうに高い実に乱暴な基準だ。同日、損害賠償の指針をも決定した。
 この時にはすでに計測して地図に落としていたはずなのに、その10日後に積算線量推定マップをようやく発表した。その地図を見ると同心円で思い付きのように避難させた施策が大きな誤りであることが明らかになる。放射能プルームは30キロの範囲を越えて西北方向に流れた後南下した。20ミリシーベルト基準で引いた範囲内には、すでに避難させた地区の中でかなり低い区域がある。30キロの同心円と20ミリシーベルト基準に完全に収まるのは双葉町しかない。浪江町と大熊町が大部分、富岡町が半分だ。浪江町の半分は10ミリシーベルト以下だ。楢葉町や川内村は10ミリシーベルトの地域はわずかであり、広野町は10ミリシーベルトの圏外だ。
 
ところが、避難させなかった浪江町や葛尾村、南相馬市、飯舘村、川俣町が100ミリや50ミリを刻み、ひどい被曝に1か月以上もさらされた。さらに中通りの福島市、郡山市、伊達市、本宮市などの一部が10ミリシーベルトを積算した。矛盾は幾つも散見された。福島市の和合亮一が自宅よりも線量が低いのに、20キロ圏内の警戒区域だからと防護服を着て入った。南相馬市の中心地区は海側で線量が比較的低いにもかかわらず、緊急時避難準備区域だからと30キロ以遠の線量の高い飯舘村近くの学校に1700人も児童生徒を通わせた。屋内退避の川内村は郡山市に避難したが、川内村の方が被曝量はずっと低かった。恣意的で愚かな線引きのせいで被曝させられたのだ。
 
こうした避難指示に原因がある矛盾は報道されないから一般の国民はほとんど理解していない。その誤解の隙を狙って、政府は川内村に天皇を訪問させ、広野町で稲を作っただのというニュースを流して、あたかも復興が進んでいると見せかける宣伝をした。地図を見るとよくわかるが、この町村は福島市や郡山市よりも線量が低い地域だ。いいかげんに根拠もなく引いた事故当初の線によって被災地だと政府が認定したエリアを人々は未だに信じている。被災地ツアーはその範囲までだ。
 
『本当に役に立つ『汚染地図』』(沢野伸浩13年12月)にこんな記述があった。「当時の細野豪志原発担当大臣は、チェルノブイリの原発事故の際と同様に、年間「5ミリシーベルト超」の汚染エリアを「避難区域」とすることを主張した。しかし、この範囲が福島市や郡山市の一部にまで及ぶことから、避難者が多くなりすぎ、さらに賠償額も膨らむために政府部内で問題となり、最終的には、20ミリシーベルトに切り下げられた」(「2013年5月25日付けの朝日新聞、「福島の帰還基準避難増を懸念し、強化見送り」の見出し)。沢野伸浩の推計では5ミリシーベルトでは避難者が45万人、20ミリシーベルトの場合は15万人になる。つまるところ、それまでの基準の1ミリシーベルトを全く考慮せずに、避難者を増やす対応策を嫌い、賠償額を減らそうとしたのだ。
 ここまで見てきた政府の避難指示の施策は、できる限り範囲を狭めて、何としても被災地を拡大したくないという意図があったことをありありと示す。自主的に避難する者が増加すれば賠償という厄介な問題が起きると憂慮した。だから、山下俊一らに避難するなと講演させたのだ。住民の被曝を避け、健康被害から守るという避難の鉄則をかなぐり捨て、徹底して金をけちり、住民を救い出すコストを大幅に減らそうとした。棄民政策である。

 3 被曝による健康被害のとんでもない過少評価

 
元々安全ではない危険な原子力発電所を絶対安全だと大宣伝をして推進したが、地震によって致命的に破壊された。津波が原因ではないことはほぼ明らかになった。電力の確保が目的ではなく、単なる金儲けと核爆弾を持ちたいがために原子力発電に政官財が群がった。原発を推進してきた同じ勢力が原発事故後の対応策をその汚れた手で行ったのだから、住民の健康被害などそっちのけにするのは当然かもしれない。改心や反省という言葉とは無縁の悪辣な輩なのだ。
 
事故後の対応策は、ⅠCRPという原子力発電推進組織にすれば次のようなもっともらしい理屈になる。被曝線量を減らすことに伴う便益(健康、心理的安定等)と、放射線を避けることに伴う影響(避難・移住による経済的被害やコミュニティの崩壊、職を失う損失、生活の変化による精神的。心理的影響等)の双方を考慮に入れるべきだ。これは内閣官房に設置された放射性物質汚染対策顧問会議の下にある「低線量被曝のリスクに関するワーキンググループ」の結論でもある。1ミリシーベルトはこの考え方から世界的な基盤にしてきた。事故が起きた途端に平然と20倍にした。民主党政権から自民党へと政権が交代しても、そっくりそのまま、山下俊一等の偽物の御用科学者や医学者が同一メンバーを成して官邸中枢に居座る。原子力マフィア、原子力ムラは残念ながら生き続けている。そのメンバーが、20ミリシーベルト基準を事後的に安全だと政府の会議でお墨付きを与えた。年間20ミリシーベルトの被曝による健康リスクは、他の発がん要因によるリスクと比べても十分に低い水準である。除染や食品の安全管理の放射線防護措置を実施するにあたっては、ICRPの見解であるリスクと便益の双方に考慮すべきである。子供・妊婦の被曝によるリスクは、成人の場合と同様100ミリシーベルト以下の被曝では、発がんリスクの明らかな増加を証明できない。
 
これに対するそれこそ科学的な反論は数多く存在する。ここでは山田耕作と渡辺悦司の批判を引用しよう。 被曝リスクは広島、長崎の調査よりももっと高いことが明らかになった。医療被曝で10ミリシーベルトごとにがんが3%増えた。100ミリシーベルトだと30%、200ミリシーベルトで60%の増加となる。復興庁パンフでは発がんのリスクは広島、長崎の被曝調査から100ミリシーベルト~200ミリシーベルトのリスクを1.08倍(8%増)としているが、間をとって45%増加としても、8%の増加分が5.6倍になる。また、同じ線量で被曝しても、胎児や乳幼児、子どもや青年、女性、がん年齢に達した中高年、遺伝子変異を持つ人々(ECRRでは人口のおよそ6%)などは、平均値に対して被曝リスクが何倍、何十倍も高いことがわかっている。さらに放射線の影響は遺伝し後の世代に継承されることが多いことは国連科学委員会もICRPも認めている。国連科学委員会の報告書では、福島原発事故で亡くなったり、重い症状となったり、今後のがんの増加も予想されず、また多数の甲状腺がんの発生を福島では考える必要がないと評価されている。しかしながら、これは事実に反する記述で、国連科学委員会の予想が外れているのだ。安全宣言をした政府や科学者は被害者に対して責任を取らなければならないと断じる。
 
元々、国連科学委員会は、世界平和のための、各国国民を放射線被害から防護するための機関ではない。核保有国の強い影響力の元、核兵器保有を正当化し、核実験の被害を過小評価し、核兵器製造、原発、核燃料サイクルの運転や事故による被害を認めない、核兵器開発、原発推進・原子力利用のための世界の各帝国の機関である。そのような機関が、福島原発事故被害を公正に科学的に判断することも日本国民の健康と発展の利益を考えることなどあり得ない。安倍政権は被曝と原発の分野において、国連科学委員会の名の下に、右翼が本来主張すべき「愛国主義的」「民族主義的」主張から見てさえも、最も「反民族的」で「売国的」な政策を進めている。こうした山田耕作らの批判の方が真っ当に思える。日本における国連科学委員会の手下は内閣官房に放射線防護の専門家として棲みつき、何年経過してもなお事故後の対応の施策を支える。無論山下俊一もそのメンバーのひとりである。

 4 放射線管理区域に閉じ込められた

 沢野伸浩は「放射線管理区域」レベル以上の汚染に晒されている地域を政府が特定しないことに大きな疑問を呈した。法律を無視するのは、「敢えて喩えれば、スピード違反を犯した警察官を取り締まらない警官と同じだ」。日本の放射線管理区域とされる1平方メートル当たり4万ベクレル以上の汚染地域は、チエルノブイリでは第4ゾーンに当たり、その地域は厳重な放射線管理を必要としつつ、居住は可能とされる。沢野伸浩の推定作業によれば、北端は岩手県一関市に及び、南端は東京都奥多摩町、西端は群馬県上野村だった。汚染領域を持つ市町村数は1都9県、102の市町村に及んでいる。汚染面積は842,400へクタール、住民数は1,585,304人となる。事故当時これだけの地域、これほどの人が被曝した。福島第一原発がある福島県浜通りをはるかに越えて福島市や郡山市を含む福島県中通り地域のほとんどが含まれる。原発被災地が30キロ圏内あたりだとツアーに足を伸ばした人もまた、政府の誤った政策にまんまと騙されているのだ。災害時の緊急的基準である20ミリシーベルト基準を変えもせず、どんどん帰還を促している。
 さらに、考えを深めるために山本太郎の2016年の国会質問を引用する。
◆一平方メートル当たり4万ベクレルで放射線管理区域ということでした。空間線量だけでなく表面の汚染、つまり土壌などに沈着したもの、要は、環境中に存在するそのほかの要因にもしっかりと目を向け、区域として管理することが放射線業務従事者を守るために必要とされている、そういうことなんですよね。
◆現在、原発事故により避難区域などに指定されていたところは、空間線量率年間20ミリシーベルト以下で避難区域が解除されています。
◆空間線量率以外は関係ないんですよ、汚染に関しては。これ異常なんですよ、これが普通ではないということは、この委員会に所属している皆さんだったら分かりますよね。放射線管理区域では、空間線量だけでなく、放射性物質が周辺に飛散し、沈着したもの、つまりは土壌などに対する汚染、表面汚染にも4万ベクレルで放射線管理区域という基準を設けている。一方で、年間20ミリシーベルトで人々を帰す帰還政策には土壌汚染の要件は必要がない、それを基準としない、空間線量のみで対応。これを当然だという政治家とか官僚がいたとするならば、税金から給料もらう資格ないと思いますよ。人々の生命、財産を守るのがお仕事なのに、勝手に要件を緩和しているじゃないですか。専門的知識を持つ業務従事者のルールよりも緩い規則を勝手に作って、何をやられているんですか。
◆チェルノブイリの事故では、ロシア、ベラルーシ、ウクライナでチェルノブイリ法を制定、空間線量率と同時に土壌汚染も測定している。理由としては何でしょう、もちろん、空間線量だけでは住民の被曝量を把握するのは難しいからですよ。ウクライナなどでは、放射線管理区域に相当する年間5ミリで移住、一般公衆限度被曝に相当する年間1ミリで移住の権利が与えられている。このチェルノブイリ法、今現在も生きていますよ。
◆一方、日本どうでしょう。平成27年6月閣議決定、空間線量が年間20ミリシーベルト以下であれば避難指示解除だ、問題ないという話。24時間、例えばです、24時間放射線管理区域に居続けて年間で5.2ミリシーベルト、避難解除の基準が、帰還の目安が20ミリシーベルト以下、放射線管理区域の約4倍の地域でも空間線量のみで線引きする。帰れ、住め、生きろ、復興、一体何の話をしているんですか。これって常軌を逸しているという以外に言葉が見付からないんですけど。これって国と呼べるんですかと、これ、ギャグという方がしっくりきませんか。非人道的過ぎて。
◆国は、ICRPの緊急時被曝限度、20ミリシーベルトから100ミリシーベルトを下回ることを避難指示の解除の基準としているようですけれども、住民の健康影響を最も低く抑えるということを考えたら、世界的なコンセンサス、公衆被曝限度の一番低い値といえば1ミリシーベルト、これ採用するの当然じゃないですか。年間1ミリに下がるまで避難する権利が与えられてしかるべきですよ。いつ帰るのかを選択する権利、これ被害者にあるはずですよ。どうして勝手に線引きするんですか。限りなく平時の1ミリシーベルトに近づけていく努力をした上で、国が、行政がその方々にお知らせをして、避難している人々の選択判断に委ねるというのが当然のことなんじゃないですか。これが本来あるべき国という姿なんじゃないですか。
◆誰が起こしたんですか、この事故、東電です。後押ししたのは誰ですか、国です。加害者がはっきりしていますよね。それにもかかわらず、加害者の負担を減らすことしか考えていない。加害者の都合のいいように一方的に線引きするようなやり方が許されるんだったら、この世は地獄ですよ。

 5 無謀で非人間的な帰還政策

 今や原発事故を語る際には風評被害という言葉しか許されない。福島県民ばかりではなく国民が公的な場で放射能の実害を語ることは不可能だ。風評被害とは政府が広めた言葉だ。放射性物質が拡散したと恣意的に決めた範囲にしか実害はないとし、それ以外は風評だと決めつけるものだ。山下俊一県放射線健康リスクアドバイザーが事故直後3月20日にいわき市で放射線リスクを正しく理解するための講演をした時の新聞記事にすでに見出すことができる。「福島第一原発で相次ぐ事故による風評被害の広がりが懸念される中」とある。いわき市は「市内のごく一部が屋内退避エリアに含まれたことなどを機に、外部から危険視されて、物流が滞り、市民が県外に流出するなど深刻な事態に陥っ」たのだ。そこで、山下俊一らは「福島における健康被害はない」と強調し「放射性物質の流出に対する過度の反応が復興の妨げになる」から避難するなと説いたのだ。つまり、いわき市には実害はなく、危険視することは風評被害だと決めつけた。
 
その後安倍晋三首相、環境省、福島県がそろって同時に「美味しんぼ」を攻撃するキャンペーンを張った。「愛知トリエンナーレ」と同じく雑誌の出版元への組織的な電話攻撃がなされた。標的は漫画の中で鼻血がでた、除染では取り除けない、福島に住むのは困難だと主張した原発立地地域の元市長や福島大学助教授であった。この事件が大きな転換点となって福島県には放射能の実害がないことにされた。健康に影響があると正しく放射能の実害を指摘し危険視することが風評被害だと決めつけられ、正しく主張する人が福島県民に対する加害者に仕立てられた。以来、放射能が危険ではないかと不安を呟くことすらできにくくなった
 
17年4月1日をもって飯舘村、川俣町、浪江町、富岡町の一部の避難指示が解除されて帰還が進められている。慰謝料は一年後に打ち切られるという、驚くべき悪政が完成した。政府はアンダーコントロールと世界中に嘘をついて、アンフェアな手を使って誘致した東京オリンピックまでの期限を切って、偽りの施策で原発事故の後処理を進めることを目論んだ。住民の心配や危惧など全く考慮せずに耳を傾けることなく強引に驀進している。山田國廣は帰還を促進する避難指示の解除は無謀だと断じた。彼は各地域の初期被曝や帰還後の被曝線量を計算して、その数値を根拠にして発言する。「復興五輪のために避難者は犠牲に?」を堀切さとみが書いた。双葉町から避難した人を追い続け、その置かれた状況と人間の生き方に深く鋭く迫る傑作『原発の町を追われて』の映画監督だ。「復興は長くかかる。生きている間に廃炉なんて無理。その責任を回避する為政者、引き受けていく次世代を、私は記録したい」。だから、その発言は大層重みがある。「東京五輪を来年に控え、福島の復興は着々と進んでいるかのようにみえます。福島第一原発を抱えた大熊町も今春一部地域が避難解除し、のこるは双葉町だけとなりました。2013年9月に「状況はコントロールされている」と言い放った安倍首相。まだまだ予断を許さない廃炉作業や、処分しきれない放射性廃棄物、それに伴う人々の不安を無理やり押さえつけ、まさにコントロールしているのが今の国の在り方のように思えます。今、福島はどうなっているのか。この8月と9月、2度にわたって浜通りに行きました。少しでも現状をお伝えできればと思います」。
 
その後も驚くなかれ帰還困難地域の点と線による解除が行われ、あたかも汚染地域がなくなったかのような宣伝を政府が行っている。白昼堂々と理不尽な政策が実施され、不条理がまかりとおっている。世も末だと嘆きがふくらむばかりだ。
 
遠くの人からすれば除染によって放射性物質が取り除かれたように思っているだろう。しかし政府が直轄で避難区域の除染を行った施策がいかにいい加減でずさんであるかは葛尾村から避難した小島力が『故郷は帰るところにあるまじき』で徹底的に暴いた。他の地域も推して知るべしだ。
 
処理後放射能汚染水海洋投棄は確かに悪質な嘘と隠蔽による施策ではある。それ以前に近海で汚染された魚が見つかっている。事故によって破壊された原発は常に空気と風にさらされて今なお不吉な動きを止めない。廃炉が可能だとは当事者さえ思ってもいずひたすら時間稼ぎをしているだけだ。原発再稼働へと進む現政権は存在が許されない。
 原発事故によってばらまかれた放射性物質が 今なお健康被害をもたらしている。子供の甲状腺がんも健康被害も政府が調べずに黙殺しているからなかったことにされている。
 
放射性物質による汚染の問題こそが眼目で、政府の原発事故処理の悪辣な施策に反対することこそが大事だ。こうした状況を作ったのは政治にほかならないのだから政治によって社会を変え得ると主張する新しい政党が東電の経営者刑事責任を問うた裁判の判決に際して発した談話を掲げる。「・区域外避難者も含めた、事故により生活が一変した人々への補償・賠償。・甲状腺がんをはじめとする疾病への支援。・長期のがん検診を含む無料の健康診断の広域化。など問題は山積みです。廃炉作業、トリチウム以外の核種も依然含まれている汚染処理水の問題など、果たすべき安全対策を怠り、過酷事故を引き起こした事業者である東電と、国の果たすべき責任が軽減されるものではなく、未来永劫その責任を果たす努力を尽くすのが当然と考えます」。不十分でもこの程度すら言わぬ政党ばかりだ。
 「労働者文学」の合評会で小島力氏は発言した。皆さんが20ミリシーベルト基準を認めたのです。重い言葉であった。政治を変え社会を変革するのは主権者である。