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労働者文学会 労働と生活にねざした文化
                      
                      


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西向 光
 
【HPコラム 2026・3】

 94歳幸子さんの悩み

西向光 (高田博光)

 大阪豊中市には、ロシア領事館がある。大阪モノレールの少路駅の山側徒歩10分くらいの閑静な住宅街。毎月24日に「ロシアはウクライナ侵攻を止めろ!」と街頭行動を元高槻市議の山本健治さんが呼びかけ、色々な人が集い今年2月で4年目に入った。
 
その住宅街の反対、浜側は高級住宅地で立派な屋敷がずらり立ち並んでいる。
 
幸子さんは、この住宅地にお住まいで、私とはもう20年くらいの付き合いである。今年94歳になられる。
 
昨年高市政権が発足し「悩みが増えた」と愚痴を呟き、先月の衆議院選挙では連日、私に電話と手紙で具体的な悩みが発せられた。
「今回の解散総選挙は勝手過ぎます」「私たちはどの政党に入れるの?」「立憲と公明が一緒になった『中道』て何?」次々と不満の声。
 
幸子さんは、千葉で13歳の時戦争を体験した。当時、親友の女の子が家族6人を一瞬にして空襲で失った。それを痛感し「私は戦争に反対し、二度と戦争を起こさない活動を進める」と心に決め、今日まで様々な活動を続けてこられた。
 
その一つが、日本に来る留学生の里親を54年間続け、米国や東南アジアの若者たちを育て、国際交流と親交を広げる活動だった。
 もう一つが、近所の主婦たちを集めた洋裁教室で、66年間続けて開催してきた。
 洋裁教室の仲間で、平和を考える「雑草グループ」を作り、小規模の学習会活動を64年間続けて今日を迎えている。
 私も10年くらい前にお呼びがかかり、幸子さん宅でミニ学習会に参加した。当時「自民党の憲法草案」について話をさせて頂いた。
 
また、幸子さんは56年前の大阪万博の時代に、千里の団地で発生したゴミの焼却場建設問題で、地域住民の方々の先頭で設置反対運動を担い、3年半引っ張ってきた闘将でもある。
 幸子さんはこれまで「安心して暮らせる世の中は、平和憲法があるから」と愚直に仲間たちに訴えてきた。
 
選挙運動にも護憲派の候補者を推奨して活動されてきた。「立憲と共産党が仲良くしなければ」と訴えられたが、今回の選挙の結果は嘆かわしいものになった。
 新たな高市政権の誕生で「改憲」の危機感が生まれ、これからの日本が再び「戦争する国」に転じることを「何とかしなければ、どうすればいいのか」と悩んでいる。
「一人でも多く『憲法守る』仲間を増やし、悩みを共有できる人を作っていきましょう」と幸子さんと私は約束し、お互いに生活する地域の中で日々奮闘していく。

【HPコラム 2025・2】

列車脱線事故から20年

高田博光(西向 光)

 今から20年前の4月25日朝9時過ぎ、満員の快速電車が脱線事故を起こした。
 生々しい記憶が蘇る。一斉緊急放送が「福知山線塚口から尼崎駅間の踏切で列車が脱線したもよう」と流れる。
 朝の体操を終え事務所内に帰ってきた私たちに緊張感が走る。「直ちに出動、先発隊は踏切現地に行き復旧に必要なものを連絡するように」と現場長が指示。
 信号グループ係長が「グループ全員で緊急自動車に必要なものを載せ、現地に向かう」と号令した。
サイレンを鳴らして緊急自動車は事故現地へ急行。
 現地で目にしたのは踏切内に脱線した車両は無く、慌ただしい事故現場で血を流す人、救助する近隣の工場係員、救急隊員の姿。
 現地の踏切は鳴りっぱなし、上りの線路に特急列車が止まっている。普段も交通量の多い踏切で、自動車の渋滞を交通警察官が迂回するよう指示している。
幾らかの時間が経過した。
 テレビ報道は、上空のヘリから脱線車両が映された「あれ?6両しかない」と事務所で待機中の皆は驚いた。
 先頭車両がマンション地下駐車場に突っ込んでいた。
 事故対策本部が設置され、当時JR西日本幹部は「連休後に開通させるように」と指示。25日の発生で1週間位で復旧できるものではなく大事故の認識がまるで無い人たちだった。
当時、会社方針は「稼ぐ」が第一目標であった。安全第一よりも、私鉄との競合に勝ち、1秒の遅れも出さず定時運行優先だった。
 尼崎駅で、福知山線と神戸方面の東海道線を同じホームで乗換が出来る運行ダイヤとして設定し、阪急からの乗客争奪戦に会社は打って出たからだ。
 この事故発生原因の一つに「運転で遅れを出すな」というプレッシャーがあった。運転士が遅れを取り戻す為直線でスピードを上げ、事故現場付近の曲線に速度オーバーで突っ込み、遠心力が働いて車両はレールから浮き、脱線転覆したのだ。
 亡くなった運転士は、亡くなられた106名の乗客とは区別され、今もなお死者数にカウントされていない。
20年経つが、JR西日本は「安全第一」になったのだろうか。「営利優先」でみどりの窓口縮小や、地方ローカル線の廃止に向けた交通体系見直し、利用し難いダイヤ設定で公共性に反する運行を進めている。
そのような会社をただすため、少数ではあるが私が所属していたJR西日本労働組合(西労)が存在している。
 私は退職した1年半前に会社を相手に「再雇用延長」を求め裁判を起こした。個人の裁判であるが、仲間たちが毎回裁判傍聴と報告集会を取り組んでくれている。
職場に西労が一人でもいれば、安全で安心して働ける環境を生み出そうと会社施策をチェックし、皆で奮闘する。そのような西労の労働者魂を消してはならないと感じる。



【HPコラム 2022・10】

維新は不祥事のデパート

西 向光

 

 私は大阪市内の在住者だが「大阪万博」「カジノ建設」に反対する一市民でもある。維新の会の不祥事には、本当に呆れるばかりだ。
 つい最近、鈴木宗男参議院議員が、単独でロシアを訪問し「戦争に勝利するのはロシアだ」と発言、維新の党からの除名処分を受ける前に自ら離党したと報道された。また同じ時期、伏見隆・大阪枚方市長が、選挙当選後仲間と「祝勝会」を開催したことが判明し、問責決議で問われている。
 他にも、大阪市議会議員の女性議員にセクハラ行為を行った府議会議員が刑事告発されてる。議員の立場で冠婚葬祭に名を連ねるという不祥事も後を絶たない。社会的にも大きな問題を引き起こしたのが梅村みずほ参議院議員である。5月の参議院本会議で入管法改正法案審議や法務委員会で、入管先の施設で命をなくしたスリランカ人ウィシュマさんに対する「差別と偏見に満ちた発言」を繰り返した。

 最初に大阪で維新政治を進めたのは橋下徹氏である。彼は大阪府知事の時代に『身を切る改革』として大阪の数ある文化施設を削減した。大阪には大小たくさんの演劇集団があり、安く利用し公演できる劇場が無くなり落胆し、閉鎖に追い込まれたところもあった。
 また、平和資料を展示していた「ピースおおさか」の加害の歴史展示にも橋下氏はクレームをつけ、加害の歴史展示物を削除させた。
 そしてカジノ誘致である。知事時代に橋下氏の「こんな猥雑ないやらしい街はない。ここにカジノをもってきてどんどん博打打ちを集めたらいい。風俗街やホテル街、全部引き受ける」といった発言が始まりなのだ。そして夢洲に建設することを決定した。夢洲は、そもそもゴミと建設残土、産業廃棄物などで埋め立てられ、今一部がコンテナターミナルとなっている。
 「大阪万博」が終わればカジノ等のリゾート施設建設を予定しているのだ。しかし今は、当初予算をはるかに超える土地改良工事費が増大し大きな負担となっている。彼らは「国が万博やカジノ建設の費用を負担=国策」として財源を国に押し付けようとしているのだ。
 亡き安倍晋三前首相と大阪維新の蜜月が、前菅総理に引き継がれてはいるが、現岸田首相には、繋がりが薄いようだ。
 以前、私の住む塚本の森友学園が政治問題で取り上げられた時期あったが、安倍晋三夫妻と維新が関係した歴史が完全に葬られてしまっている。獄中には、この街出身の籠池さんご夫妻が収監され「臭いものには蓋」をされている。

 大阪での維新の絶対得票率はたった3割でしかない。
 維新政治を止めるには、市民の良識と必ず投票に出て行く実践あるのみだ。


【HPコラム 2022・9 後半】


暑い夏、私たちの課題


 関西で反原発運動を行っているストップザもんじゅの会合にこの7月、久しぶりに参加した。関西電力が若狭湾を中心に、高浜原発、美浜原発、大飯原発があり、東日本大震災以来、再稼働には慎重にされた経緯があった。しかし、国は電力の供給が逼迫していると一部再稼働を認め、動き出している状況にある。それは、
 電力会社と一部結託している政権の繋がりが強いのか、原発推進派は福島の教訓を無にしているのか。
 そのような中、今回の会合で恐ろしい報告を聞く。7月2日、青森の六ヶ所再処理工場で高レベル放射性廃液が8時間も冷却がストップする事故が起きた。高レベル放射性廃液が冷却不能になると、六ヶ所で24時間後に沸騰する。それから蒸発乾固。硝酸塩が爆発し大気中に大放出するというのだ。この時は8時間で発見され、24度から32度まで冷却水の温度が上昇し、一旦収まったという。マスコミからは地方紙のみ報道があった。
 日本には、1万9千トンの原発使用済み核燃料がある。そのうち3千トンを、六ヶ所村再処理工場に送っている。残りは何と、各原発のプールで冷却されている。プールのままでは、自然災害や航空機の墜落、テロなどに弱い。また、冷却不能となれば燃料プールの火災が起こる可能性が高い。
 このような危険な原発の状況をひた隠しにして、今の岸田政権は新たな原発推進を進めようとしている。地震国でもある日本。活断層の上に作られている幾つかの原発。特に青森も大きな地震が起こる可能性のある地域なのだ。知れば知るほど、私は原発計画の危険性を危惧する。反対運動の現実も運動員が高齢化している中、何が今大切なのか。命を守る事を第一に、若者たちにも将来の電気エネルギーについて真剣に考えるような反原発運動を、私たち人生の長い経験者が目線を低くくして訴えなければならないと参加者みんなで考えた会合であった。
 参加しているメンバーも、どうやって広く現実を訴えていくのか、賛同者をどう増やせるのか、危険な現実を伝える難しさを感じている意見が多くあった。
 いつもの事務局の会合ではなく、少人数でのディスカッションを初めて実施し、色々な意見を交わす事が出来た。そう、自ら何か変化をしていく事が大切なのだ。ようやく反対運動にも少し光が見えた気がした。一つひとつの活動を積み重ねていく中で、これからの反原発運動を愚直に進めていこうと考えている。
 関西から全国へ発信できるように頑張りたい。