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労働者文学会 
労働と生活にねざした文化
                      
                      



 
志真斗美恵 
しま とみえ

ドイツ文学者・文化活動家 

 
「美術館めぐり」
 毎月第4月曜日掲載   レイバーネット2.0

 第26回「生誕130年・1930年協会設立100年「前田寛治 ポエジイとレアリスム」
    国立西洋美術館「版画家レンブラント 挑戦、継承、インパクト」展 2026年8月

 第25回「まなざしの奇跡 日本女性写真家の冒険」展 2026年7月

 第24回「第5福竜丸の50年と夢の島」展 2026年6月

 第23回「河鍋暁斎の世界」展 2026年5月

 第22回「報道と芸術の融合ーW.ユージン・スミス」展 2026年4月

 第21回「アルフレド・ジャーあなたと私、そして世界のすべての人たい」展 2026年3月

 第20回「山下菊二展」「原爆の図第10部(署名)」 2026年2月

 第19回「いつもとなりにいるから」展 2026年1月

 第18回「戦後80年 戦争の中の子どもたち」展 2025年12月

 第17回「漂着」展  2025年11月

 第16回「「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」2025年10月

 第15回「戦後80年《明日の神話》次世代につなぐ 原爆×芸術」 2025年9月

 第14回「記録をひらく 記録をつむぐ」展 2025年8月

 第13回「被爆80年企画展 ヒロシマ1945」展 2025年7月

 第12回「ジョアン・ミロ展」「司修展」
 2025年6月

 第11回「熊谷守一美術館40周年展」
 2025年5月

 第10回「中村正義―その熱と渦―」展 2025年4月

 第9回「時代の表現・生きる証」展 2025年3月

 第8回「在日朝鮮学生展覧会」「ウクライナの絵画」展 2025年2月

 第7回「阿波根昌鴻 人間の住んでいる島」展 2025年1月

 第6回「山内若菜展 ビキニス爆被災70年」20024年12月

 第5回「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」2024年11月

 第4回「北川民次展 メキシコから日本へ」2024年10月

 第3回「関東大震災から101年」展 2024年9月

 第2回「多摩全生園の100年」展 2024年8月

 第1回「戦後の女性画家たち」展 2024年7月
 
 【HPコラム 2025・11】

絵本『べんじょそうじ』(濱口國雄・詩 多屋光孫・絵)発刊!

よみがえった詩「便所掃除」

  偕成社から濱口國雄(1920-1976)の詩「便所掃除」(1953)が、絵本として発売(2026年5月)された。漢字はすべて仮名になっているが、詩の省略はなく、全文が収録されている。濱口國雄の詩「便所掃除」が、多屋光孫(1967‐)の絵で、大型の絵本『べんじょそうじ』として私たちの前に現れた。帯には、茨木のり子がこの詩について書いた「どうぞこの人に、姿かたちも気だても美しい、人もうらやむ楚々とした新妻があらわれますように……でなかったら怒っちゃうから、もう」(岩波ジュニア新書『詩のこころを読む』)が載っている。
 1920年福井県で生まれた濱口國雄は、16歳で南満洲鉄道に勤務、20歳の時、陸軍に入隊、中国戦線を経てバタン、ルソン,ハノイ、サイゴン、ニューギニアと転戦。敗戦後、ニューギニア、インドネシアで捕虜生活の後、1946年に復員。土木工事、炭焼き等に従事した後、1947年大阪で国鉄に就職し、国鉄詩人連盟に参加した。濱口は、国鉄労働組合の活動と詩作を通してみずからの思想をみがいていく。1953年に金沢車掌区に転勤し、終生金沢で活動した。1956年、詩「便所掃除」で第5回国鉄詩人賞を受賞した。
 1974年『濱口國雄詩集』(土曜美術社・装幀=粟津潔)が〈全詩集〉として発刊された。前年4月に土曜美術社に入社した私は編集実務を担当した。企画・編集は武井昭夫だった。印刷所は、社長が経営している新潟・長岡にあり、泊まりこみで出張校正をした。私は、それまでの詩――「便所掃除」を始めとした労働を描いた詩や戦争体験を詩にしたもの――をまとめて読むことができ、濱口と何度も会うことになった。翌年、国鉄を定年退職した濱口は、次の年の1月、脳溢血のため亡くなった。55歳だった。

 詩「便所掃除」は、「若者の社会に向けたエネルギー、ひたむきに働くことの尊さ、そして将来への楽観の美しさ」(表紙カバー裏)を描いている。その詩は、映画『男はつらいよ 寅次郎かもめ歌』(1980年)やTV『3年B組金八先生』で朗読(2004年)され、今も読むものの心を打ち続ける。
 絵本では、トイレが洋式トイレになっている。遠近を共存、色も工夫した多屋光孫の絵がとてもよい。絵が、濱口の詩の心を蘇らせている。ぜひ子どもたち・若い人たちに見せたい本となった。
 この絵本は、偕成社に入社するときから詩「便所掃除」にほれ込み、絵本にすることを願っていた編集者・藤田隆広の「構想24年、制作6年」のたまものである。その過程で濱口の手帳(1956年版)に、自筆で清書された詩「便所掃除」が見つかった。絵本の裏表紙にそれが印刷されている。
 なお、『濱口國雄詩集』は版を重ね、1983年に『日本現代詩文庫8 濱口國雄詩集』、2009年には『新・日本現代知文庫65 新編濱口國雄詩集』が発行された。2009年の版は、「詩と詩論 笛」(濱口が1961年に創設し、現在も継続)の同人・井崎外枝子の尽力で発行された。これを機に、2010年9月には金沢で「濱口國雄にせまる」(石川県文芸協会主催)、11月、2011ふくい詩まつりで「福井の詩人の詩集から 濱口國雄・山本新太郎」が開かれた。翌2011年11月には、東京で「いま濱口國雄を語る」(実行委員会主催)が国鉄詩人連盟ゆき・ゆきえの呼びかけで開かれ、詩人・石川逸子をはじめ当日の内容すべてを収録した冊子も発行された。

 【HPコラム 2025・11】

詩になった大型トラック運転手の労働と生活――『生駒孝子詩集 光る轍』

 『生駒孝子詩集 光る轍』は、国鉄詩人連盟から9月に出版された。作者は、トラック運転手である。国鉄詩人連盟がなぜトラック運転手の詩集を出したか疑問を持つ方がいるだろう。歴史ある国鉄詩人連盟に、今JRで働く人はいない。OBが詩作をつづけて、詩誌を年3回発行している.
 メンバーの1人である地引浩さんは、退職後も浜松で活動している。彼が中心になって発行している詩誌『草々辺』に掲載された詩は『国鉄詩人』に毎号転載され、そのメンバーは、国鉄詩人連盟に所属している。生駒さんはその1人になる。
『生駒孝子詩集 光る轍』の発行に力を発揮した国鉄詩人連盟の矢野俊彦さんに『草々辺』の読み方を問い合わせた所、地引さんに聞いてくださった。「くさぐさのあたり」と読み、「労働し生活する現場からの視点で表現していこう」としてつけられた造語だとの返事をいただいた。
 生駒さんは、日夜11トントラックを運転するドライバーで、工場から工場へとトラックで荷物を運び、フォークリフトを運転し、積み降ろしの作業までする。それを、生駒さんは20年以上、定年になるまで続けた。
 詩集におかれた地引さんの「素敵な詩人が誕生した」と題された文章は、生駒さんが、どのようにして地引さんと知り合い、詩を書き始めたかを明かしている。
 文章は次のように書きだされている。「二十年も前になる。古びたビルにあった地域ユニオンのドアをノックして入ってきたのは小柄な女性だった。」彼女は、働いている運送会社の労働組合幹部から執拗なハラスメントを受けていた。その日から地域ユニオンの組合員になった彼女に、しばらくして、詩誌を準備していた地引さんは「詩を書いてみないか」と誘う。生駒さんを含め4人で『草々辺』がスタートする。
 彼女は、「あとがき」で、地引さんから詩を、と言われ、地元でいちばん大きな書店に行き「詩の書き方」の本を求めに行ったが見つからず「途方に暮れた」。その後の彼女は「詩を書くことで支えられていたのです。喜びも悲しみも怒りも言葉にする事で自分の中で整理され向き合うことができる」ようになった

彼女が詩で描いた世界は、トラック労働について無知な私を打ちのめした。
 1次下請け、2次下請け……と下請け工場から工場へと出来上がった部品を運ぶ。労働は、早朝、深夜にも及ぶ。年休も取れない。年休を取ることは、他の人への迷惑になるだけでなく、時間外手当がなくなり、少ない手取りが一層減ることを意味する。労働時間に含まれない仕事−−それをしないと後々困ることが見える。
 詩集冒頭の「ある朝の詩」から引き込まれる。天竜川を渡る大型トラックのフロントガラスから「紅く熟れた月のような太陽が」駆け上がり、体を貫く。1日が始まる。次の詩「朝」では、彼女の優しさ、連帯感を知る。まだヒーターの効かない走りはじめ、闇の中に灯をさがす。「あった」と1つ窓の灯りをみつける。うずたかく重ねられた材料を前に働く女工を見つけ「ああ、同じ朝だ」と思う。「さあ、今日も1日が始まる」と詩は結ばれる。コンビニで1人労働に従事している女性に声をかけ、前を通るたびに最徐行して通る生駒さん。リストラされた工場のトイレの掃除婦に対する詩人の感情も丁寧に描かれる。深夜、ベッドから落ちひとりで元に戻れない母を勤務時間の中、抱え上げて元にもどしに行く作者。もちろんそれができないこともあった。そうした生活も詩の中に生きている。
 詩集のはじめの1頁目に、102歳の国鉄詩人連盟員・福田玲三(労働者文学会員)さんの「推薦の言葉」がある。
「著者は大型トラック運転手として働きながら、未開拓の詩の荒野に分け入り茨(いばら)の道つくりに挑戦した。肌は傷つき血を流しながらひるむことのない意欲は読者の共感を誘うだろう。そしてその先駆者としての栄冠は彼女の頭上に輝き続けるだろう。」
 ぜひ皆さんに読んでほしい。
(書店では扱っていないので、希望者は、国鉄詩人連盟・矢野俊彦さん zc282428@kg8.so-net.ne.jp まで連絡を)

 

『追想美術館』
2021年3月1日
績文堂 1800円+税

 
ざわつく時代のなかでキラリと光る美術随想

美術館を訪ねたことが夢のようだ。見たい絵を求めて旅をし、知らない土地へ行った。空気にふれ、木々や花を見た。
土地、絵や彫刻をもう一度追憶のなかにおいてみたい。


木場と調布ー桂ゆきと富山妙子
群馬・桐生ー麦秋のベン・シャーン
石川・金沢ー粟津潔 デザインの思想
東京・府中ー新海覚雄 たたかいと共に
栃木・益子ー関谷興二の陶板彫刻
栃木・宇都宮ー鈴木賢一
太地と田辺ー石垣栄太郎・前田寛治・佐伯裕子
和歌山城址ー国吉康雄と石垣栄太郎
横綱と八広ー二つの追悼式と竹下夢二
神奈川・葉山ーベン・シャーン 二枚の絵
竹橋・府中・上野ー藤田嗣治 戦争画の問題
前橋・茅ヶ崎・町田ー木版画の歴史 アジアと日本
セバスチャン・サルガドー再生への希求
ケーテ・コルヴィッツー平和主義者として生きる
母子像のことー3・11の後に
コスモスの咲く安曇野ーいわさきちひろ
新潟で考えるーゴヤ、グロッス、ブレヒト
上海・東京ー魯迅と中野重治
終焉の地を訪ねてーローザとケーテ

 
 
ケーテ・コルヴィッツの肖像』 
2006年6月20日
績績文堂 2500円+税  
好評4刷
 ケーテ・コルヴィッツが没して60年。いまなお世界各地で戦禍は絶えない。戦争による死者はなくならない。飢えもなくならない。世界60億の人びとのうち、8億人以上の人びとが飢餓状態にある。彼女が版画や彫刻で描いた現実は変わっていない。イラクで戦死したアメリカ兵の母親の悲しみは、90数年前のケーテのそれと同じである。戦場でわが子をさがす母親も、戦争で寡婦となった妊婦も数知れない。「平和主義」ーそれは彼女が死を前にしたときの言葉である。ケーテ・コルヴィッツの作品は、いまも平和を考えるための手がかりになるとわたしは確信している。(「はじめに」から)
 
 『芝寛 ある時代の上海・東京―東亜同文書院と企画院事件』
            績文堂 1800円+税