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労働者文学会 
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ナビゲー



首藤 滋 しゅとうしげし


 

第21回 総評文学賞 ルポ 入選
「山吹の墓」
1984年



 【HPコラム 2026・2】

労働運動の中からの反戦平和論の白眉
――伊藤彰信著『日本軍国主義と決別し日中不再戦の誓いを新たに』を読む
 高市早苗首相による暴走解散・総選挙にこの国が振り回されているいま、2月8日の結果がどう出るか。この国に良識が残されているか、それともさらに一歩戦争に突き進むのか、私は気をもんでいる。
 首相就任後間もない11月7日、高市首相の「台湾有事で戦艦が出ればそれは(日本の)存立危機事態(すなわち戦争する)」との国会答弁が、一部に弁明する如く「口を滑らせた」のではなく、確信的思想・態度であることが明らかになっている。敗戦後80年、「戦争はこりごり」だったはずの日本人はここまで劣化した。
 先週、日中労働者交流協会(日中労交)会長、前・全日本港湾労組委員長の伊藤氏による本が出版された。早速手に入れて読む。
 まず第1章は高市首相発言の問題点を整理する。一貫するのは、1972年田中角栄首相と周恩来総理による「日中共同声明」の意義だ。そのなかで台湾が中国領土の不可分の一部であることを確認していることだ。そして高市首相発言がそれを無視していることだ。第2章で「共同声明」の意義を確認する。戦争状態の終結、国交正常化、戦争責任につき、前文に「過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」と書かれた。中国は「中日両国国民の友好のために」戦争賠償請求を放棄した。平和五原則と反覇権を明記した。平和友好関係、善隣友好関係を約束した。
 次いで第3章「戦後80年の夏に考えたこと」で、伊藤氏は95年8月の村山首相談話(閣議決定)を引用し、本来の意味の「積極的平和主義」を求める。私はコント「がらがらぽん」(労文ホームページ掲載)で安倍晋三首相の戦後70年談話を批判したが、安倍版「積極的平和主義」が真逆の戦争推進主義であると書いたことを想い出した。伊藤氏は2「被爆の惨状を加害の免罪符にするな」で先の戦争での日本人の加害者意識が希薄化していることを指摘した。昨年11月の「憲法寄席」の構成舞台『ヒロシマというときー詩人栗原貞子の生涯―』は同様の主張を鋭く示したことも想い出す。
 さらに伊藤氏は、日中労交の活動を行うなかでの様々な思いを語る。第4章「ウクライナ戦争に思う」で現代の戦争、また自然災害における情報戦、アメリカの戦争などここ数年のうちに書かれた数篇を再掲している。安倍政権下の戦争法制反対の文は、有事法制反対の労働組合の主張を反映するものだ。「戦争法案を職場から廃案に追い込もう」と。また「戦争協力は苦役であり強制労働である」と鋭い指摘に納得させられる。
 最後に、先述の72年「日中共同声明」と「平和友好条約」、98年来日した江沢民主席と小渕首相の「日中共同宣言」、2008年来日の胡錦涛主席と福田康夫首相の「「戦略的互恵関係」の包括的推進に関する日中共同声明」、72年の大平外務大臣外交演説、95年の村山首相談話、また国連憲章との日本国憲法の抜粋が〈資料〉としてすぐ参照できるようになっている。親切なつくりだ。
 高市首相発言を考える人、急速に強まる日本の軍国主義化を憂える人、とりわけ運動を担う労働者人民が手に取るべき一冊だろう。100頁余のこの一冊をぜひ手に取って語り合いたい。(2026年1月、旬報社刊)


【HPコラム 2023・11】

〈小説〉 Tさんとその父のはなし 

 文学の会にTさんというひとりの女性会員がいた。かつて会の活動に「文学散歩」があり、「一泊研究会」があった。その時撮られた写真を眺めると、それぞれに訪れた場所の風景と参加者との会話が思い出される。私が参加して東京から一番遠かったのは渥美半島だった。小布施の北斎の画なども強い記憶がある。
 Tさんは私より数年年長だった、と思う。なにかで集まるときには、竹を割った、というか、小気味よいほどはっきりした発言をする。その態度と立ち居振る舞いから、周りの会員から畏敬の念で見られていた、自分もそのひとりだ。
 その時がいつどこへ行ったときか、記憶がさだかでない。たまたま、電車の座席が隣合わせになって、他に話に加わる人はいないときがあった。突然、本当に唐突と言っていいだろう、Tさんが私に訊いた。「ねえ、南京事件ってホントにあったことなのかしら」「さあ」という私に、Tさんはこう言った。「いやね、あたし父に訊いたんです。親父ね、兵隊で南京にいっていたのね、あの戦争のとき。そうしたら、親父は「南京事件、あんなことはなかった。」って言うのよ。どっちがホントなのかしらね。」
「うーん、そうだったんですか。南京ですか。ぼくはよく知らないんですよ」私はあいまいに答えた。漠然とした知識であり、詳しいことは知らなかったのである。
 それは旅行中のほんのひとときのことであったが、その話題に戻る時間はなく、十人くらいの一行は、その旅をつづけたのである。しかし、その時のTさんの真剣な顔つきとその話題は、私の心に長く残り、あれからおそらく二十年は経っている。Tさんは循環器系統の疾患により、八年ほど前に亡くなってしまった。そのことをTさんと話す機会はうしなわれた。
 Tさんが父親の話をするのを聞いたことはそれのみであった。没後に刊行された詩集にも父親のことは書かれていなかった。
 1937年12月、当時の中国の首都南京は日本の陸海軍に包囲され、防備軍を残して首都は重慶に移された。南京は陥落した。攻略作戦で中国軍兵数万人が降参し、捕虜となった。揚子江沿岸に、両手を後ろ手に縛られた捕虜が集められ、重機関銃によって銃殺された。川に向かって逃げようとする捕虜たちは遺体を乗り越えようとして三メートルにもおよぶ小山を築いた。生き残った捕虜は刺殺された。遺体は油をかけて焼かれ、揚子江に投げ捨てられた。これは沿岸の数か所で実行された。この事件以外にも、南京攻略にかかわって伝えられる虐殺また凌辱事件は数多い。銃殺事件を実行したのがどの部隊かは突きとめられている。また、「暴動で自衛上やむを得なかった」という説が、虐殺関係者の捏造であることが突き止められている。
 Tさんが亡くなってしばらくして「お別れの会」がひらかれた。Tさんの夫が主催したこの会には文学の会の会員が数名参加した。Tさんの写真がパソコンからスクリーンへ投影された。「文学散歩」や「一泊研究会」の数枚のスライドがあり、私の知るTさんの姿が、その笑顔があった。そのうちの一枚に私は緊張した。それはTさんがおそらく10歳に満たないころ、自宅の庭の芝生か雑草かそのうえでTさんと妹が父親を笑顔で囲んで座る、団らんの自然な姿だった。片脚をなげだした、穏やかそうな父親も笑顔で幸せそうだった。その時、私は想った。あの笑顔のTさんの父親は、当時の中国の首都南京に行った。伝えられている捕虜や村人の虐殺には加わらなかったかもしれない。しかし、そうでなかったかもしれない。戦争での自分の体験をTさんに詳しく語ることはなかった。父は機関銃を撃ったのか、遺体の山に踏み入って銃剣を突き刺したのか、首を切ったのか、それはかれにとって伝聞だったのか、まったく知らずに南京入城に加わったのか。Tさんは亡くなるまで、その疑問をかかえたままであった。あのTさんのことだ。そのことで深く悩み、苦しんでいた。
 お別れの会で、高校生の孫娘がひとり、Tさんの詩一篇を朗読した。凛として美しい声とその姿は、若き日のTさんとよく似ていたに違いない。
 【HPコラム 2022・12】

「がらがらぽん」の有効性  

 7月、安倍晋三元総理大臣が選挙演説の路上で射殺された。
 きわめて残念なことであった。
 安倍氏は、こうして消えてゆくべき人ではなかった。
 選挙で惨敗し、自民党がもはや政権党でなくなり、かれは国会議員でもなくなり、かれが推し進めたあらゆる政策が、大衆によってクソミソに批難せられ、戦後最大の悪の象徴のひとりとしてその悪名が記憶される、そういう人になるべきであった。下記の業績がそれを物語る。

 2012年 アベノミクスと称する経済政策実施(大企業とカネ持ちに富が集中、貧困拡大、             非正規労働者が40%に、実質賃金減少)
 2013年 特定秘密保護法(取材・報道の自由や知る権利を抑制する) 
       共通番号法(市民の監視・統制)
 2014年 消費税 5%→8% 
       改憲条文案4項目の発表*
 2015年 集団的自衛権行使のための戦争法成立=解釈改憲*
       戦争法制成立=実質改憲*
 2017年 共謀罪法(改正組織的犯罪処罰法)成立
 2018年 「働き方改革」一括法
 2019年 消費税 8%→10%
 
*すべて憲法99条(天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。)違反だろう。

 これに森友・加計・桜という政治権力の私物化も加わる。
 選挙連勝のカギとなっていた、韓国統一教会との連携の姿が、7月以来、次々に明らかになりつつある。祖父岸信介元首相以来の、進化した緊密な反共産主義(反社会主義)の連合としての安倍氏・統一教会の相愛関係が、自民党政治家全体に深く広く存在していたことがわかりつつある。
 いささか時期おくれのそしりは免れないかもしれないが、私は2017年に書いた「がらがらぽん」(『通信・労働者文学』245号掲載)というコントが、安倍氏の悪業の評価・総括の一端としていまもなお有効であることを思い、「労働者文学作品集」収録掲載を望むものである。

 【HPコラム 2021・2】

木下昌明さんを悼む  

木下昌明さんが一二月六日に亡くなつた。享年八二歳。労文賞・小説ルポ部門の選考委員であり賛助会員の木下さんは、私の最も尊敬し信頼する映画批評家だった。

毎年暮の労文・映画上映会での解説は、参加者の感想・議論に重きをおき、深い鑑賞をうながした。ダルデンヌ兄弟の『ロゼッタ』『息子のまなざし』、また『ノーマ・レイ』『さぶ』『女は二度決断する』などで語る木下さんの声が耳に強く残っている。

三分間ビデオ運動を推奨し自ら家族やご自分の記録などを作った。『がんを育てた男』などで直腸・前立腺がんを患うご自身の姿を記録した。

医師の話を、うのみにせず、調べ、相談し、いかに日常生活を確保して治療しつつ創造し生きるかを示した。「余命一年」の宣告を毎年受けてけて八年間を自転車に乗り歩き廻った。「面会式」で遺族は自宅で眠るうちに息を引き取ったと紹介した。まさにその顔は眠るが如くだった。

「長い批評文を書くとよい」のお勧めを私はまだ実行できていない。合掌