| 高見正吾 たかみ しょうご |
【HPコラム 2025・12】 太陽のない街・徳永直 |
| 小林多喜二の、あの「蟹工船」と同様ー「太陽のない街」は、『戦旗』という雑誌に掲載されている。 『戦旗』に五回掲載された作品を中心にして、戦旗社から、プロレタリア文学集の中の一冊として出版されたという。 作者、徳永直は、代表的なプロレタリア作家として有名なのだが「太陽のない街」を発表する以前は、主として、労働組合運動や、協同組合運動をしていた人だという。 この作品のはじまりは「街・ビラ」というタイトルになっている。そして「電車がとまった。自動車がとまったー自転車も、トラックも、サイドカアも、まっしぐらに飛んできて次から、次へとつながってとまった」 プロレタリア文学とは思えないー新感覚・前衛文学。今日の、ハードボイルド小説を思わせる「動き」「行為」の文体なのである。 「街・ビラ」とは? ー吾々大同印刷会社三千、家族一万五千人の争議団は、横暴なる大資本家大川社長の奸策に拠って、鋳造課三八名の馘首を名とし、吾々の組合出版活動を根本より打ち砕きーという文章である。 徳田直(一八九九ー一九五八)は、労働者出身の作家である。 熊本で生まれ、貧しさのため小学校を六年で中退。地方新聞で文選工を体験し、上京博文館印刷所の植字工になり、後に、小石川「作業日数大幅ダウン反対」共同印刷の大争議に、活字労働者として参加する。 徳田直は、その体験を元に「太陽のない街」を、記録としての共印争議として書いたようであるー岩波文庫版・太陽のない街・解説に「個々の組合内部では、文化芸術は、非実践・逃避・堕落とされていた」と書く。 文体どおり「動き」と「行為」の人なのだ。 追記 「太陽のない街」の、冒頭の文章が気になった。「動き」と「行為」の新感覚ー 当時、ロシア革命の影響で、マルクスとレーニンが、日本に「前衛思想」として入ってきた。その中に、第一次世界大戦後の、ヨーロッパ・モダニズム思想が入っていたのだろうか? 徳田直の文体で、ふと思った。 |
【HPコラム 2024・10】 本当の自分・本当の地元 ―つれづれなるままに日暮らし― |
| 現在、六七才。六〇才を直前に父が急死。 以後、長男として、葬儀・相続をおこなう。 父は、地元の名士なのだが、亡くなる頃は、すでに語られていなかった。しかし、葬儀場には、三五〇人、いっぱいだった。最後まで残ってくれた人が百人弱いた。 父の後を継ぎ、教師にならないのか? 長男だろう、まだ、結婚しないのか? とよくいわれた。本当の自分は、どもり・ゼンソク・神経、他の問題があり、運動・生活能力ゼロ。学校は、大嫌い。かなり、いかれていた。 父のため――長男として付属高校から、無事、大学に行く。大学に行ったのは、就職する自信がないから――小説を書いていた。 私は、世間一般でいう、親不孝者であった。 父の死後の手続き――株とパソコンの解約がやっかいであった。手続きに必要な知識・情報を、残されたゴミの中から、ひとりで、関係する社名が印刷された、封筒・ハガキ・書類を捜し、ひとつひとつ、電話・訪問して確認した。 私は、東京にいた。父の死後、母が一人になるので、弟家族がいるけど、私が会社をやめ、実家に帰り、母と二人暮らしをする。 ヘルパー二級を取得していたので、母の介護が必要な時は、少々できた。親不孝者なので、母は大事にする考えだった――ところが、大腸・ヘルニアの二回の手術、その間、親戚と、福祉施設の世話になった。家にもどり、母の介護と、自分の病気のことを考えた。 さらに、弟家族が、今の実家を借地・建てかえ等の問題から、相続しないと判断――私が、実家の処分をして、次回の、借地権・更新日前に、外にでることについて考えなくてはいけなくなった。 借地になった理由は、行政の区画整理。 無理やり、現在の借地に、建物を移動させられた。里山がくずされてから、地元の土地は、どのような歴史があるのか? 地名がわからなくなった。 母は、施設の人。帰らない、私ひとり。 今、家財と庭木の処分に追われている。 将来、どうする? という悩みを、必要なものは、三LDKのアパートを借り、移して、そこに、本当の自分をおちつかせることにする。そして、地元の本当の歴史――相馬氏と、会津藩の歴史から、ふり返り、調べて、書くことにした。私のわからない終活がはじまる。 |
| 【HPコラム 2023・9】 私の「新文学」 |
| よく「あなたの小説は(、)が多い」「理屈ぽく内容が不可解」「構成がまとまっていない」といわれる―それは―小学生の頃「ドモリ」「ゼンソク」「運動神経」「無器用」で苦労したことと関係があるのかも知れない。小さい頃から世間・他者とのズレを感じた。 他の小学生は自然にできる。だから、私も自然にやるのだけれど、できない。先生に「普通のうまいやり方」を教えてもらうのだけど、何回やってもできなかった。 小学生―中学生の時もそうだったのだが、自然に聞いていると授業がわからない。疲れるけど独自の思考で集中して意識化すると、その部分だけよく分かった。そのため、学校の授業はまだらな理解になる。家に帰り、全て自分のやり方で勉強すると頭に入る。父は中学の教師だったので、心配してコッソリと教えてくれたのだが、その教え方だとわからなかった。父には、何度も怒られた。 私は、世間では「問題児」だった。だから、劣等生なのだけど、テストの成績は普通であった。「あなた、普通にできるんだね。やれば、できる。がんばりましょう」といわれた。だけど、私は、一般的だとダメである。他とは違う「思考」「スタンス」「ペース」でなければ、普通の成績にはならなかった。 だから、世間的にいうと、やはり「劣等生」になる。今ならば、アルアルの、やっかいな発達障害だといわれるだろう―文学は、日常生活よりも、もっと幅の広い世界を持っている。しかし、私独自の「思考」「スタンス」「ペース」で文章を書くとアレコレいうのだ。 二〇世紀文学の中に「反小説」というのがあって、フィクションなら全て小説になりそう―私は、そのように考えて、オリジナル作品を書いたら―強い反発を受けた。 「こんなものは、小説ではない。もっと、まともなものを書け」というのだ。私は「反小説」を「新小説」にすることを考えていた。しかし、S文学系のある人・二人に、バッサリと切られた(笑) 江戸時代・浮世絵と共に「ふざけた」「コッケイ」な、お笑いになる文章が生まれた。近代文学では「小説以前」にされている。私は、この「戯作」と呼ばれるものを「新文学」にしたらおもしろいと思う。私が考えるのは、太宰治・石川淳・武田麟太郎・野坂昭如・井上ひさしとは違う、ヨーロッパ的な何か? |
| 【HPコラム 2022・7・後半】 雑文・労働者文学のPRと私 |
|
何でもネットで知る。本を買うのもネットの時代。労働者文学もネットで知り、関連する本をネットで買う。さて、労働者文学を、今後、研究するキッカケになるキーワードは何か? 私は、いい悪いは別にして「藤森司郎」で、グーグル検索して――とさけびたい。 検索すると、一九二五年・長野県生まれ。国鉄に入社し、機関士をつとめると紹介されている。そして、二冊の本。@『鉄道員・藤森司郎小説集』土曜美術社、新日文双書。A『労働・生きることと書くこと』武蔵書房。 私は、労働・生きることと書くことが、労働者文学であると思う。この本は、七割が「労働者文学ひろば」についての文章だという。久保田正文氏は「序文」で――「労働者文学ひろば」を読みつづけて私が感銘したことは、小説・評論はもちろんのこととして、詩・短歌・俳句・川柳などの各ジャンルにわたって広く目を配っていることであったと書いている。労働者文学は、組合の総合的な文芸サークル誌であると聞いているのだか、働き・読み書きする人が、労働者文学に投稿すると、小説・評論・詩・短歌・俳句・川柳、全て、藤森司郎のような、熱心な読者がいて、作品を読んでくれる。現在の「労働者文学」は「ルポ的なリアルさ」に注目しているのだが、今でも、熱心な読者がいて作品を読んでいる。 もう一冊の『藤森司郎小説集――鉄道員・特別二等寝台車ほか』は、労働者文学というより、何でも知りたい鉄道ファンにとっても、おもしろい鉄道の歴史的な知識になる。当時、機関車文学というのがあったらしいよ。 本来「労働者文学」を研究するためのキーワードになるのは『労働者文学作品集』ではないかと思う。先にあげた、久保田正文の他に、野間宏の名前がある――私は、藤森司郎や、『労働者文学作品集』を追い、今、終活として「私の労働者文学」を書こうとしている。 藤森司郎氏は、『労働者文学』二六号、「特集/どう生きる高齢時代」の中に「二つのこと」という作品を掲載し、中野重治・平野謙・佐多稲子の名前を出す――そして「何故粗大ゴミ等々になり果てるのか(くたばること?)は、そこに非人間的な企業収奪の過重労働があり――」と書く。私は、六五才。手術歴二回。粗大ゴミととして――雑文・ボケを書いている。 |