江本日記  2009年〜2011年   その日記の抜粋です。


2011年6月26日 4月25日以来2ヶ月ぶりに出席者が8名でした。実業団3名が揃ったためか、影響されて他の人も頑張って熱戦が繰り広げられました。斉藤さんのネット際のショットが続出していました。でも、成功しても失敗しても、みんなが笑ってしまうのは何故でしょうか。突然のバシン!が、なんともおかしいんですよね。開始早々、オーバーネットを宣告された時は、

「だって、ボールがこっちに(自分側のコートに)こないんだもん」・・・不覚にも、思わず同情したくなってしまいました。

2011年5月22日 実業団3羽ガラスが揃いました。聞くところによると、今日の最優秀選手は小玉さんだそうです。そう、元気モリモリでした。この頃第2グループ?も息切れが出てきたようです。まだ肉離れのテーピングが痛々しい岡本さん、物忘れがひどくなった江本(本日は頭痛で休み休みのテニス)、ズボンの裏側が大好きな?山本さん。他には、プレー中に、点数が分からなくなる人続出。小玉さんはきっと普通の状態なのに、周りのせいで、えらくはつらつと見えます。皆さんなんとか頑張りましょうね!

2011年4月24日 スカァーとする気持ちの良い晴天で、久々にたくさんのメンバーが揃い楽しみました。8名+いつもの通り寛ちゃんが見学(見張り?)に来てくれて、歌の上手な鶯も参加し、総勢9名と1羽が揃ったテニスコートでした。コートの入り口の坂は桜の花びらが一面に散り、季節の変わり目を教えてくれているようでした。久しぶりに参加した岡本さんもサーブが徐々に冴えて持ち前の腕前を披露してくださいました。あまり頑張りすぎぬよう、奥様のご命令をメンバー一同背中に受けて、心配しながら見守っていました。

2011年3月28日 
今朝の一番目の話題は、斉藤さんがトルコのホテルで就寝中(夜中の2時半)、携帯が鳴り、飛び起きたら佐藤さんからで、内容は町内会集まりの日程延期連絡だったそうです。寝ぼけ眼の上、トルコモードになっていたため、斉藤さんの頭脳をもってさえも、この簡単な連絡事項の意味がしばし理解不能に陥ったそうです。(ご自宅に連絡しても通じなかったので携帯にされたものと思われます。)
2番目の話題が、岡本さんの奥さんからの謎のメール。皆、江本メールは一度チラリと目を通すだけなのに、謎の文章を何度も読み返しては首をひねったそうです。
頭脳明晰なメンバーが集まって解明したのは、岡本さんのペンネーム?、芸名?が
オットドッコイで、奥さんの別名がワイフドスコイであることのみ。解明できないのは岡本さんが冷凍マグロで、計画停電でも解凍されなかったこと。冷凍マグロの身に
津波(多分)が押し寄せても、冷凍マグロさんは自身のことは後回しで、犬を放して
やるという重大な任務を、奥さんのワイフドスコイから背負わされ、かつ未だに
転がっているということ。(?ん?、分かったような、分からないような・・・。)

古谷さんが到着して、解明が進み、奥さんのご親戚(ご実家)の消息がわかり、自衛隊に救助されたこと。そのご親戚(ご家族)は原発から10km以内に住んでいること。連日心配に明け暮れている岡本さんが、じっとしていても仕方ないので気分転換にテニススクールにいったら、怪我(肉離れ)を起こしたという、散々なストーリーでした。皆さん、地震、津波などの自然災害だけでなく、身近に起こる怪我にもお気をつけください。第2、第3の冷凍マグロになりませんように。

2011年3月11日  地震当日の行動
<外出組>
永野 帰宅できず職場宿泊。おにぎりを買いに行ったがコンビに人数分無くて事態の大きさを感じた。
江本 職場5階の壁に大きなひびが入り、棚が落ち建物内に取り残される。5時間以上かけて横浜から帰宅。
佐藤 奥さんは有隣堂に、本人はビックカメラ地下の酒屋に。一緒に出かけたのに当時は夫婦それぞれふさわしい所に。 
山本 健康診断で上京。三軒茶屋から一部電車を使ったものの、53キロをひたすら歩いて帰宅。
斉藤 カッパドキア(トルコ)で日本の大地震を知る。トルコの人達が心配してくれた。
岡本 奥さんの親戚(福島県)の消息が分からないそうです。
古谷 白楽に居て電車が止まり帰れず。とっさに機転をきかせラブホテルに行ってみたら泊まれた。ニュースでは、ホテル、ラブホテル、カプセルホテル、インターネットカフェ、漫画喫茶は早い時間に満室だったそうです。)さすが、目の付け所が、私や山本さんとは違います。恐れ入りました。
小玉 ?? もしかして授業の合間に廊下を走っていた最中??
<自宅組>
福井 家から思わす飛び出す。奥さんは東京に出かけ帰れず(旅行会社で宿泊)。
大谷 家の中でシャンデリアが落ちないよう、ひたすら睨み付けていた。<さすが!!>
當麻 暫く家の中に居たが、最後は家から飛び出した。

2011年2月20日 寒かったですね。いくら寒くても、テニス後は身体が温まるものなのに、そうはいきませんでした。ただ、おたかさんから頂いた、1週間遅れのバレンタインチョコレートで心だけは温かく幸せになって帰れました。
テニスコートに向かう斉藤車の中で、福井先生が「ラケットとボールを忘れた!」
「ちゃんとトランクに入れてましたよ。」そこまではよくある事なのですが、
次の言葉が立派でした。「無い事に気づいたことがすごいよ!」美しい友情に接しました。そうです、おかしいなと思ったら満足度を下げれば、賞賛に値する出来事になります。いい社会勉強になりました。みなさん、楽しく、明るく、生き抜きましょう。

2011年2月6日 たわわになっていた駐車場の夏みかんが収穫され、オレンジ色に染まっていた木が、深々とした緑になっていました。遠くを見れば、富士山も雲で姿を隠し、海もぼんやり、一味足りない片瀬山の風景でした。記録的な寒い冬が終わり、
春の訪れでしょうか。しかし、メンバーは違います。昨日のアルコールがエネルギーとなってか、福井先生と永野さんが、見事な活躍をしていました。見ていたカラスも熱くなり、尋常ではない鳴き声(怒り声)をし、そこに行方不明の常連さんの放送が流れ、賑やかなコートでした。
さて昨日は「あと一歩のVIP客達」が長い時間押し寄せ、斉藤さんご夫婦にお世話に
なりました。飲むわ、食べるわ、しゃべるわ、でも最後は古谷さんが出した数字
「623868981553」の意味が話題になり、格調高い話となりました。そんな中、税金に関する講習に行った後の山本さんは、余程ショックを受けたのか、
しょんぼりしていました。そして、何故かお酒の苦手な寛ちゃんが、飲むわ飲むわ、
これにはびっくり。週に一日しか泊まっていないというあのマンションをいっぱい
有効利用してあげましょう!という親切でかつ建設的な発言が最後まで続いて
いたのに、何故か多弁な斉藤さんが黙り続けていました(家政婦は見ていた!)。

2009年2月1日 度々プレーを邪魔される程の、風の強い一日でしたね。でも、遠くには富士山が見事な姿を見せ、近くでは鳶が(風に乗って?)フワリと止まっているように、浮いて(?)いました。いよいよ2月。鶯がさえずったり、反対に花粉が舞ったり、嬉しいような、うっとうしいような季節の到来です。

このところ、フルメンバーが揃うことが難しくなりました。無理せず、でも、やはり日曜は片瀬山テニスクラブです!!なるべく多くのメンバーが揃うことを楽しみにしています。

2009年2月15日

今日はテニス日和でしたね。風も無く、温かくて、湿気も無く、最高でした。お仕事やご用事で出席できなかった方々、本当にお気の毒です。
 
そのせいか、素晴らしいラリーが続き感動しました。特に、福井先生、寛チャン、山本さん、岡本さんがプレーをしている時が素晴らしかったです。審判をしていた私が「こんなに素晴らしい試合は観戦料金を払わなくてはいけないのでは?!」と大谷さんに聞いたほどでした。でも大谷さん曰く、「いやいや、審判が一番偉いんだからね」・・・冷静でした。さすが大谷さんです。
 

2009年2月22日

今日はテニスのあと家に戻らず、そのまま忙しい一日を送った私でした。日舞クラブの学生が出演する、日本舞踊の発表会が、5時まで桜木町であり、その後退職教授関係の展覧会が銀座であり、遅くなって藤沢に帰ってきました。

 
そこで、今からお願いがあります!
テニスばかりでなく、あらゆる才能に満ち溢れた片瀬山テニスクラブの皆々様、バンド、日舞、ひょっとしてフラメンコ、陶芸、盆栽・・・等々、隠れた才能を発揮する機会がございましたら、なるべく藤沢市及びその周辺でお願いしますね。見に行くのが大変で・・・。
 
2月22日現在の欠席届です。 ここ4週間続いて出席者数が6名です。来週も6名の予定です。全員10人が揃うのは、なかなか難しいですね。
 

2009年3月22日

風雨に「若さ」で立ち向かっていたのですが、及びませんでした。最後30分、しぶしぶ止めましたが、でも90分やれたので、諦めがつきましたね。いつも飛んでいるトビも姿を見ませんでした。皆、早めに避難したのでしょう。動物の勘てすごいですね。

2009年4月5日

北朝鮮ミサイル「テポドン」の発射で、日本中が大騒ぎしている中、我がテニスクラブは満開の桜の咲き乱れる片瀬山で、今週も変わることなくテニスを楽しみました。それだけではありません。なんとなんと、タヌキまで観戦にやってきて、ファン層の厚さに感激です。
 
都合がついたからと小玉さんが、先週楽しかったからと永野さんが、飛び入り参加して下さいました。久々に総勢9人でのテニスとなりました。審判をしている時にベンチに目をやると、賑やかに会話がはずんでいる様子、嬉しかったです。テニスの季節です。お忙しい皆様方ですが、都合をつけて、一人でも多く集まれるよう願っています。

2009年4月26日

今日のテニスは、風との戦いでしたね。テニスが始まる前は、雲にかすんでいた富士山や丹沢の山々が、テニスが終わった頃には、くっきりと姿を現しました。きっと
風が雲を吹き飛ばしてくれたのでしょう。また強風のため、発声練習が思うようにならなかった片瀬山のうぐいすが、徐々に風に慣れ、鶯らしい鳴き声になっていましたね。何人かは聞かれたことでしょう。

2009年5月17日

今日は中止にしましたが、現在(14:30)は晴れ、出来たですね。いつも無理をしてでも中止にしない、我がテニスクラブにしては、皆の判断がちょっと消極的になり、結果的に残念でした。でもあそこは従業員がコート整備しておいてくれないですから、出来ても1時間半(プラス、従業員の嫌な顔)がせいぜいでしたね。来週にかけましょう!

新型インフルエンザが、恐いくらいの勢いで流行って来ました。今朝の電話連絡で知ったのですが、福井先生が昨晩、関西方面(京都・奈良)から帰って来られたばかりとか。我家も夫が今週は大阪出張。関東地方に入ってくるのも時間の問題です。朝刊にマスクを買うのに列を作っている写真が載っていました。ニュースでもマスクが手に入らないと訴えている主婦がいました。我が家では今朝早速、60枚入りのマスクを一箱買ってきました。もしも新型インフルエンザ患者が出たご家庭でマスクが手に入らない方、片瀬山テニスクラブメンバー限定で、江本がマスクをお届けしますので、お声をかけてください。但し悲しいかな、いや有難いいことに、このインフルエンザは中高年がかからず、10〜30代が殆どのようです。

2009年5月25日

2週間続きでテニスが雨で流れ、グレてしまいそうな気分です。おまけに家族は出張や研修で一日中留守、一人、外を見てはげんなりしていました。
 
斉藤さん、中央大学高窪教授を殺した犯人が捕まってひとまずほっとされたのではないですか。でも犯人が元教え子、それも卒業して5年、高窪教授も、自分を殺すことが日々計画されていたなんて、考えもしてなかったでしょうね。暗い嫌な気持ちが残る事件です。
古谷さんから「昨日福井氏とやったのですが、右腕が痛く思うようにラケットが触れません。以前にもあった症状です。暫く休むと思います。よろしく。」とメールが入りました。
 
古谷さんが「故障者リスト入り」となり、古谷さんから完治連絡が、あるまで、暫く欠席者のリストに入れておきます。お大事になさってください。早く復帰出来ることを願っております。
ヨーカ堂テニススクールで練習を積んだ大谷さんが、めきめきと腕を磨いています。1週間に何日か通っているという、このヤル気は、テニスに寄せる愛情と、そして優しい言葉をかけて下さる、受付の女性らしい、という噂です。この分でいくと、一年後が楽しみですね。
 

2009年7月19日

先週に引き続き、今週もこの時期にしては涼しい片瀬山テニスコートでした。「蝉一号」が泣き出していましたね。斉藤さんが「早いね」とおっしゃっていましたが、イヤイヤ、片瀬山の夏は、鶯が鳴いています。季節感ゴチャマゼ環境のテニスコート、蝉が若干早く鳴き始めても不思議ではありません。自己主張したい生物が集まって来るようです。来週はこおろぎかもしれませんよ。

今日は残念でしたね。昼ころにはお日様が顔を出していて、もう少し時間がずれて
くれたらと悔しい思いでした。
 
今朝は9時に雨があがってのをみて、私はいざ片瀬山へと、出発しました。問い合わせのあった福井先生には「もちろん雨が止んでるので、向かっています!」と言ってしまい、先生が皆さんに召集の声をかけてくださいました。
 
諦めてテレビを見てくつろいでいた皆様を、驚かせただけでも申し訳ないのに、即、集まって下さり、結果、何も出来ずに解散となってしまいました。
「折角運動しに集まったのだから、ラジオ体操でもして帰ろうか」という声も出たのですが、雨脚が強くなり早々と引き揚げました。
 
来週はきっと、晴れると思いますよ。お楽しみに!
夜になり涼しくなってきました。欠席届に変更が出ましたのでご連絡します。また、暫くお休みしていた大谷さんから、次のようなメールが入りました。
「ぼちぼち今月より、天候をみながら再開しようと思っています。しばらくはならし運転なのでお手柔らかにお願いします。」みなさん、いいですね、「お手柔らかに」とのことです。
くれぐれも、むきになりませぬよう・・・。
食欲の秋、スポーツの秋、と言うのに、見放されて、病院生活、病院通いと
なってしまう小玉さん、どうかお大事になさってください。神様が与えて
くれた休養かもしれません。仕事のことは忘れて、ゆっくりお休みください。
 
一方、ゴルフコンペが続く、大谷さん。スポーツの秋本番ですね。ホールインワンのタオルを片瀬山テニスクラブ一同、そろそろ再び!と待っております。優勝、もしくは、ホールインワンのとちらかをお願いしますね。負けてはダメですよ。プレッシャーをかけまくって、応援しております。

2009年12月6日

いこいの村足柄でのテニス合宿、お疲れ様でした。楽しかったですね。永野さんのおおらかさに感動し、古谷さんの過去に興味深々、美味しいワインに舌を打ち、次々と並ぶワイン、ビール、美味しいミカン、おつまみ、盛りだくさんでした。そして、飲んだ飲んだ、空ボトルがずらり!斉藤さんのお言葉をお借りするなら、「たいしたもんだ!」ですね。土曜は雨で直前のテニスコートキャンセル、幹事の斉藤さんも大変でしたね。ほろ酔い気分で一旦寝たのに、九時ごろスクッと起きてきて翌日の連絡、
これは幹事役を完璧にこなさねばと思ってのことか、高級ワインに誘われたか??
理由はとにかく、ご苦労様でした。

2009年12月20日

寒かったですね。でも富士山の美しさが寒さへの文句を言わせてくれませんでした。斉藤教授によりますと、奥秩父の山々が見える(一昨年私もアレですよ!と教えていただきました)だけでなく、浅間山も右端に見えているでは?とのことで、ゲーム前に、しばし一人で眺めていらっしゃいました。で、結果として、片瀬山から天気の良い日には、浅間山まで見えるのかどうか、榛名山とか他の山は?わかりましたら是非教えて下さい。

昨日は、富士山が、「見てくれ!」とばかりに、雲ひとつ無い空にそびえ立っていました。夕方の日没まで雲が全く無く、こんな綺麗な空は一年間にそうはないと思いました。

 
空に雲は無くても、コートにはYAMAMOTOと名のついた蜘蛛が一匹。これがまた手足を伸ばすと長〜い!更に糸を大量に張り、ボールをことごとく止めてしまう。この蜘蛛は岡本さん曰く「朝は寝ていても、陽を浴びると突如活動し始める」、そうなんです。でも何故か永野さんのボールには苦戦する、昨日も、和やかな片瀬山テニスでした。
初テニスでした。天気もよく、受付の女性(山本さんの将来のお嫁さん候補?)に怒られる訳でもなく、平和に第一日目が過ぎました。
 

2010年10月4日

小玉さんが実業団の鈴木さん(女性、とてもお上手でした)を連れてきて下さり、

古谷さんが(例のごとく)ひょいと現れ、いつも元気な寛ちゃんが元気でない姿で現れ、江本も復帰し、久しぶりに賑やかな片瀬山テニスコートでした。楽しかったです。 

2010年11月21日

本日は藤沢市の清掃日でした。朝はどこを通っても、ほうき片手に掃除をしている人はかり。その時間にテニスに興じる藤沢市民は、非国民呼ばわりされそうな朝でした。確かにその人達の横をラケットを持って通り過ぎる時にはうつ向いてしまいました。優しい古谷さんはそれが出来ず、お手伝いをしてから片瀬山へ。町内会の委員をしている佐藤さんも似合わないほうきを持ってウロウロ。結局佐藤さんも清掃後テニスコートへ駆けつけて下さいました。そこへいくと私の隣組は班長さんだけ公園清掃に参加し、他の人は各自家の前を掃いておくこと、と毎年取り決めていて“ラッキー”なのですが、掃除している人の横を通り過ぎるのは心穏やかなことではありませんでした。永野さんは来週か再来週、近所の草抜きがあるとのこと、ご主人とどちらが出るか決めて、それによっては欠席もありうるそうです。そう言えば、掃除している人は一時代前は女性ばかりでしたが、男性も多数参加されている光景があちこちで見受けられました。家事分担を少しは男性がやるようになってきたのですね。良い事ですね。

2010年12月19日

楽しかった忘年会が終わりました。「いこいの村足柄」、良いところですね。
2日とも好天で、富士山が綺麗で、温泉よし、部屋もよし、食事もよし、大満足です。
そして今年は、何よりもメンバー全員が参加できた事が、一番嬉しいです。
 
大谷さんはヨーカ堂社長だったかな?と思われる位、広告塔として貢献されたと思います。いつもながら、福井先生の張りのある歌声にうっとり、佐藤さんの「江ノ島エレジー」には歌の存在自体にびっくり、山本さんも「天草・・・」で初歌声を披露し、マルチ歌手小玉さんも若さ一杯の声量でした(考えてみれば53歳の小玉さんを「若者」と言うメンバーも立派です)。
斉藤さんはいつものように?いっぱいお酒を飲んで、早々と“おねむ”でした。持参されたお酒を「それ、高いウィスキーだからね」としきりに前置きする古谷さん、その古谷さんの出席率をもカバーせよという任務を押し付けられたエース岡本さん、そして古谷さんが頭の上がらない、存在感のあるおたかさん、ハハハといつも軽く笑い飛ばしベロを出す寛ちゃん、楽しいメンバーです。
 
腰の痛い人、肘の痛い人、血圧の高い人、糖尿の人、肺の機能が十分でない人、お腹に手術の傷跡を持っている人、メタボの人、よくぞ過酷なテニス合宿をやりとげ、全員無事で帰宅したと感心しています。みなさん、早く怪我や体調を治してくださいね。このままでは近い将来、「あしがら湯治」旅行になってしまいますよ。
 最後に、當麻寛さん、本当にご苦労様でした。

2011年1月11日

 
なんやら、斉藤教授が、片瀬山テニスクラブのホームページを作ってくれるそうです。楽しみですね。変なことをしたら、全世界の人々の知るところとなってしまいますので、お気をつけて。今まで同様、上品さと、格調高さと、お生まれの良さがにじみ出るような雰囲気を保っていきましょう。例えば、審判に文句を言ったり、「ちくしょーめー」等のご発言はいかがなものかと・・・

続く