お別れのとき

お別れは、突然でした。

実家に帰省して、家族に面倒を見てもらっていたときに、
抱かれた腕から逃れようとして落ち、頚椎(けいつい)を骨折しました。即死でした。

私は支度をして 出かけようとしていました。
「ギャー」という声が聞こえ、
うーちゃを見た時には、息をしていませんでした。


何で!
元気だったのに、何で!


いきなり突きつけられたのは、
うーちゃが動いていない、という事実でした。


すぐに病院へ向かいました。

車の中で「ぶーちゃん、頑張れ!」と声をかけながら、
一生懸命 心臓マッサージをしました。
手足や耳、顔、お腹を、必至で温めました。

冷たくならないで欲しかった。
一秒でも長く、血が通って欲しかった。

感覚のどこかで、私のぬくもりを感じて欲しかった。
せめて、うーちゃの記憶の最後が、愛情であるように。


首が外れていることは、分かっていました。
病院に行っても、どうすることもできなかった。


 ただ愛しくて


何時間も、泣き続けました。
大声でわめきました。


元気だった姿が、頭から離れない。

うーちゃは、カーペットの部屋をダッシュしたり、家具の下を探索したり、
遠足に行った子供のように はしゃいでいました。

喜びながら、本当に笑顔になりながら、行ったり来たりしました。

それなのに ・ ・ ・ 。



私は、うーちゃをずっと抱っこしていました。
うーちゃも、私に体をあずけてくれた。

お願いだから、硬くならないで。
マッサージやストレッチを し続けました。

ただ可愛くて、眠っていることにして欲しかった。
熱がこもってしまったのか、うーちゃの首から背中にかけて、ものすごく熱くなっていました。


夜寝る時には、保冷剤を入れた箱にうーちゃを寝かせ、その箱を抱えて寝ました。
うーちゃが寂しくないように、寒すぎないように、
蓋は閉めず、時々手をぷにょぷにょ触ってやりました。



愛しくてたまらなかったので、写真も撮りました。
うーちゃはずっと、ふわふわ柔らかいままでした。
 

 
 
 空に昇って

翌日、移動式の火葬車を呼んで、庭で火葬をしてもらいました。
最後のお別れをした時には、お花のいい香りがしました。

火葬中は車の側で、透明な温かい空気が昇っていくのを眺めていました。
終わった後は、「頑張ったね。熱かったのに偉かったね。」と言ってあげました。


お骨からは、お腹の中の異物や、膿瘍らしき跡、抗生物質の色など、
色々な問題を抱えていたことが分かりました。

うーちゃは、確実に歳をとっていました。
健気なうーちゃは、そんなこと顔には出さなかったけど、
自分の体を使って(消耗して)、私たちを癒してくれたんだね。


 送り出してから

小さな骨壷を抱えて、自宅に戻りました。
ケージの中に入れたら、うーちゃがこっちを向いているように見えました。

うーちゃが、すぐ近くにいるような気がしました。
夜はケージをガンガンしてベッドを揺らしたような気がしました。

どんな小さな感覚も、繋ぎとめておきたかったのかも知れません。


一週間経ったある日、今日はうーちゃがいない、とはっきり感じました。

自分の身に起きたことが、ようやく理解できたのかな。
天国に行ったかも知れない。月に行ったのかな。
生まれ変わるように言ったので、お母さんうさぎのところに行ったのかも知れない。


 

 
 

耳をぱたぱたさせながら 走りよって来た姿が目に浮かびます。
うーちゃは愛嬌を振りまいて、一生懸命 生きてくれた。


私は、うーちゃに精一杯の愛情を注ぎました。
時間的に無理なことや、間違ったこともしたけど、
できるだけのことを してあげたよ。
うーちゃは、与えた以上の愛情を ちゃんと返してくれたね。

わがままを聞き、感情を理解してあげるうちに、
うーちゃは、どんどん自己主張が上手になっていったよ。

困ったこともいっぱいしたけど、それでも、とっても楽しかった。
毎日、可愛すぎた。



うーちゃ、ごめんね。

ありがとう。
また来てね。
待ってるからね。

 
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