魔獣行(後)
「ふあ〜あ!」
京一が思いきり伸びをして、起き上がると、目の前に麻莉菜がいた。
「おはよう、京一君」
「ま…麻莉菜!?」
「転がり込んできておいて、一番最後に起きるとはいい度胸だな」
台所の方から、悠の声がする。
「…?」
「今日ね、悠さんが朝食作ってくれたの。あたしもさっき、起きて…」
麻莉菜の言葉を聞きながら、京一は状況を思い出す。
(そっか…。昨日から、麻莉菜の家に転がり込んだんだったな)
昨日、麻莉菜と一緒に部屋にきた京一を見て、悠は渋い顔をした。
「こいつを泊める?本気ですか?」
「駄目?」
麻莉菜は悠の表情を見て、哀しそうな顔をした。
「…判りました…。ただし、ソファで寝る事。お嬢さんの部屋に入らない事。
それが条件です」
「京一君…それでいい?」
「ああ、構わないぜ」
(麻莉菜の側にいる為だ。それ位は我慢してやる)
「ごめんね、寝にくかったでしょう?」
「いや、そんな事ねぇよ」
「それならいいけど…」
麻莉菜の頭を軽く叩くと、京一は立ちあがった。
「仕度してくるから、先に食事してていいぜ」
「うん…」
「お嬢さん、食事が冷めますよ」
「は〜い」
振り向いて、悠に返事をすると、麻莉菜は京一の方をもう一度見た。
「待ってるからね」
「ああ」
それだけ言うと、京一は洗面所の方に歩いていった。
5分後、彼がキッチンに来た時、麻莉菜は料理に手をつけずに待っていた。
「食べてなかったのか?」
「うん…」
京一は、麻莉菜の隣の空いていた椅子に座った。
正面に座っていた悠が、怒ったような顔をしていた。
「まったく…」
「あんたも食べてなかったのか?」
京一は、悠の前に置かれた料理も手がつけられてないのを見て、そう聞いた。
「お嬢さんが、食べてないのに、食べる訳にはいかないだろう」
「先に食べてって、言ったんだけど…」
「俺が勝手にしているんです。お嬢さんは気になさらないで下さい」
済まなそうな表情を浮かべる麻莉菜を見て、悠はそう言った。
「ところで、今日は何時頃、お帰りになります?」
「あ…ちょっと、今日は遅くなるかもしれないから…。悠さんもゆっくりしていて。
東京見物でもして…」
「しかし…夕食は?」
「遅くなったら…皆で食べてくるかも知れないし…気にしないで…。あ、そうだ!」
麻莉菜は立ちあがるとリビングの戸棚から、何かを取ってくる。
「合鍵持ってて。これがあれば、悠さん、自由に出入りできるでしょう?」
(お…俺も持ってないのに…)
悠に渡された鍵を京一は眺めていた。
(そりゃ…俺は麻莉菜と一緒にいるから、鍵なんて必要ねぇかも知れないけどよ…)
放課後になって、アン子の話を聞いている時も、京一は上の空だった。
「京一くん、皆行っちゃうよ?」
麻莉菜の声で、我に返ったとき、仲間達はもう教室から出ていこうとしていた。
「へ?」
「池袋…行くでしょう?あ、それとも用事があるの?」
「いや、そんな事ないぜ」
彼は、座っていた机から下りると、歩き出した。
(やべ…。話、ほとんど聞いてなかった…。ま、向こうに行きゃ何とかなるだろう)
廊下に出た彼らは、待ち構えていた様に立っていたミサと出会った。
「うふふ〜みんな、おそろいで何処行くのォ〜」
「ミサちゃん。うん、池袋にこれから行くんだけど…。ミサちゃんも一緒に行く?」
「池袋…。止めておくわ…向こうは方角が悪いから〜。皆も気をつけてね〜。獣の暗示が
出てるの。死にたくなければ平常心を忘れないでね〜。あ、でも、麻莉菜ちゃんなら、
大丈夫〜」
「?」
良く意味の判らない言葉を残して、彼女は二階へと降りていってしまった。
「どう言う意味?」
「相変わらず、よく意味の判らない事を言っていたな」
残された彼らは、顔を見合わせた。
「これから、出かけるって時に不気味な事言いやがって。気にする必要もないだろう。
さっさと行こうぜ」
京一の言葉で、彼らは駅へと向かおうとした。
「あれ、霧島君」
校門の所で、ちょうどやってきた諸羽と出会う。
「もう、大丈夫なの?」
「はい、昨日、退院して…。後は通院だけでいいって岩山先生もおっしゃってくれて。
それで、皆さんにお礼を言いたいと思ったんですが…何処かに行かれるんですか?」
「ちょっと、池袋までな…」
「また、何か…」
「別に、たいした事じゃ…」
「何、カッコつけてんだよ。別に、言っても良いだろう?ボク達、これから、池袋の
騒ぎを調べに行くんだよ」
言葉を濁す京一の背中を思いきり叩くと、小蒔が目的を話し出す。
「池袋の騒ぎ…。もしかして人がいきなりおかしくなってしまう事件の事ですか?」
「うん、どうやら、帯脇の事件と関係してそうなんだよね」
「帯脇と!?それなら、僕も連れて行ってください。帯脇の事なら、僕にも関係あります。
お願いします。京一先輩、麻莉菜さん!」
その申し出に、彼らは少し戸惑う。
「それは…」
「いいじゃないか。霧島君だって、被害者なんだし。一緒に行ったって」
小蒔が再び、口を挟む。
「まぁ、しょうがないか。でも、自分の身は自分で護れよ。戦闘になったら、俺達に
そこまでの余裕はねぇからな」
「そう言ってて、危なくなったら真っ先に飛んでいくのが、京一なんだよね」
「お前、一言多いんだよ…馬鹿ばっかり言ってねぇで行くぞ」
京一は、麻莉菜の手を掴んで歩き出した。
「池袋って言っても広いよね。何処へ行ったらいいのかな?」
池袋の大きな繁華街を歩きながら、麻莉菜が周囲を見回した。
その時、彼女達の方に向かって、幼い子供が走ってきた。
「?」
「なんだ?迷子か?」
麻莉菜の前で立ち止まったその子供は、ギラギラした眼で彼女を見上げた。
「おかしいなぁ。どうしてお前達がいるんだ?ここは僕達の世界なのに。
まあいいや。お前達ももうすぐ僕のお腹の中に入るんだ。パパやママと同じ様にさ」
「お腹の中って…食べちゃったって事?」
小蒔の驚いた声に、子供は笑って身を翻して、走り去った。
「追っかけよう!絶対あの子何か知ってるわ」
麻莉菜の声に、彼らは走り出した。
少し外れた墓地に辿りついた彼女達は、周囲を見回した。
「いないね…」
「チッ!逃げ足の速い…」
京一が呟いた時、周囲に人影が複数現れた。
「何?」
『喰わせろ…』
『美味しいそうね…坊や達…私の彼とどっちが美味しいかしら…?』
「わぁ!こっちからも来たよ!」
「何なんだ!?こいつら!」
群がってくる人間達から逃げる術を見つけられずに、彼らは立ちすくんでいた。
「この人達、操られてるの?」
「普通の人間を殴るわけにもいかねぇし…」
麻莉菜を庇うように立ちながら、京一は木刀を握り締めた。
「みんな!こっちよ!!」
「!?」
その時、聞こえてきた声の方向に全員の視線が向く。
「天野さん!?」
「私が安全な場所まで案内するわ。急いで!」
その言葉に従うように、彼らは再び走り出した。
「ボク…もう駄目…」
10分以上走った所で、小蒔は息を切らして立ち止まった。
「僕も…」
「葵…大丈夫?」
「少し…足がもつれて…」
他の仲間も息を乱していた。
「それにしても…絵莉ちゃん、凄いな。息一つ乱さないなんて…」
「え…ええ。ジャーナリストは身体が資本ですもの。いつも鍛えてるのよ。
貴方はどう?緋月さん?大丈夫かしら?」
「ええ…」
絵莉の問いに頷きながら、麻莉菜は軽い違和感を覚えていた。
(なんだろう…何か…)
「それにしても間に合って良かったわ。あそこは彼らの聖地なのよ。足を踏み入れる
なんて、無謀もいい所だわ」
「天野さん?」
「どうしたの?いつもと違うよ…」
仲間達も絵莉に違和感を感じ始めていた。
「詳しい事を教えるから、ついてきて」
絵莉は近くにある廃屋を目指して、歩き出した。
「…行ってみよう。天野さん、何か教えてくれるつもりなのかもしれない」
麻莉菜は、先に立って歩き出した。
ガランとした廃屋の中に、絵莉以外に複数の気配が漂っていた。
「油断しないで…。何か、いる…」
麻莉菜は後ろにいる仲間達にそう呟きながら、絵莉をまっすぐ見つめた。
「天野さん、何があったんですか?」
「本音を隠して生きるよりも、正直に全ての欲望を適えた方が素晴らしいと思わない?
自分の好きなように生きる獣のようにね」
「それがどういう意味を持ってるか、判ってますか?」
「ええ、判ってるわ。でも、その方が素晴らしい世界になる…」
絵莉の口から発せられたのは、彼女の声ではなかった。
「天野さんの声じゃない!」
『もうお前達は逃げられない。俺の手からは決してな。歓迎するぜ。ようこそ獣の王国へ』
そこで、天野の身体は糸が切れたように崩れ落ちた。
「逃げるわ!」
絵莉の身体から、何かが抜けていくのを感じた麻莉菜は、そう叫んで走り出そうとした。
「麻莉菜!」
麻莉菜に向かって飛んできた何かに気づいて、とっさに京一がそれを弾き飛ばす。
「大丈夫か?」
「うん…」
隠れていた者達が姿を現わす。
「この人達…」
「操られてやがる…どいつもこいつもまともな眼をしてねぇ」
「できるだけ傷つけないで、意識がなくなれば、きっと元に戻る筈よ」
迫ってくる者達に身構えながら、麻莉菜が叫んだ。
「京一君、霧島君はあたしと一緒に。醍醐君は、葵と小蒔をガードして。
小蒔はできるだけ、足止めを。葵は状態強化をお願い!」
「諸羽、できるな!?」
「はい!」
麻莉菜の言葉に不敵な笑いを浮かべて、京一は霧島に確認する。
その言葉に、間髪いれずに彼は頷いた。
「よっしゃ!行くぜ!」
3人はほぼ同時に走り出して、切り込んでいった。
「うわぁ、凄い…」
目の前の光景を見ながら、小蒔が簡単したように言葉を漏らした。
「どうした?桜井」
「京一…よっぽど煮詰まってたのかな。また八つ当たりしてるよ」
「え?」
京一に接触した敵は、手加減なしに叩きのめされて倒されていた。
「いつもなら、もう少し手加減してるのに」
「状態強化…京一君には必要なかったかしら…」
葵も呆然として呟いた。
たいして時間もかからないうちに、敵は全員倒れていた。
「これで、全員だよな」
回りを見回して、京一が呟く。
「う…ん…」
その時、微かな呻き声を漏らして、絵莉が起きあがった。
「天野さん!」
「絵莉ちゃん、大丈夫か?どっかおかしな処ないか?」
「貴方達…ここは?」
麻莉菜達の姿を認めて、絵莉は驚いたように目を見開いた。
「なんで、私…こんな所に…」
「操られていたんです…。憑依師とか言う人に…」
「憑依師…!そうよ、私、彼に会いに行って…」
「教えてください、天野さん。その人のこと」
麻莉菜の問いに、彼女はその場にいる全員を見回した。
「いいわ、私が知ってる事を全部教えるわ」
「取り合えず、ここから出よう。気づかれたら、厄介だ」
倒れている人間が気づくのを気にして、醍醐がそう言った。
そして、彼らは廃屋から外に出て、近くの広場に移動する。
「憑依師の名前は、火怒呂 丑光。狗狸沼高校の三年生よ」
「高校生…」
「ええ、貴方達と同じ。それが、今度の事件の関係者…いいえ、首謀者と言っていいと
思うわ」
「一体…何の為に…」
「獣の王国を築くと言ってたけど…でも、そんな事が…」
天野がそう言った時、京一、小蒔、醍醐に異変が起こった。
「な…なんだ?」
「京一君…?どうしたの…?」
「判らねぇ…ただ、身体が…俺の身体が…」
突然、地面に蹲った京一に驚いて、麻莉菜が駆け寄った。
「ボクの身体も変だよ…!」
「小蒔!?」
小蒔や醍醐も同じように蹲ってしまう。
「同じだわ…。私が、身体を乗っ取られた時と…」
「そんな…。ねぇ、みんなしっかりして!」
絵莉の言葉を聞いた麻莉菜が、全員に呼びかける。
「もう、逃げられないって…。まさか、私達を闘わせるって意味だったの?」
「そんな…!いったいどうすれば…」
為す術もないまま彼らは、その場に立ち尽くした。
「ふああ〜、何や人が気持ち良う寝てんのに、頭の上で騒がんといてや」
その時、一人の少年が大きな欠伸をしながら現れた。
「え?」
「あ!貴方は、あの時、僕を助けてくれた!」
諸羽がその少年を見た途端に大声をあげた。
「ああ、あの時の少年やないか。治ったんか。良かったやないか。あの病院の事は、
じっちゃんに聞いとったんやけど、ほんまにあそこの先生はええ腕しとるんやな」
「本当にありがとうございました!」
諸羽は感謝の意を少年に伝える。
「こない感謝されると照れるわ。困った時はお互い様や。ん?後ろにおるんは病人か?
良かったら、わいが診たろうか?…!」
麻莉菜の背後にいる京一達を見て、そう言った少年の《気》が一瞬にして変わった。
「あんたら、ここで何しよったんや!?隠さんと言うてみい!」
「あ…あの…」
麻莉菜は、これまでの事を全て話した。
「話は判った。あんたらは少し退がっとき。これはわいの領分や」
少年はそれだけ言うと、京一達の前に歩み寄った。
「!?」
彼の口から不思議な詠唱が流れ、ゆっくりと京一達の《気》が元に戻っていく。
「みんな…?」
心配そうに彼らを見つめていた麻莉菜の声に、京一達が顔を上げる。
「大丈夫?」
「あ…ああ…」
「なんか凄く嫌な感じだったよ。まるで…自分が自分じゃなくなっていくようで…」
「良かった…みんなが元に戻って…」
「悪かったな。心配かけちまって」
麻莉菜が涙ぐむのを見て、京一は慌てた様に彼女を抱きしめた。
「泣くなよ、…な?」
「うん…ごめんなさい…」
零れそうな涙を拭いながら、麻莉菜はそう返事をした。
「また…世界作ってるよ…」
小蒔の言葉が聞こえた途端、麻莉菜は顔を真っ赤にして、京一から離れようとした。
「あら、ほのぼのしていて可愛いじゃない」
さすがと言うべきか、絵莉は動じる事無く微笑みながら、そう言った。
「大人だなぁ、天野さんは…」
「なんや。あの二人、ごっつう仲ええんやな…。わい、うらやましいわ」
その様子を見ていた少年は、心底羨ましそうに呟いた。
「そ…そういえば、お前…誰だよ?」
「あ、この人は…僕を助けてくれた人で…今も京一先輩達を助けてくれたんです。
えっと…そう言えば、お名前は…」
諸羽は、彼の名前を知らない事に気づいて、慌てたように振り向いた。
「わいは劉 弦月。中国生まれの中国人や。今年の春に、留学して来たんや」
「なんで、中国人が関西弁、話すんだよ」
「わいに日本語教えてくれたお人が、関西の出身でな。言葉を覚えるうちに
こうなってしもうたんや」
そう言って、劉と名乗るその少年は笑ってみせた。
「今度は、あんたらの番や。名前、教えてくれへんか?」
その問いに、答えて、彼らは名乗っていった。
「あんさんが、緋月 麻莉菜かいな。えらい可愛い姐さんやな」
麻莉菜の顔を覗きこんで、何か納得したように何度も頷く。
「てめぇ、麻莉菜の何を知ってる!?」
京一の問いに、劉はおどけて答える。
「いや、なんか可愛らしい姐さんやな〜思うてな。別に不埒な事、考えとる訳ちゃうで?
安心しい。この姐さんはあんさんの恋人やろ?それに、わい…年上の女って…どうもな…」
「信じられるか!このエセ関西人!大体、胡散臭すぎるんだよ!てめぇは!」
「ああ!?あんまりやわ。こんな正直なわいに向かって…。なぁ、麻莉菜はん。
麻莉菜はんはわかってくれるやろ?」
「う…うん」
劉の勢いに押されて、麻莉菜は思わず頷いた。
「なんか、むちゃくちゃ、テンション高いね…彼」
「こんな場面、前にも見たような気がするわ」
麻莉菜を巻きこんでの京一と劉の漫才もどきをみていた彼らは笑いだしていた。
しばらくして、劉は満足したのか、彼らの方に向き直った。
「ほな、行こか」
「え、行くって…どこへ?」
「この騒ぎの大元へや。わい、困ってる友達を見捨てられるほど、薄情ちゃうで。
それに、個人的に用事もあるんや」
「何時の間に友達になったんだ…?」
「細かい事は気にせんとき」
「でも、行くって言っても…どこにいるか…」
「なぁ、天野はん。この近くで怨念が一番渦巻いとるのは、どこや?」
「え?」
「怨念が一番集まりやすい所、そこが憑依師にとって一番都合のいい場所や。
そんな場所に心当たり、あらへんか?」
「…」
絵莉は少し考えて、答えを導き出した。
「戦争の戦犯が収監されて、処刑された場所がこの近くにあるの。もしかしたら…」
「そこや、間違いあらへん」
絵莉の言葉に、劉が頷いた。
「この近くで一番大きなビルの近くの公園…。そこが跡地だった筈よ」
「ありがとう、行ってみます。天野さん…」
礼を言った後、自分を見つめる麻莉菜に絵莉は微笑みかけた。
「判ってるわ、私はすぐにタクシーでも拾って、ここから出るわ」
「うん…今度はボクもその方がいいと思うよ…」
小蒔も辛そうにそう言った。
「また、貴方達の足を引っ張るようなことになったら、私は自分で自分が許せない…」
「そんな事…」
「安心して、もう二度とそんな真似はしないから。それより、貴方達も気をつけてね」
「ええ」
絵莉はそれだけ言って、その場を去っていった。
その姿を麻莉菜は辛そうに見送っていた。
「せっかく、協力してくれたのにね…」
「また協力してくれるさ」
「うん…」
麻莉菜の頭を撫ぜながら、京一がそう言った。
「その為にも、ふざけたヤローをぶっ飛ばしに行かねぇとな。そうだろう?」
「そうだね…」
麻莉菜は、その言葉に小さく頷いた。
「行こう…、みんな…」
「うん!」
その一言で、彼らは行動を開始する。
池袋の大通りを走っていた彼らは、通行人の多さに閉口していた。
「くそ、こっちは急いでるってのによ」
「あの道路を渡ればすぐだよ、急いで!」
信号が点滅し始めた道路を渡っていく仲間に続いて、麻莉菜が渡ろうとした時、
信号が赤に変わる。
「あ…」
「なんや、渡り損ねてもうたな。みんな、ごっつう足早いんやな」
同じように渡れなかった劉が、彼女の横でそう呟く。
「なぁ、麻莉菜はん…わい、以前、麻莉菜はんに会うた事あるんやで」
「え…?」
「麻莉菜はんは覚えとらんかも知れへんけどな。いつか、その頃の話、聞いてくれへんか?」
「うん、聞かせて。約束ね」
麻莉菜はその言葉に頷いた。
「なんか、そう言われると、わい、ごっつう嬉しいわ。やっぱり麻莉菜はんって、想像
しとった通りのお人なんやな。安心したわ。幸せそうやしな」
劉は少し照れたように、鼻の頭を擦った。
「おーい、早く来いよ。何してんだ!」
道路の向こう側で、京一が呼びかけてくる。
「ありゃ、何時の間にか、信号変わっとる。ほな、行こか」
二人は道路を走って渡り、仲間の元へ向かった。
「いつも、言ってるだろ。人ごみで手を離すなって」
京一に怒るような口調で言われて、麻莉菜はうなだれた。
「ごめんなさい…」
「あ…あのな。俺は怒ってるわけじゃなくて」
麻莉菜のその様子に、京一は焦ってそう言った。
「心配しとるんやったら、そう言うたら、ええやんか」
「あのなぁ、だいたい、てめぇは麻莉菜に馴れ馴れしくしすぎなんだよ!」
「なんや、わいに妬いとったんか?心配せんでも、ええって。わい、麻莉菜はんと
昔話しとっただけやから」
「昔話…だと?」
「せや、何か懐かしゅうてな。だから、心配せんでもええ」
「本当か?麻莉菜」
「うん、あたしは覚えてないんだけど…、劉君、あたしに会った事があるって…」
少し不思議そうに、麻莉菜が答える。
(何なんだ?こいつ…胡散臭ぇ野郎だな)
「麻莉菜、京一。あそこ…」
会話に割りこむように、小蒔が注意を促す。
彼女の示す方向には、先程と同じように一見つながりのなさそうな集団が集まっていた。
「さっきと同じだな」
「…ってぇ事は…」
京一は、一番奥にいる学生を見つめる。
「あいつが首謀者か」
「そうやろ。奥の方で、えばっとるし…。まぁ、ええ。わいも、あいつには用事が
あるさかいな」
劉は、背中に背負っていた青竜刀を引き抜いた。
(劉君…?)
突然、豹変した劉の気を感じとって、麻莉菜は戸惑う。
「麻莉菜!来る!」
「!」
小蒔の声に、麻莉菜は慌てて戦闘体勢をとる。
人数的には不利だったが、所詮、素人が麻莉菜達の相手になる筈もなく、すぐに残るのは
憑依師一人になった。
「く…もうすぐ、俺様の王国が出来るって言うのに、邪魔しやがって…」
「そないな事を吹きこんだんは、誰や。そいつは何処におる!?」
劉は、青龍刀を突きつけて、憑依師に迫る。
「言わんかい!」
殺気だった劉を、麻莉菜が押しとどめる。
「駄目よ!劉君!」
「麻…麻莉菜はん…」
「もうすぐ…この世は獣の国になる…。そう教えてくれた奴がいる。お前らは、全員…」
ぶつぶつと呟くその憑依師の身体は、いきなり彼らの目の前で砂の様に崩れ去った。
「!?」
「何!?」
突然の出来事に、彼らの動きが凍りつく。
「いったい…」
「嘘だろ…」
麻莉菜は、何かの気配を感じて、背後を振り向く。
「この気配…?」
「麻莉菜?」
「誰か…見てたような気がして…」
しかし、背後には誰もいなかった。
「気のせい…?」
「なんか、本当に良く判らない…結局、あいつも操られていただけなんだよね…」
しばらくたって、池袋の繁華街を歩きながら、小蒔が呟いた。
「なんか、こんなに人がいるのに…誰もあんな事があったってこと知らないのよね」
行き交う色々な種類の人々を見つめながら、葵が呟いた。
「わいの住んどった村は、こんなに人も多くのうて…便利でもあらへんかったけど…
なんかこの街にいる方が、寂しい気がすんのは…わいがおかしいんやろか?」
「そんな事ないよ…あたしだって、寂しかったもの…。こっちに出てきて、一人で街を
歩いてると…。周囲の人が自分と違って見えて…」
「いつから、こんな寂しい街になってしまったんだろうな。東京は…」
「だけどよ、これから変えていくことだって出来る筈だろう?諦めちまったら、先には
進めねぇよ」
沈みがちな彼らの思考を京一の言葉が遮った。
「あいつらの思い通りにはさせねぇ。だから、俺達は戦ってるんだろ?この東京を護る
為に。絶望するのはまだ早いと思うぜ」
「京一って、本当に単純だよね」
小蒔が呆れた様に言う。
「前向きと言えよ。暗くなっても仕方ねぇだろが!」
京一は彼女の頭を一つ叩くと、思いついたように言った。
「暴れたら、腹減ったな。ラーメンでも食べて帰ろうぜ。たまには別の場所ってのも
新鮮でいいだろう?」
「なら、わいがこの近くのうまい店に連れてったるわ」
「あ、いいな。たまには違うお店ってのも新鮮でいいよね」
劉の案内で訪れたラーメン屋で、しばらく話した後、彼らは店を出た。
「ほな、また何かあったら、連絡してや」
麻莉菜の手に連絡先のメモを押しつけて、劉は走っていってしまった。
「不思議な奴だな。一体何者だ?」
「判らないけど、悪い人じゃないよね。きっと…」
そんな話をしながら、彼らは新宿へと戻っていった。
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