餓 狼
「今度の標的は、こいつらだ。暗殺依頼が来ている」
薄暗い室内で数人の男達が集まっていた。
テーブルの上に、広げられた写真には数人の人間が写っていた。
「随分楽な仕事だな。こんな奴らが標的かよ。まぁ、女もいるし、久し振りに楽しませて
もらえそうだな」
「ヒヒッ…楽しみでごわす」
冷酷な笑いを浮かべる男と本当に嬉しそうに笑っている男の他に、写真を見つめる若者が
いた。
「高校生…。この件は館長はご存知なのですか?」
「…当然だ。私の言葉は館長の言葉だと思え。なるべく早く依頼を果たせ」
「判りました…」
表情を全く変えずに、その若者は頷いた。
(確か…あの標的の中の1人は、館長の知り合いだと思ったが…)
何か腑に落ちないものを感じながら、彼はその場を後にする。
「へぇ、あの人、帰ったんだ」
「うん、今朝…。そういえば、京一君、悠さんに何か言われてたけど…。何だったの?」
「麻莉菜を泣かせるなってさ。当り前の事を言いやがって…」
「もし、そんなことしたら、絶対に誰かが京一の暗殺を頼むよね。気をつけなよ」
「そんな事、ある訳ねぇだろうが!」
先程、杏子が言っていた暗殺集団の事を引っ張り出してきて、小蒔が京一をからかう。
そして、それをおろおろしながら麻莉菜が止める。
いつもと変わらない帰り道の筈だった。その日、藤咲 亜里沙が彼らを頼ってくるまでは…。
「あれ、亜里沙ちゃん」
「良かった…間に合って…」
いつも強気な彼女が、やけに弱々しく見える。
「どうかしたの?」
「お願い、エルを探すの手伝って…」
「エル?エルって…あの時、助けてくれた?」
「昨夜から姿が見えなくて…。心当たりは全部探したんだけど、もうどうしていいか…」
泣き出しそうな亜里沙を、麻莉菜は慰めようとした。
「亜里沙ちゃん、大丈夫。みんなで探そう?」
「ああ。だから、ここへ来たんだろう?」
「うん、探すなら人手が多い方がいいものね」
「あんた達…とんでもないお人よしか、馬鹿かどっちかだわね」
「どうして?亜里沙ちゃん、友達だもの。友達が困ってたら助けるのは当り前でしょう?」
麻莉菜が亜里沙を見上げる。
「亜里沙ちゃんが困ってるのに、どうして放っておけるの?」
「麻莉菜、ありがとう…」
「お礼なんていいのに」
少し戸惑ったような麻莉菜の言葉に、亜里沙は微笑んだ。
「じゃ、案内するからついてきて」
その一言で、彼らは墨田区へ移動した.
「ここらへんがエルの散歩コースなんだけど…」
「じゃ、この近くを探した方がいいよね…」
「手分けした方が良くねぇか?」
「そうだね、どうしよう…」
京一の言葉に、麻莉菜はすこし考えこんだ。
「…小蒔と醍醐君は、組んでもらって良いとして…京一君は、葵と亜里沙ちゃん…、
どっちと組む?」
メンバーの技の事を考えたであろう麻莉菜の言葉に、京一は少しだけ考えてから答えを
出す。
「…藤咲と行こう。その方が安心だろ?」
「うん、お願い…」
そう言った麻莉菜の頭を軽く撫ぜると、京一は安心させる様に笑った。
「1時間したら、一度集まろうぜ」
「そうだな、藤咲もそれでいいか?」
「勿論だよ、時間を決めた方がいいに決まってるもの」
京一と醍醐の言葉に、亜里沙は頷いた。
「じゃ、後でな」
そう言って、歩き出そうとした京一に不安を感じて、麻莉菜は咄嗟に袖を掴んだ。
「どうした?」
「あ…ううん」
自分でも理解できない行動に、麻莉菜は俯いてしまった。
「そんな顔すんなって。ちゃんと戻って来るから」
麻莉菜に再び笑いかけて、髪の毛をかき回す。
「それとも、妬いてくれてんのか?」
耳元で囁かれた言葉に、麻莉菜の顔は紅くなる。
「冗談だって。じゃ、後でな」
笑いながら、自分から離れていく京一の後姿を麻莉菜は見つめていた。
「俺達も行こう」
「ええ…麻莉菜?何か気になる事でもあるの?」
立ったまま、動かない麻莉菜に、葵が尋ねる。
「ううん…別に…」
その問いかけに、彼女は頭を横に振った。
(京一君が消えてしまいそうな気がするなんて…馬鹿げてるよね…)
不安を振り払って、麻莉菜は歩いていった。
「遅いね…、まだ探してるのかな」
約束の時間になっても、京一と亜里沙は姿を見せなかった。
「藤咲さん、かなり心配してたし…時間を忘れてるのかもね。携帯に電話してみたら?」
「かけたんだけど…つながらないの…」
麻莉菜が手に持った携帯を見つめながら、そう言った。
「あの二人だから、滅多な事はないと思うが…後30分待って、帰ってこなかったら
引き上げよう。緋月、それでいいな?」
「う…ん」
醍醐の言葉に、俯いたまま、麻莉菜は頷く。
「心配しなくても大丈夫だよ。明日になれば、平気な顔して出てくるって」
小蒔が、励ます様に彼女の背中を2,3回叩く。
その後、結局2人は現れず、彼らはその場を後にした。
翌日もその次の日も、彼らとは連絡がつかず、仲間達の間に少しずつ焦りの色が見える。
「変だよ…。いくらなんでも、もう4日目だよ」
「藤咲さんも家に帰っていないみたいだし…」
「何かに、巻き込まれたのかも知れないな…」
「でも、京一と藤咲さんだよ。あの2人が揃ってて…そこらへんの人間に負けるわけ…」
「麻莉菜…大丈夫?」
蒼褪めた顔で、黙って会話を聞いている麻莉菜に、葵が声をかける。
「うん…平気…」
「麻莉菜、ちゃんと寝てる?」
「うん、京一君が帰ってきた時、心配かけたくないから…」
自分を心配している仲間に、彼女は笑って見せる。
「まったく、あの馬鹿。ボク達をここまで心配させてさ。帰ってきたら、皆でお説教だよ」
「そうだな」
「そのうちにひょっこり帰ってくると思うけどね…。案外、それが怖くて戻ってこれない
んじゃない?」
「有り得るな」
小蒔は、いつも京一がしていたように、麻莉菜の頭を2、3回撫ぜる。
「…」
マンションに戻った麻莉菜は、一人床に座りこんでじっとしていた。
(どうして…)
仲間の前で、堪えていた涙が溢れて止まらない。
「なんで、戻ってきてくれないの…」
ずっと側にいると約束してくれた。
「…顔…見たいよ…」
あの太陽のような笑顔を見たくて、しょうがなかった。
そうして、当てもないまま、今日も新宿の街を京一の姿を探して、彼女は歩き続けていた。
夜明け前になって部屋に戻ってきた麻莉菜は、玄関に何かが落ちているのに気づいた。
(…?)
それを拾い上げた麻莉菜の動きと思考が凍りつく。
「これ…」
麻莉菜の手の中には、血に染まった携帯があった。
(これ…京一君の…)
『これがあれば、いつでも連絡がつけれるだろう?何かあったら、連絡してこいよ。
すぐ行くからさ』
そう言って、一緒に買ったのが夏。それが今、血に染まった状態で彼女の目の前にある。
(なんで…嘘よね…。こんなの…悪い夢を見てるのよね…)
目の前に突きつけられた現実が信じられなくて、麻莉菜は呆然と立ち尽くしていた。
「緋月、ちょっといいか?」
何とか、学校に辿りついた麻莉菜は、遅れてやってきた醍醐に呼び出されて、屋上に
上がった。
「今朝、俺の家のポストにこれが投げ込まれていた」
彼の言葉と共に目の前に差し出されたのは、一枚の手紙と一葉の写真。
その写真に写っている京一の上に、大きく赤で×印がつけられていた。
「こんな…悪い冗談よ…京一君が来ないから、誰かがふざけているのよ…」
麻莉菜は、醍醐に食って掛かった。
「俺だってそう思いたい。だが、これは現実なんだ。考えられる事は二つ。何者かと闘い
敗れた京一は、何もかも捨てて姿を消したか…。或いは…考えたくはないが…」
「嘘よ…。京一君は死んだりしないし…あたしを置いて行ったりしない!」
麻莉菜は何も聞きたくなくて、耳を塞いでしゃがみこんだ。
「緋月…、お前ら!」
そんな彼女を辛そうに見ていた醍醐は、微かな物音に顔を上げた。
「どうしてここに…」
階段へと続く扉の所に、葵と小蒔が立っていた。
「ごめんなさい…醍醐君の様子が変だったから…」
「ねぇ、嘘だよね?京一…死んだりしてないよね?」
小蒔の問いに、麻莉菜はゆっくりとした動きで立ちあがり、振り向いた。
「あ…」
(当り前…って言いたいのに…どうして声が…)
喉の奥に張り付いた様に、言葉が出て来ない。
「どうして、誰も何も言わないのさ…。ボク、信じない!絶対、信じないからね!」
パニックを起こしかけた小蒔は、屋上から走り去ってしまった。
「桜井…!」
醍醐もその後を追っていった。
「麻莉菜…」
残った葵が、心配そうに麻莉菜を見る。
「大丈夫?」
「うん…」
麻莉菜は、小さく頷いた。
「私達、何処かで甘く見てたのね。今、置かれてる現実を…。何があっても不思議じゃ
なかったのに…」
「大丈夫…京一君は、きっと帰ってくる…。あたしを…皆を残して…何処かへ行ったり
しない…」
自分に言い聞かせる様に、そう呟く麻莉菜の瞳から大粒の涙が零れ落ちる。
「や…やだな…、なんで…」
「麻莉菜…」
そっと頬に添えられた葵の手が涙で濡れる。
「我慢する事ないのよ。泣きたい時は、泣いていいの。でも、京一君が、麻莉菜を残して
何処かへ行ったりする筈はないのだから」
「葵…」
崩れ落ちそうな麻莉菜の身体を支えながら、葵はそう言った。
「私達は、京一君が帰ってくるのを信じて、で待っていましょう」
麻莉菜を抱きしめながら、彼女はそれだけを繰り返していた。
それから、しばらくして小蒔と醍醐が屋上に戻ってきた。
「ごめん…麻莉菜。麻莉菜の方が辛いのに…」
「ううん」
小蒔の小さな声に、麻莉菜は頭を横に振った。
「ボク達が信じなきゃいけないんだよね。京一の帰ってくる場所はここだものね。
麻莉菜がいる場所に、京一は必ず戻ってくる」
「そうだな。あいつなら、どんな事があっても戻ってくるだろう」
「私達は、ここで京一君が帰ってくるのを待ちましょう」
仲間達の言葉に、麻莉菜は眼を大きく開いて何度も頷いた。
その瞳から零れ落ちる涙を、彼女は慌てて拭った。
「それにしても、いったい誰がこんな事を…」
「ふざけてるよね、この文章も…」
放課後になって、生徒達が帰った教室に残って、4人は話し合っていた。
一緒に送られてきた文章に、小蒔が怒りを見せた。
「…」
「葵?どうしたの?」
何かを考えこんでいる葵に気づいて、麻莉菜が彼女を覗き込んだ。
「この…『刑に処する』って文章…いったいどう言う意味があるのかしら?」
「え?」
「まるで、判決を下すような…わざと書かない限り、普通の人はこんな書き方しないわ。
だから、何か意味があると思うの」
「俺達に、死刑を宣告したつもりなのかもしれないな」
「なんで!?…もしかして…アン子の言ってた暗殺集団?」
「その可能性もあるな」
「そんな…ボク達、何も悪い事してないよ!理由がないじゃない!」
「そうね、辻褄が合わないわ」
「だが、遠野に詳しい話を聞く必要があるかもしれないな。緋月、どう思う?」
「駄目…もし、それが本当だとしても…アン子ちゃんにまで、何かあったら…取り返しが
つかないよ」
「そうだね。アン子なら、すぐにでも調べてくれるけど…危険に巻きこめないものね」
醍醐の提案を、麻莉菜は即座に否定した。
「ここは素直に呼び出しに応じるしかないな。藤咲の事もある。俺達が行けば、少なく
とも、彼女の無事は保証されているからな」
「そうだね…そうするしかないよね」
彼らは、顔を見あわせて頷いた。
「取り合えず指定された時間まで、まだ間がある。一度、解散して後で集まろう」
一度帰宅するために、彼らは教室を出た。
校門の所で、絵莉と偶然出会う。
「天野さん?どうしたんですか?」
「ちょっとね。あなた達は、相変わらず元気…。あら、一人足りないけど、どうかした?」
「あ、京一はちょっと食べ過ぎで、休んでて…」
小蒔が咄嗟に言い訳をする。
「そうなの?お大事にって、伝えてね?ところで、アン子ちゃんって、今、何をしてるか
知ってる?」
「アン子ちゃん…ですか?」
「この間、私の事務所に来たんだけど…、すぐに今関わってる事から、手を引かせて
ちょうだい」
「え?」
「あの組織を取材しようなんて、絶対に駄目よ」
「暗殺集団の事…ですか?」
「ええ、聞いた時は心臓が止まるかと思ったわ。あの組織には、絶対に近づいては駄目よ」
「天野さん、その組織の事…教えてください…」
「麻莉菜!?」
「言ったでしょう?興味本位に近づいては駄目だって」
「興味じゃ、ありません…。あたし達…もしかしたら、その暗殺組織に狙われてるのかも
知れないんです」
「あなた達が、拳武館に?」
驚いたような絵莉に、麻莉菜は頷く。
「いったい…どうして?」
「判りません…だから、少しでも情報が欲しいんです」
「…判ったわ。私の知っている情報を提供するわ」
絵莉は、彼らに知っている限りの情報を話した。
「いい事?私の方で、調べてみるから、何か判るまで決して無茶はしないで。
それだけは約束して」
「はい…」
彼らは絵莉の言葉に頷いた。
「出来るだけ急ぐから、待っていて」
絵莉は、急ぎ足で去っていった。
その後姿を麻莉菜は見送っていた。
「嘘をついてしまったな…」
「ええ…でも、これで良かったのよ。巻きこまない為にも…」
「そうだな。予定通り、今夜俺達だけで行こう」
「うん、じゃ、今夜ね」
「ああ。後でな」
醍醐は、彼女達と別れて自宅へと帰っていった。
「麻莉菜の家に、行っていいかしら?一度帰ると、抜け出せなくなるかも知れないし…」
「あ、ボクも。遅く出かけると、親が心配するし」
「うん…構わない…」
葵と小蒔の頼みに、麻莉菜は頷いた。
「じゃ、買物して行きましょうか?」
「そうだね。お腹が空いてたら、いざって時に困るしね」
麻莉菜達は、買物をしてからマンションに戻った。
深夜、集まった4人は、指定された場所にやってきた。
「静かだな…」
「終電の行った後のホームって不気味だね…」
油断なく周囲を見回す彼らの耳に犬の鳴き声が聞えてくる。
「犬…?まさか」
「エル!?」
まっしぐらに走ってきたエルは、麻莉菜に飛びつく。
「エル、京一君や藤咲さんは…」
自分に飛びついて、尻尾を振り続けるエルに、麻莉菜が問いかけた時、別の方向から
呼びかける声が聞こえてくる。
「緋月 麻莉菜、醍醐 雄矢 桜井 小蒔、美里 葵。どうやら、逃げ出さずに来たようだね」
気配すら感じさせずに、近づいて来た青年から、少女達を庇うように醍醐が立ち塞がる。
「貴様…拳武館か!?」
「一介の学生がその真の意味を知っているのは、賞賛に値するよ。勿論『死』と言うね」
「京一君は、何処?」
壬生を睨みつけながら、麻莉菜が彼女にしては珍しく低い声で聞く。
「さぁ?僕は、彼がどうなったかは知らないよ」
その言葉に、麻莉菜の怒りが爆発した。
「許さない…!」
醍醐の背後にいた彼女は、ゆっくりと前に出る。
「京一君を返して!」
その一言が始まりの合図になった。
隠れていた学生達が、姿を現して襲いかかってくるが、麻莉菜達の相手にはならなかった。
乱戦を制した麻莉菜は、ゆっくりと歩き出した。
蹲ったままの青年に、最期の一撃を放とうとした麻莉菜の腕に、後方から飛んできた鞭が
絡みつく。
「駄目ッ!麻莉菜!!」
「亜里沙ちゃん…?」
信じられないものを見るように、麻莉菜が亜里沙を見つめる。
「こいつ…壬生はあたしを助けてくれたんだ。それに京一を手にかけたのは、
壬生じゃない!」
「!?」
『手にかけた』という言葉に、麻莉菜の動きが凍りついた。
「何故、そう言いきれる?僕もあいつらと変わらないかもしれないのに」
「違うさ。この藤咲亜里沙を見損なってもらっちゃ困るね。人を見る目は確かなつもり
だよ」
「だけど、こいつだって、拳武館なんだろう!?だったら…!」
鞭を握り締めたままの亜里沙に、小蒔がそう言い放つ。
「だから…それは…」
亜里沙が言葉に詰まらせた時、青年―壬生―は立ちあがった。
「僕は言い訳はしないよ。君達を殺す命令を受けてるのは確かだしね。殺したければ
そうすればいい」
「…」
「僕は…拳武館の壬生 紅葉は自分のした事から逃げるつもりはないからね」
そう言って、彼は麻莉菜の前に歩いていった。
「ククッ、ざまあねぇな。壬生。こんな女どもに倒されるなんてよ。何が拳武館一の
使い手だ」
また、別の声が聞こえて、抜き身の日本刀を持った男と太った男が現れる。
「八剣!武蔵山!」
「おまけに、標的を逃がそうとしやがったな?裏切り者には、死が待ってるだけだぜ」
その姿を見た亜里沙に怒りの表情が浮かぶ。
「こいつだよ!こいつが、京一を!」
「なんだと!?」
「そうさ、俺が蓬莱寺 京一を倒した八剣 右近様だ」
「…」
「すぐにあいつと同じ所に送ってやる。裏切り者の壬生も一緒にな」
「壬生が裏切り者?」
「すべては、館長と目障りな壬生を始末する為に、仕組まれた事でごわす」
「罠にはまったんだよ。お前は…」
嘲笑がホームに響き渡る。
「やっぱり、副館長の差し金か…その為に、何の罪もない人間を…」
壬生が忌々しそうに呟いた。
「じゃあ、ボク達の暗殺は、その為に…」
「いいや、何をしでかしたか知らないが、お前らの暗殺を依頼してきた奴がいるのは
本当だぜ。最優先は緋月 麻莉菜の暗殺だ」
「え…?あたしの…?」
(じゃあ…全部あたしのせいなの?皆が危険な目にあったのも…京一君が帰って来ないの
も…全部、あたしの…)
麻莉菜は、衝撃のあまりホームに膝まづいた。
「俺も驚いたでごわすよ。おかしな紅い学生服を着た…」
「武蔵山!依頼人の秘密は厳守だろうが!!」
「そ…そうだったでごわす」
口を滑らせかけた武蔵山に、八剣の怒声が飛ぶ。
「こんなうかつな人間を重要な任に着かせるとは…。副館長の無能ぶりが良く判るよ」
壬生が、薄く笑う。
「とりあえず、任務を優先させてもらうぜ。お前達を仕留めれば、大金が手に入るんでな。
悪く思うな」
八剣が刀を構えた。
「麻莉菜!」
(もういいや…京一君が帰ってこないならどうなっても…)
「麻莉菜!立って!!お願い、しっかりして!」
動こうとしない麻莉菜に、仲間達が叫ぶ。
「死にな!」
葵がとっさに麻莉菜をかばうように覆い被さった。
八剣の兇刃が振り下ろされようとした時、壬生が剄を使って刃を防ぐ。
「壬生…てめぇ…」
「館長の意向に背いたこの依頼、果たさせるわけにはいかない」
「そうかい、じゃあてめぇから死にな!」
鮮血が辺り一面に飛び散る。
「壬生!」
亜里沙の悲鳴が響く。
「僕は君達を護る。それが館長への義であり、失うべきではなかった命を奪ってしまった
僕の償いだ」
(止めて…京一君は死んだりしてない。生きてるんだから、そんな事、言わないで!)
麻莉菜は耳を塞ぐ。
「あんた…馬鹿だよ。まるで、京一がもう一人いるみたいじゃないか…」
亜里沙はそこまで言って、唇を噛み締める。
「僕も君達の馬鹿な仲間に会ってみたかったよ」
「馴れ合いは、そこまでにしな!」
再び、振り下ろされた八剣の刃が、蹲ったままの麻莉菜と庇おうとした葵、そして、腕を
押さえながら、彼を睨んでいる壬生に襲いかかろうとした。
その場にいた誰もが次の瞬間の惨劇から眼を背けようとした時、別の気がその場に溢れた。
「これは…」
「京一!?」
その気を感じた全員が振り向く中、八剣は驚愕の表情を浮かべて正面を見つめていた。
「てめぇ、俺の剄をくらって、くたばった筈じゃ…」
「へっ。殺し屋のくせに、とどめをささないなんて、間抜けもいいところだぜ」
京一が歩いてくるのを見た葵が、麻莉菜の肩を揺すった。
「麻莉菜!京一君よ。戻って来たのよ」
「え…?」
「よぉ、麻莉菜」
蹲ったまま、自分を見つめる麻莉菜に、京一は手を差し出しながらいつもの様に笑った。
「本当に…?」
その姿を認めた彼女の瞳から涙が零れて落ちる。
「心配させて悪かったな」
少し照れ臭そうにしながら、麻莉菜を立たせて抱きしめる。
「さてと…俺の麻莉菜を泣かせる原因を作ったんだ。きっちり落とし前はつけさせて
貰うぜ」
持っていた木刀を八剣に突き付けながら、京一はそう言い放つ。
「うるせぇ!これから俺様の世界が来るって言うのに、邪魔されてたまるか!」
八剣が、刀を振り上げる。
「往生際が悪いぞ。拳武館の名を何処まで貶めるつもりだ!?」
壬生の言葉が、ますます八剣を逆上させる。
「お前達を始末すれば、それで済むじゃねぇか!」
「覚悟するでごわすよ」
八剣と武蔵山の言葉に、京一の表情が変わる。
「馬鹿が…」
闘いが決した後、倒れ伏していたのは八剣達だった。
「覚悟するのは、そっちだったみたいだな」
「く…」
倒れたままの八剣の眼は、まだ危険な光りを宿していた。
「いい加減に諦めたら、どうだ?もう逃げ場所はない」
「いい子ぶるのもいいかげんにしやがれ。お前達だって、所詮は俺と同じさ。
何の為に、拳を剣を振るう?殺したいからだろうが、自分の《力》を誇示したいから
だろうが!」
「下衆が…。俺達をお前と一緒にするなよ」
「所詮、綺麗事を並べたって、お前達と俺とは変わりはしねぇ。よく覚えてくんだな。
これから訪れる修羅の世界で会う事を楽しみにしていてやるさ」
それだけを叫ぶと、八剣はその場を逃げ出した。
「あっ!」
「待て!」
「放っておいていい。一度拳武を名乗った以上、裏切りは許されない。どこへも逃げる事
はできはしない」
「…」
壬生の言葉に、追いかけようとしていた京一の動きが止まる。
「それより、早くここを離れた方がいい」
「ああ、そうだな。もうすぐ、始発の時間になる」
醍醐が時計を見上げて、壬生の言葉を肯定する。
駅から少し離れた場所で、彼らは立ち止まった。
「身内のごたごたに巻き込んで、済まなかった。拳武館を代表して、謝るよ」
壬生は彼らに向かって、頭を下げた。
「これから、もし僕に手伝える事があったら、言って欲しい。出来る限りの事は
するよ。せめてもの詫びだと思って欲しい」
「お詫びなんて…いいのに…。助けてくれたし…」
京一の横に立った麻莉菜がそう言った。
「それでは僕の気が済まないし…館長もお許しにならないだろう」
「…償いなんて堅苦しく考える必要ねぇだろうが。そんなものを間に挟むから、
ややこしくなるんだ。一言言ってみればいいじゃねぇか。『仲間にして欲しい』って」
言葉が短い麻莉菜と壬生に京一が、見かねてそう言った。
「それは…仲間になってくれたら…嬉しいけど…」
「君達が許してくれるなら」
「許すも許さないも、ないよ。壬生が仲間になってくれるなら、心強いよ」
亜里沙の言葉に、壬生は少しだけ驚いた表情を浮かべて、すぐに元の表情に戻る。
「判った。もし何かあったら呼んでくれ。可能な限り駆けつけるよ」
それだけ言い残して、彼は歩き出した。
「もう行っちゃうの?」
「今回の事を一刻も早く館長に報告しなければいけないからね」
「そうか…」
「あ…あの壬生君…ありがとう」
麻莉菜がその後姿に向かってそう言った。
「さってと、帰ろうぜ。ラーメンでも食べに行くか?」
「勿論、京一の奢りだよね?みんなに散々心配かけたんだからね」
「あ、いいな。それ、京一の奢りならあたしも付き合おうかな」
「てめぇら…まぁ、しょうがねぇか…心配かけたみてぇだし…」
「お説教は後回しにしてあげるから」
彼らは、新宿に帰っていった。
「あたし…悪いけど…帰るね。少し休みたいから…」
新宿に戻って駅を出た時、麻莉菜がそう言った。
「麻莉菜?」
「疲れちゃったし、ごめんね…」
「送っていこうか?」
「近いから、大丈夫…。京一君はみんなとラーメン食べてきて。後で、学校でね」
「あ…ああ」
麻莉菜は仲間から離れて、一人帰っていった。
マンションに帰りついた彼女は、床に座りこんでいた。
(夢…見てるのかなぁ…。寝て、起きたら…やっぱり京一君、いなかったらどうしよう…)
ぼんやりとしながら、彼女はそんな事を考えていた。
起こった事が現実なのか夢なのか、区別がつかないまま、時間が過ぎていき、朝を迎えた。
(学校…行かなきゃ…)
時計を見上げた麻莉菜は鞄を持って、立ちあがった。
最初はゆっくりと学校に向かって歩いていた麻莉菜の歩くスピードはだんだん速くなり、
学校につく頃は走っていた。
「緋月、廊下は走るなと…」
廊下ですれ違った犬神の言葉も聞えない様に、その横を走り抜けていった。
その後姿を見ながら、知らず知らずに、犬神は苦笑していた。
(まぁ、仕方ないか…)
教室に飛びこんだ麻莉菜は、室内を見回す。
(やっぱり…夢…)
京一の姿は、そこにはなく、麻莉菜は失望しながら席につこうとした。
「よぉ、麻莉菜。早いな」
背後から聞こえた声に、麻莉菜はゆっくりと振り向く。
「京一…君?」
「ちゃんと休めたか…って…いきなり、何、泣いてんだよ!?」
いきなり涙を零した麻莉菜に、京一は驚いた様に彼女を見つめた。
「夢じゃ…なかった…良かった…京一君、いるよね…」
「いるから、落ちつけ…な?」
泣き止まない麻莉菜を他の生徒から隠す様に、抱きしめる。
「良かった…」
「おい、麻莉菜!?」
一言だけ呟いて、麻莉菜が腕の中から力なく崩れ落ちそうになるのを慌てて支える。
麻莉菜は安心しきったような表情を浮かべて、眠っていた。
静かな寝息を立てながら、眠りつづける彼女は京一の制服の袖をしっかりと握り締めて
いた。
「寝不足と栄養不足だね」
最初保健室に運んだが、担当医がいなかったため、麻莉菜を桜ケ丘に連れてきた京一達に
診察を終えた岩山がそう言った。
「寝不足…」
「おそらくここ数日、一睡もしていなければ食事もろくに摂っていなかったのだろう。
栄養のあるものをちゃんと摂って、ゆっくり眠れば、それで元通りに元気になるさ」
ぎしぎしと鳴る椅子に座りながら、彼女は言葉を続ける。
「まったく、無茶な娘だよ。一睡もせずに繁華街を歩き回ってたらしい」
「え?」
「見た人間がいるんだよ。制服のまま、毎日歩き回っていたからかなり目立ったんだろう」
「そう言えば…ここ2,3日顔色が悪かったから…心配してたんだけど…」
「ずっと、京一を探してたんだろうね…」
診察台に横になって、眠り続ける麻莉菜を見ながら、葵と小蒔は溜息をついた。
「とりあえず連れ帰って、休ませろ。これから診察が始まるんだ。何かあったら
また連絡してくるんだね」
「ああ」
麻莉菜の側にいた京一が、彼女を抱き上げる。
「これからどうする?」
「どうって…そんなの決まってるだろう。責任とりなよ。京一」
「食事の準備はしておいたから、眼を覚ましたら食べさせて」
「俺達は、学校に戻るが…お前はその状態では無理だろう」
麻莉菜の手は、まだ京一の制服を握ったままだった。
「無理に引き剥がすと、起こしてしまうかもしれないし…。京一君…悪いけど、お願いね」
「ああ…」
ベッドの横の椅子に座っていた京一は、全員の言葉に頷いた。
「先生方には、上手く言っておいてあげるからさ」
小蒔は、彼の肩を叩いてそう言った。
「後でまた様子を見に来るわね」
「じゃあ、後でな」
彼らが帰っていくのを見送りながら、麻莉菜の頬にそっと触れる。
(ごめんな。やっぱり昨日送ってくべきだった…)
涙の後が残る頬を指でなぞりながら、気づかれない様に溜息をつく。
「心配かけちまったしな…。判ってた筈なのにな…」
麻莉菜の眠れる状況に自分が必要だと言うことは、判っていたのに、行方をくらまして、
手を離した。
「もう、何があっても手を離しゃしないからな」
眠り続ける麻莉菜を見つめながら、小さく呟いた。
「麻莉菜が俺の事、必要じゃないって言うまで、絶対に離しはしないから…」
自分の袖を握り締めている逆の手を掴むと、その甲に軽く口づける。
(誓うからな)
そして、眠り続ける彼女をずっと見つめ続けていた。
彼女の瞼が開き、自分に向かって微笑んだその時まで…。
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