封 土
暗く灯っていた『手術中』のランプが消えると同時に、大きな扉が開いた。
「!」
「岩山先生、麻莉菜は!?」
「手術は成功だ。だが、意識が戻らなければ…」
「そんな…」
辛い宣告を受けている仲間達の横をストレッチャーに乗せられた麻莉菜が運ばれていく。
「何でや!何であの時、気づかなかったんや。あいつの気配に!」
劉が荒々しく、壁を殴りつけた。
「劉君…」
「付き添っていてもかまいませんか?」
「ああ、それはかまわんが…」
その場には連絡のついた仲間が全員集まってきていた。
「他の患者もいるのだから、騒ぎを起こすなよ」
「はい」
岩山の許可が出て、彼らは病室の方に移動した。
「わいが一番に気づかなあかんかったのに…奴の気配は判っとったはずやのに…。緋月はんを
こないな目にあわせてもうて…」
劉の悔恨の言葉はまだ続いていた。
「お前のせいじゃねぇよ、自分を責めるんじゃねぇ。そんな事、麻莉菜は望んでねぇよ」
京一はそう言うと木刀を持ってその場から歩き始めた。
「京一!?何処行くのさ!」
「俺が側にいたら、麻莉菜が眼を覚まさねぇかも知れないだろうが!」
「…」
それだけ言い残して、彼は姿を消してしまった。
「何、考えてんだよ。京一は!」
「…一番、心配して、自分を責めてるのは京一君だと思うわ」
ベッドの横に座っていた葵が、小蒔を宥める様に呟いた。
「だからって、麻莉菜がどうなるかわからない時に…側にいないでどうするんだよ!」
「大丈夫だよ〜、麻莉菜ちゃんには、お父さんとお母さんがついてるから」
「え?」
「さっきから、ずっと心配そうに麻莉菜ちゃんを見てるよ」
高見沢が誰もいないはずの場所を見ながら、そう言った。
「先生が言ってた。麻莉菜ちゃんの怪我、もっと酷くても不思議じゃなかったって。きっと
お父さんとお母さんが護ってくれてたんだね〜」
何でもないことのように、高見沢は話していた。
「くそ!」
病院を出た京一は、思いきり側にあった壁を殴りつけた。
(なんで、麻莉菜を護れなかったんだ…。どうして俺は…!)
どうしても頭から離れない一つのイメージ…血溜まりの中に倒れ伏している麻莉菜の姿が、何度
振り払っても浮かんでくる。
「護るって、誓ったんだ。なのに、どうして…」
何度、拳を叩きつけても痛みは感じず、その代りに心が痛んだ。
(いっそ、あの野郎を探し出して…)
敵わないかも知れないが、一太刀だけでも浴びせる事が出来たら…。
そこまで考えた時、麻莉菜の声が耳に蘇る。
『駄目…一人で行っちゃ駄目…』
自分の足を弱々しい力で掴んでいた麻莉菜の手の感触を思い出して、足を止める。
(麻莉菜…)
「一人で行く訳にはいかねぇな。俺が死んだりしたら、あいつの背中を誰が護るんだ…」
何も終ってないのに、放り出すような真似をする訳にはいかない。
「今度こそ、護ってみせる…。二度とあんな眼にはあわせねぇ」
(今まで、一緒に闘ってきたんだ。最後まで一緒じゃないとな)
彼は、夜道をゆっくりと歩き出した。
麻莉菜が意識を取り戻したのは、それから数日後だった。
「麻莉菜、気がついた?」
「葵?小蒔も…ここ何処?」
「桜ケ丘よ。麻莉菜、斬られて…覚えてない?」
「斬られた…?」
「ボク、皆に連絡してくるよ!」
小蒔は、病室を飛び出していった。
「でも、良かったわ。気がついて」
葵の言葉に、麻莉菜は少し不思議そうな表情を浮かべた。
「葵…みんなは?」
「もうすぐ、来るわ」
「そう…」
「皆が来るまで、時間があるからもう少し休んでる?」
「ううん…起きてる」
「麻莉菜?どうかした?」
少し、表情の硬い麻莉菜を気遣って、葵はそう聞いた。
「何でもない…」
麻莉菜は、窓の外を見つめながら、そう答える。
「岩山先生を呼んでくるから、待っててね」
「うん…」
葵が静かに出ていくのを、彼女は背を向けたまま聞いていた。
「麻莉菜!大丈夫か!?」
一番先に駆けつけてきたのは、京一だった。
「騒々しいよ。京一!」
診察を終えた岩山に注意されて、彼は慌てて口を押さえた。
「後は傷さえ塞がれば大丈夫だ。もう心配はいらないよ」
「そっか…良かった」
麻莉菜の側に近寄りながら、京一はそう言った。
「京一君、あたし斬られたって…誰に?」
「麻莉菜?」
突然の問いに京一は戸惑った。
「長い夢を見てたみたいでよく覚えてないの。別の世界にいたみたいで…」
「記憶が混乱してるんだろう。少し休めば治るよ」
心配そうに振り向いた京一に、岩山はそう言った。
「眼が醒めたばかりなんだから、あまり疲れさせるんじゃないよ」
それだけを言い残して、岩山は病室を出ていった。
残された京一は、麻莉菜の方に腕を伸ばして、彼女を抱き締めた。
「京一君…?」
「良かった…お前、ちゃんといるんだな…」
肩越しで呟かれる言葉に、彼女は小さく頷いた。
「ごめんなさい…」
「謝るな!麻莉菜をこんな眼にあわせて、謝らなきゃいけねぇのは俺の方なんだから!」
「…違うよ…。きっと、京一君が謝らなきゃいけない事なんて、何もないよ…」
京一の腕の中に抱き締められながら、麻莉菜ははっきりと言った。
「皆に心配かけた事…謝らないと…」
「怪我してるのに、そんな気を使うなよ!」
京一のその叫びに、麻莉菜は少し眼を開いて、それから笑って見せた。
「大丈夫だから、あたし…心配しないで」
その笑みに、京一は言おうとしていた言葉を失った。
「それより、京一君…、あたしはどのくらい眠ってた?」
「え?ああ、5日間だ」
「そんなに?あの子…大丈夫かな?」
「ああ、俺が責任持ってみてるから、大丈夫だぜ」
「ごめんなさい、迷惑だったでしょう?」
「謝るなって。麻莉菜の部屋に転がり込んだのは俺なんだから。それ位の事は、俺にだってできる
んだから」
「京一君、ずっと部屋にいてくれたの?食事は?」
「心配するなって、大丈夫だから」
彼女を安心させる様に笑いかけると、京一は壁にかかっている時計を見上げた。
「用事があるから、帰るな。何か必要なものあるか?」
「ううん…大丈夫」
「そっか、また明日来るからな」
「うん、待ってる…」
小さく頷いた麻莉菜の髪の毛を少しかき回してから、京一は病室から出ていった。
残された麻莉菜が、ベッドに横になった後、辛そうな表情を浮かべて窓の外を見つめていた事は、
誰も知る事はなかった。
それから5日後の朝。退院の許可が出た麻莉菜の元を訪れた京一は、彼女と夕方会う約束を
とりつけた。
その一部を見ていた舞子の知らせでやってきた亜里沙に連れられて、麻莉菜は普段近寄らない店に
やってきた。
「亜里沙ちゃん…このお店って…」
「心配しなくても大丈夫よ。この亜里沙さんに任せなさいって」
自信たっぷりにそう言うと亜里沙は服を選び始めた。
「いつも思うんだけど、麻莉菜は飾りがいがあるから楽しいわ」
その様子は本当に楽しそうで、麻莉菜は口を出す事が出来なかった。
「せっかくのデートなんだから、おしゃれしないとね」
そう言って選んだ服をレジに持っていって、支払いを済ます。
「じゃ、行きましょうか」
亜里沙は微笑むと、麻莉菜のマンションに向かった。
「先にシャワー浴びてきなさいよ。準備しておくから」
麻莉菜をバスルームに追いやってから、亜里沙は袋の中から服やこまごましたものを取り出す。
「亜里沙ちゃん…」
「あ、出た?。見てなさい。あの男が惚れ直すくらい、可愛くしてあげるから」
麻莉菜に服を着せると、首にケープを巻く。
「素材がいいから、楽しいのよね」
取り出した化粧品のどれにしようか選びながら、亜里沙は笑っていた。
「亜里沙ちゃん…お化粧…しなきゃ駄目?」
「当り前でしょう。たまには化粧したっていいの」
「だって…した事ないから…」
麻莉菜は不安そうに呟いた。
「大丈夫だって。そんな不安そうにしないの」
そう言うと、彼女は麻莉菜に化粧をし始めた。
「ほら、出来た」
ケープを外しながら、亜里沙がそう言ったのは10分後。
「やっぱり、化粧したら映えるわね」
彼女は凄く満足そうに麻莉菜を見つめた。
「あの馬鹿には、本当に勿体無いわね」
光沢のある紅いワンピースを着た麻莉菜は、落ち着かない様子で亜里沙を見つめ返す。
「大丈夫だって。あの馬鹿、絶対惚れ直すから、自信持ちなさいって。」
「麻莉菜ちゃん、そろそろ時間だよ〜」
時計を見上げた舞子の言葉で、亜里沙は麻莉菜の肩を軽く叩いた。
「さ、頑張っておいで。後でゆっくり話を聞かせてもらうから」
「亜里沙ちゃん…」
待ち合わせに指定された場所まで、3人はゆっくりと歩いていった。
「じゃあね、麻莉菜」
「いいクリスマスをね〜」
亜里沙と舞子が歩いていくのを、不安そうに麻莉菜は見ていた。
待ち合わせの場所で、彼女は目の前を通りすぎていく人を見つめていた。
「麻莉菜!」
走ってきたらしい京一の声に、麻莉菜は慌てて振り向いた。
「悪ぃ、待ったか?」
「ううん、さっき来た所だから…」
麻莉菜の姿を見た京一は、驚いたように立ち止まった。
「麻莉菜、その格好…」
「あ…あの…亜里沙ちゃんが洋服選んでくれて…お化粧も…。似合わない?」
「あ、いや。凄ぇ似合ってる…」
「本当…?」
「嘘なんか言わねぇって。凄く綺麗だぜ」
京一はそう言うと、少し照れながら麻莉菜の肩に手を回した。
「メシ食いに行こうぜ。ラーメン以外の物をさ」
彼女を抱き締めたまま、京一は歩き始めた。
ある一軒のレストランの前で、彼は立ち止まった。
「京一君、このお店…」
「この店、料理が上手いって聞いたんだぜ」
「でも、高そうだよ…」
「心配するなって、知り合いの店でバイトしてて懐暖かいからな」
心配そうな麻莉菜の手を握ったまま、京一は店内に入っていった。
席に案内されて、注文してからも麻莉菜は落ちつかない様子だった。
「大丈夫だって。そんなに不安そうな顔すんなよ」
向かいの席に座った京一の笑顔に、麻莉菜は少し落ちつきを取り戻した。
「せっかくのクリスマスなんだし、楽しもうぜ?」
「うん…」
食事が運ばれてきて、二人はゆっくりと食事をしていた。
「美味しかった。ありがとう。京一君」
店を出た麻莉菜は素直な気持ちを京一に告げる。
「それより、もう1ヶ所付き合って欲しい所あるんだけどよ、大丈夫か?」
「うん、平気」
自分の身体を気遣う京一に、彼女は微笑んで頷く。
人込みの間を抜けて、京一はふと思い出した様に立ち止まった。
「ちょっと、ここで待っててくれないか?すぐ、戻って来るから」
「うん」
麻莉菜を壁際に立たせると、京一は何処かへ走って行った。
「…」
一人残された麻莉菜は、行き交う人々を眺めていた。
ぼんやりとしていた麻莉菜の耳に何人かの人間が走ってくる足音が入ってきた。
「?」
足音の聞えた方を見ると、一人の少女が麻莉菜の方に走ってきた。
「助けて!」
「?あ…あの?」
彼女の背後に隠れた少女を捕まえるように、チンピラ達が二人を取り囲む。
「もう、逃げられないぜ。観念しな」
「おかしな《力》使いやがって」
「《力》?」
その言葉に、麻莉菜は自分の背後の少女を見た。
「なんだ?この小娘」
「一緒に可愛がってやろうぜ」
麻莉菜達の腕を掴んで、チンピラ達は路地裏に入っていった。
「…」
「助けて…お願い…」
涙ながらに哀願する少女と対照的に、麻莉菜はチンピラ達を睨みつける様に見つめていた。
「なんだ?その眼は」
「男に対する礼儀って奴を教えてやるよ」
その一言が麻莉菜の怒りに火をつけた。
「礼儀知らずはそっちでしょう!」
彼女の手加減無しの攻撃に、5分と立たないうちに、彼らは地面に倒れ伏していた。
「なんだ、こいつの《力》は…」
「こいつも化け物だ!」
「に…逃げろ!」
蜘蛛の子を散らす様にチンピラ達は逃げていってしまった。
「…」
「あ…ありがとうございました」
背後で震えていた少女は、少し落ちついたのか、麻莉菜に向かって声をかけてくる。
「私、六道世羅って言います。あの、あなたはひょっとして真神の緋月…麻莉菜さん?」
「そうですけど…どうして、あたしの名前…」
「私と同じ《力》を持つ人だって聞いて…」
「誰が…そんな事…」
考えられない事を言われて、麻莉菜は少女を見つめた。
「名前は聞かなかったんですけど…新宿の何処かの高校に通ってるって言ってました。
紅い学生服を着て…」
「紅い学生服…?」
「あ、私もう行かないと…。あのその人にお礼を言っておいてくださいね」
「あ、待って…!」
麻莉菜の声が聞こえなかったのか、世羅は姿を消してしまった。
(紅い学生服って…そんなまさか…)
麻莉菜は、脳裏に浮かんだ考えを振り払った。
「あ…!」
呆然として、その場に立っていた彼女は、自分が何をしていたかを思い出して、回りを見回した。
(どうしよう…京一君にじっとしてろって言われてたのに…)
慌てて、元の場所に戻ろうとした麻莉菜に、近づいて来た影があった。
「…!」
「麻莉菜…頼むから、急にいなくならないでくれ…。心臓に悪いから…」
息を切らせて近づいて来たのは、京一だった。
「ご…ごめんなさい…」
自分の肩に手をかけて息を切らしている京一に、彼女は慌てて謝った。
「一体、何があったんだよ」
広い通りに出て、少し息が整ってきた京一は、麻莉菜にそう聞いた。
その問いに、麻莉菜はさっきの出来事を話した、ある部分を除いて…。
「へぇ、《力》を持った子か。仲間になってくれりゃいいけどな」
「うん…」
(心配させたら、悪いし…。紅い学生服の人の事…話さなくてもいいよね…)
「それよりもう1ヶ所付き合ってくれよ」
「何処へ行くの?」
「すぐ、近くだよ」
京一は麻莉菜の手を握って歩き出す。
西口の雑踏を抜けて、高層ビル街に近づいた頃、京一は立ち止まった。
「ほら、麻莉菜。ついたぜ」
京一が指差す方には、色とりどりの光で飾り付けられたツリーがあった。
「わぁ、こんな大きなツリー、見るの初めて…」
「麻莉菜と一緒に見たくてな。一緒に迎える初めてのクリスマスだしな」
「こんな綺麗なツリーが見れるなんて、夢みたい…。ありがとう、京一君」
しばらく二人はツリーを見上げて、色々な話をしていた。
やがて、粉雪が舞い始めて、京一は自分の着ていたコートで包む様に麻莉菜を背中から抱きしめる。
「寒くないか?」
「平気…」
「あのな、麻莉菜。渡したい物があるんだけどよ」
「なぁに?」
京一はコートのポケットの中から、小さな箱を掴んで、麻莉菜に手渡した。
「開けてみてくれよ…」
いわれるままに包装を解いた麻莉菜は、中から現れた青いビロードのケースを見て
驚いたように京一を見上げる。
「京一君…これ…」
「いいから、開けてくれよ」
ビロードのケースを開けた麻莉菜は、中に収まっていた指輪を見て、泣きそうな表情を浮かべた。
「一応…クリスマスプレゼントって奴だから」
「こ…こんな高い物、貰えないよ…」
「いいって!バイトして買ったんだ。受け取ってもらえなかったら、俺が困る」
そう言って、京一は指輪をケースから取り出すと、麻莉菜の指にはめる。
「麻莉菜に似合いそうだと思って買ったんだぜ?」
「でも、こんな高い物…」
麻莉菜は俯いてしまった。
「いいんだよ。俺がプレゼントしたくて買ったんだ。麻莉菜が気にする必要ねぇよ」
「…じゃ、今度は京一君の欲しい物をプレゼントするね。じゃないと受け取れないし…」
麻莉菜は、本当にすまなそうにそう言った。
「俺の欲しい物?本当にくれるのか?」
「うん。もしかして京一君、何か欲しい物あるの?」
「…」
その問いに、京一は黙ったまま、麻莉菜を抱き締めた。
「き…京一君…?」
「俺、ずっと欲しかった物があるんだ。いいか?」
「あたしが何とかできる物ならいいよ?」
「俺は、麻莉菜が欲しい。ずっと前から、麻莉菜だけが欲しかった…」
「え…あ…あの…それって…」
麻莉菜は、言われた言葉の意味を少し考えて…理解したとたんに顔を真っ赤にして視線が落ちつき
を無くしてあちこちにさまよった。
「駄目か?」
「そ…そんな事…ないけど…」
麻莉菜はそこまで言うと、下を向いてしまった。
「俺が一番欲しいのは、麻莉菜だから」
(あたしが欲しいって…やっぱり、そう言う意味だよね…。ど…どうしよう…。確かに、あたしは
京一君の事が大好きで…でも、こんないきなり…)
彼女の頭の中で、言われた言葉がぐるぐると回っていた。
(どうしよう…京一君の顔が見れないよ…)
歩きながらもその言葉が頭の中から離れる事はなかった。
途中、開いていた店でクリスマスケーキを買い、マンションの近くのコンビニで飲み物を調達
する為に立ち寄る。
「麻莉菜…何か飲みたい物あるか?」
コンビニの冷蔵庫を覗きながら、京一が尋ねた。
「え…?」
麻莉菜は、ぼんやりした瞳を京一に向けた。
「飲物だよ。どうする?」
「あ…あの…オレンジジュース…」
「OK」
京一は、冷蔵庫の中から数本の飲物を取り出して、レジへと持っていった。
(…でも、もし…これから先…何か起こったら…)
彼女はレジで支払いをしている京一の背中を見つめた。
(京一君の側にいる事すらできなくなるかもしれない…。そんな事になるくらいなら…)
入院してる時に、見舞に訪れた龍山や道心に聞かされた言葉を思い出す。
(あたし自身が欲しいって…京一君は言ってくれてるんだから…)
麻莉菜は、決心したように顔をあげた。
(怖いけど…きっと大丈夫…)
マンションに戻った後、二人は無言で向かい合って座っていた。
(でも、なんて言えばいいんだろう…)
ケーキを切り分けながら、麻莉菜は京一の方をちらりと見やる。
(ど…どうしよう…京一君…すぐに返事しなかったから怒ってるのかな…)
京一の様子を伺いながら、ケーキをのせた皿を手渡そうとした時、僅かに指が触れた。
「!」
思わず、手を引っ込めた麻莉菜の様子を見て、京一は困ったような表情を浮かべた。
(余計、京一君を困らせてどうするのよ…。でも、いったい、どうしたら…)
無意識に回りを見回した彼女の視線の先に、京一の飲んでいるシャンパンがあった。
「あの…京一君」
「ん?」
京一は話しかけられた事に少しホッとした様だった。
「それって…美味しい?少し…飲ませて…」
「これか?」
彼は、自分の飲んでいたシャンパンのグラスを見た。
「まぁ、不味くはないけどよ…。少しにしとけよ。飲んだ事ねぇんだろ?」
「う…うん…」
目の前に置かれたグラスの中身をしばらく見つめると、それを手に取り味を確かめる様に、
少し舐めてみる。
(辛い…)
京一の方を盗み見ると、心配そうな眼で自分を見つめている。
(これが飲めたら…きっと言える…)
麻莉菜は、眼を閉じて一気に中身を飲み干した。
「麻莉菜!?」
思わずむせかえった彼女に驚いて、京一は背後に回って背中を擦る。
「大丈夫か?無理に飲もうとなんてするなよ」
「平気…」
涙を浮かべながら、返事をする麻莉菜の手から、京一はグラスを取り上げてテーブルの上に置く。
「少し落ちつけるかと思って…だから…」
その言葉に、京一はさっきの自分の言葉を後悔した。
そして、気づかれない様に溜息をつくと、少し考えてから麻莉菜を立たせて、窓の側に連れていく。
「あ…」
窓の外には雪が静かに降り続いていた。
「綺麗…」
二人は、しばらくその風景を見つめていた。
「落ちついたか?酒を飲んでまで、無理しなくても…」
「ねぇ、京一君…。さっきの本気で言ってくれたの?その…あたしが欲しいって…」
夜景を見ながらの京一の言葉を遮る様に、麻莉菜が問いかけた。
「ああ、麻莉菜が好きだから、麻莉菜が欲しいと思った」
「だったら…いいよ…」
その消え入りそうな言葉を聞いたとたん、京一は自分の耳を疑った。
「ずっと…入院してる間…怖かったの…。黄龍の器なんて、呼ばれて…。京一君や皆の側に
いられなくなるんじゃないかって…。そんな事になったらどうしようかって…凄く怖くて…」
そこまで喋った麻莉菜は、京一の方に向き直った。
「だから、そんな事になる前に…あたしを京一君のものにして…。京一君であたしの中を一杯に
して下さい…ずっと側にいられるように…」
麻莉菜のその言葉が終る前に、京一は彼女を抱き上げて歩き出した。
寝室のベッドの上に彼女を横たえると、さすがに慌てた様に、麻莉菜は彼を押しとどめた。
「あ…あの…さっき、汗かいちゃったし…入院してる間、怪我に障るからってシャワーも
浴びれなくて…だからお風呂…入って来ていい?」
「あ…ああ」
「すぐ戻って来るから…」
麻莉菜は、走ってリビングの向こう側の扉の奥に消えてしまった。
一人残された京一は、残っていたシャンパンとグラスを持ってくると、ベッドに腰掛けて
飲み続けていた。
ぽちゃんと響く音にも、麻莉菜は身体を固くしていた。
(どうしよう…すごく、大胆な事を言っちゃった…。京一君…呆れてないかな…)
入浴しながら、彼女はリビングの方の様子を窺った。
(でも…あたしが決めた事だから…)
浴室を出て、置いてあったパジャマに手を通す。
かちゃりと音がして、部屋との境を分けていた扉が開く。
「京一君…」
寝室のベッドに座っていた京一は、その声で顔をあげて、持っていたグラスを脇に置いた。
麻莉菜の腕を掴んだ彼は、黙って自分の方に抱き寄せて、ベッドに横たわる。
ふと、何かを思いついたのか、グラスを再びつかむと、残っていたシャンパンを口に含む。
そのまま、彼女に口移しでそのシャンパンを飲ませる。
「ん…」
麻莉菜の喉がこくりと音を立てる。
「さっきもこうやって飲ませてやれば良かったな」
そう言って、残っていたシャンパンを全て口移しにする。
飲み干せなかった液体が、彼女の首筋に零れて、京一はそれを舐めとる。
「あ…ん」
その行為に麻莉菜は小さく身動ぎする。
「やっ…!」
京一の手が麻莉菜の胸元に触れた時、小さな悲鳴が上がった。
「麻莉菜」
安心させるように耳元で囁きながら、彼女のパジャマのボタンを一つずつ外していった。
布の下から、白い雪のような色の肌が現れる。
その肌にゆっくりと手を這わせながら、小ぶりだが形のいい膨らみの上の蕾を口に含む。
軽く舌で蕾を転がすと、麻莉菜の身体が軽く跳ねる。
「あ…」
それにかまわず、もう片方の蕾を指で擦る。
「やあ…」
麻莉菜の腕が無意識に京一を押しのけようとする。
その腕を空いていた腕で押さえこむと、行為を続けていこうとする。
「京一…君…」
ゆっくりと唇を下に這わせていくと、麻莉菜の声が京一を呼んだ。
手を止めて、彼女の顔を覗きこむと、その閉じられた瞳にうっすらと涙が滲んでいた。
「麻莉菜!?」
京一は驚いて少し身体を離した。
麻莉菜の身体が小刻みに震えてるのに気づいて、彼は焦る。
「ど…どうした?怖いのか?」
「少し…でも…平気だから…続けて…」
切れ切れの言葉を聞いて、京一は麻莉菜の身体を抱き締めると、ベッドに寝転がる。
「…?京一君?」
身体を起こそうとした彼女の身体を深く腕の中に抱き締める。
「焦るのは、止めた。麻莉菜が本気になるまで待つ事にする」
「え?」
「お前…本気じゃないだろう。怖がってるし…。何があろうとこの手は離しゃしないから
安心しろよ。それに今やったら、何か想い出を作るみたいだしな。俺はそんな想い出なんて
いらねぇよ。勝って…全てを終らせてからでもいいよな」
そう言って、麻莉菜の柔らかな手と自分の手を絡める。
「麻莉菜が本気で俺の事を欲しがってくれた時は、遠慮なんてしねぇ。手加減も一切しねぇから、
覚悟しとけよ」
「あ…あの、京一君」
京一の言葉に、麻莉菜の顔に不安そうな表情が浮かぶ。
「大丈夫だって。そんな心配しなくても壊したりしねぇから」
麻莉菜の髪の毛を軽く掻き回すと、胸の膨らみに唇を寄せて吸い上げる。
「あ…」
彼女の胸に紅い印が咲く。
同じような印が彼女の身体にいくつも刻みつけていった。
「京一君…」
「麻莉菜が俺のモンだって証拠な。これが消えるまでに覚悟してくれれば嬉しいけどよ」
「…これって…消えちゃうんだね…」
寂しそうな声で呟く麻莉菜の胸には、生々しい傷跡が残っていた。
「傷の代わりに、これが残ってればいいのに…。そうすれば、ずっとあたしは京一君のものだって
思えるのにね…」
そう呟く麻莉菜を京一は再び抱きしめて、ベッドの端に追いやられていた毛布を自分達にかける。
「消えそうになったら、またつけてやるよ。麻莉菜が望むならな」
「うん…」
京一の腕の中で麻莉菜は静かに笑った。
「約束してね…ずうっとこの手を離さないって…」
「ああ、もう二度とそんな真似しねぇから、安心しろ」
「約束…ね…」
二人は抱き合ったまま、眠りについた。
「う…ん」
太陽の光が顔に当たって、京一は薄く眼を開けた。
彼の腕の中で麻莉菜が微かに身動ぎして、再び寝息を立て始める。
京一は彼女を起こさない様に細心の注意を払いながら、身体を起こし、外の風景を眺めていた。
窓の外は、降り積もった雪が朝日に反射して輝いていた。
「京一…君…?」
やがて、眼を覚ました麻莉菜が京一の腕に掴まって起き上がった。
「眼ぇ醒めたか?」
「おはよう…あ!」
自分がどんな状態かに気づいた麻莉菜は、慌てて毛布の余っていた部分で身体を隠そうとした。
「何やってんだ?」
「だ…だって、恥ずかしいし…」
真っ赤になってしまった麻莉菜を見て、京一は慌てて話題を逸らそうとする。
「麻莉菜…そんな事より外、見てみろよ」
「え?わぁ、凄い綺麗!」
京一にそう言われて、顔だけを毛布から出して外を見つめると、声をあげた。
「珍しいからな、東京にこれだけ雪が降るなんて。寒くねぇか?」
「平気…京一君の腕の中暖かいから」
麻莉菜は京一の胸にもたれかかりながら、そう呟いた。
二人は一枚の毛布に包まって、抱き合いながらその光景を眺めていた。
「いつまでも一緒に同じ風景を見ような」
「うん」
二人は見つめ合うと、どちらからともなく深いキスを交し、再び眠りの世界に落ちていった。
「今年のHRはこれで終りです。それでは皆さん、よい年を迎えて下さいネ」
マリアの言葉が終るとともに、生徒達は思い思いに教室を出ていった。
「もう、今年も終りなんて早いよね」
「まったくだ。しかし、来年は卒業だしな。なぁ、京一」
醍醐の言葉に京一は渋い顔をした。
「なんで俺に振るんだよ」
「当り前じゃないか、まだ進路調査票出してないんだって?マリア先生が困ってたよ」
小蒔にもそう言われて、京一の表情はますます渋くなる。
「いいんだよ、もう決めてるんだから」
「なんだよ?麻莉菜の家の居候をやるってんじゃないだろうね」
「誰がするか!」
「京一なら、しかねないだろ。あ、でも、その前に悠さんに叩き出されるか」
小蒔は一人納得する様に頷いた。
「小蒔、お前いい加減にしろよ…」
まだ席に座っていた麻莉菜を挟んで、京一と小蒔は向かい合っていた。
「…やれやれ、またか…」
醍醐はその様子を見て、こめかみの部分を押さえた。
「まったく、いいかげんにしろ。緋月が退院したばかりなのを忘れたのか?余計な負担を
かけるな」
そう言われて、京一が麻莉菜の方を向く。
「麻莉菜、悪ぃ。気分悪くないか?」
「うん、平気…」
「そろそろ帰るか?」
彼女の荷物を持って、京一はそう尋ねた。
「うん」
麻莉菜は立ち上がって、彼の問いに頷いた。
「今年最後だし、皆でラーメン食べて帰ろうよ」
小蒔も麻莉菜の顔を覗きこんでそう言った。
「お前、いい加減にしろよな」
麻莉菜を挟んで歩きながら、京一と小蒔の言い合いは続いていた。
「まったく、あいつらときたら…」
「でも、本当に今年最後だもの。気持ちは判るわ」
醍醐はますます痛む頭を押さえながら、葵は微笑みながら、三人の後姿を見つめていた。
「二人とも、置いてっちゃうよ!」
小蒔の言葉に、二人は顔を見合わせてから、その後を追っていった。
駅の西口にさしかかった時、小蒔がふと足を止めた。
「ねぇ…何かおかしくない?なんで、こんなに人がいないの?」
いつも、人で溢れかえっている場所が、この日に限って誰も通らない。
「ああ、これはひょっとしたら…」
醍醐が油断なく辺りを見回し、その横で、京一が木刀を取り出す。
「空気が違う…もしかして、誘いこまれた…?」
「くくっ…馬鹿な奴らだね。こんな簡単な罠にかかるなんて」
「誰だ!」
突然、聞こえてきた声に、全員の視線がそちらを向く。
姿を現したのは、六道世羅だった。
「あなた…確か、六道さん…?」
麻莉菜は名前を呼びながら、何か違和感を感じていた。
「そんな名前で呼ぶな!あたしはやっと自由になれたんだ。『あの人』だけがあたしに気づいて
くれたんだ!!」
「『あの人』…?」
「お前がこの空間を作ったのか!?」
「そうさ、あんた達の墓場としてね!」
世羅の言葉を合図にしたかのように、回りに漂っていた霊気が集まってくる。
「来るぞ!」
「…!」
その禍禍しい物を打ち払いながら、麻莉菜は世羅との距離を詰めた。
「六道さん!眼を醒まして!」
世羅の元に辿りついた麻莉菜の声も聞こえないのか、彼女は腕を振り上げた。
「麻莉菜、避けろ!」
京一の言葉に、彼女は瞬間的に横に飛んだ。
麻莉菜の立っていた場所を掠めて、京一の攻撃が叩き込まれる。
「きゃあ!」
攻撃を受けた世羅はその場に崩れ落ちる。
「六道さん!」
駆け寄った麻莉菜は彼女の様子を確かめる様に覗きこんだ。
「…緋月さん…?」
「良かった…元に戻ったのね…」
「私…?」
眼を開けた世羅を認めて、麻莉菜が安堵の溜息を漏らした時、再び空間が歪んだ。
「な…なんだ!?」
「気をつけろ!あの時と一緒だぞ!」
醍醐の言葉に、京一が麻莉菜の側に駆け寄る。
麻莉菜の手を掴んだ時、突然彼女が崩れ落ちた。
(お前が本来望んでいた世界へと行くがいい!)
「麻莉菜!」
「ん…」
眼を開けた時、最初に見えたのは白い天井だった。
(どこ…?)
視線を横に流すと、椅子に座ったまま眠っている京一がそこにいた。
「京一君…?」
麻莉菜はゆっくりと身体を起こす。
「麻莉菜、気がついたのか?何処か…痛いとことか、ねぇか?」
気配に気づいて、眼を醒ました京一が立ちあがってきて、彼女の顔を覗きこんだ。
「今、院長を呼ぶからな」
ベッドの端に設置されてる呼び出しベルに手を伸ばしかけた京一の腕を麻莉菜は掴んだ。
「どうした…?」
「京一君だよね…?あたしの…京一君でしょう?」
「あ…ああ」
突然の問いに、彼は戸惑いながらもはっきり答えた。
「俺は、麻莉菜の知ってる俺だぜ?」
「良かった…」
京一の胸にもたれかかると、麻莉菜は涙を溢した。
「悪い夢でも見たのか?」
「うん…とても辛くて哀しい夢…」
そう呟く彼女を安心させるように、ずっと背中を擦りつづけていた。
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