怪 異
部屋に辿りついた麻桜は、鳴り響いていた電話の受話器を慌てて取り上げた。
「はい」
『麻莉菜?あたし、さとみよ。どう?転校一日目の感想は?』
「あのね、お兄ちゃんに会えたの」
『え!良かったじゃないの』
「同じクラスなの。でも…凄く美人の先生やクラスの人がいて…」
『何言ってんの。10年以上、思ってたんでしょう。今更、そんな弱気でどうするのよ。
頑張りなさいよ。応援してるからね』
「だって、目の前で不良を叩きのめしちゃったし…。呆れられたかもしれない…」
『何があったの?』
麻莉菜は、さとみに今日の出来事を話した。
『そんなの叩きのめされて当然よ。力づくで、女をモノにしようなんて最低な奴は、そうされたって文句なんて言えやしないわ。そんな事、
気にしないで、さっさと告白しちゃえばいいのよ。何の為に転校して新宿まで行ったのよ。ファイトあるのみよ』
「うん、頑張る…」
『弱気は禁物だからね。絶対に諦めちゃ駄目よ』
「判った。ありがとう。さとみ」
『また、電話するから。いい結果を聞かせてよ』
「うん」
さとみからの電話が切れると、麻莉菜は寝室に入って着替え始める。
(なんか、色々あって、疲れちゃった…。今日はもう寝ちゃおうっと)
思いきりベッドにダイビングして、一分後にはもう寝息が聞こえていた。
「ん…」
前の晩、眠りについたのが早かったからか、朝の光が差し込み始めた頃、麻莉菜は眼を擦って、起き上がった。
「ふぁ…」
思いきり、背伸びをすると、麻莉菜はベッドから下りた。
着替えながらリビングに出て、大きな窓から階下を見下ろした。
(わぁ、綺麗…)
マンションの下に植えてある桜の樹は、満開ではなかったが、ピンクに染まり始めていた。
壁にかかっている時計を見上げて、時間を確認する。
(まだ、時間早いから、見に行っても大丈夫よね)
麻莉菜は部屋を出て、公園に降りていった。
「凄い、綺麗」
樹の前をゆっくりと歩きながら、桜を見上げていた。
10分ほど歩いていた頃、ベンチを見つけて、そこに座りこむ。
辺りには人影もまばらで、麻莉菜はゆっくりと鑑賞していた。
「あれ…緋月?」
背後から聞こえてきた声に、彼女は振り向いた。
「何してんだ?こんなとこで」
木刀を入れた袋を持った京一が、不思議そうに麻莉菜を見ていた。
「京一君こそ何してるの?」
「俺?ちょっとな…」
麻莉菜は京一が持っている木刀に眼をやった。
「ひょっとして…鍛錬?」
正解を言い当てられて、京一は照れ臭そうに笑う。
「まぁな…緋月は、何してんだ?」
「桜が綺麗だったから、見に来たの」
「お前の家、ここから近いのか?」
「うん、あそこ」
麻莉菜はマンションを指差した。
「へぇ、いいとこ住んでんだなぁ」
感心したように京一がそう言った時、彼のお腹がなった。
「わりぃ、メシ、食ってなかったから」
麻莉菜は、少し口を押さえるようにして、笑いを堪えていた。
「別に笑ってもいいぜ」
京一は、バツが悪そうに、横を向いた。
「そうだ、あたしもご飯、まだなの。用意するから一緒に食べよ?」
「いいのかよ、いきなり行っても」
「構わないよ。気にしないで」
彼女は立ち上がると、先にたって歩き出した。
京一は、その後についていった。
エレベーターに乗って、二人は麻莉菜の部屋に入っていった。
「ここなの、入って」
麻莉菜は京一を部屋に招き入れた。
「凄ぇ部屋に住んでんだな」
室内を見まわして、京一が呆然と呟いた。
「父さんのお金で買ったの。あたしも最近来たから、よく判らないんだけど」
「家族は?」
「あたし、一人暮らしだよ」
台所に行って、食事の仕度をしながら、麻莉菜は京一の問いに答える。
「この広い部屋に、一人で住んでんのかよ」
「あたし、新宿でやらなきゃいけない事があるから」
「へぇ、なんだよ」
リビングの空いているスペースに腰をおろしながら、京一は再度問い掛ける。
「あたしもよく判らないんだけど、取り合えず、新宿に行けば判るって事と…あと一つは…内緒」
用意できた食事を運びながら、麻莉菜は笑った。
「なんだ、そりゃ」
京一は不思議そうな顔をした。
「そんな事より、食べて」
「ああ…」
京一は目の前に並べられた料理を見て、絶句した。
「これ…」
「時間がなかったから、ありあわせだけど」
麻莉菜は、京一の反対側にエプロンを外しながら座った。
テーブルの上には、短時間で作ったとは思えない和風の朝食が並べられていた。
「久し振りだよ。こんないかにも朝食っていう朝食を見るのは」
「口に合うといいけど」
麻莉菜の言葉が終わる前に、もう京一は食べ始めていた。
「大丈夫、うまいぜ。これだけ上手かったら、いつでも嫁に行けるな」
「本当!?」
京一の言葉に、麻莉菜は身を乗り出した。
「ああ、俺の姉貴と比べたら、雲泥の差だぜ。あいつ、料理の腕、からっきしだからな」
京一は、本当に美味しそうに食べ続けていた。
「あの…昨日はごめんなさい…」
突然、箸を置いて麻莉菜が俯いて、謝った。
「昨日?なんかあったけ?」
「せっかく、助けてくれようとしたのに、でしゃばった真似しちゃって…」
「ああ、その事か、別に怒っちゃいないぜ。確かに驚いたけどな。」
京一は、麻莉菜を見て笑った。
「緋月みたいに小さいのが、佐久間をのしちまうなんてな」
「呆れた…?」
「なんで、呆れたりすんだよ。あれは緋月の実力なんだろ?それを見抜けなかった佐久間が悪いんだ。それに、俺は強い女だからって、
別に何とも思わないぜ。そんなつまんねぇ事を気にすんなよ。まっ、別方向でうるさい奴はいるかもしれねぇけどな」
京一は、麻莉菜の髪に手を伸ばして、かき回した。
「…!」
「っと、悪ぃ。なんか触り心地良さそうだったからよ」
「ううん、少し、驚いただけ」
慌てて手を離した京一に、麻莉菜は笑った。
「あ…それよりもう出ないと、遅刻しちゃう」
麻莉菜が時計を見上げて、そう言った。
「転校2日めから、遅刻させるわけにも行かねぇな。行くか」
京一も木刀を持って、立ち上がった。
「朝メシ、ありがとな」
「もし、良かったら、また食べに来て。一人で食事するのってつまらなかったの」
「迷惑じゃないのか?」
「一人分作るのも二人分作るのも同じだから」
麻莉菜は扉に鍵をかけながら、そう言った。
「じゃ、行く前の日には言うから」
「うん。用意しとく」
二人は連れだって歩き出した。
「あれ、そう言えば鞄は?」
制服は着ているものの、鞄を持っていない京一に気づいて、麻莉菜が尋ねた。
「教科書は学校に置いてあるし、別に必要ねぇからな」
あっさりと答えて、京一は歩いていった。
「あれ、京一、緋月さんと一緒に来たの?」
教室内にいた小蒔が、二人を見てそう言った。
「おはよう、桜井さん」
「おはよう。それより、気をつけなよ。京一は、結構女たらしだからね」
「お前なぁ!緋月が本気にしたらどうすんだよ!!」
京一が小蒔を怒鳴りつけた。
「ボク、ホントの事しか言ってないよ」
「判った、お前、自分がもてないからって、嫉妬してんだろ。え?美少年」
「誰が、美少年だ!」
小蒔は、京一の事を握り拳で思いきり殴りつけた。
「てめぇな!」
「京一が悪いんだろう」
「おはよう…何の騒ぎ?」
遅れて、教室に入ってきた葵が騒ぎを見て、そう聞いた。
「あ、葵、おはよう」
小蒔が葵を見て挨拶をする。
「どうかしたの?緋月さんが怯えてるみたいだけど」
「あ、ごめんね。緋月さん、気にしないで。いつものコミュニケーションだから」
小蒔が、麻莉菜を見て笑った。
「え?」
麻莉菜は、驚いた視線を小蒔に向けた。
「こいつがあんまり馬鹿だからさぁ。いつもの事なんだ」
「どういう事?」
「京一ねぇ…」
小蒔が説明しようとしたのを、慌てて京一は口を塞いだ。
「おまえな、いい加減にしろよ」
「もう、二人とも、緋月さんが困ってるわよ」
葵が溜息をつきながらそう言った。
「お前ら、朝から何をしてるんだ?」
「あ、醍醐君、おはよう」
「まったく朝から元気だな。いい加減、あきると言う事を知らんのか?」
「何言ってんだ。こいつが勝手に突っかかってきてるだけだろう。すぐ殴り
やがって…」
「自分が悪いんだろ」
小蒔がすぐに反論する。
「おまえな」
「いい加減にしろ。もうすぐ、授業が始まるぞ」
醍醐は、再びもめそうな二人を引き離した。
その後、自分の席に向かおうとして、ちらりと麻莉菜の方へ目をやった。
「?」
麻莉菜は、その視線に気づいて不思議そうな表情を浮かべる。
「何か?」
「い…いや、なんでもない」
醍醐は、すぐに自分の席に座った。
放課後、京一が麻莉菜に声をかけてきた。
「よぉ、緋月。ラーメンでも食って帰らないか?朝の礼に、上手い店教えるからよ」
「連れてってくれるの?」
「だから、誘いに来たんだろう?」
「うん、ありがとう」
麻莉菜は嬉しそうに鞄を持って立ちあがりかけた。
その時、杏子が昨日の事を聞きに来たが、話を聞いて笑い出した。
「あいつらには、いい薬よ。それにしても、緋月さんって見かけによらず強いのね」
杏子は、何かを思いついたように、身を乗り出した。
「ねぇ、緋月さんって、何か武道をやってたの?」
「少しだけ…」
麻莉菜は少し小さな声で答えた。
「よし!今度の真神新聞の特集は決まりよ。『転校生 緋月 麻莉菜の強さに迫る!』…と言う訳で少し取材させてね。どこか、喫茶店で
お茶でも飲みながら」
「あの…あたし、これから京一君とラーメン食べに行くんだけど…」
「そうだぜ。諦めろ、アン子。俺達、これからラーメン食べに行くの」
「何言ってるの、あたしのインタビューとラーメンとどっちが重要だと思うのよ」
「ラーメン」
京一は、あっさりと言いきった。
「う…、緋月さん、このアホに付き合うことないのよ」
杏子は、言いきられそうになって、麻莉菜の方に向き直った。
「ご…ごめんなさい…、遠野さん。あたし、特集される程、特別な人間じゃないから…。だから、取材は受けられません」
麻莉菜は、小さい声で、しかしはっきりと断った。
「う〜、しかたないわね。本人が嫌だって言うなら、諦めるしかないわね。別のネタを探しに行くしかないか…」
杏子は、渋々教室を出ていこうとした。
「おい、アン子!腹いせに、下級生襲うんじゃないぞ!…って!」
京一の言葉に、杏子は黒板消しを思いきり投げてぶつけた。
「あんたと一緒にすんじゃないわよ!馬鹿っ!!」
そう言って、彼女は教室を出ていった。
「あ〜痛ってぇ。ったく、乱暴な女だな」
「だ…大丈夫?」
麻莉菜は京一を心配そうに見つめて、彼を起こそうとした。
「ハハハ、相変わらずだな」
「見てたんなら、助けろよな」
笑いながら現れた醍醐に、頬を押さえながら、京一が面白くなさそうに言った。
「見てると面白かったんでな」
「ちぇっ、友達がいのない奴だな」
京一は机につかまって、立ちあがった。
「それより、京一。緋月を…少し借りてもいいか?」
「へ…?ははーん、何か朝から様子がおかしいと思ってたら、そう言う事か」
「ん?」
「とぼけるなよ、まったく…。お前、昨日最初から見てやがったな」
「何の事だ?」
「嘘をつけない体質だって事、いい加減自覚しろよ。おおかた、俺と佐久間がやりあうのを見るつもりだったんだろう」
「まったく、お前には驚かされるよ。それだけ、頭が切れるのに、学校の成績は最低だというんだから」
「おまえ、褒めるかけなすかどっちかにしろよ。それに最低ってのはなんだ、最低ってのは。せめて芳しくないとか言えねぇのかよ」
「それは、悪かったな。とりあえず、緋月は連れていくぞ」
そして、醍醐は、麻莉菜の方に向き直った。
「緋月、悪いが付き合ってくれ」
「あの…いったい、何処に?」
京一達は理解しているらしい話の内容が、麻莉菜には理解できずに、彼女は聞き返した。
「ついてきゃ判るよ。醍醐、その代わり、早く済ませろよ。俺達、この後予定があるんだから」
「?」
訳の判らないまま、麻莉菜は京一達に何処かに連れていかれた。
校舎と別棟に立っている部室の中の一室に、醍醐は入っていった。
『レスリング部』と書かれている札のかかったその室内に、京一も入っていく。
「あのぉ…ここで何を?」
麻莉菜は、まだ訳が判らない。
「他の部員は、どうしたんだよ?」
麻莉菜の問いが聞こえなかったのか、京一が醍醐に尋ねる。
「昨日、佐久間が他校の生徒と諍いを起こしてな。反省の意味も込めて休部中だ」
「昨日って、あの騒ぎの後か?チッ、あの馬鹿が…だけど、そんなのしらばっくれちまえばいいじゃねぇか」
「そうもいくまい」
「お前は、まじめすぎんだよ」
「そうか?。ま、そう言う訳で、ここは、今自由に使えるわけだ。と、言う訳で、緋月…。悪いが俺と戦ってくれないか?」
「え…?」
麻莉菜は、突然言われた言葉に、驚いて醍醐を見た。
「戦うって?」
「まッ、あんまり難しく考える事はないさ。こいつは、緋月の技に興味を持っただけなんだから」
「えっと…」
「まぁ、そう言うことだ。緋月が女だという事はよく判ってるんだが、どうしても俺と戦ってもらうぞ」
醍醐は、リングの上に上がってしまった。
「…。あの…制服のまま…?」
麻莉菜は、困った様に聞いた。
「あ、そりゃ、そうだ」
京一は、醍醐の方を見た。
「醍醐、着替える時間くらいはやれよ」
「あ…ああ。奥にロッカー室があるが」
言われて麻莉菜は奥に入っていった。
(どうしよう…とんでもない事になっちゃた)
彼女は、のろのろと持っていたTシャツとスパッツに着替えて、2人の待つ場所に戻った。
「醍醐、女の子なんだって事忘れんなよ」
京一がリングの下から注意を促す。
「おまえ、いつまでここにいるつもりだ?」
「いいじゃねぇかよ、別に」
醍醐の言葉に、京一は少し不貞腐れた。
「まぁ、いいが…、手を出すなよ?」
「誰がそんな真似するか!」
麻莉菜がリングに上がったのを見て、醍醐はファイティングポーズをとった。
「行くぞ!」
醍醐の拳をしゃがんでかわすと、麻莉菜は勢いをつけて拳を叩き込んだ。
「ぐッ…!」
醍醐が少しよろめいたが、踏みとどまる。
そのうちに、麻莉菜も醍醐の迫力に飲みこまれていく。
(醍醐の気が変わった…。本気になりやがったな)
京一がリングの下で変化を感じ取った時、勝負は決した。
麻莉菜の拳が醍醐をとらえ、その巨体がリングに沈んだ。
「ご…ごめんなさい!」
少しうろたえたらしい麻莉菜が、それだけ叫んでその場から逃げる様にして去っていってしまった。
「お…おい!」
京一は呼びとめたが、その言葉も聞こえない様で、彼女の姿は見えなくなってしまった。
「う…」
足元から聞こえたうめき声に、京一は醍醐の方を見た。
「おい、大丈夫か?」
「ああ…」
「しかし、見事にやられたな。醍醐ともあろう者が、転校生の…しかも女子にやられたなんて知れたら、大騒ぎだぜ」
「本気で、やって負けたんだ。しかたあるまい」
醍醐は、立ちあがろうとしてよろめき、京一に支えられる。
「緋月 麻莉菜か…。一体何処で、あんな技を覚えたんだ?」
「さあな、でも、本物だろう」
「お前も、一度、戦ってみるか?」
「なんで、俺が、あんな可愛い娘と戦わなきゃなんねぇんだ。それに俺じゃ懐に飛びこまれたら、一分ももたねぇよ」
「しかし、いい気分だ。負けたと言うのにな…。久し振りに、いい気分だ…」
醍醐の体がリングの上に倒れた。
「おい、こら!しっかり立て、醍醐!」
京一は、慌てて支えると歩き出した。
「あら、どうしたの?醍醐君」
「いや、ちょっと、自主トレし過ぎでへたばってるだけで…」
部室を出たところで、マリアとばったり出くわした京一は、言訳を口にした。
「練習熱心なのは、いいけどほどほどにネ」
「あ、そうだ。マリア先生、緋月の家の電話番号、判らねぇか?連絡つけたいんだけどよ」
「緋月サンの?どうして…?」
マリアが不思議そうな顔をした。
「ちょっと、用事があるんだ」
「いいわ。調べておくから、後で職員室にいらっしゃい」
「助かるよ。じゃ、とりあえずこいつを医務室に寝かせてくるから」
「ええ、判ったわ」
(どうしよう、もう完全に嫌われた…。いくら何でも、友達を怪我させちゃったら、許してくれないよ)
麻莉菜は、家に戻って、床に座りこんでいた。
「せっかく、会えたのに…。どうして、こんな事になっちゃったんだろう」
手近にあったクッションを抱きかかえて、麻莉菜が呟いた時、電話のベルが鳴り響いた。
「はい…」
『緋月、俺だけど』
電話の向こうから、信じられない声が流れてきた。
「な…なんで…」
『マリア先生に電話番号教えてもらってよ』
(きっと、怒られるんだ…)
麻莉菜は、身をすくませた。
『あのよ、明日も朝行ってもいいか?』
「え?」
『食事上手かったから、また食わして欲しいんだけどよ』
「…」
『駄目か?』
「う…ううん、そんな事ないけど…」
『じゃ、朝…そうだな、7時半頃行くからな』
それだけ言って、電話は切れてしまった。
(面と向かって怒られるのかな…)
受話器を戻しながら、麻莉菜はぼんやりと考えていた。
不安な一夜を過ごして、朝、言われたとおりに朝食の仕度を整えていた。
来訪者を知らせるチャイムが響き、麻莉菜はオートロックを解除する。
少しして、京一が部屋の中に入ってきた。
「お言葉に甘えて、来ちまったぜ」
「どうぞ」
麻莉菜の雰囲気が、沈んだものなのを感じて、京一は、彼女の顔を覗き込んだ。
「どうした?」
「昨日の事…怒ってるんでしょ?」
「昨日の事?なんか、あったか?」
京一は不思議そうな顔をした。
「京一君の友達…醍醐君、怪我させた事…」
「なんで、そんな事で俺が怒るんだよ。醍醐も納得してやった事だぜ。俺が怒る必要なんてないだろう」
「…」
「だから、そんなつまんねぇ事気にすんなって」
京一は、麻莉菜の髪をかき回しながら、そう言って笑った。
「それより、食事食べさせてくれねぇか?」
「うん」
麻莉菜は急いで立ちあがって、キッチンに行った。
その後、京一が食事をたいらげるのを、彼女は見ていた。
「食わねぇのか?」
「うん、味見をした時、結構食べちゃったから…」
「味見って…緋月、お前小食なんだなぁ」
京一は、少し驚いた様に言った。
「ま、緋月は、女だし、食べる量も俺達と違うんだろうけど…」
そこまで言って、時間に気づいた彼は、立ちあがった。
「そろそろ行こうぜ」
「うん」
麻莉菜は、食器を流しに持って行って、すぐに戸締りを確認する。
2人は、一緒にマンションを出ていった。
学校についた彼らは、教室に真っ直ぐ向かおうとした。
「そうだ、俺ちょっと用事があったんだ。先に行っててくれよ」
「うん」
京一と別れた麻莉菜は、教室に入っていった。
その日は、別にこれと言った事は起こらず、放課後になった。
「緋月、行こうぜ」
京一が麻莉菜の所にやってきて、そう言った。
「え?どこへ?」
「昨日、言ったろ。ラーメン屋を教えてやるって」
京一は、麻莉菜の鞄を持って、教室を出ていこうとした。
「あ…あの…」
麻莉菜は、慌ててその後を追っていった。
「実は、もう一人誘ってあるんだ。誰だか判るか?」
校門の所で立ち止まった京一が、笑いながらそう言った。
「?」
「もう、来ると思うんだけどよ…。お、来たな」
校舎の方から現れたのは、醍醐だった。
「その、緋月。昨日は…すまなかったな」
その大きな身体を小さくして、醍醐がそう言った。
「あの…怪我の具合は…」
「ああ、大丈夫だ。心配かけたな」
「おい、何やってんだよ。早く、ラーメン屋行こうぜ」
「ふ〜ん、ラーメン屋行くんだ」
突然、違う方向から声が聞こえた。
「小蒔?」
「さ…桜井…!」
「僕も連れてってよ」
「なんで、お前を連れてかなきゃなんないだよ」
「あ、そう」
小蒔は、大きく息を吸いこむと、校舎に向かって叫ぼうとした。
「犬神センセ〜!蓬莱寺がですね〜!」
「馬鹿野郎!何しやがる!」
京一は、慌てて小蒔の口をふさいだ。
「京一君、そのままじゃ、桜井さんが窒息する!」
麻莉菜の一言で、京一は慌てて手を離した。
「ったく、ボクの事殺すつもり?」
「お前が馬鹿な事をするからだろうが!」
「いい加減にしろ。2人とも」
醍醐が二人の間に割って入った。
「緋月が呆れているぞ」
「そ…そんな事…ただ、とっても仲がいいんだなって思って」
麻莉菜は、笑ってそう言ったが、心の奥がちくりと痛むのを感じた。
「ボクが?この馬鹿と?やだな、そんな事ないって」
「そんな事、あるわけないだろうが」
2人は、すぐに否定した。
「馬鹿な事言ってないで、さっさと行くぜ」
京一は、先に立って歩き出した。
ラーメン屋についた彼らは、空いていたカウンターに陣取った。
各自が注文して、出来あがるのを待っていたとき、小蒔が話し始めた。
「そういえば、知ってる?旧校舎の噂」
「行方不明の事か?」
今朝、マリアから聞いた情報を思い出して、醍醐が聞いた。
「そうじゃなくて、あそこ出るんだって…」
「出るって…まさか」
「そ、アン子が調べるって張りきってたよ」
「あそこは、立ち入り禁止になってるんじゃないのか?」
「抜け穴があるんだってよ」
出来あがってきたラーメンを食べながら、京一が言った。
「アン子もそんな事言ってたよ。それにしても大丈夫かな、アン子」
「あいつは、そう簡単にくたばりゃしないって」
京一がそう言って、器に残ったスープを飲み干した。
(よく、食べるなぁ…)
麻莉菜は、横に座っている京一の食べっぷりに感心していた。
「緋月さん?どうしたの?ラーメンのびちゃうよ」
小蒔が、麻莉菜の箸が止まっているのを見て、そう聞いた。
「な…何でもないの」
麻莉菜は、慌てて食べ始めた。
「焦んなくていいからよ」
京一が注意した時、ガラス戸が勢い良く開く音がした。
「アン子?どうしたの。そんなに慌てて」
小蒔が驚いた様に立ちあがった。
余程、慌てていたのか、杏子は乱れた息を整えようと、手近にあったコップを掴んで中の水を一息に飲み干した。
「お前、それ俺の水!」
「うるさい!水くらいでがたがた言うんじゃない!」
「何かあったの?」
「そうよ!美里ちゃんを探して!」
「葵?」
「旧校舎ではぐれて…」
「なんだと!?」
彼らは、椅子から立ちあがった。
「あんた達しかいないのよ。頼めるの…」
「判った、行くぞ。みんな」
旧校舎に来た彼らは、抜け穴から中に入る。
「いったい、何処らへんではぐれたんだ?」
「もうすこし奥よ。階段を降りた辺りで、何か赤い小さな光が迫ってきて、美里ちゃんと逃げたんだけど、
途中ではぐれて…」
「これ…」
麻莉菜は足元に落ちていた紙を拾った。
「それ、あたしがミサちゃんから貰ったお札だわ」
「なんで、そんなものを持ってんだよ」
「何かあったら、怖いじゃない」
「だったら、こんな所来んじゃねぇよ!」
京一が、杏子を怒鳴りつけようとした時、麻莉菜が京一の袖を引っ張った。
「京一君、あれ…何?」
「え?」
麻莉菜が指差す方向から、蒼い光が漏れていた。
「遠野、お前が見た光ってのは、あれか?」
「違うわ。もっと小さな赤い光よ。それがすごくたくさん…」
杏子の言葉を聞きながら、麻莉菜はその光が漏れている教室の扉を開けた。
そこには、蒼い光に包まれた葵が意識を失って倒れていた。
「葵!」
小蒔が、葵に駆け寄って、抱き起こした。
「皆…?」
葵が薄く眼を開けた。
意識を取り戻した途端、葵の身体から光が消えた。
「良かった…どこも怪我してない?」
「私…いったい…?」
麻莉菜の耳には何かが微かに床を這う音が聞こえていた
「何か…いる…」
「遠野、美里を連れて逃げろ!」
「判った、でも無理しないでよ。後でちゃんと話してもらうからね」
杏子は、葵を連れてその場から逃げていった。
「桜井、緋月。お前達も」
「嫌だよ。ボクは残るからね」
「あたしも…残る…」
「ふざけるな!2人とも、逃げ…」
「醍醐!来る!」
京一の言葉を合図にする様に、『何か』との戦闘が始まった。
麻莉菜はその小柄な身体を利用して、敵に近づいて行った。
「緋月!近づき過ぎだ!」
木刀を振るっていた京一が、それに気づいて叫んだ。
「緋月さん!」
矢を射ていた小蒔もそれに気づいて、叫ぶ。
「きゃ!」
麻莉菜に敵の鋭い爪が襲いかかった。
「緋月!」
麻莉菜の身体が床に転がる。
「おい!大丈夫か!?」
京一は、麻莉菜の身体を支えた。
「うん…平気」
麻莉菜は、弱々しい声で答えて、立ちあがった。
「あまり、無茶すんなよ」
「ありがと」
彼女はすぐに京一と戦闘に復帰した。
「なんなの。これ」
倒し終わったそれを見て、小蒔が呟いた。
「これ…蝙蝠なの?」
「蝙蝠ってのは、雑食性の筈だ。こんなに鋭い牙と爪を持った種類など聞いた事はない」
「いったい、何が起こってんだ…」
京一がそう呟いた時、彼らの頭の中に声が鳴り響いた。
『目覚めよ』
「何…?」
戻ってきた葵の手当てを受けていた麻莉菜が、回りを見回した。
「何なの、この声…」
小蒔も回りを見回す。
「身体が、熱い…」
葵が、両腕で自分の身体を抱きしめた。
その場にいた全員の身体が蒼い光に包まれる。
「なんだ?この光…」
(目覚めよ!)
「!」
眩しい光を浴びて、彼らは意識を失った。
「う…ん」
最初に意識を取り戻したのは、麻莉菜だった。
彼女は身体を起こして回りを見回した。
「ここは?」
側に倒れている京一達に気づいて、麻莉菜は彼らを起こしていく。
「なんで、ボク達、旧校舎の外にいるの?」
「判らない…」
彼らは、何時の間にか旧校舎の外にいた。
「一体、何が起こってるというんだ。俺達の知らない所で一体…」
その問いに答えられる者はその場に誰もいなかった。
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