鴉
次の日になり、登校していた麻莉菜は、京一の姿を見て走りよった。
「おはよう、京一君」
「ああ、おはよう。緋…っと麻莉菜」
京一が少し照れ臭そうに、挨拶を返す。
「今日は食事しにこなかったけど、大丈夫?」
「あ…ああ」
麻莉菜から、視線を外す様に、眼を逸らしながら京一は答えた。
「京一君?」
彼女が少し不思議そうな表情を浮かべる。
「どうしたの?」
「い…いや、何でもねぇ」
(駄目だ。まともに顔が見れねぇ…)
下から覗きこまれて、京一の心臓の鼓動が早くなる。
「顔…赤いよ?」
麻莉菜は背伸びして、京一の額に手を当てる。
「熱は無いみたいだけど…」
心配そうに見ている麻莉菜に、笑いかけながら京一は困り果てていた。
そんな彼の背中を叩いて、救いの手を差し出した者がいた。
「おっはよう!何してるの?2人とも」
小蒔が話しかけてきた。
「おはよう、桜井さん。京一君…熱はないんだけど、顔が赤くて…」
「え?」
小蒔が麻莉菜の言葉を聞いて、京一を見た。
「どうしたのさ?」
「な…なんでもねぇって!」
京一は、その場から逃げ出す様に、走り出した。
「悪ぃ、用事を思い出したから、先に行くな。麻莉菜」
「う…うん」
京一の背中を見送りながら、麻莉菜は頷いた。
「どうしたんだろね。京一」
「判らない…」
(やべぇよ。顔もまともに見れないなんて、かなり重症じゃねぇか)
2人から離れてから、京一は何とか落ち着く事が出来た。
「どうすりゃ、いいんだよ」
麻莉菜を避ける様に、京一は教室にも姿を現さなかった。
空席のままの京一の席を見て、麻莉菜は何度目かの溜息を繰り返した。
「本当にどうしたんだろうね。京一」
放課後になって、小蒔が近づいてきてそう言った。
「…」
麻莉菜は下を向いて、黙っていた。
「何か心当たり無いの?」
「やっぱり…」
「え?」
麻莉菜の声が小さすぎて聞き取れずに、小蒔は聞き返した。
「やっぱり、迷惑だったのかな…。言わなきゃ良かった」
机の上に大粒の涙が零れ落ちる。
「ち…ちょっと!緋月さん、泣かないでよ」
慌てて小蒔が麻莉菜の背中を擦った。
「早く入りなさいよ!何のろのろしてるのよ!」
「うるせぇな!俺は部に顔を出すって言ってるだろうが!」
「何、言ってんのよ!京一が今更部活に出たら、それこそ天変地異が起きるでしょう!
それに、あたしに協力するって約束したんじゃないの!?」
教室の外から騒がしい声が聞こえる。
「何の騒ぎ?」
教室に残っていた葵と醍醐が、立ちあがった。
教室の扉が開いて、杏子に腕を引っ張られた京一が入ってきた。
「あ…良かった。皆もいたのね」
教室にいる彼らを見て、杏子がそう言った。
「アン子?どうしたの?」
「頼みがあるのよ。この馬鹿、屋上で昼寝なんかしてるから、起こすの大変だったわよ」
「俺が何処にいようが、俺の勝手だろうが!」
「何言ってんのよ!」
杏子が平手で京一を叩いた。
「まだ、寝ぼけてんの!?」
「何すんだよ!」
「いいから、話を聞きなさい!あんた達もよ」
「聞きたくない…」
小蒔は杏子から視線を逸らした。
「あ、何よ。桜井ちゃんまで!判ったわよ。あんた達にラーメン奢るから、協力してよ」
杏子は渋々折れて、そう言い出した。
「遠野が人に物を奢ってまで、頼み事をするなんてな」
「まぁね。それだけあんた達の力を借りたいって事よ」
杏子は、小蒔と京一の腕を取って歩き出した。
「ほら、さっさと行くわよ」
麻莉菜達が呆然としている間に、彼女は出ていった。
京一は、麻莉菜とすれ違った時に、ちらりと彼女を見て、すぐに視線をそらしてしまった。
(京一君…)
「仕方ない、俺達も行くか」
「そうね、アン子ちゃんの話も気になるし」
醍醐と葵も後についていこうとした。
「どうしたの?緋月さん」
立ち尽くしている麻莉菜に気づいて、葵が話しかける。
「ううん、なんでもない…」
「朝から、元気が無かったな。何かあったのか?」
「本当に何でも無いから、心配しないで」
麻莉菜はそう言って笑って見せた。
「遠野さんの話を聞くんでしょう?行かないの?」
彼女に促されて、葵達も教室を出た。
「あ、緋月さん。こっちだよ」
小蒔が麻莉菜の腕を掴んで、京一の横に座らせようとした。
「ほら、座って。葵も醍醐君も早く」
小蒔に肩を押される様に、麻莉菜はそこに座った。
「アン子、それで俺達に頼みって何だよ?」
「その前に、皆はこの記事知ってる?」
杏子は、新聞を鞄の中から取り出した。
広げられた新聞には、ある個所に印がつけられていた。
「なんだよ、これ」
「渋谷界隈で起こってる惨殺事件。ここしばらく連続して起こってるのよね」
「ボク、これニュースで見たよ。なんか、鴉にでも襲われたような痕が残ってるって」
「鴉?鴉が人を襲うわけねぇだろうが」
「認識が甘いわよ。京一。鴉だって、人を襲うのよ。現にそういった事例はいくつも報告
されてるしね」
杏子はラーメンを食べながら、京一に反論した。
「だけど、アン子ちゃん。鴉が人を襲うのは、テリトリー侵されたときだけでしょう?」
「さすが、美里ちゃんね。その通りよ、鴉が人や他の生き物を襲うのは、主にテリトリーを
護る為。だけど、今度の事件はそうじゃないのよ」
「それって、鴉の真似をした誰かが事件を起こしてるって事?」
「俺達に頼みというのは、まさか犯人を捕まえろと言う事か?」
「近いけど、はずれ。犯人を捕まえるのは、警察の仕事でしょ。あたし達のやるべき事じゃ
ないわ」
「じゃ、一体何をしろって言うの?」
「この事件を解明して欲しいのよ」
「まさか、アン子ちゃん…」
「これは、普通の事件じゃないわ。単なる猟奇事件なんて、言葉で片付けられないのよ」
「だから、俺達にか…」
醍醐が呟いた。
「そうよ。これはあたしのカンだけど、あんた達にしか解決できない事件だと思うのよ」
「判った。引き受けよう。ただし、遠野。お前は連れていけないぞ」
「どうしてよ!これは、あたしが追ってる事件なのよ!」
「何が起こるか判らないのに、連れて行く訳にいかないだろう。連絡をいれるから、待って
いろ」
杏子の反論を封じると、醍醐は立ちあがった。
「判ったわよ。学校で待ってるから、必ず連絡を頂戴よ」
「それで、まず何処へ行けばいいんだ?」
「そうね、代々木公園に行ってみてくれる?そこが、一番被害が多いのよ」
「判った。行くぞ、皆」
「ちゃんとネタ掴んできてよ!」
杏子の声を背にしながら、彼らはラーメン屋を出た。
「しかし、渋谷ね。新宿と同じ位、人が多い所だぜ。そこでそんな騒ぎが起こるか?普通…」
「それをこれから調べに行くんじゃないか。何を拗ねてんだよ、
さっきから」
山手線に乗った後も何か苛ついている京一の言葉に、小蒔が怒ったように言った。
「別に拗ねてなんかねぇよ」
電車の扉の横に凭れながら、京一は答えた。
「何、言ってるんだよ。それの何処が、拗ねてないって言うんだよ」
「桜井、もう渋谷だ。降りるぞ」
醍醐に言われて、小蒔は京一を睨みつけると電車から降りた。
渋谷駅を出た彼らは、真っ直ぐにセンター街を目指す。
「相変わらず、人の多い所だな」
歩きながら、京一は人込みに対して文句を言う。
「緋月さん、渋谷は初めて?」
「修学旅行の自由行動でしか来た事ないの」
きょろきょろしている麻莉菜を見て、小蒔が聞いた。
「はぐれない様にしなきゃ駄目だよ。京一、手でもつないどいてあげたら?」
「なっ!馬鹿な事言うなよ」
(冗談じゃねぇ…!顔、見ただけで、あんな状態になるのに、手なんか握ったら…)
京一は、小蒔の横にいる麻莉菜を見ないようにしながら、そう言った。
「桜井さん、あたしなら大丈夫だから…」
京一の様子を見た麻莉菜が、そう言った。
「良くない!こんなとこではぐれたら、どうすんだよ!京一も、ぐずぐずしない!」
小蒔が、京一を睨みつけるようにして言った。
「時間だってないんだからね。ほら、さっさと行くよ!」
それだけ言って、小蒔は歩き出し、その剣幕に押される様に葵と醍醐も歩いていって
しまった。
「あたし、皆の後ついて歩くから、心配しないで」
残った麻莉菜は、京一にそれだけ言って、歩き出した。
「迷うなよな」
京一はそう言って、麻莉菜の前を歩いていった。
人の多い交叉点にさしかかったところで、信号が変わるのを見て、小蒔が叫んだ。
「信号変わっちゃうよ!急いで!」
その声で前の4人は駆け出した。
「え」
人込みに押されていた麻莉菜は反応が遅れ、走り出そうとした時に前からきた少女と
ぶつかった。
「きゃっ!」
「ご…ごめんなさい…大丈夫ですか?」
互いに勢いがついていたために、2人とも転んでしまった。
「ええ、私は大丈夫です。怪我ないですか?」
散らばった荷物を拾いながら、その少女は麻莉菜に逆に聞いてきた。
「あの…良かったら、名前教えてもらえませんか?あ、あたし比良坂 紗夜って言います」
「緋月 麻莉菜です」
麻莉菜は、少し戸惑いながら名前を告げた。
「また会えるといいですね」
紗夜と名乗った少女は、笑ってそう言うと人込みの中に姿を消した。
(変わった人だなぁ…)
ぼんやりとその後姿を見送っていた麻莉菜は、自分が何をしに渋谷に来たのかを思い出して、
仲間の姿を探す。
(皆、何処行ったんだろう…)
交叉点を渡って、仲間達の行ったであろう方向を見た。
「どうしよう…あんなに言われてたのに…はぐれちゃった」
通りすぎる人波の中で、麻莉菜は途方にくれていた。
何処へ向かえばいいのかも判らず、彼女は立ち尽くしていた。
「麻莉菜!」
離れた所から、聞こえてきた声に、彼女の表情が安堵のものに変わる。
「何やってんだ。ついてきてるかと思えば、姿が見えねぇし。離れるなって言っただろう」
「歩きにくくて…」
「仕方ねぇな。ほら」
京一は一瞬困ったような表情を浮かべてから、麻莉菜の方に手を差し出す。
「手ぇ離すんじゃねぇぞ」
麻莉菜の手を握ると、京一は前を向いて歩き出した。
(顔さえ見なけりゃ、きっと大丈夫だ)
そう思いながら、彼は真っ直ぐ前を見ていた。
「京一君…ごめんね…」
背後から麻莉菜の謝る小声が聞こえてきて、京一の心臓の動悸が早まる。
(た…頼むから、喋らないでくれ…)
麻莉菜に聞こえるのではないかというくらい、動悸がするのを感じて、京一は焦った。
(そんな声で喋られたら、たまんねぇよ…)
仲間達の所に行くまで、京一は緊張しまくっていた。
「あ、緋月さん」
「見つかったか、心配したぞ」
「だから、手をつないどけって、言ったろ。ったく、京一のせいだからね」
三者三様の言葉を聞きながら、京一は麻莉菜の手をすぐに離した。
「そんな事言ったって、しょうがねぇだろ。はぐれるなんて、
思わなかったんだから」
「ごめんなさい…、心配かけて…」
「良かったわ。すぐに見つかって」
謝る麻莉菜に、微笑みかけながら葵が言った。
「それより早く行こうよ。本当に遅くなっちゃうよ」
小蒔がそう言った時、路地裏の方から悲鳴が聞こえた。
「!」
彼らはその悲鳴が聞こえた方へ一斉に駆け出した。
そこではスーツを着た女性が鴉の群れに襲われていた。
「助けて!」
「おい、あんたら。レディが助けを求めてるんだ。ぼけっとしてないで、手伝いな」
突然、槍を持った若い学生が現れて、麻莉菜達に指示を出す。
我に返った麻莉菜達が、鴉を追い払う為に、それぞれが技をふるった。
ほとんどの鴉が地面に落ちて、回りが静寂を取り戻した時、その学生が麻莉菜達に近づいて
来た。
「あんたら、魔人学園の生徒だろ。俺は、神代高校の雨紋 雷人ってんだ。よろしくな」
麻莉菜達に向かってそう言った彼は笑って見せてから、女性の方を見た。
「まったく、あんたも懲りないな。いい加減にしたらどうだい?」
「そうはいかないわ。これは私の仕事ですもの」
女性はそう言って、麻莉菜達の方を見た。
「ありがとう、助かったわ。私は天野 絵莉。ルポライターをしてるの」
「ルポライターって、なんで…」
「ちょっとした事件を追ってるの」
「それって、まさか…!」
麻莉菜達の間に緊張が走った。
「あんた達は、何しに来たんだい?わざわざこんな所まで来るなんて、何か訳ありか?」
雨紋の問いに、彼らは顔を見合わせた。
「あたし達…鴉を探しにきたの…だから、代々木公園に…」
麻莉菜が、京一達の背後から顔を覗かせて、そう言った。
「鴉?それに代々木公園って、今、あそこがどう言う状態か判ってるのかよ」
その言葉に雨紋が、眉をひそめた。
「最近、この渋谷で起こってる猟奇事件…俺達は鴉が関係しているんじゃないかと考えて
いるんだ」
「あんたら…気は確かか?鴉が人間を襲って、殺してるなんて…」
「きっと…誰かが鴉を操っていると思うの…」
麻莉菜は、小声で言葉を綴った。
「なるほどね…僕の可愛い子供達が騒いでると思ったら…。良かったじゃないか、雨紋。
仲間ができて」
「唐栖!」
黒づくめの青年が彼らの前に、姿を現した。
「それだけ、人数がいれば僕を倒せるかもしれないよ」
「あなたの仕業なの?この事件は」
絵莉がその青年に詰め寄った。
「残念ですよ。あなたを10人目の被害者にしてあげようと思ってたのに」
その青年は、薄く笑った。
「まぁ、いい。代々木公園で待ってるよ」
現れた時と同じように、彼は姿を消した。
「行ってみるか。せっかくお誘いしてくれてるんだ」
「そうだね。放っとく訳にもいかないよね」
「緋月もいいな」
「うん」
「待てよ。本当に行くつもりなのか?」
歩き出そうとした彼らに、雨紋が聞く。
「当り前じゃないか。俺達は、渋谷に遊びに来たわけじゃねぇからな」
京一がそう答えた時、麻莉菜が仲間達から離れて、雨紋に近づいていった。
「一緒に行かない…?」
「そうだな、可愛いお嬢ちゃんの誘いだし、俺もあいつに会いに行こうと思ってたしな」
雨紋は、少し考えた後、そう言った。
「そういや、あんたらの名前を聞いてなかったな」
その言葉に、麻莉菜達はそれぞれ名乗った。
「緋月 麻莉菜ね。名前も可愛いんだな。ま、これからよろしくな」
雨紋は、麻莉菜に興味を持ったらしく、手を握ろうとした。
「あの…?」
「行くぜ。早い方がいいんだろう」
それをとどめたのは、京一の一言。
「そうね。天野さんはどうしますか?」
「悪いけど、私にできる事はないわ。酷な言い方だけど、これは私にとってビジネスなの。
ビジネスにならない事をいつまでも追いかけてるわけにはいかないのよ」
絵莉はきっぱりと言いきった。
「そうだよね。遊んでるわけじゃないんだものね」
「もし、縁があれば、また会いましょう」
彼女は、それだけを言い残して去っていった。
それから、彼らは代々木公園に向かって歩いていった。
その間ずっと雨紋は、麻莉菜に話しかけていた。
(なんだよ、こいつ。麻莉菜に馴れ馴れしくしやがって…)
それを見ている京一の表情が険しくなってくる。
「そう言えば、京一は緋月さんの事、名前で呼ぶよね。ボク達もそう呼んでいい?ボクらの
事も名前で呼んでいいからさ。堅苦しいのは嫌だし、友達なんだからね」
小蒔が思いついたようにそう聞いた。
「うん」
嬉しそうに麻莉菜が頷くのを見た雨紋が言った言葉が、京一の神経を逆撫でした。
「じゃ、俺様も名前で呼ばせてもらっていいかい?麻莉菜サンって、俺様の好みのタイプ
なんだよな」
「え…」
「可愛いしよ」
その一言に麻莉菜の顔が紅くなる。
(図々しい事、言ってんじゃねぇよ。会ったばかりで、何なんだ。こいつは!)
「おい、もうすぐ代々木公園につくぜ」
麻莉菜を雨紋から離しながら、京一がそう言った。
「凄い鴉の数だよ」
「こんなに集まってるなんて…」
小蒔と葵が、表情を強張らせる。
「ここは、今、騒ぎのせいで立ち入り禁止になってる」
「奴はどこにいるんだ?」
「この先に工事中の高い塔がある。たぶんその一番上だろうな」
醍醐の問いに雨紋が答える。
「そこから下を見下ろすのが、奴の習慣らしいからな」
「何とかと煙はって…やつかよ」
麻莉菜の姿を雨紋の視線から遮るような位置に立ちながら、京一が言った。
「さあな。ところであんたら、高い所は平気かい?」
「うん、別に怖くはないよ」
「そっか、そりゃ良かった。せいぜい落ちない様に気をつけな。まぁ、麻莉菜サンが
落ちそうになったら、助けてやるけどよ」
「あ…ありがとう」
(こいつ、いい加減にしやがれ…!麻莉菜も顔を紅くしてんじゃねぇよ)
京一はむかむかしながら、その会話を聞いていた。
「まぁ、気をつけるのに越した事はないな。足でも踏み外したら、それこそおしまいだ」
醍醐は、そう言ってその場の雰囲気を変えようとした。
「あれがその塔なの?」
小蒔が目の前にそびえたつ塔を見ていった。
「なんで、途中で放っとかれてるの?」
「例の騒ぎのせいで、中断してるんだってよ。おかげで鴉どもの巣になってる」
鉄塔の横に備え付けられた階段を上りながら、雨紋が答えた。
「人気がまったくないのは、そのせいか」
一番後ろから、階段を上りながら、醍醐が得心したように言った。
「でも、こんな高い塔を建てることに意味があるの?」
「さあな。大人の考える事なんて、俺様には判らねぇよ」
鉄塔を上り切った所で発せられた麻莉菜の不思議そうな問いに、雨紋が答えた。
「こんな高い所から下を見下ろすのは、確かに気分がいいかもしれないけどな。なぁ、
唐栖?」
「そうだね。愚かな人間を見下ろすのは、本当に気分がいいよ。僕はあいつらの手の
届かない高みにいるんだからね」
「あなただって、その人間の一人ではないの?」
「僕が?あいつらと同じ人間だって?」
葵の言葉に唐栖が冷笑を浮かべる。
「僕は選ばれたんだよ。愚かな人間を粛正する為にね。そして美里 葵。君もね」
「私の名前をどうして…」
「僕の子供達が教えてくれたのさ。僕の横に立つに相応しい《力》を持っている事もね」
麻莉菜に視線を移して、唐栖が言葉を続けた。
「そう思わないか?」
「…思わない。人間が人間をそんな形で裁けるわけないもの…そんな事を言うのは、
神様なんかじゃない…」
「君達がどう思うと構わないさ。どうせ、君達はここで死ぬんだ。僕の可愛い子供達の手に
かかってね」
「ざけるなよ。そのイカレた考え方、すぐに改めさせてやるぜ。多少痛い目を見るかも
知れねぇけどな」
さっきから不機嫌だった京一は、八つ当たりの相手を唐栖に定めていた。
「僕達に勝てると思ってるのか?」
「あなたが間違ってる以上、私達は負けるわけにはいかないの」
「君達がその気なら、それでもいい。僕も容赦はしないよ」
葵の一言に、唐栖の冷笑が消えた。
唐栖の合図で、鴉達が一斉に集まってきて、彼らに襲いかかってきた。
「桜井、援護しろ」
「うん」
飛んでくる鴉に向かって、小蒔は矢を連射する。
その隙をついて、麻莉菜と京一が唐栖に近づく。
「間違ってるよ…あたし達がもし、何かに選ばれてたとしても、この《力》はそんな事の為
に、使うものじゃないよ」
麻莉菜は、小さな声で…しかしはっきりと言った。
「幻想だな、そんな事は」
「あたし、あなたが何を考えて、どんな風に生きてきたかは判らない…。でも、それが、
他人を傷つけていい理由にはならないよ」
「麻莉菜、そいつに何を言っても無駄だ。俺達に説得される位なら、とっくに止めてるさ」
襲いかかってくる鴉を叩き落しながら、京一は言った。
「彼の言う通りだよ。僕を説得したいなら、倒す事だよ」
その言葉を聞いた麻莉菜は、少し俯いてから、すぐに顔をあげた。
「…あたしに判る事が一つだけあったよ。あなたは誰も信じてないんだ。心配してくれてる
雨紋君の事も誰も…」
そう言った後、麻莉菜は自分の『気』を拳に乗せて、唐栖に向かって突き出した。
「ぐっ!」
唐栖は、まともにくらって、鉄骨の上に倒れ伏した。
彼に従っていた鴉は、空の彼方に飛び去っていった。
「皆、大丈夫?」
麻莉菜は、一瞬哀しそうな表情を浮かべた後、仲間達の所に戻ってきた。
「ボク達は平気だよ。麻莉菜は?怪我してない?」
「うん、平気…」
「唐栖は?」
「しばらくはあの《力》を使えないだろうな。まっ、命に別状はないだろう」
地上に降りた麻莉菜は、何かを考えこんでいた。
「雨紋クンは、これからどうするの?」
自分達から離れて一人で立っていた雨紋に、小蒔が尋ねる。
「そうだな…特に決めちゃいないが…」
「良かったら、ボク達と一緒に行動しない?」
「あんたらと一緒に?」
「仲間は、一人でも多い方がいいものね。麻莉菜もそう思うだろう?」
「え…うん」
麻莉菜は、我に返ったように、顔をあげた。
「麻莉菜サンの仲間ね…、いいぜ。あんたらとつるむのも面白そうだし、いつか、
麻莉菜サンを落とすチャンスもあるだろうしな」
「え?」
「お前!そんな不純な動機で、仲間になるつもりか!」
「なんで、お前にそんな事を言われなきゃいけないんだ?別に麻莉菜サンは、あんたの恋人
って訳じゃないだろう?」
「そ…それは…」
京一は、言葉に詰まった。
「麻莉菜サンはフリーだろう。だったら、俺様にもチャンスはあるって事だろう。
そうだよな?」
「まぁ、そう言うことになるのかな…」
醍醐達は、一瞬顔を見合わせた後、そう答えた。
「まぁ、何かあったら呼んでくれよ。麻莉菜サンの頼みなら、すぐに駆け付けるからよ」
「あ…ありがとう…」
「これ、俺様の携帯の電話番号な。じゃ、連絡待ってるからよ」
雨紋は麻莉菜の頬に軽くキスして、去っていった。
「馬鹿やろう!お前なんか、二度と呼ぶか!」
彼らが呆然とする間、京一の怒鳴り声だけが響いていた。
「なんか…楽しい人だね…」
「ああ、騒がしくなりそうだな」
小蒔と醍醐はそれぞれに独り言の様に呟いた。
「帰ろうっか。遅くなったし…」
「そうだな」
まだ、怒り狂っている京一を引き摺る様にして、醍醐は歩き出した。
「麻莉菜、帰ろう」
「う…うん」
キスされた頬を押さえ、驚いたように目を見開いていた麻莉菜は、その言葉に頷き、彼らは
新宿へと戻っていった。
「大丈夫…きっと、大丈夫…」
次の日、麻莉菜は洗面所の鏡に自分を写しながら、何度もそう呟いた。
(みんな、きっと判ってくれる…)
手に持っていた小さなケースを棚の上に戻すと、彼女はリビングに戻っていった。
「信じなきゃ…皆の事…」
「あれ、麻莉菜。まだ、来てないんだ。京一、一緒に来なかったの?」
「ああ…」
教室に入ってきた小蒔の問いに、京一は短く答えた。
「それにしてもさ、麻莉菜って不思議な娘だよね。あんなに可愛いのに、凄く強いしさ」
「そうだな。外見からはとてもそう見えんがな」
醍醐も会話に加わってくる。
「今、結構人気出てきてるよね。結構、おとなしそうに見えるし、あの栗色の眼で
見つめられたいなんて、馬鹿な事を考えてるのもいるらしいよ」
「あ…?何、言ってるんだ。麻莉菜の眼の色は、栗色なんかじゃねぇぞ。淡い空色だぞ」
京一は、ふと聞いた言葉に顔を上げる。
「京一、何言ってんだよ。麻莉菜の眼は、栗色だよ」
「ああ、俺もそうだと思ったが」
「違うって、あいつの眼は空色だ。間違いねぇよ」
「京一、色の識別までできなくなったの?」
小蒔が呆れた様に言った時、麻莉菜が教室に入ってきた。
「おはよう、麻莉菜」
「おはようございます…桜井さん」
「もう、小蒔だって言ったじゃないか。堅苦しいのはなしだよ」
俯いたままの麻莉菜の頭を軽く叩きながら、小蒔が言った。
「どうしたの?気分でも悪いの?」
葵が心配そうに聞いた時、麻莉菜はゆっくりと顔を上げた。
「あれ…麻莉菜…」
麻莉菜の顔を見た小蒔が、不思議そうな声を出す。
「眼の色…」
彼女の眼の色が何時もと違っていた。
「ごめんなさい。あたしの眼の色は、本当はこの色なの。今まで、カラーコンタクト
いれてたから…」
「綺麗じゃない。隠す事なかったのに」
「本当、とっても綺麗な眼の色ね」
「だから、俺が言ったろうが!麻莉菜の眼は空色だって!」
「確かに、珍しい色だがな。隠す事もないだろう」
「ごめんなさい…でも、これ以上、隠しておきたくなかったの。あたしの事を、
皆、友達だって言ったくれたから」
「当り前じゃない。なんで、友達を眼の色なんかで選ばなきゃならないんだ」
小蒔が少し怒ったように言った。
「ボクら、そんな事を気にしたりしないよ。麻莉菜は麻莉菜だろ」
「そうね、私達は、少なくとも気にしたりはしないわ」
葵が優しげな微笑を浮かべて、麻莉菜を見た。
「怒ってない…?」
「怒る必要なんてないよ。麻莉菜は自分からボクらに言ってくれたんだから」
「ああ、そうだな」
醍醐が落ちついた声で言った。
その言葉を聞いた麻莉菜は、嬉しそうな表情を浮かべた。
「ほら、京一も何か言ってあげなよ」
小蒔に言われて、麻莉菜を見た京一は、すぐに眼を逸らした。
「いいんじゃねぇか?」
「京一君…?」
麻莉菜の顔を見ずに、京一は立ちあがった。
「俺には関係ないしな」
(麻莉菜に惚れてるのは、間違いないんだから)
彼は、それだけを言い残して、教室を出ていってしまった。
「ちょっと、京一!」
小蒔が呼び止めたが、それに答えは返らなかった。
NEXT