邪神街

 

それからしばらくたった日。雑踏の中で麻莉菜は人待ち顔で立っていた。

「麻莉菜」

かけられた声に彼女は顔をあげる。

「待たせてごめんなさい」

「ううん、あたしも今来たところだから」

葵の言葉に、麻莉菜は笑顔を浮かべる。

「あのね、麻莉菜」

「なあに?」

「私、麻莉菜に相談したい事が…」

「あたしで力になれる事ならいいよ」

「私、みんなの役にたってるのかしら…すごく不安なの」

「そんな事!葵がいなければ、今頃みんな死んでるかも知れないのに、どうしてそんな事を

言うの?」

麻莉菜は葵の言葉を聞いて、哀しそうな表情を浮かべる。

「葵、あたしと一緒にいるの…嫌になったの?」

「何言ってるの。そんな事…」

「あたしの方が迷惑かけてるから、葵、一緒にいるのが嫌なんじゃないかと思って…」

「そんな事ないわ、麻莉菜はいつだって一生懸命やってるじゃない」

「だって、みんなの側にいたいから…。今は役に立てなくても、いつか役に立てる様に

頑張る事しかあたしには出来ないから…」

麻莉菜は、ゆっくりと小声で言った。

「そうね、頑張るしかないわね…ごめんなさい、遊びに行く前、こんな話をしてしまって…」

「ううん、相談してくれて、凄く嬉しかった…」

麻莉菜はそう言って笑った。

「それにしても、みんな遅いね…」

人ごみを見つめながら、麻莉菜がそう言った。

「そうね」

彼女達は、ぼんやりとその場に立っていた。

「麻莉菜、葵、ごめん!遅くなって。…って、まだ京一達、来てないの?」

「うん、まだ…」

「何やってるんだか、女の子を待たせるなんて…」

小蒔が文句を言った時、京一が現れた。

「お前だって、今来たところじゃないかよ」

「京一君」

麻莉菜が嬉しそうに笑うのを見て、京一は麻莉菜の髪を撫ぜた。

「どうせ、麻莉菜の水着姿を想像してて、寝過ごしたんだろう。何を威張ってんだよ」

「お前とは、一度、ゆっくり話し合わなきゃいけないみてぇだな」

小蒔の言葉に、京一は彼女の事を睨みつけた。

「本当の事だろう」

「あの?」

京一の腕に抱きしめられていた麻莉菜が不思議そうな表情を浮かべて、二人を見た。

「麻莉菜が困ってるわよ?」

葵が笑いながらそう言った。

「おまえら、また緋月を困らせてるのか」

醍醐が学生服をきっちり着こんで、現れた。

「醍醐…お前、相変わらず暑苦しい格好してるな」

その姿を見た京一は、げんなりとした表情でそう言った。

「学生が制服を着て何が悪い」

「早くプールに行こうよ。皆、揃ったんだしさ」

「そうだな」

小蒔を先頭にして、彼らは駅に向かった。

目的の駅で降りた彼らは、談笑しながらプールに向かった。

途中で、出会った高校生詩人の水岐 涼は、麻莉菜達に理解できない事を一人で喋って

去っていってしまった。

「?」

「あの人、何が言いたかったの?」

その後姿を見ながらの麻莉菜の問いに、誰も答えられなかった。

「あんな奴、放っとこうぜ。そんな事より、早くプールに行こうぜ」

京一の言葉で、彼らはプールに向かった。

更衣室で着替えた麻莉菜達は、プールサイドで待っているだろう京一達の所に行った。

京一達の所には、藤咲がいて談笑していた。

「藤咲さん…」

「あら、麻莉菜もいたんだ。可愛い水着ね。良く似合ってるわ」

麻莉菜のフリル付の空色の水着を見て、藤咲が微笑んだ。

「ありがとう…」

麻莉菜は、少し照れ臭そうに俯いた。

「京一も何か言ってやったら?」

藤咲にそう言われて、京一は顔をあげた。

「似合ってると思うぜ。眼の色とも合ってるし…」

「あ〜あ、顔紅くしちゃって…まったく、京一らしくないね」

小蒔が呆れたように言った。

「るせぇ!似合ってるものを似合ってるって言って、何が悪いんだ」

「これだものね…」

3人は、困った様に苦笑した。

「本当に、見ててあきない男よね。あんたって…」

藤咲は、呆れた様に京一を見て、彼の顎に手を伸ばした。

京一の頬に軽く口付けると、藤咲は髪をかきあげた。

「あたしは、当てが外れたから帰るわ。あんた達は勝手に青春ごっこしてなさい」

彼女はそれだけ言って、帰っていった。

「ま…麻莉菜!」

京一が振り向くと、麻莉菜が悲しそうな表情をして俯いていた。

「気にするなよ!藤咲が勝手にやったことなんだから」

「…」

麻莉菜は俯いたまま、微かに頷いた。

「せっかく、プールに来たんだから、楽しもうよ」

小蒔が麻莉菜の腕を引っ張って、プールの方へ引っ張っていった。

プールにいる間、麻莉菜はほんの少しの微笑を浮かべるだけだった。

「お腹もすいたし、新宿戻って何か食べていこうか」

小蒔が、そう言った時、プールの方から悲鳴が聞こえた。

「何?」

「この匂い…」

麻莉菜は、プールの方を振りかえって、漂ってきた匂いに眉をひそめた。

「いったい…」

「行ってみようぜ」

彼らがプールに戻ろうとした時、それを制止しようとした声が響いた。

「待ちたまえ、行ってはいけない」

「え…?」

振り向くと、見覚えのない青年が立っていた。

「あの?」

「今更、行っても手遅れだ。もう、何も残ってないだろう」

「そんな事言ってんじゃねぇよ!」

京一は、その一言が気に触ったらしく、怒鳴りつけた。

「大体、おまえはいきなり出てきて、何言ってやがる!助けられたかもしれなかったのに、

邪魔しやがって…」

「君達の《力》で、かなう相手じゃない。それより問題なのは増上寺が奴らの手に落ちたと

言う事だ」

「増上寺?」

麻莉菜は、不思議そうな顔をして青年を見つめた。

「あなたは、何を知ってるの?」

「僕は、如月 翡翠。この東京を江戸の時代から見守ってきた一族の末裔だ」

「如月君、知ってる事を教えて…」

麻莉菜は、如月の顔を覗きこんでそう尋ねる。

「君は…」

如月が口を開きかけた時、遠くからパトカーのサイレンが聞こえた。

「いや、止めておこう。君達が知る必要はない」

それだけを言い残して、彼は姿を消した。

「あの人、骨董屋にいた人だよね…」

「骨董屋?」

「確か、北区の…」

「それより、俺達もずらかろうぜ。色々聞かれると、面倒だ」

それだけ言うと、京一は麻莉菜の手を掴んで走り出した。

他の仲間もそれに続いた。

「プールで遊んだ後、全力疾走する羽目になるとは、思わなかったよ」

「さすがにここまでこれば、おまわりの眼も届かないだろうぜ」

離れた場所まで来て、立ち止まった京一は、回りを確認してから振り返った。

「京一君…痛い…」

京一はその声に慌てて麻莉菜の手を離した。

「悪ィ!」

「…」

「つい、夢中で…痛かったろ」

麻莉菜の腕に薄く指の跡がついていた。

「大丈夫?」

葵と小蒔が、その跡を見て、眉をひそめた。

「まったく、京一は加減しないんだから」

「しばらくすれば大丈夫だと思うから…」

小蒔の言葉に、麻莉菜はそう言って笑った。

「それより、また何か起こってるのかな…」

麻莉菜がさっきの出来事を思い出して、そう言った。

「そうだね、如月君って人も何者か判らないし…」

葵も少し表情を暗くする。

「大丈夫だって、何も心配する事なんてないって」

京一はポンポンと麻莉菜の頭を叩いた。

「それより、早くラーメン食いに行こうぜ」

「まったく、お前は何時もそれだな」

醍醐が呆れたように言った。

「仕方ねぇだろう、腹減ったんだから」

京一は文句を言いながら、麻莉菜の髪に触れていた。

「確かにボク達もお腹減ったけどさ」

小蒔は、溜息をついた。

「まあ、ここで俺達が話し合っていてもしかたないな。情報を得るなら、遠野に頼るのが

一番だな」

「そうだね、アン子なら、すぐ調べてくれるだろうし…」

「とりあえず、新宿に戻りましょう」

葵の言葉に従うように、彼らは新宿に戻っていった。

「ああ、食った食った」

ラーメン屋を出た京一は、満足そうにそう言った。

「そりゃ、あれだけ食べれば、満足だろう」

小蒔が、そう突っ込んだ。

「麻莉菜の分まで、食べてたじゃないか」

「残したら、もったいねぇじゃないか、それに麻莉菜がくれるって言ったんだぜ」

「あんな眼で見られて、断れるわけないだろう!」

「あの…小蒔…、あたし、あまり食べれなかったし、残すより、食べてくれた方が…」

「麻莉菜は、京一に甘すぎる!そんなに甘やかしてどうするのさ!」

「そんなつもりは…」

「小蒔、嫉妬は見苦しいぞ?」

「誰が、嫉妬するか!」

小蒔は、京一の事を握った拳で殴った。

「京一君!」

「ってぇな!いきなり何すんだ!」

「いい加減にしろ、二人とも。こんな所で騒ぎを起こすな」

醍醐が二人を引き離した。

街を歩いて行く人間が、怪訝そうな顔をして彼らを眺めていく。

「もう日も暮れる。そろそろ帰った方がいいだろう」

「そうね。京一君、麻莉菜をお願いね」

葵が微笑みながら、そう言った。

「くれぐれも言っとくけど、麻莉菜を襲うんじゃないよ!」

小蒔の言葉に送られながら、麻莉菜と京一はその場を後にした。

「また…何か起こってるんだよね…」

帰り道で呟いた麻莉菜の言葉に、京一は振り向いた。

「あ?」

「不安じゃない?京一君は」

「別に」

京一は、麻莉菜に近づいていってそう言った。

「なんか起こったら、その時に考えりゃいいさ。今から、考えたってしょうがねぇぞ」

麻莉菜の髪をかきまわしながら、彼は笑った。

「心配ないって。いつだって解決してきただろう」

「うん…」

「それに、俺の事は麻莉菜が護ってくれるんだろう?だから、心配してねぇよ」

京一はそこまで言って、言葉を切った。

「それよりな。今度、二人で遊びに行こう」

「え?」

麻莉菜は驚いたように顔を上げた。

「デートしようぜ。そのうちにな」

その言葉に、麻莉菜の表情が一転ほころぶ。

「本当に?」

「だから、何処に行きたいか考えとけよ」

「うん!」

京一は、麻莉菜をマンションの部屋の前まで送ると帰ろうとした。

「お茶でも飲んでって」

麻莉菜の言葉に、京一は少し考えこんでから答えた。

「じゃ、少しだけ邪魔するな」

室内に入った二人を蒸し暑い空気が包んだ。

「今、空気を入れ換えるから」

麻莉菜は、リビングの窓を開け放った。

初夏の風が室内に入りこんで来る。

京一がソファに座っていると、麻莉菜がアイスコーヒーを入れて、運んできた。

「はい」

グラスを手渡してから、麻莉菜は京一の横に座った。

「この前も、他の連中来たって?」

「うん」

麻莉菜の答えを聞いて、彼は面白くなさそうな顔を浮かべた。

「この部屋で、一人でいるの寂しくて」

「他の連中を呼ぶなよ。言えば、俺が来てやるから」

「でも、京一君だって忙しいでしょう」

麻莉菜が、京一の顔を覗きこんだ。

「一人で過ごすのが嫌なら、ペットでも飼えよ。最近、流行ってんだろ」

「世話できなくなったら…可哀想だから」

麻莉菜は、少し俯いてそう言った。

「麻莉菜、またつまらねぇ事を考えてるだろう。何か起こった時の事なんて考えんなよ」

「でも、それがあたし達の現実でしょう」

「…だったら、逆に考えろよ。ペットがいるなら、何が起こっても、この部屋に戻って

こようって思えるだろう」

「それは、そうだけど…」

「深く考えんなよ。麻莉菜は何があってもペットを殺したりはしないだろう」

「うん…」

小声で呟く麻莉菜の背中を、京一はニ、三度叩いた。

「明日にでも、一緒にペットショップ見に行こうぜ。日曜日だしな」

彼は、そう言ってグラスの中身を飲んだ。

その横で、麻莉菜は黙って座っていた。

しばらく何をするでもなく、ぼんやりと過ごしていた京一の肩に、突然重みがかかる。

「?」

横を見ると、麻莉菜が静かな寝息を漏らして眠っていた。

(う…うわっ)

京一は、軽いパニックを起こしかけた。

どうしていいか判らずに、京一は回りを見回した。

(と…とりあえずベッドに寝かせねぇと、風邪でもひいたら…)

麻莉菜を起こさない様に抱き上げると、寝室に運ぶ。

ベッドの上に横たわらせると、タオルケットを上からかけようとして、手を止める。

(服…着せたまんまじゃまずいよな…)

麻莉菜の身体を軽く揺すって起こそうとしたが、彼女は軽く身動きするだけで、眼を

覚まさなかった。

「しかたねぇよな…」

京一は、服に手を伸ばして、脱がそうとした。

(う…)

麻莉菜の白い肌が見えて、京一の動悸が跳ねあがった。

彼女をなるべく見ないようにしながら、側にあったパジャマを着せていく。

なんとか着替えさせると、京一はタオルケットを上からかける。

リビングに戻った京一は、知らないうちに出ていた汗を拭って、深く息を吐いた。

(もしかして…凄ぇおいしい状況だったんじゃ…。でも、いくら何でも、眠ってるのに、

手ぇ出したりしたら、最低だしな…)

状況を思い返して、彼は顔を紅くする。

頭を大きく振って、浮かんだイメージを追い出すと、帰ろうとして玄関に向かった。

「あれ、鍵…どこだ」

戸締りをしようとして、京一は鍵を探した。

玄関では見つからず、リビングも探すが見当たらない。

(いくら何でも、戸締りせずに帰る訳に行かねぇよな)

どれだけ強くても、麻莉菜は少女で、このままにして帰るわけにもいかない。

「しょうがねぇな」

京一は髪を軽くかきむしると、窓や玄関の戸締りをした。

そして、灯りを消してから、ソファに横になると眼を閉じる。

やがて、寝息が部屋の中に流れてきた。

(あれぇ…?)

真夜中、眼を覚ました麻莉菜は、自分がベッドの上にいるのに気づいて、不思議そうに身体

を起こした。

「なんでぇ?」

自分がどうしてベッドにいるのか判らずに、回りを見回す。

眼を擦りながらベッドから降りて、寝室を出る。

リビングに誰かの気配を感じて、そちらへ向かい、京一がソファで眠ってるのを見つける。

(京一君…?)

どうして彼がいるのか判らずに、ソファの側に座りこむ。

(?)

疑問符を浮かべながら、京一の寝顔を見つめていた麻莉菜は小さなくしゃみをする。

立ちあがって寝室に戻った彼女は、タオルケットを持ってすぐに戻ってきた。

予備のタオルケットを京一にかけて、もう一枚で自分の身体を包む。

そうしてソファによりかかった麻莉菜は、襲ってきた睡魔に身を委ねて眠りについた。

「ん?」

朝の光が顔にかかって、京一は眼を覚ました。

大きく伸びをして起き上がった彼は、自分によりかかって眠っている麻莉菜の姿を認める。

(う…うわっ!?)

状況が把握できず、京一は慌ててソファから降りる。

(な…なんで、麻莉菜がここにいるんだ?昨夜、ベッドに寝かせた筈だぞ)

気配が変わったのを感じて、麻莉菜がもぞもぞと起きる。

「あ…京一君、おはよう」

眼を擦りながら普通に挨拶する麻莉菜を見て、京一は問い掛ける。

「なんで、こんな所に寝てんだ?」

「夜中に目が覚めて…リビングに来たら、京一君がいたから…」

「ベッドで寝てろよ…」

「だって…京一君の側が一番安心できるから…」

「か…風邪でも引いたらどうすんだ!」

「部屋、暖かいし…京一君の側も暖かいから…大丈夫」

麻莉菜は、どうして京一が焦ってるか判らずに不思議そうに答えた。

「だからってな!」

「それより、どうして京一君がここにいるの?」

「鍵が見つからなかったんだよ。戸締りしなきゃ、無用心だろうが」

「そっか、スカートのポケットに入れたんだった。ごめんね、困ったでしょう」

「俺は構わないんだけどよ…」

(役得もあったしな…)

心の中でこっそりと呟く京一に、麻莉菜は再び尋ねてくる。

「あたし…自分で着替えたっけ?」

「え…あ、いや…起きなかったから…俺が…。でも、何もしてねぇからな」

紅くなって答える京一の言葉を聞いて、麻莉菜の顔も紅くなる。

「う…うん」

焦った様に立ちあがった麻莉菜は、パタパタと台所に走っていく。

「すぐ、食事のしたくするから…」

台所から聞こえてきた声に短く答えると、京一はソファに座りなおした。

(か…可愛すぎる…)

「やっぱり、チャンスだったんだよな。もったいない事したかもな」

京一が溜息混じりに呟いた時、麻莉菜の声が聞こえた。

「京一君、簡単なものでいい?」

「あ…ああ、構わないぜ」

「ごめんね。最近、買物にいけなくて」

そう言いながら、麻莉菜が並べていく料理はいつも通り素晴らしいものだった。

「これだけ出来りゃ、いいって」

麻莉菜に笑いかけると、京一はテーブルについた。

目の前の和食を食べながら、彼は麻莉菜の髪の毛を優しくかき回した。

「それより、食事が終わったら出かけようぜ」

「うん」

骨ばった京一の手を止めようとしながら、麻莉菜は頷いた。

重なった麻莉菜の手を、京一は無意識に握り締めていた。

「京一君?」

麻莉菜の不思議そうな声に、京一は我に返った。

「あ…と、悪い。そのあんまり柔らかかったからよ…」

京一は慌てて手を離して、麻莉菜の顔を見た。

麻莉菜は、少し哀しそうな表情を浮かべて、京一を見つめて、それから少し微笑んだ。

「こんな手で良ければいつでも触っていいよ」

麻莉菜は微笑んだまま、そう言うと立ちあがった。

「あたし、着替えてくるから。食事してて」

麻莉菜はそれだけを言い残して、寝室に入っていってしまった。

彼女の仕度が終わるのを待って、彼らは街へ出かけた。

人の流れを避けながら、京一は麻莉菜の手をひいて歩いていた。

「手ぇ離すなよ」

「うん…」

麻莉菜は、人にぶつからない様に歩くのに気を取られていて、京一の言葉も半分耳に入って

いないようだった。

その様子に気づいた京一は、麻莉菜の身体を自分の方へ引き寄せた。

「え」

「この方がはぐれねぇだろ」

「うん…」

京一の腕の中に抱きかかえられるようにして、麻莉菜は歩いていった。

二人はしばらく歩いて、一軒のペットショップに入っていった。

店内には、小動物がたくさんいた。

「ゆっくり、探してみろよ。何か気に入るだろう」

京一はゲージに入っている動物達を見ながら、そう言った。

「う…ん」

麻莉菜は、店内をゆっくりと見回しながら歩いていた。

京一は、その後をついて歩いていた。

「あ…」

麻莉菜は一つのゲージの前にしゃがみこんだ。

中ではハムスターがホイールで遊んでいた。

「かわいい…」

麻莉菜はゲージの間から、指を入れた。

そっと撫ぜている麻莉菜の表情を見て、店員が近づいて来た。

「お出ししてみましょうか?」

「え…」

「出してもらえよ。気に入ったんだろう?」

京一の言葉に、店員がゲージを開けて、麻莉菜の手にハムスターをのせた。

身動きしないそれを麻莉菜は、そっと撫ぜていた。

「気に入ったんなら、それにしたらどうだ?」

「でも…」

「こいつも麻莉菜の事、気に入ったみたいだぜ」

考えこんでる麻莉菜の手の上で、ハムスターはおとなしくしていた。

京一の言葉に、麻莉菜は彼とハムスターを交互に見つめた。

「うん…」

彼女は、決心した様に立ちあがった。

「この子、下さい」

店員にそう言ってから、店内を見回した。

「…それから、この子に必要な物を一揃い下さい」

「有難うございます」

買物を終えて、店を出た麻莉菜は小さな箱に入ったハムスターを大事そうに抱えていた。

その横でゲージなどの袋を抱えた京一は、少し満足そうに彼女を見つめていた。

「マンションに戻って、こいつ置いたら、また出かけようぜ」

「うん」

麻莉菜の部屋に戻った彼らは、ゲージに餌と水を用意してからハムスターを入れる。

ハムスターは中の様子を確認した後、すぐに敷き詰めたおがくずに潜っていった。

「良かった…気に入ったみたい…」

その様子を見ていた麻莉菜の肩を京一は軽く叩いた。

「良かったな」

「うん」

本当に嬉しそうに麻莉菜が京一を見上げた。

「ありがとう、京一君」

「いいって…」

京一は、照れくさそうに自分の髪の毛をかき回した。

「それよりさ…出かけねぇか?デートしようぜ」

「うん」

麻莉菜の手を掴んで立たせると、マンションを後にした。

「どっか、行きたいところあるか?」

「あのね…」

京一の問いに、麻莉菜は少し考えてから答えた。

「へ?」

麻莉菜のリクエストに答えて、数時間後に、二人は都庁の展望室に上っていた。

「本当にここでいいのかよ」

「うん」

麻莉菜は嬉しそうに頷いた。

「一度、ここから夕日を見てみたかったの。とても綺麗だって、聞いてたから」

「変わってるな。第一、麻莉菜の部屋からでも、充分見れるだろう?」

「うん、でもこっちの方が近くに見えるから…」

彼女は展望ガラスに額を近づける様にして、空を見つめていた。

「俺は遊園地にでも行きたいのかと思っていたぜ」

「そこにも行ってみたいけど…今はこれが見たかったから」

京一は、麻莉菜の背後に立っていた。

「でもね、本当は京一君が連れてってくれるなら、何処でもいいの」

麻莉菜は振り向くと、そう言って笑った。

(本当に、可愛いよな)

「だから、また何処かに連れてってね」

「ああ、必ずな」

京一は麻莉菜を抱きしめながら、そう答えた。

次の日。登校した彼らは、葵から話を聞いていた杏子から情報の提供を受ける。

「やっぱり…」

「プールの事件と青山霊園で人が見つかる事件は、根本は同じだと思うわ。少なくとも

そう考えて間違い無いわね」

「調べに行くしかないね」

小蒔の言葉に、彼らは頷いた。

「そうね、如月君の言っていた事も気になるし…」

「その如月君だけどね、何か、気になるのよね」

「気になるって…」

杏子が言った言葉に、彼らは彼女を見つめた。

「何かはっきりしないのよ。ま、もう少し探ってみるわ」

「珍しいね、アン子がてこずるなんて」

小蒔が不思議そうに言った。

「たまにはこういう事もあるわよ。それより、ちゃんとネタを掴んできてよ」

杏子に見送られて、彼らは学校を出た。

青山霊園とプールを行き来できる道が、下水道と考えた彼らはプール近くの下水道に潜った。

「この匂いは…」

「ああ、近いな」

鼻をつく匂いに、先頭を歩く京一と醍醐が顔をしかめた。

「足元、気をつけろよ」

麻莉菜の手を握って歩きながら、京一がそう言った。

「うん」

「ボクらの心配はしないわけ?」

小蒔が、少し面白くなさそうな表情を浮かべて、そう言った。

「まったく、この前まで手も握れなかった人間だとは思えないよ」

小蒔は溜息混じりに京一を見た。

「なんで、俺がお前の心配しなきゃいけねぇんだ」

「これだものね…」

「お前らには、緊張感はないのか…」

二人の会話を聞いていた醍醐が頭痛を覚えたのか、口を挟んだ。

「いい加減にしろ。今、俺達が何処にいるのか、判ってるんだろうな」

「当然じゃねぇか。そんな事」

京一は、当り前の様に言った。

「緊張したって、しょうがないだろう。いつもどおりにすればいいのさ」

彼の握っていた麻莉菜の手が強張ったのは、その時だった。

「麻莉菜?」

京一が、麻莉菜の視線の先を追うと、そこには水岐が立っていた。

「!」

「何時の間に…」

「よく、ここが判ったね」

水岐の後ろには、半分魚の様になった人間がいた。

「でも、もう遅いよ。もうすぐ異界の門は開かれ、神がこの世界にやってくる。そうすれば

この汚れきった地は、水の底に沈むんだ」

「馬鹿な事を…」

「そんな事、させてたまるかよ!」

京一は、水岐に向かって殴りかかった。

「京一君!」

麻莉菜が水岐の背後から出てきた魚人に、攻撃を加える。

「気をつけて!」

醍醐と共に、葵と小蒔を庇える位置に立ちながら、麻莉菜が注意を促す。

「桜井、遠方の敵を頼む」

「うん」

小蒔は、手早く弓に弦を張って射始める。

十数分後、ほとんどの敵は倒れ、水岐も傷を負って逃走した。

「待て!」

「京一、深追いするな。どうせ、行き先は一つしかない」

「青山霊園…」

麻莉菜の口から出た言葉に、醍醐は頷く。

「そうだ」

「それじゃ、急ごうぜ。あいつに馬鹿な真似させるわけにいかねぇ」

彼らは、すぐに地上へと出た。

青山霊園で、魚人の群れを見つけて、それが消えていった場所に近づく。

「こんな所に…」

「君達」

覗きこんでいた彼らに、背後から声がかかる。

「あなたは」

「君達は、僕の忠告を無視するつもりかい?」

「忠告だぁ?いきなり出てきて、おかしな事言ってんじゃねぇよ!」

京一が苛ついたように怒鳴った。

「えっと…如月君?あなたは、何を知ってるの?」

麻莉菜は、如月を見ながら、そう聞いた。

「別に、ただ僕の中に流れる血が命じるのさ。この地の平穏を護れとね」

「だったら、目的は一緒でしょ」

「そうだよ!協力しあったっていいじゃない!」

「いや…やはり、僕は一人でいくよ。これは僕が解決しなければいけない事だ」

如月は、それだけ言うと、地下に降りていこうとした。

「…!」

麻莉菜は、仲間から離れて駆け出した。

「麻莉菜?」

「どうして、ついてくる」

「あたし達が勝手に行くのは、構わないでしょう…?」

如月の問いに麻莉菜はそう答えた。

「勝手にしたまえ」

それだけを言い残して、歩いていく如月の後ろを、彼らはついていった。

地下は洞窟の様になっていて、天井から水滴が滴り落ちていた。

「東京の地下に、こんな所があるなんて」

葵が呟いた時、突然地面が揺れた。

「きゃ…!」

「地震!?」

「麻莉菜!上っ!」

「え?」

小蒔の言葉に、頭上を見ると、天井の岩が落ちてきた。

「きゃあ!」

「瀧遡刃!」

蹲る麻莉菜をかばうように水が地面から吹き出して、岩を打ち砕いた。

「あ…?」

「麻莉菜、大丈夫か!?」

京一が駆け寄って、尋ねる。

「う…うん」

麻莉菜は、京一の手に掴まって立ちあがった。

「凄い、如月君。水が湧き上がって岩が粉々に砕けて…」

小蒔は感心したように言った。

「今のが、如月の《力》か…」

醍醐が納得した様に言った。

「ありがとう、如月君」

麻莉菜が嬉しそうに言った。

「目の前で死なれたら、寝覚めが悪いからね」

如月は短く答えた。

「それより急がなくてもいいのかい?」

「あ、そうだった」

麻莉菜は洞窟の中を覗きこんだ。

「奥の方に灯りが見えるよ」

「行ってみよう」

洞窟の奥に進んだ彼らは、崖の上に水岐の姿を見つけた。

「あんな所に…」

彼は何者かと話していたが、やがて魚人の姿になる。

「!」

「水岐君!」

麻莉菜の声が洞窟の中にこだまする。

「こんな所に大きなねずみがおるわ」

水岐と話していた人物が、麻莉菜達の前に姿を現した。

「誰なの!なんで、水岐君を!」

「我が名は水角、鬼道衆が一人。炎角が言っていたのは、お前達の事だね」

忍び装束を纏ったその人物は、背後に向かって合図を送る。

「!」

同じような忍び装束の人間に、彼らは囲まれた。

「鬼道衆…そうか。どこかで聞いた事のある名前だと思ったが…」

「憎き飛水家の末裔、あの時、あの者達とお前に受けた屈辱は忘れてはいない。この場で

引導を渡してくれるわ」

男達は一斉に斬りかかってきた。

「!」

「如月君、小蒔達の援護をお願い。京一君、氷系の技は避けてね」

「ああ」

麻莉菜の言いたい事を理解した京一は、木刀を構えて、男達を叩きのめしていった。

「彼女は…一体」

如月は、麻莉菜を見つめて呟いた。

「緋月は、戦闘にたいするカンが凄いんだ。彼女の判断は、まず間違いはない」

醍醐が、如月の問いに答える形で答えた。

「だから、ボク達は勝ててこれたんだ」

小蒔も矢を番えながら、そう言った。

麻莉菜の『氣』が炎に姿を変えて、水角に襲いかかった。

「ま…またしても…!悔しや!」

彼らの目の前で、水角は蒼い宝珠に姿を変える。

「これは…」

麻莉菜は宝珠を拾い上げた。

「どうして、人が宝珠に…」

「何か意味があるのかも知れないな。持っていこう」

醍醐の言葉に頷くと、麻莉菜はその宝珠を鞄の中にいれた。

地響きがして、洞窟が崩れ始める。

「ここは危険だ。逃げよう!」

彼らは、その場を後にした。

「ありがとう、如月君」

「いや、僕も使命を果たす事が出来て、助かったよ」

麻莉菜の言葉に、如月は短く答えた。

「もし良ければ、僕にも君達の手伝いをさせてくれないか?」

「え」

「君達と一緒にいれば、この地の平穏を護る事ができそうだからね」

「本当に?」

「ああ、君達さえよければ」

「嬉しい、ありがとう。みんなもいいよね…?」

麻莉菜は嬉しそうに笑って、仲間達を振り向いた。

「ああ、俺には異存は無いが」

「ボク達も構わないよ。力強い味方になってくれそうだし」

醍醐や小蒔、葵は頷いた。

「京一君…」

「麻莉菜を助けてくれたしな…。いけ好かねぇけど、頼りにはなりそうだしな」

「何、格好つけてんだよ。素直にうんって言えば、いいじゃないか」

「う…うっせぇな!男の立場ってのがあんだよ」

小蒔の突っ込みに、京一は叫んだ。

「麻莉菜が喜んでるんだから、それでいいじゃないか」

「う…」

京一は言葉に詰まってしまった。

「何かあったら、連絡してくれ」

如月はそれだけ言って、帰っていった。

「だんだん、騒がしくなってきそうだな」

「そうね。でも、楽しそうにしてるわよ」

醍醐の苦笑混じりの言葉に、葵が微笑みながら答えた。

視線の先には、言い合っている京一と小蒔、二人を仲裁しようとしている麻莉菜がいた。

「もうそろそろ帰るぞ。3人とも」

醍醐の言葉で、彼らも新宿に帰っていった。

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