(ファン) 英(ヨン) 治(チ)
  

1957年岐阜生まれ

「あばた」で第41回部落解放文学賞受賞     2015年
「壁を打つ旅」で第20回労働者文学賞(佳作)  2008年
「記憶の火葬」で第16回労働者文学賞 (入選) 2004年


季刊『千年紀文学』 連作「虹のしみ」連載中





 


短編小説集『こわい、こわい』 (三一書房  2019年4月5日
韓国語版 『あの壁まで』 (鄭美英訳 2019年)
韓国語版 『前夜』 (韓程善訳 宝庫社 2017年)
『在日二世の記憶』 (共著 集英社新書 2016年)
『前夜』 (コールサックス社 2015年)
『あの壁まで』 (影書房 2013年)
『記憶の火葬ー在日を生きるーいまは、かつての〈戦前の地で〉』
                         (影書房 2007年)


【HPコラム 2023・1】

前期高齢者の断捨離

 
 2022年11月、「前期高齢者」の仲間入りをした。日本国の社会制度に規定されて、ということなのだが、65歳は、50歳になったときよりも、還暦を迎えたときよりも、けじめ感が強い気がする。誕生日の数日前には介護保険証が届き、誕生日の前日には市役所で「国民」年金の請求手続きをした。それは人生のカウントダウンが確実にはじまったという実感をもたらした。生きていられる(だろう)時間の幅を、両親の享年を基に計ってみる。死は、間近ではなさそうだが、それほど遠くもない、ようだ。それで、年来口にしてはいたが、およそ実行しなかった、本の断捨離に手をつけることにした。

 しかし、それぞれの本には、買ったときの、特に若い頃、金はないが何とか手に入れたという喜びや、送ってくれた人の気持ちが強く憑依しているようだ。断捨離にあたって、それを手元に置いておきたいという思いと、再読はしないだろうという予感がせめぎあって、肉体的にはもちろんだが、精神にもダメージを与えられた。
 さようなら本たちよ。従属理論家たち、日本の進歩的政治、経済学者、思想家たち。岩波講座、東大出版会、○○現代史、現代社会主義講座、教育問題双書、大学で使った教科書、無名の詩人たち、読まれなかった同人誌、狭山裁判のパンフ、在日朝鮮人史研究会、書評誌、古い辞書たち……。
 
断捨離。岩波、三一をはじめとする新書たち。政治、経済、歴史、文学、文化、差別、宇宙、教育、ルポ、哲学、美術、音楽、LGBT……。知識はここからもらった。バーコードがついていない古い本は資源ごみ。バーコードがついているものはブックオフ。37点で375円。辛うじて牛丼食べられるか? ゆで太郎のかけそばには、5円足りない。
 まだまだ続いた断捨離。岩波文庫、国民文庫、果てはレーニン全集の3分の2ほどが、マンションのごみ置き場に積まれた。
 
救いは、文学関係の本を、朝鮮大学校外国語学部(日本文学・植民地文学専攻)の教授が引き受けてくれたこと。林檎箱5つと、蜜柑箱4つを送り出すことができた。
 まだ終わってはいない断捨離。ここまで作業して、ようやく本棚ひとつを、市の粗大ごみ処理に委ねることができた。本棚の上を埋め尽くしていた文庫、新書、雑誌は消え、二重に詰め込まれていた本はすぐに引き出せるようになった。もう新しい本はあまり買わないだろう。古くて大切な本、埴谷雄高、武田泰淳、ドストエフスキー、魯迅、在日朝鮮人文学……を、愛おしみながら、ゆっくりと、深く読む生活になるはずだ。



【HPコラム 2021・6】

三日で二度のPCR検査 黄英治 


 腹部に違和を覚えたのは五月十七日の夕食後だった。右上腹部、押さえると肋骨にあたる。変だなぁ、とは思ったが、軽く考えていた。入眠後の夜半過ぎに激しい痛みが襲う。差し込みは背中の同位置にも。やがて全身の関節が強張り、寝返りを打つのも、息をするにも冷汗が滲み、胃が張る。だが吐き気はない。夕食の帆立刺身で食あたりか、と推定した。

 十八日中は起きられず、呻吟しつつ胃 薬と整腸剤を服用した。口にしたのはごく少量の飯と汁だけ。痛みがやや緩和するが39度の発熱。根が神経質。ネット検索する。私と同症状の「急性胆のう炎は、放置すると重症化し、死に至ることもある」を見つけて震えあがった。自然治癒はない。十九日、意を決して、かかりつけの総合病院へ。熱がある。コロナチェックにかかるか? 正門の体温計測36度1分 問診票を詳細に書く。看護師が体温計を差し出す。万事休す! 38度9分。

 こちらへ、と隔離。ここでお待ちを。内科医が来ます。ビニールで仕切られたスペースの壁に「対症療法しかできません」とある。半時間ほどで小太りの内科医が来て、PCR検査してもらい、薬を出します。それ以上のことはできません、と私の背中をさすり、十秒で消えた。看護師が鼻の奥へと検体採取のスワブを回転させながら挿入した。うぐぐぅ、と唸る。思った以上に苦しい。結果は先生から携帯に電話します。処方された薬は総合感冒薬と頓服。この処方で症状が改善するか、と薬剤師に医師への確認を依頼して帰宅。半時間後、頓服処方されているから、と薬剤師。二時間後、内科医から、陰性でした。服薬して様子を見てくれ、と。

 翌日、頓服の効果か平熱になり痛みは治まったが、不安のなか悶々と過ごした。二十一日に再び外来へ。平熱、PCR陰性は錦の御旗。やっと消化器内科の医師の診察が受けられた。血液検査、CT撮影。そして医師の診断。ご心配の胆のう炎でなく、大腸憩室炎です。即入院して、絶食・点滴、抗生剤治療します。虚を突かれた。即入院、ですか? ええ、炎症数値が高いですし、早い方がいいです。PCR検査後、本院へ行ってください。あの、二日前にPCR検査陰性判定出ていますが……。決まりですから――。症状と苦痛に見合った治療を、発症後五日目にようやく受けられた。五泊六日の入院生活を経て二十六日、「無事」に退院した。