世界は暗澹たる荒蕪地 ―これは人間の国か、フクシマの明日より―

秋沢陽吉

                                


一 薬師院仁志『地球温暖化論への挑戦』

 薬師院仁志の『地球温暖化論への挑戦』(2002年)を読んで大いに啓発された。社会学の専門家としてではなく、地球温暖化論に対して素人が抱くだろう疑問を書籍や資料を広く渉猟して考えたものだ。展開するひとつひとつの論理が納得できたし信頼できた。渡辺正、広瀬隆、池田清彦の本よりも深く根源的で出色の完成度で、その探究する姿勢がすばらしい。そして私は「温暖化論は地球規模のマインドコントロール」であるという確信がさらに固まった。
 「はじめに」から内容をまとめてみる。現在、多くの人が人為的地球温暖化という人類規模の危機が到来することに不安を覚えている。総理府が1997年に行った世論調査では、地球温暖化が心配だとする回答が82%を超えていた。ブッシュ政権が京都議定書への不支持を2001一年に表明した際に多くの批判が浴びせられ、次のような読者の声が新聞に掲載された。「二酸化炭素の大量排出が続けば、温室効果による気温の上昇が進みます。海面水位上昇による土地の喪失、豪雨や干ばつ、砂漠化の進行、生態系の破壊、熱帯性の感染症の発生など、地球規模の環境破壊が加速します。世界は環境問題で日本が国際的に主導権を発揮することを望んでいます。今こそ日本が世界に貢献できるチャンスではないでしょうか」。ところでこの投稿者およびそれを掲載した編集者は、何を根拠にこのような断定をおこなうのかと薬師院は問う。なぜ二酸化炭素の大量排出によって気温が上がるのか。二酸化炭素の変角振動や伸縮振動について知っての上の断定であろうか。さらに、なぜ二酸化炭素が増加すれば豪雨や干ばつが起こるのか。なぜ砂漠化まで進行するのか。気象学や地球物理学や地質学や天文学や海洋学を厳密に吟味した上で断定しているのか。なぜ断定できるのか、その根拠がわからないのだ。多くの一般読者にとって、なぜ二酸化炭素の人為的排出がそのような危機的事態を招くのか、科学的にはさっぱり理解できないに違いない。にもかかわらず、このような見解が大新聞の紙面を飾っているのだ。この種の見解は単に一般読者の特殊意見ではない。世間の八割以上の者が気象学や気候変動論等に精通しているとはとても考えにくい。多くの人は自分ではさっぱり根拠がわからないことを信じ、心配している。どのような根拠に基づくのか、論理的な整合性はあるのか、事実認定は正確なのかといったことを何ら深慮することなしに、地球温暖化という人類的規模の危機を心配しているわけだ。気候変動に関する政府間パネル(IPCC)によって予言されているではないかという反論があるかもしれない。だが、なぜその予言が正しいと断言できるのか、そのメンバーの誰を信頼しているのか、その信頼の根拠は何なのか、少なくとも圧倒的大多数の一般市民は答えることができないだろう。どこの誰でどのような人物なのか全く知らない人の言う事を信じるのであれば、それこそ盲信にほかならない。IPCCのことをご本尊のごとく持ち出したところで、その予言に対する信頼は根拠無視の信仰の域をほとんど出ていないことになる。われわれの周りでは、新聞、テレビ、雑誌、書物などのメディアが、連日のように地球温暖化問題についての情報を発信しつづけている。温暖化問題に関する情報洪水のごとき状況下で、多くの人々は、科学的根拠も理論もデータもほとんど知らないまま、人為的活動によって地球温暖化が生じるのだといつのまにか思い込むようになったのではないか。本質的な問題はホントかウソか自分でも見当もつかない大問題に関して、自ら熟考することなく勝手にホントだと決めつけ、思い込まされてしまっている事態なのである。これこそマインドコントロールなのだ。
 地球温暖化問題は1988年6月23日アメリカ議会上院のエネルギー委員会の公聴会から出発した。アメリカ航空宇宙局ゴダード宇宙研究所のジェームズ・ハンセン博士が「最近の異常気象、とりわけ暑い気象が地球の温暖化と関係していることは99パーセントの確率で正しい。この地球温暖化により、1988年1月から5月の気温は過去130年間で最高を示した」。人類規模の環境危機として誕生したのだ。この発言は非常に大きな衝撃をもたらした。ハンセン氏が示したのは伝統的な意味での科学的証拠ではなかった。「われわれのコンピュータによる気象シミュレーションによれば、温室効果は、夏の熱波のような異常気象を起こし始めるのに十分なほど大きくなっている」と述べた。通常の自然科学観に立つならば、このような予言は単なる仮説として取り扱われる。だが、技術が向上しコンピューター・シミュレーションの予言能力が向上すれば、観察しなくても、実験や実地検証をしなくても、自然界の姿はコンピュータが自動的に啓示してくれるというわけだ。「科学的証拠が出そろってから行動したのでは遅すぎる」という認識はこのような立場に基づいている。
 そして「地球温暖化論の理論的問題点」という章をこの本の大部分の頁を使って、伝統的科学的見地からの疑問を提示している。一一の章をたどった私の結論は、「コンピュータ的神託は、怪しげなマインドコントロール」というものであった。
 「社会問題としての地球温暖化問題」から重要な指摘をあげてみよう。ハンセン氏の1988年6月の99%証言が引き金となって地球温暖化問題が国際政治の新たな関心事として注目を浴びた。同年11月には国連環境計画と世界気象機関の共催でIPCCが設置された。さらに、同年12月国連決議『人類の現在および将来の世代のための地球気候の保護』が採択され、このなかでIPCCを国連が支援する正式の活動として認知した。その後、1992年の地球サミットにおいて「気候変動に関する国際連合枠組み条約」が調印された。私にはいかにも手筈を整えていたかのように、誰かがあたかも仕掛けたかのように順当に過ぎる動きに見える。
 IPCC第二次報告書を刊行する際に、わざわざ「世界の第一線の科学者による最新の報告」と大仰な副題を付している。それにしても、IPCCにはなぜそれほどの権威と正当性があるのだろうか。少なくとも多くの一般市民にとって、突如として有名になったIPCCなる存在の権威と正当性の源泉が見えない。IPCCの仕事に参加したとされる2500人の科学者の名前を一人として暗記してはいないだろうし、その名前を知っていてもその人物の業績に関する専門知識はないだろう。にもかかわらず、IPCCの見解は広く一般に受け入れられている。この事態は人々が自分では何かよくわからない対象を、真理を垂れる権威として信じ込まされている状況だ。正しいかどうか考えもせずにそれを権威や真理のごとく信じ込む態度なのである。
 そのような状況の下で、国家の政策が決定され、国際世論が形成されている。何だかよく分からない権威から真理が啓示され、いつの間にか既成事実が積み重なっている。国策的なレベルでは、原子力発電の推進、堤防や防波堤の建設、炭素税の大事業が検討されている。
 もし温暖化対策をしなければ、自分たちの子や孫の将来を見殺しにするかもしれませんよという倫理的問いかけは、コンピュータ予想のシナリオを示され、宙ぶらりんの不安にさらされていることを意味する。コンピュータの予想によると人類の将来にとって破壊的な危機が発生する可能性がありますよ、今すぐ対策を立てなければどうなるかわかりませんよと、脅迫されているのだ。静かだが、逃れ難い抑止力が働いている。
 さらに温暖化対策のためといわれれば、堤防の大建設や新税の徴収や原子力推進に対しても、正面から異議を唱えることが難しくなる。抑止力が国家レベルで作用すると、このような事態になる。
 薬師院は人為的温暖化論者に悪意や支配欲があるわけではない、というが私は明確な意図と狙いがあると考える。そうでなければ世界中がこれほど温暖化対策に向かって動くはずはない。実は根拠なき信仰が広がったにすぎないのだ。

二 長周新聞「脱炭素巡り米欧中の争奪激化」21年6月14日

 私はこの記事を見て心底驚いた。前章のよう地球温暖化論の真っ当な批判つまり真実などそっちのけで脱炭素の方向に世界各国が鎬を削る様があからさまに描かれていたからだ。
 ⅠEA(国際エネルギー機関)が5月中旬に「産業革命以降の平均気温の上昇を1・5度までに抑える」「そのために2050年までにカーボン・ニュートラル(温暖化ガスの排出ゼロ)を実現する」としたパリ協定を実現するためのレポートを発表し、各国政府、エネルギー企業に対して「新規の石炭・石油開発を今年から停止すべきだ」と勧告した。これまでⅠEAは歴史的に「石油価格安定のために新規採掘を増やすべきだ」と提言してきており、180度の転換だ。「温暖化防止」「気候変動対策」「カーボン・ゼロ実現」「脱炭素」などが叫ばれる中での動きなのだ。
 ⅠEAは第一次オイルショック直後の1974年、OPEC(石油輸出機構)に対抗するため米欧主導で設立された。当時のⅠEAはいかにして世界の石油供給を十分かつ円滑に増やしていくかを責務にしていた。そのⅠEAが新規の石炭・石油開発の停止を勧告した。設立からほぼ半世紀、ⅠEAはカーボン・ゼロへと大きな路線転換をはかっている。
 ⅠEAの勧告によれば、石油や石炭のなどの化石燃料の消費を劇的に減らす研究投資、インフラ整備に2030年までに毎年5兆ドル(約550兆円)という投資の増加を必要としている。電力におけるクリーンエネルギーへの100%転換、自動車のEV化推進などへの巨額の投資だ。
 第二次世界大戦後、石油は国家戦略や国際政治と密接につながった「戦略商品」となった。現状では先進国のなかでアメリカだけが石油を自給でき、他の国は石油を輸入しないと経済活動を維持できない。石油の供給と輸送、代金の決済など石油に関するあらゆる部分をアメリカは強大な軍事力を背景にして押さえており、これがアメリカが世界を支配する力の源泉になってきた。
 各国はやむをえずアメリカの石油支配を受け入れてきたが、欧州や中国はこうしたアメリカの支配を苦々しく思ってきた。もし自国で消費するエネルギーの大半を、他国に依存しない再生可能エネルギーでカバーできれば、それは完全に自国産のエネルギーということになる。自前のエネルギー源の確保は安全保障の根幹ともいえる。この間のエネルギー転換の議論をリードしてきたのはドイツや北欧、イギリスなどの欧州諸国だ。欧州諸国は石油を使ったアメリカの世界支配に抵抗を続けてきている。エネルギー転換は欧州諸国にとってはアメリカとともにロシアなどに依存してきたエネルギー安全保障を抜本的に改善することになる。また、風力発電や国際送電、セクターカップリングといった次世代の産業分野で優位に立つことも重要な目的だ。
 中国は当初は脱炭素には消極的だった。中国は世界最大の工業国であり、大量の石油・石炭を燃料として使っている、世界最大の化石燃料輸入国だ。米国の石油利権による世界支配を崩したいとは思っているが、現実問題として脱炭素には積極的になれないという事情があった。ところが、昨年中国は2060年までのCO2排出ゼロを宣言した。エネルギー自立を確立するため、風力発電と太陽光発電の導入量で圧倒的な世界一を誇る。これらの国内市場をテコに関連メーカーを育成し、さらに電気自動車市場でも世界最大である。中国は日米欧が牛耳ってきた戦略産業において主導権を握り、アメリカと覇権を争おうとしている。
 米国はバイデン政府の登場で2050年までのカーボン・ニュートラルを掲げ、パリ協定復帰を宣言し、本格的な脱炭素戦略を打ち出した。
 脱炭素が進むと不利だと考えられていた中国やアメリカが方針を大転換した理由は、脱炭素社会が進む中で、その枠組みを構築するリーダーになれなかった国は覇権を失う可能性が高いからだ。現代社会において戦争とエネルギーは表裏一体の関係にあり、エネルギーを支配することが世界を支配することにつながる。
 以上から私は温暖化防止やカーボンゼロという科学的根拠がありもしない砂上の楼閣がどんどん築かれるのは、つまりは膨大な投資と収益がある産業の隆盛を目的とするからだと思う。各国が覇権を争奪する動きが激しくなっている。
 何のことはない地球温暖化対策は石油に変わり再生可能エネルギーという商売、ビジネスに直結するからこそ、隆盛を誇っているのだ。殺伐としてしまったが、考えてみれば戦争もまた大儲けができる商売であった。紛争や戦争は国家間の対立から生じたものではなく、大量に兵器を消費する人殺しのビジネスだった。また、これらの大国は原子力発電を主要なエネルギーとして利用した。ウランの採掘から設置地域の人々や労働者の被曝被害の上に成り立つものだった。そしてフクシマの惨状。原発というビジネスによって、ごく一部の企業家が人々の生命と暮らしを犠牲にして大儲けをした。地球温暖化問題の帰結は戦争と原発同様、国家が一部の者の所有物であって、世界は連中の金儲けのためにしか動いてはいない事実を明確に示したのだ。

三 長周新聞「再エネの「不都合な真実」を暴く」21年1月18日

 地球温暖化が本当に到来するなら、世界がカーボンニュートラルの政策を進めるのは誠に結構なことだ。ところが、一、二章で見たようにいずれも嘘偽りのイカサマだらけだと私は思う。その上再生可能エネルギーの現実が虚偽づくめで環境と人間を破壊するものだった。
 記事は環境保護を騙るビジネスの姿を暴いた映画「プラネット・オ・ザ・ヒューマンズ(人類の惑星)」を記者座談会という形式で紹介したものだ。マイケル・ムーアが総指揮しジェフ・ギブスが監督したドキュメンタリー映画だ。ジェフ・ギブスは環境保護主義者で社会が化石燃料に頼っているのに疑問を持ち、クリーン・エネルギーの運動に身を投じてきた。再エネの現場を取材する中で何かおかしいと気づいていく。
 バーモント州での環境保護団体の「太陽祭」。照明もバンド演奏も100%太陽エネルギーとうたったが、そこに雨が降り出した。舞台裏に回るとバックアップのための電力会社の電気を引き込んでいた。
 ミシガン州ではゼネラルモーターズがCO2を排出しない電気自動車シボレーボルトを制作した。その発表会。電気自動車のバッテリーを充電している電気はどこからという質問に対し、「残念ながらほとんどが石炭。太陽光や風力ではない。夜に充電できると宣伝しているが夜は太陽はありません」と認めた。
 ミシガン州北部には森林を伐採してつくった風力発電所がある。同州最大で高さ150メートルの巨大風車にはコンクリートが521トン、銅が140トンも使われている。巨大なブレードはグラスファイバーとバルサでできており、重さは16トン。化石燃料を使って作られたこの巨大な機械がわずか10年で捨てられ、風車群の残骸となる。
 太陽光発電も同じだ。再エネ事業者は「ソーラーパネルの主成分はシリコンつまり砂です」と宣伝しているが、砂は不純物が多すぎて使えず、高純度の石英が必要だ。そして鉱石から石英を取り出すためには、石炭を使って大型の電気オーブンで1800度まで熱しなければならない。するとシリコンと大量のCO2が得られる。
 カリフォルニア州の砂漠に世界最大の太陽光プラント(37万7000キロワット)が完成した。しかしこの太陽光発電所は毎朝およそ数時間も天然ガスを燃焼させて起動する。施設全体はコンクリートからスチールミラーまで化石燃料を使って作られている。「太陽は再生可能だが太陽光発電所は再生可能ではない」「化石燃料をこれらの幻想を作るために使うのではなく、燃料として燃やした方がよかったのに」とは研究者の意見だ。
 米国で最初に建設された太陽子発電所に行くと大量の壊れたソーラーパネルがそのまま放置され墓場のようになっていた。耐用年数は10年。
 
 こうした再エネ・ビジネスがオバマ大統領が登場してグリーン・ニューディールという景気刺激策を打ち出したことで一気に花開いた。オバマはクリーン・エネルギーのために1000億ドルを含む一兆ドルの環境保護予算を組んだ。このときオバマは環境活動家を抜擢し、数万基の風力発電所を設置しその後次々と投資家があらわれた。
 電気自動車テスラの創設者は自身のギガファクトリーは太陽光と風力と地熱発電で100%まかなっているという。しかし、電気自動車、風力タービン、ソーラーパネルをつくるには、リチウムやグラファイトなどの稀少金属が不可欠だ。それはアフリカなどの鉱山から採掘されるが、採掘は子供たちを含む現地の人々の奴隷的な労働で成り立っている。希少金属を得るために熱帯雨林を根こそぎ伐採し、山を爆破し、地中深く掘り進む多国籍企業。しかも希少金属を抽出する時ウランをまき散らしている。大量生産・大量消費という資本主義の犯罪だ。
 バイオマスもそうだった。バーモント州のバイオマス発電所では地域の森林を大量に伐採してそれを化石燃料で燃やしている。伐採、運搬するには化石燃料が大量に必要で、実際には年間40万トン以上のCO2を排出している。
 記者は語る。再生可能エネルギー・ビジネスのインチキが強く印象に残ったと。そもそも風力にしろ太陽光にしろバイオマスにしろ、化石燃料を使わなければつくることも稼働することもできない。そうした再エネをつくればつくるほど、地球の裏側ではアフリカの熱帯雨林やアマゾンの森林をますます破壊し、そこで暮らす人々を生きていけなくする。なにが「再生可能」だ、なにが「地球にやさしい」だ。
 ウォール街と環境保護運動のリーダーの癒着、一体化をも暴いた。環境保護運動といえば、革新側とみられがちだが、その中に権力側と裏で手を握り合っている者がいる。再エネがクリーンであり進歩のようにいいつつ、もっと大事な問題から目をそらせ、それで利益を得ている。
 脱炭素革命というけれど、実体は風力や太陽光やバイオマスの発電所を増やすことであり、石油の替わりに電気やバイオ燃料で車を動かすことだ。環境保護主義と資本主義は融合した。資本主義による環境運動のハイジャックなのだ。結局、再エネを推進する側の目的は、CO2を減らして地球を救うことではなく、再エネビジネスでもうけることだ。大量生産・大量消費・大量廃棄というシステムを転換することではなく、もっとやりたい放題にすることだ。
 菅政府は「2050年度までに温暖化ガス排出量ゼロ」「脱炭素」などを掲げて、さらなる原発再稼働、老朽原発の運転延長など原発を最大限に活用する方向に突き進んでいる。(長周新聞21年9月17日)

四 世界は暗澹たる荒蕪地

 今頃わかったのかと言われそうだが、私は地球温暖化問題を追ううちにやっと理解できたのだ。世界は暗澹たる荒蕪地だと。
 地球温暖化の原因が二酸化炭素だとは科学的に全く証明されていないのに、たった30年のうちに世界の常識や真理になった。資本を持つ一握りが世界の人々に刷りこもうと、意図的に計画的に情報のシャワーを浴びせ続ければ常識と真理は完成する。洗脳あるいはマインドコントロールなのに、この常識を自分のものだと思い込む人々に異なる「真理」を理解させるのは至難のことだ。大本営発表と同じだ。
 地球温暖化に疑いを抱かずに信じるのは愚かだからではないか。それ以外の情報がないのだからやむを得ないのかもしれない。しかし知識も教養もある人が信じるのは、根本的にその人の思考のどこかに欠陥があるのかもしれない。かの戦争に煽り立てられた知識人と同じではないか。戦争であれ原発であれ地球温暖化であれコロナであれ、ごく一部の支配者が世界を牛耳って人間の命と暮らしを犠牲にして金儲けに専念するのこそが真実だ。連中は人の命など何とも思わず金儲けという欲動のままに行動し、国家をも配下にする。権力も資本もない人間は世界を変えることなど到底不可能で全く無力だ。世界は暗澹たる荒蕪地である。けれども、腐った世界と国家を認めない人間にとっては世界も国家も否定されてないも同然で、実は敵の方が無力なのだ。そうは考えられないだろうか。



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