「冤罪犠牲者の会」事務局 野島美香 |
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反戦・社会派の詩人石川逸子さんが三鷹事件の本を出版されたと聞いて、すぐに入手して読んだ。やわらかな感性で竹内さんの心情にせまっている点、竹内さんの詩や絵、文章を多数紹介している点で、今までの三鷹事件本とは一線を画す内容で、素晴らしかった。 三鷹事件は1949年7月15日、国鉄三鷹駅で電車が暴走して多数の死傷者を出した。直後にGHQが現場を封鎖したり、「共産党の犯行」という言説が出回るなど、戦後の謀略事件として知られている。にもかかわらず、共産党員は全員無罪、非党員だった竹内さんだけが1審無期、控訴審で死刑判決、上告審では事実調べもなく上告棄却で死刑が確定した。この上告審では判事8人が棄却意見で7判事が破棄、差し戻し意見だったという。8対7で死刑が確定したというわけだ。こんな裁判が許されるだろうか。当然ながら多くの批判を浴び、問題とされた。 三鷹事件の判決は覆らなかったが、その後の裁判では控訴審で無期から死刑に変える場合は、原審に差し戻すか、自判の場合でも必ず弁論を開き事実調べをするようになった。最高裁でも死刑を確定させる場合には弁論を開き事実調べをするようになった。これは竹内さんや最高裁で破棄差し戻しを支持した少数派の裁判官の意見が反映された結果である。 竹内景助さんは1921年長野県の農村に生まれた。自然を愛し、絵と作文が得意な少し大人びた子供だったそうだ。学校でも子供数人のいたずらを先生に問い詰められ、自分一人で罪を背負ってしまうところ等、単同犯行を主張した竹内さんを彷彿とさせるエピソードもある。 上京して国鉄労働者として働く姿勢はとにかく実直。宮城遥拝をやめさせたり、冷遇されても不正には声を上げる。一方で自由でいたいからと入党を断ったり、組合運動もそれほど積極的ではなかったようだ。どう考えても三鷹事件の犯人像からはかけ離れている。 紙面の都合で掲載しないが、この本に収められている竹内さんの詩や文章はやさしく凛とした人柄がよく出ている。45歳という若さで獄死された無念はいかばかりかと思う。ご長男の申し立てた再審請求は東京高裁で棄却され、弁護団が特別抗告をしている。GHQ占領下の不可解な事件で、冤罪が晴れていないのは他にも帝銀事件がある。社会が醸造した不穏な空気が、平沢貞通さんと竹内景助さんを見殺しにしたのだ。幸いにも両事件ともご遺族が再審請求している。国の責務としてすぐにも両名の尊厳回復、ご遺族の救済に動くべきではないだろうか。 〈「冤罪犠牲者の会」会員通信第一八号(二〇二二・一〇・一)より転載〉 |
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石川逸子著『三鷹事件 無実の死刑囚 竹内景助の詩と無念』 梨の木舎 頒価1000円 ご注文は福田玲三に連絡ください rohken@netlaputa.ne.jp |
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DIGITAL『労働者文学』創刊準備号 目次 労働者文学会HOMEへ |
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