デジタル労働者文学 2号 2025年1月1日 発行 ![]()
デジタル労働者文学2号 短評・寸評 労働者文学会(公式)HPへ |
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(編集委員・前記) 2024年に読んだ本でことに印象に残ったのはG・ガルシア-マルケス『百年の孤独』とハン・ガン『少年が来る』であった。つい最近ハン・ガンさんが受賞したから、どちらもノーベル賞受賞作家ということになるが、それに釣られたわけではなく、偶々だ。秋沢陽吉さんが<小説のトレーナー>と強く推す丸山健二の作品では『眠れ、悪しき子よ』を読んで、まずは筆力に圧倒された。25年は丸山作品をもう少し読み込んでみたい。 それにしても暮れに飛び込んできた韓国「非常戒厳」宣布のニュースには驚いた。わずか6時間でそれをはね返したところに韓国の人びとが辛苦のすえ闘い取ってきた民主主義の強さを思う。『少年が来る』が前回戒厳令下で起きた光州事件(1980年)を背景にしていることにそれは象徴的だ。ハン・ガン作品は<暴力に抗う文学>と言われる。いま必要とされている文学はそうしたものだと思う。(土田宏樹) 【デジタル労働者文学 目次へ】 |
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夜明け前の夢 小林 晶 |
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「ちわー、貯金の集金です」
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偶像の国の彼 森下 千尋 |
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集合 スーパーバイザーの言葉ではじまる 一日の労働はサービスと笑顔おもてなしの国 メイドインジャパンだ 舞浜 ディズニーリゾートおこしやす どちらの国からいらっしゃった がちがちのマニュアルで閉ざしてるシャッター だけどオープンな笑顔オーバーにならない気遣い 多くを語らずともトークに混ぜる笑い 甘い甘い秘密のまじない 時給とやりがいをシェイクする味わい チップすらないのに美徳とやらで飲み込んでいくカカオ ビターなのは自己責任な馬鹿と タダより安いものはないやろボランティア イエー バイト前の裏アカをご覧になる 遺影 責任者 正社員 バイトリーダー 法と神の元では対等になる? iPhoneの新しいやつ買いたくて残業 人生は結局正しいやつが完勝 残響 鬼滅 決めつけんなバカ ねえ? 制服を脱いだ瞬間にあっかんべぇ 飼われてんじゃねえ 終わってんな 憐れんでんじゃねぇ 停まってんだ 困っているやつに優しくねえヤツこっちからシカト そう 彼は夢の国のバイト この国の行く末に関心はないし 現実よりもリアルな夢に絶叫しよ 前職よりも好待遇よりもない退屈 毎分を捧げてパーク内のガイダンス おれは夢の国のキャスト 体感中 今宵もヒリつくトラブルと相対する 無形のホスピタリティを倍返す ことで バイトリーダーの信用奪い返す |
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なめくじ 中山イツ |
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労働者文学賞2024記念講演会 「プロレタリア文学と労働者文学について」
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【消される「労働」と「労働者」】
楜沢です。本日のテーマは、プロレタリア文学の遺産をいまどのように読み、生かし、「労働者文学」とつなげていくのか、ということですが、現在「プロレタリア」も「労働者」もほとんど使われず、死語に等しい扱いです。死語というよりもむしろ、「労働者」という言葉を意図的、政治的に消す動きが顕著で、たとえば、最近、ケン・ローチが映画『家族を想うとき(原題Sorry We Miss You)』でも取り上げていましたが、宅配の「フランチャイズ制」「業務委託契約制」はその典型です。「個人事業主」は労働基準法上の「労働者」ではない、というのを盾に、事実上「労働者」という概念を無意味化、死語化する動きが進んでいます。「「労働者」「プロレタリア」という言葉を空無化、消す流れは、さかのぼれば高度成長期に一般化した「サラリーマン」や「会社員」という呼称だってそうですし、現在の「正社員」「非正規」「派遣」「契約社員」「パート」という身分制的な分断の呼称も同じでしょう。あからさまな身分制的な呼称への薄気味悪い配慮ゆえか、いまでは「非正規」「パート」「契約社員」と呼ぶ代わりに「スタッフ」「クルー」「キャスト」「アテンダント」「コンシェルジュ」「従業員」「働き手」「人材」「人財」といった、まるでキラキラネームのような呼称が氾濫、一般化している始末です。 「労働者」「プロレタリア」という言葉が使えないと、「搾取」や「資本主義」や「社会主義」という言葉も使えなくなります。そして現に使われなくなっている。「搾取」は「分配」や「賃上げ」の問題にすり替えられ、「資本主義」は「自由主義」「市場経済」「格差社会」と言い替えられ、「社会主義」「共産主義」はいつのまにか「権威主義」「独裁主義」などと呼び変えられている。すべて「敵」を想定しない、消去する言葉の言い替えなので、「たたかい」「闘争」も無意味化、消されてしまうわけです。 【怪しげなカタカナの氾濫】 今回、労働者文学賞を受賞した岡田さんの『印字された内容』は、そうした「労働」「労働者」の不可視化、ブラックボックス化が、コロナ禍でいっそう深刻にすすんでいる現状がとらえられていたと思います。輸出用コンテナの仲介業社が舞台で、そこではコロナでリモートワーク転換がすすみ、電子上のやりとり、書類転送が労働の中心です。営業対面の機会はなくなり、新入社員は積み込みの現場を見る機会さえ奪われている。電子上の画面やメールをにらみながら、しだいに何をしているのか、電子画面の向こうで何が動いているのか、自分たちは何を動かしているのか、分からなくなってゆく。労働そのものが見えなくなってゆく。そうした労働の死角に、コンテナ輸送の中抜き、すり替え、不正が次々と忍び込む。最初は違和感や疑問を抱くが、慣れてゆくにともない、じょじょに無批判、無感情、無感覚に陥っていく。 いかがわしい手数料商売、仲介業、税金の中抜きが、この間のコロナ禍でタガが外れるように蔓延、常態化するようになりました。電子決済だって、いうなれば中抜き、仲介手数料商売です。当然その分、商品の価格が上がります。上げられない小売店はその負担をみずから被るしかない。消費税と同じです。 「スタッフ」「キャスト」「シフト」と同じく、コロナ禍では数々の怪しげなカタカナ用語が氾濫しました。「エッセンシャルワーカー」もそうですね。「社会基盤を支える上で不可欠な労働者」の言い替えのようですが、医療、保育、福祉、運輸、清掃、小売……、要するに新自由主義政策で長らく切り捨てられてきた主に「公共」にかかわる「低賃金労働・労働者」のことですよね。離職者が多く、人手が足りない、高齢者も多い。なぜカタカナによる言い替えなのか。言い替えによって、新自由主義が見直され、待遇や地位が改善したというのでしょうか。「エッセンシャルワーカー」という、まるで化粧品広告のようなキラキラ用語の名の下で、最低賃金すれすれの「クルー」や「パート」や「スタッフ」が、ますます増えているだけではないのか。物語は主人公が「転職サイト」を通じて面接を受ける場面からはじまりますが、「抽象的輸入貿易物流会社」の英語頭文字からとった社名の「アイトル」(まるで消費者金融の会社名)からして隠蔽とすり替えと詐欺を暗示していて、目を引きます。 「ステイホーム」「ロックダウン」「オーバーシュート」「スーパースプレッダー」「ソーシャルディスタンス」……。こうした面妖でいかがわしいカタカナ語の氾濫を、いったいどう受け止めればいいのか。それが何をあらたに指示しているのか、意味しているのか、ということ以上に重要なのは、いったい何を消去し、あるいはすり替え、隠蔽しようとしているのか、ということだと思います。そこから、コロナ禍の嘘くささ、陰謀や利権が透けて見えてくるような気がします。 「リスキリング」「エビデンス」「コンプライアンス」「ダイバーシティー」「SDGs」「ジェンダー」「ケア」「リベラルデモクラシー」などなど、コロナ以前からカタカナだらけです。こうした面妖で執拗なまでのカタカナ語の氾濫、言い替えへの違和感と警戒をずばり指摘していたのが、本日詳細は省きますが、先日、芥川賞を受賞した九段理江『東京都同情塔』だったと思います。 【不意打ちとショック作用】 『印字された内容』は、「手紙」と「メール」のちがいはあれど、葉山嘉樹『セメント樽の中の手紙』を想起させる内容でした。『セメント樽の中の手紙』が一九二六年ですから、九八年前、おおよそ一〇〇年前の作品ですが、手紙の使い方、構成、想像力、目のつけどころは、ほとんど変わっていない。返事、返信することなく終わっているところも共通している。そこが何より目を引きました。不思議な感じがします。 スノーデンが暴露しましたが、メール通信はほぼ監視されているでしょう。政府はもちろん、会社内でだれがどういうやりとりをしたか、サーバーを通じてチェックできるし、不正や中抜きをしている会社ほど、やっているのではないでしょうか。それをかいくぐって、会社の枠をこえて、どう互いに連絡をとりあえるのか、どんな方法がありうるのか、興味がわきますね。スノーデンのように証拠のデータを盗み出して暴露しようにも、そういう事態を先回り想定して、内部告発制度は有名無実でしかないのが現状でしょうから。 『セメント樽の中の手紙』は、ダム建設現場でセメント袋を運ぶ労働者が主人公ですが、単調なベルトコンベア作業のくりかえしで、『印字された内容』同様、自分が何をしているのか、労働そのものが見えなくなっていく。右から左へ、機械のように動いているだけです。そのような労働者が陥った慣れと放心、無感情、無感覚の放心状態を狙い撃ちするように、セメント袋から「手紙」が出現します。手紙はセメント袋を縫う女工からで、恋人がクラッシャーに落ちてセメントになってしまった、事件は隠蔽され、恋人が入ったセメントはそのまま出荷されてしまった、このセメントには恋人が入っています、だから使わないでください、もし使ってしまったら、せめて何に使ったか教えてください、ぜひぜひお返事を下さい。手紙にはそう書いてある。 こういった不意打ち、ショック作用に焦点をあてた構成は、葉山嘉樹をはじめ、初期のプロレタリア文学に多く見られるものです。それまで見慣れていた世界が、見慣れないものに変容する。主人公は全身セメントまみれで、鼻の穴もその粉塵で塞がっている。何より、完成まぢかの巨大なダム建築のオーラ(威容)がはがれて、労働者が塗りこめられたコンクリートの塊に変容する。見ていた現実から見えていなかった現実が、だまし絵の地と図が反転するように「フワッと」浮かび上がってくる感じでしょうか。このように現実の虚飾、メッキがはがれ落ちる一瞬が、理屈や説得ではなく身体的な違和の感覚とともに、印象深くとらえられているのが、この作品の特徴だと思います。無感情、無感覚の放心状態から主人公が解き放たれて、自らの労働や現実がそれまでと別の意味や光景をもって立ち上がってくるような一瞬に直面する、そういう感じでしょうか。いっきに「高み」から労働や現実を俯瞰的に把握できるというわけではありませんが、ほんのわずか、慣れて見えなくなっていた日常や労働の死角が、ぼんやりと浮かびあがってきます。 【「あなたは労働者ですか」】
ナップ以前のプロレタリア文学の形成に大きくかかわっていた記録文学としては、『女工哀史』のほかに『種蒔き雑記』、賀川豊彦『貧民心理の研究』(一九一五年)、『死線を越えて』(一九二〇年)、横山源之助『日本の下層社会』(一八九九年)、『職工事情』(農商務省、一九〇三年)などがあげられますが、おおむね戦後になってからの再評価です。ナップ以後になると、こういう記録へのまなざし、労働者が潜在的にもっている「知」や「力」への関心が薄れていったように思います。 もっとも、小林多喜二『蟹工船』には、こうした『女工哀史』とつながる「知」や「力」への強い関心と驚きが見て取れるように思います。『蟹工船』執筆にあたり、入念な取材と記録を下敷きにしていたことは今日ではよく知られています。最近ですが、柳広司が『アンブレイカブル』(二〇一九年)のなかの「雲雀」という短編で、蟹工船に乗っていた労働者に取材する多喜二を描いていましたが、『蟹工船』にはカムチャツカでの労働はもちろんですが、そもそもカムチャツカがどういうところであるのか、その気候や自然に関する知識や知見や知恵が、労働者がつかう独特の比喩をとおして、奇想天外に描かれています。悪天候の予兆を海の表情、波のうねりから読み取り、それを「兎」の比喩でとらえるところなどはその典型で、ほかにも「霧雨でボカされたカムチャツカの沿線が、するするとヤツメウナギのように伸びて見えた」であるとか、労働者のことを「自分の手足を食う蛸」に例えるなどさまざまです。もちろん『蟹工船』には「替え歌」も出てきます。「ストトン節」の性的な替え歌です。「手紙」にも注目しています。 このような労働者の視点や言葉遊びの力、知見に出会ったときの多喜二の驚きや興奮が、『女工哀史』と同じく『蟹工船』の基調になっていたことがよくわかります。労働者を啓蒙、意識化しようとするだけでなく、労働者の視点によって自分の在り方や世界のとらえ方もまた意識化される、そういう一方向ではない、相互の認識や世界観をめぐるダイナミズムに注目しているところが面白い。そうした驚きや発見がないと、何を書いても予定調和でご都合主義なものの押し付けになってしまう。プロレタリア文学、とりわけナップ以後のプロレタリア「のための」文学の落とし穴です。
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土田宏樹 |
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去年9月5日の午後NHKBSで『乱れる』という映画が放映されるのを視た。成瀬巳喜男監督による1964年の作品だ。成瀬巳喜男は、女性を主人公とした作品が優れているという定評があるらしい。たしかに、林芙美子原作の『浮雲』『放浪記』をやはり成瀬が監督した映画をNHKBSの同じ時間帯で視ているけれど、それぞれに良い映画だと思った。『乱れる』には原作となる小説は無く、松山善三のオリジナル脚本だという。 嫁いできて僅か半年で夫を亡くした未亡人と、その義理の弟(亡夫の弟)の悲恋が描かれる。ヒロイン礼子は高峰秀子、義理の弟になる幸司は加山雄三が扮していた。この映画での高峰秀子(1924-2010)は、現在の女優さんでは常盤貴子がちょっと似た雰囲気のような気がした。もっとも一緒に視ていた連れ合いにそれを言うと「似てないよ」とのことである。加山雄三(1937-)は高齢者向け運動器具のTVコマーシャルなんかで今やすっかり好好爺だが、60年前はさすがに美青年だ。黒澤明『赤ひげ』(1965年)で長崎帰りの青年医師・保本登に扮する前年である。去年夏に死んだアラン・ドロン(1935-2024)とほぼ同世代。 礼子の夫の死因は映画の中では明示されていなかったように思うが、没年と敗戦の年が同じであるのは明かされているから、おそらく戦争に関わっているのではないだろうか。 礼子が嫁いだのは静岡県清水市の商店街にある酒屋だ。戦争が終わって(夫が死んで)18年間というもの、彼女はほとんど一人で店を切り盛りしてきた。幸司は11歳年下で、彼がそんな彼女を慕う思いは、いつしか恋する心になっている。戦後18年といえば1963年だ。商店街にはスーパーマーケットが誕生して、小売店の経営は圧迫され始めている。近所の食料品店のあるじが、自分の店で1個11円の卵を新しく出来たスーパーでは5円で売り出したと聞いて「オレのところの仕入れ値より安いじゃないか!」と憤慨する場面があった。 私には既視感がある。私は55年生まれだから1963年には物心はとっくについていたが、記憶にあるのは時代がもう少し下って60年代の終わり頃だ。わが家は東京都国分寺市の商店街で菓子の小売りを営んでいた。1916年生まれの父は生来心臓が弱く、激しい労働ができないタチであった。復員してから菓子屋を生業に選んだ。子ども相手にアイスクリームや菓子パンを売るのなら心臓に負担が少ない。そんな身体だから、戦争には兵士としてとられたのではなく軍属での出征であったろう。戦争中のことを詳しく聴いておくことを怠ったのは私の痛恨事である。1984年に死んだ。さて或るとき、菓子問屋からわが家が仕入れるよりも安い値段で同じ菓子がスーパーに並んだ。煎餅だか、あるいはチョコ菓子のようなものであったか・・。父はもちろん心穏やかではない。そのスーパーに抗議に行くと母に話していた。 ところが、抗議した結果がどうであったのかは憶えが無い。文句を言ったところで洟もひっかけられなかったか、あるいは父自身がどうにもならないと思い直して行かずじまいだったのか。ともかく、そんなふうに商店街の小売店はスーパーの大量販売に押されていった。映画では食料品店のあるじは商売の先行きに絶望して首を括ってしまう。わが父が店をたたみ、国分寺も引き払って一家あげて千葉県に越していくのは1970年代になってからである。 ところで映画では礼子の酒屋でアサヒビールが売り場の一番目立つところに並べられていた。のみならず、義理の弟の幸司は 「金、払うからね」 とか言って、その自家の売り物であるビールを1本さらって栓を抜き、茶の間に上がって飲んだりする。 思い出したのは小津安二郎とサッポロビールだ。 小津の映画の登場人物、たとえば遺作となった『秋刀魚の味』(1962年)において笠智衆が扮した初老のサラリーマンだが、その家の廊下の棚にさりげなくサッポロビールのケースが置かれてあったりする。サッポロの商標はあの★だからすぐわかる。あれはサッポロビールにとって、いい宣伝になっただろう。じじつ小津はサッポロから毎年ビール1年分を贈られていたそうである。 成瀬巳喜男は、そんな小津安二郎の向こうを張って、こちらはアサヒビールをことさら目立つように置いたのだろうか。成瀬へはアサヒからビールが贈られたかな? 脱線を続ければ、そのころ(1970年代くらいまで)街の酒屋には大抵、店の隅のほうにカウンター代わりに板が差し渡されていて、そこでコップ酒なんかを飲むことができた。酒のツマミには、着色料たっぷりの真っ赤なイカの燻製なんかが楊枝に刺されてセルロイドの大きな瓶に詰まっていたものだ。そういうふうに飲める一角を「角打ち」と言った。 ところが礼子の酒屋には、そういうカウンターが無かった。角打ちをやらないのは、店を切り盛りしているのは未亡人であり、女性としては店の中で酔っ払いが管を巻くようなことが万一あっては困る、ということであったろうか。国分寺の我が家の近くでも、商店街の道を挟んで斜め向かいに酒屋があった。ここは角打ちをやっており、客が所望すれば、あるじが一升瓶の栓を抜いてコップに一合なみなみと注いでやったものだ。子ども心にも、あれは味のある情景であった。あるじは丸い赤ら顔で、いつも「澤乃井」の商標が入った前掛けをして、注文が入ればビールのケースや一升瓶をバイクで配達もした。「澤乃井」は青梅市の地酒であって、多摩川も奥多摩の青梅まで上ってくれば渓流だから渓谷に蔵元がある。庭には北原白秋が詠んだ 西多摩の山の酒屋の鉾杉は三もと五もと青き鉾杉 という歌碑が建っている。三多摩地方一帯ではかなり浸透している銘柄である。純朴な辛口だ。 さて映画『乱れる』では、新興のスーパーマーケットに押されている苦境を乗り切るため、幸司は自店もスーパーマーケットにしてしまおうと思い立つ。実の姉の一人の嫁ぎ先は静岡市の銀行員で、彼に相談したところ融資の目途も立ちそうだ。スーパーに衣替えした暁には幸司は、自分が慕う礼子に重役になってほしいと考えている。 「戦後の苦しい時期を、お義姉さんのおかげでやってこられたんだから、それが当たり前じゃないか」 しかし、当の礼子は身を退いてしまう。夫に先立たれた嫁など婚家にとって所詮他人ではないかと思うし、義弟以外の周囲の目もそうだ。そうして二人は破滅への道を進んでいく。山形県新庄市にある実家に戻るつもりで家を出た礼子を追って、幸司はそのまま一緒に列車に乗ってしまう。新幹線はまだ開通していない。清水駅から東海道本線で東京駅へ、それから上野駅に出て東北本線で山形へ向かう。途中で宿をとった銀山温泉で幸司は礼子への愛を告白するが、義姉は10歳以上も年下の義弟をにくからず思いながらもそれを受け入れられなかった。宿を飛び出して居酒屋で酒をあおる幸司。銀山温泉に行ったことがある方なら、谷底のようなところに肩を寄せ合うように旅館が並ぶ温泉街の真ん中を川が流れているのをご存じだろう。彼の遺体が川で発見されたところで映画は終わる。 それにしても、もし幸司の思い通りになって、礼子を重役に迎え、銀行から融資を受けて酒屋をスーパーマーケットに衣替えするのに成功したとしたら、どうだったろうか。幸司は酒屋の若旦那として普段から周りの商店主たちと親しく付き合っている。肉屋や乾物屋や菓子屋であるこれら店舗は、何でも揃っているスーパーマーケットがすぐ近くに出来たら確実に駆逐されてしまうだろう。すでに商店街の中には別のスーパーが経営を始めているのだから、幸司は競争に勝って生き残るために品物を揃え、安く売らざるを得ない。今までいくら親しくしてきたって、隣人に手加減するわけにはいかなくなる。 そのような散文的な結末にしないためにも、二人の破局は避けられなかったか。 映画の時代である1963年といえば、1955年に始まる戦後の高度成長はレールの上を順調に走っていたころだ。しかし、そのレールに乗れずに滑り落ちていく人もいた。東京都下国分寺市の商店街で小さな菓子屋を商っていた我が家なんかもそうであった。 歴史社会学者の小熊英二・慶応大学教授によれば「日本で雇用労働者の総数が自営業で働く人を超えたのは1959年である。それ以前は農業や商工業の自営業で働く人が過半数を占めていた。また雇用労働者にも、自営開業までの修業期間か、兼業農家の家計補助だと考えている人が多く、賃金が低くても大きな問題としない傾向があった。日本の非正規労働者や中小企業労働者の低賃金はその時代の遺産である」(朝日新聞2024年10月12日朝刊オピニオン欄)。 私が菓子小売りという家業を継がず郵便局員になったのは、自営業が減って雇用労働者が増えていくという趨勢に従ったことになるが、わが家が家業に見切りをつけた1970年代、雇用労働は正規雇用がまだ一般的であった。ところが90年代以降はこれが絞り込まれていく。上の小熊教授の発言から引けば「修業期間」でも「兼業農家の家計補助」でもなく、その賃金で生計を立てなければいけない労働者が、正規に雇用されず、とても食ってはいけない低賃金に抑えこまれた。さらに近年、実態は雇用労働なのに自営業者扱いして労働法制による労働者保護をすりぬけようとする「働かせ方」が拡がっている。これらとどう闘うか。角打ちの酒のノスタルジーに浸っている場合ではない。 【デジタル労働者文学 目次へ】 |
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橋本 敏夫 |
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今年の労働者文学賞小説は三作とも異なる形式を持った作品が受賞しています。受賞の三作品について、私なりに独断と偏見を気にすることなく書いてみました。 まず、文学賞受賞作品である「印字された内容」は、事実に基もとづくものなのか、または、ある事実から連想した創作なのか、まったくの創作なのかは分かりませんが、軍事産業と思われる企業の裏世界を通した産業界への影響力と不気味さが感じ取れる小説です。最初に読んだ時には、妻との生活を描いた箇所は不要と思えたのですが、再度読みかえしてみますと軍事産業と思われる闇の世界と権力との癒着が想像され、闇の世界とはまったく関係がない主人公の妻の身辺調査が秘密時に行われている怖さを感じました。そして、主人公の妻の仕事への影響をほのめかす闇世界の住民である小さな輸出貿易会社の堀切という60がらみの社長の凄みは、まるで権力と結びついた軍事産業と思われる闇世界の支配の強力さが感じ取れる作品です。また、良心とは無縁と思える主人公の感情の動きも味を加えているように思え、闇社会に通じる仕事は闇世界の住民一人だけが仕事内容のすべてを掌握し、他の職員は言われたことを黙々とこなし、機械的な処理以外は考えない無気力な人を求めるものだと、感じさせるのはさすがだと思いました。小さな輸出貿易会社の社長が軍需産業と思える裏社会の住民であるだけで、大手船会社を抑え込んでいる姿を匂わせるなど、頷くことが出来るストーリーになっており、感心しながら読んだしだいです。 なお、読み終わった後、国民の支配手段として利用されるであろうマイナンバーカードの恐ろしさと、ロッキード事件で明らかになった裏社会で蠢いていた児玉誉士夫と小佐野賢治を思い出したことを付け加えます。今後の著者の活躍が期待できる作品だと思います。 佳作の「ウィルタ」は樺太に住んでいた少数民族が日本の戦争に翻弄された事実に基づいて描かれた、ルポルタージュ的な小説です。選評で鎌田氏が書かれていたように、私もウィルタ民族の存在は知りませんでした。 この小説は戦前・戦中には日本人とされ、徴兵等により強制的に日本軍に組み込まれ、敗戦になると日本人ではないとされた、日本政府から棄民された民族の悲惨な姿を描いています。この小説を読み終わると、日本軍に強制的に編入され、軍隊内では日本人軍人から苛まれ、最下層の軍人として上司に逆らうこともできずに、日本人の軍人がやりたがらない汚い任務をこなしていた朝鮮民族などの外国人の日本軍軍人が、敗戦後の戦地において、侵略地の人への虐待等を理由に死刑とされたB級戦犯の姿が浮かびました。当時、彼らは日本軍の指揮命令システム上、上官の指示に従いざるを得なかった立場での行為の結果の死刑でした。そのうえ、敗戦後の在留2世の朝鮮民族の人の「韓国人でもなく日本人でもない」との言葉を私たちはどのように考えればいいのか。今だ敗戦を引きづったまま、解決しようとしない日本の姿をどのように考えるべきであろうか。このような想いが、「ウィルタ」の読後に湧いてきました。 我が国は、戦前に日本人として利用したウィルタ民族や朝鮮民族、沖縄の琉球民族などの少数民族を過去の約束を顧みることもなく、冷徹な感覚で棄民しました。この姿の行きつく先には、日本人でありながらも、弱い立場の少数な階層の人々を平気で棄民するような社会になっていくのだろうかと思うと、それは阻止をしなければと思います。しかし、能登半島の震災、その後に発生した大雨による二重の被災を受けた能登半島の被災者の人達も、ある意味、棄民された人々のように思えてきます。 小説としてはだらだら感を感じますが、ソ連に抑留された期間の描き方を日記調で書きながら、過去を思い出す形で主人公の感情を入れていくなどの変化を持たせると、引き締まった小説になったように思えます。描かれている内容は現在でも、未解決で重要な側面を抉り出しており、著者の今後に期待いしたいと思いました。 もう一つの佳作作品である「片側交互交通」はまとまりのある作品であり、最近の商業文芸雑誌の新人賞に載るような形式と感じました。正直に言いますと、私はこのような形式の小説は苦手でして、評価しにくいのですが、主人公の女性の場当たり的な感情を上手に描いています。日本の若者は、世界的に見ても将来への希望を持っていないとの調査結果があります。そのような若者、自分に自信を持つこともなく、心を許せる友人を作ることもせずに、常に不安を抱えながら世の中を生きている若者の姿を描いているようにも思えました。そして、最後には労働者として、最も不安定で身分保障もない職場で働く交通整理員の中年男性の優しさに心を惹かれ、癒されていくストリーはありふれているようで、読者にはホッとした安心感を与える構成は頷けます。ただ、個人的には意志のある若者を描いて欲しいとの思いが残るのですが、小説は著者の感性がその下敷きになっているものである以上、この作風を極めるのも面白いようにも思いました。 文学賞の受賞小説3作を読んでいると、労働者文学会の存在価値の強さを感じました。その根底には労働者文学を築きあげ、守り育ててきた労働者文学の歴史が根底に流れていることを感じるにつけ、先達の人々の心を思い浮かべました。その歴史を背負って奮闘している者への感謝を持つとともに、来年度の文学賞を含む労文賞も期待したいと思っています。 【デジタル労働者文学 目次へ】 |
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首藤 滋
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一 1942年11月27日、戦時内閣(東條英機総理大臣兼陸軍大臣、岸信介商工大臣ら)は、「華人労務者内地移入ニ関スル件」を閣議決定した。その「第一 方針」はこう書かれている。「内地ニ於ケル労務需給ハ愈々逼迫ヲ来シ特ニ重筋労働部面ニ於ケル労力不足ノ著シキ現状ニ鑑ミ左記要領ニ依リ華人労務者ヲ内地ニ移入シ以テ大東亜共栄圏建設ノ遂行ニ協力セシメントス」 つまりは、「戦争で重労働できる労働者は戦地に送ったので足りなくなった。労働者を中国から連行して働かせる」ということだ。産業界から労働力補充供給の要請が強くあった。 この閣議決定に従って、内閣直属機関興亜院華北連絡部の指導の下、華北労工協会が中心となって、中国人俘虜(宣戦布告のない戦争=事変だから捕虜と言わない)やそれこそ道端で拉致して集めた農民・労働者約4万2千人が、日本全国 135か所の鉱山・港湾などに強制連行された。 軍需に重要な銅などを産出する有数の鉱業所の一つに藤田組(現DOWAホールディングス)の経営する花岡鉱業所があった。 花岡鉱業所にあった七ツ館坑の坑道は、花岡川の下に位置し、人の出入り口は隣の堂屋敷坑にしかなかった。1944年5月29日、河川敷が陥没し、坑内の日本人11名、朝鮮人12名が閉じ込められた。藤田組は家族や坑夫仲間の救出の願いを無視し、そこを埋め立ててしまった。生存者は朝鮮人1名のみだった。 藤田組は他の坑への被害を予防すべく花岡川の水路変更を計画、この工事その他築堤工事などを請け負ったのが鹿島組(現鹿島建設)だった。鹿島組に届けられた中国人は、44年6月298名、45年5月587名など3度にわたり、計986名。うち7名は移送途中に死亡している。 俘虜たちは山の中腹に建てられた中山(ちゅうざん)寮と名付けられた収容所に入れられ、厳重な管理のもと、毎日工事現場で苛烈な労働に従事させられた。劣悪で乏しい食事、「補導員」による殴打。衣服は厳しい冬にも一枚のみ。次々と斃れる仲間たち。 45年6月30日中国人俘虜たちは、一斉蜂起して集団脱走を図った。日本人「補導員」ら4名、内通していた俘虜1名が殺害された。鹿島組、警察、特高警察、軍隊、憲兵、地元警防団員らが動員され、俘虜たちは次々と捕縛され、娯楽施設の「共楽館」前の広場に連行された。3日3晩の凄惨な拷問、飢餓などで100名を超える死者が出た。俘虜のうち13人は戦時騒擾殺人罪容疑で刑務所に移された。これが「花岡事件」だ。 敗戦後、中山寮を知った連合国軍が鹿島組関係者を戦犯容疑で逮捕、1948年の軍事裁判で、鹿島組花岡出張所長に終身刑など、ほかに死刑、懲役刑などの判決が下されたが、1953年ごろまでに全員仮出所した。 敗戦当時までに、中国人俘虜986名のうち、418名が死亡している。生存者のうち531名が帰国のため花岡を出発したのが45年11月だった。 『花岡ものがたり』[i]は一冊の木版画の画集である。 この版画集は「1945(昭和20)年に起きた花岡事件を題材に創作された。鈴木義雄氏が企画、詩を喜田説治氏が、原画を新居広治氏が制作。滝平二郎氏と牧大介氏の協力を得て木刻し、1951年に完成。版画集「花岡ものがたり」として出版された。」(一部略)と記されている。 花岡鉱山の姿から解きほぐして、中国人俘虜が連行され、水路変更の過酷な労働と劣悪な収容状況による死者、6・30の一斉蜂起、拘束者は苛烈な取り調べで次々に落命。日本敗戦後、遺骨が返されるまで57枚の版画と詩で表現する。その生き生きとした版画と詩は実に味わい深く、何度見ても決して飽きることがない。 2023年11月4日、東京・小石川の文京区民センターでロシア革命106周年記念集会が開かれ、そこで『花岡ものがたり』が歌と朗読つきスライド上映の形で上演された[ii]。私はスタッフとして参加したが、観客席で上演を観た。45分位の上演であった。 その後「『花岡ものがたり』朗読の会」と名付けられて、短縮版が企画され、さらに上演の機会を探ろうではないか、という事になっている。 二 いくつか紹介された資料を眺めているうち、池田香代子編著『花岡の心を受け継ぐ』[iii]の末尾に載った20ページ弱の資料〈フィールドワーク〉「花岡事件の記憶をたどる」があった。「朗読の会」の仲間と「毎年あるようだ。慰霊式に参列して、フィールドワークに参加してみたいですね」と語り合った。そして2024年もフィールドワークがあることが確認され、その要綱を入手、6月に朗読の会の6名が大館市・花岡に行くことになった。 6月29日午後の「フォーラムin大館」から始まるほぼ二日間の現地訪問は感動に満ちたものだった。5名の様々な面からの訪問記は、8月の『思想運動』紙に掲載された[iv]。 関係者・遺族を含め、多く人々の粘り強い努力を経て、裁判を経て、2000年東京高裁で和解が成立した。和解条項に、鹿島建設と中国人殉難者聯誼会の間で次の共同声明が確認された。「中国人が花岡鉱山出張所の現場で受難したのは、……強制連行・強制労働に起因する歴史的事実であり、鹿島建設はこれを事実として認め、企業としてもその責任があると認識し、当該中国人及びその遺族に深甚な謝罪の意を表明する」 これとは対照的に、日本政府はその責任表明をかたくなに拒んでいる。2021年3月(花岡・大阪の)中国人の元労働者たちが日本政府も賠償責任を負うべきだと訴えた裁判で、最高裁は元労働者側の上告を退け、敗訴が確定した。一審の大阪地裁は2019年「日本政府の国策で連れてこられ、重労働に従事させられ多数の中国人が命を落とした」として、国策による強制連行の事実を認めたが「昭和47年の日中共同声明で、戦争で生じた損害について個人が賠償を求めることはできなくなった」として訴えを退け、2審の大阪高裁も同じ判断を示した。 1989年から続く大館市主催の慰霊式と、フォーラム、フィールドワークへの初めての参加は、『花岡ものがたり』を超えて、現代に生きる人々の意志を学ぶ機会になった。とりわけ2010年に開館された花岡平和記念館[v]の存在とその活動は、まぶしいほどの輝きを持っている。それは侵略戦争がもたらした悲劇をのりこえて、日中人民の友好平和をもとめるすべての人々のよりどころとなることを示している。 「ハナオカ」って何ですか。2023年初夏のころ、私は聞いたことがない言葉を聞いた。華岡青洲の華岡? いや、秋田県大館市の花岡。それから1年半、不明を恥じ、いくつかの資料[vi]に目を通すことになった。私は今や、その運動の深さに震えるほどの敬意をもって、学習と交流を深めていきたいと願っている。 [i]野添憲治編、新居広治、滝平二郎、牧大介『花岡ものがたり』(お茶の水書房1995年)など [ii]『花岡ものがたり』朗読の会編・上演の栞『連環画・花岡ものがたり』(2024年)
[iii]池田香代子編著『花岡の心を受け継ぐ』(かもがわ出版2021年)
[iv] 『思想運動』紙1103号(2024年8月1日号)
[v]NPO花岡平和記念会編『花岡平和記念館 ―平和を心に刻む―』(花岡平和記念会)
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三上 広昭 |
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蔡龍俊と河美雪は築49年のマンションに暮らしている。一緒に暮らしていた二人の息子は朝鮮大学と同短大を卒業してそれぞれ自活している。蔡龍俊は在日K青年同盟→民主統一連合など勤めた後いまは著述を中心に、河美雪はマンションのローン、子供の学資にためにトリプルワークをしていたが今は週19時間以下の特別支援学校で働いている。
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3.11菅直人政権の大罪 秋沢 陽吉 |
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大野誠は春の人事異動で鶴屋スーパー元町店に異動になった。県下にデパート鶴亀堂をはじめとするスーパー・チェーンを展開している鶴屋グルーブは、大手チェーンの進出に抗ってそれなりの経営を維持してきたが、経営不振が続いていた鶴亀堂を売却することで鶴屋グループを守る道を選択した。鶴亀堂には誠もかかわった労働組合があったが、会社は希望退職を募り、売却先の大手スーパーへの雇用継承やグループ企業への配置転換を提案してきた。身売りそのものに反対できる状況ではなく、労働組合は雇用保障を選択し、誠は鶴屋スーパーへの人事異動を希望し、自宅から通える元町店への異動となった。デパート時代の誠は紳士服や雑貨の担当だったが、スーパー業務は初めてだった。労働組合活動をしてきたメンバーはバラバラにされてしまった。 鶴屋スーパー元町店には一階に食料品店があり、二階には百均のテナントと衣料品と雑貨があったが、誠は副店長格で、二階の責任者となった。誠の仕事内容は、デパート時代に担当していた品目だし、流通本部のバイヤーとも顔なじみなので、それほど負担ではなかった。テナントの百均のほうは、品揃えも店員もテナントから派遣されていたので、誠はその売り上げだけを気にすればよかった。 誠はデパート鶴亀堂の職場結婚だったが、妻の希代子はテナントとして入っていた土産物店への転職を紹介され、その駅前店で働いていた。希代子とは同じ職場だっただけでなく、労働組合の活動を通じて親しくなった。楽天的で働き者の希代子は、ガリガリ気味の誠とは不釣り合いな小太りだった。細身の誠と並んで歩くと、人目を引いた。小太りが好みなのは、誠の母親がそうだったからに違いなく、マザーコンプレックスというやつだろうと誠は思う。希代子との結婚式は、労組の仲間や友達が集まっての賑やかなものだった。両家の両親には挨拶には行ったが、結婚式には来なかった。家同士の結婚ではないのだと誠たちは思っていたのだった。希代子には初めての子供が授かり、予定日まで二か月になっていた。 初出勤の日は八時半の朝礼に間に合うように出かけた。まずは店長に挨拶をし、朝礼で紹介された。その日は誠のほかにパートの主婦二人が新たに加わった。その店には誠も入れて四人の男性社員がいたが、そのほかは女性だった。テナント派遣の社員がいたり、シフト制だったりで、正確な人数は初日の誠には分からなかった。誠の仕事は、物流センターやメーカーから運ばれてくる商品検品と運び入れが午前中の仕事だった。その後はそれぞれの部署のスタッフが二次加工、ラッピング、値付けを行い、棚出しを行うことになっていた。男性社員は急に欠勤したところの穴埋めだったり、メーカーや流通本部スタッフとの打ち合わせだったり、店頭販売をする業者との打ち合わせだったりした。その日は、懐かしの歌謡曲のCD販売と贈答品のばら売りコーナーが店頭にあった。男性社員が交代で店頭販売の様子を見ることになっていた。元町店の営業時間は午前九時から午後八時までだったが、早出した誠は六時には退社することができた。初日の誠は「お客さん」のような感じで仕事を終えた。 誠はその日、不慣れな仕事を終えると、デパート時代の同僚と会うことになっていた。初日から定時に帰宅するのは店長にはすまない気もしたが、デパート時代同様に定時帰宅を貫こうと思ってもいた。今日会うことになっていた岡野はデパートのボイラー室にいた労働組合の仲間でもあった。鶴亀堂労組は五階までの副チーフを中心に組織されたが、そこにボイラー室の岡野まで参加するとは思いもしなかった。岡野はもう一人の年配のボイラーマンと一緒にボイラーの管理をしていたが、ボイラーの運転状況を見るのだといっては、店内を巡回して、その巡回が店内全体の把握のために役に立ったものだ。岡野はデパートを買い取った大手スーパーにそのまま雇い入れられ、同じボイラー室の仕事をしていた。 岡野からは駅前の居酒屋に着いたという連絡が入っていた。そこは組合活動の第二組合事務所と呼んでいたところだった。受付で岡野の名前を言うと、奥の小部屋に案内された。 「おっ、遅かったな」岡野の笑顔に迎えられた。 「誠、何にする。久しぶりだな。今日は初出勤だから、希代ちゃんも待ってるだろうによ」 「うん、あいつ、今日は棚卸しとかで遅くなるらしいんだ。ちょうどよかったよ」 「あれ、臨月も近いのに大丈夫なのか」 「あいつはデータを書き込むだけだって言ってたよ」 生ビールのグラスを合わせて乾杯した。岡野の女房はデパート時代の子供服売り場にいた姉さん女房だったが、子宝に恵まれなかった。いや、複雑な事情があって子供を作らないようにしているらしかった。 「ところで、今の職場どうなんだ」と誠は聞い 「デパート時代の組合仲間は、誠も知っているようにバラバラにされて、残ったのは俺ぐらいにものさ。それに、鶴亀堂からの情報提供もあったらしく、締め付けが厳しんだよ。でも、そこには全くの御用組合だけど、形だけの組合があり、俺も形だけ加入したというか、自動的にそうなってるんだ」 「そうか、そんな組合があるんだ。俺は今でも時々思うんだよ。鶴亀堂が廃業するとき、俺たち労働組合はもっと闘うべきだったんじゃないかって…・・・」 「それは無理だったよ。そもそも百貨店なんて業態はどこでも赤字ばかりで、消え去る運命にあるんだ。うちのような地方デパートではなおさらさ。時代の趨勢が闘いを許さなかったのさ。組合員の雇用不安を解消するために、鶴亀堂に再就職先の斡旋させたんだから、頑張ったほうさ」 「そうかな…」 「誠のところは元町店だったよな。あそこの鮮魚に鶴亀堂の地下にいたやつがいるはずなんだ。執行委員にはならなかったが、職場委員みたいのをやっていたはずだ。名前はたしか平井だよ。鮮魚なんで、皆にヒラメって呼ばれていたけどな。鶴亀堂が廃業する前の異動で移ったはずだよ」 「平井か、あいつは元町店の鮮魚の担当で、生鮮食品部門全体を見てるんだ。俺に挨拶してくれたけど、俺は思い出さなかったな、そうか地階にいたんだ」 「とにかく、大人しいやつだからな。ところで、今日は思いっきり揚げ物頼もうぜ。家ではほとんど揚げ物禁止だから」 誠と岡野は鶴亀堂時代の仲間の近況を報告し合い、お互いの家庭事情を語り合ったりした。 「希代ちゃんは順調なんだろう」 「ああ、順調だよ。そろそろ産休に入ってもいいんだろうけど、あいつはきっと職場で産気づくんじゃないかな」 岡野が頼んだ揚げ物がテーブルに並んだ。 2 何日かして誠は平井と待ち合わせて職場を出た。職場近くのコーヒーショップに落ち着いた。 「仕事はどうですか。慣れましたか」と平井が聞いた。 「まあ、なんとかやってますよ。平井さんがここに来たのはいつですか」 「鶴亀堂閉店の一年前かな。元町店で前任者が辞めて、転勤の話があり、俺もいつまでも鶴亀堂にはいられないと思ったんだ。鶴亀堂はいつ潰れてもいい感じだったからね」 「平井さんは鶴亀堂では職場委員でしたよね」 「転勤話があったときは職場委員ではなかったんだ。だから、会社もよく見ていたんだと思うよ。職場委員だったら、もめたんじゃないかな」 「なるほどね」 「俺も鶴亀堂労組ができたころは、スーパーにいる知り合いに話はしてみたんだが、いまいちだったよ。デパートに組合ができたもんだから、本部のほうからの締め付けが激しくなって、誰も及び腰だったよ」 「確かにそうだったな。俺もそうだ。職場が散らばっていたし、パートやアルバイトの人もたくさんいて、どうしたらいいかわからなかったなあ」 平井は苦笑いを浮かべて、コーヒーを啜った。 「あっ、誠さんは雑貨の希代ちゃんと結婚したんだったね。結婚式には行けなかったけど、楽しくやってるんですか。ちょっと意外なカップルの印象でしたね」 誠がよく聞く話だった。誠の自己評価はちょっと暗いほうなのに、希代子はいつも明るく、誰とも仲良くなれるほうだった。そんな希代子が職場をまとめてくれたものだった。 「今妊娠中でね、もうじきパパになるんだよ」 「へぇ、それはいいですね」 「平井さんはどうなの……」 「まあぼちぼちですよ。それより惣菜に斉藤さんって小母さんがいるんだけど、その小母さんがね、地域のユニオンに入ったんですよ。元町ユニオンって言うんですけど、元町のいろんな職場の人が入っているんです。俺も誘われているんだけど、決断できなくて……。誠さん、話してみたらどうです。でも、店長には気を付けたほうがいいな。誠さんには本部からの申し送りがあるようなんですよ」 「そう、今度話してみるけど、惣菜のバックヤードにはあまり行かないからな」 惣菜の調理場は、平井の管轄だったので、誠はあまり出入りしたことがなかった。 「じゃ、俺のほうから話しておくよ」 誠はこの小さな職場にもいろいろな人がいるものだと不思議な気がした。 誠が二階の棚出しをしているときだった。 「大野さんですか、私、惣菜の斉藤です」 バックヤードで白衣を着た惣菜の小母さんが誠に声をかけた。どっしりとした体格だった。 「ああ、平井さんに聞いています」 「今日はもう上がりなんで、時間がないんですけど、今度またゆっくり話しませんか。できたら元町ユニオンの事務所がいいかな。また、連絡します。鶴亀堂労組の人だったんですよね」 斉藤は笑みを浮かべていた。 誠が元町ユニオンの事務所を訪れたのはそれからまもなくだった。雑居ビルの五階の一室だった。遅くて小さいエレベーターが誠を事務所に運んだ。狭い玄関には履くものが溢れていて、土足厳禁がわかった。誠は「こんにちは」と声をかけた。事務所には事務机がふたつあり、コンピューターやコピー機、それに印刷機があった。中央にあるテーブルでは何人かが酒盛りをしていた。斉藤が鶴屋スーパーから買ってきたらしい肴がテーブルの上に並んでいた。 「あっ、誠さん」と斉藤が立ち上がった。 ほんのりと頬を赤く染めていた。 「皆さん、紹介します。うちのスーパーの副店長の大野誠さんです。あのデパート鶴亀堂に労働組合を作った人です。鶴亀堂がなくなって鶴屋スーパーの私の店に異動になったんです」 「………」 そこにいた人達から、「へえ」とか「ああ、この人か」という反応があった。それから、斉藤がそこにいた人達を紹介してくれた。元町ユニオンの書記長という人がいて、その他に長い解雇争議をしている人、業界紙の記者の人、不動産屋の労働者がいた。 「誠さん、ちょっと出ますか」と斉藤が言った。 「うん、それがいいね」と書記長が笑みを浮かべた。 「誠さん、晩御飯食べたの。私、もうちょっと飲みたいんだけど……」 「そうですね。僕も少し飲みたいな。今日も暑かったから、生ビールでも飲みたいですね」 「じゃ、中華でいいかしら」 斉藤が先を歩いていく。小さな商店街には、雑多な店が並び、怪しげな客引きの女性が声をかけていた。そのなかに中華料理店「上海苑」があった。赤い色が目立つ広い店内には、疎らな客がいた。 「この店、昼間は込んでいるんだけど、この時間は空いてるの。でも、美味しいのよ。料理人はみんな中国人だし……」 斉藤が隅の席に案内し、誠と向き合った。いつもマスク顔の斉藤しか知らなかった誠は化粧っ気のない顔に向き合うと不思議な気がした。 「どうしたの、私の素顔って初めてじゃない……」と笑った。 生ビールで乾杯をし、餃子とピータン豆腐が並んだ。 「ちょっと自己紹介するわね。誠さんより二十歳ぐらい年上かな。誠さんって三十歳くらいでしょ。私は、今は独身だけど、子供が二人いるのよ。そうだ、もうすぐ孫も生まれの。旦那と別れてから、パートの小母さんしてるんだけど、いつか小さな食堂とか居酒屋をするのが、夢かな」 「ぼくは高校出てからはふらふらしてたけど、結局紳士服のチェーン店に落ち着いて、それから鶴亀堂。鶴亀堂では若い仲間と組合を作ることになったんだけど、鶴亀堂が整理されちゃって、鶴屋スーパーに来たんです。組合作りは楽しかったけど、こんなことになってちょっと心残りかな」 ひとしきりそれぞれの家庭事情の交換になった。生ビールを飲み干した二人は、紹興酒に切り替えた。 「ねえ、誠さん、一緒に元町ユニオンに参加しましようよ。組合は二人以上いればできるんだから、鶴屋スーパー元町労組だってできるのよ。パートの小母さんたちも私の言っているのは理解してくれるんだけど、なかなか一緒にやろうって人がいないのよ」 「…………」 「やっぱり、誠さんも一緒か………」 誠は斉藤とは違う事情を考えていた。斉藤の雇用は元町店に限定して雇用されているが、誠は鶴屋スーパー本部に雇用されていたので、誠の組合加入を嫌えば、県下に展開する鶴屋スーパーのどこかに飛ばされる可能性があった。鶴亀堂の場合は別会社になっていたので別部門への異動は難しかったが、それでも出向などの名目で飛ばされた場合があった。平井にしても最初は出向だったはずで、鶴亀堂の清算を受けて鶴屋スーパーの雇用になっているに違いない。それは誠も同じだった。鶴亀堂が別会社だったからこそ、組合を組織することができたのかも知れない。誠は臨月を迎えようとしている希代子の顔を思い出していた。 「誠さん、もっと飲んで。今日は最初だから、ゆっくりやって行きましようよ。組合を作ることが目的じゃなくて、働きやすい職場になればいいのよ。私ももっと地道にやっていくわ」と斉藤は笑みを浮かべた。 「斉藤さんはどうして元町ユニオンに入ったんですか」 「私も黙っていられない性格だから、職場についていろいろ店長にも話したのよ、でもなかなか改善されず、悔しい思いをしているときに元町ユニオンのチラシを見たの。まあ、店長なんていっても権限はないんだし、上を気にしてたんじゃないかな。それで、組合を通じて話をしたら、よくなったの。それで、やっぱり組合は必要なんだと今は思っているの。それは店長にとってもよかったんじゃないかしら」 「そうですか。そんなことがあったんですか」 「私たち、パートの小母さんにとっては、年金の壁を考えながら、働いているの。会社も分かっていて、社会保険の負担が増えないようにしているわ。でも、中には手取りが増えるほうがいい人もいて、年収の壁以上に働きたいわけなんだけど、なにしろ会社がシフトに入れてくれなきゃだめなわけ。それが一番かな。でも、最近は少し変わってきたのよ。最近人手不足だから、多少の負担増になっても働いてほしいみたい。あとは時給のアップ、ずっと据え置きになってる。それと、私たちには有給もあるんだけど、なかなか取りにくいのよ。それでも、私が率先して取って、他の人にも話して順番に取るようになったのよ」 「僕も移ってきたばかりで、労働条件についてはあまり知らないんだ」 鶴亀堂勤務だった誠には、衣料補助が出ていた。背広が義務付けられていて、ワイシャツやネクタイの購入も馬鹿にならなかったからだ。それは組合の要求で出るようになった。それだけではなく、小さな労働環境を改善することで、労働組合は信頼されるようになったのだった。デパートに労働組合があったときには、衣料補助のような生活要求をいくつか実現していた。 「ほかにもあるんですか」 「そうね、社員割引にしてくれたらって、思っているの。一般商品もそうだけど、生鮮食品は売れ残ったらどうせ廃棄処分するんだし……。そうしてくられたら、随分助かると思うわ」 「ダメなんですか」 「ええ、生鮮食品は食あたりになったら大変とか、会社はいろいろ言うし、社員割引なんで頭にないみたいよ」 誠はいつになく酔った。職場の話ができたのは久しぶりだ。 3 その日、誠のスマホが鳴ったのは勤務が終わる一時間ほど前だった。 「大野さんのお電話ですか。奥さんを預かっている山城病院なんですが……」 「ああ、どうしました」 「とにかく、できるだけ早くこちらに来ていただきませんか」 希代子が病院に入ったのは、二日前だった。予定日が近づいていたし、誠の子どもは正常な位置ではなく、難産になるかも知れないと言われていたからだった。誠は店長に早退を申し出た。「どういうことなんだ。とにかく行ってみなよ」と店長は言ってくれた。 誠は裏の駐輪場で自転車に跨ると、病院に持って行くことになっていた荷物を思い出した。そこには退院するための希代子の着替えやベビー用品が入っているはずだった。誠は家に寄ってその荷物を前カゴに入れると、病院に向かった。むっとする夏の暑さが誠につきまとった。不吉な予感を覚えていた。なんでこうなんだと誠は思った。 ナースステーションに行くと、 「ああ、大野さん、先生からお話があります」というと、誠を診察室に案内した 誠が女医に会うのは二度目だった。 「大野さん、残念なことになりました。お腹の中から心音が聞こえません。お腹のなかで死産となってしまいました。そこで、次のチャンスのためにお子さんを産道から出したいのです。そうすれば、次のチャンスでは楽に生むことができます。奥さんはいやだと言っているのですが、もう一度旦那さんから聞いてみてくださいませんか。本当に残念なことですが……」 「分かりました。聞いてみます」 誠の不吉な予感は的中した。希代子は個室に入っていた。荒い息遣いをしていた。息絶えた胎児ではあったが、希代子に陣痛をもたらしていたのだ。 「マコちゃん、ごめんね。死産になっちゃったみたいなの」 「ああ、先生から聞いたよ。先生がね、次のために産道から出したほうがいいっていうんだ」 「うん、私も聞いてる。でも産声も上げない子供を産むのはいやなの。帝王切開で出してくれって……」 「そうか……」 長い沈黙が続いた。希代子の判断を優先するしかないと誠は思った。 「マコちゃん、分かったわ。次の子どものために頑張ってみるわ」 「ありがとう。先生に伝えるよ」 その間も希代子は荒い息遣いを繰り返した。誠は退院のための紙袋をベッドのわきに置くと、女医の部屋に向かった。 「どうでした」と女医がいう。 「はい、先生のおっしゃるように頑張ってみますと言っていました」 「そうですか。それはよかった。今の状況では明日には処置できると思いますので、また、明日の今頃来ていただきたいのですが……」 「はい、わかりました」 翌朝出勤した誠は、前日の早退のお礼と死産の報告を店長にした。 「そうか残念だったな。まだ若いんだし、チャンスはあるさ」と店長は励ましてくれた。 「今日も病院に行かなくてはならないので、定時に帰宅したいんですが… 「ああ、もちろんかまわないよ」 誠が二階の商品点検をしているとき、斉藤がやってきた。 「誠さん、店長から聞いたわ。残念だったね。世の中には誠さんのように悲しい思いをする人はいっぱいいるのよ。元気出してね。誰よりも辛い思いをしているのは、奥さんなんだから、力になってやらなくっちゃ」 「ありがとうございます」 斉藤だけでなく、職場の仲間が励ましの言葉をかけてくれた。その度に誠は涙が出そうになった。誠の人生のなかでもっとも悲しく悔しい場面に居合わせたように思った。何よりも悲しく悔しい思いをしているのは希代子だと思いながらも、心のどこかで希代子を責めている自分を感じた。 仕事を終えて病院のナースステーションに向かった。産婦人科の廊下には何人かの見舞客が来ていて、ガラス越しに新生児の部屋を覗いていた。看護師に言うと、目当ての新生児を連れてきてくれ、対面できるようになっていた。何事もなければ、誠もそうやって我が子と対面しているはずだった。 「すみません、大野ですが……」と看護師に声をかけた。 「ああ、大野さん。奥さん、本当によく頑張ってくれました。褒めてやってくださいね。男の子でしたよ。無事に処置は終わったのですが、見ますか」 「えっ、子供をですか…。じゃ、お願いします」 「ではこちらです」と看護師が案内した。 看護師は新生児の部屋を通り過ぎて、奥の部屋に誠を導いた。 「この冷蔵庫に入ってるんですよ」と看護師は申し訳なさそうに言った。 「冷蔵庫ですか……」 看護師が白いガーゼに包まれた誠の息子を抱いてきてくれた。白っぽい肌には赤みはなく、固い物体のようにしか見えなかった。髪の毛がふさふさしていると誠は思った。 「抱いてみますか」 「いえ……」 「あの、写真撮りますか」 「えっ、……」 「撮ってやってください」 誠はスマホを出して何枚か写真に収めた。いつか希代子が落ち着いたときに見せる機会もあるだろう。目頭が熱くなって誠は不覚にも涙を流してしまい、自分が最後に泣いたのはいつだっただろうと思った。看護師は葬儀会社が遺骨にしてくれるので、三日後にまた来てくださいと誠に伝えた。流産ではなく、死産なのでそうしなくてはならないと伝えた。 病室に行くと、希代子は寝ていて、誠は新生児用品を紙袋から出し、希代子のものだけを残して病室を後にした。 4 鶴屋スーパー元町店に組合ができたのは、夏の終わりのことだった。店長が見せてくれた通知書には、元町ユニオンとともに鶴屋スーパー元町店労働組合の名前があった。斉藤以外にも加盟する人がいて、独自の労働組合になり、それが元町ユニオンに加盟しているのだという。団交の申し入れがあったと店長は伝えた。 何日かして誠は「上海苑」で斉藤と向き合った。 「誠さん、驚いた。私たちの職場に組合ができたのよ」 「うん、店長から聞いてる」 「この夏、とても暑かったでしょ。惣菜の揚げ物担当の人が熱中症になったの。今年は暑かったからねえ。その日、体調を崩して早退したんだけど、家に帰ってからも体調が芳しくなくてね。何日か炭のような便が出たんだって。それで、その人の話を聞いて、元町ユニオンで取り上げたの」 「そんなことがあったんだ」 「鮮魚の平井さんは知ってるはずよ。それで蛇腹のスポットクーラーを設置してくれて、それでその人が何人かを誘って元町ユニオンに入って、それで元町店の組合を立ち上げることにしたの」 「それで、どのぐらい組織できたんだい」 「惣菜部の人とレジ打ちの人も何人か。宗教団体に入ってる人を除いてはほとんどよ。もちろん正社員はいないけど……」 「………」 斉藤さんの様子には、あんたも入ってよという言葉を飲み込んだように感じられた。 「ところで、奥さんはどうなの」と斉藤は話題を変えてくれた。 「うん、あれから退院してね、今は仕事をしてるよ」 「惣菜の小母ちゃんたちもみんな心配してるのよ」 あれから葬儀屋から小さな骨壺が届き、誠たちは小さな木箱を仏壇代わりにしていた。希代子がいつも華やいだ花を飾り、その前で何度もごめんねと呟くのを誠は聞いていた。このままじゃ浮かばれないわと希代子は言って、二人目のために産声を上げない子を産み落としたんだから、次も頑張らなくちゃと希代子は言っていた。ようやく落ち着いた頃に死産の子は「誠一」と名付けられた。 「誠さん、一番悔しい思いをしているのは奥さんなのよ。世の中には流産や死産をした人はたくさんいるのよ。間違っても、奥さんを責めたりしないでね」 誠は斉藤さんの言葉にハッとした。誠のどこかに希代子を責めている自分がいることを感じていたからだ。希代子はいつも明るく元気いっぱいだっただけに、誠はこんな結果になるとは思いもしなかったのだ。誠の母親も、姉も驚くほどの安産だったので、今度のような事態になることを想像もできなかった。いかにも迂闊だった。 誠は、斉藤の組合結成の話に勇気づけられ、希代子を大切にしてくれたのが嬉しかった。 希代子はその日、遅く帰ってきた。お土産屋の同僚たちが希代子を励ます食事会を開いてくれたのだ。誠は元町店で買ってきた弁当をつまみながら缶ビールを飲んでいた。鉄製の階段をのぼる音は希代子のものだった。希代子はほんのりと赤い顔をして帰ってきた。 「楽しかったみたいだね」 「うん、皆に随分ハッパかけられたわ。子供授からなかったら、一生後悔するって…・・・」 「…………」 「マコちゃん、私、もう大丈夫よ」 「そう……」誠はビールの最後の一滴を飲み込んだ。 「それに、マコちゃん、職場に労働組合ができたんでしょ。マコちゃん、あんたも参加しなよ。私のこととか、家のことなんかを理由にしないでね。マコちゃんもきっと後悔するわよ。デパートの労働組合はこれからというところで駄目になっちゃたんだから、マコちゃんには心残りのはずよ。だから、斉藤さんたちのこと、話してくれたんでしょ」 「…………」 「自分がやれないのを私のせいなんかしないでね」 「そうだな」 誠は希代子に見すかれていたことを思い知らされた。確かに誠は踏み込めない理由を探していたのだ。平井にも話してみるか、誠はそう思った。なぜかしきりに斉藤の笑顔を思い浮かべた。 【デジタル労働者文学 目次へ】 |
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三十八度の攻防 村松孝明 |
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目が覚めていつものように起きると、体がフワフワしてなんだか変な具合だ。体温計をさがして測ると三十八度五分、妻のコロナが感染したに違いない。妻は昨日熱を出して近くの医院で、コロナとインフルエンザの検査を受けてコロナと診断された。鼻に綿棒を突っ込まれ悲鳴を上げるほど痛かった。その乱暴な扱いで鼻血が出たと怒っていた。あんなひどい医者だとは思わなかった。藪医者めぇとわめき、高熱の割には元気だった。藪医者が出した大量の薬は飲む気になれないと飲まずに、一日寝ただけで今朝から起き出して洗濯をしている。俺はそんな乱暴な検査は嫌なので、妻の薬を飲んで寝た。 参考資料
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▼トランプが再登場した。接戦どころか圧勝し、上下院選挙でも優勢なのだという。日本製品への関税引き上げと米軍基地負担増を要求してくるのは確実だという。朝鮮有事や台湾有事ともなれば、日本は参戦を強いられ、日本本土も攻撃対象となるだろう。中国、朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)との友好関係を作ることが切に望まれる。日本国憲法は国際紛争を話合い=外交で解決せよと定めていることを忘れてはならない。 デジタル労文の第二号が無事に配信された。会員外からの寄稿も寄せられた。知名度が上がりつつある証しだろう。日常生活では横書きのほうが優勢だが、文学の世界では縦書きが主流。特に短歌や俳句などの韻文はやっぱり縦書きがしっくりする。デジタル労文の課題のひとつとして考えなくてはならないと思う。順調に第二号が出たのは嬉しい限りだ。(北山悠) ▼珠玉の佳編、小説『夜明け前の夢』小林晶が掲載されています。主人公伸行と母の物語。「気狂いの母が」「母は発狂した」「その時の母は気違いではなかった」。実の母を伸行がこう語ります。いわゆる差別語が衝撃をもって突き刺さります。世間の冷たい仕打ち。病む人を理解しない社会。人世に居場所がない病者。その言葉だからこそこれらの一切を鮮やかに浮かび上がらせます。精神病院に収容されたものの、入院費が払えなくて家に戻ります。「家に一人残された母が心配で伸行は兄弟たちと入れ替わるように家に帰った」。その心根が語る母の姿のひとつひとつが、激しく胸を打ちます。過酷な宿命を生きる母と子をどう呼べばよいのでしょう。哀切… 挫けぬ精神… 崇高な魂… 辛い、苦しい、悲しいといった感情の表現は一切ありません。「涙がしきりと目尻から流れた」といった行動によって表します。だからすべての場面がくっきりと心に刻まれるのです。かなりの腕前の書き手だと思います。この世の真実を描く20枚の短編。何度も読み返したくなる魅力をあふれるほどに持つ作品です。是非ともお読みください。(秋沢陽吉) ▼今回も2編の詩の投稿がありました。ありがとうございます。 |
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