【HPコラム 2025・6】 戦後80年の感想 福田玲三 |
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「戦後80年 『戦後』は終わったのか」の問いかけに、北岡伸一・東京大学名誉教授は、その答えを、次のように結んでいる。(朝日新聞25年4月22日付) 「……私は、10年前に安倍晋三政権が出した戦後70年談話の作成に関わりました。その中では『侵略』『植民地支配』という言葉を使った。歴史的な事実だったからです。 石破首相は80年談話の代わりに、国民へのメッセージを出す方針のようですが、もう『おわび』の要素は入れる必要はないと思います。歴史を伝えることと、いつまでも謝罪を続けることは同じではありません。戦後80年に意味があるとすれば、歴史を正しく知り、今後の日本がなすべきことを考える機会にすることではないでしょうか。」 この回答を読んで思い出したのは、安倍政権の戦後70年談話だ。この談話は、上辺は戦後50年の村山談話の「植民地支配」「侵略」「痛切な反省」「おわび」を引継いでいると見せながら、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と結び、村山談話の誠意を台無しにする、面従腹背、安倍の得意技だった。 今回の北岡回答をみると、一度はやむなくおわびしたが、もう二度と謝罪したくないと、まるで地獄の底でつく溜息が聞こえるかのようだ。 毎回、おわびをするごとに、今後の日本のあり方を考える、それが誠意ではないか。 北岡回答を見て、また思い出したのはホー・チ・ミン北ベトナム主席の次の言葉だ。「人にいいことをされたら、永遠に忘れない。こちらが人にいいことをしたら、それは忘れてもいい。」(本多勝一著『北爆の下』p.379) この言葉はベトナム解放戦争を支援した諸国の人民に向けられた謝意のようだ。 いま、北岡回答をホー・チ・ミン主席の言葉に移せば、「人に悪いことをされたら、永遠に忘れない。こちらが人に悪いことをしたら、それは忘れてもいい」となろうか。まるで逆の教えだ。 30年にわたる民族の命運をかけた戦争を勝利に終えた指導者の大きな心と、15年にわたる侵略戦争を敗北で終えた国の教授の小さな心の、その開きは明らかだ。 この風格の違いを、いま私は実感している。 |
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HPコラム 2025・4】 蕎麦掻き 土田宏樹 |
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東京でも桜が満開となった4月初めの某夜、郵便局で働いていた頃の仲間たちと神田の蕎麦屋で飲んだ。菊正宗の熱燗。5人連れだったので肴はあれこれ少しずつ注文して分け合う。鰊の棒煮、卵焼き、焼き鳥・・・。蕎麦がきもたのむと、塗り物の湯桶が運ばれてきた。熱い湯が満たされ、蕎麦粉を掻いたのが浮かんでいる。 大江健三郎を誘って神田の蕎麦屋に入り、蕎麦がきを食べた話をむかし安岡章太郎が書いている(雑誌『文藝』1974年2月号)。 「そばがきといふのは、私は子どもの頃から何となく貧乏臭い気がして好きではなかったが、大江氏が食ひたいといふので、付き合って食ってみると、これがじつにウマかった。」 安岡は店名を明記していないが、われわれが行ったのは、おそらく同じ蕎麦屋である。そして蕎麦がきというのはじっさい貧乏くさいようで実にうまい。そば切りにする前の、鉢で捏ねられた蕎麦のかたまりだ。 安岡のその文章はもう半世紀前で、安岡章太郎も大江健三郎も今やこの世の人ではない。私が最近読んだ中で蕎麦屋が登場するのは津村記久子の小説『水車小屋のネネ』(2023年)だ。題名にある水車小屋は山あいの、近くを川が流れる蕎麦屋に併設されていて、水車の動力によって回る臼で蕎麦の実から蕎麦粉が挽かれる。小説の中に蕎麦についての蘊蓄などいっさい出てこないが、きっと美味いに決まっている。蕎麦がきが出される場面もあった。 ネネというのは、水車小屋に棲むヨウムという鳥の名。オウムの一種で賢い。18歳と8歳の姉妹が事情があって家を出、姉は蕎麦屋で働く。彼女たちをめぐって1981年から2021年まで40年間のクロニクル(年代記)のような作品だ。 読後感が爽やかなのは私が蕎麦好きだからだけではないと思う。 |
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【HPコラム 2025・4】 朝鮮戦争を終わらせることについて 黄(ファン) 英(ヨン) 治(チ) |
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本稿の執筆現在、イスラエルとハマスのガザ戦争の停戦合意は破綻し、イスラエル軍のガザ地区および西岸地区、レバノン南部への攻撃が再開された。また、ウクライナとロシアの停戦をめぐっては、実現に予断を許さない状況にある。そうであるがゆえに、なおさら、戦闘を停止し、当該地域に暮らす人びとや戦闘員たちを覆う死の影を払い、民意と国際法に沿った公正な「平和」への第一歩となる両地域の「停戦」を願う気持ちはさらに強まる。 この思いに共感してくれる方は、決して少数ではないだろう。そこで私は、遠くのパレスチナ、ウクライナとともに、私たちの身近な戦争=朝鮮戦争の「停戦状態」が72年間そのままであることを忘れないで欲しい、とつけ加えたい。 「停戦」とは、「交戦中の両軍が何らかの目的のため、合意の上で一時的に戦闘行為を中止すること」(デジタル大辞泉)とされる。つまり、「停戦状態」とは「戦争状態の継続」ということになる。であるのに、日本の世論だけでなく、平和運動においても、「朝鮮戦争の(少なくとも)終戦」についての関心は低い。いや、ほとんどない、と言ってもいいだろう。 しかし、朝鮮戦争はいやでも、「日本の戦争」である。実際、横田基地には「朝鮮国連軍後方司令部」が置かれ、「国連軍地位協定」によって7か所(うち3か所は沖縄)の在日米軍施設が「朝鮮国連軍」の使用可能施設だ。「国連軍」の主力は米軍で、駐韓米軍・韓米連合軍司令官が「朝鮮国連軍」司令官を自動的に兼任する。つまり朝鮮半島で、朝鮮人民軍と米軍・韓国軍の間に、(ここ数年頻度を増している韓米+日の合同軍事演習を引き金に)なんらかの軍事衝突が起きれば、それはただちに朝鮮戦争「停戦」体制の崩壊となり、日本は自動的に「朝鮮国連軍」の後方基地としての機能を再開する(と見なされ)、当該の米軍施設は、朝鮮人民軍の攻撃目標となる(この部分は、高林敏之・立教大学非常勤講師のフェイスブック投稿を引用した)。 逆に、Imagine! 朝鮮戦争の「停戦」を「終戦」―平和協定の締結に導けば、朝米・朝日の国交正常化と、朝鮮と韓国の平和共存=漸進的な統一プロセスの軌道への進入によって、東アジアの冷戦はようやく終わることになる。そうなれば、実質的な軍縮=米軍の韓国と日本(=沖縄)からの削減―撤退、朝鮮人民軍・韓国軍・自衛隊の縮小の条件が整う。 ちょっと待て、中国の軍事大国化―海洋進出、台湾問題―有事の問題はどうする? との声が聞こえてくる。そうであったとして、どうして朝鮮戦争を終わらせてはならないのか! パレスチナ、ウクライナ、そして世界各地の戦争―停戦状態が、一刻も早く公正な「平和」体制へと移行することを願う。その願いは、ただちに、朝鮮戦争を終わらせなければならないという、私(たち)の課題、それに寄与する仕事に参加する責任を生じさせる。 (3月24日記) |