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2026HPコラム |
| 4月 |
稲田恭明 |
「二国家解決案を疑う」を訂正する |
| 4月 |
黄英治 (ファンヨンチ) |
「悪」の加担者の責任 |
| 3月 |
西向光 (高田博光) |
94歳幸子さんの悩み |
| 2月 |
首藤滋 |
労働運動の中からの反戦平和論の白眉
――伊藤彰信著『日本軍国主義と決別し日中不再戦の誓いを新たに』を読む |
| 2月 |
窪田聡
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ハンセン病療養所と『故郷』 |
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長島信也 |
2026年1月3日 |
| 1月 |
村松孝明 |
初の女性首相誕生に思う |
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【HPコラム 2026・4】
「二国家解決案を疑う」を訂正する
稲田恭明
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ちょうど1年前の今頃(2025年3月)、この欄に「二国家解決案を疑う」というコラムを執筆させて頂いた。今読み返すと、不十分な理解に基づく混乱や誤りが見出されるので、この場を借りて訂正し、現時点での考えを示したい。
前記コラムで私は、「その失敗の原因を考察することなく、お題目のように「二国家解決」を唱えているだけでは無意味であろう。失敗の根本原因はイスラエルに二国家解決を実行する意志が全くないことである。そもそもオスロ合意でイスラエルはパレスチナの国家建設を認めていない」と書いているが、文脈上、「その失敗」とはオスロ合意の失敗とも、二国家解決案の失敗とも読めるようになっており、まずそこに私の理解の致命的欠陥が露呈している。仮に「その失敗」が二国家解決案の失敗だとしたら、その「根本原因はイスラエルに二国家解決を実行する意志が全くないことである」というのは、「トランプに国際法を遵守する意志が全くないことが国際法の失敗の原因である」というのと同じく馬鹿げている。(後半の「……国家のユダヤ性に固執している現状を直視するなら、二国家解決案の破綻はもはや明らかである」という記述にも、同様の論理的誤謬が表れている。)また、「その失敗」がオスロ合意の失敗を指すとしたら、「イスラエルに二国家解決を実行する意志が全くないこと」はオスロ合意の失敗の原因というより、オスロ合意の目的そのものであったがゆえに、原因と目的を混同している。
上記コラムを書いた私の意図は、「オスロ合意は二国家解決案であり、その進展を妨げているのは、オスロ合意を否定しているハマスや、合意の誠実な遵守を履行しないイスラエルにある」といった最大公約数的なオスロ合意理解を批判することにあった。オスロ合意が二国家解決案ではないというのは間違っていないが、上記コラムではどちらを批判したいのかが明確になっていないのみならず、結果的には二国家解決案を批判するような結論になっている。ここで現在の私の立場を明確にしたい。明らかに間違っていたのはオスロ合意であって、二国家解決案ではない。オスロ合意とは、パレスチナ人の自決権を否定し、イスラエルの支配と占領体制を永続化するための仕組みであった(ラシード・ハーリディー『パレスチナ戦争』参照)。一方、二国家解決案は、パレスチナ国家が建設されたとしても、人種差別とパレスチナ人難民の帰還を阻む現在のイスラエル国家の問題性は何ら解決されない以上、確かに理想的な解決案とは言えないものではあるが、今よりもましな状況に近づけるための(いかに非現実的に見えようとも)相対的には現実性のある解決策であると言える。そのことを早い段階で見抜いていた人や組織も少数ながら存在したが、その一つがハマスであった。そのことを私は川上泰徳氏の『ハマスの実像』によって教えられた。
ハマスはオスロ合意(1993年9月13日)の1週間後には「合意に反対し、占領への抵抗運動を続ける」との声明を発表していたが、2017年5月には「ハマス憲章」(1988年)の弱点を克服したハマスの新たな方針を明示した新政策文書を発表している。マスコミではほとんど報じられないこの文書のその第20項は次のように規定している。
「ハマスは、パレスチナを(ヨルダン)川から(地中)海まですべてを完全に解放する以外のいかなる解決策も拒絶する。ハマスは、シオニスト国家を拒絶することで妥協することなく、またパレスチナ人の権利を放棄することもなく、さらに難民と避難民が追放された故郷に戻ってくることを条件として、1967年6月4日の境界線に沿って、エルサレムを首都とする、完全に主権を持つ独立したパレスチナ国家が樹立されることを民族の総意の解決策とみなす。」
ここには、この文書を起草した当時のハマス政治指導部の驚くべき思慮深さが表れていると私は思う。まず、「パレスチナを(ヨルダン)川から(地中)海まですべてを完全に解放する以外のいかなる解決策も拒絶する」と述べて、理想は(すべての民族が平等な権利を有する)民主的な一国家解決策であることを明示したうえで、当面の現実的な解決策としては、第3次中東戦争以前の境界線(グリーンライン)に基づくパレスチナ国家の建設(二国家解決)を提示しつつ、シオニズム体制(入植者植民地主義的アパルトヘイト体制)を認めないこと、パレスチナ人の権利を放棄しないこと、難民・避難民の帰還を保障することを条件として挙げているのである。
私はこの項目に反対の余地を見出さないのみならず、川上氏の紹介している新政策文書のすべての項目に賛成せざるを得ない。現在、「トランプ和平計画」という、オスロ合意の何万倍も愚劣な計画がすでに行き詰っているが、こういうものが決して成功しないことはもちろん、ハマスの新政策文書が示しているような原理的に正当な理念は、いかなる弾圧にあおうとも決して消滅することはなく、何度でも再浮上してくるであろう。 |
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【HPコラム 2026・4】
「悪」の加担者の責任
黄英治 (ファンヨンチ)
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卑近な事実から考えてみる。いまSNSで、ある人を名指して「殺す」と書けば、とたんに対象者を脅迫したと見なされ、刑事罰の対象となり、逮捕・起訴される可能性がある。ましてや、脅迫通りに殺人を指示し、実行したなら、指示者と実行者は、処罰を免れない。なぜなら殺人は、人の命という「最も重要な法益」を故意に侵害する行為であり、殺人の処罰は社会秩序の維持と人権保護のために不可欠だからである。これが人間社会の「常識」のはずである。
ところが、米国のトランプ大統領とイスラエルのネタニヤフ首相は、自分が指示して、イランの最高指導者ハメネイ師を、圧倒的な軍事力を行使して殺害した、と胸を張ってメディアで宣言した。
「常識」(国際法と国際慣行)に基づくなら、トランプ氏とネタニヤフ氏は、逮捕、起訴され、裁判を経て処罰を受けなければならない。そして、「国際社会」は、各国に対する戦争犯罪を繰り返している米国とイスラエルに制裁を課して、戦争行為を止めなければならない(はずである)。
しかし、両氏はいまだに、なんの咎めもなく、「イラン指導部は全員殺した」「敵をどこまでも追及して殺す」と、言いつづけ、世界の誰も(そう、私も)彼らとその国の軍隊の無法で悪辣な無差別殺人行為を止められないでいる。
その責任は、誰が負うべきか? 私(たち)は、無法者をのさばらせている「悪」に加担していないと、言い切れるか? ここから、私(たち)は、なにができるのか、なにをすべきなのか、を、この〈いま〉から逃げ出すことはできないのだから――考え、行動しなければならない使命と責任が生じる。
私(たち)は、ユダヤ人政治哲学者ハンナ・アーレントが、ナチス(ドイツ人)によるユダヤ人虐殺が明らかになった一九四五年に執筆した論文「組織化された罪」(『パーリアとしてのユダヤ人』未来社、一九八九年所収)の、次の一節から、深い示唆を受け取ることができるように思う。
「人類の理念には自分たちが背負おうとは思わない一切の責任をも負うべきだという義務が含まれている。人類の理念は、人間によってなされたすべての犯罪に対して自ら責任を負い、民族はほかの民族によってなされたすべての悪行にたいしても自ら責任をおわねばならないという政治的にきわめて重要な帰結に至るからである。恐れおののきながらついに、人間はどのようなことでもできるのだということを理解したのである。人類の逃れられない責任に対して心底不安を抱いている人たち、そのよう人たちだけが、人間が惹き起こすかもしれない恐るべき悪に対して勇敢に、妥協せず、全面的に闘いを挑まねばならぬとき、頼りになるのである」
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【HPコラム 2026・3】
94歳幸子さんの悩み
西向光 (高田博光)
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大阪豊中市には、ロシア領事館がある。大阪モノレールの少路駅の山側徒歩10分くらいの閑静な住宅街。毎月24日に「ロシアはウクライナ侵攻を止めろ!」と街頭行動を元高槻市議の山本健治さんが呼びかけ、色々な人が集い今年2月で4年目に入った。
その住宅街の反対、浜側は高級住宅地で立派な屋敷がずらり立ち並んでいる。
幸子さんは、この住宅地にお住まいで、私とはもう20年くらいの付き合いである。今年94歳になられる。
昨年高市政権が発足し「悩みが増えた」と愚痴を呟き、先月の衆議院選挙では連日、私に電話と手紙で具体的な悩みが発せられた。
「今回の解散総選挙は勝手過ぎます」「私たちはどの政党に入れるの?」「立憲と公明が一緒になった『中道』て何?」次々と不満の声。
幸子さんは、千葉で13歳の時戦争を体験した。当時、親友の女の子が家族6人を一瞬にして空襲で失った。それを痛感し「私は戦争に反対し、二度と戦争を起こさない活動を進める」と心に決め、今日まで様々な活動を続けてこられた。
その一つが、日本に来る留学生の里親を54年間続け、米国や東南アジアの若者たちを育て、国際交流と親交を広げる活動だった。
もう一つが、近所の主婦たちを集めた洋裁教室で、66年間続けて開催してきた。
洋裁教室の仲間で、平和を考える「雑草グループ」を作り、小規模の学習会活動を64年間続けて今日を迎えている。
私も10年くらい前にお呼びがかかり、幸子さん宅でミニ学習会に参加した。当時「自民党の憲法草案」について話をさせて頂いた。
また、幸子さんは56年前の大阪万博の時代に、千里の団地で発生したゴミの焼却場建設問題で、地域住民の方々の先頭で設置反対運動を担い、3年半引っ張ってきた闘将でもある。
幸子さんはこれまで「安心して暮らせる世の中は、平和憲法があるから」と愚直に仲間たちに訴えてきた。
選挙運動にも護憲派の候補者を推奨して活動されてきた。「立憲と共産党が仲良くしなければ」と訴えられたが、今回の選挙の結果は嘆かわしいものになった。
新たな高市政権の誕生で「改憲」の危機感が生まれ、これからの日本が再び「戦争する国」に転じることを「何とかしなければ、どうすればいいのか」と悩んでいる。
「一人でも多く『憲法守る』仲間を増やし、悩みを共有できる人を作っていきましょう」と幸子さんと私は約束し、お互いに生活する地域の中で日々奮闘していく。 |
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【HPコラム 2026・2】
労働運動の中からの反戦平和論の白眉
――伊藤彰信著『日本軍国主義と決別し日中不再戦の誓いを新たに』を読む
首藤滋
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高市早苗首相による暴走解散・総選挙にこの国が振り回されているいま、2月8日の結果がどう出るか。この国に良識が残されているか、それともさらに一歩戦争に突き進むのか、私は気をもんでいる。
首相就任後間もない11月7日、高市首相の「台湾有事で戦艦が出ればそれは(日本の)存立危機事態(すなわち戦争する)」との国会答弁が、一部に弁明する如く「口を滑らせた」のではなく、確信的思想・態度であることが明らかになっている。敗戦後80年、「戦争はこりごり」だったはずの日本人はここまで劣化した。
先週、日中労働者交流協会(日中労交)会長、前・全日本港湾労組委員長の伊藤氏による本が出版された。早速手に入れて読む。
まず第1章は高市首相発言の問題点を整理する。一貫するのは、1972年田中角栄首相と周恩来総理による「日中共同声明」の意義だ。そのなかで台湾が中国領土の不可分の一部であることを確認していることだ。そして高市首相発言がそれを無視していることだ。第2章で「共同声明」の意義を確認する。戦争状態の終結、国交正常化、戦争責任につき、前文に「過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」と書かれた。中国は「中日両国国民の友好のために」戦争賠償請求を放棄した。平和五原則と反覇権を明記した。平和友好関係、善隣友好関係を約束した。
次いで第3章「戦後80年の夏に考えたこと」で、伊藤氏は95年8月の村山首相談話(閣議決定)を引用し、本来の意味の「積極的平和主義」を求める。私はコント「がらがらぽん」(労文ホームページ掲載)で安倍晋三首相の戦後70年談話を批判したが、安倍版「積極的平和主義」が真逆の戦争推進主義であると書いたことを想い出した。伊藤氏は2「被爆の惨状を加害の免罪符にするな」で先の戦争での日本人の加害者意識が希薄化していることを指摘した。昨年11月の「憲法寄席」の構成舞台『ヒロシマというときー詩人栗原貞子の生涯―』は同様の主張を鋭く示したことも想い出す。
さらに伊藤氏は、日中労交の活動を行うなかでの様々な思いを語る。第4章「ウクライナ戦争に思う」で現代の戦争、また自然災害における情報戦、アメリカの戦争などここ数年のうちに書かれた数篇を再掲している。安倍政権下の戦争法制反対の文は、有事法制反対の労働組合の主張を反映するものだ。「戦争法案を職場から廃案に追い込もう」と。また「戦争協力は苦役であり強制労働である」と鋭い指摘に納得させられる。
最後に、先述の72年「日中共同声明」と「平和友好条約」、98年来日した江沢民主席と小渕首相の「日中共同宣言」、2008年来日の胡錦涛主席と福田康夫首相の「「戦略的互恵関係」の包括的推進に関する日中共同声明」、72年の大平外務大臣外交演説、95年の村山首相談話、また国連憲章との日本国憲法の抜粋が〈資料〉としてすぐ参照できるようになっている。親切なつくりだ。
高市首相発言を考える人、急速に強まる日本の軍国主義化を憂える人、とりわけ運動を担う労働者人民が手に取るべき一冊だろう。100頁余のこの一冊をぜひ手に取って語り合いたい。(2026年1月、旬報社刊)
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【HPコラム 2026・2】
ハンセン病療養所と『故郷』
窪田聡

ハンセン病療養所の納骨堂
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| 「兎追いしかの山/小鮒釣りしかの川」。おなじみの歌『故郷』。
作詞=高野辰之/作曲=岡野貞一。“文部省唱歌?とくくられていたいくつもの作品が、戦後の作者名を掘り起こす運動によってあきらかになった。
ちなみに、高野辰之には、ほかに『春の小川』『春が来た』『朧月夜』『紅葉』などの作詞がある。
ぼくは、この『故郷』があまり好きではなかった。
三節の「こころざしをはたして/いつの日にか帰らん」は“立身出世?を指向している。
――実際に、彼は大学教授になり、馬車に乗って帰郷している(実家は長野県豊田村)。
ところがさ、だ。
2001年5月、ハンセン病元患者たちが起こした国賠訴訟(国家賠償請求訴訟)が熊本地裁で勝訴、国が控訴を断念して判決が確定した。
当時、この患者たちの闘いに若干かかわったことがある。
岡山県瀬戸内市には、長島という離島(1988年に橋が架かった)にふたつのハンセン病療養所がある。そこに幾度も足を運び、元患者のみなさんと言葉を交わし、支援集会にも参加し、隔離政策のありさまを知った。
元患者たちが参加する集まりでは、おしまいに必ず『故郷』がうたわれた。
はじめは違和感があった。
しかし、療養所の園内には、集会場やら教会やら、立派な建物がいくつかある。そのひとつが納骨堂だ! 死んでも故郷に帰れない、という隔離政策の象徴だ。
「こころざしをはたして/いつの日にか帰らん」……望郷の想いに裏づけられた元患者たちの歌声は、今でもぼくの心を打つ。
牛窓での小さなコンサートで取り上げるときには、必ず納骨堂の写真を掲げ、元患者たちの想いを代弁するようにしている。
(かつて『音楽運動』紙に寄稿したものに若干加筆―窪田)
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【HPコラム 2026・1】
2026年1月3日
長島信也 |