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2026HPコラム |
| 8月 |
秋沢陽吉 |
対峙せよ、さもなくば滅びよ |
| 8月 |
北山悠 |
朝鮮戦争の停戦を忘れるな! |
| 7月 |
田中透 |
近況用報告(血圧のこと) |
| 7月 |
小林孝吉 |
憂いを生きることー「伝道の書」と「方丈記」 |
| 6月 |
三上広昭 |
生駒孝子詩集「光る轍」小熊秀雄賞受賞を祝う |
| 5月 |
福田玲三 |
102歳、わがトラウマ |
| 5月 |
土田宏樹 |
戦争加害の自覚の乏しさと向き合わねば |
| 4月 |
稲田恭明 |
「二国家解決案を疑う」を訂正する |
| 4月 |
黄英治 (ファンヨンチ) |
「悪」の加担者の責任 |
| 3月 |
西向光 (高田博光) |
94歳幸子さんの悩み |
| 2月 |
首藤滋 |
労働運動の中からの反戦平和論の白眉
――伊藤彰信著『日本軍国主義と決別し日中不再戦の誓いを新たに』を読む |
| 2月 |
窪田聡 |
ハンセン病療養所と『故郷』 |
| 1月 |
長島信也 |
2026年1月3日 |
| 1月 |
村松孝明 |
初の女性首相誕生に思う |
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【HPコラム 2026・8】
対峙せよ、さもなくば滅びよ
秋沢陽吉
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国会議員選挙の総括は勝てば官軍的な牽強付会のものがほとんどだ。報道機関を支配下に置く権力側は悪しざまに振舞う。
ここに三浦充希という人物がいる。世論調査や選挙結果の分析で、精緻なデータに基づいたかなり信頼できる定評がある人だ。成果を有料で販売している。今回の第51回衆院選(2026年)の中道の敗因を描いた彼の思索は見るべきものが多く目を開かされた。
第50回衆院選(2024年)と第51回衆院選(2026年)を比較してまずは次のような見方を否定している。@擁立状況は影響していたのか。A「高市旋風」のあおりを受けたのか。C新党で知名度がなかったことは理由になりうるのか。これらをすべて詳細なデータで否定した。B中傷動画の影響はあったのかだけは、影響を与えた一つの可能性として検討を保留している。
「超過集票力が減ったということは、比例票以上に小選挙区の票を失ったことを意味します。それが示唆するのは、小選挙区の候補者が、党勢では説明できないほど格別にまずい選挙をやったということにほかなりません。なぜそのようになってしまったのでしょうか。ここからは順を追って解釈していきます」。
「まず、原発・安保・基地問題等々をめぐる中道のスタンスが立憲と大きく異なることは、すでに第51回衆院選総括試論で述べました。公明は創価学会を基盤とする宗教政党であり、自らの一貫性を信者に納得させる必要があるため、党の方針を変えがたいという独特な背景をもっています。したがって合流に際してスタンスを譲るのは立憲となり、これまで「原発ゼロ社会を一日も早く実現します」としてきたことも、安保法を違憲としてきたことも、中道には引き継がれなくなりました。そして中道の執行部はそのスタンスを小選挙区の候補者に押しつけ、異論を認めませんでした」。
このことが中道の「足かせ」となって敗北したのだ。なかなかに説得力ある説だと感じ入った。「今ここにある世論や民意というのは、ありのままの自然な形で日本社会を満たしているわけではありません。この日本社会に自民党に有利な民意があるとしたら、それは自民党が作ってきたからです。そしてまた、野党の側が、自らに有利な民意を形成することを怠ってきたからです。
公明との調整という事情があったにしろ、中道に合流した立憲のようにリベラルがウケないからといってスタンスを変えるのであれば、それはそうやって世論の多い方にタダ乗りしているということです。それに流されて自民に迎合し、国家情報局の設置にも、国民投票法にも賛成しておいて、いったい後に何が残ると考えるのでしょうか。外部から自民党にスタンスを寄せるのは、単に自民に迎合し、屈服しているということです。そして自民に屈服するということは、一人しか当選者が出ない小選挙区においては自らが黙って退場することでしかありません。それが嫌なのであるならば、野党は自らが存在するために闘わなければなりません。小選挙区制は要請しているのです。と」
手厳しいがまさにこの通りであろう。巨大に見える自民党が衰退して主権者の言い分が可能になるとも別の項で論じている。大いに参考になる。 |
【HPコラム 2026・8】
朝鮮戦争の停戦を忘れるな!
北山悠
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| 朝鮮戦争は、1950年6月25日から1953年7月27日まで3年余戦われた。7月27日に停戦協定が結ばれたが、あれから73年目を過ぎようとしている。私はこの戦争の間に生まれたので、私の人生の長さほどの停戦状況が続いていることになる。私は朝鮮戦争にまつわる場所を訪れたことがあるので、紹介しつつ朝鮮戦争を振り返って見たい。釜山に臨時首都記念館がある。朝鮮軍が南進し、韓国軍は釜山周辺まで撤退を余儀なくされる。そこで釜山に臨時首都が置かれ、李承晩大統領がそこで執務を取った場所だ。しかし、国連軍、その実態は米軍だが、仁川上陸作戦を敢行して戦況はガラッと変わり、朝鮮人民軍は北へ撤退させられる。仁川自由公園の高台には上陸作戦を指揮したマッカーサーへの感謝を込めたマッカーサーの銅像が立っている。朝鮮人民軍が中朝国境まで追いつめられたとき、中国人民志願軍が参戦して38度線まで国連軍を押し返した。中国・丹東には朝鮮戦争時に破壊された「断橋」を見ることができるが、その中国側の橋のたもとに中国人民志願軍を指揮した彭徳懐将軍と志願軍のモニュメントがある。さらに、丹東市内には「抗美援朝紀念館」もある。アメリカは中国語で「美国」というので、その意味が知れよう。そこには米軍から戦利品として奪った戦車などが展示され、志願軍の活躍ぶりを見ることができる。朝鮮半島の停戦協定が結ばれたのは板門店だが、私が朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)を訪れたときに板門店の朝鮮側地域を見学し、そこで停戦協定の調印式があった建物を見学した。その停戦協定には、米国、中国、朝鮮の三か国が調印した。釜山には国連軍墓地というのがある。朝鮮戦争に参戦して亡くなった各国の兵士のための墓地だ。国連墓地は世界でひとつしかない。
ウクライナ戦争やイラン戦争の停戦・和平が話題にのぼっている昨今、なぜ朝鮮戦争の平和協定が実現しないのだろう。日本には国連軍司令部がある。平和協定が結ばれれば、国連司令部はなくなる運命だ。日本は朝鮮戦争による「朝鮮特需」で戦後復興を実現した。日本は率先して朝鮮半島の平和体制を実現する責務があるのではないか。そもそも朝鮮半島の分断と朝鮮戦争勃発の遠因を作ったのは日本ではなかったか。韓国の李在明大統領は「停戦体制を平和体制へ」と呼びかけている。中朝両国もそれを支持しているから、トランプ政権の決断にかかっている。高市政権の積極的な関与が期待される。朝鮮半島が平和体制に移行すれば、東アジアの軍事緊張は緩和される。軍拡路線より外交力を生かすときだ。
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【HPコラム 2026・7】
近況報告(血圧の事)
田中透
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この春から私、血圧の数値を下げるべく、毎日45分歩いております。
前回お話ししましたが、一昨年(2024年)7月に転職する際、前の職場(食品〈だし〉製造会社)の上司から「年次有給休暇が11日あるから、その分休んで、と言われたので、私は『今しかない』と思い、K医院へ行き、前から気になっていた頭の中(脳)をMRIで調べてもらったところ、
「赤みの薄い箇所が3つもある。これだと脳梗塞になる可能性が大きい。もう少し様子を見たいので、1年半か2年後また来て下さい。それから、いつも水分を多めに摂るように」とまだ30歳代と思わしき 院長先生に言われたのです。
その1年8ヶ月後の今年(2026年)3月に同病院でMRI検査を受けたのですが、
「脳に変化なし。ただ、血圧の数値が高い(最高150、最低80、脈拍70くらい)ので、次回は念のため、首の周りを調べます。それまでに毎朝晩、血圧を計っておいてください。血圧計なら薬局で6000円程度で買えます。ただし、正確に計ってもらいたいので、手首に着ける型(タイプ)のものではなく、腕帯を着ける型のものを」と若き院長に言われたのです。その帰り、私は薬局に寄らず、量販店へ行き、上腕式血圧計を買い、その晩から計ることにしたのですが、布団の出し入れ直後に計ると高めの数値がさらに高くなる(最高160、最低90、脈拍80くらい)ので、起床後と就床前はなるたけ身体を小さく、ゆっくり動かすようにしています。
その1ヶ月後の4月、今度はエコー(超音波)で頸動脈を調べてもらったのですが、
「血管内にプラーク(コブ状の隆起)ができている。それにこの1ヶ月間、血圧の数値も高い(1ヶ月前とさほど変わらず)。このままでは危険です。どうしますか、血圧を下げる薬を出しましょうか?」と彼に言われたのです。
「先生、ちょっと待ってください。血圧が下がるように何とかしますんで、薬だけは勘弁して下さい」
「そんなこと出来るんですか?」
「はい、やってみます!」
「分かりました。では、ちょっと様子を見ましょう。ただ、これだけは守って下さい。?充分な睡眠。?適度な運動。?バランスのとれた食事。特に甘いもの、油っこいもの、乳製品は控えるように」
「はい、甘いものや油っこいものは食べないようにします。牛乳も飲まないようにします。とりあえず毎日30分以上歩きます」と言って私は診療室を出ました。その日から私は大好きな甘いものや油っこいものはなるべく食べないようにして、大嫌いな散歩を日課として始めたのですが、正直辛くてならないのです。食べ物はある程度我慢できるのですが、仕事(交通誘導)のある日は1日正味7〜8時間立ちっ放しで、帰宅後、(運動の効果があらわるという)30分以上歩いているので、本当に疲れるのです。
ところで、どうして私がエコー検査の後、薬を飲みたくないと言い出したのかと言いますと、@薬や処方箋などでお金がかかる。A医院・薬局の行き帰りや順番待ちなどで時間がかかる。B薬を飲むようになると献血ができなくなる。という3つの理由があるからなのです。@とAは説明不要かと思い、省略しますが、問題はBでして、実は1997年12月(当時29歳)に十二指腸潰瘍から急性腹膜炎で、2010年2月(同42歳)には腸閉塞と2度入院しているので、再発防止のために10年程前まで少量ながら薬を飲んでいたのです。ある日、当時お世話になっていた方から「あなたの病気、もう治っているのだから、薬は飲まなくてもいいんじゃないの?」と言われたので、私も『それもそうだなあ……』と思い、かかり付けのN医院の医院長先生に相談したところ、「3〜4年に1回は内視鏡検査を受けること」を条件に私は薬を飲まなくても良いことになったのです。
ですから私の場合、献血を始めたのが48歳と他人様よりだいぶ遅かったので、その分、短期間ながらせめて(献血可能な)69歳までは健康でいたい。しかも、次回の献血は8月某日以降、30回目の予定なので、何としてもこれを続けてゆきたい。そう思いつつ、雨風の日以外は昼夜問わず、毎日30分から60分の閨i45分前後)、JR東三条駅周辺を歩いております。 |
【HPコラム 2026・7】
憂いを生きることー「伝道の書」と「方丈記」
小林孝吉
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人は、だれもが憂いをいだくことなく生きることはできないであろう。「憂い」も「空しさ」も、生きることそのものとともにある。二千数百年前のユダヤには、旧約聖書の一書「伝道の書」(コヘレトの言葉)がある。それは「ヨブ記」と同様に、この空なる生の意味について問いかけている。「空の空、空の空、いっさいは空である。/日の下で人が労するすべての労苦は、/その身になんの益があるか。(略)日の下には新しいものはない。」(1:2〜3、9)と。
ヨーロッパ近世、パスカルは人間の偉大さと惨めさをつづった『パンセ』のなかで、こう嘆いた。この世の「空しさ」は、ほとんど理解されることがない、空しさがわからない人は、その人自身が空しいのだ。また、人は死を前に皆鎖につながれ、次々と首を切られているのを見ながら、希望もなく自分の順番を待っている、人生は最後には頭から土をかぶせられて、永遠に一巻の終りである、と。
日本中世、念仏者・鴨長明は、外山の方丈の庵でつづった、天変地異を見つめる無常観の文学『方丈記』を、次のように書きはじめている。「ゆく河のながれは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて久しく止まりたる例なし。(略)知らず、生れ死ぬる人、いづかたより来りて、いづかたへか去る」。人の命も、朝顔の露のごとくに、朝に生まれて夕には消えていく。憂いも、空しさも、無常も、人の歴史とともにある。だが、旧約のコヘレトも、パスカルも、鴨長明も、ニヒリストではないであろう。コヘレトには「神」が、パスカルには「イエス・キリスト」が、鴨長明には「阿弥陀仏」がいる。それでも、人は憂いと悲しみを生きるのだ。他者への愛も、社会の変革も、人とのつながりも、その憂いを正しく知ることのなかに生まれるのではないだろうか。
現代に目を向けると、この二一世紀は、世紀を逆に戻すように新帝国主義が跋扈し、戦争と分断による終末的、黙示的世界に蔽われ、日本もその先端に立つアメリカに追随している。ウクライナ、パレスチナ、イランと、ドストエフスキーのイヴァンが告発した子どもたちの涙がつきることはない。ベイルートで育ったパレスチナ系アメリカ人の女性詩人ゼイナ・アッザームには、「おなまえ かいて」という、子どもの立場で描いた詩がある。「あしに おなまえかいて、ママ/くろいゆせいの まーかーペンで(略)ばくだんが うちに おちてきて/たてものがくずれて からだじゅう ほねがくだけても/あたしたちのこと あしがしょうげんしてくれる(原口昇平訳)。こんな悲しい詩があっていいのだろうか。
「伝道の書」と『方丈記』には、時空を超えて憂いとともに生きる人への深い愛おしさが滲んでいる。戦争の世紀は、愛の新世紀へと変らねばならない。 |
【HPコラム 2026・6】
生駒孝子詩集「光る轍」小熊秀雄賞受賞を祝う
三上広昭
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トラック運転手をしている生駒孝子さん(国鉄詩人連盟)の詩集「光る轍」が第69回小熊秀雄賞を受賞した。1964年生まれの生駒さんは30歳からトラック運転手として地元の浜松で働きながら詩を書いてきた。詩集など読んだこともない私は読ませてもらい。何故か感想を書きたくなり以下を記した。
私は労働者が書く詩や小説の面白さは、そこで働いて入り者しか、わからないことがあふれていることだと思います。
トラックの運転席で、納入の時間に合わせることに気をもみ、積み荷の心配をし、休憩、食事をとるタイミングなどをやり繰りし、同業者の冷たい視線を意識しつつも、交通誘導員や同業者の運転手とのさりげない励まし合いを欠かさず、言うべきことは言う反骨心など。ホークリフトの運転までするとは知りませんでした。
特に前半にみられる、孤独になりがちな長い時間に割り込んでくる人や風景を大切にすることにも共感しました。労働者の矜持が、労働者の連帯=i月並みですが)を生み出すのだと感じました。
面白いと思い感想を書いた詩集が、なんと伝統ある賞をもらったことに、勝手に嬉しくなりました。
この労働者文学会HPでは下記のふたりも熱い共感を書かれています。
*「国鉄詩人連盟」の会員でもある福田玲三さんの推薦の言葉(会員推薦の本)
*志真斗美恵さんの紹介(HPコラム11月 (HPコラム11月)
さらに「この詩集を最終選考会に残してくれた方々に、ありがとうと言いたい」という選考に関する経過が分かる。
(小熊秀雄賞HP)も是非見てください。 |
【HPコラム 2026・5】
102歳、わが トラウマ
福田玲三
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小生、1923年11月生誕(関東大震災の3か月後)
30年4月小学校入学(翌年9月満州事変開始)
36年4月旧制中学校入学(翌年7月日中戦争開始)
42年4月大阪外国語学校入学(前年12月太平洋戦争開始)
43年12月「学徒出陣」で岡山の歩兵部隊に入営
44年4月幹部候補生として福知山教育隊に入隊
同年9月教育隊を出て門司港を出帆、11月シンガポール到着
45年5月スマトラ島に赴任、8月敗戦。
46年4月スマトラ島を離れ、マレー半島東海岸で労役。
47年10月帰国、復員。
戦争の残虐行為に加担し、戦後までそのトラウマ(精神的外傷)を抱え、深夜に罪に脅えて奇声を発し、あるいは家族に突然暴行を働くなど、帰還兵の異常な行動が伝えられている。
私の場合、赴任先のスマトラ島は戦中戦後も比較的平穏で、残虐行為を強いられるような状況になかったため、それに類するトラウマと私は無縁だった。
だが102歳になって、別のトラウマに襲われるようになった。
その事情を説明しよう。
私は習慣として陽射しが衰える頃から1時間ほど家の周りの上り下りの坂道を歩くことにしている。私は遺伝の故か、早くから腰が曲がり、90歳ころから二本のポール(杖)を突いている。さきごろ、なぜか体がひどく疲れ、最後の児童公園で一息入れる予定が、公園入口の手前で脚がもつれ、尻から転倒した。
転ぶと自力では起き上がれないのだ。
悪戦苦闘のすえ、民家の金網にすがってようやく立ち上がり、二本のポールで体の均衡を図り、アスハルトの戻る段差で、また転倒。まわりに縋るものがないので、道に尻をつけたまま模索しているところに、帰りが遅いので探しに来た娘に救われた。
それ以後、過労にならないよう、歩行距離をちぢめるようにしているが、それでもこの転倒事故がトラウマになり、脚のすくむ思いがする。
自分の足で歩けるということは、個人の「自由」の至上の基本だから、この自由を失わないために、十分注意を払いながら、なお日課としている。
家にこもっていると、気分は欝(うつ)になる。歩いてくると気分が晴れる。
それに食べ物がおいしい。朝食は食パン6枚切りの1枚をコンガリ焼いて、これを牛乳とミニトマトで食べる。牛乳はがぶ飲みすると下痢を招くので、なめるようにちびりちびり味わう。ミニトマトはパンと相性が抜群によい。食事が魂がとけるほどおいしいい。
さらに夜は熟睡できる。眠りは自律神経が調節しているのか、意識して制御できるものではない。夜中に一度小用に立つが、その前後、おおむね安眠できるのは、昼間の運動のせいだろう。
この習慣を当分は続けたい。
(以上) |
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【HPコラム 2026・5】
戦争加害の自覚の乏しさと向き合わねば
土田宏樹
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2015年の「イラン核合意」の内容は「イランは、兵器に転用できる高濃縮ウランや兵器級プルトニウムを15年間は生産せず(ウランの濃縮度は15年間にわたって平和利用に限られる3・67%までに抑えることが義務づけられた)、10トンあった貯蔵濃縮ウランを300sに削減する。また1万9000基あった遠心分離機を10年間は6104基に限定する。かりにイランが核開発を再開しても、核爆弾1発分の原料の生産に最低1年はかかるレベルに能力を制限する」というものだった。これでイランは核兵器製造からはるかに遠のいたが、この合意から一方的に離脱(2018年)したのは第一次トランプ政権のときの米国である。そんなことは棚に上げて、トランプはイランに核兵器製造の意図があると言い張り続け、とうとう2月28日、イスラエルと組んでイラン攻撃に踏み切った。ヤクザが言いがかりをつけているようなものだ。
トランプの取り巻きどもの言辞も酷い。朝日新聞の中井大助記者(同紙アメリカ総局長)によると、国防長官(戦争長官)ヘグセスは、イラン攻撃について記者会見で米国の武力の優位を嬉々として誇示し、「公平な戦いではない。倒れているところを殴っているのだ。そうであるべきように」と述べる一方、イランの学校にミサイルが撃ち込まれ175人もの児童が死んだのは米軍による可能性があることを問われても「調査する」の一言だけで、その後一か月以上、何の言及もないという(4月21日朝刊)。
ヘグセスといえば、小泉進次郎防衛相と会談するたび、2人はいかにも意気投合したような演出がされる。高市首相といい、日本の政治指導者たちは、ゴロツキのごときアメリカと、どうしてこうもベッタリなのか。もっと問題なのは、こんな高市や小泉に、日本の有権者が高い支持を与えていることだ。私たちは文学会であるから、文学作品を例に考えよう。
『普天を我が手に』と題する長編小説がある。奥田英朗著、講談社。三部作が去年立て続けに刊行された。男女4人の主人公はいずれも1926年つまり<昭和>の始まった年に生まれるという建て付けはなかなか面白いのだが、戦争をくぐり抜けた主人公たちの戦争への思いは、隣国を侵略して酷いことをしたことより、米国のような強い国と戦ってしまったことに対する<反省>に帰着する。だからこの先は、米国にだけは逆らわず、ついていかなければ。戦後日本の平和主義の内実は結局そのあたりに落ちぶれてしまったか。
戦争加害の自覚の乏しさは、私たち労働者文学会が正面から向き合っていかなくてはならないテーマである。
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【HPコラム 2026・4】
「二国家解決案を疑う」を訂正する
稲田恭明
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ちょうど1年前の今頃(2025年3月)、この欄に「二国家解決案を疑う」というコラムを執筆させて頂いた。今読み返すと、不十分な理解に基づく混乱や誤りが見出されるので、この場を借りて訂正し、現時点での考えを示したい。
前記コラムで私は、「その失敗の原因を考察することなく、お題目のように「二国家解決」を唱えているだけでは無意味であろう。失敗の根本原因はイスラエルに二国家解決を実行する意志が全くないことである。そもそもオスロ合意でイスラエルはパレスチナの国家建設を認めていない」と書いているが、文脈上、「その失敗」とはオスロ合意の失敗とも、二国家解決案の失敗とも読めるようになっており、まずそこに私の理解の致命的欠陥が露呈している。仮に「その失敗」が二国家解決案の失敗だとしたら、その「根本原因はイスラエルに二国家解決を実行する意志が全くないことである」というのは、「トランプに国際法を遵守する意志が全くないことが国際法の失敗の原因である」というのと同じく馬鹿げている。(後半の「……国家のユダヤ性に固執している現状を直視するなら、二国家解決案の破綻はもはや明らかである」という記述にも、同様の論理的誤謬が表れている。)また、「その失敗」がオスロ合意の失敗を指すとしたら、「イスラエルに二国家解決を実行する意志が全くないこと」はオスロ合意の失敗の原因というより、オスロ合意の目的そのものであったがゆえに、原因と目的を混同している。
上記コラムを書いた私の意図は、「オスロ合意は二国家解決案であり、その進展を妨げているのは、オスロ合意を否定しているハマスや、合意の誠実な遵守を履行しないイスラエルにある」といった最大公約数的なオスロ合意理解を批判することにあった。オスロ合意が二国家解決案ではないというのは間違っていないが、上記コラムではどちらを批判したいのかが明確になっていないのみならず、結果的には二国家解決案を批判するような結論になっている。ここで現在の私の立場を明確にしたい。明らかに間違っていたのはオスロ合意であって、二国家解決案ではない。オスロ合意とは、パレスチナ人の自決権を否定し、イスラエルの支配と占領体制を永続化するための仕組みであった(ラシード・ハーリディー『パレスチナ戦争』参照)。一方、二国家解決案は、パレスチナ国家が建設されたとしても、人種差別とパレスチナ人難民の帰還を阻む現在のイスラエル国家の問題性は何ら解決されない以上、確かに理想的な解決案とは言えないものではあるが、今よりもましな状況に近づけるための(いかに非現実的に見えようとも)相対的には現実性のある解決策であると言える。そのことを早い段階で見抜いていた人や組織も少数ながら存在したが、その一つがハマスであった。そのことを私は川上泰徳氏の『ハマスの実像』によって教えられた。
ハマスはオスロ合意(1993年9月13日)の1週間後には「合意に反対し、占領への抵抗運動を続ける」との声明を発表していたが、2017年5月には「ハマス憲章」(1988年)の弱点を克服したハマスの新たな方針を明示した新政策文書を発表している。マスコミではほとんど報じられないこの文書のその第20項は次のように規定している。
「ハマスは、パレスチナを(ヨルダン)川から(地中)海まですべてを完全に解放する以外のいかなる解決策も拒絶する。ハマスは、シオニスト国家を拒絶することで妥協することなく、またパレスチナ人の権利を放棄することもなく、さらに難民と避難民が追放された故郷に戻ってくることを条件として、1967年6月4日の境界線に沿って、エルサレムを首都とする、完全に主権を持つ独立したパレスチナ国家が樹立されることを民族の総意の解決策とみなす。」
ここには、この文書を起草した当時のハマス政治指導部の驚くべき思慮深さが表れていると私は思う。まず、「パレスチナを(ヨルダン)川から(地中)海まですべてを完全に解放する以外のいかなる解決策も拒絶する」と述べて、理想は(すべての民族が平等な権利を有する)民主的な一国家解決策であることを明示したうえで、当面の現実的な解決策としては、第3次中東戦争以前の境界線(グリーンライン)に基づくパレスチナ国家の建設(二国家解決)を提示しつつ、シオニズム体制(入植者植民地主義的アパルトヘイト体制)を認めないこと、パレスチナ人の権利を放棄しないこと、難民・避難民の帰還を保障することを条件として挙げているのである。
私はこの項目に反対の余地を見出さないのみならず、川上氏の紹介している新政策文書のすべての項目に賛成せざるを得ない。現在、「トランプ和平計画」という、オスロ合意の何万倍も愚劣な計画がすでに行き詰っているが、こういうものが決して成功しないことはもちろん、ハマスの新政策文書が示しているような原理的に正当な理念は、いかなる弾圧にあおうとも決して消滅することはなく、何度でも再浮上してくるであろう。 |
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【HPコラム 2026・4】
「悪」の加担者の責任
黄英治 (ファンヨンチ)
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卑近な事実から考えてみる。いまSNSで、ある人を名指して「殺す」と書けば、とたんに対象者を脅迫したと見なされ、刑事罰の対象となり、逮捕・起訴される可能性がある。ましてや、脅迫通りに殺人を指示し、実行したなら、指示者と実行者は、処罰を免れない。なぜなら殺人は、人の命という「最も重要な法益」を故意に侵害する行為であり、殺人の処罰は社会秩序の維持と人権保護のために不可欠だからである。これが人間社会の「常識」のはずである。
ところが、米国のトランプ大統領とイスラエルのネタニヤフ首相は、自分が指示して、イランの最高指導者ハメネイ師を、圧倒的な軍事力を行使して殺害した、と胸を張ってメディアで宣言した。
「常識」(国際法と国際慣行)に基づくなら、トランプ氏とネタニヤフ氏は、逮捕、起訴され、裁判を経て処罰を受けなければならない。そして、「国際社会」は、各国に対する戦争犯罪を繰り返している米国とイスラエルに制裁を課して、戦争行為を止めなければならない(はずである)。
しかし、両氏はいまだに、なんの咎めもなく、「イラン指導部は全員殺した」「敵をどこまでも追及して殺す」と、言いつづけ、世界の誰も(そう、私も)彼らとその国の軍隊の無法で悪辣な無差別殺人行為を止められないでいる。
その責任は、誰が負うべきか? 私(たち)は、無法者をのさばらせている「悪」に加担していないと、言い切れるか? ここから、私(たち)は、なにができるのか、なにをすべきなのか、を、この〈いま〉から逃げ出すことはできないのだから――考え、行動しなければならない使命と責任が生じる。
私(たち)は、ユダヤ人政治哲学者ハンナ・アーレントが、ナチス(ドイツ人)によるユダヤ人虐殺が明らかになった一九四五年に執筆した論文「組織化された罪」(『パーリアとしてのユダヤ人』未来社、一九八九年所収)の、次の一節から、深い示唆を受け取ることができるように思う。
「人類の理念には自分たちが背負おうとは思わない一切の責任をも負うべきだという義務が含まれている。人類の理念は、人間によってなされたすべての犯罪に対して自ら責任を負い、民族はほかの民族によってなされたすべての悪行にたいしても自ら責任をおわねばならないという政治的にきわめて重要な帰結に至るからである。恐れおののきながらついに、人間はどのようなことでもできるのだということを理解したのである。人類の逃れられない責任に対して心底不安を抱いている人たち、そのよう人たちだけが、人間が惹き起こすかもしれない恐るべき悪に対して勇敢に、妥協せず、全面的に闘いを挑まねばならぬとき、頼りになるのである」
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【HPコラム 2026・3】
94歳幸子さんの悩み
西向光 (高田博光)
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大阪豊中市には、ロシア領事館がある。大阪モノレールの少路駅の山側徒歩10分くらいの閑静な住宅街。毎月24日に「ロシアはウクライナ侵攻を止めろ!」と街頭行動を元高槻市議の山本健治さんが呼びかけ、色々な人が集い今年2月で4年目に入った。
その住宅街の反対、浜側は高級住宅地で立派な屋敷がずらり立ち並んでいる。
幸子さんは、この住宅地にお住まいで、私とはもう20年くらいの付き合いである。今年94歳になられる。
昨年高市政権が発足し「悩みが増えた」と愚痴を呟き、先月の衆議院選挙では連日、私に電話と手紙で具体的な悩みが発せられた。
「今回の解散総選挙は勝手過ぎます」「私たちはどの政党に入れるの?」「立憲と公明が一緒になった『中道』て何?」次々と不満の声。
幸子さんは、千葉で13歳の時戦争を体験した。当時、親友の女の子が家族6人を一瞬にして空襲で失った。それを痛感し「私は戦争に反対し、二度と戦争を起こさない活動を進める」と心に決め、今日まで様々な活動を続けてこられた。
その一つが、日本に来る留学生の里親を54年間続け、米国や東南アジアの若者たちを育て、国際交流と親交を広げる活動だった。
もう一つが、近所の主婦たちを集めた洋裁教室で、66年間続けて開催してきた。
洋裁教室の仲間で、平和を考える「雑草グループ」を作り、小規模の学習会活動を64年間続けて今日を迎えている。
私も10年くらい前にお呼びがかかり、幸子さん宅でミニ学習会に参加した。当時「自民党の憲法草案」について話をさせて頂いた。
また、幸子さんは56年前の大阪万博の時代に、千里の団地で発生したゴミの焼却場建設問題で、地域住民の方々の先頭で設置反対運動を担い、3年半引っ張ってきた闘将でもある。
幸子さんはこれまで「安心して暮らせる世の中は、平和憲法があるから」と愚直に仲間たちに訴えてきた。
選挙運動にも護憲派の候補者を推奨して活動されてきた。「立憲と共産党が仲良くしなければ」と訴えられたが、今回の選挙の結果は嘆かわしいものになった。
新たな高市政権の誕生で「改憲」の危機感が生まれ、これからの日本が再び「戦争する国」に転じることを「何とかしなければ、どうすればいいのか」と悩んでいる。
「一人でも多く『憲法守る』仲間を増やし、悩みを共有できる人を作っていきましょう」と幸子さんと私は約束し、お互いに生活する地域の中で日々奮闘していく。 |
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【HPコラム 2026・2】
労働運動の中からの反戦平和論の白眉
――伊藤彰信著『日本軍国主義と決別し日中不再戦の誓いを新たに』を読む
首藤滋
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高市早苗首相による暴走解散・総選挙にこの国が振り回されているいま、2月8日の結果がどう出るか。この国に良識が残されているか、それともさらに一歩戦争に突き進むのか、私は気をもんでいる。
首相就任後間もない11月7日、高市首相の「台湾有事で戦艦が出ればそれは(日本の)存立危機事態(すなわち戦争する)」との国会答弁が、一部に弁明する如く「口を滑らせた」のではなく、確信的思想・態度であることが明らかになっている。敗戦後80年、「戦争はこりごり」だったはずの日本人はここまで劣化した。
先週、日中労働者交流協会(日中労交)会長、前・全日本港湾労組委員長の伊藤氏による本が出版された。早速手に入れて読む。
まず第1章は高市首相発言の問題点を整理する。一貫するのは、1972年田中角栄首相と周恩来総理による「日中共同声明」の意義だ。そのなかで台湾が中国領土の不可分の一部であることを確認していることだ。そして高市首相発言がそれを無視していることだ。第2章で「共同声明」の意義を確認する。戦争状態の終結、国交正常化、戦争責任につき、前文に「過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」と書かれた。中国は「中日両国国民の友好のために」戦争賠償請求を放棄した。平和五原則と反覇権を明記した。平和友好関係、善隣友好関係を約束した。
次いで第3章「戦後80年の夏に考えたこと」で、伊藤氏は95年8月の村山首相談話(閣議決定)を引用し、本来の意味の「積極的平和主義」を求める。私はコント「がらがらぽん」(労文ホームページ掲載)で安倍晋三首相の戦後70年談話を批判したが、安倍版「積極的平和主義」が真逆の戦争推進主義であると書いたことを想い出した。伊藤氏は2「被爆の惨状を加害の免罪符にするな」で先の戦争での日本人の加害者意識が希薄化していることを指摘した。昨年11月の「憲法寄席」の構成舞台『ヒロシマというときー詩人栗原貞子の生涯―』は同様の主張を鋭く示したことも想い出す。
さらに伊藤氏は、日中労交の活動を行うなかでの様々な思いを語る。第4章「ウクライナ戦争に思う」で現代の戦争、また自然災害における情報戦、アメリカの戦争などここ数年のうちに書かれた数篇を再掲している。安倍政権下の戦争法制反対の文は、有事法制反対の労働組合の主張を反映するものだ。「戦争法案を職場から廃案に追い込もう」と。また「戦争協力は苦役であり強制労働である」と鋭い指摘に納得させられる。
最後に、先述の72年「日中共同声明」と「平和友好条約」、98年来日した江沢民主席と小渕首相の「日中共同宣言」、2008年来日の胡錦涛主席と福田康夫首相の「「戦略的互恵関係」の包括的推進に関する日中共同声明」、72年の大平外務大臣外交演説、95年の村山首相談話、また国連憲章との日本国憲法の抜粋が〈資料〉としてすぐ参照できるようになっている。親切なつくりだ。
高市首相発言を考える人、急速に強まる日本の軍国主義化を憂える人、とりわけ運動を担う労働者人民が手に取るべき一冊だろう。100頁余のこの一冊をぜひ手に取って語り合いたい。(2026年1月、旬報社刊)
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【HPコラム 2026・2】
ハンセン病療養所と『故郷』
窪田聡

ハンセン病療養所の納骨堂
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| 「兎追いしかの山/小鮒釣りしかの川」。おなじみの歌『故郷』。
作詞=高野辰之/作曲=岡野貞一。“文部省唱歌?とくくられていたいくつもの作品が、戦後の作者名を掘り起こす運動によってあきらかになった。
ちなみに、高野辰之には、ほかに『春の小川』『春が来た』『朧月夜』『紅葉』などの作詞がある。
ぼくは、この『故郷』があまり好きではなかった。
三節の「こころざしをはたして/いつの日にか帰らん」は“立身出世?を指向している。
――実際に、彼は大学教授になり、馬車に乗って帰郷している(実家は長野県豊田村)。
ところがさ、だ。
2001年5月、ハンセン病元患者たちが起こした国賠訴訟(国家賠償請求訴訟)が熊本地裁で勝訴、国が控訴を断念して判決が確定した。
当時、この患者たちの闘いに若干かかわったことがある。
岡山県瀬戸内市には、長島という離島(1988年に橋が架かった)にふたつのハンセン病療養所がある。そこに幾度も足を運び、元患者のみなさんと言葉を交わし、支援集会にも参加し、隔離政策のありさまを知った。
元患者たちが参加する集まりでは、おしまいに必ず『故郷』がうたわれた。
はじめは違和感があった。
しかし、療養所の園内には、集会場やら教会やら、立派な建物がいくつかある。そのひとつが納骨堂だ! 死んでも故郷に帰れない、という隔離政策の象徴だ。
「こころざしをはたして/いつの日にか帰らん」……望郷の想いに裏づけられた元患者たちの歌声は、今でもぼくの心を打つ。
牛窓での小さなコンサートで取り上げるときには、必ず納骨堂の写真を掲げ、元患者たちの想いを代弁するようにしている。
(かつて『音楽運動』紙に寄稿したものに若干加筆―窪田)
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【HPコラム 2026・1】
2026年1月3日
長島信也 |